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『パラノーマル・アクティビティ2』

2011年02月25日
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ハイパー鍋エンターテインメント。


あらすじ・・・
某月某日。 出産を終えたクリスティと生まれたての息子ハンターが、産後の肥立ちもよく産院から帰宅。

一年後。  家族が外出中に、家の中が荒らされるという事件が発生。

某月某日。 世帯主・ダニエルの提案により、空き巣対策として家中に監視カメラが取り付けられる。

某月某日。 鍋が揺れる。

某月某日。 乳母がんばる。

某月某日。 乳母解雇さる。

某月某日。 犬が吠える。

某月某日。 鍋が落ちる。

某月某日。 ハンターが歩く。

某月某日・夜。 犬が失神する。

同日・夜中。  クリスティが転ぶ。

某月某日。 おもちゃの汽車が鳴る。

某月某日。 投げの名人がふたたび現われる。


<おまけ>
上映後。  「待望の第3作は今秋堂々ロードショー」のアナウンスに場内がどよめく。


と言う訳で、上映前に「本編は、エンドクレジット終了後に衝撃の真相が明らかになりますので、本編終了後も席をお立ちにならないようお願いいたします」とのテロップが映し出されるんだけど全然衝撃の真相じゃないので早めにお手洗いに行っても大丈夫ですよ!とばかりにいきなり大ネタバレしてしまいましたが、全然後悔していません。こんにちは、アガサです。

約130万円の元手で90億以上稼いだ、映画界のわらしべ長者こと『パラノーマル・アクティビティ』。
公開当時、かのスピルバーグが「リメイク無理!」と言ったとか言わないとかで話題となっておりましたが、実はその言葉のあと、「でもさー、リメイクが無理なら、続編を作ればいいんじゃねえの?」と付け足したのではなかろうか、そんなロマンティックな夢想な止まらなくなる程、派手に増殖し続ける“パラアク関連作品”のみなさま。
第1作目公開直後から、(大方の予想通り)雨後の筍のように作られてきたそれらの作品の中で、“パラノーマル”の部分だけを頂戴した擬似タイトルの方はさておき、正規の続編の方がいささかわかりづらい展開となっておりましてですね。
・ アメリカ版1作目(事件発生)

・ 日本版2作目(後日談)

・ アメリカ版2作目(前日談)
という具合に、時間枠が前に行ったり後ろに下がったりあっちゃこっちゃしてしまいますので、なんかもうイラっとしますよね! 正直ベースで!
でまぁ、やみくもにイライラしていてもしょうがないので、今回は“現段階で公開済みの3作”を簡潔にまとめてみようと思います。
いいですか。 
早口で言いますので聞き漏らさないように気をつけてくださいね。
いきますよ。






【これまでのまとめ】 悪魔が地味な嫌がらせをする。

はい、どうですか!
ここはひとつ、これで刀を納めて頂けないでしょうかね! アガサからのお願い!
ていうか、これだけ押さえておけば大概の事はなんとかなりますよ。だいじょうぶ!いい薬です!



さて、日本版第二章を経て、このアメリカ版パート2まで辿り着かれた方というのは、きっと大前提として第1作目のことがキライじゃない方が殆どだと思いますので、いまさら改めて書く必要もないのですが、(※一応それ以外の「観ようかな~どうしようかな~」という方もいらっしゃるかもしれませんので書いておきますと)本作には、前2作で描かれた以上のことは何も起こりません。
よく言えば“お約束の踏襲”、悪く言えば“勢いだけで作った類似品”。
ですので、“「DA.YO.NE」は好きだったけど「DA.GA.NE」辺りになるともうついて行けない。ギリで「SO.YA.NA」までかなぁ・・”というような方にはあまりお薦め出来ないと思います。 

で、第1作目に大いに恐怖し、続く第二章にも好意を抱いたアガサなのですが、今回の第3弾はさすがに「あちゃー・・」と心の中で呟いてしまいました。
劇場をあとにする足取りが重いの重くないのと。

このシリーズを(今度は真面目に)簡潔にまとめると、パート1は
“都合のいい所を映す”
作品だったと思うのですよね。
で、今回のパート2は、
“都合の悪い所は映さない”
作品だったのではないか、と。
結果だけ見ると大差は無いのかもしれませんが、受ける印象は随分違ってくるのですよコレ不思議なことに。

例えばパート1は、固定カメラの前でばかり怪奇現象が起こり、固定カメラめがけてアレが飛んでくる。
対して今回は、
固定カメラに、ベッドの柵を垂直に滑り上がる(眠ったままの)赤ちゃんの姿が映る・・・  んだけど、別視点のカメラに切り替わると既に赤ちゃんはベッドの下を普通に歩いてる。
固定カメラに、フレーム外に向けて激しく吠えまくる犬が映り、犬はそのままフレームアウトして悲痛な叫び声を上げる・・・  んだけど、別視点のカメラに切り替わると怪我もなく「気絶している」とだけ説明される。
固定カメラに、邪悪な存在によって家の外に締め出された長女の姿が映る・・・  んだけど屋外に設置されたカメラは長女のその後を映さない。
固定カメラに、階段から引きずり下ろされる妻の姿が映り、妻はそのまま地下室に引っ張り込まれる。しばらくして、生気の無い顔で地下室から歩き出る妻の姿が再び固定カメラに映し出される・・・  んだけど、別視点のカメラに切り替わらないまま、妻は「様子がおかしくなった」とだけ説明される。

1作目になかった程の、(赤ちゃんや犬を使った)衝撃展開があるにも関わらず、その直後を映さないので観客の頭に中にはショックや恐怖ではなく「?」だけが残ってしまう。
いや、映さないんじゃなくて、映せないのか。
赤ちゃんの例で言うと、「寝たままの赤ちゃんがするすると柵を滑って行く」映像を観たら、当然「柵の頂上からどうやって降りるのか」と思う訳ですよね。もしかしたら「落っこちちゃう?!」んじゃないか、「死んじゃう!!」んじゃないか、と。 はい、恐怖!
しかし、赤ちゃんは元気いっぱいベッドの下を歩きまわる。 階段を器用にトコトコと降り、台所を徘徊して、またベッドの近くまでよちよち歩いて戻る。 はい、すこやか赤ちゃん!ノー恐怖!!
ここで赤ちゃんを死なせる訳にはいかない(展開上)ので、都合の悪い所は映せないんですよね。 

