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隣の家の陽子。 「絶叫」読感

2014年10月28日
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あらすじ・・・
単身者用マンションの一室で発見された、「ひとりの女性」の残骸。
猫に食われ、肉の破片と汚物と骨だけを残しながらひっそりと朽ち果てた女は、どのように生まれ、どのように死んでいったのか・・・。



というわけで、みんな待ってた葉真中顕さんの新作長編「絶叫」を読みましたよ!
読み始める前からネット上に散見されていた絶賛の声に、なんとなく気構えてしまいながら開いたページが、まぁ飛んでゆく飛んでゆく!
522ページ目に綴られた最後の言葉が目に入った時、時計の針は表紙をめくった時から3時間が経過しており、わたしは、「鈴木陽子」というひとりの女性が経てきた「不幸を大鍋でぐつぐつ湯がいてとった煮汁」のような壮絶な味の半生を飲み乾したことへの、なんともいえない達成感と、それに見合わないほどあっけなく過ぎていた現実世界での時間への、「え?あんなに濃い経験したのにまだこんな時間?」という不可思議さに脱力してしまっていました。

つまり何が言いたいかと言うと、一度読み始めると時間が経つのを忘れるほどのめり込んじゃうよ!ということです!

1973年10月21日に生まれた陽子が歩んできた半生、それは、1973年1月に生まれたわたしが見てきたのとほとんど同じ40年間でした。
当たり前のように家を守る「弱い」母親、7人の敵と戦う「強い」父親、今よりもずっとおおらかだったテレビ放送、今よりもずっとでたらめだった環境意識。
そんな中に生まれたわたしたちは、今では信じられない程窮屈で、驚くほど奔放な文化を享受しながら育ってきました。
特別あたまが良くなくても、なんとかなった時代。
取り立てて才能がなくても、どこかに拾われていた時代。
ぶくぶくと膨れた泡が目の前ではじけ、未曽有の大災害を経験し、狂信者たちが起こした非道な犯罪を目の当たりにし、「なにかがおかしい」「どこかがおかしい」と感じながらも、なんとなく生きてきた40年間。 
生きてこられた40年間。

陽子の物語に登場する世俗・風俗のなにもかもをわたしは知っていて、そのすべてに直結した記憶を持っていて、しかし、陽子の目に映った風景とわたしのそれは、あまりにも異なっていました。
あの事件、あの騒動、あの渦中に、自分はどんな恋をし、何に夢中になっていたかという感傷が呼び起されると同時に、目の前のページの中で真っ暗な社会の深部へと沈み込んでゆく陽子の姿にえもいわれぬ申し訳なさを感じてしまった。
申し訳なさと、すこしのもどかしさを。
そう、正直に言いますが、わたしは陽子に苛立っていたのです。

確かに陽子の生い立ちは不幸でした。  けれど、いくつかのターニングポイントもあったはず。
どうして陽子はあえてこの道に進んでしまったのか?
なぜ陽子はもっと別の側面を見ようとしなかったのか?
わたしは、川面を滑ってゆくひとひらの花弁のように、あっちの友人こっちの知り合い、果ては初対面の人物にすら流れ流されてゆく陽子に対し、「なにやっとんじゃい・・・!」というもどかしさを感じていました。

不幸のつるべうちとも言える陽子の半生。
しかしそれは、決して珍しいものではなく、意外とありがちで、実はありふれた不幸なのではないかと思うのですよね。(後半に出てくる「不幸」はちょっと度を超えた不幸でしたけども)
「幸せ」のラインをどこに引くかで、当然ながら「不幸」のラインも決まってしまう。
温かい家族に包まれ、惜しみない抱擁と愛情を注がれれば幸せなのか。
充分な愛情はなくても、ふた親とも揃っていれば幸せなのか。
片親でも、住む家があって温かい布団で眠ることができれば幸せなのか。
借家の三畳一間でも、とにかく三食食べられるだけで幸せなのか。
なにはともかく、命があるだけで幸せなのか。

たとえ取り巻く環境や条件が似通っていても、誰かは「幸せ」だったと感じ、別の誰かは「不幸」と受け取るもの、それが人生。
陽子が選んだのは、後者でした。
もっと言えば、陽子の両親が選んだのが、まさに後者だった。
もともと与えられなかった陽子とは違い、手元に既に「幸せ」があったにも関わらず、そこには見向きもせず貪欲に「ないものねだり」を重ねてきた陽子の両親は、きっとどんな幸運に恵まれても満足しなかったのではないでしょうか。
陽子の一番の不幸は、そんな大人たちのもとで育ったことなのかもしれませんし、だからこそ、彼女は後者を選ぶしかなかったのかもしれない・・・。

わたしの中の苛立ちは、いつしか「自分の考え方だけを物差しにしていた」自分自身への苛立ちへと変わっていました。
そして、ある恐ろしい事実に気づき、ハッと背筋に冷たいものを感じたのです。
世の中にいるたくさんの「陽子」を追い込もうとする、「自分とは違う」ことを「甘え」とか「軟弱」とか「ズルさ」という言葉で責めたてる人たちと同じ場所に、自分が足を踏み入れそうになっていたという事実に。

