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『スカイライン-征服-』

2011年06月28日
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親方!空から・・じゃなかった、空に女の人や男の人やおじいさんやおばあさんや、とにかく沢山の人がまるでゴミのように!

あらすじ・・・
3日でわかる、人類捕食計画。


UFOの姿を探して空を見上げるようになったのは、いつごろからだっただろうか。

初めて「UFO」を見たのは、テレビか映画の1シーンではないかと思う。
作り物くさくて、実際に存在するとは思えなかった丸い物体。
それが、尽きない関心の対象となったのは、小学校4年生の頃に読んだ「世界七不思議」という子ども用ムックがきっかけだった。
写真とイラストを織り交ぜつつ、ネッシー、魔の三角地帯、アトランティス大陸、キャトルミューティレーション、人体自然発火現象といった摩訶不思議な事象を紹介するという、今だったら間違いなく洋泉社あたりが発行しそうなオモシロ本の中で、多めのページを割いて説明されていたUFOの目撃談。
アメリカの片田舎で農夫のおじさんが遭遇したオレンジ色の光。
偶然撮られたお椀の様な形の空飛ぶ物体。
世間はそれを「アダムスキー型」と呼ぶんだぜ、と教えてくれた矢追純一のテレビ番組も、さらに私の心を燃え上がらせた。

肉眼で見るUFOの姿はどんな様子なんだろう。
どんな風に飛んで、どんな光を放って、そもそもどんな目的で「付かず離れず」みたいな距離を徘徊しているのだろう。
実際に遭ったら多分怖い。 でも見てみたい。
小学6年生の頃には、訳のわからない熱情に突き動かされるがまま仲間を募って近所の鉄塔下に集まり、UFOを呼ぶような子どもに育っていた私。
そのころから今に至るまで、私の空の上にUFOは現われていない。
ゆえに今も私は、空を見上げてしまうのだ。
そこに、ぺかーっと輝くまばゆい物体が漂っていないかを確認する為。

さて。 本物のUFOとは縁遠い人生だったが、目の前のスクリーンでは実に多種多様なUFOが飛来しては消えてきた。
戸惑う人々をからかう様に高速で飛び交うUFO。 迷子のUFO。 実は地面の下に潜んでいたUFO。 ちっちゃいUFO。 ジャイアントUFO。
空を埋め尽くしたり、覆ったり、ちょこまかとうろついたりするUFOたちの姿に、私はいつだって無い胸を躍らせてきた。
そう、例えそれらの目的が、侵略や観察や殲滅や支配だったとしても、だ。


つまり、何がいいたいのかというと、『スカイライン』最高におもしろかったよコンチクショウ! というコトです。
『インデペンデンス・デイ』の流れを汲む巨大なマザーシップ。
「シップ」とは言ってもそれ自体が生命体であり、ひとつひとつの姿は微妙に異なっている。
数kmはあろうかという個性豊かなマザーシップが、ロサンゼルスの青い空と地上に建ち並ぶ高層ビルとの間、等間隔に浮かんでいる光景には、荘厳さすら感じてしまいました。
物語は、ある日の明け方近く、それらが空を覆ったのち、一気に無数の人間たちを吸い込む所から始まります。
何も出来ず、ただマンションに閉じこもり窓の外で繰り広げられる惨状に絶望するだけの1日目。
血気盛んな民間人の抵抗と、寄せ集め空軍による反撃が開始されるも、異性人が持つ再生能力を前に成す術無く踏みにじられるだけの2日目。
そして、全ての望みを失ったかのように見えた時、ついに最強の救世主が誕生する3日目。

限られた時間と、限られた空間(主人公が滞在していたマンションの周囲約数10km)だけを使い、人類の絶望から希望までの道のりをスピーディに描いてみせた手腕は鮮やかで、まるでロメロ3部作(ナイト・ドーン・デイ)をショッピングモールだけを使って一気にまとめてしまったかのような豪快さを感じました。
「世界の破滅」に説得力を与える為に、いちいちノートルダムやロンドン・アイやピラミッドを出す必要などないのですね。 
恐るべき吸引力を持つマザーシップや、パワー・攻撃力共にずば抜けているタンカー(全高18メートルのゴリラ型エイリアン)や、機動力の高いドローン(長い触手を持つタコ型エイリアン)が暴れまくる姿を呆然と観ているだけで、「ああ、こりゃ人間勝てないわ」と白旗を上げたくなってしまいました。
圧倒的、ってこういう事なんだろうなぁ・・と。

魅力的なエイリアンの造形、舞台設定のこじんまり加減と語られる内容のスケールのでかさによるギャップ、役立たずの泣き虫男・という過去にないヒーロー像もおもしろく、マンションから出るか否かで延々内輪もめしている生存者たちも、とてもリアルでよかったと思います。
そりゃ、外に出ればタンカーに踏み潰され、中に居ればいたで何時ドローンに見つかるかわからない様な状態で、揉めない訳ないですって!
ちなみにですけどね、アガサがもしこの場にいたら、確実にもっと揉めるような事言って撹乱させますよー。
「みんな聞いて! そもそも吸引されていった皆が死んでいるとは限らないわよ! もしかしたらあの船は、地球の危機を嗅ぎつけて人類を救出に来てくれた未来人かも!」とか「だから試しにお前行け」とか言って壮絶に仲間割れさせますからね! オッス!オレ協調性ゼロ!!

そして、世間では賛否両論・・というか否の方ばっかりのような、ラストの覚醒。
3日間に渡り、エイリアンの圧倒的強さを散々見せ付けられてきて、絶望しか残っていない状態での、この覚醒(というか生まれ変わり)・・・。
なんだよ! 最高にグっと来るじゃんか! 
え、え、なんで皆怒るの? わしなんかもう劇場で拳を突き上げたくなったケドなあ!