都合のいい所が映った映像は、その人のツボにさえ嵌れば充分な恐怖を感じさせてくれます。(あくまでツボにはまった人ですよ。その映像自体がウソ臭いからキライ、という人は別ですよ)
しかし、都合の悪い所を映さない映像は、冷え冷えとした気持ちと微かな失笑しか生み出さない。
何故もっと出来る事を出来る範囲でしなかったのか。
続編だからってカメラを増やせばいいってもんじゃないじゃないか。
日本のオリジナル展開に無い要素・・と 言 え ば ! とばかりに動物と赤ちゃん出すとか安いにも程があるじゃないか。
そんな疑問と憤りが混じりあった、複雑な心境で鑑賞していたアガサ。

ほんとにね。

複雑ですよね。

そんな粗ばっかりな続編なのに、椅子から飛び上がる程怖がってしまった自分を思うとね!


もうね。 なんやねん、と。 脇汗が止まらんわ、と。


オカルト方面一直線、ともならず、相も変わらずゆるーい怪奇現象を繰り広げた結果、新たな謎だけを残して終わってしまった本作。
でもね、やっぱり怖いものは怖いんですよね。 急に大きい音を出されるとね!(そういうトコが前回嫌われた原因なんだろうけども)  少しだけ開いたドアの隙間から、何が出るかな出ないかな?とか、 真っ暗な部屋をハンディカメラのナイトショット機能だけを頼りに進む時の不安感とか、 なんというか、お化け屋敷感覚で観るとやっぱり怖かったです。 すみません、心のハードル低くてすみません。

ということで、今回もまた賛否を醸し出しそうな内容だった訳ですが、きっと前作に失望した方は観ないでしょうし、前作を気に入った方は今回も「はい!ブン投げキタ━━━━(゚∀゚)━━━━! 」と大らかな気持ちでお約束の数々を楽しまれることでしょうから、誰も傷付かずに済んでいいのではないでしょうか。
ちなみに、「今秋ロードショー!」とアナウンスされた続編についてですが、アガサはまた観に行きますよ。
もちろん行くね。 ていうか、行かないっていう選択肢はないね!
オレは『SAW』も最後まで見届けた女だぜ・・・!(キリッ)

もしも第4弾も劇場で鑑賞されるご予定の方がおられましたら、是非一緒に「ブン投げやっぱりキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !」と盛り上がりましょう!
たぶん3Dで飛び出すと思うよ!!



-追記-

おなべ
(※ 風も吹いていないのに揺れる、鍋のみなさん。 突如落ちる鍋!元の位置に戻される鍋!再び落ちる鍋! もう一時たりとも鍋から目が離せない・・! これはまさに、ハイパー鍋エンターテインメント!!)

(※ って思えば腹も立たないって!どんまいどんまい!)



関連感想・・ 『パラノーマル・アクティビティ』(アメリカ版第1作目)
       『パラノーマル・アクティビティ第2章/TOKYO NIGHT』(日本版第2作目)

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たとえば“すき”とか“きらい”とか。

2011年02月22日
毎年沢山の国で沢山の映画が作られて行く中で、なんだかとってもみんなの心に引っかかってしまう映画が生まれる事があります。

『告白』のように。

先月、すわアマデミー賞外国語部門ノミネート?!とマスコミがぬか喜びしたり、日本アカデミー賞で作品賞を獲ったことから、収まっていた“告白・論争”が再び盛り上がった・・・と言っていいのか自信はないのですが、というか、極めて局地的な現象だったのかもしれませんが、まぁともかく、最近アガサの周りでは『告白』に対する様々な思いが渦巻いておりました。

で、アガサは『告白』、すきです。
以前に書いた感想では、とにかくたか子を絶賛しまくっていたような覚えがありますが、それ以外にも、ミラー越しの歪んだ画や、無邪気に水溜りにダイブする女子高生や、唐突もなく挟み込まれるダンスシーンの狂った感じや、必要以上に薄っぺらい殺害シーンといった、悪意のある画が頭に焼き付いてうずまいて、観終ったアガサの胸にいや~な一撃を残して行ったのですよね。 「やばいものを観た!」と叫びたくなった。
ゆえに、すきです。
一方、『告白』のことがキライでキライでしょうがない、という方も数多くいらっしゃるようで、そういう方がよく口にされていたのが

「『告白』は映画じゃない」

というひとことで。

アガサには、これがどうにもよくわからなくてですね。
いや、映画じゃん、と。
起承転結があって、あくどい画があって、すさまじい演技があるのに・・・ え、これ映画なんじゃないの? と。
先日、そんなもやもやを感じながらtwitterを眺めていたトコロ、ismuubiiさんkatokitiさんsamurai_kung_fuさんがまさにその“ここがへんだよ『告白』は!”話をされておりまして。
samurai_kung_fuさんが、『告白』における演出のヘンテコな点を細かく解説して下さっていて、目から鱗がボトトトーッ!!と零れ落ちてしまったのでした。
コレ、本当に物凄くおもしろい内容ですので、興味がある方は是非samurai_kung_fuさんのツイートをご覧になってみて下さい。(こともあろうに丸投げ)

お恥ずかしい事に、アガサは映画の文法、というか、演出法や読み解き方をろくすっぽ知りません。
“イマジナリーライン”の意味も、昨日初めて知りました。 恥ずかしついでに告白すると、“フラッシュバック”とか“マクガフィン”の意味もいまひとつよくわかりません。 フラッシュバックってアレだっけ?画面がちゃかちゃか切り替わるって意味だっけ? マクガフィンは、意表をついて焼き菓子の一種なんだと思うよ。端っこがカリっとしていておいしそうなやつ。たぶん茶色。

とまぁ、そのような状態なので、映画に出てくるサインを、自分のわかりやすいように解釈してしまって、本来こめられた意味と別のモノに勘違いしてしまうことって、今までにもすごく沢山あったんだろうと思います。
そういう時、細部を解説してくださる方々の存在はすごくありがくて、目から鱗が落ちた時の快感もこたえられないものがあるのですよね。
『告白』に関しても、samurai_kung_fuさんのお陰で引っかかっていた「映画じゃない」という部分がすとんと落ちたような気がします。
なるほど、たしかに観る人が観たら、この作品は悶絶してしまうような居心地の悪さがあるのかもしれませんね。 「なにやっとんじゃー」と。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 あと、純粋に憧れます。 samurai_kung_fuさんのように映画を読み解けたら、2度、3度と映画を楽しむ事が出来ると思う。 ようし!オレももっと向上心を持つぞ! 目指せマクガフィン王! (←たぶん使い方ちがう)

