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『かいじゅうたちのいるところ』

2010年01月30日
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もう、この画が見れただけで大満足。

モーリス・センダック・さく、じんぐうてるお・やく、の「かいじゅうたちのいるところ」を、初めて読んだのは何歳の時だったのだろう。

幼稚園の頃だったのか、小学校の頃だったのか、それはハッキリしないけれど、その時見た“かいじゅう”たちのカラフルで愉快な表情や、子供と一緒に自由に遊びまわる様子は記憶の中に強く焼きついていました。
それはもう、圧倒的な“冒険への憧れ”と共に。

大人になり、ちびっこと訪れた図書館でこの本と再会を果たした時は、
「あ! これはあのたのしかった絵本ではないか!」と、隠しておいた宝物を掘り起こしたような気持ちがして、早速ちびっこに読み聞かせつつ、自分の中の記憶と照らし合わせてみたら、やはり圧倒的におもしろくてなんだか安心したのでした。

こんな島に行ってみたい! 
こんなかいじゅうたちともみくちゃになってみたい!

そしてそんな、30年の時を経ようと変わらない興奮を与えてくれる傑作絵本が、このたび映画化されたと言う。
迷う事無く、私は5歳のちびっこと映画館に、冒険の旅に出ました。
そしてそれは、子供の頃に読んだ絵本と同じくらい、忘れられない旅となったのでした。


あらすじ・・・
お母さんに叱られたマックス。
悔しくて、悲しくて、寂しくて、家を飛び出し力いっぱい走っていたら、岸辺に着いた。
岸辺にあった船に乗り、一週間と2週間と、ひとつき、ふたつき過ぎてゆき、1年と1日の後に辿り着いたのはかいじゅうたちのいるところ。
かいじゅうたちと仲良くなったマックス。
楽しい日々は続いたけれど、やっぱり家が恋しくなった。
寂しがるかいじゅうたちを残し、ふたたび長い長い船路の果てに、見慣れた街に戻ってきたマックスは、お母さんに抱きしめてもらい、あたたかいご飯を食べるのだった。


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幼い少年の現実逃避と、帰る場所があるという事の幸せを描いた、とても簡潔な絵本の、完璧な映画化だと思いました。
文章の間に見え隠れする、あるいは想像によって補われていた部分を、こんな風にわかりやすく、感情豊かに具現化してしまうだなんて!
しかも、セリフに頼るのではなく、マックスの表情や、かいじゅうの背中で語らせる。
ほんとにもう、見事の一言でした! ありがとうジョーンズ! ジョーンズマジ最高!!(※ジョーンズ=スパイク・ジョーンズ監督)

勿論、もとが簡潔なだけに、絵本の行間から感じとる“その他の部分”は人それぞれ違うと思いますし、この脚色に納得いかない方がいるのは当然なのですが、少なくとも私は大満足でしたし、理想の膨らませ方だと思いました。


「人生は、儘ならないものなのだ」という現実に突き当たった時、逃げ出したくならない人などいないと思います。
欲していた温もりが得られなかった時、さみしくてやりきれなかった時、やり場の無い憤りにのっとられた時・・・。
手段はどうあれ、誰だって逃げ出したくなるに違いない。
そこに「後ろめたさ」が加わっていればなおさらです。
だからマックスも旅に出る。
船に乗って、ここではないどこかへ行ってしまおうとする。

しかしその旅は、順風満帆どころか、不安の嵐に帆を押されての旅路であり、辿り着いた先も、夢のような楽園ではく、常に疑問や心細さが潜む密林です。
楽しい場所だったのに、一瞬にして息の詰まるような居心地の悪さを感じてしまう。
親しげな笑顔が、一歩踏み出す間に恐ろしい獣のような邪悪な表情に変わってしまう。
その“変化”は、自分の中にある「後ろめたさ」の表れであり、勇気を出して“変化”の正体を直視してゆく事で、マックスは少しばかりの「成長」と「素直な心」を手に入れるのですよね。

