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隣の家の陽子。 「絶叫」読感

2014年10月28日
zekkyou (1)


あらすじ・・・
単身者用マンションの一室で発見された、「ひとりの女性」の残骸。
猫に食われ、肉の破片と汚物と骨だけを残しながらひっそりと朽ち果てた女は、どのように生まれ、どのように死んでいったのか・・・。



というわけで、みんな待ってた葉真中顕さんの新作長編「絶叫」を読みましたよ!
読み始める前からネット上に散見されていた絶賛の声に、なんとなく気構えてしまいながら開いたページが、まぁ飛んでゆく飛んでゆく!
522ページ目に綴られた最後の言葉が目に入った時、時計の針は表紙をめくった時から3時間が経過しており、わたしは、「鈴木陽子」というひとりの女性が経てきた「不幸を大鍋でぐつぐつ湯がいてとった煮汁」のような壮絶な味の半生を飲み乾したことへの、なんともいえない達成感と、それに見合わないほどあっけなく過ぎていた現実世界での時間への、「え?あんなに濃い経験したのにまだこんな時間?」という不可思議さに脱力してしまっていました。

つまり何が言いたいかと言うと、一度読み始めると時間が経つのを忘れるほどのめり込んじゃうよ!ということです!

1973年10月21日に生まれた陽子が歩んできた半生、それは、1973年1月に生まれたわたしが見てきたのとほとんど同じ40年間でした。
当たり前のように家を守る「弱い」母親、7人の敵と戦う「強い」父親、今よりもずっとおおらかだったテレビ放送、今よりもずっとでたらめだった環境意識。
そんな中に生まれたわたしたちは、今では信じられない程窮屈で、驚くほど奔放な文化を享受しながら育ってきました。
特別あたまが良くなくても、なんとかなった時代。
取り立てて才能がなくても、どこかに拾われていた時代。
ぶくぶくと膨れた泡が目の前ではじけ、未曽有の大災害を経験し、狂信者たちが起こした非道な犯罪を目の当たりにし、「なにかがおかしい」「どこかがおかしい」と感じながらも、なんとなく生きてきた40年間。 
生きてこられた40年間。

陽子の物語に登場する世俗・風俗のなにもかもをわたしは知っていて、そのすべてに直結した記憶を持っていて、しかし、陽子の目に映った風景とわたしのそれは、あまりにも異なっていました。
あの事件、あの騒動、あの渦中に、自分はどんな恋をし、何に夢中になっていたかという感傷が呼び起されると同時に、目の前のページの中で真っ暗な社会の深部へと沈み込んでゆく陽子の姿にえもいわれぬ申し訳なさを感じてしまった。
申し訳なさと、すこしのもどかしさを。
そう、正直に言いますが、わたしは陽子に苛立っていたのです。

確かに陽子の生い立ちは不幸でした。  けれど、いくつかのターニングポイントもあったはず。
どうして陽子はあえてこの道に進んでしまったのか?
なぜ陽子はもっと別の側面を見ようとしなかったのか?
わたしは、川面を滑ってゆくひとひらの花弁のように、あっちの友人こっちの知り合い、果ては初対面の人物にすら流れ流されてゆく陽子に対し、「なにやっとんじゃい・・・!」というもどかしさを感じていました。

不幸のつるべうちとも言える陽子の半生。
しかしそれは、決して珍しいものではなく、意外とありがちで、実はありふれた不幸なのではないかと思うのですよね。(後半に出てくる「不幸」はちょっと度を超えた不幸でしたけども)
「幸せ」のラインをどこに引くかで、当然ながら「不幸」のラインも決まってしまう。
温かい家族に包まれ、惜しみない抱擁と愛情を注がれれば幸せなのか。
充分な愛情はなくても、ふた親とも揃っていれば幸せなのか。
片親でも、住む家があって温かい布団で眠ることができれば幸せなのか。
借家の三畳一間でも、とにかく三食食べられるだけで幸せなのか。
なにはともかく、命があるだけで幸せなのか。

