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『渇き。』

2014年07月04日
かわき


(※ 以下、どうにもこうにもネタバレだらけの感想となっておりますので、鑑賞後にご覧いただけるとさいわいです。)



あらすじ・・・
わたしは藤島加奈子。
酒を飲んでクダをまくしか能のないクズの父親と、男依存度の高い母親のもと、無関心という名の見えない暴力に育まれた割には、フツーに生きてきたつもり。 ・・・の、はずだった。
父親の心の奥底を覗いてしまうまでは。
覗き返されてしまったわたしを、母親が見捨てるまでは。

フツーではなくなった景色。
諦めと絶望で無味乾燥の日々。
ある時、そんなわたしの生活に、一条の光が射しこんだ。 
男の子の名前は緒方誠一。
彼はわたしの人生をすくい上げてくれた。
存在しているだけでいいんだ、と思わせてくれた。
一緒にいるだけで、身体じゅうがあたたかい何かで潤ってゆく気がした。
彼はわたしのすべてだった。
すべてだったのに。

今、光を失ったわたしは、すべてを捨てよう。
心も、体温も、感情も、なにもかもを捨て、からっぽになろう。
復讐のために。
光を奪ったすべてのものに、復讐するために。



■ 藤島加奈子について

観終わった瞬間、わたしの頭に真っ先に浮かんだのは、
すげえ! これは「セカイ」を相手に、ひとりきりで復讐を挑んだ少女の、壮絶なリベンジ・ムービーだ!
という思いでした。

とにかく加奈子がかっこいい!! 
パーティ会場を虚ろな目で闊歩する姿の、なんと儚く、なんと力強いことか!

たったひとつのもののため、すべてを捨てて、すべてを壊す加奈子。 
その余りに無慈悲で、自由すぎる凶暴性は、ふつうなら「良心」や「愛情」によって自身の中に引き留められるであろうものなのではないでしょうか。
それがわかっているからこそ、彼女は自らをからっぽにした。
躊躇なく復讐を遂げるため、惜しげもなくすべてを捨てた。
「友達」も、「家」も、「人間らしさ」も。
彼女が冷酷なことはじゅうじゅうわかっていて、尚且つ、彼女の目的も承知しているような人間さえも虜にしてしまうのは、彼らが加奈子の生き方に、一種の「潔さ」のようなものを感じてしまうからなのかもしれないなぁ、と思いました。

そして、「藤島加奈子」という「人間」を捨て、美しい入れ物だけになった少女は、目の前の人間が望んだとおりにその姿を変える。
変えているのは少女なのに、周りの人たちはその変化を自分の力だと信じ込む。
唇からこぼれるのは口先だけの愛だとわかっていても、気づかないふりをして彼女に欲望を注ぎ込む。

もちろん、加奈子の行動は許されることではありません。
自分が深い穴に堕ちてしまったからといって、周りの人たちを同じように引っ張り込んでもいい訳ではない。

加奈子は、自らが犯している罪の報いを覚悟していて、いや、もしかしたらいつだって、そうなることを待ち望んでいたのではないか。
復讐のために始めた行動が、いつからか自分を葬るための行動になっていたような気がして、それはなんだかとてもかなしくて、より一層「すべての元凶」である藤島昭和に対する怒りが込み上げてきたのでした。

あの、「親」だなんて言いたくもない、藤島昭和に対してね!


■ 藤島昭和について

もやはクズいとかクズくないとかのレベルではない! 
こいつはまさしくケモノ以下のゴミクズやで!


もうね、とにかく初めて原作本「果てしなき渇き」を読んだ時から、藤島昭和に腹が立って腹が立って、吐き気をもよおしたり書籍を壁に叩きつけたくなるぐらい、100パーセント嫌悪感しか抱けなかったわけなんですけどね。
映画が公開になり、あちらこちらから「父親の愛に共感した」とか「娘を思う気持ちはわからんでもない」とか、なんだったら「この父親は何も悪いことしていないんですけどね・・」みたいな文言まで聞こえてきたものですから、「アレ・・? ・・この度の映画って本当にわたしが読んだのと同じ原作本なの・・?」という果てしなき疑念までもが湧き上がる塩梅で。

で、いざ本編を観てみたら、安定のクズさ加減でホッと胸をなでおろしたという。
っておろせるか!! 案の定気分わるいわ!

