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すきもの主婦が選ぶおっぱい映画ベストテン

2015年04月28日
どうもこんにちは。アガサです。

ブログでも書こうかなぁ・・ と管理画面を開いたものの何も書く気が起こらず、インターネッツという名の往来を前にアンニュイな気分に浸っていたところ、いつも楽しく拝見させて頂いている大人気ブログ・男の魂に火をつけろ! 様が「おっぱい映画ベストテン」というめちゃくちゃグっとくる船を浮かべていらしたので、ここぞとばかりに乗らせて頂きたいと思います。そうです、これが渡りに船というやつです。

GW特別企画! 映画ベストテン・番外編 - 男の魂に火をつけろ! GW特別企画! 映画ベストテン・番外編 - 男の魂に火をつけろ!



「アガサさん・・あなた、女の方ですよね?」なあんて野暮な問いかけは無用ですよ!
女だって男だって、美しいものはだいすきなんだ! 至極当たり前のことじゃあないか!

ということで以下わたしがすきなおっぱい10選です。


1位 『スペースバンパイア』

スペース
(1985年公開/監督トビー・フーパーさん/出演マチルダ・メイさん)

1970年代に生まれた我々にとって、おっぱいといえばマチルダ・メイ。 マチルダ・メイといえばおっぱい。
まだテレビがおおらかだった時代、エロ・グロ・SF・耽美などなど多種多様な映画が放送されていたあの頃、老若男女に刷り込まれたおっぱいの理想形、それがマチルダ・メイさんのおっぱいなのであります。
形も色艶も等身に対する割合も完璧で、子ども心に「外人さんのおっぱいはケタ違いじゃなぁ・・・」と生唾をがぶ飲みした懐かしい思い出。 
きっとこの先、わたしの目の前にどんなおっぱいが登場しようとも、マチルダさんのそれが塗り替えられることはないでしょう。
あまりにおっぱいの印象が強すぎたため、今あらすじを思い出そうとしても「おっぱい」と「しわしわミイラ」ぐらいしか記憶から引っ張り出せないのですが、たぶんおっぱいとしわしわミイラの映画だったんだろうと思いますので、深く考えないことにします。
違っていたらすみません。



2位 『ラストサマー』 
ラストサマー
(1998年公開/監督ジム・ギレスピーさん/出演ジェニファー・ラブ・ヒューイットさん)

初めて劇場で『ラストサマー』を観た時、美の衝撃で打ちのめされそうになりましたよね。
ハリウッドの女優さんにしては幼い顔立ち。 ポキリと折れそうな腰。 その真ん中でありえないほどの膨らみをみせるカットソー。
(で・・でけえ・・・)
心の声がそう叫びました。もしかしたら若干口から洩れていたかもしれません。
殺人を犯したかもしれないという罪悪感と謎の殺人鬼の存在に怯える若者たちの群像劇がろくすっぽ頭に入ってこない。というか完全にストーリーの邪魔になっているレベルのでっかいおっぱい。 どうなの?そこんとこどうなの?監督は本気で怖がらせる気、あんの? おっぱいが撮りたかっただけなんじゃねえの? まぁ、それならそれでいいけどさぁ!

そして、エンドクレジットを観たら名前がまた「ジェニファー・ラブ・ヒューイット」っていう!おっぱい美女がラブって!マジなの?!それマジなの?! おらぁ名前にラブがついてる人見たの、ラブクラフト以来だぞ!

かわいいだけの青春スターたちの中、その存在を頭一つ抜けさせることに一役買っていたジェニラブさんのおっぱい。
ちなみに、わたしはピタピタのタンクトップよりも白シャツのボタンを留めることで前みごろがパツパツになっている状態の方がすきです。
どういう告白なんだよ。


3位 『プラダを着た悪魔』 
プラダ
(2006年公開/監督デヴィッド・フランケルさん/出演アン・ハサウェイさん)

知る人ぞ知るおっぱい黄金比を持つ女優、アン・ハサウェイさん。
(おっぱい黄金比とは、左右のバストトップと鎖骨の真ん中あたりをつないだ時の線が正三角形になるおっぱい位置のことを言います。 その昔、an・anだったかnon-noだったかのおっぱい特集で見たから間違いないと思います。)
そんな黄金のおっぱいを、『ブロークバック・マウンテン』や『ラブ&ドラッグ』において惜しげもなく見せているアンさんですが、わたしが最も彼女のおっぱいに美しさを感じるのは、実録ファッション事件史として世界中で大ヒットを記録した『プラダを着た悪魔』でありまして。

劇中、どんどんあか抜けてゆくアンさんが身に着ける、華やかな衣装の数々。
それはみな、ただ単にオシャレなだけではなく、アンさんのナイスなスタイルを最大限に活かすものばかりで、陶器のように滑らかなデコルテを嫌味にならない程度に魅せる肌シャツだったり、体に下品にフィットするではないけれど胸の大きさだけはバッチリ伝わってくるコートだったり、なんでもないニットに合わせたアクセサリーが崖から吊るされたエルフのロープのように大きな胸にひっかかってゆらゆら垂れている様だったり、ホントもうどれもこれも「隠せば隠すほど服の下の胸のことが気になって仕方なくなる」ような絶妙なデザインばかりなのですよお立合い! 森の奥方さま・・おらサムになりてえだ・・・サムになって、あのネックレスを滑り降りてえだ…!(※錯乱中)

特にこの、モスグリーンのワンピースなんか最高じゃないですか!
ギリで谷間が出ないぐらいの襟ぐりと、ハイウェストのごんぶとベルトとで板挟みになったおっぱい・・・めくってみなくてもわかりますだ・・・これぞ完璧な黄金比ですだ・・・! うずめたい!この丘に顔をうずめて5~6年眠りこけたい!