この“現実逃避”と言う名の冒険は、一見すると凄いスペクタクルな大冒険だけれど、子供から大人になる間になんどか体験するであろう旅であり、マックスくんも今回の騒動の後もしばらくは殊勝な態度をとるでしょうが、きっとまたそのうち、別の島を訪れる事になるのではないかと思います。
ある時は、校舎の窓ガラスを壊してまわって怒られた夜に。
またある時は、盗んだバイクで走って捕まった留置所で。
もしかすると、抑えきれない思春期の衝動の反動で。
その時訪れるのは、リビドーという名のかいぶつが住むピンク色の島だったりして・・、などと想像してみたりなんかして・・・なあんちゃって! ごめんね!汚い大人でマジごめん!


ちょっと話が脱線してしまいましたが、まぁ、とにかく原作に忠実に作ってある部分と、変えてある部分がとても違和感なく馴染んでおり、それがまたとても優しい目線なのが胸にジーンときたのですよねぇ。

たべる
「たべてやるからいかないで!」とすごんで見せるかいじゅうの、秘められた心の涙まで余す事無く映像化したら、
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なんと、こんなに温かいシーンになりました!

優しい! 優しすぎるよ、ジョーンズ!おまえ絶対モテるだろ!


これを見ると、「ああ、ガチャさんのアレもきっと、そういう愛情の裏返しだったんだろうなぁ」と思いますよね。
ガチャさん
「わるいこはたべちゃうぞ! (なぜならあいしているから!)」←※()の部分はアガサの補足

まぁ、原作からの変えられ方が余りにスムーズすぎて、本当にマックスが船にのって異様なクリーチャーの住む島に行ったんだと思っている人もいらしたようですが(←チラっと見かけたその手の感想で、「子供ひとりであんな危険な島に行かせるなんて意味がわからない」と、とても怒っていた人がいた)、それはもう「気の毒だなぁ」と言うしかないですよね。
ていうか、怒るとこソコなの?


子供って、心に潜む悶々とした思いをうまく説明する事が、まだ苦手なのですよね。
だからモノにあたったり、乱暴な言葉遣いで察して貰おうとする。
スパイク・ジョーンズ監督は、そういう子供のねじねじとした思いを、子供の傍に膝をついて優しく寄り添いながら、大人だからこその冷静さで以ってキチンと説明してくれていたと思います。
あと、子供だけではなくて、大人の事情も描いてくれていたので、より胸に響きました。
お母さんの“子供の相手もしたいけれど、そこばっかりにも構っていられない”複雑な乙女心が伝わってきて、アガサ感涙です。
ていうか、マックスの事情とあわせて、冒頭からほぼ泣きっぱなしだったもんな!


しかし、子供にとっては痛いトコロを突かれ、すぎてバツが悪い映画だったかもしれませんねぇ。
一緒に鑑賞した5歳のちびっこも、かいじゅうおどりのシーンや森の中を駆け回るシーンでは大興奮していましたが、最終的には神妙な顔をしていました。

で、帰り道、「おもしろかった?」と聞くと、「う・・・うん・・・」と曖昧な表情のちびっこ。
そこで、「どこが一番おもしろかった?」と問うと、迷う事無く「あのね!マックスがおかあさんにババア!って言うところ!」と返したちびっこは、なぜかこちらの顔色を伺うようなイヤらしい笑みを浮かべていたという。
それもそのはず、実は過去に彼女自身キレた挙句、私に「クソババア!」と罵声を浴びせかけた事があるからだ。
(※勿論そのあとこってり叱られて、お尻たたきの刑に処せられた)

「ね、ね、ババア!っていってたもんね、わるいよね、ね!」と言い続けながら、(兄貴ィ、あいつあんな事言ってやがってましたぜ?)みたいなニヤニヤ笑いが止まらないちびっこもまた、その言葉の罪深さを自覚しながらも、自分の中でくすぶる愛情への渇望を抑えられず爆発してしまう、可愛くもいじらしいかいじゅうなのだと思い、なんだか幸せな気持ちで帰途に着いたアガサなのでした。


・・・ま、家に帰って、おねえちゃんに真っ先に伝えた事も
「あのねー! マックスがつくえのうえでババア!っていってたの!ババア!って! ぐふふ!」
だったので、ただ単にそれが言いたかっただけなのかもしれませんけどね!

