ブログパーツ

『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』

2014年02月28日
file_177593_0_kick_ass_2_poster_convert_20140227142751.jpg

あらすじ・・・
街を牛耳る犯罪組織のボス、フランク・ダミーコが謎の死を遂げて4年。
その死に深く関わった「スーパーヒーロー」キック・アスことデイブは、ヒーロー稼業から足を洗い、ごくごく普通の高校生活を送っていた。
ダミーコと死闘を繰り広げたヒット・ガールことミンディもまた、父の友人だったマーカスに引き取られ、デイブと同じ高校に通うことに。
一方、姿を消した(引退した)キック・アスが世間に与えた影響は大きく、いまだに多くのフォロワーを生み出し続けていた。
正義の心をマスクに包み、街を練り歩く一般市民たち。
しかし、しょせんコスプレをした普通の人でしかない「ヒーロー」たちを前に、反社会的な犯罪行為がおさまる筈もなく、相変わらず街は「わるいやつ」で溢れかえっていたのだった。

今こそヒーローとして復帰すべき時なのではないか・・・ どうせ毎日退屈だし・・なんだかんだ言ってヒット・ガールと闘ってた時って充実してたし・・・

デイブの中に、再び正義を求める気持ちがくすぶり始めたその頃、ダミーコの息子であるレッド・ミストことクリスの中にも、キック・アスに対する復讐の炎がメラメラと燃え上がっており・・・



物心ついた頃から父親に「殺人術」を叩き込まれ、悪党を倒すことにこそ生きる意味はある、と信じて育ってきたヒット・ガール。
幼い頃から「正しい闘い」について教え込まれ、自爆テロをも辞さない生き方を強いられてきた過激派組織の子ども達と彼女とは、一体何が違うのか。
きっと何も違わない。
彼らはみんな、洗脳され、銃を持たされ、人を殺しに出掛けるかわいそうな子ども達なのです。

だけれどわたしは、過激派の子どもたちに抱かない感情を、ヒット・ガールにだけは抱いてしまう。
彼女の生き方を、圧倒的に肯定してしまう。
なぜなら、わたしもまた、ひとりよがりな義侠心に突き動かされるタイプの人間だから。
「卑劣な性犯罪者は去勢してしまえばいい!」
「自己中心的な殺人者は死刑でいい!」
そんな独善的な怒りで、新聞に涙のしみをつけてしまうわたしに、「狂気」を食んで育ったヒット・ガールの「正義」はとても眩しいものでした。
美しさすら感じてしまうほどに。


そもそも「正義」って、実に曖昧なシロモノですよね。
どこに立つか、どちら側から見るかで、全く逆の意味を持ってしまうあやふやな概念。
そんな「正義」がもつ危うさを、前作には出てこなかった一般人を巻き込むことで、さらに際どさを増しつつ描いてみせていた『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』。
わたしはとても夢中になって鑑賞しました。
「おもしろいか?」 と聞かれれば「しんどいよ」と答えるでしょう。
「たのしかったか?」 と聞かれれば「つらかったよ」と答えるでしょう。
とにかく、前作以上に酷い内容でしたし。
復讐が新たな復讐を呼び、誰かを思いやることの出来る人間がバタバタと(しかも何の余韻もなく)殺され、血の上に新たな血が流される、とても残酷な映画でしたので。
けれども、そんな酷い世界で、なんとか「自分の中の正義」を貫こうとする人たちの姿に、わたしは何度も心を揺さぶられ、なんだったら涙すら流さんばかりの勢いで感情移入してしまったのですよ。

人はそんなに強くない。
絶対的に正しくもない。
とどのつまり、自分の観点でしか判断できない。
だから何もしない? 
見て見ぬフリを決め込むしかない? 
そうじゃない! そうじゃないでしょう?、と。
たとえ独善的だろうと、崇高な目的などなかろうと、「これは放っておけない」という場面に出くわした時には勇気を持って踏み出すキック・アスを、ただの「度が過ぎたお調子者」と呼ぶことは、わたしには出来ません。

