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『未来のミライ』

2018年07月24日
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あらすじ・・・
いもうとがうまれて絶賛あかちゃん返り中の四歳児が、親類縁者から「そういうのダメだよ」と説得されます。


やーい!! おっまえんち、おっばけやーしきー!!!!

くんちゃんという男の子のうちにあたらしくあかちゃんがうまれました。
おとうさんもおかあさんも、うまれたてほやほやの妹にかかりっきりで、当然のごとくほったらかしにされるくんちゃんです。
最初こそ、ちいさな生き物をみて「ぼく、おにいちゃんなんだ!」と意気揚々だったくんちゃんでしたが、妹が両親の優先順位ナンバー1に躍り出たことがおもしろくなく、注意をひこうと泣いたり叫んだりいもうとにいじわるしたりと大暴れ。
それでも相手にされず、自暴自棄になって庭に飛び出たくんちゃん。
すると、そんな四歳児の前に次から次へと不審者が現れては、世の理を説き始めるのでした・・・。

おばけやしきですよね!
くんちゃんの住む小洒落た一軒家は、まだ年端もいかない幼児に家族の成り立ちをわからせようとするおばけが続出する、おばけやしきでした!
おかあさんに怒られたり、おとうさんにシカトされたり、すきなズボンが洗濯中だったりと、くんちゃんがさまざまな悲しみに襲われるたび、中庭に現れる魑魅魍魎の数々。うそです。もうちょっといいもんです。

まず現れたのは、くんちゃんがうまれる前からこの家で飼われていた犬っころのゆっこです。
イケオジの格好をしたゆっこは、すねるくんちゃんに「おまえのそれは嫉妬だが、それをいうならオレはおまえのせいでこの家での地位を失ってるんだぞコラわかってんのか」とありがたいお言葉をかけます。
わかったようなわかってないような、たぶんわかってないくんちゃんは、とりあえずゆっこの尻尾がおもしろそうなので引っこ抜いて自分のお尻にイン。
ケモノ化したくんちゃんは、思う存分おうちのなかを走りまわるのでした。

次に現れたのは、くんちゃんの妹のミライちゃんです。
女子高生の格好をしたミライちゃんは、すねるくんちゃんに「婚期が遅れるのが嫌だからお雛様をしまってよ」と、今おにいちゃんが置かれている苦境とは全く関係のない命令を出します。
わかったようなわかってないような、絶対わかっていないくんちゃんは、とりあえずイケオジ化したゆっこも巻き込んでおとうさんの目をかいくぐりながらお雛様片づけ作戦を決行。
この時点で、中庭の訪問者はさみしくなったくんちゃんが見たイマジナリーフレンドではないことがわかります。
なぜなら、彼らはお雛様やおとうさんに対し、物理的に干渉するからです。
ええどええど~~! おばけやしきらしくなってきたド~~~~!!

次に現れたのは、くんちゃんのおかあさんです。
くんちゃんと近い年頃の格好をしたおかあさんは、雨降る街角でひとり泣いているフリをしていました。
心配したくんちゃんが話しかけると、「あなたやさしいのね」といきなり胸襟をフルオープンにし、くんちゃんを自分の家に招待してくれるおかあさん。
ちいさなおかあさんと一緒に家を散らかしお菓子をほおばり、くんちゃんはいたずらの限りを尽くします。
「こんなにちらかしていいの?」「いいよ!だってちらかってるほうがたのしいもん!」
おとなのおかあさんからは想像もつかないような奔放さ。
その血が自分にも流れていることをわかっているようなわかっていないような、それよりおかあさんがおばあちゃんに激烈怒られていることのヤバみの方が気になるくんちゃんだったのでした。

次に現れたのは、くんちゃんのひいおじいちゃんです。
数年前亡くなったひいおじいちゃんは、くんちゃんのおとうさんと変わらないぐらいの若い姿をして、暑い倉庫の中でバイクをいじっていました。
「バイク乗るか?バイク?乗りたくねえのか?ホントは乗りたいんだろ・・・?バイクだぜ・・?」
いきなり全力でバイクを推してきたひいおじいちゃんでしたが、さすがに二の足を踏むくんちゃんに、今度は馬をプレゼンします。
「馬はどうだ?馬?なに?はじめて見た?じゃあ乗りたいだろ?なんてったって馬だぜ・・?」
なかば強引に馬に乗せられたくんちゃん。
はじめは恐怖でいっぱいでしたが、イニシアチブをとるひいおじいちゃんの男臭さに惹かれてゆきます。
「怖いときは遠くを見ろ。乗り物なんてひとつ乗れたら全部いっしょだ」というひいおじいちゃんの流儀を完全に理解したくんちゃんは、その後補助輪なしの自転車にチャレンジする勇気を手に入れたのでした。

