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『リップヴァンウィンクルの花嫁』

2017年06月07日
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あらすじ・・・血の代わりにお金が流れます。



安室行舛(綾野剛さん)のつかみどころのなさがすごい。
どんな相手にも瞬時に合わせられるのは心がないからなのか、ものすごい強固な鎧で心を守っているからなのか。
いちど無防備な自分をさらしてしまうと、ズタズタに切り裂かれる可能性もある。
だから安室は、他者との間に「お金」という「鎧」を介在させる。
安室のこわいところは、相手にその「鎧」の存在を感じさせないところ。
だから相手はうっかり信じてしまうし、うっかり胸襟をひらいてしまう。
ひらいた結果、相手は底なしの絶望を味わうこともあるし、最悪死を選ぶことだってあるかもしれない。
けれど、たとえ相手が死んでしまっても安室の心は傷つかない。
「お金」が安室を守っているから。
人当たりのよさそうな笑顔を浮かべて人の心をお金に換える。
そんな恐ろしさを微塵も感じさせず、今日も安室は飄々と、人の隙間をすり抜けてゆく。


皆川七海(黒木華さん)の警戒心のなさがすごい。
どんな相手でもいとも簡単に信じてしまう。 そんなに愛していなくても結婚しちゃうし、素性が知れなくてもスーパーマンのように頼ってしまうし、一度会っただけで親友になってしまう。
あまりに無防備だから、当然心はことごとくズタズタに切り裂かれてしまうけれど、脅威の回復力で立ち直り、また簡単に心を開いてみせる七海。
七海のすごいところは、その「無防備」さが彼女の危うさであると同時に、魅力にもなっているところ。
心をガッチガチの鎧で固めている安室が、七海をただのカモとして見ていたのかというと、わたしにはそうは思えなかった。
トラブルに直面するたび、ノーガード戦法でふところに飛び込んでくる七海のふにゃふにゃとした表情に、本心から「なんとかしてあげたい」と思った瞬間が、安室にはあったのではないか。
かと思えば、突然のこだわりを見せたり自分で作り上げた人間関係を大切にしようとする芯の強さに、ハっとした瞬間があったのではないか。
見ていてハラハラする程の無防備さで、出会う相手に「自分は七海にとって特別な存在なのではないか」と思わせてしまいながら、今日も七海はふわふわと、人の隙間をすり抜けてゆく。


そして、本作にはもうひとり、お金という鎧で心を守りながら、同時にノーガードで突っ込んでくる人物がいる。
里中真白(coccoさん)だ。
真白は充分に愛を与えられず育ったのかもしれない。
欲しても欲しても手に入れられなかった愛を、たくさんの人たちに抱かれることで満たそうとしたのかもしれない。
抱かれるだけではなく、抱かれている姿を別の誰かが見てくれることも、真白にとってはひとつの愛撫の形だったのかもしれない。
だから彼女は身体をオープンにし、どんな愛撫も拒絶しなかった。
彼女に触れる手、彼女と繋がるもの、彼女に注がれる視線、彼女を包み込む吐息、そのすべてが真白にとって欠かせない「愛」であり、それなくしては生きていけないものだったのではないだろうか。
そのあまりに無防備な生き方は、もしかしたら、彼女がずっと欲していた「愛」を過剰に与えてしまい、穴をふさぐどころか溢れかえらせていたのではないか、と思う。
自分で手に入れたはずの「愛」が、自分の心を溺れさせてゆく。
自分という人間には不相応だ、と、息苦しくさせてゆく。
「愛」を過剰に摂取しつつ、やめることも出来ない中毒者のような真白は、せめてそこに「お金」を発生させることで、なんとか自分を保とうとする。
これは「愛」じゃない、これは「幸せ」じゃない、自分が払ったお金に対する正当な対価だ、と。
しかし、いくらお金で身を守ろうとしても、世の中に対してフルオープンな真白は、普通の人は見過ごしてしまうようなちいさな「幸せ」も素直に見つけだせてしまう。
世の中に当たり前に存在しているものは、本当は当たり前などではなく、だれかの善意や努力によって成り立っているのだ、ということに気づいてしまい、ささやかな優しさに押しつぶされそうになる。 


「幸せ」を欲して、「幸せ」に殺されそうな真白。
彼女を蝕む病が、どれぐらい彼女を「最後の願い」の実行に踏み切らせる要因になったのかはわからない。
病を患っていなくても、彼女はもう限界だったのかもしれないと思う。
人生で最も大きな「幸せ」、ひとりぼっちで死にたくない、という究極のわがままを叶えるため、真白はいままでにないぐらいの大金を払う。
そして、真白の願いは安室と七海によって成就するのだった。