妻の不倫に激昂し、相手に対し暴力事件を起こしてしまった藤島は、そのまま刑事の職を辞し、やさぐれ警備員としてドン底生活に甘んじています。
もちろん妻とは離婚。 娘とも長い間会っていません。
そんなある日、絶対に自分とは話したくないはずの元妻から「娘がいなくなった」という電話が入り・・・ というのが導入部で、わたしはあらすじを加奈子目線で書きましたが、じっさいこの物語は、ほぼ藤島目線で紡がれてゆきます。

自分が知らなかった娘の顔。
妻も知らなかった娘の生活。
わからないことだらけではあるけれど、まぁ、せっかくの機会だし、自らが暴力によって壊してしまった家族をこれをきっかけに取り戻せたら。
だいたい、先に浮気したのは妻のほうだし、生意気な態度しかとらない娘にだって非がないとは言えない。
家族を養うために私生活を犠牲にしてまで働いてきたオレの、なにが悪いというのか。
オレだってもういちど、あいつらに愛されたい。
あたたかい家庭を手に入れたいんだ。

藤島のそんなひたむきな姿を、「不器用な父親」と受け取る方もいらっしゃるでしょう。
愛の言葉ややさしい態度をかけることができず、怒声とげんこつしかふるえない父親を、哀れと受け取る方もいらっしゃるでしょう。
でもね、わたしに言わせれば、そんなの愛情じゃないですよ。
ただ単に自分のことがだいすきなだけのクズ野郎ですよ。

「ふぇぇ・・ だれもボクのこと愛してくれないよ~ 従順な妻といつでもニコニコ笑顔な娘がいいよ~ もっと必要とされたいよ~ ヤりたい時にすきなだけヤらせてくれる妻がいいよ~ 娘にもチヤホヤされたいよ~ ふぇぇ・・・」
・・って要するに大切なのは自分だけなんじゃんか。

なんじゃいそれ・・・

・・・なんじゃいそれ!!
 (←思い出しただけで怒り心頭)

「あいつはオレだ」という藤島のセリフがありますが、そんな風にしたのは誰やねん! という話なわけで。
あと、ついでに言っておくと、子どもは親のものでもありませんし、親がいい気分に浸るための道具でもないんですよ。
ボロボロに傷つけられながらも一生懸命に加奈子を探す藤島が本当に探しているものは、結局「誰からも愛されない自分自身」であり、加奈子を救いたいんじゃなく自分を救いたいだけだったのではないでしょうか。

ホントにさぁ、そんな自己愛の塊みたいな人間だから、元妻の気持ちなんて爪の先程も考えず欲望に任せて凌辱するし、ヤクザに脅されれば「あんな娘もう知らないッスよ!」とへこへこしたりできるんだよ!
挙句には、まったくその必要などないのに、「自分が手に入れられなかったもの」への妬みだけで、ひとんちの奥さんまで何度も犯すとか、一体藤島のどこに「同じ子を持つ父親として、娘への愛はわからんでもない」なんつって共感できる余地があるというのか。
わからん! まったくもってわからん!
ぼかぁマジで一回、谷原章介さんと小一時間語り合いたいよ!

藤島は、加奈子に関わっていたと思しきチンピラの母親に向かい、「お前みたいな親だから子どももクズになるんだよ」と吐き捨てます。
本日の「お前が言うな大賞」に認定したい気持ちを抑えつつ、わたしの考えを書くと、クズの親はまず間違いなくクズだと思うのですよね。
ただ、親がクズだからといって、子どもまでクズになるかというと、それはまた別の話で。

自らのクズ具合を認めた上で、子どもにそれを移さない。
仮に自分の中にどよどよと渦巻く毒があったとしても、子どもにだけは飲ませないでおくことが、親にはできるはずだし、やらないといけない。
完全にそれを怠った藤島と元妻・桐子に、我が子をバケモノを呼ぶ資格なんてないと思うのですよね。

藤島の中の深淵を覗いた加奈子が飲み込まれた闇。
バケモノなのは加奈子なんかじゃない。 彼女を生み出したふたりの大人こそが、無責任なモンスターじゃんか!
なんだよもう! 父親ぶってんじゃねえぞ!


