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『呪怨 -ザ・ファイナル-』

2015年06月26日
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デデンデンデデン・・ デデンデンデデン・・デデン デン デデン ・ ・ ・ !(特に意味はないです)


あらすじ・・・
佐伯邸が更地になりました。


(※ 以下ネタバレしています)


・ 一足お先にカムバックし、若者を中心にそこそこのヒットを叩き出し勢いにのって続編まで作られた『貞子』に続けとばかりに昨年復活を果たしたJホラーブームの立役者のひとり『呪怨』が、これまた鉄は熱いうち、続編は興行収入が見込めるうちにとばかりに再びスクリーンに登場。 しかも、今回も3Dなんつう小手先勝負に出ることなく、正統派ホラーとしての堂々たる再臨です。 まさかお気づきの方はいらっしゃらないとは思いますが、ここまで前回書いた感想のほぼコピペです。 ちがう、手抜きじゃない。 そういうんじゃない。 オレはただちょっと、楽がしたかっただけなんだ・・・!(※手抜きです)

・ しかも今回の呪怨はサブタイトルに「ザ・ファイナル」といういわゆるひとつの「終了宣言」までくっつけちゃって、なんだかめちゃくちゃ心配です!もう引きに引けないよ!いいのかな?!ホントにいいのかな?!

・ チラシの方を覗いてみたら、「終りが、終わる。」なんつう「騒々しく騒いでいる」並みにどうかしているキャッチコピーまで書かれちゃっていて、ぼかぁもう頭痛が痛いよ! 頭痛が、痛い!

・ で、『呪怨 ザ・ファイナル』にそこまで思い入れのない方や、このテンションで続く文章に最後まで付き合える気がしないという方の為に、思い切って結論から言いますが、『呪怨』の製作陣が「呪怨」の終わらせ方として本作で用意したのは、我々の想像を軽やかに裏切るとっておきの方法でした。 『呪怨 ザ・ファイナル』のオチ・・・ それは、「終わらないという終り方」だったのです・・・!

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(これには俊雄くんもビックリ!)

・ ここで改めて今回のお話をざっとご紹介すると、なんだかんだいわくがつきまくりの佐伯邸をサクっと賃貸物件として貸し出していた悪徳不動産業者が自らの儲け主義的思考を猛省し、上物だけ壊しとけばこれ以上の呪いは起こらないだろうとばかりに取り壊しを決行するも、とっくに「自由な幽霊」と化していた佐伯親子にはなんの影響もなく、なんだったら「これで“家を訪問した人”っていう設定に縛られずにすむ」とばかりにジャンジャン出没するようになるというお話だったわけですが。 

・ 「ザ・ファイナル」と銘打っておきながら、「佐伯親子を封印する」ためと思しき作戦が、この更地化計画と伽椰子さん直筆の超ポエミーな日記を燃やすという2つしか無かったという侘しさ! これをわたしは強く憂いたい! しかも更地化は予算の関係上壊れてゆくシーン無しでいきなり更地になっているし、日記を燃やすのもパロマの二口(ふたくち)コンロでチョロチョロですよ! 色々と制約があるのはわかるけど、もうちょっと豪快なの、くれよ! (※パロマはわたしの推測です。リンナイだったらすみません)

・ 宣伝をいちいち真に受けるなって言われちゃったらぐうの音も出ないのですけどね、こちらとしては「呪怨シリーズ、これにてファイナルどぇす!」って言われたら、素直に「そうなんかな」と思うじゃないですか。 となったら、過去のシリーズにも出てきた清酒ブッシューとか、イタコの母とか、謎の浄霊儀式とか、そういう「餅は餅屋」的な展開を期待してしまうじゃないですか。 違いますか? ええ? 答えて!答えてよ崇!

