ブログパーツ

『パラノーマル・エクスペリエンス』

2014年07月19日
パラノ

あらすじ・・・
仄暗い部屋に置かれた5脚の椅子。
そこに縛り付けられた、5人の大学生。
「教授」と呼ばれる初老の男性は、やおらナイフを取り出すと、ひとりの男子学生の手首を無残に切り刻む。
パニックに陥る学生たち。
満足げに微笑む「教授」。

実験はまだ、始まったばかりだ。


・・・というくだりはさておき、廃坑の町におばけ 連続殺人鬼が現れます。


世界を席巻する雨後のパラノーマルシリーズに、新たな刺客参上! 
今度のパラノーマルは冥途inスペインだ!


・ あらすじに書いた冒頭のくだりは、今回の死に要員である大学生たちが、単位のため参加したとある実験の光景だったのですが、これがなんとその後の展開に関係あるというかないというか、まぁなくはないというか、とにかく「ははぁ、監禁モノですか」という予想をあっけらかんと裏切る展開が非常にこすっからくて素敵です。

・ 教授によって切り付けられた手首から滴り落ちた血は、実は椅子に仕込まれた偽物であり、 「しょせん肉体は目に映ったものによって如何様にも支配されるシロモノなのだ」 というようなことが教授の口から告げられ、実験は終了。 要するに騙されていたことがわかり、どうにもこうにも釈然としない学生たちに追い打ちをかけるかのように、 「ああ、あと、今回の実験だけじゃあ単位あげらんないから、そこんトコよろしく」 という酷なお知らせをお見舞いする教授。

・ 当然のごとく学生が発した「じゃあどうせえっちゅうねん」という尤もな質問にも、 「せやな、ほな、おばけが出ると評判の廃坑に行って、ホントにおばけがいるのかどうか調査してきてや」 と、とどめの宣告です。

・ 鬼や・・・この学園には鬼がおりまっせ・・・

・ というわけで、落第かおばけ退治かという究極の選択を迫られた学生たちは、その昔ドクター・マタルガというマッドなお医者さんの霊がいっぱい人を殺したと言われるいわくつきの炭鉱町へと小旅行を敢行することに。

・ 成績優秀(だけど落第間近)なリーダー格・アンヘラさん、
筋肉隆々(だけど落第濃厚)なアンヘラちゃんの恋人・ルイスさん、
ルイスさんと見分けがつかない色男(だけど落第すれすれ)のホセさん、
お金持ちのわがまま娘(だけど落第待ったなし)のベレンさん、
メカ担当で心霊マニア(だけど落第射程圏内)なトニさんというダメ学生5人衆に、
アンヘラさんの妹で自傷癖のあるディアナさんが加わり、男女6人廃坑物語のスタートです!

・ というか、ディアナさんは大学へは行かず社会人となっているので、単位うんぬんには全く関係なく、ただ車を持っているというそれだけのために駆り出されたのですが、お姉さん的にはそれでいいのでしょうか。

・ いくらなんでも動機づけが無理やりすぎると思うのですが、人として、映画として、本当にそれでいいのでしょうか。

・ その理由がつまびらかとなった時、本作に隠されたすべての謎が解ける・・・!  ・・というのが本作の醍醐味ですので、「開始後15分でオチわかっちゃった!」みたいなのは無しの方向でお願いします。 例えわかっちゃったとしても、無しの方向おねがいします。

・ わかりますよね? もうこれ以上何も言わなくても、わかってもらえますよね? みんなで温かく見守っていきましょうよ!ね?

・ 廃坑の町へ到着した一行は、なんとなく心霊現象のようなそうでないような快音をキャッチ。

・ その正体をさぐるべく、催眠実験にチャレンジすることとなるのですが、誰も名乗りを上げなかったため、よりにもよってディアナさんが被験者となることに。 唯一単位と無関係かつ、精神的に不安定なディアナさんがね。 おまえら全員アホか。(←早くも見守る気持ちが挫けてしまった)

・ ディアナさんを見つめるみんな(主に視聴者)の不安は的中し、トランス状態に陥ったディアナさんの前に、奇怪なマスクを着けた男の幻影が現れます。  そして血の惨劇の幕は上がる・・・

・ スラッシャーの鉄則どおり、単独行動に出てはやられ、また単独行動に出てはやられの繰り返しが続く本作。 ある時は鉄条網でスマキに、またある時は肉鉤でブっさされ、アゴ割れ・目ん玉刺しにカーアクションなどなど、最低限のショックシーンが盛り込まれる中、「直接見せないシーン」と「見せないと見せかけて見せるシーン」をごちゃまぜにすることで程よい「じらし感」も加えられ、過激すぎず退屈過ぎない印象を与えることに成功。

・ また、血なまぐさいシーン以上に力を入れて描かれていた、ディアナさんのトラウマ一代記がとてもよく出来ておりましてですね。 

・ 自傷行為のもととなった、父親の死。 ディアナさんの不確かな記憶の中で、母親不在の家庭を切り盛りしていた愛情あふれる父親の像。 その姿が徐々に鮮明になってくるにつれ、ドクター・マタルガ以上のおぞましさを漂わせるに至るくだりは、ただのホラー以上の悲愴さを感じさせ、なんだか心がどんよりとなりました。

・ 虐待という悲劇から逃れるため、幼子が引いた銃の引き金。 その銃弾が打ち抜いたのは、鬼畜な父親の命だけではなく、ディアナさんの心(精神)そのものもだったのだ、という本作の真のテーマはとても深く、とても重々しい余韻を残してくれたのでした。

・ というわけで、ホラー表現だけだと物足りなくもない仕上がりだったのですが、それ以外の見どころもまぁまぁ用意され、よくあるティーンホラーとしてはまずまずの作品だったのではないでしょうか。

いやぁ、よかったよかった。
今までのパラノーマルみたいなことになってなくてよかった・・。

いいんですよね・・・

・・アレ・・ 

・・・なのにオレ、なんでこんなに物悲しいんだろう・・・

ぎもん
(※ ちなみにパラノーマル成分(POV方式での撮影)はゼロでしたよ!)


・ 皆の衆よく聞け! なんと今回の作品の原題も 『Paranormal Xperience 3D』 ! つまり、先日の『パラノーマル・インシデント』に引き続き、「原題・邦題のどっちもがパラノーマル」物件だったのですよ! 

・ しかもこっちは「3D」! 飛び出すパラノーマルという、オリジナルシリーズですらまだ手を出していない領域に果敢にチャレンジ! やるなぁ! ぜんぜんPOVじゃないけど、というかパラノーマルってついてるだけでおばけも魔女も関係ないけど、やるなぁ!