■ 親から子への愛情という名状しがたい不可思議なものについて

と、さんざん「自己愛うぜー」と書いておいてなんですが、親が子どもに対して抱く感情の正体って、実はわたしにもわからないシロモノだったりします。 
いや、現在進行形でし続けています。

わたしにはふたりの娘がいて、わたしは彼女たちのことがそれはもうだいすきで。
いつだって彼女たちのことが心配だし、彼女たちの幸せがなにより大事だし、もしも必要ならば自分の命なんかいつだって捨てられるし。
でもそれって、本当は「娘に何かあったら自分が耐えられないから」なんじゃないの? と。
「自分がつらい思いをしたくないから、娘たちを守ろうとしている」だけなんじゃないの? と、思うことがあって。

単なる自己満足なんじゃないか・・・という考えが頭をよぎるたび、「なんだよ!自己満足でもいいじゃんか!」とキレてみたり、「わたしはなんと身勝手な人間なんだ・・・」と落ち込んでみたりする自分がいて。
でも他方では、そんな脳内のゴチャゴチャが追いつかない程の猛烈な勢いで、体に満ちてゆく「とにかくうちの子は宇宙一かわいいんだよおおお!!」という感情があったりもして。
別の生き物に支配されたような感覚になるんですよね。 子どものことを思う時って。 

なので、藤島の執着心の根底にあるのは自己愛だけだとわたしは依然言い切っちゃうのですけども、もしかしたら、「親」という生き物に宿る説明不可能な感情も、少しは混じっていたのかなぁ、と思わなくもないのです。
特に、ラストシーンの雪山で、やっとこさ自らの力だけで娘を探し始める、惨めったらしい藤島の姿に対しては。

とまぁ、文句を言うために行ったんじゃないはずなのに結局文句に終始してしまっている感はありますが、映画を観終わって(原作を読んだ時もですが)改めて思ったことがありまして。

あくまでわたしの考えですけども、一番忘れちゃいけないのは、親は「いつか子どもを手放す日」のために行動しなきゃいけない、ってことなんじゃないのかなぁ、と。


だいすきだしかわいいから、ホントはずっと一緒に居たいし、手元にとどめて愛しんでいたい。
でもそれは、それこそ「自己満足」以外の何ものでもないわけで。
それに、「一緒にいる」ことを前提にしてしまうと、「一緒にいて心地よいため言うことを聞かせる」とか「一緒にいて不便でないため押さえつける」なんてことをしてしまう気がしますし。

子どもたちを送り出す時は必ず訪れるから、その時彼らが安心して旅立てるよう、愛されたという自信を持って生きてゆけるよう、今できることをやっておかなきゃならないんだよなぁ・・と思ったのですよ。
「加奈子を取り戻したい」、「加奈子の本性を知りたい」、「加奈子に愛されたい」、と自分の願望ばかりを押し通そうとする藤島のようになってはいけない。
暴力なんかは言うまでもないけど、「愛」という心地よいものでがんじがらめにしてもダメなんだよ!

まぁでも、じゃあ「それはどこまで?」っていう配分がまた、非常にむずかしいんですけどね・・。 (※そしてまたぞろ湧き上がる「うちの子かわいいいいい!」という熱情)


■ 原作との相違について

大きな相違として感じたのは、藤島が加奈子にしでかした鬼畜な行動。
原作ではもっとわかりやすく、父親が娘を(酔った勢いとはいえ)辱めたということがわかるやりとりがありました。
その後、加奈子が緒方くんに救われ、その緒方くんを奪われた、といういきさつも、原作からは充分理解できます。
加奈子の行動に「復讐」という意図が隠されていたことも、しっかり伝わってくる。
ですので、性的な行為が行われたようには描かれず、暴力行為とキスだけだったようになっていた映画版は、加奈子というキャラクターの印象がずいぶん違ってしまったように思います。

感情を持たないお人形。 
うまれついての邪悪な存在。 
理解不能なバケモノ。
そんな得体の知れない生き物に振り回される、市井の人々。
キスだって、加奈子のほうから父親を誘っていたように演出されていましたからね。
こわいでーこわい小悪魔やでー抗えんでー とでも言いたいかのように。

でも、ホントにそうなのでしょうか。
仮に性的虐待がなかったとしても、「実の父親に首を絞められ殺されかける」って、人間性が壊れるには充分すぎる経験なんじゃないですか?
加奈子が誘惑したかのようなシーンにしたって、そこに至るまでの経緯を想像せずに「わービッチだー」って言いきっちゃっていいんですか?
藤島の目を見つめて「ああ、わかった」となにもかも悟ったような表情を浮かべる加奈子が、幼いころから父親の眼差しに「よこしま」なものを感じ取っていたのでは、と推測するのは、決して深読みしすぎではないと思うのですよね、わたしは。
むしろ、そこまでに小さな積み重ねがあったと考える方が自然なのではないでしょうか。