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(呪怨の生みの親・清水崇監督。 なお今回のザ・ファイナルにはノータッチの模様)

・ だいたいね、これはわたしが、オリジナルシリーズはもとよりほとんどのお化け映画に共通して感じていることなのですけどね、お化けが出てきて呪われるまではいいとして、取り憑かれた方のご先祖さまは一体どこでなにをしているのだ、と。 臍のごまでもほじくってんのか、と。

・ 「守護霊」という単語のポピュラーさを思えば、彼らの存在はあながち想像の産物ってこともないのではないかと思うのですよ。 けっこう多くの家が仏壇を置いて、お彼岸にはお墓参りして、お盆には茄子に割り箸をさす訳じゃないですか。 ならばご先祖様なり守護霊なりは、いざというとき生者を守ってくれるぐらいのやる気を発揮してくれてしかるべきなのではないか。 可愛い子孫が悪霊にヒーヒー言わされている時ぐらいは。

・ 今作にも、佐伯親子に呪われつつある女子高生の自宅に、彼女の父親の仏壇が置いてあるシーンがありまして、ぼかぁ「お!ついにきたか!」と思いましたよ。 ホカホカごはんを供え、手を合わせる女子高生の背後から、黒く長い髪を触手のように伸ばしてくる伽椰たん・・・。 女子高生万事休す・・! というトコロから一転、仏壇から一筋の光がビカビカー!伽椰たんグエグエー! みたいな展開があるのかと胸躍らせましたよ。 そしたらどうですか。 だるまさんが転んだ方式で伽椰たんが消えた瞬間、みるみるうちにカビだらけになる仏壇のごはん! 伽椰たんノーダメージにして仏壇ノックアウト! 拳を交えるまでもなく、伽椰たん大勝利ですよ!

・ ご先祖様はともかく、わりと最近亡くなった感のある父ちゃんまで沈黙かよ! 目の前の娘が狙われていたというのに! 

・ わたしのー仏壇のーまーえでー泣かないでくださいー そこにーわたしはーいませんー もしくは居留守を使っています―(悪霊の方が強そうだから)

・ このシーンもね、ホラーの鉄板のようなシーンなのですけどね、カメラの切り替えのミスなのかなんなのか、じわじわ迫りくるカットから、振り返る女子高生のアップにならずにそのまま背景込みの「振り返る女子高生」が映っちゃうのですよね。 要するに、「何もない天井を見上げるだけの女子高生」なのですよ。 なんじゃい。 これなんじゃい。  こういうのって、「振り返った時にいるかどうかわからないから怖い」んじゃないのですか。  

・ 本作は、こういう「興ざめ」なシーンがホントに多くて、驚かしの方法はほぼ「大音量」だけで、あとはすべて寸止めでした。 すっごいマイルド。 っていうかスイート。 俊雄くんが女子高生をあすなろ抱きするシーンまでありますからね! おまえは全盛期のキムタクか!(※もちろん木村さんは今でも引き続き全盛期だと思います)(※敵を作りたくない小者の発言)

・ 仏壇の父ちゃんは何の役にも立たない。 ではそれ以外のキャラクターはどうなのかというと、「もしかしたら・・・」と期待させるような人物が2人登場しまして。

・ ひとりはヒロインの恋人・奏太くん。 初めてヒロインから伽椰たんのポエミーな日記を見せられた時から、異様なリアクションの良さをみせていた奏太くん。 その後も日記を捨てたり燃やしたり、勤め先(地下鉄の駅)で伽椰たんと遭遇したり、彼女を守ろうと単身悪霊の家に乗り込んだりして、もしかしたら彼には特殊な能力が備わっているというお話なのかも・・・と、清酒を口に含んでくれるのを楽しみにしていたのですが、結局右往左往に終始して、最後は伽椰たんに首をねじられて退場です。 意味ありげだったけど、意味ありげなだけだった! 夢だけど!夢じゃなかtt

・ もうひとりの意味ありげ人物は、佐伯親子が絶賛居候中の女子高生宅を眼下に望む高台の病院に入院中の少女・絵菜ちゃん。 退屈と孤独を紛らわせるため、スマホで女子高生宅を覗き見ていた絵菜ちゃんは、うっかり見なくていいものまで見てしまいます。そう、白塗り少年の姿です。 

・ ある夜、難病を抱え、死期が近いことにも気づいている絵菜ちゃんのもとを、白塗り少年がペットの黒猫を抱えて訪問しました。 いきなりのリアル白塗りにも動じず、むしろ不思議な親近感すら抱いてしまう絵菜ちゃん。 彼女はそれ程までに「友達」を欲していたのです。 そんな絵菜ちゃんに、白塗り小坊主は「死後も友達でいること」を約束します。 ちょっとね、この瞬間「そうきたのか!」と思いましたよね。

・ もちろん、父親の手によって無残に殺められた不憫な少年・俊雄くんだって、友達は欲しいでしょうよ。いや、欲しくない訳がない。 俊雄くんの魂を黒く染めていたのは、殺されたことに対する怒りと哀しみ、そして誰にも埋められることのなかった孤独だったのではないか。(伽椰たんは傍にいるけど、なんつうか、ちょっと頭がアレですから) ならば、絵菜ちゃんとその孤独を癒しあうことで、俊雄くんを縛り続けていた呪怨の念は消えてくれるかもしれない。 やっと俊雄くんの魂に、あたたかな救済の光が差し込むのかもしれない・・・!