4位 『ハモンハモン』 
ハモンハモン
(1993年公開/監督ビガス・ルナさん/出演ペネロペ・クルスさん)

『ハモンハモン』はすごいですよ。 
なにせ、ペネロペさんのおっぱいがなかったら、ストーリーそのものに支障をきたしてしまうのですから。
逆を言えば、ペネロペさんのおっぱいがあったからこそ、この物語は成立している。
みんながペネロペさんのおっぱいに希望を見出し、ペネロペさんのおっぱいに依存し、ペネロペさんのおっぱいで人生を踏み外す。 
そしてそれを無茶な話だと思えない。 なぜならペネロペさんのおっぱいが本当に美しいから。

美しいっつっても、形とかじゃなくてね、もう触感なんですよね。 
もちろん映画ですから観てるだけですよ。 
でもね、わかるんです。 つきたての餅のようにすべすべで、それでいて手に吸いついてくるようなしっとりとした肌触りが、画面の向こうから伝わってくるんです。
劇中、恋人役のおっぱい星人がまさしく餅のようにペネロペさんのおっぱいをすするシーンがあるんですが、エロいだけではなく、不思議な説得力がありましたからね! 「そりゃすすりたくなるわ!」って思いましたもん! わかるよ、おまえの気持ち!

もうひとつわかっているのは、読んで下さっているみなさまが若干ひいているということです。
うん、わたしも書いていて若干ひいてる!



5位 『シングルス』 
シングルス
(1993年公開/監督キャメロン・クロウさん/出演ブリジット・フォンダさん)

『シングルス』のブリジットさんは、ここまでランクインしたみなさまとは大きく異なるおっぱいの持ち主です。
そう、ブリジットさんはどっちかというとこっち寄り。 つまり、たいらむね一族の末裔なのです!(※勢いだけで書いているので細かいツッコミはご遠慮ください)

役柄はズバリ、恋人に気に入られるため豊胸手術を考えている女の子。
でもね、胸なんて大きくなくたって、充分キュート・・いや、充分どころか有り余るほどキュートなのですよね。
ユニクロのカップ付タンクトップなんか着ようものなら、カップ部分が余ってカポカポになるであろうおっぱいのリアルな小ぶりさ・・・  ・・いいじゃないの! 親近感・・・ ・・湧くじゃないの!
女の子の魅力は胸の大きさで決まるんじゃない。 
大事なのはそのままの自分を愛すること。 あと、どう魅力的に見せるかってことだろ?アーハン? っていうウルトラポジティブなエモーションのビックウェーブが押し寄せてくる、全日本小ぶりおっぱい協会推薦映画。 未見の方は是非。
若い頃のティム・バートンさんも出てますよ。



6位 『ブギーナイツ』
ブギーナイツ
(1998年公開/監督ポール・トーマス・アンダーソンさん/出演ヘザー・グレアムさん)

ヘザーさんのおっぱいが、大きさといい形といいハリ感といい申し分ない美しさだということは、数々の出演作において証明されていると思うのですが、やはりその中でも一番わたしの印象に残っているのはこの『ブギーナイツ』でしょうかね。
愛らしく、可憐で、儚くて、誇り高いローラーガール。
彼女があっけらかんと服を脱ぎ捨てた瞬間、わたしは思わず目を逸らしそうになってしまったものでした。
それは、その躰があまりにも眩しかったから。
若さと素直さで弾けんばかりなヘザーさんの素肌。 水弾きも半端なさそうだよ。 よっ!撥水コートいらず!



7位 『マチェーテ・キルズ』 
マチューテ
(2014年公開/監督ロバート・ロドリゲスさん/出演ミシェル・ロドリゲスさん)

アメリカが誇るミス三白眼ことミシェル・ロドリゲスさんもまた、何を隠そう美しいおっぱいの持ち主なのでありますよ。
っていうか、『マチューテ・キルズ』を観た時はビックリしましたよね、「アレ・・・?姐さん・・ 入れた?」っつって。 
だってこんなにこんもりしてなかったハズだもん。 
けっこう大きかったとは思うけど、ここまでパキっとしたおっぱいじゃなかったもん。 

でもね、いいんですよ。 仮に入れていたとしてもいいんです。 姐さんが入れるんならシリコンや生理食塩水じゃなくプロテインかなんかだと思うから。 
姐さんのおっぱいは、あくまで腹筋とワンセット。 える、しっているか。おっぱいは張るも垂れるも筋肉次第。 鍛えれば鍛えるほど互いを高め合う、それがおっぱいと筋肉の潜在能力(ポテンシャル)・・・!
もう自分が何を書いているのかよくわからなくなってきましたが、いとしさとせつなさと力強さが詰まったおっぱいが醸し出す健康美で、これからも荒くれ者どもを圧倒してやっていただきたいものです。



8位 『REC/レック』 
アンヘラ
(2008年公開/監督ジャウマ・バラゲロ&パコ・プラサさん/出演マヌエラ・ベラスコさん)

世帯主さまに聞かれました。
「おっぱい映画ってことはすなわち、タンクトップなんだろ?」 と。
そう、確かに『REC』で世界中のホラーファンを虜にしたアンヘラたんもタンクトップ。
襟ぐりの開き具合もウェストの張り付き具合も丁度いい、フーターズガールばりの良タンクトッパーです。
しかし、わたしが『REC』のアンヘラたんを8位に入れたのは、平時のタンクトップ姿を評価したことが理由ではない。
クライマックス、床にうつぶせになったアンヘラたんの胸のつぶれ具合。
しっかりとした大きさと弾力があったがゆえに実現した、あのハイレベルな押しつぶれ具合こそ至高なのですよ・・・! わかってつかあさい・・・つぶれた時にこそ、おっぱいはその真価が問われるのだということを・・・!