『第9地区』で(ハートが)焦がれたように、このラストもキター!って言いたくなってしまいました。 
惜しむらくは、本編はそこで終わってしまい、胸のすくような反撃に雪崩れ込んでくれない(続編の企画があるそうです)のですが、その予兆を充分感じさせるエンドクレジット(フィギアを組み合わせて撮ったジオラマ写真のような大暴れシーン)がこれまた素晴らしくキュートでしたので、アガサは大満足で劇場を後にしましたよ。
ロケによる実際の撮影フィルムにCGを組み合わせる方法から生まれたリアルな臨場感も素晴らしかったですし、脇キャラのおじさんによる大活躍も胸が熱くなりました。 決めセリフがバチーンと決まった時の爽快感たらないね!

長年「UFO」に憧れ、遭遇を夢見ている私にとって、この上ない贈り物のようだった『スカイライン-征服-』。
友好的でないエイリアンは怖いけれど、やはりいつか遠目でいいから、遥か彼方から来た隣人たちの姿を拝んでみたいなぁ・・と思いを新たにしたのでした。 あの、第三種でなくてもいいからね。 第一種接近遭遇まででいいですから。  そこは是非、気をつけて頂きたい。(←なぜか上から目線)


-追記-
聞くところによると、どうも巷では
スカイラインー征服ー x TENGA スカイラインー征服ー x TENGA “究極の吸引力”コラボ決定のお知らせ 

という企画が開催されているようで、これを見た多くのみなさんが一様に首をかしげていたのですけどね。
「そりゃ“吸い込む”って点では大きく外れてはいないケドさ・・・」とか「だったら掃除機のダイソンでもいいじゃない」とか。

しかし、ダイソンじゃダメなんですよ。
「強烈な吸引力」で、なおかつ「一度に数億のナニを吸い込む」というコレでなければ・・ね・・。 あとはもうわ か る な ?

と言う訳で、神秘の女体宇宙を夢見る健全な男子のみなさんは、偶然ではなく必然的にコラボした結果生まれたソレを使いつつ、吸い込まれる寸前で堪える、という荒業を習得すれば、本作の主人公・ジェロッドの様に新たな自分が覚醒するかもしれませんよ!  気になる方は是非お試しあれ!


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『SUPER 8/スーパーエイト』

2011年06月25日
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HAKAISHAとの遭遇。

あらすじ・・・
1979年、オハイオ州の小さな町リリアン。 そこでは、子ども達による低予算ゾンビ映画の製作が佳境を迎えていた。 
お調子者のケアリーはカメラと火薬担当。 ディック・スミスに憧れるジョーは特殊メイク担当。 背の高いマーティンは主演俳優。 気弱なプレストンは製作助手。 そしてホラー映画をこよなく愛するチャールズがメガホンを取り、撮影は順調に進んでゆく。
夏休みを迎えた彼らは、新たに同級生のアリスに出演を依頼し、ドラマ部分に深みを与えようと試みる。
実はその裏には、チャールズの淡い恋心が隠されていたのだが・・ もちろん仲間たちは知る由もなかった。
アリスの承諾を得た子ども達は、映画の山場を場撮影するべく夜中に家を抜け出し、郊外の駅舎に向かう。
リハーサルで迫真の演技を魅せるアリス。 
事前に練り直しておいた脚本も万全。
おまけに、抜群のタイミングで駅の横を貨物列車が横切ったお陰で臨場感もたっぷり。

何もかもうまくいく筈だった。
その貨物列車に、中学校で生物学を教えているウッドワード先生が、トラックでぶつかって行くまでは・・・。


まず、オープニングからの数分間が素晴らかったです。
鉄鋼工場とおぼしき場所に掲げられた「連続無事故記録784日」の文字。
そして、それが外され「1日」に変えられる。 そこからカメラが切り替わると、黒いスーツを着た少年が雪の中でひとりブランコに座り、ロケットペンダントを握り締めている姿が映し出される。
そしてその後さらに、会葬者で溢れかえっていた彼の家に一台の車が横付けされ、酒の匂いを気にしながら一人の男が降りてくるシーンが続き、その男を彼の父親が追い出し、自分が運転するパトカーに乗せ乱暴に連れ去るまでが描かれます。
セリフらしいセリフは無いけれど、彼らの置かれた状況が全て説明されるこのオープニング。
演出の巧みさに唸らされてしまいました。

なんでもセリフで説明しちゃう日本の脚本家と演出家は、いっぺんJ.J.エイブラムスさんの爪の垢をバケツ一杯飲ませてもらうといいよ

スマートな演出と語り口によって少年少女のひと夏の成長物語を描いた本作は、スピルバーグの映画を観て育った「モロに私たち世代」の物語であり、しかし、そのまた下の世代にもそのそのまたまた下の世代にも共感を持って受け入れられるであろう、実に爽やかで気持ちのいい作品だったと思います。
そして本作の立役者は、なんと言っても映画をこよなく愛する子どもたち。
「ふとっちょの子」と言えば食いしん坊でトラブルメイカー、という固定概念を覆すような「仕切り屋」っぷりを発揮するチャールズ。
火薬が好きすぎて、凄惨な列車事故を目撃してもしょげるどころか喜びを爆発させるような問題児だけれど、いざという時には人一倍勇敢なケアリー。
凄惨な現場を前にするとすぐ嘔吐してしまう程神経が細いものの、要求されたものにはきっちり応え、実は力も強いマ-ティン。
自分の限界を超えたら迷わず撤退する、という潔さを持った(つまりヘタレの)プレストン。
あと、健気なジョーとアリス。
出てくる子どもたちが、どの子どもも最高にキュートで、最高に頼もしくて、最高に愉快なやつらなのですよね。
「この子たちとともだちになりたい!」  そう思わされた瞬間、私はこの映画を好きにならずにはいられませんでした。

とりあえず、もしも本作をご覧になる際は、本編が終わっても絶対に席を立たない事をお薦めします!



