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『ジャージー・ボーイズ』

2014年10月10日
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最近めっきり公開予定映画についての情報収集が怠り中で、今月はどんな新作がお目見えするのか、はたまた、あの監督の次回作はいつ公開になるのか、などなど、ほとんど白紙に近い状態だけどわたしは元気です。 どうもおばんでやんすアガサです。
いえ、映画に対する情熱が薄れているわけではないのです。
なにもかもどうぶつの森とクリミナルマインドが悪いのです。

で、そんな中、何気なく佐野史郎さんのつぶやきを確認すべくTwitterを覗いておりましたところ、なんとクリント・イーストウッドさんの新作『ジャージー・ボーイズ』はフォー・シーズンズの物語であるというではありませんか。
見ていてよかったTwitter。
フォローしていてよかったつぶやき史郎。



ありがとう史郎! オレ一生史郎についてゆくよ!!


ということであらすじ・・・
ニュージャージー州の小さな街ベルヴィル。
決して豊かではないこの街から若者たちが出てゆくには、マフィアになるか、軍隊に入るか、有名になるか、という3つの選択肢しかなかった。
街の有力者ジップの庇護のもと、ケチな犯罪や盗品売買で日銭を稼ぐトミーとニックもそんな若者のひとり。
軍隊に入るのだけはゴメンだ。 有名になるのも現実的ではない。 ならば、今のままジップに取り入り生きるしかないのか。
それなりにたのしいけれど、満足には程遠い毎日。

その時彼らはまだ、知らなかった。
自分たちが、ひとりの天才との出会いにより、もっともありえなかった方法で街を出ることになることを。



音楽好きな母の影響で、物心ついたころから色々なジャンルの音楽を聴いていたのですが、そんな中、一番古く、一番強烈な記憶として脳裏に焼き付いていたのが、フォー・シーズンズの楽曲でした。
当時私はまだ5、6歳だったでしょうか。
しかし、一度耳にした瞬間、その「おもしろい声」と「ひょうきんな歌い方」は、幼子の心をはげしく鷲掴んでしまったのでした。
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(※ 超ヘビロテしていたフォー・シーズンズのクリスマスアルバム)

(※ ジンゴージャンゴージンゴーベー ジンゴージンゴージャンゴーベー)

その後大きくなるにつれ、わたしの中の関心事はフォー・シーズンズから離れて行ったのですが、彼らのことは「元祖コミックバンド」として、記憶の中の深い場所に大切にしまっておいたのでした。

コミックバンドとして。

コミックバンド。

それなのに。

ぜんぜんコミックバンドじゃなかった!!!


(※ これなんかもう完全にコミックバンドのノリなのに!)

マフィアが睨みを利かせる貧しい街。 
才能を武器にそこから羽ばたき、大成をおさめてゆく4人の若者。
その成功の陰にあったのは、キレイなモノだけではありませんでした。 
かなしいほどに醜く、ぶざまな、葛藤や衝突や嫉妬や苦悩。 
4人はそれらに潰され、バラバラになり、しかし仲間の支えで立ち上がり、再びひとつの場所へと戻ってきます。
舞台(ステージ)という輝かしい場所に。

ただたのしく聴いていた楽曲の裏に、こんな思いが込められていたとは・・・。
とはいえ、わたしはフォー・シーズンズが後期に発表した作品は全く知りませんでしたし、この作品はあくまで「物語」ですので、発表された楽曲と私生活との重なり方も必ずしも現実に沿うものでは無いそうですが、ここはひとつ、「うそ」を巧みに混ぜ込んだ構成の巧みさに身も心もゆだね、この「青春群像劇」へと飛び込んでしまえばいいのではないでしょうか。
そう、本作のすばらしいところは、フォー・シーズンズというバンドも楽曲も全く知らなくても、物語を堪能することができるところなのですよね。

特定の歌手を贔屓にするマフィアが登場するけれど、ちっとも血が流れない。
仲間を裏切るメンバーがいるけれど、ちっとも殺伐としない。
刑務所に出入りするけれど、ちっとも暴力的じゃない。
ネバダ州ラスベガスが言及されるけれど、誰も砂漠に生き埋めにされない。
本作のキャラクターたちは、影や欠点はあるものの、決して悪人ではない。
わたしはそこがとてもすきだなぁと思いましたし、愛おしさを感じたのですよ。

彼らは傷つくような出来事に直面しても、受け流すか身を引くか自ら泥をかぶるか、の3つのみ。 
逆上して殺傷沙汰になることも、姑息な手を使い罠にはめるようなことも、親切づらしてお金を騙し取るようなこともありません。
そう、騙し取らないんですよ。 むしろ堂々とくすねます。 
もうね、これはね、いいか悪いかの問題ではなくてですね。
ただ、その飄々とした立ち振る舞いになんとも言えない「ダメな子」ゆえのかわゆさというか、猛烈な「憎めなさ」を感じてしまいまして。
これは脚本や演出のうまさなんだろうなぁ。(もちろん役者さんが魅力的であることは言うまでもないのですが)