次に現れたのは、くんちゃん自身でした。
家族でのお出かけを前にごねまくるくんちゃんを一瞥し、「なんだその態度は。家族みんなでお出かけだぞ。ずっと用意してきてテンション上がってた旅行だろ。ズボンと思い出づくりどっちが大事なんだよ」と冷たく語りかけるくんちゃん。
高校生のようないでたちですが、流れから察するに100パーセントくんちゃんです。
もう!おばけですらない!! 自分の前にもうひとりの自分!ドッペルゲンガー現象!!!しぬるぞ!目ぇ合わせたらしぬるぞ!!!
未来のミライちゃんがあらわれた時には、確かひとつの空間に同一人物はひとりだけという設定があったはずで、じっさいJKミライちゃんとあかちゃんミライちゃんは交互にしか現れなかったのですが、もうそんなのどうでもよくなったのか、ファミリーツリーの中の一枚だからノープロブレムなのか、とにかく突如幕を開けてしまった「くんちゃんVS男子高生くんちゃん」のタイマン勝負! 気になる勝負の行方は!! くんちゃんの敗北です! だって四歳児だもん!かわいそう!くんちゃんいちいちかわいそう!!

家族からも自分からも逃げ出したくんちゃんは、巨大な駅に迷い込んでしまいますが、両親の名前がわからなかったために「ひとりぼっちの国」に強制送還されそうになります。 迷子になっとるっちゅうのにテンパることすら許されない四歳児!
電車の横を見ると、なぜかくんちゃんと同じように強制送還されそうになっているあかちゃんミライちゃんがいました。
もしかしたら、両親が旅行の用意をしている間放っておかれたのはくんちゃんだけではなかったのでしょうか。
え?え?! この世界って、ひとりになった子どもは親の名前とか親類縁者の名前が言えないと「ひとりぼっちの国」に運ばれてっちゃうの?! 
そういうシステムなの? こわくね? それマジこわすぎじゃね? 
っていうか、あの駅員の前に並んでた子どもたちってなんだったの?! みんな迷い子なの? 連れていかれるの?! なにこのホラー展開!!


「ぼくはミライちゃんのおにいちゃん!」
自分といもうとは親の愛情を奪い合うライバルではなく、年下で非力ゆえに守らなければならない存在なのだと、兄としての自我に目覚めたくんちゃんは、力を振り絞ってミライちゃんを助けます。
その瞬間、駅員は高らかにJKミライちゃんを召還。
おにいちゃんを迎えに来たJKミライちゃんと共にファミリーツリーを辿り、くんちゃんは改めて家族の歴史を振り返るのでした。

懸命に生きたご先祖さまがあって、今の自分がある。
命をつないだ人たちがいて、今の自分がある。
甘えん坊だった母やかよわかった父、みんな最初は未熟でたよりなかったんだ。
一緒に過ごし、譲り合ったり支えあったりしながら成長してきたんだ。
ええ話ですね。
ええ話ですけど、四歳児にそれ求めますかね?

子どもの時代も経て、子育ても経たひとりの大人として本作を観れば、描かれている物語に心打たれる部分はありました。
しかし、そう感じた次の瞬間、「でもこの子まだたったの4歳なんだよなー」と素に戻ってしまった。
あかちゃんがうまれたんだからやさしくしなさい、とか、おとなしくしなさい、とか、我慢しなさい、とか。
あくまで大人の都合でしかないものを、「ご先祖様が」だの「きみのおかあさんも」だので納得させるというのは、4歳には荷が重すぎるんじゃなかろうかと思えてなりませんでした。
細田監督はご自分の子育て経験なども投影しつつ本作を作られたのだろうでしょうが、どうも大人が子どもに理解してほしいことを、子どもの口を借りて語らせているだけに思えて、ズルいっちゅうかえげつないっちゅうか・・・ ノレませんでしたね、わたしには。