で、ここからが本題なのですが。 (↑脅威の長文前フリ)

すきな映画のことはもっともっと知りたい、シーンのひとつひとつに込められた意味を知りたい、と思うものでしょうし、そういう鑑賞の仕方も楽しいと思うのですが、やはり、なんだかんだ言って、最初に映画を観た時の素直な印象が一番なんだとも思うのですよね。

目でとらえた映像の数々、耳に飛び込んできた言葉や音の数々、噛み砕けないまま見過ごしてしまったシーンの数々、それらから受けた感覚を信用したい。
何度も観返して発見した、新たな解釈や別の感想は、それはそれで大切だけど、「うわ!なんだこれさいてい!」と思ったり、「うひょー!さいこうじゃん!!」と思ったりしたその気持ちを、出来れば大事にしていきたい。

で、そんな風に思っている人同士がぶつかると、予想以上に話がややこしくなってしまう事が多々あるのですよね。

自分とは違う解釈や、違う感想って、先程書いた“新たな発見”に繋がる、とても貴重なヒントになると思うのですが、中にはそれを頑なに拒もうとする人もいる。
「わたしはこれがすき」 「わたしはこれはきらい」 「ここがこんなふうにおもしろいとおもったんだ」 「なるほどーそういうみかたもあるか」
とはならないんですよね。
「わたしはこれがすき」 「なんで?ぜんぜんおもしろくないじゃん」 「ここがこんなふうにおもしろいとおもったんだ」 「はあ?みるとこちがうでしょなんでそこがおもしろいとかいえるのばかじゃね」
となることのなんと多い事か。

いや、もちろん、そんな人ばかりじゃないんですよ。ごくごく一部の人なんだと思うのですよ。でも、確実に存在するのですよね、悲しい事に。

映画の感想を交わしあう事って、本当に有意義な事なのですよね。
ただ、いくら交し合っても、わたしの“すき”があなたの“きらい”にはならない様な気もします。だって、わたしは“すき”と感じてしまったから。 あなたの“きらい”に同調出来るし、そういう見方もあったか、と感嘆するけれど、そういうトコロも含めてこの映画のことが“すき”なんだよなぁ。と。

それでいいのだと思うのですよ。
無理に相手に合わせる必要もないし、無理に相手を説得する必要もない。
同じ「突如クラスで歌い踊るシーン」を観ても、“なんの必要性も連続性もない不快なシーン”と感じる人もいれば、“クラスの内情と上っ面が激しくバラバラになっているのが感じられる狂ったシーン”と感じる人もいる。
100人いれば100通りの受け取り方があって、100通りの“すき”や“きらい”がある。
それでいいじゃないですか。 
それが当たり前じゃないですか。

しかし、当たり前、で済ますのがどうしてもイヤな人がいる。
あなたは、“すき”な作品を守りたいのですか?
“すき”と思った自分を守りたいのですか?
“きらい”と思った作品を抹殺してしまいたいのですか?
もしくは“きらい”と思った自分の正しさを証明したいのですか?

勝ちたいのか、負けたくないのか、そもそも映画ってなんなのか判らなくなる程の“じぶん”をぶつけてくる人を目にすると、ほとほと疲れ果ててしまいます。

映画に“こうあるべき”なんて無いと思いますよ。
映画の解釈に“正解”なんて無いと思いますよ。 (異論がある方は多いでしょうが、アガサはそう思います)

“すき”でも“きらい”でもいいじゃないですか。 
そして、気に入らなかったら、ちょっと話をしてみればいいじゃないですか。
最初から「ぜったい賛同なんてしない!」みたいに構えずに、気になったトコロを交換してみればいいじゃないですか。 べつに、それを支持する必要なんてないのですから。
もしもそれで目から鱗が落ちたら儲けモノ、くらいなノリで。
話さえも聞きたくないのなら、聞かなければいいだけで。
意見なんて知りたくない! 話なんて聞きたくない! 聞いてもちゃんちゃらおかしいだけ!
というのなら、「まぁ、色んな見方があるよね」でさようならすればいいじゃないですか。

なのに、中には「これをすきだなんて信じられない!」からさらにジャンプアップして「これをすきだなんて言うやつは全員バカだ!ゴミクズだ!」という遥か彼方の罵倒星雲まで飛んでいってしまう人もいるのですよね。 もうそれ、ただの悪口じゃん。 なにがきみをそこまでたぎらせたというのか。
たまたまこういう人に巡り合ってしまった事で、映画自体をきらいになってしまう人がいたとしたら、そんな悲しいことはないですよね。


世界中の映画館で日々生まれる、沢山の“すき”や“きらい”を素直に受け入れて、自分とは違う視点や感覚に触れることで、映画はもっともっとおもしろくなると思います。
そうなる可能性を持っているのが、映画の魅力だとも思います。
肩肘はらず、もっと気楽に。

そしてもっと、みんなで映画を楽しみましょうよ!
じゃなきゃもったいないですよ!