もちろん、そうやって勢いよく放たれた「正義」は、当然のことながら万人にとっての「正義」などである筈もなく。
本作では、羽毛のごとき軽いノリでヒーロー稼業を再開したデイブに、前作など比ではない、無情すぎるしっぺ返しが襲い掛かります。
あんな人やこんな人に降りかかる悲劇的な展開は、「人命軽視」と受け取られても仕方ないかもしれませんが、まぁ、たしかにさっくり殺されすぎな気もするのですが、でも、そういうものだと思うのですよね、「正義」の代償って。
みんながみんな、名誉ある引き際を用意されるわけではない。
誰かがふるった「正義」の拳は、どこかに跳ね返っているものなのではないでしょうか。
わたしたちが知らない間にも。

本作は他にも、「正義」のあやふやさにハっとさせられる部分が随所にあり、製作者の冷静な眼差しをひしと感じました。
一般人が参加しているから「正義」、犯罪者が参加しているから「悪」と、わたしが心の中で勝手に描いていた縮図が、結局どちらも手に凶器を携え殺人も厭わない覚悟でにらみ合っているという、どっちもどっちなシーンで猛烈にぼやけて行った時などは、自分の浅はかさを笑われたようでドキドキしましたよね。
「正義って何?」 「きみのそれは正義なの?」、と。
そこに立っていたのがプロの殺し屋などではない、もしかしたら今までの人生で人を殴ったことすらないかもしれないような「普通」の人たちだったからこそ、より一層身近な疑問として突きつけられたような気がします。


さて、色々書きましたがここいらで本題に入りますね。(前フリだったのか)

考え方に一貫性のないキック・アス、いつまでも幼稚くさいレッド・ミストあらためマザー・ファッカーによる復讐合戦はさておき、本作で一番わたしの心をとらえたのは、ヒット・ガールことミンディさんの成長でした。

父親に「洗脳」され、息をするように悪党を殺してきたミンディの生き様。
それは、彼女が選んだように見えてその実、父親が敷いたレールの上を走っていたに過ぎなかったのですよね。
あまりに大きい父の影響力により、そのことに気付きもしなかったミンディ。
しかし、異様な生活を共にしてきた父を亡くし、至極まっとうな生き方のマーカスに引き取られた為、一度そのレールから降ろされ、「普通」の世界に足を踏み入れることとなる。
そしてはじめて気付くのです。
「スラム街も普通の世界も、同じなのだ」ということに。

同じ年頃の女の子が流行りの音楽やオシャレの話で盛り上がり、放課後には部活で汗を流したり、友達のうちで恋バナに花を咲かせる「普通の世界」。
しかし、「普通の世界」はあくまで「普通」なだけであって、「安全」な世界ではないのです。
隙あらば弱いものを弄び、甚振ってやろうと、ピンク色のカーディガンの下で爪を研いでいる悪党が。
銃やナイフこそ用いらないけれど、心をズタズタに切り裂くだけのスキルは充分に持ち合わせている悪党どもが、キラキラとした学校生活の中にも潜んでいる。
自分の心無い言葉がたとえ相手を死に追いやろうと気にも留めないような、悪魔のような同級生と対峙し、ミンディはいまだかつて味わったことのないような深い傷を負います。
きっと、どんな大男に殴られても、ここまでの痛みは感じなかったことでしょう。

そして彼女は悟る。
「なんだ、どこにでも悪党はいるんじゃないか」、と。

ちょっとおかしい父親・ビッグダディとの約束や、「普通の善人」であるマーカスとの約束は、結局「大人の希望」の押し付けでしかなかったのですよね。
それは、子どもを思ってのことでしょうし、自分の経験と照らし合わせてアドバイスという名の制限をしてしまうのは無理もないこと。
しかし、子どもの人生は子ども自身が決めなければ。だって子どもは親の操り人形ではないのだから。
ミンディが鏡の中にヒット・ガールを見てハッと立ち止まるシーンで、わたしはなぜだか泣きそうになってしまいました。
親の理想と自分らしさとの板ばさみになった彼女の姿が、あまりにつらすぎて。
デイブがかけた「きみはヒット・ガールなんだよ」という一言は、彼としては大したつもりなどなかったのかもしれないけれど、ミンディにとっては重要な言葉だったのではないでしょうか。