4歳って、ちいさい子って、別にものわかりなんてよくなくていいとわたしは思うんです。
もちろん、育てる大人としてはものわかりがよくあってくれると非常にありがたいですよ。
きょうだいのお世話もしてくれて、親の苦労も感じとってくれて、駄々もこねずにしずか~にしてもらえるととても助かる。
けれど、子どもにそんな親の事情を背負わせたくもない。
だからきょうだいに嫉妬して、一番大変なタイミングで駄々をこねて、親も子どももイラついたりゆるんだりしながらゆっくりと過ごしていけばいいんじゃないですかね。
だって、成長なんていずれしちゃうんですから。
「もうちょっとちっこいままでいいんだよ~」 と思っていても、ぐんぐん成長しちゃうんですから。
読まなくてもいい空気を読んだり、しなくてもいい我慢をするようになっちゃうんですから。
成長のきっかけが、過去や未来からのありがたい説教ではなく、寝ている間でもなく、目覚めているときにかけられる「あなたはわたしの宝物よ」の言葉とキスだったなら、もっと受け取り方も違ったと思うのですが・・・。(してたのかもしれませんけど、だったらそういう描写もほしかったですね)
この内容だったら、女子高生のミライちゃんを主役にして過去のおにいちゃんをあっちこっちに引っ張りまわす方がすんなり受け入れられた気がします。
まぁ、女子高生だってあそこまで家族の歴史に理解を示すかどうかわかりませんけどね。

とまぁ、なんだかんだ言いましたが、エンディングで「もうおわかれなの?」と問いかけるくんちゃんに「なーに言ってんの、今からうんざりするほど一緒にいれるでしょ」と答えるミライちゃんの姿にはあやうく涙が込み上げそうになったことも、最後にご報告させていただきたいと思います。
うんざりするほど一緒にいられるんだと、未来のいもうとに言われる幸せ。
未来ってことはそれはもう、決定事項なんですよね。
常に子どもの命を心配しながら暮らす、いち・おかあさんとしては、無性にグッとくる言葉でした。
わたしもうんざりするほど子どもたちと一緒にいたいなぁ・・!



― おまけ ―

・ っていうか、おにいちゃん成長したらメチャクチャかっこいいクールキャラになってたんですけど、なにがどうなってああなったんですか!!! このタイムトラベルのせいなんですか!! あのクールな男子高生を先に知ってから、実は子どもの頃は甘えん坊で・・っていうのもアリだな!アリ寄りのアリだな!!!(なにが) 

・ ひいおじいさんに思わず「おとうさん」って言っちゃうくんちゃんですが、よう見てみ・・ あれ母方のひいじいさんやで・・・、まぁ、マサジ(福山)と星野源だったらマサジを選びたくなる気持ち、わからんでもないがな・・・

・ 上記の文章ですが、星野源さんを貶める意図は全くないことをお断りさせていただきます。

・ そんなひいおじいちゃんのパート、シンプルにかっこよくて普通にマサジ(福山)のPVみたいでした。 なるほどなるほど、あの遺伝子がこうきてこうなのね・・・(男子高生くんちゃんを思い浮かべながら)

・ リノベーション時における建ぺい率の問題を、中庭と駐車スペースでカバーする一級建築士のおしごと・・ 知ってる・・・!これ「完成!ドリームハウス」で何回も見たやつー!! おしゃれなのはいいけど、家じゅう段差だらけで危ないから、結局後々子ども落下用のネットとか張り巡らされちゃうやつー!!! トイレや風呂がスケスケのやつーーーー!!!

・ コチョコチョの刑をくらったくんちゃんが無限おかわり地獄に突入するの、ものすごく育児あるあるだと思うんですけども、あの恍惚の表情と恥じらいはなんやねん。 快感に目覚めたゆえにおかわりを言い出すことに罪深さを感じているみたいな仕草なんやねん。 ヘンタイか。 細田監督はヘンタイなのか。

・ しかしあれですな、本作を観ると『となりのトトロ』は実によくできていたなぁと思わずにはいられませんでしたなぁ。 何不自由なく満ち足りているとはいいづらい生活。 おかあさんの愛情への渇望。 じぶんちに現れたふしぎないきものとの交流と、きょうだい間のすれ違い。 最後は子どもたちふたりだけで、でっかい冒険をしてちょっぴり成長する。 全世代が笑って泣けて幸せな気分になる娯楽作。 もしかしたら、細田監督もそういうのがやりたかったのでしょうかね・・。 

・ 俳優さんを責めたい訳ではないのですが、どうしても気になった点。 いくら男の子の声は女性が吹き替えることが多いといっても、本作のくんちゃんの声はちょっとひどすぎましたね。 どこまでいっても十代の女性の声にしか聞こえませんでした。 重ねて言いますが、声を担当した俳優さんは悪くないです。 キャスティングが悪すぎるだけです。