子供は単純!
だが、そこがいい!

未見の方でクリーチャーに抵抗がない方は、是非一度劇場でもふもふにされてみてはいかがでしょうか。


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ゆらゆらしながら思ったこと。

2010年01月24日
こんにちは、アガサです。
実は今日、twitterでちょっと気になるやりとりがあり、それに関した記事を、えげつないブックマーク数でお馴染みのハイパー人気ブロガー罪山さんが書いていらっしゃいました。


「農耕が障害者を生んだ」 俺の邪悪なメモ 様


何を隠そう、というか隠すつもりも無いのですが、うちのちびっこも高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群)と診断されています。
で、おしゃべりも止まりません。(思った事をそのまま喋る)
常に「状況判断どこ吹く風」といった感じで、おしゃべりを制すると軽いパニックに陥ります。
その他、アスペルガーの特徴と共に、ADHDの要素もちらほら見当たるものですから、町山さんのPOSTを拝見した時は「うーん」と思い、罪山さんと同じく、今は一安心しております。
皆さん大人の反応で素晴らしいなぁ、と。

私は子供の「障害」は「個性」のひとつだと思っており、周りのお母さん方にも病名を含め、症状や特性を堂々と説明しているつもりなのですが、ついそこになんとなく、“発達”をつけてしまいます。
「“知的障害”じゃなく、“発達障害”なんだよ」と。
これはもう、何の申し開きもなく、他の障害児に対する差別意識の表れであり、罪山さんの仰るとおり

障害者を蔑んだり差別をすることは、社会の都合で自分が蔑まれたり差別されたりしてもかまわないという意思表示に他ならない

と判断されても仕方ない事だと思います。
でも、やっぱりつい付け足してしまうのですよね。
情けないですし恥ずかしいのですが、「うちの子は大丈夫だから!」というアピールをせずにはいられない。
何が大丈夫なんだよ! という話ですが。


実際の生活の中で、自分の言動(や衝動がコントロール出来ない事)によって悩んだり苦しんだりするのはちびっこ本人であって、いくら私が“発達”で区別化を図ろうと、差別意識とのせめぎ合いで悶々としようと、そんな事は彼女自身には何の意味も無い事なのですけどね。
少しでも彼女に対する偏見を減らしたい、 と思う事が、何よりも彼女に対する偏見なのだ、と、どこかで観た映画みたいな事をウジウジ考えながら、今日も無意識に体を揺らしてしまうのが止められない私なのでした。 
ごめんね、ちびっこ!
(※いつもちびっこがユラユラ揺れているのを見ながら「なんで動くのを止められないんだろう」と思っていた私は、先日友人に「視界の中で揺れないで。 気になってしょうがない」と注意されて愕然としたのでした。 こういうことか!)
(※キチンと証明はされていませんが、発達障害は遺伝するという説もあるそうです。ちびっこの主治医に聞いた所、「そういう事もあるようですね・・」との事。 ビンゴ!)




で、これはあくまで私の主観であって、「なんもわかってない」とお叱りを受けるかもしれないのですが。


ちびっこや同じ発達障害のお友達を見ていて、よく思うのですが、彼らの特徴の中の一部分というのは、子供なら誰でも持っている(持っていた)特徴なのではないかと。

人の話を聞かない、自分の思いつきのままに行動する、場の空気を読まない、ハマッた事にはとことん没頭する、調子に乗るといつまででも乗り続ける・・・。

周りの“障害を持っていない”子供さんたちは、そういう幼さゆえの自由な暴走行為から、徐々に「大人の常識」みたいなものと共に卒業してゆくけれど、発達障害児はなかなか卒業できない。
大きくなっていっても、素直すぎる感情を爆発的にあらわにする発達障害のちびっこたちと、それを冷めた目で見つめる周りの子供たちの光景に出くわすと、なんとも言えない切ない気持ちに襲われてしまいます。

