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『ヒメアノ~ル』

2016年06月03日
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あらすじ・・・
夢も目標も意欲も何もない無気力な若者たちが、コントロール不可な「愛情」という本能に振り回されて、求めても叶わぬものに執着したり、応えたら厄介になるであろうものを受け入れたり、腰を振ったり鉄パイプを振ったり髪を剃ったりします。

わたしは普段から割と簡単に、「絶望」という言葉を口にしてしまいがちなのだけれど、果たして本当の「絶望」を知っているのだろうかというと、自信はない。
もちろん、自信がないということは幸せなのだ。 というか、自信がない方がいいのだ。
「絶望」、つまり全ての望みが絶たれた状態。 
その言葉を受け入れた先には、どんな世界が広がっているのだろうか。
いや、広がってなどいないのかもしれない。
それでも生きてさえいればふとした瞬間ごくごく僅かにでも芽生えそうになる、はかない「光」をひたすら内へ内へと吸い込んで、自分やその周囲を真っ黒な色に塗りつぶしてしまう、ブラックホールのような虚ろな穴が口を開けているだけなのかもしれない。

本作の主人公・森田くんは、まさにブラックホールだった。
その目、その立ち姿、そのだらしなく開いた唇。 
彼を映し出すスクリーンには、「生」を包む眩い光が消されてしまったかのように、常にうすぼんやりとした影が漂っている。
彼がひとたび口を開くと、普通がふつうではなくなり、嘘がまこととなり、確かなものがふたしかなものになってしまう。
ゴウゴウと猛烈な勢いで、彼の内にぽっかりと開いている穴が、わたしやあなたや彼や彼女の「日常」を吸い込もうとしているのを感じる。
走っても逃げられない。 助けを求めても救われない。 なぜなら森田くんはブラックホールだから。
悪人でもない、サイコパスでもない、何者でもないからこそ何もかも飲み込んでしまう、ブラックホールなのだから。

森田くんと話をするのは、とても危険だ。 
さっきまで感じていた希望が一瞬で揺らいでしまう。
森田くんと目を合わせるのは、とても危険だ。
さっきまで身を置いていたはずの「日常」が一瞬で崩壊してしまう。
森田くんはモンスターなのか。
怖ろしいモンスターなのだろうか。 
チンピラにお金を巻き上げられ、おなかがすいたら人の家のカレーを平らげてしまい、寝る時はパジャマに着替える森田くんは、わたしたちと同じ人間ではないのだろうか。

本作中、森田くんに関して明かされる過去は、高校生の頃イジメに遭っていたという事実のみ。
いや、イジメという呼び名で甘ったるくコーティングされた、陰湿で凶暴なリンチというべきか。
親は助けてくれず、傍にいたクラスメイトたちは離れてゆき、唯一の友達は、あろうことかリンチの首謀者であるクラスメイトの言いなりになって自分をさらなる辱めの罠に陥れた。
森田くんの中にブラックホールが生まれたのはどのタイミングだったのだろうか。
家族に失望した時? 親友に裏切られた時? それとも、リンチの首謀者の身体に、初めて金属バットを降りおろした時?
はっきりとは描かれていなかったし、想像するしかないけれど、わたしは森田くんにその「時」が訪れたのは、親友だった岡田くんが自分を嘲っているのを見た瞬間だったのではないかと思ったのだ。

わたしは、そうだ、ハッキリ言おう。 わたしは本当の「絶望」を知らない。
死のうと思ったことはある。 というか、あるチャンスに賭けようとしていた時、もしそれが実らなければ躊躇なく死のうと決めていたことはある。
けれど、それはまだ、「絶望」ではなかった。 なぜなら、そこにはかけがえのない存在への「愛情」があったから。
誰かを愛したい、誰かを守りたい、誰かの助けになりたい。 
家族や友人やちょっとした知り合いや、自分が関わる色々な人たちに注がれるそれらは、全部ひっくるめて「愛情」と呼んでいいと思う。
そしてその「愛情」は、対象となる相手ではなく、自分を支える「望み」となっているのだと、わたしは強く思う。
注いだものが帰ってこなくていい。 ひたすら想うだけでもいい。
時に漠然とした「誰か」や「何か」という存在が、たとえ先が見えない不安や明日に対する恐怖や身を切り裂くような孤独の中に立たされた時も、自分を「絶望」から救ってくれる。 
「あの人に愛されたい」なんて大層なものでなくていい、「あの人元気にしているかな」というような、ごくごく些細な気持ちが、ここに踏みとどまらせてくれるのではないか。
わたしにはそれがあった。 今もある。 だから、これから先もわたしは「絶望」しない。 
けれど、森田くんにはそれがなかったのだ。