( ※ 以下ネタバレを含みますので、必ず鑑賞後にご覧くださいませ。)



とある事故で心に傷を負った父と子。 その事故に負い目を感じ自暴自棄になっている父とそんな父を見て心を痛めている娘。
2組の親子は、ひとつの死をどうやって乗り越えて行くか。
本作では、その姿がモンスター騒ぎと絡めて丁寧に描かれていたのですが、子どもたちよりも父親たちの方が死を乗り越えられていなかった所が、とても印象的でした。
子どもたちは、幼いなりに生活に楽しみを見出し、チクリと心を刺す痛みと向き合いながらも生きる事に没頭しようとする。
しかし、大人たちは「喪失」から現実逃避し、憎しみと自己嫌悪から抜け出せないまま、自分たちの戸惑いを子どもに押し付けようとします。
大人だからこそ、今までの自分だったり辛い経験から離れられないのかもしれませんね。 わかるような気はするけれど・・ もっとつらいのは子どもだかんね。 おい!おとうさん!頼みますよ!

わだかまりを捨て、他者を受け入れる。 というテーマはこの2組が辿り着くだけではなく、そのまま宇宙からの訪問者と少年との交流においても繰り返され、ずっとずっと昔から私たちが目指していて出来ない、永遠の課題なんだなぁ・・、と痛感させられました。

で、ですね。
ほんとにね。
テーマもはっきりしているし、情緒溢れる映像もじんわりとなりましたし、昔懐かしい映画の世界(実際アメリカに行った事は無いので、映画の中の世界しか知りませんが)から抜け出たような古きよきアメリカの街並みも素晴らしかったですし、今まで観た事の無いような大スペクタクルな列車事故シーンも度肝を抜かれましたし、とても面白かったんですよね。
なんですけどね。
なんというか、「ノスタルジーに浸らせすぎない容赦の無さ」みたいなものも感じてしまったのですよね。

主人公たちが映画作りの最中遭遇した列車事故。 その列車で運搬されていたのは宇宙からなんらかの事情で地球に落ちてきた生命体。
早く宇宙船を修復して故郷に帰りたい彼(彼女?)は、アメリカ空軍に捕獲されて実験材料にされ、人間に対する恨みを募らせていた。
列車事故で自由の身になり、宇宙船をこしらえながら派手な破壊行為を繰り返す彼(彼女)は、その合間合間に人間を捕食する。
この捕食が、私の気持ちをふと、現実へと引き戻してしまったのです。

子どもの頃の私は、スピルバーグやリチャード・ドナーが作った映画に夢中でした。
それは『未知との遭遇』であり、『E.T.』であり、『グーニーズ』であり・・。  自分と似ていない誰かと、心を通わせる映画たちでした。
今の子どもたちがあの頃の自分と同じように、この作品を観て、思う存分わくわくして、広い宇宙に思いを馳せたり他者に胸を開くようになるといいな、と強く思います。
だからこそ、彼(彼女)による殺戮は必要なかったのではないか、と。 
そう思えてならなかったのですよね。

自分が育った街を破壊しまくった彼(彼女)をジョーは受け入れ、その地球生活のつらさを理解を示した上で「それでも生きる事は出来る」と説く。
自分自身に言い聞かせているように、彼(彼女)の目を見て偽りのない言葉を投げかける。
「同じ目線で話す事で、心を通じ合わせる事が出来た」というこのシーンの直前に、街の人がぐしゃぐしゃと食い散らかされる姿を描く必要は、本当にあったのでしょうか。

例えば、『未知との遭遇』のUFOが見物に来ていた人たちを殺人ビームで焼き尽くしていたり、ETの主食が皆が飼ってるわんこだったり、スロースがカニバリズム全開だったりしたら。(※)
私は今と同じように、映画好きになっていたかどうかわかりません。
もちろん、ホラーでやる分にには構わない、と言うか盛大にやって貰いたいのですけどね。
本作が目指すものが、子どもたちの成長であり、他者に心を開くことであり、ひと夏のアドベンチャーであるのなら、破壊行為だけで充分だったのではないかなぁ・・と。
殺戮と友情が混ざり合う事により感じるチグハグさって、どうにかならなかったのかなぁ・・と。

物語のクライマックス、恐ろしい破壊行為の果てに、美しい造形の宇宙船が星形の光を放って去るシーン。
私の頭の中で、「星に願いを」は鳴り響きませんでした。
すべての映画が大甘であって欲しいだなんて塵ほども思いませんが、この作品にはそういう甘さがあってもよかったのではないでしょうか。

ま、遭遇したのがETじゃなくてHAKAISHAだったのなら、しょうがないのかもしれませんけどね。 そういえば顔もちょっと似てたしなぁ。
要するに、エイブラムスとスピルバーグが組むと派手な事が起こるってコトで! おまえらホント大人気ないよな!

と言う訳で、その一点だけが、私にとっては大いに不満ではあるのですが、それ以外の部分は、パーティに行きたいおねえちゃんの存在や、そんなおねえちゃんに片思い中のヒッピーや、「ドラッグ反対!」のくだりや、チャールズの部屋に所狭しと貼り付けてあるホラー映画のポスターや、ロメロリスペクトな自主映画や、夜中に気になる男の子の部屋に忍び込んでくるアメリカンな女子の行動力や、マイ・シャローナや、スーパーエイトのジリジリという回転音や、子どもたちの頑張る姿など、とってもグっとくるシーンが満載でしたので、やっぱりすきです、『SUPER 8』。


(※ それはそれでおもしろい、と、今の私は思ってしまうけれど。 あくまで幼かった頃の私なら、というお話です)

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『パラノーマル・エンティティ2』

2011年06月23日
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あらすじ・・・
稀代の殺人鬼ジョン・ゲイシー家の跡地に建てられた家に潜入し、なんらかの怪奇現象をカメラに収めんと息巻くクルーたちに襲い掛かる、血に飢えた悪鬼の正体とは・・?!