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『黒く濁る村』

2011年02月15日
こけ


あらすじ・・・
やあやあよくきたのう。 わしがこの村の村長のチョン・ヨンドクじゃ。
まあまあ座りなされ。 田舎の空気はうまいじゃろう、そうじゃろう。
うむ、お父上のことは残念じゃった。 がまあ、年齢のことを考えればさほど不思議ではないと思うがのう。
この後の葬儀の事はわしらに任せておかれるがよいぞ。 
こんな田舎の村じゃてのう。 みな、きみの突然の来訪に驚いておるのじゃよ。いや、迷惑とかではないぞ。もちろんじゃとも。
まあ、じゃあ、埋葬も済んだことだし、お別れ会を設けてあげたでの、たんと食べて都会へおひきとりを・・

なんと? 帰らんと?
まさかこのままこの村に住み着くなどと・・  言うのかね、そうかね。これは甘い驚きじゃのう。スイートサプライズじゃのう。
なんじゃね、何か腑に落ちない点でもあるのかね?
お父上の死亡診断書もきちんと用意してあげたにも関わらず、まだ何か気になる点があるのかね?
村民の態度が気にかかる、とな。
きみはアレじゃのう、まだ若いから、シャイな田舎の老人心というものがわかっておらぬのじゃろうな。
わしらは閉塞的なのではない、内弁慶なだけじゃよ。
まあよいまあよい、居たいと言うなら気が住むまで暮らすがよい。
じゃが、田舎は不便じゃぞ~。 ヘビも出るぞ~。 夜になったら布団にムカデが入り込むぞ~。

しかし困ったことになったのう・・・ あの若造、いつまで村に居座るものか・・・ ぬぬ!ソンマンが崖から転落しておるではないか! くぬう・・ソンマンめ・・早まりおったか・・。 
なんじゃねなんじゃね、わかっておるよ。 確実にあの若造が一枚噛んでおるに違いないわい。
おのれ・・わしの村の大事な村民を・・・。

おお、きみかね。  いや、何も言わずともよい。
ソンマンは死んだ。
きみはまだ村に居る。
と、いうことで、ここはひとつ、都会に帰ってくれんかね。
ダメか。そうじゃろうな。わかっておったよ。

いやまて、ソンギュ。 おまえの苛立ちはわしとて同じじゃわい。
じゃが、あの若造はユ氏の息子じゃて、一筋縄ではいかぬ男じゃぞ・・。 ここはひとつ、事を慎重に運ばねば・・。
って燃えておるではないか! ソンギュの家ではないか!ええい何をしておるのじゃ!早く火を消さんか!!
うぬう・・ソンギュめ・・じゃからあれほど慎重にと・・ええいええい・・無念じゃ・・。
あの若造はどこに逃げたのじゃ!なにおう!ヨンジが逃亡を手助けしたじゃと!
あの女一体なにを考えておるのじゃ! わしらがどれだけあの女やユ氏に善くしてやったと思っておるのじゃ!

まあよい。いや、きみがソンギュの家に火を放ったことも、そこからまんまと逃げたこともわかっておる。
じゃが、あえて、あえてわしはきみを責めない。
そしてあえてきみに問いたい。 
もう、頼むから帰ってくれんかね、と。
ダメじゃろうともそうじゃろうとも。そんなことは全部お見通しじゃ!年寄りなめんな!

おい、なんじゃあの怒声は。あの声はドクチョンではないか。
な・・なにを考えておるのじゃ!わしとドクチョンの20年間を、全部あの若造と若造の友達に話して聞かせるなどと!ばか!ドクチョンのばか!信じてた!わし、信じてたのに!
そうか、わしのせいか。そうじゃな。わしが悪かったんじゃよ。お前の裏切り行為は、すべてわしの不徳の致す所・・・お前にこんな非道な仕打ちをさせてしまったもの、お前のタレコミによってわしが深く傷付いてしまったのも、おまえのかあちゃんがでべそなのも、全部わしが悪いのじゃよ・・ そうでは無いと言うのなら今直ぐすべき事、あるよな?

ああ、きみかね。話しかね?全部話して欲しいのかね?
まあその前にゆっくりご飯を食べさせてくれんか。わしがまだ食べてるっしょ。
ああそうじゃよ、今となっては専らひとり飯じゃよ。なにせ、誰も一緒に食卓を囲んでくれるものなどおらんでな。
ソンマンは転落死。 ソンギュは焼死。 ドクチョンは溺死。 
わしの仲間はもう、誰もおらんよ・・・・・ き み の せ い で な 。
いやなに、怒ってはおらんよ。 きみの父上の話も、聞きたいというのなら全て聞かせてやろう。ただ、真実を受け入れる勇気がきみにあるのかどうかは別問題じゃがな。証人か?証人はおらんよ。これここに居るヨンジくらいじゃて、すべて見てきたのは。他の村民などもうとうにおらんわい・・き み の せ い で な 。
いやいやいや、怒っておるのではないと言うとろうに。父上とわしがこの村を作った30年前からの話、とくと聞かせてやろうではないか。そう、わしらの村、わしの村、わしが村長のこの村。 ただ、もう好きだった村民はおらんがのう・・・・き み の せ い で な 。  ていうか、ホントもう帰ってくれんか。 


■ 天使のような悪魔の笑顔

20年ぶりに再会した父は、亡骸だった。 そんな父が、亡くなるまでの30年を過ごした村には、重大な秘密が隠されていた。
それを息子が暴いて暴いて暴き倒す、というのが本作の大まかなストーリー。
物語の出発点となったのが、キリスト教に基づき祈りを捧げる“祈祷院”だったコトや、キーパーソンである主人公の父が熱心なキリスト教信者だったコトから、本作は
“神になろうとした男(父)と、神を利用しようとした男(村長)”
のドラマなのかなぁ・・と思っていたのですが、よく振り返ってみると、そもそも“神”自体が全く出てこない物語だったような気がしてきました。
“罪”を背負って生きる人々に、“神”の教えを説くユさん(父)。
瞬く間に人の心をとらえるユさんを快く思わない祈祷院の院長は、悪徳刑事に金を握らせ、ユさんを刑務所送りにしますが、そこでユさんを待ち構えていた札付きのワルたちまでもが、過酷なリンチに心折れないユさんの姿に衝撃を受け、改心してしまいます。
行く先々で、人の心を鷲づかみにしてしまうユさん。 自らの体についた傷を物ともしないユさんは、まさに“神”の化身のような聖なる存在なのですが、見ようによっては“バリッバリの悪魔”ともとれるのですよね。
「言葉巧みに人々の心を掌握する」なんて、いかにも悪魔の仕事そのものですし、自分を殺そうとした囚人に向けた眼差しも、完全に天使のそれというより悪魔でしたもん。 ガン睨みでしたもん。 スクリーン越しに呪い殺されるかと思ったね、オレは。
その他にも、お気に入りの少女をレイプした若者たちを半殺しにしてくれ、と刑事に依頼したり、自分を陥れた院長に審判を下そうと目論んだり、自分の思いを蔑ろにした仲間を殺そうとしたり、と、右の頬をうたれたら左の頬を差し出すどころか、全力で仕返しする方向で頑張るユさん。
全然聖人君子じゃないユさん。
むしろ執念深い小悪党っぽいユさん。