親友に売られたその日。 
もちろん、そこに至るまでにも、たとえば家族との間にも色々な行き違いはあっただろうが、森田くんが「望み」を預けていられた最後の防波堤である「友情」を、岡田くんが壊してしまったその日。
森田くんの人生は、「それ以前」と「それ以降」とに分裂してしまったのではないか。
「それ以降」の、何もなくなってしまった森田くん。
どれだけ光を吸い込んでも、森田くんのお腹は満たされない。 
ゆっくりと、ただゆっくりと、朝目覚めて夜寝るまで底なしの穴に落ち続けてゆくだけの人生。
たしかに、人をザクザクと切り刻んでゆく森田くんは怖ろしいモンスターかもしれない。
けれど、「それ以前」の森田くんをモンスターに変えてしまったのは、ごくごく「普通」の人たちなのだ。
森田くんだけを致命的に変えて、すべての望みを奪い去り、その後自分たちは何食わぬ顔で平凡な日々を送っている、「普通」の人たちなのだ。

たくさんの人を殺め、人生を壊していった森田くん。
しかし、彼自身も気づいていない間に、森田くんの中の本能は再び何かを求めようと手を伸ばし始めていた。
「それ以降」心から抹消していたはずの「愛情」。 
誰かの何かに触れて、自分の何かに触れられたいという欲求。
自分の中のブラックホールから這い出すかのように、暗闇の中車を駆る森田くんは、あっけなく壁にぶつかりその逃走劇を終わらせる。
おびただしい血を流し、むごたらしい傷を負ったことで、森田くんの分裂していた心の一部は解放され、「それ以前」の感情や記憶を取り戻すことができた。
高校生の頃の無邪気な笑顔。 親友とのたわいない会話。
ブラックホールに片足をもぎられた森田くんは、あとどれぐらい生きられるのだろう。
生きていられたとして、今度は森田くんの心は「絶望」ではなく、「それ以前」のたのしかった日々の中にとらわれたままなのかもしれない。
いずれにしても、自由にはなれなかった森田くん。
どうして彼はこんな目に遭わなければならなかったのか。
どうして彼は周囲の人間をこんな目に遭わせなければならなかったのか。
たのしそうにテレビゲームに興じる、森田くんの小さな肩を観ながら、とてつもなくかなしくなった。

凄惨で、非情で、虚しくて、もの悲しくて、おそろしくて、二度と観たくないけれど二度と忘れられない、とてもすさまじい作品でした。





クライマックス、連行される森田くんの笑顔がすごくよかったです。 
無邪気な子どもの笑顔。 なんという表情をするのだろう・・と感情をぐちゃぐちゃにかき回されました。
森田剛さんという人を、ひとりの役者として認識していなかった自分を恥じました。
いわゆる「サイコパス」な目つきをするでもなく、殺人に快楽を感じているようでもないけれど、目を開けているのか閉じているのかわからなくなるほどの真っ暗な闇を感じさせる演技。
すごい人だったんだなぁ。 本当に「こういう人」にしか見えないんだもんなぁ。

もちろん、ムロツヨシさんも濱田岳さんも佐津川愛美さんも、言うまでもないほど自然で素晴らしかったですし、役者の力と監督の技とその他製作に携わった人たちの能力がきちんと噛み合うと、こんな優れた作品が生まれるのか、と感動しました。
あと、よく「オープニングでその映画の出来がわかる」なんて言葉を聞きますが、本作のタイトルが出る瞬間は本当に鳥肌が立つほど美しくおそろしく、なるほど、たしかにこれはオープニング満点ですね。

目をそむけたくなるような現実と非現実。 
わたしが生きている、希望にあふれる世界のすぐ隣で口を開けているブラクッホール。
今観るべき映画があるとしたら、この作品なのではないか、と強く思いました。



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