ああ、ぼくはもう床になりたい。



9位 『ジャッキー・ブラウン』 
ジャッキーブラウン
(1998年公開/監督クエンティン・タランティーノさん/出演パム・グリアさん)

パム・グリアさんのおっぱいを今さらどうこう言うなんて野暮も野暮、無粋の極みってもんじゃないですか。
ただ、わたしが声を大にして言いたいのは、パムさんは布の量の少ない服を着ている時だけがセクシーなんじゃない、ということ。
普通のスーツを着ている時ですらこの色香ですよ、ということなのです。
見て下さい、このはち切れんばかりのボタンたちを。 
パムさんのおっぱい圧に締め上げられて、さも幸せそうじゃないですか、ええ?
今この瞬間、ぼかぁ床になることを諦め、パムさんのスーツの第一ボタンになることを熱望しはじめています。

ちなみに、『ジャッキー・ブラウン』には先に挙げたブリジット・フォンダさんも出演されているのですが、本作では謎の巨乳ガールへと変ぼうを遂げられており、せっかくの小ぶりでバランスのいいたいらむねが台無しになっております。
ヌーブラであってほしい・・・ 「注入」ではなく「上げ底」であってほしい・・・ そんな風に思ってしまうのは、ぼくのわがままなのでしょうか・・・

大きいおっぱいならなんでもいい、小さいおっぱい以外はおっぱいじゃない、といった「カップ数」だけの価値観を押し付けることは、おっぱい保持者にとってもおっぱい鑑賞者にとってもしあわせなことではない。
みんなちがってみんないい。 それがおっぱいのすばらしさなのではないか。
そんなことをふと考えさせられる『ジャッキー・ブラウン』。 おっぱいを愛するみなさんにおすすめです。
(※実際はおっぱいに焦点を絞った映画ではなく、タランティーノさんらしいフェティシズムとバイオレンスに溢れた「女かっこいい」映画です)



10位 『ビフォア・ミッドナイト』
ビフォア
(2014年公開/監督リチャード・リンクレイターさん/出演ジュリー・デルピーさん)

ベストテンにどうしても入れずにはいられなかった普段着おっぱい、それが『ビフォア・ミッドナイト』のデルピーさんです。
普段着おっぱいとは、パッドも補正も筋トレもなにもない、あるがままのおっぱい。
垂れているんじゃないですよ。重力に対して素直なだけなんです。
媚びない、おもねらない、という凛とした美しさが漂う普段着おっぱいは、不思議と郷愁の念を誘い、見ているだけで幼い頃駆け回ったふるさとの野山を思い出させてくれるやさしいおっぱい。うーさーぎーおーいし、かーのやーまー。「うさぎおいし」が「うさぎ=美味」という意味ではないのだということを知ったのは、高校にあがった頃でした。

他の出演作とは違い、「ビフォアシリーズ」だけは衣服をはだけることのなかったデルピーさんが、ここにきてはじめて見せてくれた、ウォーターベッドのように穏やかなうねりのふわふわおっぱい。
美魔女だの美熟女だのといった煽り文句に踊らされない、自然な加齢の行く末がここにある・・・。 考えるな、感じろ、そしてすすれ! 





いかがだったでしょうか。
脱いでいようと着たままでいようと、それぞれに美しく魅力的なおっぱい。
わたしはキーラ・ナイトレイさんばりのたいらむねであるため、ないものねだりというか、映画を観ていてもついおっぱいに目が行ってしまう習性を持っているのですが、決して大きいおっぱいばかりに惹かれるのではなくてですね。
それこそ、キーラさんのおっぱいだって、映画によって巧みに形状が変えられていますし、おっぱいの魅せ方も演技(演出)の一部分なんだなぁと感心することは非常に多いです。 
というか、そういうトコロを観るのがたのしみなのです。
いやらしい目線だけで見ているのでは断じてない。
常に「やわらかそうだなぁ」とか「どんな感触なんだろなぁ」とか考えているけれど、そういう目線だけではない。 わかって・・わかってつかあさい・・・ 

というわけで、以上わたしが選んだおっぱい10選でした。


最後に、全く別の意味でわすれられないおっぱいとして、『マルタイの女』と『黒い家』に登場するグロテスクな「にせおっぱい」をあげさせていただいて、今回の記事を切り上げたいと思います。 トラウマになるよ~夢に出るよ~(うれしくないよ~)

ではみなさん、よいおっぱいを!
ワッシュさん、たのしいお題をありがとうございました!



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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

2015年04月16日
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もがけ!もがけ! 世界はまだ、美しい!


※ 文中、映画の結末に触れています。


あらすじ・・・
スーパーヒーローの役で一世を風靡した俳優がアイデンティティの危機に陥ります。


まず、あらすじをどんな風に書けばいいかで、キーボードの上に置いた手が固まってしまいました。
アイデンティティの危機。 
我ながら浅い言葉だなぁ。
しかし、これは紛うことなき「自分探し」の物語だと思うのですよね。
「バードマン」を演じていた主人公リーガンや、彼をとりまく人々の。 

『バードマン』に登場する人物はみな、誰かに認められたいがために、様々な「役」を演じていたように思います。
(本当は自分の演技に自信などないんだけど)一流の役者として見られるため、「出来る男」を演じるリーガン。
(本当はストイックで真面目な役者バカなんだけど)ハリウッド俳優との格の違いを見せるため、「破天荒な役者バカ」を演じるマイク。
(本当はちょっと前からマイクとの関係にはズレが生じていて、それを不満に思っているんだけど)長年の夢だったブロードウェイデビューを成功させるため、「恋人と円満な関係にある女性」を演じるレズリー。
(本当は役者としてもパートナーとしてももっとおおっぴらに認めてほしいけど)リーガンとの関係を壊さないため、「不平不満を言わないクールな女性」を演じるローラ。
本当は振り向いてほしくてたまらないんだけど、願っても叶いそうにないので「父のことなど気にもかけていない悪い娘」を演じるサム。
彼らは、リーガンのキャリアがかかる舞台 『愛について語るときに我々の語ること』 に関わる中、それぞれの「役」を脱ぎ、自分という人間の中の「核心」に触れることになる。

ブロードウェイに出ている、俳優である、俳優の娘である彼らの葛藤は特別な者ゆえのものなのでしょうか。
「やっぱ有名人は自己承認欲求も強いよねー」というだけの話なのでしょうか。
違う気がするのですよ。
違うと思うのですよ。
だって多くの人がきっと、生きている上で常に「何者か」を演じているから。