・ 道理で劇中、これみよがしな尻のアップが何度も挿入されていたわけですね! 飛び出すおばけ!飛び出すおしり! もう言うことなス!(※正確に言うとおばけじゃなかったんですけどね)

・ それはさておき、本作を返却するべく訪れたレンタル屋さんにて、「これでもう、店頭に並んだ(並んでない分までは責任持てませんよ!)パラノーマルは全部観終わったはず・・・」 と思いつつ、ホラーコーナーを覗いてみましたらば、 『パラノーマル・リング』 と 『パラノーマル・ホスピタル』 という2タイトルが新たに並んでいるのを発見してしまい、もんどりうって倒れそうになったわたしですよ。  

・ あのね、世界中の映画製作にかかわっているみなさんね、ちょっと一旦落ち着きましょうか。   よろしいか、人生には「辞め時」というものがあってですな・・・

・ ていうか、一番落ち着くべきなのはオレか!そうなのか!まぁ知ってたけど!

・ そんなわたしですが、とにかくまずは、7月23日にリリースされる本家シリーズ最新作 『パラノーマル・アクティビティ/呪いの印』 を観るか否かというトコいらへんから、もう一度自分自身の人生を見つめ直してみたいと思います。  






     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

『マレフィセント』

2014年07月14日
Maleficent-(2014)-232.jpg
(※ 不気味の谷へようこそ!)



ねえお母さん。マレフィセントにはこういう事情があったんだとしたらさ。
そしたら、シンデレラのまま母にも、何かあったのかもしれないよね。
だって、シンデレラのお父さんと結婚する前は、ドリゼラとアナスタシアのお父さんと結婚してたんでしょ?
・・そのお父さんって、どんな人だったんだろ・・?

                  ― ちびっこさん ・ 12歳 ・ 中学一年生 ―

EV36wSTvPtPUiHP1405174359_1405174721.jpg
(※ 未知なる金脈 創作の可能性に気づいて!ディズニーの人!)(もう気づいてるか)

あらすじ・・・
オーロラ姫が16歳の誕生日を迎える前日まで、比較的ゆるやかに監禁されます。


(※ 以下ネタバレしています)



でっかい角とでっかい翼とでっかい頬骨で、アンジェリーナ・ジョリーことジョリ子さんが八面六臂の大活躍です!
モララム
(※ 荘厳な角が印象的なジョリ子さん)(※ イメージです)

■ 第一章・千の仮面をもつジョリ子

ディズニー映画の古典にして、映画史に輝く名作 『眠れる森の美女』 が生まれ変わりました!
「出産祝いのパーティに招待してもらえなかった魔女が、妬み・嫉み・僻みの末、何の罪のない赤ちゃんに呪いをかけるも、たまたま通りかかった王子さまにバッサリ退治される」 
という気持ちのいいほどの勧善懲悪ストーリーを、新たな視点で練り直し、心温まる愛情物語へと模様替え!
悪い人も、悪そうに見えて実は悪くない人も、悪そうに見えて実際悪いんだけど根っからのワルっていう訳でもない人も、悪そうに見えて実際悪くてもその裏には諸事情が隠されていて嫌々ワルぶっているだけの人も、いい人も、とにかくなんでもござれな演技派・ジョリ子さんをタイトルロールのマレフィセントに据えれば、もう大方準備は万端です。
脇に渋めの俳優さんをキャスティングしたらば、ストーリーのカギを握るのはすべてジョリ子さんにお任せ!

オーロラ姫の栄養管理をするのもジョリ子さん、
オーロラ姫に愛情を注ぐのもジョリ子さん、
オーロラ姫に王子様を調達するのもジョリ子さん、
オーロラ姫を守り抜くのもジョリ子さん、
おいしいトコロは全部残さずジョリ子さんというこだわりっぷり!

なんつったって、原作童話やオリジナルアニメでは「いい妖精」の見せ場だった「呪いの解き方説明」まで、ジョリ子さんに言わせちゃうっていうんですからね。
そしてそして、途中で見ている観客のほとんどが薄々感づいてしまっていたと思いますが、例のあのお役目をかっさらうのも勿論ジョリ子さんです! うん! そうだと思った!

もはや、ジョリ子とその他のみなさん、と呼んでもそんなに差し支えないのではないかと思うほどの「劇団アンジェリーナ・ジョリー」っぷり。 ありがとうジョリ子さん!ぼくたちみんな、お腹一杯です!

■ 第二章・痴話ゲンカ

物語を一新させたとはいえ、基本的な
「誕生 → パーティ → マレちん激おこ → 軟禁 → 糸車 → キス」
という流れ自体は、広く知られたオリジナルストーリーそのまま。
では、何が大きく変化しているのかというと、いうまでもなく、マレフィセントの半生についてでして。

映画の冒頭、美しい妖精の国・ムーアをめくるめくスピードで縦横無尽に飛び回る、幼き日のマレフィセントが画面いっぱいに映し出され、彼女の中に悪意などは微塵も存在しないということや、「支配者」のいないムーア国ではあるものの、彼女が周囲から特別視されていることがみっちり描かれます。
そして突然訪れた、運命の出会い。
隣国である人間の国から迷い込んだ貧しい少年・ステファンが、ムーア国の宝石をポッケにナイナイしようとしたのです。
盗人と気高き妖精という噛み合わない事この上ない間柄でありながらも、お互い孤独を抱えていたことなどからみるみるうちに惹かれあう、ヤング・ジョリ子とステファン少年。
そう、宝石こそ速攻で返却したものの、少年は大変なものを盗んでいきました・・・ ジ ョ リ 子 の 心 で (ry (←ホントにこういうナレーションがある)

しかし、結局「欲深い」人間であるステファンは、成長と共に「国盗り」への野心を強く募らせてゆくことになり、一方のジョリ子さんはというと、そんなステファンが再び自分のもとに返ってくる日を、人間たちの侵略を阻止しながらひっそりと待ち続ける日々。
そんなこんなで数十年が経過し、出来ればジョリ子さんとの直接対決は避けたかったステファンの前に、千載一遇のチャンスが舞い込みます。
それは、「ムーア国の守護者であるマレフィセントの命を奪った者に王位を授ける」というもの。

「別にキライになったわけじゃないんだけど、出世のためだし、しょうがないよね?わかってくれるよね?」とばかりにジョリ子さんを裏切る決意を固めるステファン。
結果、愛情と信頼を踏みにじられ、彼女の尊厳の象徴でもあった翼を切り取られてしまったジョリ子さん。

