ブログパーツ

『LIFE!』

2015年02月26日
268196cf84349d47ea8f217723cf2a54.jpg



映画監督としてもハズレ作品のないベン・スティラーさんが、オレ祭りを開催しました。 
目立たないけど才能あるオレ! 
意外と人望厚いオレ! 
女性からもウケのいいオレ! 
行く先々で熱烈歓迎されるオレ! 
通りすがりのおじさんすら命がけで助けずにはいられなくなるオレ! 
スケボーの腕もイケてるオレ! 大自然に映えるオレ! リストラされても結局一目置かれるオレ! なんかもう、むせ返らんばかりのオレ!オレ!オレ!
ところがどっこい、ぜんぜん嫌味に感じないのがすごい! そう、なぜならわたしもまた、ベンに首ったけだから!

ということで、ただ立っているだけで全身から「人のよさ」みたいなオーラがにじみ出てしまう愛され俳優・ベン・スティラーさんが、その個性を最大限に活かして作った『ウォルター・ミティ氏の隠されたる人生』を観たのですが、世帯主である父親を若くして失い、そのかわりに家族を養うため自分の夢を諦めた男が、人生の中盤に差し掛かり、誰かのためではない人生を歩み始めるという、清く正しく美しいお話でしたので、ホントもうどこにも文句のつけどころなんてなかったですよね。
ストーリーも映像も音楽も、超センスいいですし。
現実世界でも映画の中でも、ベンは愛されているんだなぁ・・・と、疑念を抱く余地など見当たらない。 
ホント愛されてる・・・  
愛されて・・・ ・・ 
・・・愛されて・・る・・・? (ガバッ)(心のおひつが開いた音)

ちょっとまってくれよ!人生うんぬんという表のストーリーはさておき、もうこんなもん、どっからどうみても「ショーン・ペンがベンステに捧げた16年愛」の物語じゃねえですか! 違わねえ!何も違わねえぞ!

劇中次から次へと登場する、ベンステに愛を注がずにはいられなくなる人々。 なかでも最も熱のこもった視線を送り続けるのが、誰あろう「世界的フォトグラファー」のショーン・ペン氏でありまして。
ライフ誌の写真部責任者といちカメラマンという事務的な関係でスタートした2人の16年間。
しかし、その初めての対面の瞬間から、ペン氏のベンステに対する想いは既に始まっていたのですよね・・・!
ビジネスの垣根を越え、自分の魂とも言える「写真のネガ」を託す相手として、ベンステに全幅の信頼を寄せていたペン氏。
劇中描かれるエピソードは極めて少量ですが、わたしには言葉にしていただかなくてもわかります。ええ、わかりますとも。ペン氏の中で、ベンステの存在がどれほど大きなものになっていたか、ってことはね。

ゆくゆくのことを考え、ベンステのお母さんにもベンステの留守を狙ってしっかりご挨拶済みのペン氏。
たぶん日常的に盗撮という名の密着撮影を行っていたであろうペン氏。
ベンステが職を失うと聞けば長年の労をねぎらいプレゼントを用意するペン氏。
その中には、サプライズ演出のタネもしっかり仕込んでおく抜け目のなさだよペン氏。
しかも、サプライズの発表の場はというと、こともあろうに世界中で愛されている超有名雑誌の最終号の表紙。
なんだったらジャーナリズム史に残り続けるんじゃないかという程の、めちゃくちゃハードな依頼に応えて、「写真家人生最高傑作」として用意したその写真こそ、何を隠そうベンステの隠し撮り写真だったという・・・
 
・・・オレは今、「雑誌の私物化」とか「公私混同」とかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ・・もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・! っていうかおそろしく肝の座ったストーカーだな!ベン逃げてー!

ということで、どうにもこうにも白飯をよそう手がとまらない、非常に濃密なストーk・・じゃなかった愛情物語だった本作。
あまりにも美しすぎる物語なので、お伽噺をみているような現実感のなさを感じてしまう部分も多々ありましたが、決して甘いだけでも美しいばかりでもないほろ苦い人生には、こういう毒っ気のない、いっぷくの清涼剤のような映画も必要かなぁという気がしないでもないので、時々観返して滋養を得たいものですね。
ただし、関西出身のお笑い芸人さんが声を当てた吹き替え版の方は、ただの1シーンであろうともうっかり観てしまおうものなら全身に毒がまわり、その場で体力・精神力共にガリガリ削られる恐れがありますので、今後とも摂取しないよう全力で気をつけて行きたいと思います。