もう充分懲りたはずだったのですよね。 
もう『パラノーマル』と名のつくアレには手を出すまいと。
なにせ雨後の筍状態ですからね。 借りても借りてもキリがないというか。報われない恋心というか。

それなのに、気がつくとレジに差し出していたという。

しかも『パラノーマル・ビギニング』と一緒に。

かあさん、人の心って不思議ですね。


と、言う訳で「おっぱいが出る方のパラノーマル」の続編、『パラノーマル・エンティティ2』を鑑賞しました。
おっぱいが出てきて、流血沙汰は起こらないという、期待を裏切らない出来でした。
登場するのは、心理学者、霊媒師、プロデューサーにカメラマンなどなど、合計7名のこじんまりとしたパーティ。
どうやら全米を回ってテレビのネタになりそうなおばけ屋敷を取材しているようなのですが、今までの取材はほぼ空振りで、最後に辿り着いたこの家でゲイシーの霊を召還する事に全てを賭けているご様子。
ジョン・ゲイシーというのは、知っている方も多いと思いますが、アメリカに実在した超有名な連続殺人鬼で、存命中に手にかけた犠牲者の数は少年を含めて33名。
「ピエロ」に並々ならぬ関心を持っていたそうで、コスプレしたり絵に描いたりと、「ゲイシー=ピエロ」というイメージが定着している程のピエロマニアでもあります。(スティーヴン・キングの『IT』に登場するペニーワイズが、ゲイシーをモデルにしているというのは有名な話ですね)

さて、そんな「ゲイシーネタ」を大々的にアピールし、製作された本作の内容なのですが、冒頭、犯行現場となった彼の家は1979年に取り壊され、その3年後に新たな家が建てられたものの2002年以降空き家となっているという事が説明されます。(※ホントかどうかわかりませんが)
つまり、カメラクルーたちが取材していたのは、ゲイシーが実際住んでいた家ではなく、全く別の家だという事なんですね。

・・・

・・ゲイシー出てこないだろそれ!


いやね、霊媒師のおねいさんが一生懸命キャンドル焚いて「いでよ・・ゲイシーの霊!」ってやってるんですけどね、更地にしてから別の家を建ててる時点で、もうかなり「ゲイシー色」弱まってると思うんですよね。
ゲイシー自身も、他人の家歩き回るとか、ちょっと違和感あるんじゃないかなぁ・・って。「アレ・・間取りチガウ・・」みたいなね。 クルーの皆さんが地下室に行って「まだ子どもたちが埋まってたりしてな!」とか息巻いているんですけど、いくらなんでも掘り返し済みだろ!FBIなめんな!
霊媒師のおねいさんもうっすら気付いてしまったのか、途中から「悪神ロキよ・・ピエロの霊に伝えておくれ・・」みたいな感じに別の悪霊を折り込み始めたりなんかしちゃって、ははーん、さてはコレ途中からうまいことゲイシーから離れてオカルト方面にシフトチェンジするつもりなんだな、と。 本家のシリーズと同じように、山羊爪小悪魔系で行くつもりなんだな、と。 そう思っていた時期が、私にもありました。

パラ2
・・・ゲイシー出てくるのかよ!!
エロイムエッサイム系が登場するのかと思いきや、なんとね、ゲイシーさん出てきちゃったんですよね。
しかもグンパンにタンクトップというラフな格好で。 おい!そこピエロじゃないのかよ!


と言う訳で、ゲイシーネタで責めていくとかと思いきや悪霊オカルトネタに走り、結局最後は律儀な自縛霊と化したゲイシーが半裸で全員とっちめる、というある意味衝撃だった本作。
一応定点カメラや手持ちカメラに心霊現象らしきものも映り込んできますが、「ドアがバーン」と「出演者自ら壁に向かってジャンプ」程度の現象で、残りの部分は撮影方針を巡って延々おしゃべりしているだけですので、怖がりの方でも安心してご覧いただけるのではないでしょうか。
ま、安心とは言え、絶対おすすめはしませんけどね! 
余談ですが、私は全編通して鑑賞するまでに3回チャレンジしました。 催眠効果バツグンアルヨー!
観終わった瞬間、机の上に鎮座まします『パラノーマル・ビギニング』と目を合わせるのがイヤなくらい、心が折れまくったアガサだったのですが、もうこうなったらいっそ、パラノーマルと名がつく映画を全制覇してしまうというのもアリなのかもしれませんので、今後も頑張ってお店屋さんの棚を注視していきたいと思います。

あと、これといってグロいシーンもショックシーンも無かった中、アガサが一番腰を抜かしたのは、エンドクレジット前映し出される、登場人物たちの死亡診断書。(※もちろん作り物ですよ)
パラ3
「ジャニーナさん、享年30歳」ってテロップが出るんですけどね。

パラ1
ジャニーナさん老け過ぎだろ!!
本編でとんでもない程の巨乳を放り出しながら一人気を吐いていた霊媒師・ジャニーナさんの年齢が、なんと驚きの30ジャストだったとは・・・! お前の正義はどこに行ってしまったんだ?!(←深い意味はない)
いやいやいやでもね、失礼ながらこのビジュアルで「30歳」っていうのはかなり衝撃でしたよね。 
放つ色香は熟女のそれなんですもん。
で、念の為もう一度診断書をよーく見てみましたら。

ゲイシー
「38歳」って書いてあるじゃん!!