・ まぁ、蓋を開けてみたら、友達どころか身体を利用されて、魂を運ぶための乗り物扱いされただけだったんですけどね! 絵菜ちゃんかわいそう! 俊雄はクズ!

・ と、いうことで、まんまと宣伝に踊らされ、素直に劇場に足を運んできたわたしなのですが、上に記したようなことを「ああでもない、こうでもない」と思いながら、膝を打ったり、舌を打ったりしつつ鑑賞しましたので、それはそれで面白かったということなのでしょうね。 うん、オレ、たのしんだ。 増殖した俊雄くんに「バッカなシーンだなぁ!」とツッコミを入れながら観るの、たのしかった。 やはりホラーを映画館で観られるのって、いいことですね!

・ 前作では驚異の演技力でわたしの度肝を抜いてくれたノゾミールこと佐々木希さんですが、今回は一年間で随分演技力に磨きがかかったように感じました。 嫌味でもなんでもなく、今回は本当によかったです。 特にラストでみせる悲惨な高笑いのシーンがすごくよかった。 去年は失礼なことを言ってすみませんでした。 これからもよろしく!(なにがだよ)

・ 一方、去年のノゾミールどころではない、とんでもない破壊力をみせつけてくれたのは、今回のヒロインを演じた平愛梨さん。 これはもうね! すごいから! キンカンのCMですらすごいのに、よりにもよって一番演技力を要求されるホラー映画のヒロインに抜擢されるだなんて! ご本人もキャスティングに驚かれたそうですが、ビックリ度勝負ならまけんぞい!

・ ノゾミールが神妙な表情(覇気のない状態)と驚いた表情(ちょっと目を開いた状態)といつものキメ顔(ふんわりと笑った状態)の3本勝負だったとするならば、平さんは可愛い顔(ちょっと暗め)と可愛い顔(ちょっと明るめ)と可愛い顔(ちょっと目を見開いている)の3パターンですからね! 全国公開のメジャー映画相手になんちゅう大胆さなんや・・・ こんなもんもうほぼ丸腰やないか!

・ 妹(ノゾミール)が失踪してもほぼ無反応。 妹が残した伽椰たんのポエミー日記にもほぼ無反応。 挙句の果てに、愛する彼氏が伽椰たんに首をひねられ死亡しているのを発見しても無反応だった日には、ぼかぁもう何も言えねえっすよ。 白旗全面降伏っすよ。 

・ 職場で不吉な体験をした後、自宅に帰ったら彼氏がカーテンにくるまれている。 絶対おかしい角度で、絶対ありえない状況で、なおかつ呼びかけても無言のままの彼氏なんですよ? もうこの時点で、「開けたくなさ」全開じゃないですか。 それなのに「もー何してんの」ってカーテンくるって外して彼氏がグエーってなってて、ほんでもって無反応なんですもん。  まさかこれもまた、落合監督が前回ノゾミールに適用した「できないならやらせなければいい」戦法なのか・・・?!

・ てなことを思いながらパンフレットを眺めていたら、「怖いものが大嫌いだという平による、恐怖で身動きすらままならないリアルな演技」と書かれていて、ははぁ!物は言いようですなぁ!と感心しました。 大辞林の「物は言いよう」の項に「呪怨 ザ・ファイナルでの平さんの演技」って書き足してほしい。

・ 実は、本編のとあるシーンに「好きなことで生きていく」でお馴染みの超有名YouTuberさんが出演されていまして、わたし自身はそっち方面にまったく興味がないものの、我が家のいもうとちゃん(小5)が大のYouTuberファンだった為、画面に映った瞬間ご本人とわかり「わー」ってなった訳ですが。 このYouTuberさんといい、これまたいもうとちゃんの愛読書である「ちゃおホラー」から出版されたコミカライズ版といい、新生「呪怨」のターゲットは今や、ホラー愛好者ではなくかなりの割合で小中高生という若い客層なのだろうなぁと思うのですよね。