・・・あのさぁ・・・出世のためっつったって、もうちょっとやり方あったんじゃねえの・・・ 
長いことつきあってたんだしさぁ・・・
なにも翼切っていかなくてもいいと思うんだよね・・・・ しかもすげえ雑・・・切り口・・・ ・・超おおざっぱだし・・・ 
消毒とかの概念・・ないよね・・・? ・・ばい菌とか・・・ マジ勘弁・・・
てかさぁ・・おまえさぁ・・・白雪姫とか読んだことないの・・・? ・・姫を殺す代わりに鹿の肝持っていこうとか、そういうトンチは働かなかったわけ・・? 
・・・なに・・? やんの・・? 全面的にやるつもりなの・・? ほんならやったろうじゃねえの!!

tumblr_inline_n6dgjnn5cm1qh26fj.gif
(※ そしてここに至る)

で、一番怒らせてはいけない妖精に火をつけてしまったステファンですが、彼にしてみれば、本来なら命をも奪える状況下でありながら翼だけで勘弁してあげたオレ超マーシー(※元シャネルズのあの人ではなくて慈悲深い方のmercy)ぐらいの解釈でいたのですよね。
なので、そんな自分の誠意を理解してくれないどころか、勝手にパーティに押しかけるわ、お客さんの前で恥はかかせるわ、自分ではなく娘に呪いをかけるわの元カノに対し、素直にアイムソーリーを通り越してすっかり「貴様何してくれてんの」状態ここに極まれりという感じなわけで。
お互いに互いへの恨みで目の前が濁りまくっている二人が進む道は、どうなることか。
おわかりでしょうか。
そう、国の存続をかけた、壮絶な痴話ゲンカです。

元カノへの執念で、国中の兵隊や鍛冶職人に無茶ぶりを繰り返すステファンも王様としてどうかと思いますし、ステファンへの復讐心で、触るものみな傷つけるオーラをばしばし出して妖精たちをビビらせまくるジョリ子さんも、はたから見ればかなり困ったタイプの妖精だとぼかぁ思いますね。
ムーア国のみんなも人間のみんなも、いい加減「コラー!」って言ってもいいんじゃないかな!かな!


■ 第三章・真実の愛

ということで、誕生早々、呪いを恐れたステファンによって、3人の妖精に丸投げされた不憫なオーロラ姫。
そんな彼女を物陰から見つめる1人の妖精。
そう、ジョリ子さんです。

子育て経験も子育て意欲もない妖精トリオの体たらくっぷりに業を煮やしたジョリ子さんは、お供のカラス人間と一緒に、陰日向となりつつオーロラ姫の全面フォローを開始。
かくして15年の歳月は、ジョリ子さんをオーロラ姫にとっての親友、そして師匠、そしてなにより、母のような存在へと成長させていったのでした。
もちろん既に、ジョリ子さんは気づいてしまっていました。
元カレが憎いからといって、その子どもには何の罪もないことを。
無垢な子どもの微笑みよりも美しいものなど、この世には無いということを。
しかし、一度Twitter上に書き込んだクソリプ呪詛のつぶやきが、いくらツイ消ししようとウェブ魚拓によって永遠に拡散され続けるのと同じように、オーロラ姫にかけた呪いは二度と消せないのです。
どれだけ彼女がそれを悔いても。
自分が犯した過ちを、なかったことにしたくても。

わたしはこのくだりが、本作で一番強く伝えようとされていたコトだったのではないかと思ったのですよね。

人は、まちがう。
感情が抑えられず、やらなくていいことをしでかしてしまう。
残念ながらその行為は、自分や周りの人たちの人生に、二度と消えない痕を残してしまう。
ならば私たちは、どうすればいいのだろう?
開き直って、他人に責任転嫁しながらやり過ごしてゆく?
一生自己嫌悪に苛まれながら、我が身を呪って生きてゆく?
いや、大切なのは、過去と向き合い、あやまちを認めたうえで、二度と同じ愚行を繰り返さないことなんじゃないだろうか?

何もかもなかったことにしてスタート地点に戻ることはできない。 
けれど、反省し、新たな道を進むことはできるはず。
傷つけてしまった人や、傷ついてしまった自分自身を癒すことは、できるはずだし、してもいいんじゃないだろうか。

死の眠りについたオーロラ姫の呪いを解く、「真実の愛」。
マレフィセントによってもたらされたそれが、オーロラ姫だけではなく、マレフィセントをがんじがらめにしていた呪縛をも解放したシーンは、なんだかとても希望に満ち溢れていて、「そうだそうだ!これからのディズニーには王子なんか必要ない!男なんかいなくてもいいんだい!」みたいな脊髄反射的な感想を言う気になど、とてもなれなかったのでした。


■ 第四章・華やかな雑魚キャラ

雑魚キャラ・その1 「王子様」
って言ってはみたものの、やっぱりヒドイ! ディズニーさん「王子なんかいらね」色強すぎ! ステファン王に会いに行く道中、ムーア国で迷子になっていたフィリップ王子は、たまたまそこに居合わせたオーロラ姫に一目ぼれ。 で、「お城ならあっちですよ」と教えてくれた姫を「じゃあ帰り道でまた会おうね!」とかなんとかちゃっかり口説きつつ、とりあえずその場を後にするのですが、結局ずっと迷子のままで、オーロラ姫がマレフィセントと揉めて、お城の父ちゃんに会いに行って、奥の部屋で糸車にグッサリ指を刺されてる間も、がっつり森の中さまよってましたからね、あいつ!  結果的にオーロラ姫にキスはできるものの、自力で辿り着いたわけではなく、ジョリ子に搬入してもらっただけという! 残念! 超空気!

雑魚キャラ・その2 「オーロラ姫のおかあさん」
なんぼ「ジョリ子とオーロラの真実の愛」がメインやいうても、オーロラ姫のお母さん(王女さま)の扱いが鬼ヒドイ! 鬼畜な父ちゃん(王様)に自らの婚姻を戦果のエサにされ、野心家のステファンと愛のない結婚。 挙句、産んだばかりの娘は取り上げられ、失意にうちに病を患い、婿(ステファン)に看取られることもなくひっそり死亡て!  そりゃ生きていたら、呪いが解けた娘を巡って、 「あたしの子よ!」「なによ!育てたのはあたしよ!」っつって、ジョリ子さんと揉めること確実でしょうから、退場願われるのも致し方ないのかもしれませんけどね!  ひゃあー!大人の事情はこわいでおますなぁ!

雑魚キャラ・その3 「妖精トリオ」
先にも書きましたが、オリジナルアニメでオーロラ姫を愛情たっぷりに育て上げた、勇気と愛とまごころの三色妖精の扱いがマジでヒドイ! マレフィセントがかけた呪いを中和させる役目を取り上げられるのみならず、乳飲み子のオーロラ姫がおなかをすかせて泣いていても、耳に綿を詰めて就寝しちゃう鬼畜設定を施されちゃう三色妖精! なんかつったら仲間内でディスり合い、常に不平不満をまき散らし、足を引っ張り合う三色妖精! 内輪もめはオリジナルでもあった描写なのですが、圧倒的な可愛げのなさで、観ているうちに心が荒んでくることまちがいなス! 
maleficent_18.jpg
(※ 晩ご飯はクモの丸焼きですよ~!)