陽子はわたしじゃない。 近いようで遠い、隣の家の知らない子です。 
その家で起こっていることを知ろうとするのか、彼らにも非がない訳じゃないから、と見て見ぬふりをするのか。
わたしたちの選択は、いずれ巡り巡って自らの人生を左右するかもしれない。
なぜなら関係無くなどないから。
すべてはつながっているのだから。

本作には陽子以外にも「不幸」な環境で流れ流されて生きてきた「かわいそう」な人たちが登場し、仲間内で食ったり食われたりしてゆくのですが、その様子は無情を通り越して滑稽と思えるほど。
そして後半、彼らの中で誰よりも「食われる」立場にいたはずの陽子が、桁違いの「無情」に直面したことで悟りの境地に達する場面は、爽快さと不気味さで心が粟立つこと請け合いです。
専門家ではないのでわかりませんけど、シリアルキラーとかサイコパスの心理って、もしかしてこういう感じなのかなぁ・・とゾワワっとなりました。
よ・・陽子さん・・・ 悟るならもっと別の方向でお願いしたかった・・・! 無理か・・無理なのか・・

不幸、ふこう、フコー、とFUKOゲージが満タンになりそうな半生に対し、陽子が選んだ幕引きの方法。
「弱さ」を「強さ」に変えたように見える彼女の凛とした眼差しは、晴れ晴れとしたようにもみえ、また、とてつもなく憐れにもみえました。

秋の夜長におすすめの、珠玉の一冊です。
ぜひ!

・・・ところで、作中陽子が読んでいた「生まれ変わりをテーマにした」少女漫画が気になって仕方なかったのですが、瞬時に浮かんだのは「ときめきトゥナイト」だったものの、世代的には「ぼくの地球を守って」かもしれないし、のんきに読んでる感じだったので前者の方が可能性高い気もしたりして、そこんとこどうなんでしょうね!  ・・・っていう同世代ならではの楽しみ方も出来ますので、40代前後の方もぜひ!





(※ 以下ネタバレを含む感想)


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『ビフォア・ミッドナイト』 (シリーズ3作目)

2014年10月13日
前作の感想  『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』 (1作目)
          『ビフォア・サンセット』 (2作目)


ミッドナイト

■今回のセリーヌさん
ジュリー3_convert_20141010233429
熟れたてフレッシュ!キュア・デルピー指数・・・8
育児疲れ指数・・・9
躁鬱指数   ・・・9
聞き上手指数・・・1

■今回のジェシーさん
イーサン3_convert_20141010233416
大物指数     ・・・8
枯れメン指数  ・・・9
息子大好き指数・・・10
Mっ気指数   ・・・100
ばかチ〇コ指数・・・10

■今回のかわいそうな人
「セリーヌさんとジェシーさんに久しぶりの夫婦水入らずな時間をプレゼントするためオシャレなリゾートホテルを予約してあげたのに、キレモードに入ったセリーヌさんから使えないゴミクズ呼ばわれしてしまう友人夫婦」

■今回の観光地
「ギリシャ」

あらすじ・・・
パリでの運命の再会から9年後、かわいい双子も授かり、セリーヌと仲睦まじい生活を送っていたジェシーが、元妻とのいさかいやアメリカで離れて暮らす息子に対する想いから激しい口論となり、険悪な雰囲気の中深夜のホテルで殺伐とした数時間を一緒に過ごします。

・ わしはこんなセリーヌとジェシー、みとうはなかった!

・ 含みを持たせた前作のラスト、その続きもばっちり小説に書いていたジェシー。 どうやら運転手さんは完全放置で帰国を取りやめ、そのあとセリーヌさんと滅茶苦茶〇〇〇〇したそうです。 そんな生臭い話、聞きとうはなかった!

・ 若い頃熱病に浮かされたように夢中になっていた恋も、年月や生活環境の変化でいかようにも変わるもの。 というわけで、ご多分に漏れず本シリーズのカップルも最近いささかギクシャクしている模様。

・ とはいえ、とげとげしいのはもっぱらセリーヌさんの方で、ジェシーさんは出会った当初とほぼ同じ情熱でセリーヌさんの乳に吸い付きます。

・ そう、今回なんとシリーズ初のおっぱいが登場! 40歳という年齢に見合った、とことん重力に従順なおっぱいです!わかるわー垂れるほど乳ないけどわかるわー

・ それはさておき、とにかく本作はおっぱい以外の部分もリアリティ重視で突き進もうとしたのか、大辞林の「略奪愛のなれの果て」の項に載っていそうな激しい責任のなすり合いが展開されます。 もうやめて!マジでしんどいからやめて!

・ ジェシーの元妻に親の仇のごとく憎まれているセリーヌさん。 それもそのはず、どうやら過去に一度ガチンコ対決しているようなのですが、なんでそこ勝てると思ったの? 我が強いの? 元来のSっ気が火を噴いたの?

・ で、ジェシーさんは許してもらえているかと言うと、もちろんそんなことはないわけで、息子の親権を持つ元妻とまともに話も出来ない有り様。 じゃあ弁護士を通せばいいじゃんって言っても、その弁護士ともそりが合わないので息子を引き取ることについての交渉は一向に進みません。 どっちかが・・っていうか、ここはジェシーさんがひたすら頭を下げるしかないんじゃないのか。 大人になれ!ジェシー!