そして、そんなデイブが大切な人の死に打ちのめされた時、以前彼が自分の為にそうしてくれたように、彼女は再びコスチュームに身を包む。
「やってやろうじゃねえの」、と。
それは、ミンディが自分の意志で「正義」を貫く覚悟を決めた瞬間だったのではないでしょうか。
大人に敷かれたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩む覚悟を。
血塗られた道かもしれないけれど、もしかしたら「正義の反動」であっけなく死んでしまうかもしれないけれど、決して褒められた道ではないかもしれないけれど、保護者の庇護と決別し、バイクで颯爽と走り出すヒット・ガールの姿は、わたしの目にとても眩しく映ったのでした。


ということで、コミックブックのような荒唐無稽なキャラクターと、考えが浅かったり集団心理に弱かったり等等現実味がありすぎるストーリーという、矛盾した描写がうみだすギャップが今回もとてもすばらしかった本作。
成長が感じられなかった登場人物も、頼もしい一歩を踏み出した登場人物も、まだまだもうひと暴れしてくれそうな予感を漂わせつつ物語は終了するのですが、わたしは第3弾を望みません。

1作目の導入部、デイブがキック・アスとしてチンピラに絡まれている人を助けるシーンで、傷だらけになりながら発した言葉。
「見て見ぬフリなんて出来ない」。
これこそが、すべての始まりだったと思うのですよね。
向こう見ずで、勇敢で、純粋な「正義」というものの。
今回のラストでも、「マスク」というスーパーパワーを捨てた素顔のドクター・グラビティが、目の前のひったくり犯に敢然と立ち向かって行くシーンがありました。
色んな形の「正義」を経験したからこそ辿り着いた、自分なりの「ヒーロー像」。
わたしはとても感動したのですよ。
ああ、これなんだよな、と。
マスクを被って活躍することも「正義」だろう。
危険なマフィアを殲滅することも「正義」なのだろう。
ただ、目の前で困っている人に手を差し伸べる、そんな小さな「正義」を持ち続けることも、とても大事なことだし、わたしたちにはそれが出来るはずなんだ、と。
「正義」を無くしてはならない。 そう思った時、タイトルの「ジャスティス・フォーエバー」が改めて胸に響きました。

原作はまだまだ続くようですが、映画としてはもう、充分だと思いますね。



- おまけ -

・ マザー・ロシアが警官たちをプチプチと殺して行くシーンを観た時、なんだか漠然と「板垣恵介先生のマンガに出てきそうだな・・」と思ってしまいました。 一度でいいから見てみたい、マザーロシアがホッキョクグマを素手で倒すとこ。

・ ジム・キャリーさん演じるスターズ・アンド・ストライプス大佐のキャラもよかったです。 宗教に目覚めて自警団となった元マフィアの用心棒なのですが、信仰深く言葉遣いにも超シビアな一方、暴力に滾ってしまうという二面性のある役柄で、「あー、いかにもアメリカにいそうだなー」とブルブルしました。 信心とバイオレンスが併存してしまえる国、それがアメリカ。(もちろん他の国にもいるでしょうけども)

・ マーティ、かわいいよマーティ。

・ 諸手を挙げて大満足!というわけではなく、中にはどうしても納得いかない部分もありました。 デイブの友達のトッドの言動なんかは特にひどかったです。 まぁ、それもミンディとスクールカースト上位組女子との諍いと同じで、「後先考えないティーンエイジャーゆえの残酷さ」の表れなのかもしれませが。

・ いくら「普通」を望んでいるからといって、ミンディとは全くジャンルの違う女子会に参加させるマーカスは、保護者としてどうかと思う。 そもそもどこで段取りつけてきたんだよ。 

・ ジョン・レグイザモさんはいい役だったなぁ。 あんなおとうさんほしい。(おにいちゃんでもいい)



関連感想
『キック・アス』(1作目)



- おまけ・その2 -


(1作目の名シーン。 わたしはこのシーンが一番すきです。 キックアスくんに関してだけいうと、あとのくだりは全部おまけだと思ってます。)(あとはヒットガールちゃんが主役だと思ってる。)





     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(シリーズ2作目)

2014年02月21日
Ken-Taylor-Thor-Dark-World-Variant_convert_20140220132248.jpg

あらすじ・・・
ロンドン市内において、屈強なコスプレ男性がトンカチのようなものを振り回す事案が発生!