・ 3Dで甦った新生「貞子」もそうでした。 若い客層から支持を得られそうな俳優さんを使い、テレビでちょいちょい放送している「衝撃映像」並みのマイルドさで、とことんアトラクション寄りのカジュアルホラーを目指す。 それが製作陣の考えた生き残り作戦だったのでしょう。

・ だから本作で恐怖演出がいちいち「寸止め」なのも、首がねじられたり、レンジでチンされるがごとくマル焦げにされたり、背骨からポッキリ折られたりなどのおもしろショックシーンが全く映り込まないのも、ストーリーに時系列の捻じれが盛り込まれていないため極めて平坦になってしまっているのも、平さんが常に可愛いのも、仕方ないことなのだと思います。 それでヒットに結びつくのなら大いに結構じゃないですか。 わたしはそう思う。 そう思うしかない。

・ ホラーよ、メジャー映画界で生き残ってくれ。 そして願わくば、これをきっかけにホラーに目覚める小中学生が少しでも増えんことを。

・ 平さんのリアクションはアレでしたが、恋人役の桐山漣さんや女子高生役のおのののかさん、その友人役の松浦雅さんなんかは迫真の演技だったと思いましたよ。 特に松浦さんは、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」ファンのわたしにとって、いまだにふくちゃんのイメージが強いせいもあり、「ああ・・ふくちゃんがこんなにわしわしとイカ墨スパゲッティを食べて・・・お母さん譲りの食欲やなぁ・・」とか「ふくちゃん逃げてー」とか主人公以上に感情移入しながら観てしまいました。 おのさんもすごくよかった! とてもいい、死に様でした!

・ エンドクレジット後にサプライズ発表があり、といっても、見た瞬間全く驚かなかったのでサプライズになっていない感もすごかったのですが、どうやら来年満を持して「貞子VS伽椰子」がスクリーンにやってくるとのこと。

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(これはエイプリルフール用に作られたフェイクポスターですが、この時からもう決定はしていたんじゃないかなぁ)

・ ここ数年の流れでいくと、きっと次もカジュアル路線の若年層向けホラーになるのだろうなぁという気がビンビンにしますし、大人の事情もよくわかるのですが、そこをあえて、初期の両作品がはらんでいた狂気やおどろおどろしさや息苦しいほどの湿気をよみがえらせた、本気で怖い粘着ホラーに仕上げてもらえたらなぁと思わずにはいられないわたしです。 「ブンブーン、ハローJホラー!」みたいなノリじゃなく、「怨念がおんねん」みたいな感じの、ね。 せっかくのビッグタイトルの実現なんだし、そういうのがいいなぁ!

・ あと、その際はもう俊雄くんには成仏してもらって、成熟した女同士のキャットファイトにしてもらえるとありがたいですなぁ。 あのね、ホントもう俊雄くんはね、恐怖が湧くどころか塗りムラとパンダ目が気になるだけだから、リタイアさせてあげましょうよ。 ね? いいよね?  はい!今までお疲れ様でしたー!

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(もし再登板だったとしても、宣伝にパンイチで出演させるのは勘弁してあげてください! いろんな意味でギリギリですよ!)




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『チャッピー』

2015年06月04日
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(※ 以下ネタバレしています)



あらすじ・・・
人間に作られた人工知能が新しい「人間」を作ります。


大好きな映画 『第9地区』 とややウケ映画 『エリジウム』 のニール・ブロムカンプ監督最新作 『チャッピー』 を観てきましたよ。 わー!これすっごいわしの好きなやつやんけー! オロローンオロローン!