・ 【続報】自称・永遠の少年なのでなりません。

・ 本当は息子と一緒に暮らしたいジェシーさん。 そのためにはアメリカへ移り住まなければならない。 一方セリーヌさんはというとフランスで大きな仕事を抱えている。 まだ幼い双子だっていきなりアメリカになど連れて行けない。 どこまで行っても折衷案が見出せないふたり。

・ 結果、盛大なケンカの幕が切って落とされるに至るのですが、「感情的になり、なんでもかんでも被害者意識まる出しでキレまくる」セリーヌさんと、「理論的に話しているようで、実は具体的な代替案を全く出さずやる気元気いわきだけで乗り切ろうとしている」ジェシーさんの会話がうまくかみ合うわけもなく、こんなもん映画で見せられてもしんどいわ・・・とげんなりしてしまうような痴話げんかが延々繰り広げられることに。

・ もともとがフランスとアメリカという文化も価値観も全く異なる土地に住んでいたふたりで、しかもジェシーの方はアメリカに息子を残していることもわかった上で始めた共同生活なのだから、のちのち揉めるであろうことも想像は出来た筈なのに、どうして「絶対にゆずれない闘いがここにある・・・!」みたいな戦闘態勢なのか、セリーヌよ。 もうちょっと歩み寄ろうよ。 あと、もうちょっと人の話聞こうよ。

・ ジェシーもさぁ、セリーヌのことがどうしても忘れられず、再会を期待して小説に書く程だったんなら、身近な女性を簡単に孕ませないようにしようよ!  このばかチ〇コ!

・ 結局、かわいそうなのは子どもなんですよね。 略奪愛でも初恋でも何でも結構ですけど、大人の都合に振り回されて、父親と母親がいがみ合ったり憎み合ったりするもんだから板挟みにもなって、自然と気をつかうようになってしまう子どもの気持ちも考えてあげて欲しいもんですよ。 

・ ジェシーさんはとにかく一度、小学生みたいに好きだのキライだのと言ってないで、元妻の弁護士さんと真面目に話し合う方がいいのではないしょうか。 それと、息子さんの本当の気持ちもね、確認しないといけませんよね。 どうして毎回息子さんは、父ではなくセリーヌさんに電話をかけてくるのか。 秘密の打ち明け話も、セリーヌさんだけに聞かせたのか。 「息子には父親が必要なんだ」って言っているけど、ただ単にジェシーさんが息子を都合よく可愛がりたいだけなのではないのか。 そこんとこ見つめなおした方がいいと思いますよ。

・ とまぁ、散々悪しざまに書いてきましたが、今回は本シリーズを完結させるつもりだったのか、1作目のエピソードをうまく伏線のように活かしている部分がありまして、そこはとてもよかったと思いますねぇ。

・ 1作目。 列車で一目ぼれしたセリーヌさんに、ウィーンでの途中下車を持ち掛けたジェシーさん。 彼は彼女に「これは未来から現在へのタイムトラベルなんだ」と語りかけました。

・ 「10年、20年後、きみは結婚しているだろう。しかし結婚生活はかつての情熱を失い、きみは夫を責めたてながら、過去に出会ったぼくのことを思い出す。 もしもあの時、夫ではなく、ぼくと結婚していたら・・・。 そして、未来からやってきたきみは今日ぼくと列車を降り、何も間違っていなかったと安心するんだ。 だってぼくも、きみの夫と同じ退屈な男だから。 きみはほっと胸をなでおろし、きみの夫に満足する。どうだい?」

・ 18年後のこの日、ジェシーさんと結ばれたものの情熱を失いかけ、激しく彼を責めたてていたセリーヌさんの前に、再び未来から現在へのタイムトラベラーが現れます。 ただし今回旅してきたのはジェシーさん。 彼はセリーヌさんに「82歳になったきみからのメッセージを届けに来た」と語りかけます。

・ 「こんにちは、セリーヌ。お元気ですか? わたしはとても幸せな人生を過ごしてきました。 今日この若者をあなたのもとへ送り出したのは、彼を救ってほしいからです。 彼はさまざまな困難と闘い続けてきました。 そして今、最愛の人を苦しめ、自分も苦しんでいます。 彼を救えるのはあなただけです。」

・ ウィーンで過ごした男性は、ちっとも退屈な男ではなかった。 だから彼女は、苦難を覚悟してでも彼と歩む道を選んだ。 そしてそれは、間違いではない筈。 たとえどんな人と一緒になろうと、全てうまくいくなんてありえないし、若い頃と変わらぬ情熱を持ち続けることも不可能に近い。 でも、自分がそう願えば、そうあろうと努力すれば、消えてしまうことはない。 ウィーンで迎えた朝が永遠であるように。

・ 夫婦なんて所詮他人同士。 意見が分かれることもあるし、八つ当たりしたくなることもあります。 時には本気で我慢ならないことも。 でも、愛はいつだって完璧ではないけれど、お互いを失いたくないという揺るぎない想いさえあれば、本物の愛へと育てて行けるのかもしれないなぁ、と思いました。 でこぼこだらけの未熟な愛でもいいじゃない。 長い時間をかけて熟成してゆけばいいじゃない。 

・ ジェシーさん渾身の説得にセリーヌさんが落ち着きとウォーンの朝を取り戻し、ひとつの困難を乗り越え歩み寄ろうとするラストシーンは、そこに至るまでの「ジェシーはさっさと別れた方がいいんじゃねえの!」というネガティブ思考を吹き飛ばしてくれる、とても心和むシーンでした。  ごめんセリーヌさん!観ている間100回ぐらい「めんどくせー女だな!」って画面に向かって毒づいちゃったけど、ごめん! 