残酷過ぎて依頼することをためらわずにはいられない「最後の願い」の罪悪感を、安室は「お金」を受け取ることで取り払ってあげた。
幸せの度がすぎて見ないふりをするしかなかった「優しさ」を、七海は無防備にくっきりはっきり見せることでもういちど純粋な喜びとして実感させてあげた。
真白はふたりによって救われ、ふたりもまた、真白によって得難いものを得る。



わたしがこの作品でいちばんすきだったところは、登場人物たちが結婚式からお葬式まで、というかなり激動の人生を歩みながら、劇的に成長しないというところでした。
物語を観るとき、わたしは無意識にわかりやすい「成長」を求めようとするけれど、人ってそう簡単に変わらないんですよね。
少なくとも、見た目的には変わらない。
ただ、なにがしかの経験を通して、じわじわと心に沁みてくるものがある。
それは今まで抱いた事の無かった寛容さだったり、知らなかったことへの理解だったり、ちょっとしたしたたかさだったり。
いいものばかりではなく、はたから見たら悪影響のように思えるものでも、本人にとっては生きる糧になることがあり、そうやって心に色々な物を取り込みながらたくましくなっていくことを、成長と呼ぶのかもしれないなぁと思います。
お金を受け取った七海や、無償で家具を届けた安室の心にも、真白との時間を経て何かが残ったことは間違いないのではないかでしょうか。
突然「善人」になるわけではなく、突然社交的になるでもない、じわじわとした心の変化。
その変化が今後の彼らにどんな景色を見せることになるのか。 
きっとそこには、あたたかい光が射しているのではないか、そう思いました。



- 追記 -

・ 真白がSNSのアカウント名にしていた「リップヴァンウィンクル」は、アメリカの短編小説で浦島太郎のようなお話なのだそうです。
恐妻家のリップ・ヴァン・ウィンクルが、森の奥で不思議な男たちと酒盛りして、一眠りして起きたら数十年が過ぎていて、世の中は変わり、恐い奥さんも亡くなっていた、という。
リップヴァンウィンクルが真白ならば、その花嫁は七海なのか? 
しかし、お酒を飲んで一眠りした後、一人生き残っていたのは七海でした。
もしかしたら、七海と真白のどちらもが時代に取り残されたリップヴァンウィンクルで、どちらもがそんな孤独な男を救いに来た花嫁だったのかもしれない。
もしくは、ただ単純に、「こっこさんと黒木さんにダブルでウェディングドレス着せてひたすらイチャイチャさせたいんだよ!」という岩井監督の趣味のあらわれなのかもしれない。 そうだったとしても、オレは岩井監督を責めない・・・ なぜならじっさいうっとりしちゃったから・・・!!

・ 終盤、真白の実母宅で安室が全裸になるシーン。 安室が人間性を見せたということなのか、演技の一環だったのか、色々な意見があったそうですが、わたしはあれも安室の特技である「なんにでも合わせられる」が発揮された場面だと思いました。
安室はその時その時、相手の感情やテンションに即座に沿ったリアクションが出来る人間なのですよね。
相手が泣いていれば悲しそうに寄り添ってあげるし、相手が怒っていればそうだそうだと相槌をうってあげる。
真白の母が服を脱ぎだした時、いちばん彼女を心地よくさせるのは、いさめるのでも慰めるのでも恥ずかしがるのでもなく一緒の状態になる事だった。 だから安室は躊躇なく脱いだ。 演技をしようとしていたわけではなく、あの時ベストなリアクションだったからそうした、ただそれだけだったのではないか、と。 
それこそが、人々が安室に心を開いてしまう理由であり、安室がおそろしい理由でもあるのではないか、と。
悪魔のように魅力的な男だったなぁ。

・ 最後になりますが、本作はとにかくこっこさんという存在がとてつもなく大きすぎて、黒木さんや綾野さんのすばらしさが「普通」に見えてしまうほどだったことだけお伝えしておこうと思います。 
あの大きな瞳は世の中の見なくていいものを見過ぎ、あの大きな口は世の中の汚れたものを吸い込み過ぎ、あの長い手足は世の中の理不尽なしがらみにがんじがらめになってしまったのだろう。 そう納得せずにはいられない真白像は、こっこさんが演じたからこそ成り立ったものだと思います。
『KOTOKO』の時もあまりの演技力にひっくり返りましたが、『リップヴァンウィンクル』のこっこさんはこれまた強く儚く、なにより美しかったです。 

と、いうわけで、本作で女優・こっこさんのナチュラルな魅力に惹かれた方は、ぜひ別の形でのナチュラル神経衰弱っぷりがすごい『KOTOKO』もご覧ください! そして、うちのめされるといいよ!!


以前書いた感想・・・『KOTOKO』



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