若さゆえの紆余曲折を織り交ぜつつ、物語はすこぶる穏やかで、且つしなやかに流れてゆく。
それはまるで、すてきに甘いメロディのように。

あまりに物わかりのいいキャラクターを、説明不足と感じる方がいるかもしれません。
いい人だらけという世界観に、物足りなさを感じる方もいるかもしれません。
しかしわたしは、心弾ませる旋律と、とことん音楽を愛している人たちの生きざまと、彼らが迎えた大団円が本当に心地よくて、カーテンコールのようなエンドクレジットを眺めながら、これ以上ないような幸せに包まれていたのでした。

公開規模が小さく(わたしが住んでいる中国地方でも、上映されているのは岡山と広島のみ。四国地方に至っては上映館ゼロだそうです)、なかなか観る機会がない作品かもしれませんが、もしお近くの映画館で上映されているようでしたら、是非足を運ばれてはいかがでしょうか。 
「イーストウッド作品ってシリアスなんじゃ・・・」
「ミュージカルは苦手で・・・」
なんてご心配はご無用!
とってもとっつきやすくて、とっても温かい気持ちになれるハッピーな作品ですよ! 超おすすめです!



- 追記 -

・ ジョー・ペシとウォーケンさま、夢の競演! 

・ でも、ジョー・ペシなんだけど中身はジョー・ペシさんじゃないの!で、ウォーケンさまはウォーケンさまなんだけど、クリストファー・ウォーケンじゃないの! わっかるかな~!わっかんねえだろうな~!!

・ オケー!オケー!オケー!(CVジョー・ペシさん)

・ 世界遺産レベルにかわゆいウォーケンさまが出演していなかったら、本作は成り立たなかったのではないだろうか。

・ ユネスコは今すぐウォーケンさまを保護してください。 そしたら毎年詣でに参りますゆえ。

・ とにかく男たちがバカでかっこよくていとおしい映画でした。 ニュージャージーから出たいと願っているけれど、同時にニュージャージー育ちであることに誇りを持っている男たち。 貧しい下町で支え合って生きてきたからこその義理堅さ・・・ うっとりしました!おすぎです!もう一度言います、うっとりしました!

・ その分女たちの扱いがあんまりな感じなんだけど、もうこれはしょうがない!『ドリームガールズ』の時の男連中も相当な感じだったし、しょうがない!

・ 自由人トミーと長年の付き合いで、だからこそイヤな所もたのしい所も全てわかった上で、自由っぷりを放置してきたニックが、ついに堪忍袋にたまった中身をぶちまけるシーンの、深刻な筈なのに内容が内容なだけに笑わずにはいられないアンバランスさがとてもおもしろかったです。 「ホテルのタオル使いすぎだろ!オレの分もぜんぶ濡らしやがって!」ってそれもっとはよつっこんどけよニック。

・ リードボーカル・フランキーを演じるジョン・ロイド・ヤングさんの年齢不詳っぷり。 「キミいくつ?」「16歳です」じゅ・・・じゅうろくぅ?!
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(※どう見ても係長クラス)

・ で、そんなフランキーさんの恋女房役を演じるレネー・マリーノさんがこれまたなかなかの年齢不詳っぷり。 「2歳年上のメアリーと結婚」2歳年上・・・じゅ・・じゅうはちぃ?!
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(※中堅女優並のオーラ)

・ 前述のとおり、後期のフォー・シーズンズについての知識が皆無だったため、フランキーさんがソロで発表した曲として「君の瞳に恋してる」がかかった瞬間は鳥肌が立ちましたね! そうだったのかー!

・ 「君の瞳に恋してる」といえばウォーケンさまの『ディア・ハンター』なわけで、なんというか、不思議なつながりを感じますね。  

・ つながりといえば、劇中イーストウッドさんの出世作「ローハイド」が映るというサービスシーンがありまして。  過去の監督作品で、こういう「遊び」ってありましたっけ・・? うーん、なかったようが気がする。 イーストウッドさんにとっても、リアルタイムで親しんできたフォー・シーズンズ(音楽)は、自分の人生と重ね合わさずにはいられない大切なものなのかもしれないなぁ・・・と思った次第でございます。



- 追記その2-

・ 本作では、観客と演じ手との境界線を表す、いわゆる「第四の壁」と言われるものを破る演出が採られています。 演者がカメラの裏のこちら側に向かって、各々の心情や状況説明をし始めるという、おもしろい手法なのですが、フォー・シーズンズの4人のうちフランキーだけは、最後のシーンを除いて第四の壁を破らないのですよね。  