・ で、実は本作には見事に超熟した夫婦のエピソードなんかも盛り込まれていますので、ホント死角のない映画なんですよね! 連れ合いに先立たれたご老人のありがたいお話を伏して聞け!

・ 友人夫婦の「酸いも甘いも」な距離感もすてきでした。 ジェシーさんとセリーヌさんはまだ到達できていない、絶妙なコンビネーション。 皮肉ったり愚痴を言っていても、どこか温かさがこもっている理想の間柄。 リンクレイター監督の中には、さらに9年後のふたりを描く構想もあるとのことですが、果たしてジェシーさんとセリーヌさんはこの高みに到達することができるのか・・・! 待て次号・・!!

・ ま、ぼくの予想ですと9年後は別れてると思いますけどね!(なぜなら我が強いから)(それに別れていないとドラマティックにならないし)

・ ところで、セリーヌさんの罵倒芸の中で一番エッジが効いていたのは、「いっつもいっつもバカの一つ覚えみたいに同じ〇〇〇〇ばっかりしやがって・・・ワンパタなんだよ!」という、全男性号泣必至なセリフだったのですが、その後彼女を説得する際ジェシーさんが、「キミの人生観が変わる程イイ〇〇〇〇をお届けします」と豪語していたトコロがものすごく気になりました。  だいじょうぶかジェシー。 何をお見舞いするつもりなのかジェシー。  自ら設けたそのハードルを越えて行け、ジェシー!

 


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『ビフォア・サンセット』 (シリーズ2作目)

2014年10月12日


前作の感想 『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』


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■今回のセリーヌさん
ジュリー2_convert_20141010233404
熟成指数       ・・・6
地球を守りたい指数・・・10
聞き上手指数    ・・・8
躁鬱指数       ・・・7

■今回のジェシーさん
イーサン2_convert_20141010233349
大物指数     ・・・7
枯れメン指数  ・・・7
初めて行った彼女の家でくつろぎすぎ指数・・・10
ばかチ〇コ指数・・・9

■今回のかわいそうな人
「ジェシーさんを空港に送り届けるという任務を果たそうとするも見事に忠誠心を踏みにじられた運転手さん」

■今回の観光地
「パリ」

あらすじ・・・
駅での別れから9年後、二人の思い出を描いた小説が大ベストセラーとなったジェシーが、サイン会の為赴いたパリでセリーヌと運命の再会を果たし、帰国の途に就くまでの数時間を一緒に過ごします。

・ 前作のラストに交わした約束は、やはりお流れになっていた・・・これもまた行きずりの恋の宿命よ・・・

・ と思ったら、ジェシーさんはきちんと駅で待機していたことが判明。 一方のセリーヌさんも、駅に向かおうとしていた矢先に大好きな祖母が急死したため駆けつけることが出来なかったという、メロドラマの王道をゆく裏事情を抱えていたことが明らかとなります。

・ つまり、双方とも相手への気持ちが冷めていたわけではなかった、と。 はい、ここ大事ですよー。テストに出ますよー。

・ しかし、9年の歳月はあまりに大きかった。 ジェシーさんは大学の同級生とできちゃった結婚をし、今では4歳児の父。 セリーヌさんもいくつかの恋愛を経て現在は戦場カメラマンと遠距離恋愛中。

・ というわけで、お互い節度を保った会話を繰り広げるしかないため、話の内容はもっぱら意識の高い環境問題や、互いの人生観に終始。 ごめん、その話長くなる?

・ いやだって、「東欧で暮らしたら物欲が消えて精神的に満たされたの」って言ってた次のシーンでは「やっぱり消費活動も必要よね」とか言っちゃってて、なんつうの?一貫性に欠けるって言うの?買い物したいんかしたくないんかどっちやねん! ・・って言いたくなりますよね。 あと、「環境汚染で何百万の人が亡くなって・・」とか言いながら吸う煙草は美味しいかい?とかさぁ・・・ いやね、これぼく思うんですけど、たぶん本人たちも本題が気になりすぎて、あんまり考えずに喋ってると見たよ。

・ で、少ない滞在時間も終わりに近づいた頃、やっとこさ本題に入る気になったのか、堰が切れたように恨みつらみをぶつけはじめるセリーヌさん。 「なんで誰もわたしにプロポ-ズしてくれないのよ!」「なんで先に結婚なんかしたのよ!」「子どもがおるってどういうことやねん!」「あんたがプライベートなことを小説に書いたせいでわしの人生ムチャクチャやないか!」

・ 前半はともかく後半は超正論。

・ 約束を守って駅に来ていたジェシーさんを裏切り者扱いするセリーヌさんに、ヤバい匂いを感じたわたしでしたが、当のジェシーさんはというと元来のMっ気が刺激されたのか、もはや崇拝者に近いような眼差しでセリーヌさんを眺めています。 危険!この恋危険!