・ 誰の意思でこのキャスティグになったのかわかりませんが、決めた人の責任は重いと思いますよ。 画面を見て「あれ?今しゃべってんの誰だ?」と戸惑わせないでくださいよ。 宣伝の仕方も含め、映画本編以外の部分への不満をまあまあ感じた今日この頃です。 大ヒットを狙いすぎて結局中途半端になっちゃうの、誰も得しないから・・・




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『悪女/AKUJO』

2018年07月08日
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あらすじ・・・
暗殺者に特訓された少女が、なんやかんやあって国家情報院に拾われ、特訓されます。


映画を観るとき、みなさんそれぞれグッとくるポイント・がっかりするポイント・熱狂するポイント・許せないポイントなどがあると思います。
わたしの場合、だいたいの映画をたのしく鑑賞するものの、ひとつだけ許せないポイントがあります。
それは「子ども」です。
物語に子どもが絡む、それはごく自然のことです。
すべての子どもが愛され、慈しまれ、救われるわけではない、それもまた哀しいかな、現実に起こっていることです。
物語として必要なことなら仕方ない。
目をそらしたくなるようなことからも逃げないのは、大切なことだと思います。
ただ、無駄に子どもがひどい目にあうのだけは許せない。
なんの必然性もない、そこまでやる必要もない、ショッキングな展開をのぞむためだけに、エモーショナルな感情を掻き立てさせるためだけに子どもがひどい目にあう映画が、わたしはどうしても許せないのです。

結論から言うと、『悪女/AKUJO』を観た今、後悔しかありません。
正直言って、ふざけんな、という気持ちです。

主人公スクヒは、10代の頃目の前で父親を叔父とその手下らしき者に惨殺されました。
殺されこそしなかったものの叔父の手におち、身体を売らされそうになっていたスクヒ。
そこに突然なぞの男性が現れ、スクヒを掃きだめから救ってくれます。
男の正体はマフィアでした。
スクヒの身の上を知った男は、彼女の復讐に協力してくれることを約束してくれ、彼の手によってスクヒは一流の暗殺者へと成長しました。
時が流れ、男と一緒に仇である叔父を追い詰めたスクヒは、目的が果たされた安堵と長年の月日が育んだ愛情から、男との結婚をのぞむようになります。
男もそれを受け入れ、めでたく永遠の誓いをたてる二人。
しかし幸せは一瞬で消え去ります。
スクヒの父親を殺した真犯人を独自に追っていた男が、彼女をのこし敵の手にかかってしまったのです。
全てを失ったスクヒは、男の仇を討つため、敵の本拠地に単身乗り込むのでした・・・

という「スクヒとおじさん恋愛慕情編」と、その後国家の暗殺者プログラムに減刑とひきかえにスカウトされたスクヒが特訓したり獄中出産したりシャバに出たり別の男性と恋に落ちて再婚したりする「スクヒとイケメン第二の人生謳歌編」が時間軸をあっちこっちさせられながら展開する本作。
ほぼ一人称視点のアクションシーン、かと思うとふいに三人称視点に切り替わり、またまた一人称に戻ったりとアクロバティックな動きを見せるカメラワーク。
かなりの長回し(風)なので、終盤はなにがなにやらな気分になったり若干カメラ酔いする部分もありましたが、これは本当におもしろかったです。
「こんな画が撮りたい」「こんなことをさせたい」という明確なビジョンがあってのアクションシーンは見ごたえがあるなぁと思いました。
それを実現させる技術やスタッフもすばらしい。
あっ・・・すごいニキータ・・・ と思っていたら急に日本刀を振り回す日本人ヤクザらしき集団が出てきたり、腰に日本刀さしたままバイクに乗ったり、手斧を振り回したりと、既視感あふれる謎ミッションも悪くない。
ストーリーが非現実的ではちゃめちゃなのは全く問題ないのですよ。
主人公に子どもさえいなければ。

実は男の子どもを身ごもっていたスクヒ。
それがわかったのは、国家情報院にスカウトされた時のことでした。
このまま犯罪者として死ぬか、おなかの子どものため国家の犬になり、10年の任期を務めあげたのち真人間になるか。
彼女は母親として生きることを選ぶ。
愛した男は死んだ、けれどその男の一部は自分の中に残っていた。
これからは子どものために生きよう、血塗れた仕事を引き換えにしてでも、子どもを守ろう、と。
そうだったらよかったんですけどね。
スクヒは男を選んじゃうんですよね。