従順な社会人を、頼れる母親を、物わかりのいい父親を、ボロボロに傷つけられていても全く効いていない強い人を、愛がほしくてたまらない気持ちを隠して孤独に慣れている人を。
特別ではない普通の人たちが、いろいろな矛盾を抱えながら、いろいろな何者かを演じている。
意識的ではなく、無意識のうちに演じていることも多いと思います。
「それが自分なのだ」と言い聞かせている部分もあるかもしれない。
とにかく物事を円滑に進めるため、しあわせでいるために、必死に「何者か」を演じている。
そして演じているうちに、わからなくなるのです。
自分は本来、どんな人間だったのか。 

別に、演じていること自体がいいとかわるいとかではないのですよ。 生きる知恵っていう場合もありますし。 
でも、何かの拍子に、たとえば社会人としての生活に慣れてきた時だとか、子どもがある程度大きくなった頃だとか、経てきた時間よりも残された時間の方が少ないのではと思い始めた瞬間とかに、フッと影が差すというか、「本当の自分ってなんなのだろう」と、なんともいえない不安に苛まれることってあると思うのですよね。
ほんで、インドとかバリとかに自分探しの旅に出たりなんかして。食べたり祈ったり恋したりとか。


本作の主人公・リーガンも、「バードマン」で築いた財産を失い、妻と子に愛想をつかされ、名声と評価は一体ではないという現実を突き付けられ、自分の人生に対し猛然と焦りはじめます。
演劇の本場・ブロードウェイで演技派として認められることしか、自分のアンデンティティを確立するすべはない。と思ったリーガンは、自分が俳優を志すきっかけとなった作家の小説を自ら脚色・演出し、なんとか「バードマン」の影から抜け出そうとします。

共演者にダメ出しをして演劇人アピールをするリーガン。
でも、マスコミはゴシップネタしか求めていない。
実力派の舞台俳優と演技論を交わしてみるリーガン。
でも、一般の人は「バードマン」の中の人としてしか見てくれない。
プレビューでいい評価を得ようと張り切るリーガン。
でも、演技の内容ではなくSNSでの拡散ネタしか話題にならない。

「本当の自分」の実力を認めてもらいたくて必死にもがくリーガンは、その度、世間が自分に求めるものを痛感させられ、打ちのめされてしまう。
でもリーガンはもがくことをやめない。 
呪縛から逃れるため、不本意な栄光から抜け出すため、自分でも確信など無い「最高の演技」に辿り着くため。 
死にたくなる程落ち込んでも、無様な醜態をさらしても、もがいて、もがいて、もがき続けるのです。

そんなリーガンを見て、過去の確執を捨て、純粋に彼の身を案ずるようになるサムと元妻。
家族が見守る中リーガンは舞台に上がり、役と同化するという北島マヤメソッドで「演技」を越えたパフォーマンスを披露。 それは、役と一緒に自分自身を葬るという行動でした。

常軌を逸した行動ではありましたが、過激さだけではない役者たちの渾身の演技が観客の心を揺さぶり舞台は大成功。
死んだと思われたリーガンはというと、鼻に重傷を負うものの、奇跡的に一命を取り留めました。
皮肉なことに、彼の顔に巻かれた包帯は「バードマン」のマスクそのもの。
そして包帯をとり鏡をのぞくと、そこに映ったのは復元された鼻が「バードマン」とそっくりになっている自分の姿。

わたしはこの時やっと、リーガンが過去を否定することをやめたのではないかと思ったのですよね。
否定してもしょうがないじゃないか。 
なぜなら、リーガンが演じていた「バードマン」もまた、リーガンの一部分なのだから。

わたしたちが演じている「何者か」は、決してわたしたちの敵でも暗部でもない、とわたしは思います。
もともと自分の中にある部分を出しているだけなのではないか、と。
だから、自分探しをしても答えなんて見つからない。
弱い自分も、見栄っ張りな自分も、意外と強い自分も、全て本当の自分なのではないでしょうか。

もがいたからこそリーガンが辿り着いた世界。

まだ見つかっていない人はもがけばいい。
かっこわるくても、みっともなくても、もがいていけばいい。
もがくことにも意味はあるし、もがいた先でわたしたちを待っている世界はまだ、充分に美しい。


過去の自分の、認めたい部分も認めたくない部分もすべて受け入れたリーガンは、窓から身を乗り出し鳥たちが自由に羽ばたく空を見上げます。 
その後、リーガンの姿が消えた部屋に入ってきたサムは、ベッドの中にもバスルームにも、そして窓の下の道路にも父がいないことに気づき、ふと空に目を向けました。 
そしてすばらしいものを見たように顔を輝かせます。 
現実のことなのか、あくまで比喩なのかはわかりませんが、サムが見たのは、鳥と共に空を飛ぶリーガンだったのではないでしょうか。 

実は劇中なんども、リーガン自身が自分の超能力について語ったり、力をふるったりするシーンがあるのですが、それはあくまでリーガンの空想であり、現実にはスーパーパワーなんて持っていなかったと思うのですよね。 
しかし全てを受け入れたリーガンは自由になった。
自分という存在に誇りを持ち、ほしかった愛を手に入れた父は、さぞ晴れ晴れとした表情をしていたことでしょう。

リーガンは本当に空を飛んでいたのか、それともすべてはサムの願望なのか。
どちらでもいい。 
ただわたしは、リーガンに「大味なアクション俳優」とか「高尚な舞台俳優」なんていう無意味な格付けに心を悩まされることなく、色々なお芝居の世界を自由に飛び回ってほしいと願うし、きっとリーガンならできると思う。
実在する偉大な俳優たちがそうであるように。
バードマンのような派手なヒーロー映画でも活躍できるし、すばらしい舞台の上で予期せぬ奇跡のようなお芝居も魅せることができる俳優。
サムが見たのはきっと、そんな父の姿なのだと思いました。




― 余談 ―

・ 全編ワンカットと見紛うような驚異のカメラワークは、ただ単にトリッキーなだけではなく、観客を「舞台」に釘付けにさせる最高の装置だと思いました。 

・ そう、このカメラはまさに「舞台」なんですよね。 演劇が上演される舞台は、一度幕が上がれば物語が全て終わるまでノンストップ。 もちどん幕間がある場合もありますが、観客はその席を空けない限り、途切れなく続く舞台から目を離せない。本作がそうであるように。

・ 同じ部屋、同じ建物の中をカメラが移動するだけで、時間や状況が切り換えられてゆくさまもまた、まるでスポットライトを端から端へ移したり、喋っている役者の位置が変わるだけで、瞬時に場面を転換させてしまう舞台そのもので、その圧倒的な魔力にくらくらしてしまいました。 奇跡的な舞台映画じゃないかこれは!