たとえ取り巻く環境や条件が似通っていても、誰かは「幸せ」だったと感じ、別の誰かは「不幸」と受け取るもの、それが人生。
陽子が選んだのは、後者でした。
もっと言えば、陽子の両親が選んだのが、まさに後者だった。
もともと与えられなかった陽子とは違い、手元に既に「幸せ」があったにも関わらず、そこには見向きもせず貪欲に「ないものねだり」を重ねてきた陽子の両親は、きっとどんな幸運に恵まれても満足しなかったのではないでしょうか。
陽子の一番の不幸は、そんな大人たちのもとで育ったことなのかもしれませんし、だからこそ、彼女は後者を選ぶしかなかったのかもしれない・・・。

わたしの中の苛立ちは、いつしか「自分の考え方だけを物差しにしていた」自分自身への苛立ちへと変わっていました。
そして、ある恐ろしい事実に気づき、ハッと背筋に冷たいものを感じたのです。
世の中にいるたくさんの「陽子」を追い込もうとする、「自分とは違う」ことを「甘え」とか「軟弱」とか「ズルさ」という言葉で責めたてる人たちと同じ場所に、自分が足を踏み入れそうになっていたという事実に。

陽子はわたしじゃない。 近いようで遠い、隣の家の知らない子です。 
その家で起こっていることを知ろうとするのか、彼らにも非がない訳じゃないから、と見て見ぬふりをするのか。
わたしたちの選択は、いずれ巡り巡って自らの人生を左右するかもしれない。
なぜなら関係無くなどないから。
すべてはつながっているのだから。

本作には陽子以外にも「不幸」な環境で流れ流されて生きてきた「かわいそう」な人たちが登場し、仲間内で食ったり食われたりしてゆくのですが、その様子は無情を通り越して滑稽と思えるほど。
そして後半、彼らの中で誰よりも「食われる」立場にいたはずの陽子が、桁違いの「無情」に直面したことで悟りの境地に達する場面は、爽快さと不気味さで心が粟立つこと請け合いです。
専門家ではないのでわかりませんけど、シリアルキラーとかサイコパスの心理って、もしかしてこういう感じなのかなぁ・・とゾワワっとなりました。
よ・・陽子さん・・・ 悟るならもっと別の方向でお願いしたかった・・・! 無理か・・無理なのか・・

不幸、ふこう、フコー、とFUKOゲージが満タンになりそうな半生に対し、陽子が選んだ幕引きの方法。
「弱さ」を「強さ」に変えたように見える彼女の凛とした眼差しは、晴れ晴れとしたようにもみえ、また、とてつもなく憐れにもみえました。

秋の夜長におすすめの、珠玉の一冊です。
ぜひ!

・・・ところで、作中陽子が読んでいた「生まれ変わりをテーマにした」少女漫画が気になって仕方なかったのですが、瞬時に浮かんだのは「ときめきトゥナイト」だったものの、世代的には「ぼくの地球を守って」かもしれないし、のんきに読んでる感じだったので前者の方が可能性高い気もしたりして、そこんとこどうなんでしょうね!  ・・・っていう同世代ならではの楽しみ方も出来ますので、40代前後の方もぜひ!





(※ 以下ネタバレを含む感想)





(※ ネタバレしています)



・ 「猫に食われた女」という言葉の魔力がすごい! ギョっとなると同時に、強烈に惹きつけられてしまう! いま、気になる死体ナンバー1!

・ 支配的な母親の呪縛から逃れ自立の道に焦がれていたはずなのに、現実には常にだれかの支配に置かれることを選んでしまう陽子と、目の前にいるやさしい夫とかわいい娘を相手に、勝手に「完璧さ」を競う勝負に挑み勝手に敗北宣言し勝手に逃走してしまう刑事・奥貫綾乃。  どちらも共感できないタイプなのですが、彼女たちが欲してやまなかった「もの」には、確実に心当たりがあったため、「がんばってほしい」と願わずにはいられませんでした。

・ 全身を振り絞って声なき叫びをあげる陽子が求めていた「もの」。 「自分のための居場所」。

・ それは、「受容」と呼ばれたり「肯定」と呼ばれたり、シンプルに「愛情」と呼ばれたり・・。 文字通りの「場所」ではなく、魂が落ち着ける場所のこと。 自分がじぶんとして受け入られれる経験によって、生み出されるもの。 誕生すら否定されてきた陽子には、最初から用意されるはずもなかったもの。