別に「周りの子供が大人び過ぎて可愛げがない」だとか、「うちの子はいつまでも幼児の心を持ったピュアなキッズなのじゃよ」とかいう事ではなく、ただ、成長の足並みが揃っていないだけで取り残され、つらい思いをせざるを得ないちびっこたちが不憫でならない。
ホントに助けてあげられるものなら何とかしてあげたい。 そう切に願うばかりなのです。(勿論願ってばかりじゃないですけどね)
ま、「助けてあげたい」とは思いますが、だからといってちびっこの自由な言動や、豊か過ぎる発想力や、素直すぎる性格などから無理やりに卒業させてしまいたい、という訳でもないのですが。
残せるところ(残しておけるところ)は出来るだけそのままに大きくなっていって欲しい。
ただ、彼女が生きてゆく上で困難では無い程度に、自身をコントロールできるようになってくれれば。


それと、いつかどこかの時点で卒業済みの子供と絶賛暴走中の子供がお互いの存在を認め合い、「あ、こういう事ね。」とわかりあってくれる様になって貰いたいですし、そういう教育(全ての子供たちにキチンと説明してあげる事)はとても重要なのではないでしょうか。
大人が持つ差別意識はきっと無くならないけれど、子供はまだ間に合うと思うから。


・・いや、間に合わさなければならないんだよな。 大人の私も、差別意識から卒業しなければ。


という事で、例によって例の如く何が言いたいのかよくわからない文章になってしまいましたが、要するに子供は子供らしさを無くしたら勿体無いって事もあるんだよ!というお話でした。
こども店長も、たまには鼻をほじって「う○こー!!」とか思い切り叫んでみるとモアベターかもよ!

(※ひどいまとめですみません)



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『2012』

2010年01月18日
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★★★☆
破壊の満漢全席やで!


あらすじ・・・
2012年の12月21日に、地球は滅亡するんだってよ!

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と、いう事で、『アバター』が公開されるまでは割と話題を呼んでいた『2012』を、なんとか滑り込みで鑑賞してきました。
K子さん、本当にありがとうございました!ヾ(*´∀`*)ノ

結論から言うと、最高の映画でした!
映画館で観れてよかったなぁ!!
(逆に言うとDVDで見なくてよかった)


物語は2009年、インドの研究所でニュートリノの異常活動が観測されたトコロから始まります。
それを知ったホワイトハウス所属の地質学者・エイドリアンが、大統領補佐官に報告。
補佐官が大統領に報告。
大統領がG8で報告。
その後、先進国の偉いさんたちによって、人類保管計画がこっそり企てられるというお話なのですが、まぁ細けぇこたぁどうでもいいのですよ!
詳しく聞いたところでよくわかりませんしね!

だいたい、 「数十万年に一度しか起きない惑星直列」 によって 「太陽の活動が異常に活発化」 し、 「普段は地球をすり抜けるハズのニュートリノが滞留」 して 「地球のコアの部分をブクブク沸騰」 させ、 「緩んだコアと地表の間がグズグズ」 になって、結果 「地殻変動が起こる」 とか、科学や数学が天敵だったアガサでも気付くくらいの胡散臭さじゃないですか。
なんだよ、「ニュートリノでコアがブクブク」って。
エメリッヒさんはいい加減にしとかないと、小柴教授に踏んづけられちゃうよ!


とにかく、カラクリはさておき、本作の見所は完膚なきまでに叩きのめされるぼくらの地球と、意外と現実的な人類の行く末なのではないか、とアガサは思うわけなのです。

先ほども述べたように、地球の中心部がブクブクしてしまうので、当然次に待ち構えているのは大規模地震。
まだ、一般市民が何の疑問も抱かず日常を掛け流している時、その予兆がひそやかに訪れます。
いや、うそです。
結構派手に訪れます。

ロサンゼルスの道路上で、アガサのほうれい線の如く、容赦なき進行をみせる地割れ。
市民は驚くものの、テレビで専門家が「問題ないッスよ!」とコメントする為、気にしない事にします。
しかしその地割れは全く収まる事無く、どんどん規模を増していく。