若き天才エンジニアによって生み出された「完璧」な人工知能。
どう完璧なのかというと、色んな面で完全に人間レベルなのだそうです。 
よくわかりませんが倫理観とか想像力とかそういうアレも含めて、ということなのでしょうか。 
で、そんな人工知能をインストールされた「子ども」が本作の主人公チャッピー。 
赤ちゃんからスタートするとはいえ、起動直後からがっつり動いたりするので、その姿はどちらかというと野生動物のよう。

湿気と埃にまみれた廃墟で誕生したチャッピーに、「ほら、こわくない・・こわくない・・・」とひとりの女性が優しく手を差し伸べます。 
女性の隣にいた若い男性も「そうだよ、だいじょうぶだよ」と微笑みました。
少し遠巻きに眺めていた男性は、銃を構えたままですが、しかし面白そうな表情を浮かべています。 
「銃を構えたまま」・・  銃を・・構えたまま・・・? 
そう、チャッピーが生まれたのは、世界で最も治安が悪いと言われる南アフリカはヨハネスブルグのスラム街一番地だったのです。

ということで、「人工知能がー」とか「SFアクションがー」とか色々な見どころのある本作ですが、実は物語の柱となっているのはズバリ「子育て」なんですよね。 グイグイくるわー! ぼくの心のやわらかい場所にグイグイくるわー!
子どもは生まれた時点ではみな天使であり、ただ、関わる人々や取り巻く環境によって、善良にもなるし悪人にもなるのだ、と。 
別に目新しくもなんともないお話ですが、その「子ども」がなんとも愛くるしいロボットなものですからもうかなわんですよ! 許されるならばうちに連れて帰りたい!今すぐに!

運悪くギャングのカップルの元に生まれてしまったチャッピー。
しかし、暴力とドラッグにまみれた極悪ロボットに育ってゆくのかというと、そうではありませんでした。
もしもチャッピーが生まれたのがもっと凶悪な環境、たとえばギャングの大元締めのアジトだったりしたら、きっとチャッピーは容赦なく人を殺すだけの道具として「しつけ」られていたでしょう。
確かに、チャッピーの「父」と「母」もギャングでした。
けれど、彼らはただの犯罪マシーンではない、愛を知っている「人間」だったのです。

パパ
スパルタ式の子育てにチャレンジする父的な人。 (ケチな強盗とヤクのしのぎで日銭を稼ぐチンピラ)

ママ_convert_20150527154233
見た目はエキセントリックだけど中身は情に厚い母的な人。 (パートナーのためなら犯罪行為も恐れない勇猛果敢なチンピラ)

おじさん_convert_20150527154249
お調子者の親戚のおじさん的な人。 (いつかアメリカに帰ることを夢見ているチンピラ)

先生_convert_20150527154301
チャッピーの可能性を信じ足繁く家庭訪問してくれる先生的な人。 (めちゃくちゃIQが高そうな開発担当者)

チャッピーに関わる彼らの教育方針は全く一致しません。
「暴力はいけない」と教えられたかと思えば、「いけない暴力とやむを得ない暴力がある」と正される。
「自由に生きればいい」と言われたかと思えば、「下品な言葉を使うな、芸術を嗜め」と生活をコントロールされる。
チャッピーはそのたび、目の前の「大人」の言いつけを理解しようと一生懸命頭を働かせます。
可哀想でたまらなかったのですが、もしかしたらこれもまた、成長には欠かせない「理不尽さ」なのかもしれないなぁと思いました。
だって、絶対的に正しい「大人」なんてこの世にいないのだから。 
たくさんの価値観に触れ、いいことと悪いことの両方を知って初めて、「自分の選択」に意味が生まれるのかもしれない。  まぁ、とは言っても振り回される方は迷惑極まりないですけども。

っていうかこのね、「すぐ染まるチャッピー」の健気で愛くるしいこと!
そうなんですよね・・・ 子どもって、いつだって一生懸命大人を信じようとしてくれるんです。 それはもう、申し訳ないほどに。
だからこそ、可能な限り正面から向き合ってあげたいんだよなぁ。
母的な役割を担うヨーランディさんがそうであったように。

自分が歩んできたギャングとしての人生を否定するつもりはないけれど、そのままチャッピーに踏襲させたくもない。
揺れる心に答えは出せないものの、チャッピーの戸惑いや哀しみや喜びにはまっすぐに向き合うヨーランディさんが本当にステキすぎる・・・!
傍から見たら、「子ども」を犯罪に巻き込むひどい親でしかないかもしれないけれど、ヨーランディさんとチャッピーの間にはたしかな信頼があって、そしてそれは、とても尊いものなんじゃないかと思うのですよね。