・ わたしはこれがすごく不思議でした。 どうして他のメンバーは要所要所で「この時はね・・」と語りかけてくるのに、フランキーだけは壁の向こう側に居続けるのだろう・・・と。 「主役だから」(物語の核となるので自ら説明する必要がない)で済むことなのかもしれませんし、結局最後はフランキーも語り始めるので、物語に集中させるためというだけなのかもしれませんが、でも、なんでなんだろう、と思いまして。

・ で、振り返ってみると、フランキーはいつも自分の気持ちをそのまま表していたよなぁ、と。 他のメンバーは本音を隠してその場をやり過ごす場面がいくつもあったのですが、フランキーはいつも気持ちを素直にぶつけていた。 

・ 間違っていると思えばNOと言うし、傷つけば傷ついたと言うし、才能は公正に判断する。 夫として父として、失敗はしたけれど、家族への愛に偽りはなかった。 どんなにひどい仕打ちを受けても、仲間を見捨てなかった。 ごまかすことなく、常に自分なりの誠意を貫いてきたフランキーには、壁のこちら側に 「ホントはこの時・・・」と説明する必要がなかったのかもしれないなぁ、と思ったのですよ。 

・ あと、他のメンバーが「役」を一旦外れて客観的な視点になるのと異なり、「フランキー・ヴァリ」であり続けることで、「ああ、はやりこの人は特別な人なんだなぁ」という印象が強まりましたよね。 壁の向こうの手の届かない存在である彼を観ているうちに、いつしかわたしは、ベルヴィルの街のみんながそうであったように、「彼の才能を守りたい」と強く願いながらあたたかく見守らずにはいられなくなっていました。

・ 物語がエンディングに近づいた時、フォー・シーズンズの時間は一気に現代へと飛ばされ、年老いたメンバーがステージ上へ戻ってきます。 この時はじめて、フランキーは第四の壁を越え、彼の人生を振り返ってみせました。 それは、伝説の存在だった「フランキー・ヴァリ」から、いまなお現役バリバリで、今ここにいる歌手であるフランキーに戻った瞬間であり、わたしはその変わらぬ歌声に酔いしれると共に、悲しみや苦しみと同じだけ幸せもあっただったであろう彼の人生を心から祝福したい気持ちでいっぱいになったのでした。



- 追記その3-

・ それにしても、本作は「ザ・アメリカンドリーム」な内容でたのしませてくれると共に、「才能」を持って生まれることの厄介さも痛感させてくれたように思いますねぇ。 

・ 「音楽」という神さまからの贈り物は、フランキーを導き、支えてくれましたが、そのせいで家族の信頼を失わせ、最愛の娘をも喪わせてしまう。 そしてそれは、彼を喪失に対する悲しみにじっくり浸ることも許してくれない。

・ 昔、何かの番組で「家族を喪ったとある女優が悲しみに暮れていたものの、気づくと鏡で自分自身の表情を確認していた」という逸話を聞いたことがあるのですが、フランキーもまた、落ち込んで食事も喉を通らない状態だろうと、譜面を差し出されれば音符を確認せずにはいられません。 歌を歌う気になんてなれない筈なのに、頭の中にははやくもメロディが鳴り響き、どう歌うか、どう表現するかでいっぱいになってしまう。 それは「才能」という名の「本能」なのかもしれません。

・ もちろん、そのお陰で立ち直れるということもあるのでしょうが、後ろめたさも必ずつきまとうと思うのですよね。 女優、作曲家、小説家、研究者、スポーツ選手、様々な贈り物を受け取った人たちが、少なからず経験されることなのではないでしょうか。

・ 「才能」は時に、「呪い」でもあるのかもしれないなぁ、と思いました。



- 追記その4 -

・ 史郎のつぶやきを見た瞬間、これはローハイド時代からの筋金入りのイーストウッドファンである母も連れてゆかねば・・・! と思い、「ねえねえ、映画でも行かん?」と電話をかけたところ、「クリキントンさん(※イーストウッドさんの愛称)の新作じゃろ!フォー・シーズンズじゃろ!春先からネットでチェック済みよ!」と打つ前から響くような返事がかえってきて、うちのカーチャンすげえ・・・と思いました。

・ で、鑑賞後、そんな母がにこにこしながら「まさか、青春時代に夢中で聴いていたフォー・シーズンズの映画を、クリキントンさんが監督して、しかもそれを娘と一緒に観に行く日が来ようとはねぇ・・・」とつぶやいており、なんだかいい親孝行ができた気がして、とてもうれしくなりました。  また一緒に映画行こうね!カーチャン!!






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