というわけで、楽しみにしていた『マイティ・ソー』の続編「ダーク・ワールド」を観てきましたよ。
結論から言うと、めちゃくちゃおもしろかったです。
主人公であるソーさんはもとより、彼を取り巻くゆかいな面々も前作以上に味わい深くて見せ場もたっぷり。

Odinsleep_convert_20140220132356.jpg
オーディン王「突然ではありますが、シエスタの時間なのでわし寝ますね。」(※前作より)

魅力的な人たちの中でもひときわ輝いていたのが、父王オーディンさん。
前作では、国の存続を揺るがしかねない有事の真っ最中に冬眠に入るという、高級料亭でてんぷらを食うどころではないマイペースっぷりでみなを驚かせてくれたオーディンさんでしたが、本作ではキャラクターの存続を揺るがしかねないクズ親っぷりを惜しみなく披露。
誰が聞いても「わあ!クズだ!」と声張って答えることの出来るであろう、「どうかと思う」珠玉の迷言がキラ星のごとく散りばめられておりましたので、今回はその一部をご紹介しながら本編のたのしさをお伝えしてみたいと思います。
(※セリフはすべてアガサによる意訳です)

父ちゃん1_convert_20140220150055
「お前にあったのは死ぬ権利だけだったんだよ」

はい、いきなり出ましたクズ発言!
両親と血の繋がりがなかったことを知った息子さんが、当然のことながら激しくいじけるのを尻目に、オフトゥンにインしていたオーディンさん(ここまで前作)
その後、さらにこじらせた結果地球で悪さをはたらき、お兄ちゃんやその仲間のみんなに迷惑をかけまくってしまった息子さんを、どうにかこうにかしょっぴいた(ここまでアベンジャーズ)果ての、久方ぶりの再会シーンでの第一声がこれですよ。
雷を落とすでも、冷静に諭すでもなく、いきなりの「死んでりゃよかったのに」宣告。
そりゃこじらせるわー養子にしといてそれはないわー。

父ちゃん4_convert_20140220150211
「誰が育ててやったと思ってるんだ」

しょっぱなから「こんな神様はいやだ!」コントが始まったのかと思うようなゲスい発言を繰り出したオーディンさんが、死ぬ権利うんぬんと一緒にさりげなくお見舞いしたのがこのセリフ。
あのですね! そもそも敵国の跡取り息子だったロキたんを、赤ちゃんだからわかんねーだろーつって勝手に連れて帰ったのは誰ですかというね! そういうお話じゃないんですかね! 頼まれもしないのに! 
「しょせん血の繋がりもないんだし、大きくなっても国は継がせないよ?」というのなら、養子ではなく一国民として面倒をみてあげればよいだけのことで! その方が本人(ロキたん)も期待とかしなかったでしょうし! ね!そういうことは全部棚上げですか! おい! 金ピカ眼帯! 中二病か!

父ちゃん2_convert_20140220150149
「くせえくせえ ちきゅうじんのにおいがしやがるぜ」

『マイティ・ソー』と『アベンジャーズ』での闘いを経て、人(神?)として一回りも二回りも成長したもうひとりの息子・ソーさん。
そんな彼に大きな影響を与えたのが、地球人女性・ジェーンさんだったわけなのですが、どうやら「えらいかみさま」であるオーディンさんは、ジェーンさんと息子さんとの交際にあまりいい印象をお持ちではないようで。
ひょんなことから、エーテルという物質を体内に取り込んでしまったジェーンさんは、その様子の変わりようにいち早く気付いたソーさんの指示により、アスガルドの医療チームから最先端医療を施されることとなるのですが、診察の真っ最中ズカズカと入ってきたオーディンさんはジェーンさんを一目見るなり「もうええやろ、さっさと帰ってんか」と一喝。
いやいやいや父上、と。
まだ原因も対処法もわかってないでしょうよ、と。
こういっちゃなんですけど、ぼくの大切な人ですよ、と。
息子の恋心まるっきり無視ですか。 まぁね、オーディンさん的には、種族も身分もかけ離れている地球人よりも、常に陰日向となって息子を支え続けてきた女剣士・シフさんの方が、しっくりくるのでしょうけどね。 美人ですし。 部下でもあるので忠誠心も強いですし。
ただ、息子さんが初めて連れてきた(しかも体調が悪いとおぼしき)女性への態度としては、大人としても王様としても最低最悪ですよね! エブリバディーセイ!「YO!クズ神(しん)!」