・ 前作のウィーンに関しても、「体の関係を結んだ」と主張するジェシーさんに、「いいや寸止めだった」と言い張っていたセリーヌさんが、後半突然「ホントは二回やったよね。あたし、覚えてたけど覚えていないふりしてたの・・・ 女って、そういうものなのよ・・・」とわけのわからないぶっちゃけトークを始めるトコとかさぁ、「そういうもんじゃねえだろ!」ってつっこもうよ・・・ジェシー・・・なんぼなんでも飲み込みよすぎだろ・・・おまえはウワバミか・・・

・ 互いの気持ちは9年前から少しも変わってなどいなかった。 ならば意思確認が済めばすることはひとつ。 そう、今のパートナーに対する愚痴大会です。 「妻には最初から愛情などもっていなかった」「あなた以外の誰とも恋愛したくないから滅多に会えない戦場カメラマンを選んだ」 ええどええど~!言えば言うほど泥沼確定や~!

・ そして、搭乗時間が迫っている中、セリーヌさんを自宅玄関まで送り届けようと申し出るジェシーさん。 古今東西、幾千もの男女が交わしてきた「玄関まで」という約束が、本当に玄関先で終わったことなどあるのだろうか。いや、ない。

・ というわけで、セリーヌさんの自宅にあがりこんだジェシーさんは、「ここおまえんちかよ!」という錯覚に見舞われるほどのくつろぎっぷりを披露。 セリーヌさんもセリーヌさんで、まったく帰す気ゼロなおもてなし攻撃を開始。 「超ムーディな雰囲気の中見つめ合うふたり」というクリフハンガーなエンディングでフィニッシュです!  わしゃもうどうなっても知らんぞ~!!

・ エンジンがかかるまで(腹の探り合い)がちょっくら長いですし、結局85分間なにをやっていたかというと、どうでもいい話をしながら焼けぼっくいにロケット燃料をぶっかけるだけの内容です。 そもそも、あれだけグっとくるラストのあとの話という時点で、わたしにはどうしても余談というか蛇足のようなものにしか感じられず、少々物足りない印象が。

・ それでも、セリーヌさんの自宅についた辺りからはトキメキ指数がぐんぐん加速し、ギターの語り引きを始めた日にはロマンティックがとまらない状態になってしまっていたので、結果オーライというか、またもやまんまとリンクレイター監督の術中にはまってしまったなぁと。  おっかあ・・・リンクレイターさんの手のひら・・あったけぇだよ・・・

・ 前作でも圧倒されましたが、今回の「どこからどこまでが一発撮りなのやらさっぱり」なシーンの数々も素晴らしかったですね。 即興劇のような自然きわまりない会話も健在。 1作目でかけられた魔法が解け、徐々に現実世界へと引き戻されてゆくふたりの今後がどうなるか、非常にたのしみです!




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『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』 (シリーズ1作目)

2014年10月11日
1995年という、わたしが人生でもっとも映画を観ていた頃に出会った『恋人までの距離(ディスタンス)』。
いまさら語る必要もないほどの、恋愛映画史に輝く珠玉の名作であるそれから9年後、登場人物たちのその後を描いた続編が作られたということは知っていましたが、なんとなく食指が動かず観そびれること9年。
なんとさらにその後を描いた3作目が作られたと聞き、居ても立ってもいられなくなったため、レンタルで新作落ちするのを待ってこの度借りてまいりました。 はいぜんぜん居てるーガッツリ立ってるー!

というわけで、久しぶりの再見となった1作目から3作目までの感想を3日連続でお届けします! あのね!ネタバレだよ!



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■今回のセリーヌさん
ジュリー1_convert_20141010233335
愛らしさ指数  ・・・10
聞き上手指数 ・・・10
躁鬱指数    ・・・2

■今回のジェシーさん
イーサン1_convert_20141010233300
イケメン指数  ・・・8
胡散臭さ指数 ・・・7
ばかチ〇コ指数・・・5

■今回のかわいそうな人
「観に来るというからお芝居のチケットを譲ってあげたのに見事に約束を反故にされた劇団員さん」

■今回の観光地
「ウィーン」

あらすじ・・・
傷心旅行の最終日に列車の中で出会ったフランス人女性・セリーヌに一目ぼれしてしまったアメリカ人男性・ジェシーが、巧みな話術で彼女を誘い、翌朝帰国の途に就くまでの一晩を一緒に過ごします。

・ これでもかというロマンティック攻撃に、わたしのライフはゼロよ!

・ 「旅先で運命の人と出会う」という奇跡を素直に受け入れられない二人が、意地を張ったり見栄を張ったり大人ぶったりしながらも否応なく惹かれあい、最終的に「6か月後に同じ駅で同じ時間に」というドラマティックすぎる約束を交わすまでの半日間が、超オシャンティなウィーンの情景と共に描かれるってんですから、もうこんなもん、うっとりするなという方が無理ですよね。

・ ニンフのように麗しいジュリー・デルピーさんの魅力が大爆発。 対するイーサン・ホークさんも、『リアリティ・バイツ』でブイブイ言わせていた最もイケイケドンドンな時期ですので、ちょっと頼りなさげだけどワイルドさも垣間見えちゃったりなんかして、「この人に誘われたら・・途中下車も・・・アリか・・・?」と思わせるに充分なのではないかと思います。というかぼくも付いていっちゃうと思います。 最悪ワンナイトスタンドでもいいじゃない!開放的になってもいいじゃない!