・ しんどいことがあった時やつらいことがあった時に逃げ込む「居場所」はおろか、うれしいことがあった時にその喜びに浸れる「居場所」すらなかった陽子が、どんな思いで人生を這い進んできたか。 それを思うと、なんだかもうやりきれないですねぇ。

・ でもね、「かわいそうに」「気の毒に」と言いながらもふと考えてみると、もしも自分がこのような苦境に立たされた時、いや、もっとハッキリ言うと、大借金かかえてにっちもさっちも行かなくなった時、陽子のように心と体を切り離してでもそこに立ち向かって行けるのだろうか、と。 もしかしなくても無理なんじゃなかろうか、と思ったわけですよ。

・ 親兄弟に泣きつく方が手っ取り早いでしょうし、頼れる身内がいないにしても自己破産してしまうという方法もありますし、とにかく逃げるが勝ちって言葉もあるじゃないですか。  ガマガエルのような男に身体を弄ばれてあげく説教されるとか・・・  わたしはその責め苦には耐えられない。耐えられる自信がない。 あまったれでどうもすみません。

・ 流れ流され支配された末「弱さ」を「強さ」に変えたように見えた陽子は、実は、めちゃくちゃ強い人間だったのではないかと思ったのです。 いや、強すぎたのではないかと。  

・ だからこそ、すべての理不尽さを恨むのではなく、それすらもコントロールすることを選んだ。 人の苦しみも、痛みも、喜びも哀しみも何も届かない場所に身を置くことを選んだのではないか。  わたしは陽子はモンスターだと思いました。 かわいそうなモンスターだと。

・ で、陽子をそこへといざなったのは、6本の指を持つ神代という男だったわけですが、彼はその名の通り「神の代理人」のような存在でして。

・ 最初は陽子の分身とも言える金魚を授けるテキヤとして。 次に出会った時は陽子の死生観を変えるヤクザとして。 その後は陽子に肉体の悦びを与えてくれる情夫として。 陽子を養う家長として。 陽子に足りなかったものが何かを教えてくれる指導者として。 陽子が進むべき場所を指し示す道標として。

・ 本作の登場人物はみな、過去に何かを背負っている人物ばかりなのですが、結局物語の最後まで、神代の事情だけは明らかにされません。 

・ これはわたしの持論なのですが、神さまって仮にいるとしても、別に「いい人」ではないと思うのですよね。 人間に興味なんてないのだろうなぁ、と。 誰が苦しもうと、誰が傷つこうと知ったこっちゃない。 ただし、とことん平等なので、生も死も例外なく与える。 「なぜ?」って神さまに聞いたら、きっと「そういうもんだろ?」と答えるのではないでしょうか。

・ 神代はまさに、あっけらかんと生死をつかさどる神さまみたいに、陽子の命を掌で転がし、「そういうもんなんだ」という教えを授ける。 となると、陽子は神殺しってことになるのか。 でも、神代は陽子に「魂の解放」を与えるため、自らを犠牲にしたのかもしれないなぁ。 嗚呼、そんなところも実に神っぽいじゃないか。

・ 過去も肉親も自分自身もすべて捨て、さくさくと人の命を奪い、こざっぱりとした顔で別人としての生活を始めた陽子。 全てのしがらみから逃れたはずの彼女が、新しい自分の「居場所」として選んだ場所が、他ならぬ彼女の生家(の跡地)だったという結末に、どこまで行っても切り離すことのできない縁というか、業みたいなものを感じ、神の残酷さと人生の無情さに打ちのめされたわたしでした。 いやぁ、すごい小説でした!

・ 陽子はともかく、綾乃が「居場所」にこだわるのはやっぱりちょっと納得いかないなぁと思ったのですが、意固地になって「幸せ」を認めず、ないものねだりに終始する綾乃は、陽子の母と同じような人間だったのかもしれませんね。 そんな綾乃が安らぎを見出したのもまた、陽子と同じ「場所」だったことは、両者にとってハッピーエンドなのか、それとも皮肉なオチなのか・・・。  ・・待て!次号!! (※続きません) 








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