ちなみに、冒頭のシーンでは、妖精のうちの一人がマレフィセントにヤッカミを抱いていたことまで描かれるという念の入りようですから、いかに本作において三色妖精が「ワルモノ」として扱われていたか、よくわかりますよね。 あのね、マレフィセントをいい人にするのは、別に構いませんよ。 ただ、マレフィセントを引き立たせるために、三色妖精を下げる必要は無いんじゃないでしょうかねぇ。  わたしは昔から三色妖精もマレフィセントもどちらも大好きだったので、ちょっとこの改変は納得いきませんでした。 (まぁ、いちおうオリジナルとは別の名前がつけられていましたけどね)

雑魚キャラ・その4 「木の髭」
ムーア国の武闘派代表として、中つ国のエント族にそっくりな木のおじいさんが登場し、人間どもを蹴散らすのですが、どうみてもジョリ子さんにアゴで使われている感が否めない。 初戦闘シーンでこそ、出動を乞うジョリ子さんに応えた形になっていましたが、彼女がステファンにヒドイことをされピリピリムードになった途端、空気を読んで「しもべ妖精」と化していましたからね! まぁ、ジョリ子には逆らわんほうがええとは思うけども! 特に怒った時のジョリ子にはね! でももうちょっと威厳とかさぁ・・・そういうニュアンス出していこうよ・・・ 人生経験多そうなんだし・・・


■ 第五章・表と裏

初めての恋に浮かれ、初めての恋に破れ、心が醜くゆがんでしまたジョリ子とステファン。
その後彼らが選んだ道は、彼らの人生をまったく異なる方向へと導いていきましたが、もともとはジョリ子さんもステファンも、コインの表と裏のようにひとつながりな存在だったのではないかと思うのですよね。
未知の世界への興味、情熱的な性格、尊大さ、傷つきやすさ、気性の荒さ、そして「愛」への不信感・・。

オーロラ姫の純真な魂に触れることで、ジョリ子さんが自らを縛り付けていた呪いから解き放たれたように、ステファンもまた、もしもオーロラ姫を手元から遠ざけず一緒に暮らしていたならば、「愛とはなにか」ということに気づいたかもしれない。
まぁ、そもそもの二国間の争いに対し、「中立の態度を貫き仲裁にまわる」という方法を選ばなかったステファンには、ジョリ子さんのような「高潔さ」はなかったのかもしれませんけどね。

似ている所もありながら、真逆の結末を迎えてしまったジョリ子さんとステファンの姿から学ぶべきモノは、決して少なくないのではないかと思いました。

なにはともあれ、ちびっこたちもわたしも大満足です!
ああおもしろかった!



― おまけ ―

・ オーロラ姫の純度100%な笑顔に、まんまとしてやられました! これは説得力あるわー!いい人になってまうわー!

・ カラス人間ちょうかっこいい!

・ たとえ相手がジョリ子であろうと、行き過ぎた時には勇気をもって諌め、くじけている時には真摯な心で励まし、窮地に陥れば命がけで守ろうとするカラス人間は、映画 『マレフィセント』 の良心です!

・ 赤ちゃんの頃からオーロラ姫を見守ってきたカラス人間もまた、純粋に姫を愛して(恋愛的な意味ではなく人として)のではないかと思いますので、ひょっとしたらオーロラ姫にかけられた呪いはカラス人間の熱いベーゼでも解けたのかもしれませんよ! ためしてガッテン!

・ なんかこれ、前にも書いたような気がする・・・! ガッテンガッテン!!






     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

『渇き。』

2014年07月04日
かわき


(※ 以下、どうにもこうにもネタバレだらけの感想となっておりますので、鑑賞後にご覧いただけるとさいわいです。)



あらすじ・・・
わたしは藤島加奈子。
酒を飲んでクダをまくしか能のないクズの父親と、男依存度の高い母親のもと、無関心という名の見えない暴力に育まれた割には、フツーに生きてきたつもり。 ・・・の、はずだった。
父親の心の奥底を覗いてしまうまでは。
覗き返されてしまったわたしを、母親が見捨てるまでは。

フツーではなくなった景色。
諦めと絶望で無味乾燥の日々。
ある時、そんなわたしの生活に、一条の光が射しこんだ。 
男の子の名前は緒方誠一。
彼はわたしの人生をすくい上げてくれた。
存在しているだけでいいんだ、と思わせてくれた。
一緒にいるだけで、身体じゅうがあたたかい何かで潤ってゆく気がした。
彼はわたしのすべてだった。
すべてだったのに。

今、光を失ったわたしは、すべてを捨てよう。
心も、体温も、感情も、なにもかもを捨て、からっぽになろう。
復讐のために。
光を奪ったすべてのものに、復讐するために。



■ 藤島加奈子について

観終わった瞬間、わたしの頭に真っ先に浮かんだのは、
すげえ! これは「セカイ」を相手に、ひとりきりで復讐を挑んだ少女の、壮絶なリベンジ・ムービーだ!
という思いでした。

とにかく加奈子がかっこいい!! 
パーティ会場を虚ろな目で闊歩する姿の、なんと儚く、なんと力強いことか!

たったひとつのもののため、すべてを捨てて、すべてを壊す加奈子。 
その余りに無慈悲で、自由すぎる凶暴性は、ふつうなら「良心」や「愛情」によって自身の中に引き留められるであろうものなのではないでしょうか。
それがわかっているからこそ、彼女は自らをからっぽにした。
躊躇なく復讐を遂げるため、惜しげもなくすべてを捨てた。
「友達」も、「家」も、「人間らしさ」も。
彼女が冷酷なことはじゅうじゅうわかっていて、尚且つ、彼女の目的も承知しているような人間さえも虜にしてしまうのは、彼らが加奈子の生き方に、一種の「潔さ」のようなものを感じてしまうからなのかもしれないなぁ、と思いました。

そして、「藤島加奈子」という「人間」を捨て、美しい入れ物だけになった少女は、目の前の人間が望んだとおりにその姿を変える。
変えているのは少女なのに、周りの人たちはその変化を自分の力だと信じ込む。
唇からこぼれるのは口先だけの愛だとわかっていても、気づかないふりをして彼女に欲望を注ぎ込む。

もちろん、加奈子の行動は許されることではありません。
自分が深い穴に堕ちてしまったからといって、周りの人たちを同じように引っ張り込んでもいい訳ではない。

加奈子は、自らが犯している罪の報いを覚悟していて、いや、もしかしたらいつだって、そうなることを待ち望んでいたのではないか。
復讐のために始めた行動が、いつからか自分を葬るための行動になっていたような気がして、それはなんだかとてもかなしくて、より一層「すべての元凶」である藤島昭和に対する怒りが込み上げてきたのでした。

あの、「親」だなんて言いたくもない、藤島昭和に対してね!