ヒビ程度だった地割れが、建物を分断させるほどの規模になり、そのまま大地震へとスケールアップして街は崩壊。
で、地震ときたら、やっぱ次は火山の噴火ですよね!
勿論すぐには噴き出しませんよ?
鳥が一斉に飛び立ち、山の斜面がもこもこと持ち上がり、地鳴りのドラムロールを経て、やっと大噴火。 
しかも頂上からドカーンではなく、亀裂が入った地面のあちらこちらから泉のように大放出です。

そして、マグマの塊がドッカンドッカン飛び交った後は、当然の如く灰な訳ですよね。
破壊された街に降り注ぐ火山灰。
その灰は、破壊の中心地・ロサンゼルスから、大陸横断してワシントンDCまで到達。
見ているだけでゲフンゲフンなりそうな灰が積もったなら、その灰、洗い流してみせましょうぞ! とばかりに、次に襲い掛かるのは津波。
イエス! ジャパニーズTUNAMI!!(←特に意味は無い)

火責め、灰責め、水責めときたら、最後は雪。
熱いだけじゃつまらない。 ぬるま湯の生活もうんざりだ。 
時代は雪! 寒さこそ正義!
(←もうあんまり深く考えてない)

主人公一向を、灼熱のアメリカ本土から、極寒の雪山にダイブまでさせるエメリッヒ監督の、なんと貪欲なことでしょうか。
なんや、お前は欲張りOLか!
最近のマストなレストランは、ビュッフェスタイルか!


そして、破壊の満漢全席とも言える、この世紀のぶっ壊し作業から、奇跡を乱発しながら逃げ通す主人公一向の姿がまたもう、手に汗握る見せ場の連続なのですよね!
『天空の城ラピュタ』のトロッコ追走シーンみたいなテンションで、“間一髪”が二発も三発も繰り広げられるものですから、アガサ正直お腹がいっぱいです。

普通は、同じような破壊シーンが続くとダレるじゃないですか。
しかし、本作の破壊は細部までこってりとこだわり抜いて作られているので、よく観てみると 「分断されたビルの配線が剥き出しになった床に必死につかまっている人間」 だとか 「飛んでくる車に一人一人巻き込まれてゆく人間」 だとかが、悪趣味なほど細かく描き込まれているので、ぼんやりとしている暇などありません。
いやぁ、ほんとエメリッヒはいい趣味してんなぁ!

さて、破壊も申し分ないのですが、アガサがもうひとつ本作で気に入ったのは“現実的な選択”なのであります。


2009年の時点で「地球崩壊止むを得なし」と判断した先進国首脳は、秘密裏に“ノアの箱舟計画”を立てます。
つまり、“ほぼ死滅するのはしょうがないとして、なんとか後の世にいい遺伝子を残しましょう”と。
“急ピッチで建設された巨大な船に、ギリギリ定員いっぱいの約40万人を乗せ、崩壊したあとの地球でいちから再スタートさせちゃおうぜ”という計画です。

じゃあ、その40万人はどうやって選ぶのかというと、当然の事ながら「優秀な遺伝子」を持つ人や「一部の金持ち」や「政府関係者」な訳ですよね。

この選択は、確かに公平もへったくれも無いシロモノで、登場人物の中の一人が正義心を振りかざして
「こんなの不公平だ! クジで選ぶという方法だってあった筈じゃないか!」
と超ウザい事を言うのですが、そんなの所詮キレイ事じゃないですか。
仮にクジを引かせたトコロで、いざそれが未来に生き残るチケットだとわかれば、凄惨な奪い合いになることは目に見えている。
くじ引き以外の方法で、どうやって少ない人数を選び出すかと言うと、同じ残すなら「すごい才能の持ち主」なのかなぁと思いますし、「一部の金持ち」というのも巨大な船の制作費を捻り出すのに必要不可欠。「政府関係者」もコトをコッソリ進める以上必然というか当然の成り行きでしょう。