     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

『ウエスト・オブ・メンフィス 自由への闘い』

2015年02月09日
west_of_memphis_xxlg.jpg


確かに「悪魔」はいた。 
彼らの目の前に。わたしの目の前に。


川の中から3人の少年の遺体が見つかったのは、1993年のことでした。
アメリカはアーカンソー州の小さな町。 学校から帰った子どもたちが自由を満喫するおだやかな夕暮れ。
遊びに出かけたまま帰らなかった8歳の子どもたちは、翌日無残な姿で発見されます。
衣類ははがされ、手足は縛られ、体中に無数の傷。 性器は切り取られていました。
しかし、怒りと哀しみと恐怖に打ち震える地域住民の胸は、ほどなくして、安堵の吐息で満たされることになります。
悪魔信仰のあるという不良少年グループが捕まったからです。
彼らの犯行を裏付ける、数々の証言。
仲間の1人による自白。
自宅裏から発見された凶器。
疑わしき点は何もなく、この非道で無慈悲な犯人たちは生涯を檻の中で過ごすことを言い渡されました。
遺族たちは哀しみをこらえ、新しい人生を歩もうと心に決めた。
不良少年を顧みる者はいなかった。
少しの人々を除いては。

のちに「WM3(ウェスト・メンフィス3)」と呼ばれることとなる容疑者少年たちが巻き込まれたこの事件は、日本のテレビ番組でも扱われたことがあり、わたしもそれを見てあらまし程度は知っていたつもりだったのですが、しかしここまで、これほどまでに恐ろしい事件だったとは想像もしていませんでした。

あまりにもむごたらしい姿で発見された8歳の子どもたち。
「普通」の殺人事件ですら理解が難しいのに、か弱い者たちをここまで痛めつける神経などもはや理解不可能。
もしかしたら、捜査にあたった警官や刑事たちはそう思ったのかもしれません。
これはきっと、カルト的な何かが絡んでいるに違いない。 そうでないとやりきれない。
つらい気持ちを「悪魔」という問答無用で邪悪な存在に丸投げするのは、今に始まったことではありませんし、気持ちはわからないでもない。
だけれど、それは結局、目の前の事件に対し思考停止して、自分たちが果たすべき責任から逃げているだけなのですよね。


たしかに「悪魔」はそこにいました。 何人もいました。
「悪魔」の名前は「無責任」といいました。


たとえば、何から調べればいいかわからなかった警察がお知恵を拝借しにいった保護観察官。
「保護観察中の若者のなかで、いかにもカルト的な行為を犯しそうなヤツを教えてください」と聞かれた観察官は、「それならダミアンだな」と、ある若者の名前を告げます。
WM3のうちのひとり、ダミアン・エコールズです。
観察官に強い確信があったわけではありません。 聞かれたから答えただけ。 それにほら、保護観察中だし。 不良だし。
自分の無責任なひと言が、ひとりの人間を死刑台に向かわせるかもしれないという自覚が、はたして彼にあったのでしょうか。

たとえば、検視担当官として法廷に立ったペレッティ博士。
博士は、性器は故意に切り取られたものとの見解を自信をもって述べ、体についた傷とジェイソンの自宅裏から発見されたサバイバルナイフの形状は一致すると断言します。
WM3のうちのひとり、ジェイソン・ボールドウィンです。
しかし、ペレッティ博士の証言は、彼自身が「マブダチ」と語る法医学の権威によってあっさり否定されます。
性器の損傷は、遺体が放置されていた川で繁殖しているカミツキガメやワニガメなどの動物によるもの。 体に残る傷も死亡後についたものなので、悪魔信仰による儀式的な行為とは考えられない。etc・・etc・・
自分の無責任な証言が、ひとりの人間の人生を奪ってしまうかもしれないという自覚が、はたして博士にあったのでしょうか。 っていうか、そもそも一人前の検視出来るの?なんか試験何回も落ちてるって言ってたけどだいじょうぶなの?ペレッティはモノホンのドクターなの?

たとえば、事件を担当したウェスト・メンフィス署のゲイリー・ギッチェル警部。
不良少年の取調べを担当したギッチェル警部は、巧みな話術で容疑者少年を懐柔し、犯行の一部始終を聞き出します。
WM3のうちのひとり、ジェシー・ミスケリーJr.です。
ジェシー自身に非行歴があったわけではなかったものの、ジェイソンたちとつるんでいたという理由で芋づる式に逮捕されたジェシーには、知的障害がありました。
ギッチェル警部はそれを承知の上で、ジェシーから「自分が望む」答えを引き出していきます。
「犯行時刻は?もうちょっと遅くなかった?何で殴った?棒じゃない?こんな感じの木の棒だったんじゃない?ダミアンは悪魔に心酔してたでしょ?性的暴行もしたよね?」
その音声が残っている以上、誘導尋問があったのは疑いようのない事実なのに、というか後々そこ突っ込まれても何の言い訳の出来ないだろうに、ギッチェル警部は「巧みな話術」をやめようとは思わなかった。
自分の無責任な捜査が、ひとりの人間の未来を奪ってしまうかもしれないという自覚が、果たして彼にあったのでしょうか。