というわけで、本作は“悪党どもが小競り合いの末に自滅する”お話なのかもしれません。


■ 空白の20年間

30年にわたって、悪事を積み上げ隠し続けてきた村。 そこに現われたヘグクくん。
父の死に不審な匂いを嗅ぎ取った為、空気を一切読まず探偵ごっこに勤しむのですが、そもそも彼が何故、父親と20年間も音信不通だったのかが判らないので、ヘグクくんが必至に嗅ぎまわる姿が非常にしっくり来ないのですよね。
父の遺影に向かい、「こんな死に方で満足か?!」と吐き出すシーンがありますので、何らかの諍いがあったであろう事は想像できるのですが、たとえば「ユさんが自分の罪を償う為、妻子を捨てて殉教の旅に出た」みたいな過去があったとするならば、最低限お葬式だけ済ませてさっさと立ち去りたいのではないかと思うのですよね。
「自分たちを捨ててまで成し遂げたかった事が何なのか知りたい」という情念もあったのかもしれませんが、それにしたって、夜中にこっそり殺しに来られたり、千枚通しで脇腹をグサグサ刺されたり、火あぶりの刑に処されそうになったりしても尚挫けない、という動機づけには、この1シーンだけではちょっと弱すぎるように感じました。

ま、もしかしたら、たまたま自分が諸事情で家も職も家族も失ってしまってたから他に行く場所もやる事も無かったってだけなのかもしれませんけどね! おい!ヒマな人か!!


■ 一見デキる男風に見えてデキない男

うさんくさい村人に囲まれ、孤立無援で謎を探るヘグクくんの、唯一の心の拠り所になるのが、エリートメガネ検事のパクさん。 
ふたりの馴れ初めは、ヘグクくんに被せられた容疑を調べもせず「おまえの顔は怪しいから有罪」と言い放ったパクさんが、ちゃっかり者のヘグクくんに言質をとられていた為、左遷させられてしまったという事件。 どこがエリートやねん。
ところが、ヘグクくんの無罪を認めようとせず、「おまえだけは絶対ゆるさへんからな!」と憤るパクさんだったのに、ヘグクくんから「ここの村長怪しいからちょっと調べて」と頼まれたら「なんでオレが調べたらんとあかんねん!」と言いながらもそそくさと調査してあげるとはこれ如何に。 なんや、ただのツンデレか。 おまえらつきおうてんのか。 だったらいいのにな。 そうだったらいいのにな。(←個人的な願望)

ただ、調査は部下にやらせて、自分はもっぱらヘグクくんとのチャットに専念する、という程度なら許せるものの、村長の悪事に関わる重大な発言を申し出てきた証人を何の保護もなく村に置き去りにして見殺しにしちゃったり、自白寸前の村長をみすみすひとりきりにして見殺しにしちゃうって・・それはあかんやろ。典型的なあかんパターンやろ。 たとえヘグクくんの事しか頭になかったとしても。たとえだいすきなヘグクくんの事しか頭になかったとしても!(←個人的な妄想)

本日の教訓・仕事と恋愛は切り離して行動しよう。


■ 帳簿多すぎじゃね?

帳簿多すぎじゃね?(隠し帳簿が各戸建に数十冊ずつ。)


■ 純情な感情が空回り

お腹に一物を隠す村人たちは、なんとかヘグクくんを都会に帰そうとあの手この手をつか・・・  わないのですよね。不思議なことに。
ユさんの過去をヘグクくんに問い詰められるたび、
「ふっふっふ・・・その答えが知りたければ父親に聞くがいい・・あの世でな!」
とか
「あれだけは絶対に知られてはならんのじゃ・・!」
とか
「お父さんが被害者だったとか、果たしてあなたに言い切れるのかしら!」
とか、教えたいんだか秘密にしたいんだか煮え切らない態度をとり続ける村人。なんやその思わせぶりな態度は!小悪魔か!愛読書は小悪魔agehaなんか!

いやいやいや、きみたちは結局のトコロ、どうしたいのか、と。
主人公を無理やり帰らせちゃいたいんなら、もっとほら、都会のコネクションを利用し、就職を斡旋して呼び戻すとか、色々手はあるじゃない。 赤毛連盟みたいなアレがあるじゃない。
本気で帰そうとしている割には、いまひとつ確実な手をとらず、「オレたちはただ、村長と共に築きあげた30年間を守りたいだけなんだ・・」とばかりに空回りして自滅しまくる村人たちが、不憫でなりませんでした。

ただ、
「下宿先の雑貨屋に泊まっていることを確かめた上で、夜中にこっそりロープを持ってヘグクくんのおうちに忍び込もうとしたはよいけれど、予定を変更しておうちに泊まっていたヘグクくんと鉢合わせしてしどろもどろになる」
という空回りっぷりだけは、回転が激しすぎてなんのこっちゃわかりませんでしたけどね。
ヘグクくんがよそに泊まってる間に、証拠書類か何かを処分しに来たって言うんならわかるけど、ロープを持って何しようとしてたのか。 完全に殺す気まんまんやないか。 ヘグクくんが居ない筈の家に殺す気まんまんで忍び寄る、ってどういうコトやねん。  ここは村人の空回りというより、監督の空回りだったのかもしれません。 スリリングでいいシーンだっただけに、余計勿体無かったです。

< ※ 以下ネタバレしています。>


■ 共存という生き方

遡ること30年前。 ユさんが牢獄から釈放された頃。
ユさんが周りの人々に与える影響力に目をつけたチョン刑事は、その力を利用して、自分が思い通りに操れるコミュニティを作ることを目論み、ユさんはチョン刑事の実行力を利用して、自分の理想通りのコミュニティを作る決心をします。
いわゆるひとつの利害関係の一致です。
チョン刑事(村長)は、コントロールし易そうな犯罪者に声をかけ、減刑に協力することを餌に入村を指示。
ユさんは、その犯罪者たちに、キリストの教えを説き、更生のための手助けをする。
表面上は同じ方向を向いているものの、心の中では真逆のことを考えている2人。