・ 凄まじすぎる集中力で、この驚くべき撮影に応えた俳優のみなさんもすばらしいと思いました。 エドワード・ノートンさんの陶酔演技もすごかったなぁ。 でもやはりマイケル・キートンさんですね。 劇中劇のラストシーンを三度演じるのですが、当然のごとく三回とも違うし、三回目の抑揚のつけ方なんか鳥肌が立ちましたよ! マイケル・・・恐ろしい子・・・!

・ 何気に、全方位にケンカを売っているようなところもよかったですね。 「権威に成り下がっている批評家」 「舞台を舐めてる“有名”俳優」 「プライド高いばっかの舞台俳優」 「ネット上のイイネだけに存在価値を見出す人々」 「時代を取り入れようとせずただただ頑なな年寄り」 「派手なアクションばっかで中身のないハリウッド映画」 「ヒット作続編とかばっかもうやめんかおまえらロッキーか」 と、どこか一方に偏るのではなく唾を吐きまくる感じがサウスパークみたいでおもしろかったです。

・ 「バードマン」こそ架空のヒーローものでしたが、それ以外の固有名詞はバンバン実在のものが登場するところもワクワクしました。 この世界のジョージ・クルーニーさんは「バードマン」の続編には出ていないのかなぁ。

・ あと、なんといっても音楽! リーガンの鼓動、街の振動、演劇の熱量を表すような凄まじいドラムが最高すぎる! サントラがほしくなりましたが、家や車の中でかけていたら変なテンションになってお皿とか叩き割りそうだからやめときます! オレ賢明だと思う!

・ アクションか舞台か、みたいに決め付けようとしていたリーガンさんですが、ホント、特に最近はそんな隔たりなんてないと思いますよねぇ。 ガン爺ことサー・イアン・マッケランだって、マグニートーことファスベンダーさんだって、スマウグことカンバーバッチさんだって、パイカリのキーラさんだって、リディックのデイム・ジュディ・デンチだって、本作に出演しているハルクことエドワード・ノートンさんだって、みーんなジャンル関係なく活躍されてますし。 娯楽作だろうと文芸作だろうとハリウッドだろうとブロードウェイだろうとウェストエンドだろうと、いい作品が人の心をうつことに変わりはないじゃないですか。 

・ ともかく、本当におもしろい作品でした。 わたしはすごくすきです、『バードマン』。




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『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ2』

2015年04月14日
スオイッツ

「レイプリベンジもの」というジャンルを代表する不朽の胸クソ映画『発情アニマル』。
その現代リメイク版『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』に、なんと続編が作られていたということで、今さらながら粛々と鑑賞。 いや、続編の存在は随分前から知っていたのですが、なんとなくもうこの手のヤツはいいかな・・という気持ちがね、無くもなかったというかね、反撃は観たいけど前フリ部分がしんどいというか・・・まぁ結局観ちゃうんですけども。

あらすじ・・・
NYで女優を目指すうら若き女性が、自分を凌辱した卑劣極まりない外国人男性にそれ相応のお返しをします。



スゲエよく出来てたコレー!

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こんなかわいらしい人が

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こうなって

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こう!

レイプリベンジ映画を「おもしろい」と言ってしまうことには躊躇いを感じてしまいます。
なぜならレイプはまったくもって「おもしろく」なんてないし、何の非もない女性が(もちろん女性だけでなく男性も)何者かの一方的な快楽のため体や心を踏みにじられ、ズタズタに引き裂かれるなんて、絶対にあってはならないことだと思うから。
だから本作のことも、「おもしろい」だなんてとても言えません。
おもしろくはない。
ただ、すごく、すごくよく出来ている!

大都会でカフェの店員をしながら女優を目指す美しい女性・ケイティ。
宣材用の写真が欲しいものの、プロのカメラマンを雇うお金がなかった彼女が、たまたま見かけたフリーの撮影サービスを利用するところから物語は始まります。
単身訪れたスタジオには、外国人らしき訛りの3兄弟。
ケイティに対し下心満載な目線をおくる三男と、撮影に関わる気ゼロの次男、そしてカメラマンの長男から、それぞれにものすごく失礼な態度をとられた彼女は撮影をキャンセルし、なんとか穏便かつ俊敏にその場から退散するのですが、時すでに遅し。
クズ野郎にロックオンされてしまったケイティは、ちょっとゴミを捨てに部屋を空けたほんの少しの間が命取りとなり、深夜スマホのシャッター音で目を覚ます羽目に・・・。

このあと延々、いや、ホントもうクドイぐらいの凌辱シーンが続いてゆくのですが、まずこのスタートがすごい!すごいイヤ!
防犯意識が決して低くないケイティが、何重にも鍵をつけ足したドアの、その内側で繰り広げられる醜くも残虐な行為。
何も自分を守ってくれない。 安全な場所などどこにもなかった。
家の外でヒドイ目に遭うのも相当イヤですが、自宅内で襲われる方がずっとずっとキツいですよね。
ほんでまた、すぐ襲うでもなく、寝ている自分の姿をじーっと見ているんですよ! ネットリしてる!なんかもう物凄くネットリしてる! 図々しいのか遠慮がちなのかどっちやねん!! っていうかどっちにせよイヤ!