【本日のまとめ】アルバトロスはもうちょっとちゃんとしよう!(※ この手のオモシロ作品を多数リリースしてくれている、気のいい映画配給会社)

ま、38歳だろうと30歳だろうと生欠伸必至のゆるふわ擬似ホラーであるという点には変わりないのですけどね。
あと、大人の事情からか、本編中では一切本物のゲイシーに関する映像や資料が使われていなかったのですが、エンドクレジット直前にサブリミナル効果程度にピエロメイク(の一部分)が映されますので、ピエロ恐怖症の方はくれぐれもお気をつけください。(そういう方は最初から借りてこないのかもしれませんが)

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『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』

2011年06月20日
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あらすじ・・・
エリックがヘルメットを被り、チャールズは車椅子に乗ります。


(※ 以下、前3部作込みでネタバレあり)



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「君 か わ う ぃ ー ね !」

■ チャールズがチャラい!!!

正直言うと、アガサはチャールズ(プロフェッサーX)の事が前々からあまりすきじゃなくてですね。
なぜかというと、「地上最強のテレパス」の筈なのに、若いみんなをぐいぐい率いて行くどころか毒を盛られて人事不省になったり(シリーズ1作目)、思考回路を乗っ取られて人事不省になったり(シリーズ2作目)、強大なパワーを放射されて人事不省(というか雲散霧消)になったり(シリーズ3作目)と、「これから」という時を狙い済ましたかのように、毎回「使えない人」になるからなんですよね。
で、じゃあ起きている時は大活躍なのか、というとそれはそれで、ただただおくちぽかん状態(シリーズ2作目ラスト)だったりして。 
いや、今ジーン呼び戻すトコじゃん、と。ご自慢のテレパスで「おーい!中からでもサイコキネシス使えるぞー!」って「カンバックジーン!」って呼びかけるトコじゃん、と。 石原良純ばりに赤ふん締めて「カンバックサーモンジーン!」ってやるべき場面じゃん、と。
そんな風な歯がゆさを感じてしまいまして、どうもすきになれなかった。

ただ、今回の『ファースト・ジェネレーション』はチャールズを演じるのがマカヴォイさんだと言う事もあり、ちょっと期待を抱いておりました。髪もふさふさだし。きっと今回こそはやってくれるのではないか、と。
それなのに。
まぁチャラいのチャラくないのって。

バーで好みの(遺伝子的に異なる特徴を持っている)女性を見つけると、ここぞとばかりに心を読んで彼女がすきな飲み物を注文したり、知的美女が話しかけてきたら、ここぞとばかりに共通の話題を見つけて懇意になったり、シャレオツなジャケットを羽織ってみたり、稲垣メンバーばりに髪型に気をつかってみたり、髪に触らせなかったり、やたらと爽やかな笑顔だったり、なんかもうチャラい!チャラいよチャールズさん!人生楽しそうでよろしゅうおすなぁ!

まぁね、チャラいのは若さゆえの特権というか、しょうがないのかなぁとは思いますよ。
こっちは「おまえそんなんしてるけどいずれは抜け落ちるんだぞ」という情報をがっちり押さえておりますゆえ、ちょっぴり生温かい目で見れる部分もありますし。
ただ、肝心の「地上最強のテレパス」部分までもが、これもまた「同じくらい地上最強のテレパス美女」にしてやられちゃったり、イザという時には相手がテレパス防御ヘルメットを被っていて役に立てなかったりと、いまいちピリっとしないんですよね。
ざっくり言うと、要するに今回もトランシーバー代わりみたいなものだったチャールズ。
アーアー、こちらチャールズ、ちょっと電波が入りにくいですドウゾー。みたいな。 おい!なんかもっとすごい技とか無いのかよ!

性格はチャラい。 ミュータントとしての能力も「ちょっと便利」程度。 
では、それ以外の所では何をやっていたのかと言うと、熱のこもった励ましな訳ですよね、コレが。
「おい!おい!諦めんなよお前!!どうしてそこでやめるんだ!?もう少し頑張ってみてみろよ! お前ならできるよ!絶対絶対絶対できる!!!」っていう松岡修造ばりの。 
もうね、エントリーシートに特技・応援って書いといてもいいよ、って言うくらいの。 おしなべて応援係だったチャールズ。
とは言え、このお陰で結構みんなやる気になっていたりもするので、役に立ってないという事はないのですけどね。
地上最強の応援係、ここに誕生す。 


■ フランケンシュタイン(人間)によって作られたモンスター、マグニートー

先に作られている 『X-MEN』3部作に於いて、エリックとチャールズは常に相容れない関係にあり、小競り合いを繰り広げていました。
「話せばわかるさ」とばかりにミュータントと人類との平和的共存を目指すチャールズと、「話すだけムダ」とばかりに人類の抹殺を目指すエリック。
同じミュータントながら、全く異なった考え方の二人。
そこから遡ること数十年(40年くらい?)、20代の若者だった二人の考え方はどうだったのかというと、チャールズはさほど変わらないものの、エリックはまだ、「人類抹殺」という過激思想にまでは行き着いていません。

人間はキライ。 ただ、全員殺してしまいたいのではなく、個人的な仇であるナチスの残党を殺したいだけで、「人類抹殺」を目論んでいるのはむしろ、エリックが一番憎んでいる元ナチス高官のショウだったりします。
しかし、ショウに復讐する為チャールズと共に活動する中、行く先々で人間たちに失望させられてしまったエリックは、もともと心にくすぶっていた「人間への不信感」をどんどん増大させて行き、人間による残酷すぎる裏切り行為の果て、ショウの意志を継ぐ事を選ぶに至ってしまう。
エリックの磁気パワーを目覚めさせたのはショウですが、人の命を命と思わないモンスターに育て上げてしまったのは、他ならぬ人間たちなのです。
慈愛の欠片もない人間。 命令されれば無実の者に火を放つ事すら厭わない人間。 
悪気のない悪意の中で正気を保つのが、どれだけ困難な事か。