・ 観覧車内のキスシーンのドキドキ具合は、状態が状態なら致死量に達しかねないと思いますので、充分な休憩をとりつつご鑑賞ください。

・ とにかく、いわゆる「観光名所」ではない「ふつう」のウィーンの街並みがたまらなく詩的で美しい。 なだらかに伸びる石畳、荘厳さを纏わせた教会、名もなき路地裏。 そこにさまざまな民族の文化もちりばめられ、ふたりはまるでおとぎ話に迷い込んだよう。  そりゃ恋もはかどるわ! あーあ!オレもシタールの調べにのせてイケメンと踊ってみてえなぁ!

・ 盛り上がったふたりはそのまま公園でコトに及んでしまうのですが、具体的なコトは描かず、翌朝のデルピ-さんの重ね着具合だけで状況を説明するトコなんかとってもスマートですよね。 うん。 開放的なふたりに幸あれ!

・ ネットも携帯電話も、ましてやスマホやスカイプなんぞもなかった時代ならではの、いとしくて恋しくて心細いラストに悶絶必至! でも、自宅の電話番号ぐらいは聞けたよな! ていうか聞いとけよな!

・ 一生のうち一度は行ってみたい国リストに「ウィーン」が記載されること請け合い!

・ マジ傑作です!




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『ジャージー・ボーイズ』

2014年10月10日
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最近めっきり公開予定映画についての情報収集が怠り中で、今月はどんな新作がお目見えするのか、はたまた、あの監督の次回作はいつ公開になるのか、などなど、ほとんど白紙に近い状態だけどわたしは元気です。 どうもおばんでやんすアガサです。
いえ、映画に対する情熱が薄れているわけではないのです。
なにもかもどうぶつの森とクリミナルマインドが悪いのです。

で、そんな中、何気なく佐野史郎さんのつぶやきを確認すべくTwitterを覗いておりましたところ、なんとクリント・イーストウッドさんの新作『ジャージー・ボーイズ』はフォー・シーズンズの物語であるというではありませんか。
見ていてよかったTwitter。
フォローしていてよかったつぶやき史郎。



ありがとう史郎! オレ一生史郎についてゆくよ!!


ということであらすじ・・・
ニュージャージー州の小さな街ベルヴィル。
決して豊かではないこの街から若者たちが出てゆくには、マフィアになるか、軍隊に入るか、有名になるか、という3つの選択肢しかなかった。
街の有力者ジップの庇護のもと、ケチな犯罪や盗品売買で日銭を稼ぐトミーとニックもそんな若者のひとり。
軍隊に入るのだけはゴメンだ。 有名になるのも現実的ではない。 ならば、今のままジップに取り入り生きるしかないのか。
それなりにたのしいけれど、満足には程遠い毎日。

その時彼らはまだ、知らなかった。
自分たちが、ひとりの天才との出会いにより、もっともありえなかった方法で街を出ることになることを。



音楽好きな母の影響で、物心ついたころから色々なジャンルの音楽を聴いていたのですが、そんな中、一番古く、一番強烈な記憶として脳裏に焼き付いていたのが、フォー・シーズンズの楽曲でした。
当時私はまだ5、6歳だったでしょうか。
しかし、一度耳にした瞬間、その「おもしろい声」と「ひょうきんな歌い方」は、幼子の心をはげしく鷲掴んでしまったのでした。
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(※ 超ヘビロテしていたフォー・シーズンズのクリスマスアルバム)

(※ ジンゴージャンゴージンゴーベー ジンゴージンゴージャンゴーベー)

その後大きくなるにつれ、わたしの中の関心事はフォー・シーズンズから離れて行ったのですが、彼らのことは「元祖コミックバンド」として、記憶の中の深い場所に大切にしまっておいたのでした。

コミックバンドとして。

コミックバンド。

それなのに。

ぜんぜんコミックバンドじゃなかった!!!


(※ これなんかもう完全にコミックバンドのノリなのに!)

マフィアが睨みを利かせる貧しい街。 
才能を武器にそこから羽ばたき、大成をおさめてゆく4人の若者。
その成功の陰にあったのは、キレイなモノだけではありませんでした。 
かなしいほどに醜く、ぶざまな、葛藤や衝突や嫉妬や苦悩。 
4人はそれらに潰され、バラバラになり、しかし仲間の支えで立ち上がり、再びひとつの場所へと戻ってきます。
舞台(ステージ)という輝かしい場所に。

ただたのしく聴いていた楽曲の裏に、こんな思いが込められていたとは・・・。
とはいえ、わたしはフォー・シーズンズが後期に発表した作品は全く知りませんでしたし、この作品はあくまで「物語」ですので、発表された楽曲と私生活との重なり方も必ずしも現実に沿うものでは無いそうですが、ここはひとつ、「うそ」を巧みに混ぜ込んだ構成の巧みさに身も心もゆだね、この「青春群像劇」へと飛び込んでしまえばいいのではないでしょうか。
そう、本作のすばらしいところは、フォー・シーズンズというバンドも楽曲も全く知らなくても、物語を堪能することができるところなのですよね。