実はこの登場人物(地質学者・エイドリアン)は、全編通してやたらとこの様なキレイ事を連発し、やれ「地球の終わりを世界中に発表しろ」だの、やれ「人類には知る権利がある」だのと、まぁ鬱陶しい事この上無し。
「知る権利がある」だなんて、「既に知っている」人間だからこその無責任発言じゃないか? と。
本当に世界中の人間に「はい、残念ですけどあと2年で世界は終了ですよ! みなさん乙でした!」なんて発表して、それで残りの2年間どうやって生きて行けと言うのか? と。
どうやったって、人類全員は助からないし、むしろほぼ壊滅状態になる事態が避けられない。
だとしたら、こっそり一部の人間を選んで、残りの大多数には何も知らせず、いつものように小さな幸せを味わいながら過ごさせてあげるべきなのではないでしょうか。

だって、苦しむのなんて、長いより一瞬の方がいいに決まってる。
人は、希望があると思うから、なんとか生きてゆけるのだ。

ちょっと悲観的かもしれませんが、アガサはそう思うのですが・・・。


で、このエイドリアンくん、いざ箱舟に乗船する際にも、周りで作業している「明らかに乗船券を貰えていなさそうな造船所の作業員(貧乏な一般市民)」の姿を見ていたら、またぞろ正義の虫が騒ぎ出したのか、
「あの人たちは船に乗せてあげないのか? この人非人!」
とかなんとか言い始めるのですが、一緒に居た大統領補佐官に
「キレイ事言ってんじゃねえよ! そんなに言うならお前のチケットあいつらに譲ってやれよ!」
と一喝され、グウの音も出なかったのでした。

あー、やだやだ。 
こういう、人権派の弁護士みたいな無責任な正義漢って、ホント苦手です。
「犯罪者にも人権がある! 更生の余地がある!」って、じゃああなたが幼女に対する性犯罪者の保護責任者になってやればいいじゃない! 小さい娘がいるあなたがさぁ! みたいなね。

結局キレイ事を言う人というのは、すべてに於いて高みから見ている人なのだと思うのですよ。
下におりて、同じ目線で見る、考えるという事は、とてもツラいし残酷すぎるから、ちょっと離れた高みから見ているだけなのではないでしょうか。
ですので、アガサが一番本作で共感し、応援していたのは、誰よりも現実を直視し、誰よりも無情に計画を遂行しようとした大統領補佐官だったのでした。
みんなに嫌われても、自分の使命をひたすら果たそうとする補佐官は、かなり成人病予備軍な体型ですが、とっても男前だと思います。
ホントさぁ、補佐官くんはせっかく生き残って新たな人類のメンバーに入るんだから、もうちょっと健康に気を使ったほうがいいよ!

あ、それと、最初から「地球の破滅」を信じ、周りから電波扱いされようとも決して挫けず、唸り声を上げる地球の末期の叫びを全身に受けて、感涙のうちに死んでゆく陰謀マニアのウディ・ハレルソンも素敵でした。
やっぱ一本筋が通っている男性はカッコイイですね!


ということで、これでも最初は「今回は短い感想にしよう」と思っていた筈が、気付いたらいつも通りの長文になってしまった訳なのですが、最後にダメ押しで2~3突っ込ませて頂いて、『2012』の感想はおしまいにしたいと思います。


・ 先生! ジョン・キューザックのニコラス・ケイジ化が止まりません!(生え際も含めて)

・ 船の作業員をやっていたお兄ちゃんが、はんにゃの地味な方にクリソツ。
テンジン  はんにゃ
(ほら! クリソツだよ!)

・ 人類の行く末を握る“ノアの箱舟”を作るのは、なんと中国

・・・

・・

ノーモア! チャイナフリィィィィィィ!! 



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「ラブラブハッピー」・鬼才あらわる!

2010年01月16日
※ この記事は親馬鹿スピリット全開となっておりますので、そういうのが苦手な方はご注意ください ※



この週末はどこのブログも、鬼才・スパイク・ジョーンズ監督の『かいじゅうたちのいるところ』一色になっているでしょうが、実は我が家にもとんでもない鬼才が現われましたので、ちょっと皆様にご紹介させて頂こうと思います。

「おかあさん、まんが書いたから見て~」という一言と共に、アガサ夫妻に大いなる衝撃をもたらしたちびっこ先生(小2)の長編デビュー作・『ラブラブハッピー』、はじまりはじまり~!