『ダークナイト』(のジョーカー)以降、なんかつったら「純粋な悪」で片づけよう、みたいな映画をちょいちょい見かけるのですけども、わたしは安易な気がしてあまりすきではないのですよ。
それはわたしの中に、「子どもってそんなんじゃないよ」という、「純粋な悪は自然に生まれるもんじゃないよ」という気持ちがあるからなのかもしれませんけどね。
というわけで、原作とは別のおぞましい経験を経た加奈子も、だからといって完全な悪にも見えず、でも描き方としてはジョーカーっぽい感じになっていて、ものすごくモヤモヤしてしまいました。

うーん。 わしゃやっぱり、原作の加奈子のほうが、すきだなぁ。(悲惨ですけどね)

あと、オダギリさん演じる殺し屋・愛川が、ただのサイコパスみたいだったのも不満でしたね。
原作における愛川(役名は別でしたが)には、大きな病気を患う息子がおり、その治療費を稼ぐため裏稼業に手を染めるという、「いけないことはわかっているけどのっぴきならない」動機付けがありました。
それがまるまるカットされ、こっちにもジョーカーおったわ!みたいな闘いにもつれ込んでいたのが、なんというか、欲張りすぎというか、おもてなし精神ありすぎというか・・。
もっと藤島の狂気に集中してもよかったんじゃないかなぁ・・と思ったのでした。

その他は、若干の変更こそあったものの、大まかには原作に忠実に作られており、そこはホントによく作れたなぁ(というかよく映倫通ったなぁ)と素直に感心できるトコロでありましたよ。


■ その他のことについて

・ オープニングだっせぇ!! オープニングだっせぇ!!!

・ なんなのこの「オシャンティな幕開けを目指した結果壮絶ダサくなっちゃってでもとりあえずそのまま続行してます」みたいなオープニングは・・・?!  ・・と思ったのですが、もしかしたらアレは、「元嫁から電話がかかってきて久しぶりに頼りにされてるっぽくてテンションガチ上がりの父ちゃん」の心象を表していたのかもしれないので、どっちみちダサいです。

・ 映像がガチャガチャしていてなんのこっちゃわからん。

・ やたらと大音量でBGMがかかっていて、「耳障りだなぁ・・・」  ・・と思ったのですが、そのあと車のエンジンを切ろうとしていたので、「もしかしたら車でかかっていた音楽ってことにしてスムーズにオフにする演出くる?」と洋画でよくあるパターンを期待していたらエンジンを切ってもそのまま流れ続けていたので、どっちみち耳障りでした。

・ 役所さんの靴下のシーンはとてもよかったです。

・ 役所さんの部屋がリアルガチで汚かったところもよかったです。

・ ダンスを踊ってるんじゃないですよ? 音楽をかけながら内臓を踏んでいるだけですよ?

・ 先生、そこはとどめを刺さなきゃダメ! ホラーでも鉄則のやつ!

・ 加奈子をバケモノと思えなかったわたしの目に、いちばんバケモノらしく映ったのは、妻夫木さん演じる浅井刑事でした。 いつも薄ら笑いを浮かべているその瞳の奥はまっくら闇で、「ああ、この人の心こそからっぽじゃないか」と思いましたよ。 すごくよかった!

・ 橋本愛さん演じる森下さんの親友・長野さんが超ガチャピン。(※峯岸みなみさん)

・ 加奈子のほうから藤島を誘惑・・というシーンですが、もしかしたらその一連のくだりは現実じゃなく、藤島の脳内で歪められ出来上がった事実なのかもしれないなぁ、と思いました。 とかく人間というものは、自分に都合よく記憶を書き換えるものなのれす。  ということで結局クズい!

・ 加奈子が「わたしが緒方君を殺した」とつぶやくシーンがあるのですが(※ここも原作とは違う点なのですが)、わたしは文字通りの意味ではなく、「死に等しいほど苦しんでいた恋人を楽にしてあげた」、もしくは「恋人の死を止められなかった(見殺しにしたも同然)」、という風に解釈しましたよ。  ・・まさかそのまんまじゃないじゃろ? でもジョーカー的なキャラにしたいみたいなので、そのまんまなのかも。


■ 藤島昭和について(リプライズ)

最後に藤島は「父」になれたのでしょうか? 
なれたのかもしれません。  

そして、「娘と一緒に朽ち果てる」ことが、父親として、最後にして唯一してあげられることだったのなら、この幕引きは藤島にとってのハッピーエンドだったのかもしれないなぁ、と思いました。




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