チョン刑事(村長)とユさんの関係は、コインの裏と表のようなものだったのではないでしょうか。
お金と暴力を使って人の心を掌握するチョン刑事。 
優しい物腰と救済の言葉をもって人の心を掌握するユさん。
正義と悪。
独善と偽善。
やり方は違えど、それに従う人の数や目線は限りなく似ています。
村人たちはみな一様に、村長とユさんを尊敬し、かしずいている。
なんとなく、バットマンとジョーカーのような関係だなぁ、と思ってしまいました。

だから、村長はユさんを殺さなかった。 
自分が生きてゆく為には、ユさんの存在が必要だったから。
ユさんが死んだ瞬間、チョン刑事(村長)が目指した“村”が完成したのだ、という見方もあるのかもしれませんが、本当はチョン刑事は、ユさんに生き続けて欲しかったのではないか。
ユさんの死体を見つけた時の、チョン刑事(村長)の呆然とした表情を見て、そう感じました。
あれは“喜び”でも“達成感”でもなく、“虚ろ”であり“哀しみ”だったのではないか、と。


■ まとめ

ハードルを上げに上げて、これ以上ない程のヘン顔を集めて、幾人もの犠牲者を出しながらも村長たちが守りたかった秘密とは、一体なんだったのでしょうか。

「自分たちの理想郷を作る為に、祈祷院の院長と信者をみなごろしにし、その財産を元手に村を開拓。チョン刑事(村長)は仲間の元犯罪者を使い、あくどい地上げや有力者への贈賄を重ねて絶大な権力を手にし、ユさんは自分の教えが罪人たちの心を救っていると自己満足してきた。」
という、ざっくりとした村の歴史の中、彼らが隠したかったのは、①30年前の大量殺人 ②違法な土地転がし ③贈収賄 の3点だったのではないかと思います。

うん、たしかにコレは悪いですよね。 私利私欲にまみれた悪事の数々です。
でもこれ、完全に隠蔽しようと思えば出来ますよね、たぶん。
①に関しては、証人はヨンジしかいない訳ですし、②に関しては実行犯である仲間の口を封じれば(実際、彼らは互いの過去を握りあっているので口を割れない)問題ありませんし、③に関しては関係書類を燃やしてしまえば立件は不可能。

で、ユさんが死んでしまった今、問題なのは、ユさんに傾倒しきっていたヨンジただひとりな訳ですよ。
ユさんの存命中、「オレたちの言う通りにしなかったら、おまえの大好きなユさんがどうなっても知らないぞ」と脅して、押さえつけていたのですから、ユさんが亡くなったらヨンジがどんな行動に出るかくらい読めなきゃダメですよねー。  甘い! 村長はツメが甘すぎる!!
つまり、ヨンジさえ亡き者にしてけば、20年ぶりにやってきたユさんの息子がしゃしゃり出てきても、「おとうさんは自然死ですよ。おとうさんの土地や財産が村長の名義に変わっているのは、おとうさんが生前贈与してくれただけですよ」と説明するだけで、まるっと収まってた話なんですよねコレ。

それを、さも勿体つけて「いやぁ、その件にかんしてはノーコメントですなぁ」とか「細かい事は気にすんな」とか「ワカチコワカチコ」とか言ってるから、余計に勘繰られて、死ななくてもよかった人たちが死んでしまう羽目に・・・。みんなホントもうちょっと真面目にやろうぜ!

村長とユさんの歪んだ共存関係がとても魅力的だっただけに、ミステリー部分に重きを置きすぎた展開が無駄に思えてなりませんでした。
村長の告白を2日に分けるのも、ヘグクくんが自分に施されるおせっかい(怪我の手当てやカセットデッキ)の数々を追求しない展開も、全く必然性がありませんからね。
ただ単に、ラストの真犯人が明らかになるシーンを活かす為、その為だけの展開ですので。
謎解きシーンを分散させたのも、盛り上がりを欠いてしまう結果に繋がってしまったような気がします。
映画の山場をどこに持ってくるのが一番効果的なのか。
少なくとも、本作のラストショットには、『ユージュアル・サスペクツ』に感じたような全身の粟立ちは感じませんでした。
お・・おまえだったのかー!!!!  みたいなアレはね。

あ、あと、ユさんを監視する為に掘られたという地下道もね。 地下に作る必要、ないですよね。 
監視なら村全体を見渡せる村長の家からでも出来ますし、そもそも構造自体が便利なのか不便なのかいまひとつわかりませんし。(ユさん側の出口に鍵をかけられたらアウト)
なんというか、「閉ざされた村に秘密の地下道があったらおもしろくね?」みたいな発想だけで登場したんじゃないかという気が・・・。 ひねくれ過ぎでスミマセン。


というわけで、村の舞台装置や二転三転させるコトに懲りすぎたトコロが若干気になりますし、“衝撃の結末”を盛り上げる為に用意した展開が足を引っ張り、パンチ力を弱まらせてしまった感もありますが、ダークヒーローである村長が近年稀に見るかっこよさですし、脇を固めるヘン顔の村民も一度見たら忘れられない程強い印象を残してくれましたので、結論を言うと実におもしろい作品でした。

目には目を。
歯には歯を。
罪人たちは自ら招いた地獄を味わい、真の殉教者こそが正義を勝ち取るのである。 というありがたい教えを胸に刻み、これからもまっとうに生きて行こうと誓ったアガサだったのでした。


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『2048』

2011年02月10日
2048



『2048』で起こること。

・ 世も末なので、2年間で15メートル水面が上昇する
・ 人口が結構減る
・ 放射能汚染により超スピードで泳ぐサメが誕生する
・ バチカンに頼まれたおじさんが魔法の杖を巡って大騒動を巻き起こす
・ テンプル騎士団による盗掘
・ コルセットによって補強されたおっぱい姉ちゃんのおっぱいが揺れる
・ 別のおっぱい姉ちゃんの暗躍
・ 尖閣諸島並の衝突騒ぎ
・ 水面上昇を食い止める画期的な方法が見つかる
・ 海底が大爆発する
・ なんとなくみんなハッピーになる