父ちゃん7_convert_20140220155940
「取り出し方? 知らんよ」

それはさておき、ほんじゃあジェーンさんの体内に入り込んでいたエーテルって一体なんだったの? という話になるのですが、遡ること5千年前。 数千年来の宿敵であるダークエルフ一族の長・マレキスさんから、オーディンさんのお父上・ボーさんが取り上げて地中深くに埋めておいたはずの超宇宙パワーの源こそが、問題のエーテルだったのですよね。
エーテルが醸し出す不思議な力と、惑星直列とが生み出した奇跡のハーモニーによって次元が捻じ曲げられ、たまたま近くで重力調査中だったジェーンさんが、そこに吸い込まれたというのがコトの発端でして。
これねー、もしかしてだけど、掘り方とか管理の仕方が甘かったんじゃないんですかね! ねぇ、アスガルドのみなさん! ね!
「エーテル、埋めといたよ!」というトコロまでしか明記されていない歴史書をドヤ顔で引っ張り出し、過去の戦歴をとうとうと語った挙句、「それはわかったから、体内に入ったエーテルの取り出し方おせーてよ!」というジェーンさんの質問に対し、オーディンさんがここ一番のすっとぼけた表情と共に言い放った一言は、観る者に、それはもう強烈な勢いで、アスガルドに対する「おい・・おたくのリーダーやばいんじゃないの・・・」という同情心を煽り立てていったのでした。

父ちゃん5_convert_20140220150229
「もういいじゃん!みんなで死ねばいいじゃん!」

さてさて、一方ジェーンさんの体内に寄生したエーテルの匂いを嗅ぎ付けたダークエルフ軍団はというと、数千年ぶりの眠りからばっちり目覚めておりました。
その上、くだんのジェーンさんがにっくきアスガルドに滞在中というトコロまで察したものですから、一石二鳥を兼ねんとばかりに一個連帯を率いて殴りこみを掛けてきてしまいます。
一足先にアスガルド入りしていたダークエルフの戦士・アルグリムさんが、内部から大騒動を巻き起こしてくれていたお陰で、マレキスさんは悠々と王宮を破壊。
何もかも後手に回ってしまったオーディンさんは、兵士は犠牲になるわ最愛の妻・フリッガさんまで喪うわで、めっきり老け込む有様です。
このままでは、アスガルドは滅亡の危機だ・・・。 
そう判断したソーさんは、一か八かの危険な賭けではあるものの、体内にひそむエーテルごとジェーンさんを国外へ連れ出し、極力民間人の犠牲が少なくなる状況に移動してからダークエルフ軍団と対峙する事を父王に提案しますが、キレて自暴自棄になってしまっているオーディンさんは全く聞く耳をもってくれません。
「そんなん失敗したらどうすんねん!」「ええんや!どうせ死ぬんや!せやったらみんなで名誉ある死を遂げたらええんや!」と、ホラー映画なら真っ先に死ぬであろうキャラクターが言いそうな捨てゼリフを滑舌よく投下。
あのね! おとうさんね! 名誉じゃお腹はふくれませんよ! 一国のリーダーなら、もっとおいしい名言お願いしますよ! 思わずついて行きたくなるようなやつを! おねがいしますよ!

父ちゃん6_convert_20140220150242
「王としては祝福できんのだ・・・王としてはな・・ ・・だが、父としては別だ・・!」

これこれ! こういうやつ! よっ!待ってました大統領! クズ神とか言ってゴメンね!
王である自分の方針を否定し、反逆罪を犯してまでアスガルドを飛び出した息子・ソーさんのスタンドプレーを、さぞかし苦々しく思ったことでしょう。
おまけに地下牢に閉じ込めておいた不肖の息子・ロキまで連れ出されたのですから、裏切られたような気持ちになった夜もあったでしょう。
でも、なんだかんだでソーさんの判断は正しく、アスガルドの民は守られ、強敵・マレキスさんまで倒してくれた。
万感の思いに包まれつつ迎えた、息子の帰還の瞬間(とき)・・・ 潔く王の座を譲ろうとしたオーディンさんに、ソーさんは静かに胸のうちを語り始めます。
「自分は王にふさわしくない」「本当に王というもののなんたるかを判っていたのはロキのほうだ」「名誉の死を遂げたロキのように、自分も誇りある生き方がしたい」「かいつまんで言うと、ジェーンと暮らしたい」

とうちゃんショック!