ダミアンから悪魔集会に誘われたことがある、と声を震わせ証言しておきながら、10数年後に「あれはウソだ」と涙ながらに撤回する主婦。
ダミアンは「少年の性器を切断して生き血を啜った」と自慢していた、と自信満々に証言しておきながら、10数年後に「あの頃はヤクとかやってたし自分でもなんであんなこと言ったのかよくわかんない」とシレっと撤回する少年収容所の少年。
自分の甥っ子が被害者であるにも関わらず、自分の兄(子どもの義父)に疑いの目が向けられた途端、事件に対し「道路のスピード防止帯にぶつかった程度のこと」と吐き捨てる叔母。
どれだけ警察のずさんな捜査があきらかになろうと、アーカンソー州には何の落ち度もないと言い切る次席検事。

悪魔がいるというならば、彼らこそが悪魔なのではないでしょうか。
彼らの中に巣食う、「自分以外の人間が殺されようと死刑になろうと、自分には関係ないから」という気持ちこそが、悪魔なのではないでしょうか。
なんと無情で、なんと身近な悪魔なのか・・・!

しかし、世の中には悪魔がいる一方で天使もいた。
WM3を牢獄から救い出した守護天使たち。 それは事件に疑念を抱いた映像作家であり、その作品を観た観客であり、レッテル貼りや弱い者いじめを心底憎む有名映画監督(ピーター・ジャクソン!)であり、目の前に差し出されたものをただただ無邪気に信じることをしない、思慮深い人々でした。

WM3にかけられた疑惑は、きちんとした解析や分析を経てあっという間に晴らされてゆき、決定的とも言える「現場に残されたDNAの相違」も明らかとなります。
もはやWM3が真犯人でないことは明明白白。
そこで、多くの支援者たちはWM3の釈放を訴えますが、アーカンソー州はとりつく島もなくそれを却下。
「新しい証拠など知らない。」 「過去の裁判がすべて。」 「いまさら事実もクソもない。」 「あーあー聞こえない聞こえない。」
この期に及んで、まったく自分たちの捜査や言動を省みようとしない「正義の番人」たちの愚劣さに、眩暈すら覚えました。

過去の過ちを認めてしまうと、WM3が奪われた20年近い期間になんらかの補償をしなければならないから?
ただの過ちどころか、証拠の捏造や違法捜査がバレたら告訴待ったなしだから?
あれだけイキって逮捕したのにプライド丸潰れだから?
・・なんかこれ、聞いたことあるよ! 聞いたり見たりしたことある! 自白の強要とか冤罪とか誤認逮捕とか捏造とか、そういうの突き付けられてもいけしゃあしゃあとしてるおまわりさん、テレビで見たことあるわ! 昔の話じゃなく現在進行形で見かけるわ!

遅々として進まない釈放要求。 いつ死刑を執行されるかわからないダミアンの健康状態の悪化。
苦悩の末、WM3と支援者たちは、頑として過ちを認めようとしないアーカンソー州と司法取引を交わすことを決めました。
「アルフォード・プリー」と呼ばれるそれは、「あくまで無実を訴える一方有罪であることも認める」という、とても奇妙で、とても残酷な取引。
2011年、WM3は縛めを解かれ自由の身になりました。
しかし彼らは無罪放免になったわけではないのです。 
「アルフォード・プリー」により、彼らは法の上で「有罪」になったのです。
これはただ単に、WM3はさぞかし無念であろうなぁというだけの話ではないのですよね。
8歳の少年たちを殺したのは誰なのか、という一番大切な部分が、一生闇に葬り去られてしまうことをも意味しているのですよ。 
なんなんだろうこの・・・ ホントに・・・ 正義って何かね。


当時、予審判事として事件を担当し、現在アーカンソー州の上院議員を務めているデヴィッド・バーネットは、事件を振り返りこう語ります。
「あの事件に関わらなければ人生は楽だった。 18年もあの事件に振り回されたんだ、わたしの判決に不満を持つ人たちから文句を言われながらね。 たまたまわたしが担当しただけだったのに。」
たまたま担当しただけ。
振り回された。
関わらなければ楽だった。
なるほど、そうなのでしょうね。 それぐらいの気持ちでなければ、子どもたちが無残に殺され、何の罪もない少年たちが人生の最も輝ける時期を奪われても良心の呵責を感じずにいられるわけないでしょうね。 
真摯に事件と向き合って、正しいことを追及しようという気が少しでもあったなら、今頃は無為に過ぎ去った時間を思って、激しく自分を責めているでしょうから。