その後、彼女の部屋の異変に気づきドアをこじ開けて助けに入ってくれた友人が三男の返り討ちに遭い憤死してしまったり、身勝手な本懐を遂げた三男が兄に泣きの電話を入れたり、悪知恵の働く兄が殺人の罪をケイティに擦り付けるべく偽装をはたらいたりなんかしてもう絶体絶命!というところで舞台は暗転。
大きな箱に入れられ、なにやら激しく揺れ動かされたケイティが目を覚ますと、そこは小汚い地下室でした。
そしてまたぞろ始まる下劣で醜悪な行為。

けっこうね、長いんですよね。 「第一幕・ケイティの部屋」「第二幕・謎の地下室」となるのですが、この第二幕が長いの。
で、もうそろそろ勘弁してくれ・・・ とわたしが音をあげるかあげないかという絶妙なタイミングで、ケイティが相手の隙を突き、なんとか地下室からの脱出を果たしてくれるのですが、半裸のような状態で街頭に飛び出したケイティの目に飛び込んでくるのは、全く見覚えのない文字の看板。
そう、なんと眠らされている間にケイティが連れてこられた場所は、アメリカから遠く離れた東欧の地・ブルガリア共和国だったのです!
そしてここから再度始まる「第三幕・ゆきて帰りし地下室」の陰惨なことといったら・・・!

そりゃね、反撃を際立たせるには前フリが凄惨であればあるほど効果的ですよ!
でもホントにクドいの! なんどもなんども絶望させられるの!ケイティが!
望みを抱きかけたら裏切られ、救われると思いきや見捨てられるという有り様で、ぜんぜん気が抜けないから、観ているこちらもめちゃくちゃ疲弊するの! 
この監督さんはわかってるわー!(いい意味とひどい意味の両方で)

拉致監禁からの脱出をありきたりな展開では終わらせないぞ、という気概の感じられるストーリー。
文字通り「体を張った」渾身の演技で、そんなストーリーに血の匂いと肉の重みを与えるジェマ・ダーレンダーさんがすばらしい。
レイプという、残酷な犯罪行為に対し、きっちり熨斗をつけてお返しする方法を選んだ女性と、想定を超えた全く別な方法を選んだ女性という真逆な二人を登場させることにより、観客はこの犯罪の恐ろしさと、その爪痕の計り知れない深さを、今一度見つめなおさせられるのではないかと思います。
やり返して終り。ではないのですよね。
命は助かっても、心は死んでしまう。 死んでしまうこともあるのです。
ホント、もっと重い処罰を与えられるべき犯罪だと思うなぁ。
以前も書きましたけど、わたしは性犯罪は殺人と同等に裁かれればいいと思いますね。 でなければ去勢でいいですよ。 ええ、極論ですよ。 気に入らない人は気に入ってくれなくていいです。

前作同様、「目には目を、歯には歯を」一直線な本作ですが、前作のようなスタイリッシュさもなければ「作家志望の女性が突然ピタゴラスイッチを作り出す」といった不自然さもありません。
前フリはとことん不快に描かれ、冒頭張られた伏線は後半工業系女子へと変ぼうを遂げることによりきちんと活かされます。
箱に入れられたぐらいで人一人がやすやすと空輸されてしまうという謎システムや、人権団体を名乗る女性がノーチェックで警察に信用されているという謎システムや、どれだけ大声を出しても誰にも通報されない地下廃墟という謎システムや、言葉が通じなかったはずのケイティが相手の罵り言葉だけは完璧に覚えて発音もバッチリになっているという謎システムなどなど、謎の多い物語ではあったのですが、もっとも大切な「ケイティが生まれ変わる過程」は疎かにされることなく丁寧に描かれており、わたしはとても胸を打たれました。
万力の正しい使い方もよかった! 弾けたのちにドロリと流れだすアレなんかもう、さいこうですね!殿方は直視できないかもだけど!

ラストシーン。 達成感のような、虚しさのような、新たな本能の目覚めのような、複雑な表情を浮かべるケイティですが、彼女の闘いはまだ終わっていません。
本国(アメリカ)に帰り、友人の死の真相を明らかにすることができてはじめて、彼女は「今までとは全く違ってしまった」人生を歩み直すこととなるのでしょう。 それはまた新たな、気の遠くなるような闘いのはじまりなのではないかと思います。

そう、やり返して終り、ではないのです。

無音の中、真っ暗闇に淡々と文字が浮かぶエンドクレジットを観ながら、内臓がズシリと重みを増すような、なんとも鬱々とした気持ちになったのでした。





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『エスケイプ・フロム・トゥモロー』

2015年04月13日
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「トゥモローからエスケイプする」だなんてタイトルだもんで、まさか「サザエさん症候群」みたいな映画じゃあるまいなぁ・・と思ってたらまさかのまさかでござった。


※ 以下ネタバレしています。



あらすじ・・・
さーて、今回のエスケイプ・フロム・トゥモローは?
平凡なアメリカのマイホームパパ・ジムです。 休暇を利用して家族で訪れたディズニーリゾート旅行も残すところあと一日。 明日のことなんて考えず、最終日もたっぷり楽しむぞ~!と意気込んでいたら、上司からのモーニングコールで思いっきり解雇されました。 寝耳に一斉放水です。 もちろん妻には言い出せません。 もう、明日なんてこなければいいのに! 
ということで今回は 「都市伝説は本当だった」 「出来れば妻以外も抱いてみたい」 「夢の国から出たくない」 の3本です!