■ 藤島昭和について

もやはクズいとかクズくないとかのレベルではない! 
こいつはまさしくケモノ以下のゴミクズやで!


もうね、とにかく初めて原作本「果てしなき渇き」を読んだ時から、藤島昭和に腹が立って腹が立って、吐き気をもよおしたり書籍を壁に叩きつけたくなるぐらい、100パーセント嫌悪感しか抱けなかったわけなんですけどね。
映画が公開になり、あちらこちらから「父親の愛に共感した」とか「娘を思う気持ちはわからんでもない」とか、なんだったら「この父親は何も悪いことしていないんですけどね・・」みたいな文言まで聞こえてきたものですから、「アレ・・? ・・この度の映画って本当にわたしが読んだのと同じ原作本なの・・?」という果てしなき疑念までもが湧き上がる塩梅で。

で、いざ本編を観てみたら、安定のクズさ加減でホッと胸をなでおろしたという。
っておろせるか!! 案の定気分わるいわ!

妻の不倫に激昂し、相手に対し暴力事件を起こしてしまった藤島は、そのまま刑事の職を辞し、やさぐれ警備員としてドン底生活に甘んじています。
もちろん妻とは離婚。 娘とも長い間会っていません。
そんなある日、絶対に自分とは話したくないはずの元妻から「娘がいなくなった」という電話が入り・・・ というのが導入部で、わたしはあらすじを加奈子目線で書きましたが、じっさいこの物語は、ほぼ藤島目線で紡がれてゆきます。

自分が知らなかった娘の顔。
妻も知らなかった娘の生活。
わからないことだらけではあるけれど、まぁ、せっかくの機会だし、自らが暴力によって壊してしまった家族をこれをきっかけに取り戻せたら。
だいたい、先に浮気したのは妻のほうだし、生意気な態度しかとらない娘にだって非がないとは言えない。
家族を養うために私生活を犠牲にしてまで働いてきたオレの、なにが悪いというのか。
オレだってもういちど、あいつらに愛されたい。
あたたかい家庭を手に入れたいんだ。

藤島のそんなひたむきな姿を、「不器用な父親」と受け取る方もいらっしゃるでしょう。
愛の言葉ややさしい態度をかけることができず、怒声とげんこつしかふるえない父親を、哀れと受け取る方もいらっしゃるでしょう。
でもね、わたしに言わせれば、そんなの愛情じゃないですよ。
ただ単に自分のことがだいすきなだけのクズ野郎ですよ。

「ふぇぇ・・ だれもボクのこと愛してくれないよ~ 従順な妻といつでもニコニコ笑顔な娘がいいよ~ もっと必要とされたいよ~ ヤりたい時にすきなだけヤらせてくれる妻がいいよ~ 娘にもチヤホヤされたいよ~ ふぇぇ・・・」
・・って要するに大切なのは自分だけなんじゃんか。

なんじゃいそれ・・・

・・・なんじゃいそれ!!
 (←思い出しただけで怒り心頭)

「あいつはオレだ」という藤島のセリフがありますが、そんな風にしたのは誰やねん! という話なわけで。
あと、ついでに言っておくと、子どもは親のものでもありませんし、親がいい気分に浸るための道具でもないんですよ。
ボロボロに傷つけられながらも一生懸命に加奈子を探す藤島が本当に探しているものは、結局「誰からも愛されない自分自身」であり、加奈子を救いたいんじゃなく自分を救いたいだけだったのではないでしょうか。

ホントにさぁ、そんな自己愛の塊みたいな人間だから、元妻の気持ちなんて爪の先程も考えず欲望に任せて凌辱するし、ヤクザに脅されれば「あんな娘もう知らないッスよ!」とへこへこしたりできるんだよ!
挙句には、まったくその必要などないのに、「自分が手に入れられなかったもの」への妬みだけで、ひとんちの奥さんまで何度も犯すとか、一体藤島のどこに「同じ子を持つ父親として、娘への愛はわからんでもない」なんつって共感できる余地があるというのか。
わからん! まったくもってわからん!
ぼかぁマジで一回、谷原章介さんと小一時間語り合いたいよ!

藤島は、加奈子に関わっていたと思しきチンピラの母親に向かい、「お前みたいな親だから子どももクズになるんだよ」と吐き捨てます。
本日の「お前が言うな大賞」に認定したい気持ちを抑えつつ、わたしの考えを書くと、クズの親はまず間違いなくクズだと思うのですよね。
ただ、親がクズだからといって、子どもまでクズになるかというと、それはまた別の話で。

自らのクズ具合を認めた上で、子どもにそれを移さない。
仮に自分の中にどよどよと渦巻く毒があったとしても、子どもにだけは飲ませないでおくことが、親にはできるはずだし、やらないといけない。
完全にそれを怠った藤島と元妻・桐子に、我が子をバケモノを呼ぶ資格なんてないと思うのですよね。

藤島の中の深淵を覗いた加奈子が飲み込まれた闇。
バケモノなのは加奈子なんかじゃない。 彼女を生み出したふたりの大人こそが、無責任なモンスターじゃんか!
なんだよもう! 父親ぶってんじゃねえぞ!


■ 親から子への愛情という名状しがたい不可思議なものについて

と、さんざん「自己愛うぜー」と書いておいてなんですが、親が子どもに対して抱く感情の正体って、実はわたしにもわからないシロモノだったりします。 
いや、現在進行形でし続けています。

わたしにはふたりの娘がいて、わたしは彼女たちのことがそれはもうだいすきで。
いつだって彼女たちのことが心配だし、彼女たちの幸せがなにより大事だし、もしも必要ならば自分の命なんかいつだって捨てられるし。
でもそれって、本当は「娘に何かあったら自分が耐えられないから」なんじゃないの? と。
「自分がつらい思いをしたくないから、娘たちを守ろうとしている」だけなんじゃないの? と、思うことがあって。

単なる自己満足なんじゃないか・・・という考えが頭をよぎるたび、「なんだよ!自己満足でもいいじゃんか!」とキレてみたり、「わたしはなんと身勝手な人間なんだ・・・」と落ち込んでみたりする自分がいて。
でも他方では、そんな脳内のゴチャゴチャが追いつかない程の猛烈な勢いで、体に満ちてゆく「とにかくうちの子は宇宙一かわいいんだよおおお!!」という感情があったりもして。
別の生き物に支配されたような感覚になるんですよね。 子どものことを思う時って。 