スクヒが男に抱いた感情は、純粋な愛ではなくただのストックホルム症候群で、恐ろしい状況から救ってくれたヒーローみたいに思い込んでいるけれど、犯罪者から別の犯罪者に引き取られただけの、かわいそうな被害者のままだったんですよね。
それはわかる。 スクヒは被害者。 わかっているけれど、じゃあ娘のウネはどうなるんだよって思うわけですよ。

生まれた時から狭い部屋の中で生活して、同世代の子どもと全く触れあわず、いるのはスーツ姿のおじさんとおばさんばっかりで、自然の中で遊ぶこともなく、ある日やっと外の世界に出ることができたウネ。
だいすきなおかあさんと、隣に住むやさしいおにいさんと一緒で、毎日しあわせだったウネ。
時々おかあさんは泣いているけど、おにいさんがパパになってくれたから、これからはおかあさんもよしよししてもらえるね、よかったね、と母の身を案じるやさしいウネ。
どうしてそんなウネが殺されなければならないんですか。
スクヒが新しい人生を生きる目的のはずだったウネが、どうして母に真っ先に守られるのではなく、二の次三の次にされてあっけなく殺されなければならなかったんですか。
理由はひとつしかない。
ウネと新しいパパが死ななければ、ストーリーが盛り上がらないから。

だったら、ウネの誕生はいらないとわたしは思います。
ストーリーを盛り上げたいのなら、新しい恋人だけでいいじゃないですか。
愛する男を失って、新しい男に出会って、信頼関係を築いたと思ったら前の男が現れて、新しい男の不義を疑い始めて、疑心暗鬼になればいいじゃないですか。
子どものために暗殺者として国に仕える、というのなら、もっと子どもを優先して考えるんじゃないですか。
愛した男が生きていて、自分のもとに現れたということは、自分の身元がすでに相手にばれているということじゃないですか。
そしたらまず連絡すべきは組織でしょう。
なにを差し置いても子どもの保護。
真相を探るのはその次じゃないですか。
なにぼけーっとしてんだよ。 ふざけんなよ。 被害者だっていうのはわかっていますけど、ふざけんなよ。 守れよ子どもを。
そもそも、死んだはずの男が生きてピンピンしていた時点でおかしいと思えよ。
めっちゃパリっとしたスーツ着て、自分に「兄貴が殺されたんですよー!」って教えてくれた手下も一緒にいるって、それすなわち自分が嵌められたってことじゃんよ。 気づけよ。 脳みそのかわりにみかんゼリーでも詰まってんのかよ。

子どもを出しておきながらおざなりで、ただ主人公が奮起するためだけに殺される。
わたしは全くノレませんでした。
たとえば子どもが殺されるまでの生活で、子どもをものすごく大事にしていて、子どもだけが生きる意味みたいな描写があれば違ったと思います。
しかし、新しい彼との恋愛を描くために、そこが省かれた。
子どもだけでも助かっていれば、めちゃくちゃおもしろいアクション映画だったなぁ! で終わっていましたけれども、こんな風に「消費される小道具」みたいな扱い、ないですよ。 なにが復讐じゃいってもんですよ。
ウネちゃんが亡くなったあと始まるクライマックス、ものすごくしらけた気持ちで過ごしました。
っていうか、泣きすぎてね、怒りがすごすぎて涙が全くとまらなくてですね、主人公が車で敵陣に乗り込んだ時も「なんでそんな派手に乗り込むのコッソリとか考えなかったのばかじゃないの」って、主人公が昔愛した男と対峙した時も「この期に及んでなに躊躇してんのばかじゃないの」って、銃捨ててナイフ二刀流し始めた時も「なんでさっさと脳天にぶちこまないのばかじゃないの」って、ホントもう自分でもどうかというぐらいいちいち「ばかじゃないの」って思っていましたよね。
主人公が車のボンネットにのっかった時なんか、なんだったら「こいつ轢かれねえかなー」とか思っていましたからね。
ぜんぜん! 轢かれてくれて! いい! 遠心力でポイーンって!

同意は求めませんし、あくまでわたしが子どもという存在にナーバスなだけです。
そして、そんなわたしにとって本作は「観た記憶を消し去りたい」ぐらい不愉快な映画でした。

たのむから、もっとちゃんとストーリーを練っておくれ・・・ ノリたかったや・・ わしかて「ええぞー!」って両手をあげたかったんや・・・ ウネちゃんのあいらしい表情を思い出しただけで、今もなんぼでも涙が出てくるんや・・・ 無理です・・・ もうむり・・・



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