しかし、とうちゃんは愛する人との生活を選んだ息子に、王として、愛する人を守れなかった男として、そっと目配せするのでした。
“ 王 と し て は ” 祝福できない、と。
いいじゃん! さいこうじゃん! 
威厳を保ちつつ、親としての道も示す・・ なんという思いやりある言葉なのでしょう! オレ・・オーディンさんのこと見損なうトコだった・・・ ホントは偉大な王さまだったんだよ・・・ ・・そうだったんだよ・・ ありがとう!とうちゃんありがとう!

ロキ_convert_20140221162035
「いいえ、こちらこそ」(クスッ)

えー! ロキたんだったのー! なんだーやだーもーでもかわいいからゆるす! あ、あとオーディンさんお疲れさまでした!


次回はロキたんがソーさんとジェーンさんの新居にドッキリを仕掛けちゃうよ! おたのしみに!(※製作未定)(※わたしの脳内では先日クランクイン)



- 追記 -

・ マーベル界のアンジェラ・アキことダーシーたんのまぁかわいいこと! 前作以上に見せ場もあるし、その見せ場は本編にあんまり関係ないし、要するに「かわいいから編集で切れなかった」ってことでやったねダーシー!

・ ラース・フォン・トリアー監督作品でおなじみステ子スカ雄Åことステラン・スカルスガルドたんも超さいこうでした! 前作に引き続き、ヒロインの共同研究者であるエリック・セルヴィグ博士を演じていたのですが、ピタピタニットにルーズなジャージというおしゃれ上級者テクで、流行に敏感なファッションモンスターのハートをキャッチ! 同時に世の中のおっさんフェチのハートも鷲掴みにするという、二兎も三兎も逃さない仕事っぷりには、ただただ感嘆あるのみです。

・ まぁ、結局のところ、博士が発明した装置の仕組みはてんでさっぱりだったのですけども。 とりあえず、すごい装置ってコトと、博士がヤバいぐらい賢いというコトだけ覚えて帰ってもらえたら、なんつって思っとります。

・ クライマックスのアクションの自由さがとても素敵だったと思います。 多くの方が指摘されていると思いますが、『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-04』のスケールの大きい版みたいな感じで、ホントにもうひたすら「うおー!」「うひゃー!」と興奮しっぱなしでした。ちなみにダークエルフの仮面は完全に「かぐたば」でしたよね。 ははーん、さてはアラン・テイラー監督、白石晃士監督のファンだな! いいんだよ!素直にゲロっちゃいなよ!

・ 概ね大満足だった本作。 少しだけ気になるとすれば、ヒロインのナタ子(ナタリー・ポートマンさん)が前作の時よりもかなりアレな感じになっていた点でしょうかね・・。 なんというか、言葉のとげとげしさがペッパー・ポッツ寄りになってきているというか・・・  かあさん・・オレ、心配です・・。

・ 「こっち来てたのに便り一つよこさんてどーゆーこと?!」とソーさんに噛み付くナタ子さんの気持ちは判らんではないのですが、ほら、あちらにも色々事情があるでしょうし、本当の愛情は信頼しあうことだって、じっちゃん言ってた!

・ で、国のみんなとかお父ちゃんとか沢山守りたいものあるのに、ジェーンがやいのやいの言うから地球にやってきちゃうソーさん。 ほら・・どっかの誰かにロボット全部棄てさせられたあの人に似ていませんか・・ あくまで自由意志ですけど・・  こりゃ『アベンジャーズ2』は飲んでクダ巻く男二人の話で大いに盛り上がりそうだな!ええ?

・ 意外なゲストキャラや、アベンジャーズ絡みのネタ、湿っぽすぎないけど深みのあるストーリーに、溢れんばかりの遊び心などなど、サービス精神に満ちたとてもおもしろい作品だったと思いました!



- 追記2 -

・ わーい! ベニチオ・デル・トロさんだー!!