マグニートーとして生きる道を選んだエリックを非難する権利など、誰にもないのではないか。 
そう思ってしまいました。

■ 「きみはきみでいいんだよ」という事の理想と現実

エリック、チャールズと共に本作の核となるのは、変幻自在のスーパー美少女・レイヴン。 通称ミスティークさんです。 
何を隠そう、アガサは本シリーズの中で一番好きなのがミスティークさんで、過去の3部作の好きな度合いはミスティークさんの扱いと見事に比例。
八面六臂の活躍を魅せたりマグニートーといちゃいちゃしたりする第2作は最高傑作で、物凄く雑な扱いをされてボロ雑巾のように捨てられる第3作はオールタイムワーストに入るくらい大嫌いです。 
ブレット・ラトナー、お前だけは 絶 対 に ゆ る さ な い 。
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(※ ひそひそ話をする会長と愛人)(X2より)

それはさておき。
本作では、まだミスティークさんになる前のレイヴンちゃんが、「明らかに周りと異なる外見」を持つ事について悩み、救いを求め、拒絶され、そして差し伸べられた手を掴むまでが描かれています。
青い皮膚を隠し、「普通」に振舞う事をアドバイスしたチャールズ。 
青いままでいい、それこそが「普通」なんだ、とアドバイスしたエリック。
幼い頃から一緒に過ごしてきたチャールズに、少なからず恋心めいたものを抱いていたレイヴンちゃんが、その想いを振り切ってまでエリックを選んだのは、仕方のない事なのかもしれません。
皮膚を隠せ、というのは、その皮膚で生まれてきた彼女自身を否定する事であり、すがってきたものに拒絶された、と考えるのは、至極当たり前だと思うからです。

レイヴンちゃんの選択を否定するつもりは毛頭ないのですが、アガサが思うに、チャールズのアドバイス(というか考え方)というのは、親目線に近いのではないかなぁ、と。

ミュータントであること。
周りの人と違った特性を持って生まれるということ。
そのことを世間はどう受け止めるのかということ。

もちろん、全てを含めて当たり前に受け入れる世の中になってくれるのが一番である事は言うまでもありません。 でも、哀しいかな現実はそうではない。
身近な存在(親)が「周りに合わせた方がいいよ」って言うだなんて、それ自身が差別じゃないか! と思われるかもしれません。
しかし、身近な存在だからこそ、愛する者につらい思いをさせたくない。 
周りに合わせることで、疎まれる回数が減るのなら、傷付く回数が減るのなら・・・。 「合わせるようにしてごらん」、とアドバイスせずにはいられないのではないでしょうか。 
当事者だからわかること、当事者をずっと傍で見守っている者だからわかること、ってあると思うのですよ。
それは愛する者の個性を否定しているのではなく、守りたいから。 生きる術のひとつとして、覚えておいて欲しいから。

チャールズの場合は、テレパス能力があるから余計に「異なる性質を持つ者がどう思われるか」がわかってしまう。
「差別しない世の中になればいい」という理想と、「そうは思っても実際目の前にいると目をそむけられてしまう」という現実は、確実に存在するし、残念ながら無くならないと思います。
だからこそのチャールズの言葉だったのではないでしょうか。

ま、とは言っても、もしもアガサがレイヴンちゃんの立場だったら、やはりエリックの手を握り返してしまうと思いますけどね。 
無条件で受け入れて欲しい時が、女の子にはあるんですよ。 たとえそれが余計に自分を苦しめる事になるとしても。


■ 理解し合う事の難しさ

先にも述べたように、チャールズは人間の事がわかりすぎていた。「人間は一筋縄じゃ行かない。本音を建前を使い分ける生き物だ」と言う事を。
そしてエリックもまた、人間の事がわかりすぎていた。 「人間は弱く、流されやすく、自分と違うものに敏感な生き物だ」という事を。
結局、二人は目指す世界が異なっただけで、同じように現実を把握していたのではないかと思います。
だからこそ、「人間とミュータントの共存」の為には、彼らが歩み寄る事が何より重要だった。 
なのにチャールズはエリックを突き放してしまう。
いやいやいや! そういう時は「あーまぁねー、そういう考え方もあるよねーうーんそっかそっかー。ま、とりあえずエリックの気持ちはわかったから、一旦家帰って一晩ゆっくりしてね、それからまたね、いろいろね、アレをね、ナニして行けたらいいんじゃないかな」って何となく包み込んじゃえばいいんじゃんか! 「オレ、お前と考え方違うわ」って何その絶交宣言! 助け合って行こうよ! 玉虫色な態度でもいいじゃない!歩み寄る気持ちが大切なんじゃない! やっぱわしチャールズきらい! 続編を待たず、あいつの毛を全部毟り取ってやりたいよマジで!

同じ悩みを抱えているからと言って、苦しみが同じとは限らない。
共通する生い立ちを持っていようと、育った環境や、受けた痛みは全く別のものだから。
「有色人種」として差別を受けていても、黄色人種に黒色人種の怒りや哀しみを完全に共有する事は出来ないように、同じ病気を患っていたとしても、軽度の人に重度の人の嘆きを理解する事は出来ないように、同じミュータントとして生まれてきたけれど、不自由なく生きて来たチャールズには、この世の地獄を味わったエリックの絶望を理解する事は出来なかったのでしょうね・・。
その一片を、テレパスによって見た筈なのになぁ。一瞬でも共有した筈なのに。 ホンマあのチャールズだけは・・・!(ギ・・ギギ)

まぁ、今回の判断ミスは、若さゆえの過ちだと思いますので、製作の可能性が高いとされる続編(10年後くらいの設定になるのでしょうか?)においては、もっと精神的に成長しているであろう事を期待したいと思います。
チャールズは正論ばっか言ってないで、もっと他者に歩み寄ろう!