ラブラブ001

『ラブラブハッピー!』
「作者・いわおかももあ」「第一巻」

(※アガサ註:ペンネームで、実際の名前ではありません)


ラブラブ01
「ハア~・・・」
こんにちは! わたし月のるるみ! 今月はへんなことがありました。



ラブラブ02
休みの日に - たまごがねもとにありました。
「なんでたまごー!」


(※註:ねもとはベッドの下という意味だそうです)


ラブラブ03
「わーたいへ・・・」「ドーシタ?」
どん!
ピ カ ー 
「うるせーな!」
たまごのなかから、つばさという男が!


(※いやいやいや、目がハートになってるけど、それ卵から出てきたってことはエイリアンみたいなものだからね! しかも第一声が「うるせーな」って、態度でかくね?!)


ここでちょっと、アガサは気になった点が。


ラブラブ3.1
先生、このUMAは一体・・?

「るるみちゃんのいもうと2人と、ペットのうさぎだよ!」(←ももあ先生)


頭ツルッツルだよ! デフォルメするにも程があるよ!!

すみません、それともう一つ、この左上に浮かぶ謎の顔は一体・・・?
ラブラブ3.2


「ああ、それはちょっとらくがきがしたくなったの」(←ももあ先生)


・ ・ 自 由 !!。・゚・(ノ∀`)・゚・。



気を取り直して。
ラブラブ04
「あ・・あのー・・・」(ふくもあるしー)「何だ?」
(※ちなみにこのタンスはつばさ君の持ち物で、卵の中から一緒に出てきたんだそうです。 WAO!ファンタスティック!)


ラブラブ05
「いっしょにいきたいんですけどー モジモジ」「ああべつにいいぞ!」


(※ツンデレキタ―――!)


卵から出てきた得体の知れないエイリアンの分際で、何故か上から目線のつばさ君。
こんなクリーチャーに夢中になるなんて・・・ アガサはるるみちゃんの将来が気がかりです!


ラブラブ06
「今月はてんこうせいをしょうかいします!」

(※え?! コイツいつの間に学校に入り込んでんの?! こわい!こわいよおかあさん!!)


ラブラブ07
「よろしくな!」「キャーカッコイー!!」

(※先ほどまでのツンっぷりが嘘のように、晴れやかな笑顔です。 お前は一体何人の女を手玉にとるつもりだ。 そして左下で何気なくズッコケているるるみちゃん。)


ラブラブ08
す・・・ 「るるみにこれいじょう手をだすな!」


(※「これ以上」て! お前今きたばっかだろ!)


ところが、「これ以上」に大ウケしていたアガサに冷水を浴びせるようなももあ先生の解説が。

「あのね、るるみちゃんは学校でいじめられてたの。 だからつばさが助けてあげたんだよ」


衝 撃 !!


いじめって・・・。 いや、そもそも何でいじめられちゃったの?

「るるみちゃんのお父さんとお母さんが、もう死んじゃっていないから」




・・設 定 重 い わ !!



ラブラブ09
「今月はありがとう!」「いいや・・・」

(※校舎脇を何気なく飛んでいるカラスも素晴らしいですね!)


ラブラブ10
「よるで話があるんだけど!」 「で・・・はなしってなんだ・・・」

「わたし つばさくんのことがすきです!!」


(※「あとで」を「よるで」に間違えたそうです。あと、「話」という漢字の偏と旁が逆ですが、ま、ご愛嬌ご愛嬌!
それはともなく、何気なく後ろの物陰から2人を見守っている妹&ペットのうさぎが素晴らしいですね!)



ラブラブ11
(・・・・)

「ああ おれもすきだよ・・・」



(※ 抱き合ってんだけど! ねえ、めちゃくちゃ抱き合っちゃってんだけど!! お父さん、どうするよコレ!!)