■ 「都市伝説は本当だった」

「夢と著作権の王国ディズニーランド」で無許可撮影にチャレンジした意欲的な作品。という宣伝文句ばかりが目立っていたため、果たして内容の方はどうなっているんだ?といくばくかの不安を抱えつつ鑑賞に臨んだわたしだったのですが、いざ観てみたらなんつうか、すごくゲスくって、すごく憂鬱で、すごくディズニー愛が詰まっている怪作で、こりゃたしかにディズニーランド内でないと撮れないわなぁ・・と納得してしまったのでした。

一見相反しそうな、「ディズニー愛」と「ゲス」の結晶。 
それは何かというと、わたしたちにも馴染みの深い「ディズニーの都市伝説」でありまして。

かわいいトコロでは 
「カラス避けの謎電波が放出されている」 
というものから、ちょっとアダルティな 
「ディズニーの地下には会員制の秘密クラブがある」 
というもの、さらには 
「ディズニーでは臓器提供目的の児童誘拐が頻発している」
「スペ-スマウンテンの天井にはお札がビッシリ貼ってある」
「スモールワールドに幽霊が出た」 
といった物騒なものまで各種出回っているディズニーの都市伝説。
どうしてここまで、わんさかと伝説が湧き出るのか。
それは人々が「なんだかんだいってもディズニーランドは夢の国なのだ」と信じているからなのではないかと思うわけですよ。
「みんなが認める夢の国」だからこそ、その中におどろおどろしいものも潜んでいると言わずにはいられない。
たとえ夢の国でも、悪いことは起こるんじゃねーの、いや、起きてるんじゃねーの?というゲスい好奇心が、ディズニーの都市伝説の源なのではないか。

で、驚いたことに、どうやらこの手の都市伝説は本国アメリカにもバッチリ存在しているようで、本作には先ほど述べた都市伝説の一部がなんとそっくりそのまま登場します。 すごいよ都市伝説! やっぱ考えるこたぁみんな一緒なんだね!
その他にも、スモールワールドに幽霊は出ないものの、人形の中に怖い顔をしたヤツが混じっていたり、スペースマウンテンではなくビッグサンダー・マウンテンの方に死人が出たりと、日本でも流布しそうなネタが続々登場。
なお、オチに登場するネタは
「ストレスで精神崩壊したプリンセスの中の人がハグしていた幼女に鯖折りをお見舞いしたのち闇堕ちする」
というウルトラド級のネタです。 なるほど、ありそう・・・ ・・っていうかゴメン!さすがにこれは聞いたことない!
あと、
「現役プリンセスの正体は高級娼婦で、裏でアジアの富豪に抱かれている」
というネタも出てくるのですがなんかもう発想がおっさん! 

さまざまな都市伝説を本物のディズニーランド内で再現してみせた、というこの一点だけでも、その心意気やよし、と言いたくなりますし、ランディ・ムーア監督のディズニーに対する偏愛に胸が熱くなってしまいました。 オレはすきだよ、ランディのそういうとこ。


■ 「出来れば妻以外も抱いてみたい」 

ディズニーランドのような「夢と権利に厳しい国」の非現実的な甘さに浸れば浸る程、おのずと浮かんでくるのが現実への不満なのではないでしょうか。

そうでなくても「旅行中の夫婦喧嘩」というのは、犬が食わない一方弁護士のメシの種になりかねない危険なものですが、ここディズニーが舞台ですと、周りじゅうが浮かれまくっているだけに普段以上に些細なことが喧嘩のきっかけとなると思われます。 もはや魔法どころか黒魔術です。
本作の主人公・ジムとその妻エミリーもまた、まんまとその魔術にはまってしまい、これから入園しようというトコロでまずは子どものしつけを巡りひと悶着。
移動用のモノレールに乗れば、肌露出の多い同乗者のチャンネーを前に、鼻を伸ばしたり睨みをきかせたりで一触即発。
ランドに着けば、今度はアトラクションに乗る乗らないで子どもを交えピリピリムード。
思うような行動をとってくれない子どもへの苛立ちは、そのまま配偶者への不満へと変換され、徐々にお互いへの信頼感を失って行くジムとエミリー。
現実世界なら解決の糸口を探ろうとするところが、極彩色の立て看板とハッピーな音の洪水に思考を遮られ、「せっかくの旅行なのに」「たのしみにきたのに」というポジティブなプレッシャーで自分自身を追い込んでしまうことに。

「テンションあげなアカン」とばかりに妻にキスを迫るジムに、「子どもの前で何しとんねん」とばかりにマジ拒絶するエミリー。
「そういわんとダンスでもしようや」と手をつかもうとするジムに、「頭おかしいんとちゃうか」と冷やかな一瞥をくれるエミリー。
「こうなりゃ飲むしかない」と酒を浴びるジムと、最初こそたしなめようとするもバカバカしくなり完全に放棄するエミリー。
「テンションの差」という一言で片づけるには、あまりにあんまりな極寒地帯!
もうこの夫婦のヒリヒリとした空気感がすごい!
ぼんやりしてたら 「ブルーバレンタイン」並に削られるぞ!気をつけろ!


妻にとっては、毎日繰り返しているだけでごくごく当たり前になっている育児のマイルールが、ジムにとっては理不尽な命令としか感じられないとか、なにもここまでリアルに描かんでも・・・と戦慄してしまうような夫婦あるあるネタがギュっと詰められており、「きっとこれはこの旅行に限ったことではないのだ。そして数年前から既に、この夫婦にはズレが生じていたのだ。夜の営みの方もアレなのかもしれない。なんだったらジムはアッチの方の機能が(ry」というゲスパーまでも刺激してくれるのですが、もしやランディ・ムーア監督は過去にディズニーでイヤなことでもあったのでしょうか。
いいんだよランディ、オレに話してごらん。悪いようにはしないから。

ということで、家族に安らぎを見出せないジムは、必然的にそのリビドーを「パーク内で目についた女性相手の妄想」という形で放出させることに。 もうギャルから熟女まで手当たり次第の様相ですよ。
あのさ、ランディさ、ディズニーランドは夢の国だけど、そういう意味の「夢」じゃないからね!
いちいち射精やエレクチオンのイメージ挿入してくるのもね、「高く吹き上がる噴水」っていう抽象的なものならまだしも、「チェンネーがかぶりつくバナナ」とか、しまいには「白い物体でBUKKAKEプレイ」なんつう身も蓋もない描写になっちゃったりしてホント繰り返すようだけど発想がおっさん! ランディの愛読書は週刊現代か!