「ママ」や「パパ」とは違う外見であることから、幼ないながらもハッキリとした疎外感を抱いているチャッピーに、「見た目ではなく、大事なのは中身なのよ」とやさしく諭すシーンは、もうロボットがどうとか人間がどうとか肌の色がどうとか性別がどうとか、そういうこと全てどうでもよくなって、ひたすら涙がボロボロこぼれてしまいました。
直球ですよ。 ありふれた言葉ですよ。 でも、本当にうれしい気持ちになったのです。
それがただの言葉ではなく、ヨーランディさんの「愛する我が子(チャッピー)を安心させたい」というやさしい想いの結晶だったから。

ヨーランディさんほどの繊細さがない、父的ポジションのニンジャさんもまた、チャッピーの純粋さや生への懸命さに影響を受け、というか、もとから彼に備わっていたまっすぐさを刺激されたのかもしれませんが、チャッピーとヨーランディさんという「家族」の命を守るため自分の命を差し出そうとしますし、チャッピーの生みの親で、もともとは研究材料としかチャッピーを見ていなかったディオンも、自分とチャッピーの一方しか助からないと知ると迷わずチャッピーに命を譲ろうとします。 親戚のおじさんポジションのアメリカさんは・・えっと・・・なんつうかその・・ アレだ・・・がんばったよね!

愛を知りながら育ったチャッピーが、その潜在能力を最大限に活かし、大切な人たちの命を復元しようとするラスト。
機械の身体に植えつけられ育った人工知能が、人間の身体に宿る知能・記憶・感情などなどの総合体(意識)を機械の身体に転送させるという展開は、正直「そこまで行っちゃうか・・?!」という気持ちが湧かなくもなかったのですが、「見た目ではなく中身」というヨーランディさんの言葉を究極的に実らせちゃったんだなぁと、チャッピーのすこやかな成長に目を細めたくならなくもないので、わたしはアリだと思います。
あと、「意識(魂)は永遠に不滅です・・!」というキリスト教っぽい救済が、よりにもよってガチのキリスト教徒であるライバル科学者ではなく、その彼から異端者として敵視されていたチャッピー側に与えられた、というのも皮肉が効いていておもしろかったですし。

そう、そのライバル科学者を演じていたヒュー・ジャックマンさんもね! 
すさまじいガンギマリ演技がさいこうでしたよね!
改めて、引き出しの多い役者さんなんだなぁ、と思いました!
あと、腕太ぇー!! やーいやーい!ヒューさんの二の腕丸太ん棒!

ゲスト出演のリプリー(シガニー・ウィーヴァー)さんは空気でしたが、チャッピーを粉砕しにやってくる巨大ロボ・ムースちゃんのドデっとしたフォルムがかわゆすぎましたし、ディオンの身の回りをお手伝いするおさんどんロボット・デクスターちゃんも超キュートでしたので、もうわたしは充分満足です。 もちろん、チャッピーちゃんは言うまでもありません。

お金が欲しいギャング、お金を払わなければならないギャング、自分のロボットをもっと賢くしたい科学者、自分のロボットをもっと人気者にしたい科学者の4者が、まったく人の話を聞かず自分の独断だけで突っ走ることによって生まれるドタバタ劇。
シリアスになりすぎず、複雑な専門用語も飛び交わず、「好き!」とか「生きたい!」とか「褒められてうれしい!」とか「殴られて悲しい!」とか「大好きな人が撃たれた!」とか「ゆるさんぞー!」などなど、つべこべ言わされずひたすらシンプルな感情を掻き立てられる、とてもおもしろい作品だったと思います。

書き忘れていましたが、顔出しナシで「見た目は子供、頭脳は大人」なチャッピーを完璧に演じきったシャールト・コプリーさんもすばらしかったですよ!
演じる際、監督から参考として「8歳の天才チェスプレイヤーは、数学的なチェス理論では人生経験を積んだ50歳の大人を打ち負かせるけれど、感情面の成熟度ではその足元にも及ばない」ということを伝えられていたそうですが、まさにこの超いい喩えそのもののような、知的なひらめきと感情の幼さの絶妙なアンバランスさが表現されていて、演技の達者な人は姿を隠されていてもその実力が損なわれることはないのだなぁ、と感心しました。
将来シャールトさんが、「中の人」界の頂点 アンディ・サーキスさんの地位を脅かす事になるのか・・・要チェックやで!





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