特定の歌手を贔屓にするマフィアが登場するけれど、ちっとも血が流れない。
仲間を裏切るメンバーがいるけれど、ちっとも殺伐としない。
刑務所に出入りするけれど、ちっとも暴力的じゃない。
ネバダ州ラスベガスが言及されるけれど、誰も砂漠に生き埋めにされない。
本作のキャラクターたちは、影や欠点はあるものの、決して悪人ではない。
わたしはそこがとてもすきだなぁと思いましたし、愛おしさを感じたのですよ。

彼らは傷つくような出来事に直面しても、受け流すか身を引くか自ら泥をかぶるか、の3つのみ。 
逆上して殺傷沙汰になることも、姑息な手を使い罠にはめるようなことも、親切づらしてお金を騙し取るようなこともありません。
そう、騙し取らないんですよ。 むしろ堂々とくすねます。 
もうね、これはね、いいか悪いかの問題ではなくてですね。
ただ、その飄々とした立ち振る舞いになんとも言えない「ダメな子」ゆえのかわゆさというか、猛烈な「憎めなさ」を感じてしまいまして。
これは脚本や演出のうまさなんだろうなぁ。(もちろん役者さんが魅力的であることは言うまでもないのですが)

若さゆえの紆余曲折を織り交ぜつつ、物語はすこぶる穏やかで、且つしなやかに流れてゆく。
それはまるで、すてきに甘いメロディのように。

あまりに物わかりのいいキャラクターを、説明不足と感じる方がいるかもしれません。
いい人だらけという世界観に、物足りなさを感じる方もいるかもしれません。
しかしわたしは、心弾ませる旋律と、とことん音楽を愛している人たちの生きざまと、彼らが迎えた大団円が本当に心地よくて、カーテンコールのようなエンドクレジットを眺めながら、これ以上ないような幸せに包まれていたのでした。

公開規模が小さく(わたしが住んでいる中国地方でも、上映されているのは岡山と広島のみ。四国地方に至っては上映館ゼロだそうです)、なかなか観る機会がない作品かもしれませんが、もしお近くの映画館で上映されているようでしたら、是非足を運ばれてはいかがでしょうか。 
「イーストウッド作品ってシリアスなんじゃ・・・」
「ミュージカルは苦手で・・・」
なんてご心配はご無用!
とってもとっつきやすくて、とっても温かい気持ちになれるハッピーな作品ですよ! 超おすすめです!



- 追記 -

・ ジョー・ペシとウォーケンさま、夢の競演! 

・ でも、ジョー・ペシなんだけど中身はジョー・ペシさんじゃないの!で、ウォーケンさまはウォーケンさまなんだけど、クリストファー・ウォーケンじゃないの! わっかるかな~!わっかんねえだろうな~!!

・ オケー!オケー!オケー!(CVジョー・ペシさん)

・ 世界遺産レベルにかわゆいウォーケンさまが出演していなかったら、本作は成り立たなかったのではないだろうか。

・ ユネスコは今すぐウォーケンさまを保護してください。 そしたら毎年詣でに参りますゆえ。

・ とにかく男たちがバカでかっこよくていとおしい映画でした。 ニュージャージーから出たいと願っているけれど、同時にニュージャージー育ちであることに誇りを持っている男たち。 貧しい下町で支え合って生きてきたからこその義理堅さ・・・ うっとりしました!おすぎです!もう一度言います、うっとりしました!

・ その分女たちの扱いがあんまりな感じなんだけど、もうこれはしょうがない!『ドリームガールズ』の時の男連中も相当な感じだったし、しょうがない!

・ 自由人トミーと長年の付き合いで、だからこそイヤな所もたのしい所も全てわかった上で、自由っぷりを放置してきたニックが、ついに堪忍袋にたまった中身をぶちまけるシーンの、深刻な筈なのに内容が内容なだけに笑わずにはいられないアンバランスさがとてもおもしろかったです。 「ホテルのタオル使いすぎだろ!オレの分もぜんぶ濡らしやがって!」ってそれもっとはよつっこんどけよニック。

・ リードボーカル・フランキーを演じるジョン・ロイド・ヤングさんの年齢不詳っぷり。 「キミいくつ?」「16歳です」じゅ・・・じゅうろくぅ?!
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(※どう見ても係長クラス)

・ で、そんなフランキーさんの恋女房役を演じるレネー・マリーノさんがこれまたなかなかの年齢不詳っぷり。 「2歳年上のメアリーと結婚」2歳年上・・・じゅ・・じゅうはちぃ?!
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(※中堅女優並のオーラ)

・ 前述のとおり、後期のフォー・シーズンズについての知識が皆無だったため、フランキーさんがソロで発表した曲として「君の瞳に恋してる」がかかった瞬間は鳥肌が立ちましたね! そうだったのかー!