■ その他いろいろ

重いテーマを扱っておりますが、友情や淡い恋などを巧みに散りばめ、口当たりよくまとめあげていたと思います。
「悪い」ミュータントが政府施設を襲撃するシーンや、終盤の海上戦など、特殊能力を存分に活かしたアクションシーンも見応えたっぷり。
アガサが特にすきだったのは、羽の生えたエンジェル・サルバドールと超音波で空を飛ぶバンシーが猛スピードでチェイスするシーンで、バンシーの肩越し目線で描かれた海面スレスレの滑空シーンはものすごい臨場感でしたよ。 いいなぁ。私も飛んでみたい!
ずっと特殊能力に負い目を感じて生きてきた若者たちが、やっと判り合える仲間に出会い、「オレこんなの出来るんだぜー」「キミはどんなの?」「あたしはこんな感じ!」と盛り上がるシーンもすごく素敵でした。
チャールズがのちの創設する“恵まれし子らの学園”は、まさにこういう場である筈なんじゃないかと。
ミュータントたちが安心して、自分の個性を誇れる場で。
なのにチャールズと来たら、少々羽目を外したくらいで「なに調子乗ってるんだよ・・・おまえらにはガッカリだな」とか言っちゃうんですよね! あのハゲだけはホンマ!!今度会ったら絶対毟り取ったる!

ふくふくとしたレイヴンちゃんの肢体も眼福でしたし、本シリーズに誠実であり続けるウルヴァリンのカメオ出演も楽しかったです。 あと、ミスティークさんの中の人(レベッカ・ローミンさん)がちょっとだけ顔を覗かせるのも、アガサにとってはたまらんプレゼントでした。 アガサは気付かなかったのですが、世帯主さまによると「サングラスの少年もチラっと映ってたよ」との事ですので、スコット・サマーズくん皆勤賞達成です!おめでとうございます!

今回は「車椅子」になる所までしか描かれなかったチャールズが、次回どのようにして例のクリアな頭頂部になるのか。
完全にはげ散らかす前に全部剃ってしまう、という松山千春方式なのか、それとも放射線の関係なのか、その辺りの事情も明らかになるといいですね。


最後になりましたが、のちのビーストであるメガネ青年、ハンク・マッコイさんと出会えた事が、本作において一番の喜びであった事を付け加えさせて頂きたいと思います。 ビーストに変幻してからもメガネかけてるとかさいこうすぎる!!
xmenメガネ
(※ハンク!オレだ!けっこんしてくれ!!!)


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『ダレン・シャン』

2011年06月17日
ダレンシャン
友の心、友知らず。

あらすじ・・
シャン
まぁ聞いてくれ。ぼくの話を聞いてくれ。 確かにぼくの家は裕福だ。友達も多いし女の子にもモテる。こないだの数学のテストではAをとった。お母さんはぼくの生活態度についてガミガミ言ったりするけど、全てはぼくの将来を心配しての事だと思ってる。反発したくなる事もあるけど、本当は感謝の念でいっぱいだ。 なので、アレはほんの出来心なんだ。何らかの不満があったわけじゃない。言ってみれば不幸な事故だ。
シャン3
・ ・ ・
シャン
わかった。 正直に言おう。 事故じゃない。自己責任だ。ぼくは自分で自分が抑えられなかったんだ。 なぜならクモがだいすきだから。 人によってはグロテスクと思う人もいるかもしれない。だが、ぼくはクモの美しさに強く惹かれてしまう。もしかしたら前世からの運命なのかもしれない。 うん、もしかしたら抗えない何か大きな力に操られていたのかもしれない。 ぼくにはそれを、どうする事も出来なかった・・・。
シャン3
・ ・ ・
シャン
わかったわかった。 正直に言うよ。 欲しかったんだよあのクモが。だってキレイかったんだもん。 まぁ、それはともかく、うっかり魔が差した為に君の命を危険に晒してしまった事は悪かったと思ってる。まさかあのクモが君を刺すだなんて・・・。本当に申し訳ない。  だからこそ、ぼくは「半バンパイア」になってでも、君を助けようと思ったんだ。  あのクモの飼い主であるバンパイアが、解毒剤と引き換えに家族を捨ててバンパイアの道に入れって言った時は迷ったよ。けど、君の命には代えられないからね。 君はぼくの親友だもの。
シャン3
・ ・ ・ 
シャン
ああ、そうだよ。君がその前に、あのバンパイアに「吸血鬼の仲間に入れてくれ」って懇願していた事は知っていたよ。 でも、別に抜け駆けしてどうしようとか、君を裏切ってどうこうとか、そういうつもりは毛頭無かったんだ。 とにかく君の体内からクモの毒を消す事、その事しか頭になかった。 お陰でぼくは一度死に、家族と永遠の別れをするという選択を強いられたけどね・・ アレはつらかったけど・・。
シャン3
・ ・ ・
シャン
あの、別に恩を売ってるつもりじゃないからね。 ただ、ぼくが半バンパイアになった結果、君もバンパニーズという吸血鬼の仲間になってしまった事が哀しいだけで。何も競うようにこっち側に来なくても、ってさ。 だって、ぼくは君を助ける為にバンパイア人生を歩む事になってしまったのに、そんな苦労が水の泡になってしまったんだもの・・ちょっとね・・徒労感が凄まじいよね・・。  おまけに君はぼくを逆恨みして憎しみを顕にしてくるしさ・・ ほんと・・なんというか・・ ままならないよね・・人生って・・。  でも、ぼくは君の事、今でも親友だと思ってるよ。 ぼくは人間を信じてる。人の心を信じてる。 色々行き違ってしまったけど、誤解さえとければまた友達になれるハズだよ。 ぼくは幸せな家族に恵まれて育ち、きみは不幸な家庭環境に育ったけれど、あと、つきあってるって両親に知られたら心配をかけちゃうからナイショのつきあいにはなるけれど、でも、ぼくらは、ずっとずっと友達だかr
シャン3
お ま え も う 帰 っ て く れ よ 。