■ 「夢の国から出たくない」

都市伝説とリアルすぎる夫婦生活の危機を詰め込んだ本作ですが、それらをまとめる柱となっているのが「明日なんてこなけりゃいいのに」というサザエさん症候群、いや、ブルーマンデー症候群でありまして。
ただでさえ憂鬱な「休暇の最終日」に「解雇通告」が加わり、休みが終わらないどころか休みの終わりが見えないという究極の鬱状態陥ってしまうジム。
ジムが体験する都市伝説や、ジムが直面する夫婦の危機や、魅惑のチャンネールームのどこからどこまでが現実なのかわからないような作りになっているため、観ているわたしまでジムの戸惑いを強制的に共有させられます。
一部分だけが妄想なのか。 パーク内で起きたことが妄想なのか。 もしかしたら、冒頭モーニングコールを受けて以降のすべてがジムの妄想なのかもしれない。
夢とは決して美しいものでもたのしいばかりのものでもない。 不愉快な出来事が延々と続くのもまた夢なのですよね。
それでもジムは、その夢から出たくなく。 
なぜならどれだけ不快でも、どれだけ自分を傷つけても、しょせんそれは夢だから。 
現実ではないから。

物語の中盤、地下に設けられた秘密基地でのやりとりの中で、ディズニーランドはジムにとってずっと昔から特別な場所だったのだ、と思わせるシーンがありました。
ジムはディズニーランドを愛していた。 ジムにとってディズニーランドは文字通り「夢の国」だった。 
わたしは、旅行先にディズニーリゾートを選んだのもジムなんじゃないかと思うのですよ。
自分がたのしみたいがために来たジムと、子どもをたのしませるために来たエミリーが揉めるのは無理もありませんし、あれが妄想だったとしても、ジムの中に「オレはおまえよりもディズニー好き」という意識があったのならいろいろと頷けるのですよね。

妄想なのか現実なのかわからないまま、ジムは家族が眠る寝室の隣で毛玉を吐き、猫化して息絶えます。
ジムを回収に来た白いバンは、ジムがモーニングコールを受けていた時と日中ホテルに戻った時目にしていたのと同じ車で、助手席から降りてくる男がとる仕草も同じです。
男は仲間の作業員とともにジムの痕跡を丁寧に消し、ジムを見殺しにした息子の頭にたのしいアトラクションの記憶を植え付けます。
エミリーもまた、夫を失った悲しみに暮れていたものの、手に握ったスーベニアのベルを無意識に振り始める。
彼らに訪れた不幸が、みるみるうちに美しい思い出へと書き換えられてゆく。
この辺の、「ランドで死亡事故があっても特殊作業員が事故そのものをなかったことにする」というエピソードもまた、いかにも都市伝説っぽくていいですよね。 ランディは最後の最後までねじ込んでくるねー!強気だねー!

クライマックス、作業を終えたバンとすれ違うようにホテルにやってきた車から降り立つのは、秘密基地の中でジムが見た妄想の中の自分です。
ネズミの天敵・猫の姿で不本意な人生を終わらせた、つまり、ミッキーと自分にとっての「悪」を抱え込み一緒に排除したジムにもたらされるのは、永遠に終わらない夢なのでしょう。
ただし、今度は都合のいいことしかない癒しの夢。 
だいすきなディズニーランドと共にある夢。

おめでとうジム! おめでとうランディ!
本人たちにとっては最高のドリームズカムトゥルーだけど、観ているわたしにとっては「疲れをとりたくて寝たのにイヤな夢ばっか見て余計に疲れた」みたいな居心地の悪いひとときを与えてくれてありがとう! 


■ おまけ

・ だいたい、ディズニーランドが夢の国だなんて誰が決めたんだって話ですよね。 うちのいもうとちゃん(10歳)なんて、最初に乗った白雪姫のアトラクションが謎の「魔女ばあさん推し」だったせいで、そのあとはもうどのアトラクションも「やだ!こわい!」と完全拒否状態でしたからね。 まさしくリアルナイトメアですよ。 いまだに「もうディズニーランド行きたくない」と語るいもうとちゃんにとっては、ジムさんの妄想は現実なのかもしれません。 っていうか本編のしょっぱなにも同じ白雪姫のアトラクションが出てきてオラなんだかドキドキしたぞ!(こわがるポイントって万国共通なのでしょうね)

・ 結局シーメンス社の陰謀ってなんだったの。 ジムさんの妄想パワーが欲しかったのか、ジムさんの息子が狙いだったのか全くわからん。その割にはさらわれたの娘でしたし。 なんや、辻褄合わせる気ゼロか。 ぜんぶ妄想ってことで乗り切る気満々か。

・ シーメンス社の担当者が、ジムさんの妄想パワーをこともあろうにウォルト・ディズニーと並べて絶賛するシーンもすごいですよね。 だって、ジムさんの妄想ってことはつまり、ランディの妄想ってことですよ。 遠まわしにランディはウォルト・ディズニーと同じレベルだって言っちゃってるんですよ。 これほどまでに壮大な自画自賛がかつてあっただろうか!いや、ない!

・ あんなに愉快なアトラクションの数々が、その色調をモノクロに変換されただけで、ここまでたのしくなさそうな乗り物になるとは予想外でした。 こんなつまらなそうなハニーハント見たことないもん! なにあのハリボテ感! 返せ!オレのハッピーな刷り込みを返せ!

・ 詰め込みすぎてごちゃごちゃしてしまった感もありますが、悪夢ってそういうもんだろ?という気もしますし、ザックリでしたが本場のディズニーの雰囲気も味わえて、わたしはたのしく鑑賞しましたよ。 

・ 最後のシーンをティンカーベルが飾ることから、ジムは彼だけの「ネバーランド」に辿り着いたのだろうなぁと思いました。 「救いがないのが救い」みたいなオチですが、これはこれでアリなのではないでしょうか。 まぁもうジムにはすきにしてもらうとして、奥さんと子どもさんたちには幸せになって頂きたいものですねぇ。




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