関連感想
『マイティ・ソー』(シリーズ1作目)
『アベンジャーズ』



     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

悼まないことにした。

2014年02月11日
Twitterをしていると、時々、誰かの死を悼むつぶやきを目にすることがある。
大好きだった誰かへの言葉。
憧れていた誰かへの思慕。
タイムラインをとうとうと流れる追悼の声。
だけれどわたしは、自分が見聞きしたことのある誰かの死を知っても、それをつぶやこうとはしなかった。
つぶやいていた人たちを責めているのではない。
ただ、自分が本当に好きな人を亡くした時しか、哀しみの声をあげたくなかったのだ。

そして、先週、もしも本当に好きな人を亡くしてしまう時がきたら、自分には声をあげることなどできなかったのだな、ということを知った。


フィリップ・シーモア・ホフマンさんのプロフィール欄の、その生年月日は、2014年2月2日でしめくくられたままだ。
何度見返しても、更新ボタンを押しても、日付は消えない。
なぜなら、彼は「亡くなって」しまったから。

どうして? どうして? なんで? どうして?
そのニュースを見た瞬間、わたしの頭の中は誰に聞くでもない疑問で溢れかえっていた。
手がぶるぶると震え、涙とも鼻水ともわからないものが顔を覆った。
吐き気がした。 いや、吐いてしまったのかもしれない。
どうして? どうして? どうしてこんなことに?

ネットの記事は早すぎる死を惜しむ文字で埋め尽くされ、わたしのからだは、シーモアさんが「亡くなって」しまったという事実に切り刻まれてゆくようだった。
身を振り絞りながら、わたしはそのことについてひたすら考えた。
亡くなった? いなくなった? でも、今でもシーモアさんはここにいるのに? いるのに「亡くなった」とは、一体どういうことなのだ?

そう、シーモアさんはいなくなっていない。
『男が女を愛する時』で、初めてシーモアさんという存在を覚えた頃から、何度も脇役として見かけては「あ、また出てる」と嬉しい気持ちになった頃から、わたし好みのぽっちゃり体型にシフトしていった『ツイスター』や『ハードエイト』の頃から、ずっとシーモアさんはここにいつづけている。
沢山の監督に愛され、愛くるしい笑顔や、ゾクゾクするような冷淡な表情や、匂い立つ色気や、ほんとうにダメな人や、にくめない人や、沢山のへんたいや、さみしい人や、あたたかい人や、数え切れないほど多くの人生を演じてきたシーモアさんに、これまでだって今だって、いつでもすぐに会うことができるではないか。
ある時は記憶の中で。
そうでなければ、デッキにディスクを入れることで。

シーモアさんは「生きて」いる。
それなのに、シーモアさんが「亡くなった」なんて、そんなおかしな話があっていいものか。
もしかしたらわたしは、こんなこと、知らなくてもよかったのではないか。


「亡くなった」シーモアさんの、今後公開されるであろう作品を、「遺作」とはどうしても呼べない。
「亡くなった」シーモアさんが、今まで出演してきた作品に言及する時、「素晴らしかった」と過去形でなど語りたくない。
シーモアさんは過去の人ではない。
シーモアさんは「亡くなって」などいない。
いなくなってもいない。 冷たくなってもいない。 その眼差しは、まだあたたかいままなのだ。


数日を経てわたしが出した結論は、シーモアさんの死を悼まないということだった。
死を認めないのではない。 
知らないままでいようと決めたのだ。

愚かだと思う。 ちっとも前向きではないと思う。
けれども、もう少しだけ、プロフィール欄を見ても画面がみるみるぼやけてこなくなるぐらいまでは、後ろ向きでもいいじゃないか。
シーモアさんの演技を観た時、哀しみなんて無粋な感情に素直な感動を邪魔されない為に、あと5年か、10年か、もしかしたらわたし自身が亡くなるまで、シーモアさんはここにいると思い続けてもいいじゃないか。
最近寡作になったなぁ、とか、そんなふうに思っていてもいいんじゃないか。

だからわたしは、悼まないことにした。
今までもこれからも、シーモアさんの作品が楽しみでしょうがない。


シーモア、可愛いよシーモア。



     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 | HOME | 

※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。