と、言う訳で、『2048』ですよ。
最近、『アルマゲドン2011』だの『2012』だのと、近い将来に起こりうる危機を描いた作品が数多く製作されているようですが、細かく刻んできてるんじゃねえぞ、と。 もっと大胆に責めてこいよ、と。
そう思ったのかどうかは神のみぞ知る、なのですが、大きくコマを進めてきましたよ本作は。
なんと飛ばしも飛ばしたり、40年後! (※2008年製作です)
なぜキリのいい“半世紀後”にしなかったのか。 その奥ゆかしさ(10年分)は何の証明なのか。 ジーン・デ・セゴンザックさん(※)を小一時間問い詰めたい気持ちでいっぱいです。 うそです。 正直そんなに気になっていません。 (※ 監督)

さてさて、そんな『2048』。
冒頭の説明セリフによると、地球温暖化によって水面が15メートル上昇し、世界の名所も軒並み水没してしまっているそうなのですが、あくまで説明セリフによるものですので、本編を観る限りでは、40年後の地球も若干水かさが(CGによって)増した程度で、現在とさほど変わらない街並みと暮らしぶりが維持されているようです。よかったね、地球!
そして、そんな“若干水かさが増したっぽい”古都・バチカン市国を舞台に、おっさんが潜ったり、箱を開けたり、ぼかーんってなったり(CGで)、うわああーってなったり(発砲スチロールに挟まって)、なんだかんだで魔法の杖が出てくるのですが、え?え? 魔法の杖? 魔法てどゆこと?  ええとええとちょっとまて、いかにして『2048』年に至ったのかとか、『2048』年ならではのデザスター的な催しが拝めるんじゃないの? と思ったあなたに残念なお知らせ!
なんと本作には『アルマゲドン』や『2012』を連想させるような破壊も救済も登場しません!
そんな気がした?
そんな気がしますよねー! わかる!わかるよ! だってオレもしてたもん!!(うっすらとね)

まぁね、大方の予想通り、“さも著名なアレやコレやに関係ありそうでなさそう”なジャケジャケ詐欺だった訳ですよね。
これ、人間の持つ底知れないパワーって言うんでしょうかね、事前に予期していたら、意外とショックって受けないものなんですよね。 にんげんすごい。
なので、アガサもちっともショックなんかじゃありませんでした。
もう、こんなもんだと思っていましたもん。 世紀の大スペクタクルな訳ないですもん。 そうだったら劇場で公開してますもん。 いくら煽ってても徳川埋蔵金も出てくる訳ないですもん。 出てたら放送前に新聞に出てますもん。
ぜんぜんショックじゃなかったんですよ。 内容に関してはショックじゃなかったんですけどね。
じゃあ何がショックだったって、こんな作品を念願のBlu-rayデッキの筆下ろし作品にしてしまったという事実がね。

なんで『ダークナイト』とか借りてこなかったんだ、オレ。と。
いや、Blu-rayディスクではなかったのですけどね。普通のDVDディスクだったので、厳密に言うと筆下ろしじゃなかったんですけどね。 なんだろう。童貞は捨てたけど、まだ素人童貞のままですよ、みたいなね。ちがうか。違ってもいい。君との夜を無かったことにしたい。ぼくのことは忘れてほしい。ただそれだけなんだ。


ということで、今回の教訓。
「童貞を捨てたいからといって好きでもない子とコトに及ぶと、色んな意味で後悔するぞ!」
ということで、みなさんも是非、胸に刻んで頂けたらと。


-追記-

・ 2048年のことは忘れて、普通の海洋アドベンチャーと思って鑑賞して頂ければ、傷は浅くて済むかもしれません。

・ うそです。 普通の“B級”海洋アドベンチャーです。 ちょっと見栄はった。ゆるしてほしい。

・ おっぱいねえちゃんが実にいい働きをしてくれますので、そこだけは褒めてあげたい。

・ 典型的な“ダサメガネ”(※秀才メガネ+タックつきズボン+シャツの裾イン+ぼさぼさ頭)くんが出てきてとても心が和みましたが、途中でおっぱい姉ちゃんに夢中になり、色気づいた挙句、お兄さんから「メガネを外した方がモテるぞ」とそそのかされて、まんまと非メガネになってしまいました。 ちくしょう・・ ちくしょう・・・・・ちくしょう!!

・ クライマックス、水面上昇の切り札として、魔法の杖を起爆剤とし、海底に大穴を開けて上昇していた海水を穴に流し込む、という荒業を披露する一向。
ちきゅう

ど こ に 何 を 流 し 込 む っ て ?

・ ま、本家本元の『2012』だって所詮“ニュートリノでコアがブクブク”ですからね! 目くそ鼻くそってヤツですよ! 気にしない気にしない!!

・ 『グーニーズ』『ノーカントリー』でお馴染み、ジョシュ・ブローリンのお父上ジェームズ・ブローリンさんが、ベテラン潜り師として大活躍しますよ。 ま、途中で発砲スチロールに挟まってむぐうってなってましたけどね! 「すきなものだけでいいです」は、全国で頑張るおとうちゃんを応援します!


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『ザカリーに捧ぐ』

2011年02月09日
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ザカリーという赤ちゃんがいた。
世界で一番幸せで、世界で一番不幸な赤ちゃんだった。
アンドリューという息子がいた。
沢山の人に愛を与え、沢山の人から愛を返され、ただ一人の愛によって命を絶たれた。
シャーリーというモンスターがいた。
誰からも愛されず、誰も愛せず、自分だけを愛して、そして、消えて行った。


映画評論家の町山智浩さんとタレントの松嶋尚美さんが、日本未公開の優れた海外ドキュメンタリー映画を紹介する、「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」がDVD化されたということで、その中の1本『ザカリーに捧ぐ』を鑑賞しました。

ここに映し出される事件は、過去にフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」などで紹介されたことがあるので、ご存知の方も多いのではないかと思います。
アメリカ人男性・アンドリュー・バッグビィさんが、元カノのシャーリー・ターナーさんにストーキングされた挙句撃たれ、命を失う。その後、逮捕されたシャーリーさんのお腹にはアンドリューさんとの子どもがいることが発覚。悲しみと怒りに包まれたバッグビィ夫妻の、息子を殺した女との地獄の日々が始まる・・・。
という内容なのですが、その悲惨極まりないラストも含め、今まで作られて来たどんなドラマよりも後味の悪い、トラウマムービーとなっておりました。 
鑑賞後に待ち受けているのは、果てしない嗚咽と憎悪のみですよ。 奥さん要注意ですよ。