なので、藤島の執着心の根底にあるのは自己愛だけだとわたしは依然言い切っちゃうのですけども、もしかしたら、「親」という生き物に宿る説明不可能な感情も、少しは混じっていたのかなぁ、と思わなくもないのです。
特に、ラストシーンの雪山で、やっとこさ自らの力だけで娘を探し始める、惨めったらしい藤島の姿に対しては。

とまぁ、文句を言うために行ったんじゃないはずなのに結局文句に終始してしまっている感はありますが、映画を観終わって(原作を読んだ時もですが)改めて思ったことがありまして。

あくまでわたしの考えですけども、一番忘れちゃいけないのは、親は「いつか子どもを手放す日」のために行動しなきゃいけない、ってことなんじゃないのかなぁ、と。


だいすきだしかわいいから、ホントはずっと一緒に居たいし、手元にとどめて愛しんでいたい。
でもそれは、それこそ「自己満足」以外の何ものでもないわけで。
それに、「一緒にいる」ことを前提にしてしまうと、「一緒にいて心地よいため言うことを聞かせる」とか「一緒にいて不便でないため押さえつける」なんてことをしてしまう気がしますし。

子どもたちを送り出す時は必ず訪れるから、その時彼らが安心して旅立てるよう、愛されたという自信を持って生きてゆけるよう、今できることをやっておかなきゃならないんだよなぁ・・と思ったのですよ。
「加奈子を取り戻したい」、「加奈子の本性を知りたい」、「加奈子に愛されたい」、と自分の願望ばかりを押し通そうとする藤島のようになってはいけない。
暴力なんかは言うまでもないけど、「愛」という心地よいものでがんじがらめにしてもダメなんだよ!

まぁでも、じゃあ「それはどこまで?」っていう配分がまた、非常にむずかしいんですけどね・・。 (※そしてまたぞろ湧き上がる「うちの子かわいいいいい!」という熱情)


■ 原作との相違について

大きな相違として感じたのは、藤島が加奈子にしでかした鬼畜な行動。
原作ではもっとわかりやすく、父親が娘を(酔った勢いとはいえ)辱めたということがわかるやりとりがありました。
その後、加奈子が緒方くんに救われ、その緒方くんを奪われた、といういきさつも、原作からは充分理解できます。
加奈子の行動に「復讐」という意図が隠されていたことも、しっかり伝わってくる。
ですので、性的な行為が行われたようには描かれず、暴力行為とキスだけだったようになっていた映画版は、加奈子というキャラクターの印象がずいぶん違ってしまったように思います。

感情を持たないお人形。 
うまれついての邪悪な存在。 
理解不能なバケモノ。
そんな得体の知れない生き物に振り回される、市井の人々。
キスだって、加奈子のほうから父親を誘っていたように演出されていましたからね。
こわいでーこわい小悪魔やでー抗えんでー とでも言いたいかのように。

でも、ホントにそうなのでしょうか。
仮に性的虐待がなかったとしても、「実の父親に首を絞められ殺されかける」って、人間性が壊れるには充分すぎる経験なんじゃないですか?
加奈子が誘惑したかのようなシーンにしたって、そこに至るまでの経緯を想像せずに「わービッチだー」って言いきっちゃっていいんですか?
藤島の目を見つめて「ああ、わかった」となにもかも悟ったような表情を浮かべる加奈子が、幼いころから父親の眼差しに「よこしま」なものを感じ取っていたのでは、と推測するのは、決して深読みしすぎではないと思うのですよね、わたしは。
むしろ、そこまでに小さな積み重ねがあったと考える方が自然なのではないでしょうか。

『ダークナイト』(のジョーカー)以降、なんかつったら「純粋な悪」で片づけよう、みたいな映画をちょいちょい見かけるのですけども、わたしは安易な気がしてあまりすきではないのですよ。
それはわたしの中に、「子どもってそんなんじゃないよ」という、「純粋な悪は自然に生まれるもんじゃないよ」という気持ちがあるからなのかもしれませんけどね。
というわけで、原作とは別のおぞましい経験を経た加奈子も、だからといって完全な悪にも見えず、でも描き方としてはジョーカーっぽい感じになっていて、ものすごくモヤモヤしてしまいました。

うーん。 わしゃやっぱり、原作の加奈子のほうが、すきだなぁ。(悲惨ですけどね)

あと、オダギリさん演じる殺し屋・愛川が、ただのサイコパスみたいだったのも不満でしたね。
原作における愛川(役名は別でしたが)には、大きな病気を患う息子がおり、その治療費を稼ぐため裏稼業に手を染めるという、「いけないことはわかっているけどのっぴきならない」動機付けがありました。
それがまるまるカットされ、こっちにもジョーカーおったわ!みたいな闘いにもつれ込んでいたのが、なんというか、欲張りすぎというか、おもてなし精神ありすぎというか・・。
もっと藤島の狂気に集中してもよかったんじゃないかなぁ・・と思ったのでした。

その他は、若干の変更こそあったものの、大まかには原作に忠実に作られており、そこはホントによく作れたなぁ(というかよく映倫通ったなぁ)と素直に感心できるトコロでありましたよ。


■ その他のことについて

・ オープニングだっせぇ!! オープニングだっせぇ!!!

・ なんなのこの「オシャンティな幕開けを目指した結果壮絶ダサくなっちゃってでもとりあえずそのまま続行してます」みたいなオープニングは・・・?!  ・・と思ったのですが、もしかしたらアレは、「元嫁から電話がかかってきて久しぶりに頼りにされてるっぽくてテンションガチ上がりの父ちゃん」の心象を表していたのかもしれないので、どっちみちダサいです。

・ 映像がガチャガチャしていてなんのこっちゃわからん。

・ やたらと大音量でBGMがかかっていて、「耳障りだなぁ・・・」  ・・と思ったのですが、そのあと車のエンジンを切ろうとしていたので、「もしかしたら車でかかっていた音楽ってことにしてスムーズにオフにする演出くる?」と洋画でよくあるパターンを期待していたらエンジンを切ってもそのまま流れ続けていたので、どっちみち耳障りでした。

・ 役所さんの靴下のシーンはとてもよかったです。

・ 役所さんの部屋がリアルガチで汚かったところもよかったです。

・ ダンスを踊ってるんじゃないですよ? 音楽をかけながら内臓を踏んでいるだけですよ?

・ 先生、そこはとどめを刺さなきゃダメ! ホラーでも鉄則のやつ!