会ったその日に結ばれる。
まさにラブラブハッピー。



ていうか先生、これもう完結しちゃってませんか・・? 最初のページに「第1巻」って書いてあったけど・・・?

「書いてみたかっただけ!」(←ももあ先生)




・ ・ 自 由 !!。・゚・(ノ∀`)・゚・。



ま、色々とつっこみどころはありましたが、ヒロインの表情も豊かですし、脇キャラも味があっていいですし、何より最後のコマの抱擁は、久しぶりにお尻のあたりがモジョモジョしてしまいました。
いやぁ、いいラブコメだったわ! 
やっぱりうちのちびっこは天才だな!!
(←設定はヘヴィーですけどね!)


じゃ、アガサも『かいじゅうたちのいるところ』観に行ってきます!
みなさんごきげんよう!

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でも、グレイに会いたい訳ではない。 だって怖いから。

2010年01月11日
それにしてもUFOが見たい。


物心がついた頃からUFOに憧れを抱いていた。
きっと小学3年生の頃、学級文庫にあった「UFOの謎」みたいな本の影響だと思う。
隙あらば空を眺めていた小学4年生。
星空に目を凝らしていた小学5年生。
友達と、裏山の鉄塔の近くで手を繋いで輪を作り、一心不乱にUFOを招いていた小学6年生。

しかし、UFOはついぞ現われる事はなかった。

あれから数十年が経過して、私もかなり歳をとった。
もちろん今でも力いっぱいUFOが見たい。
甘酸っぱい、恋にも似た気持ちが、そこにはある。


実はそんな私を尻目に、私の周りの人々は、驚くほどあっけなくUFOに遭遇している。
「ああ、オレ見た事あるよ。 なんかオレンジ色の光がすうーっと動いてた。」
などと、なんの思い入れもなさげに話して聞かせるその態度、思い出しただけでも歯がゆくなる。
なにが「オレンジ色」だ。
UFOと言えばオレンジ色か。
そんな型にはまったような目撃証言、いまどき矢追さんでも食いつかないぞ。
そもそも、「オレ別にビックリしてないし」みたいなシレっとした物言いも気に入らない。
仮にもUFOを見た者の反応じゃないではないか。

ああ、もったいない。
もしも私がUFOを見ることが出来たなら、全身全霊でビックリするだろうに。
アワアワと膝を震わせ、目を剥き、歯をガチガチと鳴らし、「とんでもないものを見てしまった!どうしよう!!」と親戚縁者、その他考えうる全ての知り合いに連絡をとってみせる。
なにがあっても「ああ、UFOね」という結婚20年目の馴れ合った夫婦のようなリアクションなどしない。
UFOの側にしたって、同じ姿を現すなら「はいはい、ワロスワロス」と言われるより盛大にビックリされる方がいいに決まっているじゃないか。
私なら、UFOの側に満足して貰えるだけのリアクションをとれる。
「出てきてよかった」
そう思って貰える自信がある。

もちろん、車を運転している最中だって、一時も気を抜いた事などない。
常に前方上空にアンテナを張っている。
夕暮れ時、空には自分たちの時間が来たとばかりに輝きを増し始める星たちがおり、その隙間にUFOが潜んでいるであろう事は想像に容易い。
空にピカリと光るひとつのひかり。
そのひかりが、驚くほどスムーズな動作で私の頭上を横切る。

ついに来た!
思い描いていた瞬間が、ついに来よったで!


そう喜ぶも束の間、ひかりは飛行機特有の点滅をはじめ、無情なゴオオという音を響かせて飛び去ってゆく。


また、見れなかった。
私はお馴染みになった“失望”の味を噛み締めながら帰途に着くのだ。

こんなにUFOを見たいと願っているのに、UFOは私の前には現われてはくれない。

UFOは私の気持ちに気付いてくれているのか。
それすらわからない。
もどかしい。
やはりこれは恋なのだろうか。


いつの日にか、完璧なリアクションでUFOの想いに応えたい。
そう思いながら、私は今日も空を眺める。
9歳の頃から胸に秘めている、心構えと共に。



( 大好きな映画、『フォース・カインド』に捧ぐ。 )





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