日本でも度々問題とされている、“被害者よりも加害者の人権が重視される”という傾向は、この一連の悲劇の舞台となったカナダでもかなり強くうかがえるようで、疑う余地もないほどマックロな殺人犯であるシャーリーが、まあ確かに殺したんだろうけど、殺したい人はもう殺しちゃったんだから、他に危害は与えないでしょと見なされ、保釈されてしまいます。
日本の斜め上を行く超絶展開ですねこれ。
そして、そんな最中に妊娠が発覚したシャーリーから、かわいい孫を取り戻さんと、バッグビィ夫妻は家財道具一切合財を売り払いカナダに移住。
シャーリーを、そもそもの殺人現場であるアメリカへ送還する為の手続きと平行して、生まれ来る赤ちゃんの親権を勝ち取る為の民事訴訟を始めますが、これがまた遅々として進まない。
のんびりしているうちに生まれ、ザカリーと名付けられた赤ちゃん。
すると今度は、このザカリーを盾に、シャーリーから夫妻へ無理難題が押し付けられるコトに・・。

想像し得る、ありとあらゆる最悪のパターンの、常に上を、上をと、FUKOゲージが満タンになる程押し寄せる不幸のつるべ打ち。
しかもそれらを率先して展開させているのが、すべてお国の司法制度という。
一体、何をどう解釈したら、殺人犯を野放しにして、殺害相手の赤ちゃんと共に生活させるという結論を導き出せるのか、さっぱり判らないのですが、それがカナダの法であり、加害者の人権を尊重するというコトなのでしょうね。 
日本もそうなのですが、この加害者の人権というものを目の当たりにする度、誰の為の法なのかが時々わからなくなってしまいます。 
一番苦しんだのは被害者で、一番尊重されるべきなのも被害者なんだと思っていたのですけどね。 
間違ってたら誰か訂正してください。 
ぼくにはもうよくわかりません。

愛する一人息子を亡くした老夫婦は、奇跡的に残された息子の生きた証を守るため、世界で一番憎い女の傍で、彼女のご機嫌を損ねないように、彼女の生活を支えて行く事を決意します。

できません。
もう、普通の精神状態ではできませんて。
なぜ夫妻が、一番簡単な方法、つまり、「女を殺して赤ちゃんを取り戻す」という方法を取らなかったのか。という理由は、作中彼らの口から語られるのですが、それを聞くとより一層やるせなさが募り、やり場の無い怒りに我を失ってしまいそうになります。
なんかもうバカ!カナダのえらい人全員バカ!!!

鋼のような精神力で、か弱きものの為に辛酸を全力で舐め続ける夫婦の姿を見て、強さ、というものは、殴る事が出来る強さではないのだ。と改めて感じました。
強さ、というものは、殴らない強さなんだと。 拳ではなく、心の強さなんだと。
そして人は、際限なく強くされるものなのだと。
信じあえる誰かと支えあうことで、いくらでも強くなれるのだと。そう思い知らされたような気がします。

もしもバッグビィ夫妻が2人でなければ、ここまでの地獄に耐える事は出来なかっただろうし、もしも夫妻を慕い共に涙してくれる人々が居なければ、再び前を向いて歩き始める事も出来なかったでしょう。

そう、それらを何も持たなかったシャーリーが、地獄の中から這い出る事が出来なかったように。

本作は非常に優れたドキュメンタリーであると共に、非常に公平性に欠けたドキュメンタリーでもあります。
『ザカリーに捧ぐ』と銘打たれた時点で、ザカリー、つまりアンドリュー寄りの視点で切り取られている事は明らかであり、そこを「フェアじゃない」「ずるいぞ」「ブーブー」というのはそれこそお門違いない意見だというコトは判っておりますが、やはりどこか歪んだ印象を受けてしまいます。(アガサの性格が捻じ曲がっているからでしょうが)
シャーリーは徹底して“モンスター”として描かれており、あえて、その生い立ちにも、その半生にも、その心に渦巻くどろどろとした澱みにも触れられることはありません。
ただ、彼女のモンスター(=危険人物)たる言動や、アンドリューよりも10歳以上年上の40女というコトや、アンドリューに出会う前に既に3人の子どもを生んでいるというコトが端的に語られるだけ。
そして、「彼とは遊びだったの」「彼の事を深く愛していたの」「将来のことなんてお互い考えてなかったわ」と、聴取のたびにコロコロ変わる言葉と、真意の見えない笑顔の写真が不気味そうに挟み込まれるだけ。

どうして彼女は、ザカリーと共に人生を終わらせたのか。
どうして、それまでに生んだ3人の子どもと同じように、育児を放棄し、自分ひとりで新たな愛探しの旅に出かけなかったのか。
夫妻の電話機に残されている彼女の肉声が、「ザカリーを愛しているの」と涙ながらに訴える彼女の言葉が、演技だったのか本音だったのかは誰にもわかりません。
なぜなら彼女はもうこの世にいないし、彼女がこの世に残したのは、どれだけ沢山の笑顔でも上書きされない程の憎しみだけだから。 あまりに憎まれすぎて、その言葉が持つ本当の響きなど判らなくなっているから。

本作に対する、唯一にして最大の不満点はそこなのですが、先程も書いたように、それが(製作者の切り取り方次第というのが)ドキュメンタリーというものですし、また皮肉なことに、バッグビィ家の絆や誠実さを力強く描けば描くほど、その裏で、コントロールを失いもんどりうって暴れているモンスターの姿が色濃く浮かび上がってくるという結果になってしまっていますので、やはり公平といえば公平なのかなぁ・・という気もします。
とにかく、この世に実際に存在した恐ろしいモンスターと、それを生んだ司法制度と、それらに立ち向かう勇気ある人々の姿が存分に詰め込まれた力作です。

とりあえず、悪いのは全部カナダなんだと思うよ!!Blame Canada!!


※ というのはもちろん冗談で、「カナダの司法制度だけが悪い」「モンスターを野放しにした社会が悪い」というのではなく、どこの国にも共通する悲劇としてきちんと受け止めなきゃならない事だと思います。 誰がモンスターになるかなんて判らないし、誰だってモンスターになりうるんだし、悲劇はいつだって、自分のトコロだけすり抜けて行ってくれる訳なんて無いのだから。
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