・ 加奈子をバケモノと思えなかったわたしの目に、いちばんバケモノらしく映ったのは、妻夫木さん演じる浅井刑事でした。 いつも薄ら笑いを浮かべているその瞳の奥はまっくら闇で、「ああ、この人の心こそからっぽじゃないか」と思いましたよ。 すごくよかった!

・ 橋本愛さん演じる森下さんの親友・長野さんが超ガチャピン。(※峯岸みなみさん)

・ 加奈子のほうから藤島を誘惑・・というシーンですが、もしかしたらその一連のくだりは現実じゃなく、藤島の脳内で歪められ出来上がった事実なのかもしれないなぁ、と思いました。 とかく人間というものは、自分に都合よく記憶を書き換えるものなのれす。  ということで結局クズい!

・ 加奈子が「わたしが緒方君を殺した」とつぶやくシーンがあるのですが(※ここも原作とは違う点なのですが)、わたしは文字通りの意味ではなく、「死に等しいほど苦しんでいた恋人を楽にしてあげた」、もしくは「恋人の死を止められなかった(見殺しにしたも同然)」、という風に解釈しましたよ。  ・・まさかそのまんまじゃないじゃろ? でもジョーカー的なキャラにしたいみたいなので、そのまんまなのかも。


■ 藤島昭和について(リプライズ)

最後に藤島は「父」になれたのでしょうか? 
なれたのかもしれません。  

そして、「娘と一緒に朽ち果てる」ことが、父親として、最後にして唯一してあげられることだったのなら、この幕引きは藤島にとってのハッピーエンドだったのかもしれないなぁ、と思いました。




     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

『呪怨 –終わりの始まり-』

2014年07月02日
じゅおん


わたし    「ちょっと映画行ってくるで」
世帯主さま 「おっ! 『渇き。』行くんか?」
わたし    「えっ・・・ っと・・それも観たいというか観るつもりなんやけど、今日はちょっと別の・・・あの・・・『呪怨』をですね・・・」
世帯主さま 「はああ?! じゅおん?! 『渇き。』じゃないんか?!」
わたし    「・・うん・・・だからその・・・もちろん『渇き。』も行くんやけど・・・ なんというか・・・せっかくね・・『呪怨』もやってるし・・・」
世帯主さま 「今度のじゅおんってアレやろ? 佐々木希やろ? だいじょうぶなんか?だいじょうぶじゃないんじゃないんか?」
わたし    「いやそりゃまぁね・・・・大丈夫かって言われたら正直なんとも言えないというか・・・  監督もオリジナルを撮り続けてきた清水崇監督から落合正幸監督にバトンタッチしてるし・・」
世帯主さま 「それダメなパターンじゃん?!」
わたし    「違うんやで! 落合監督は過去に何作もホラーを手掛けてきたベテランだし、廃院間近の病院での恐怖の一夜を描いた『感染』なんかも、史郎がじつによかったし!」
世帯主さま 「史郎だけなんか・・・」
わたし    「それに、今回の内容はというと、 “不登校の生徒の家を訪ねた教師が呪いの渦に巻き込まれる” っていう導入部はオリジナルシリーズ1作目をなぞらえていてワクワクするし、 “遊び半分で家を訪れた女子高生が次々と惨劇のえじきとなる” っていう所なんかもオリジナルの展開そのまんまだし、とかなんとか言いながら “リブート” であるという点を強調していたりなんかもしていて、どのような物語になっているのか大いに興味をそそられるし!」
世帯主さま 「そ・そうなんか・・・  でも、なんだかんだ言っても佐々木希やろ?」
わたし    「ぐぬぬ・・・  ちなみにトリンドルも出とるんやで・・・」
世帯主さま 「なんやて・・・?  ・・しかし、ほんまにええんか・・・わざわざ映画館に行ってまで君が観る必要って、あるのんか・・?」
わたし    「・・逆にな、わたしが観ないとダメな気がするんよ・・・ 『渇き。』は既に話題になってるし、たくさんの人が観に行くと思う。でも、『呪怨』は・・・」
世帯主さま 「ま・・まあな・・・」
わたし    「おもしろくないかもしれん・・おぜぜの無駄かもしれん・・・でも、あの人(呪怨)にはわたしが必要なんよ・・・わかってつかあさい・・・・ 」
世帯主さま 「(完全にダメな男ばっか好きになるパターンのアレやで・・!)」


あらすじ・・・
悪徳不動産屋さんが、不幸が相次いで起こりさんざっぱら死人を出したいわくつきの家を、性懲りもなくシレっとした顔で貸し出します。

juon_01_convert_20140702113413.jpg
(※ 相変わらず塗りムラがはげしい俊雄くん)

・ Jホラーブームの立役者のひとり『呪怨』が、先だってヒットを叩きだし続編まで作られた『貞子』に続けとばかりに、華々しい復活を果たしました。 しかも、3Dなんつう小手先勝負に出ることなく、正統派ホラーとしての堂々たるカムバックです。

・  というわけで、少なからず胸をよぎっていた不安を振り払いつつ、佐伯家の骨を拾うべく劇場へと馳せ参じたのですが、ホントにね、すごかったですよ! いろんな意味ですごかった! いやぁ、いい「呪怨」でした!

・ ノゾミール(佐々木希さん)とトリンドル(トリンドル玲奈さん)という二大巨頭を使って恐怖映画を作る、という、ねるねるねるねからIPS細胞を作り出すぐらいインポッシブルなミッションを突き付けられた落合監督の心情を慮ると、並々ならぬご苦労があったことは想像に容易いのですが、いざ蓋を開けてみれば「よくぞここまで!」と喝采を送りたくなるようなナイスな調理っぷりで敬服いたしました。 みんなー!でっかい大根がおいしく炊き上がったよ!

・ まず、準主役であるトリンドルさんについてですが、「困り顔」というただひとつの表情だけで、ほとんどのシーンを乗り切らせることに成功。 それはまるで、“人形”という感情の無い役に挑んだ「石の微笑」における北島マヤの如き「不動」の演技と言えるのではないでしょうか。 最もリアクションを求められる場面においては、スタントさんに体を張らせることで画面に迫力を与え、なんとなくうやむやにさせてしまうという。 まさに映像の魔術師(マジシャン)!