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と言う訳で、子どもから大人まで大人気の児童文学を華麗に映画化した『ダレン・シャン』を鑑賞しましたよ。

かなり脚色して書いた上記のあらすじからは、あまりダレシャンの魅力が伝わってこないかもしれませんが、実際のダレシャンはイヤミなトコロが全く無く、とっても誠実で、真面目で、お堅くて、真摯で、昔だったら「公務員?」と聞かれるタイプのダレシャンですよ。
で、そんな公務員ダレシャンがうっかり万引きしてしまったせいで、家族や友達の人生をも狂わしてしまう、という現代にも通じるような悲喜劇を、一風変わった人々のにぎやかしと共に描いているのが本作な訳です。 間違ってない。たぶん間違ってないはず。

身体的に個性豊かな人々が結成したサーカス団の団長を、世界のケン・ワタナベがエキセントリックに好演。
ダレシャンをバンパイア道に勧誘する、元バンパイア将軍のクレプスリーをジョン・C・ライリー、その友達のバンパイアをウィレム・デフォー、その(クレプスリーの)恋人であるヒゲのOLを、ピープル誌の「世界で最も美しい100人」に選ばれた美魔女サルマ・ハエックが熱演、などなど、ハリポタだけにメシウマさせてなるものか!というたぎるような熱情のこもったキャスティングが素晴らしいと思います。
ダレンシャン2
(※ 参考画像・ヒゲのOL)

特にインチキ髭が世界一似合う男・デフォーのバンパイアっぷりは、思わせぶりなラストのセリフと共に、いつまでもアガサの心に刻まれる事でしょう。「あの事をダレシャンに教えてあげないと・・」というセリフと共に。 
ま、続編製作が望み薄な現在、「その事」を知る機会は訪れそうにもないのですけどね・・! デフォォォォォ・・・!

原作は全12巻もの壮大なファンタジーなのだそうですが、そのさわりの部分しか語らせて貰えていない本作は映画としてかなり不憫な状態で、一応の山場こそ用意されているものの、「完結させてはならない」(原作があるから)という縛りによって全てが中途半端な盛り上がりにしかならず、結局「ダレシャンが半バンパイアになりましたよー」という、ただそれだけのお話で終わってしまったのが残念でなりませんでした。それ、5分で済むよね。手短に言うと。
ダレシャンと親友のこじれっぷりと、クレプスリーと宿敵マーロックとの対決と、ダレシャンと猿少女との淡い恋と、奇異なサーカス団の日常生活・・などなど、第1作だからこそ盛りに盛った内容も、しょうがない事とはいえ、散漫な印象を与える一因となってしまったのかなぁ、と。
万能すぎるミスター・タイニーの存在も、なんだか釈然としませんでしたし。
「争う姿が見たいだけ」って、人生の目的ざっくりしすぎだろ。 もうそんなわがままタイニーはアレだよ。『ドラゴンボール』のアニメシリーズ全巻借りて来るといいよ。 延々争う人々の姿を、結構長いスパンで楽しめると思うよ。

「人間の血を全部飲み干すから嫌われるんじゃねえの?すする程度でやめとけばいいんじゃねえの?」
という今までに無かった温和な性格の吸血鬼はおもしろかったですし、わくわくするようなオープニングタイトルや、仲間に引き入れる際の手順、爪を武器にして昭和のスケバンのカミソリ攻撃みたいにシュパーッと襲い掛かる姿も新鮮で楽しかったのですよね。
サーカス団の面々も実に個性豊かでしたので、出来る事なら彼らの今後の活躍が見てみたかったなぁ・・と、思わずにはいられませんでした。
ホント、勿体なかったですねぇ。(過去形にしちゃったらあかんのか)
あと、“親友と思っていたのに、ちょっと言葉が足りなかったばかりに絶交されてしまった。”という、「さわやか3組」にも通じるような親近感溢れる内容の割には、小さいお友達のウケがよくなかったのは、シャンの心の師となるクレプスリーを演じるのが、獅子丸テイスト満載のジョン・C・ライリーさんだったからなのでしょうかね・・。
ししまる John C_ Reilly
(※ 獅子丸とライリーさん。 だいたい一致。)

オレはすきだけどなぁ・・ライリーさん。
まぁアレだ。これが瑛太だったら、もっと小学生とか中学生にもウケたのかもな! もしくはMAKIDAIとかさ!(←ちょっと投げやりになっている)

と、いうコトで、消化不良な点が多々ある本作なのですが、捨ててしまうには惜しい部分も無くはないので、なんとかこの第1作のほとぼりが冷めた頃でいいので続きを作って貰えないかなぁ・・と思うアガサなのでした。
じゃないと、デフォーさんが美女の血をチューチュー吸うトコロやインチキ髭をむしられるトコロが観れないじゃんか! (先でそんなシーンがあるのかどうかは存じませんが)

あと、どうでもいい情報ですが、実を言うとアガサは「さわやか3組」は見ていない世代です。ホントはガッツリ「みんななかよし」世代です。いかにも知ってる風にサバ読んですみませんでした。クチブエ~フ~イテ~(・3・)~♪


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