わたしたちには、むやみに他人の私生活を嗅ぎまわり、証拠を集め、疑わしき相手を勝手に調べ上げる権限もなければ、私的に加害者を裁く権限もありません。
だからこそ、それをすることを許された、それをするために組織された行政機関や司法機関が、真実を追求する手を緩めるようなことがあってはならないはずなのです。
先入観を捨て、偏見を除外し、プライドにとらわれず、めんどくさがらずに、小さなことからこつこつと、公正な捜査と公平な裁きを下してもらわなければならないのですよお願いしますよマジで。
もちろん、アメリカだけではなく、日本を含めたすべての国で。


148分という長編ですが、支援者たちが事件の真相に迫ってゆくさまはテンポよく緊張感にも満ち、問答無用でぐいぐいひきこまれてしまいます。
ダミアンの無実を信じる女性、ジェイソンの心の支えとなる友人、ジェシーの帰りを待ち続ける父親、彼らの苦しみによりそい、正義を果たそうと団結する人々の姿はとても力強く、あまりに悲惨な結末でしたが、少しだけ救いを感じ取ることができました。
ただ、ドキュメンタリーですし、検視の結果を再検証するという内容である以上仕方ないのかもしれませんが、被害男児たちの遺体写真が何度も(しかも結構エグいものまで)映し出されるのがわたしにはつらすぎて、画面を直視できませんでした。 あそこまでばっちり映さなくてもいいんじゃないの。 どうなのPJ。

あと、すごいなぁと思ったのですけども、「ほぼ間違いなく彼に違いないっていうか彼以外考えられない」ぐらいの勢いで最有力容疑者認定された男性が、顔出し&実名でばんばん登場しているのですよねコレが。
遺族の中のひとり(義父)なのですが、PJも名指し、弁護士も名指し、出てくるみんなが名指しで「彼がやったんだよ!」と断言し、その説にのっとった取材を敢行していて、確かに、彼が真犯人であるという説はめちゃくちゃ信憑性もあるのですが、ホントにこれだいじょうぶなの?と思わずにはいられませんでした。

WM3も、その次に疑われていた別の義父も、本作で名指しされ現在最も疑われている義父も、誰に関しても直接的な証拠はありません。 彼らに共通しているのは、「いかにもやりそう」という印象だけ。
いや、最有力容疑者の義父に対してだけは、わたしも「いかにも」の範疇を越えていると言わずにはいられません。
なぜなら、20年近く経って関係者の口から語られたのは、吐き気がするほどおぞましい、義父の過去だったから。
元妻に対しDVをしていたという事実。
カっとなった末に元妻の親族に発砲したことがあるという事実。
隣家の女性を相手に暴行未遂事件を起こし訴えられたことがあるという事実。
被害男児を虐待していたという事実。
被害男児の妹にも長期間に渡り、性的虐待を行っていたという事実。
事件当日の行動に疑問を抱く友人を、逆に共犯者として脅していたという事実。
被害男児の靴紐からは彼のDNAが検出され、アリバイがないことが明らかとなり、どう考えても不自然な行動も目立つ。
もう彼以外考えられない。 わたしもそう思います。
しかし、彼が殺したという証拠は何もないのです。 それ以外の罪だけでも一生監獄に閉じ込めておきたいぐらいの気持ちですが、この事件に関する証拠は何もない。

警察が初動捜査をきちんとしてさえいれば。
警部が思い込みに縛られずにいれば。
自分たちの考えに反する証言にも目を向けていれば。
「こえー!地域のみんなもヒステリックになってるー!やべー!よっしここはひとつカルト的なアレってことで!」と責任を放棄しなければ、真犯人を裁くことも出来たはずなのに。
悔しいし、虚しいし、本当に腹立たしいです。

「いかにもやりそう」が実際の犯人に結び付くこともあるでしょう。 そうでない場合と同じだけある。
疑念の余地なく真犯人です!と名指しする本作の勢いに不安を感じると共に、今となってはそれを裏付けることなどできないのだ、というもどかしさに胸が詰まりました。

残念なことに、本作は劇場未公開でソフト化もされていないようなのですが、アマゾンでダウンロード版の購入なんぞが出来るそうですので、もし興味をお持ちの方はご覧になってみてはいかがでしょうか。 






     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 | HOME | 

※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。