・ 多くの人が心配していたであろうノゾミールはというと、「オラが主役だべ!」という気概をも感じさせる熱演を披露。 神妙な表情(覇気のない状態)と驚いた表情(ちょっと目を開いた状態)といつものキメ顔(ふんわりと笑った状態)の3パターンで共演者を煙に巻く姿は、「はい」「いいえ」「ありがとう」「すみません」だけで姫川亜弓さんと渡り合った北島マヤの如き煌めきを感じさせる程。

・ そしてわたしが一番舌を巻いたのは、主人公ノゾミールが迎えたクラマックス。  一難去ってまた一難の果てにノゾミールを待ち受けていた、彼女の婚約者の変わり果てた姿(この姿がまた超さいこうにおもしろいんですよ!)。 物語を締めくくる最上級の悲鳴には、狂気と絶望に満ちた表情を添え・・・ ・・・たかったんでしょうけど流石にそれはちょっとノゾミールにはハードルが高すぎるとふんだ監督が選んだうまい解決法、それはズバリ「無表情」!

・ とりあえずぼけーっとさせておいて、あとは瞬きだけ我慢させておけばそのうち目が乾いて涙もこぼれますし! そしたら、何もしてないのに何かしてるみたいに見えますし!  「できないならやらせなければいい」 という発想の転換・・・ すごいぞ・・・落合監督は天才か・・!

・  (※ 演出に関する記述は全てわたしの推測です)

・ では、ダブルヒロイン以外はどうだったのでしょうか。  まず、貞子に並ぶホラー・アイコンを長年演じ続けてきた藤貴子さんに代わり、新たな伽椰子像を作り上げるという難関にチャレンジした最所美咲さんですが、人間モードの時こそ「いかにもな感じのエキセントリックな演技」だったものの、カヤたんモードに入ってからは抜群の動きとキレッキレの眼力を見せつけ、劇場内の温度を2、3度下げることに成功していたのではないでしょうか。  これまたオリジナル版の松山タカシさんから配役変更された、佐伯剛雄役の緋田康人さんも、松山さんに負けず劣らずな凄みのある演技で、タガが外れた人間の恐ろしさというものを心底感じさせられました。  あとは・・・ 俊雄くんは・・・ええと・・・・なんつうかその・・・ねぇ・・?

・ そもそも、「白塗り&グンパン(グンゼのパンツ)」という、恐怖の対極にあるとしか思えないいでたちでニャーニャーないていた俊雄くんは、いつだって全力でカヤたんの足を引っ張っていたわけでありまして。 どれだけカヤたんが気を吐いたところで、俊雄くんが体育座りでジト目をしているだけで失笑必至。 なんど映像化されても解消されない塗りムラ問題と、とってつけたような目のくまにプラスして、近年は「これって児童ポルノ的にオッケーなのか・・・?」という心配まで付きまとい、正直こちとら恐怖描写に身が入りません! せめてなんか羽織っておくれ!

・ 佐伯家に不法侵入した結果、おばけ親子にきっちりお仕置きされてゆく女子高生たち(トリンドルさんを除く)も、いい塩梅に浮ついていて、演技に関してはトリンドルさんとどっこいな方もいらしたのですが、制服姿がめちゃくちゃ可愛いかったので、もういいかな・・・ と思っているわたしがいます。 なあに、問題ありません。 なぜならホラーというのはそういうものなのだから。(たぶん)

・ 「あご割れ」や「布団からのコンニチハ」や「まさかの受胎騒動」に続き、伝家の宝刀「階段降り」など、オリジナルの名場面をふんだんに盛り込んだ展開がおもしろく、「来る・・?」と思わせた上での意表を突いた天井這いなどは、そうきたか!と膝を打ちたくなるぐらい愉快でした。 

・ ずらされた時間軸が組み合わされることで真相が解き明かされてゆく構成も、複雑すぎず、かといって単純すぎない程度のひねりがくわえられており、過去のシリーズを観てきたファンと、初めての観客の双方に、適度な驚きを与えてくれるのではないでしょうか。 

・ さんざん遠まわしに書いてきましたが、はっきり言うと「覚悟していた以上の惨状ではなかった」程度でしかなかった作品でした。 これでも回りくどいか。  わかった!正直に言うよ!ひどかったよ!わかってたけどひどかったよ! でも、わかってて行ったんだからこれでいいんだよ! 

・ 「このタレントさんを使って、この予算で、グロは無しで、血の色なんかは当然抑えめで、でも絶叫系で」みたいな無理難題にノーと言うことを許されない映画監督(制作スタッフ)って、決して少なくないのではないかと思うのですよ。 そうして完成した作品は、目の肥えたホラーファンからは悪しざまに批評され、新規のファンにさえ物足りないと言われることもあるでしょう。  ただ、わたしはそういった様々な制約の中で作られた映画をできれば応援して行きたいし、本作にしてみても、かなりの創意工夫と苦渋の決断の痕跡が痛いほど感じられ、絶対に嫌いにはなれない。  いや、むしろ充分すぎるほどよくできていると思うのですよね。  ひどいとか言っちゃったけど、最低限押さえるべきツボは、きちんと押さえて仕上げられていると思います。

・ 特に、ラスト10分の畳みかけはすばらしかったですよ。 そこに至るまでの停滞感を一気に吹き飛ばすほどの勢いで、思い切りの良すぎる造形も含め、大いに楽しませていただきました。  

・ サンルティンバンコもかくや! というような一大アクロバットに挑戦する(ほとんどはスタントさんと特殊効果でしょうが)トリンドルさんのスカートが、大人の事情でいっさいめくれないのを目にした時、本当に心の底から「スタッフのみなさん・・・ご苦労様でした!」と思いましたもんね。  あれだけ上下左右に振り回されて、あれだけミニスカートなのに、パンチラが完全にロックされてるなんて尋常じゃないよ! あとから描き足したみたいなスカートだったよ! もういいっ・・・!・・もう休めっ・・・・!

・ まあね、大きなスクリーンでカヤたんが観られたので、わたしはもう満足ですよ。ええ、そうですとも。

・ あとね、なんだかんだいって一番衝撃だったのは、エンディングで流れた主題歌なんですよね。 「なんだこのお経みたいな歌は」と思っていたら、鬼束ちひろさんの新曲だったという。 ・・き、聴いてるだけで気持ちがどんよりとするいい歌ですね!

・ というか、今の鬼束さんならそのままの状態でカヤたんやっても違和感ない気がします・・!

・ というわけで、得心したので、明日こそは『渇き。』を観に行きます。 



関連感想
『呪怨』(ビデオ版)・・・栗山千明さまが登場
『呪怨2』(ビデオ版2作目)・・・カヤたん大繁殖
『呪怨』(劇場版)・・・焼いても炊いてもどうにもならなかった奥菜恵さん
『呪怨2』(劇場版2作目)・・・酒井法子さんご懐妊
『THE JUON 呪怨』(ハリウッド版)・・・狙われたビル・プルマン
『呪怨 パンデミック』(ハリウッド版2作目)・・・家が燃えました
『呪怨 ザ・グラッジ3』(ハリウッド版3作目)・・・カヤたんの妹登場


     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 | HOME | 

※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。