・ 「君の瞳に恋してる」といえばウォーケンさまの『ディア・ハンター』なわけで、なんというか、不思議なつながりを感じますね。  

・ つながりといえば、劇中イーストウッドさんの出世作「ローハイド」が映るというサービスシーンがありまして。  過去の監督作品で、こういう「遊び」ってありましたっけ・・? うーん、なかったようが気がする。 イーストウッドさんにとっても、リアルタイムで親しんできたフォー・シーズンズ(音楽)は、自分の人生と重ね合わさずにはいられない大切なものなのかもしれないなぁ・・・と思った次第でございます。



- 追記その2-

・ 本作では、観客と演じ手との境界線を表す、いわゆる「第四の壁」と言われるものを破る演出が採られています。 演者がカメラの裏のこちら側に向かって、各々の心情や状況説明をし始めるという、おもしろい手法なのですが、フォー・シーズンズの4人のうちフランキーだけは、最後のシーンを除いて第四の壁を破らないのですよね。  

・ わたしはこれがすごく不思議でした。 どうして他のメンバーは要所要所で「この時はね・・」と語りかけてくるのに、フランキーだけは壁の向こう側に居続けるのだろう・・・と。 「主役だから」(物語の核となるので自ら説明する必要がない)で済むことなのかもしれませんし、結局最後はフランキーも語り始めるので、物語に集中させるためというだけなのかもしれませんが、でも、なんでなんだろう、と思いまして。

・ で、振り返ってみると、フランキーはいつも自分の気持ちをそのまま表していたよなぁ、と。 他のメンバーは本音を隠してその場をやり過ごす場面がいくつもあったのですが、フランキーはいつも気持ちを素直にぶつけていた。 

・ 間違っていると思えばNOと言うし、傷つけば傷ついたと言うし、才能は公正に判断する。 夫として父として、失敗はしたけれど、家族への愛に偽りはなかった。 どんなにひどい仕打ちを受けても、仲間を見捨てなかった。 ごまかすことなく、常に自分なりの誠意を貫いてきたフランキーには、壁のこちら側に 「ホントはこの時・・・」と説明する必要がなかったのかもしれないなぁ、と思ったのですよ。 

・ あと、他のメンバーが「役」を一旦外れて客観的な視点になるのと異なり、「フランキー・ヴァリ」であり続けることで、「ああ、はやりこの人は特別な人なんだなぁ」という印象が強まりましたよね。 壁の向こうの手の届かない存在である彼を観ているうちに、いつしかわたしは、ベルヴィルの街のみんながそうであったように、「彼の才能を守りたい」と強く願いながらあたたかく見守らずにはいられなくなっていました。

・ 物語がエンディングに近づいた時、フォー・シーズンズの時間は一気に現代へと飛ばされ、年老いたメンバーがステージ上へ戻ってきます。 この時はじめて、フランキーは第四の壁を越え、彼の人生を振り返ってみせました。 それは、伝説の存在だった「フランキー・ヴァリ」から、いまなお現役バリバリで、今ここにいる歌手であるフランキーに戻った瞬間であり、わたしはその変わらぬ歌声に酔いしれると共に、悲しみや苦しみと同じだけ幸せもあっただったであろう彼の人生を心から祝福したい気持ちでいっぱいになったのでした。



- 追記その3-

・ それにしても、本作は「ザ・アメリカンドリーム」な内容でたのしませてくれると共に、「才能」を持って生まれることの厄介さも痛感させてくれたように思いますねぇ。 

・ 「音楽」という神さまからの贈り物は、フランキーを導き、支えてくれましたが、そのせいで家族の信頼を失わせ、最愛の娘をも喪わせてしまう。 そしてそれは、彼を喪失に対する悲しみにじっくり浸ることも許してくれない。

・ 昔、何かの番組で「家族を喪ったとある女優が悲しみに暮れていたものの、気づくと鏡で自分自身の表情を確認していた」という逸話を聞いたことがあるのですが、フランキーもまた、落ち込んで食事も喉を通らない状態だろうと、譜面を差し出されれば音符を確認せずにはいられません。 歌を歌う気になんてなれない筈なのに、頭の中にははやくもメロディが鳴り響き、どう歌うか、どう表現するかでいっぱいになってしまう。 それは「才能」という名の「本能」なのかもしれません。

・ もちろん、そのお陰で立ち直れるということもあるのでしょうが、後ろめたさも必ずつきまとうと思うのですよね。 女優、作曲家、小説家、研究者、スポーツ選手、様々な贈り物を受け取った人たちが、少なからず経験されることなのではないでしょうか。

・ 「才能」は時に、「呪い」でもあるのかもしれないなぁ、と思いました。



- 追記その4 -

・ 史郎のつぶやきを見た瞬間、これはローハイド時代からの筋金入りのイーストウッドファンである母も連れてゆかねば・・・! と思い、「ねえねえ、映画でも行かん?」と電話をかけたところ、「クリキントンさん(※イーストウッドさんの愛称)の新作じゃろ!フォー・シーズンズじゃろ!春先からネットでチェック済みよ!」と打つ前から響くような返事がかえってきて、うちのカーチャンすげえ・・・と思いました。

・ で、鑑賞後、そんな母がにこにこしながら「まさか、青春時代に夢中で聴いていたフォー・シーズンズの映画を、クリキントンさんが監督して、しかもそれを娘と一緒に観に行く日が来ようとはねぇ・・・」とつぶやいており、なんだかいい親孝行ができた気がして、とてもうれしくなりました。  また一緒に映画行こうね!カーチャン!!






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