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After the Funeral

2009年12月31日
葬儀を終えて、少しずつ片づけをはじめ、日々の生活がなんとなく戻ってきました。

ふと、哀しくなって胸がギュっとしたりもしますが、世帯主さまも私も笑っています。
ちびっこも今までと同じように、「おばあちゃんおはよう!」と部屋に突進していたりします。
どんな事が起きても、私たちは“生活していく”のだなぁと、そんな事をぼんやりと考える年の瀬です。


で、世帯主さまとも話していたのですが、人間というのはホントに、どんな状況でも笑ってしまうのですよね。
それがたとえ、どんなに哀しい、極限の状況でも。


実はおかあさんがいた病室は2人部屋で、隣のベッドには若干「考える能力が弱まっている」おばあちゃんが寝ていらっしゃいまして。
おかあさんの呼吸がどんどん弱くなってきた頃を見計らったかのように入る、そのおばあちゃんの破壊力抜群な一言。


いよいよ呼吸が消えそうになっていたおかあさんに、必死に
「おかあさん、お願い息して! おかあさん!」
と呼びかける私と世帯主さま。
すると、「はあーい」と絶妙のタイミングで答える隣のおばあちゃん。

「おかあさん!」

「はあ~い」

「おかあさん!」

「はあ~~い!」

「おかあさん、がんばって!」

「はあ~い、なんですか~!」

乱暴な言い方で申し訳ないんだけど、あんたじゃねえよ!!こんちきしょう!

もうねぇ、どうしてくれようかと。
張り詰めた糸が、別の意味で崩壊寸前やっちゅうねん、と。
ホントはね、出来ればお相手してあげたいんだけどね、申し訳ない事に今は無理なんですよね。
ていうか、看護婦さんなんとかしてくれ。

横を見ると世帯主さまも泣きながら笑っていました。
(さすがに途中で堪え切れずに「あんたじゃねえよ!」とつっこんでいましたが)


物凄く哀しくて、物凄く苦しい一夜でしたが、色々な光景と共に、私たちの絶叫に負けじと「はあ~い!」と声を張り上げていたおばあちゃんの事もまた、絶対に忘れないと思います。
願わくば、あのおばあちゃんが元気で退院されますように。



それと、今回のお葬儀は、私たち夫婦にとって初めての事だらけで(まあ大抵のアラフォー世代の方はそうだと思いますが)、わからないままに葬儀屋さんと話していて、色々と勉強になった点がありましたので、今後の皆さんの何がしかの参考になればと思い、ちょっとその一部をご紹介させて頂こうと思います。


■ お葬儀は何から何まで銭次第。

我が家の場合は、おかあさんを病院から一旦家に連れて帰ったのですが、その帰宅と安置と同時に、ご葬儀の打ち合わせが間髪いれずにスタート。
とりあえず、一から十まで一気に決めてしまわないといけないのですが、まぁ右も左もわかりませんよね。

「祭壇はどうなさいますか?」
「えー・・・いや、どんなのがあるんですか?」
「そうですねぇ、こういったタイプもございますが・・」

さいだん

森 繁 か よ !

もうねぇ、一般人じゃないよね。
テレビで見るもん、こういうの。 
タモリが弔辞読んでたもん、こんなトコで。
百歩譲ったとして社長だよね。 ・・まぁたしかに、おかあさんは若い頃喫茶店を営んでいた事もあったので、経営者と言えなくもてねえよ!!(喫茶店はホントだけど、この規模はない)

ちなみにこのタイプのお値段、祭壇のみで150万。

ねえよ!!(大事なので2回言う)

そして棺。

パラパラと写真をめくっていて、「なんか欄間みたいな模様ですね」と私が放った一言に鋭く食いつく葬儀屋さん。
「それなんですけどね、そもそも棺の意味をちょっとご説明させて頂くと・・・」

まとめると、なんでも“四十九日”というのは故人があの世にいく準備期間で、そのあとあの世で50年かけて仏様になる修行を行うそうなのですね。
で、棺というのは、その50年の間に休む家を作る為の材料になるモノなのだと。
なので、棺の材質は一般的に檜がよく使われるのだと。

なるほど。 あの棺の側面に彫ってあった欄間みたいな模様は、まさに家のパーツとしての欄間そのものだったのですね。

で、それを踏まえて棺ドーン。

ひつぎ


何度も言うようだけど社 長 か よ ! !


もうねぇ、見るからに豪華ですよね。
何て言うの?重量感っていうの?
担げるのかコレ?みたいな心配もね、親戚のみなさんのお歳も考えてみたりしてね。

ちなみにこちら、総檜・3面彫りで、お値段驚きの50万円。

た か っ ! ! 


思わず顔を見合わせる私たちに気を使ったのか、葬儀屋さんが見せてくれたのがこういうタイプ。
coffin_img_p4.jpg

はいはい、ドラマで見る見る、こういうタイプ。
布が貼ってあるやつね。

値段もまあまあだったので、「これでいいんじゃないの?」と言う私の横で、世帯主さまが「これの材質は?」と質問。
すると葬儀屋さんは戸惑いつつ、「ええと・・・檜・・ではないですね・・・そうですね・・何かの木ですねぇ・・」と回答。

何かの木て!

買えませんよね! それね!
おかあさんのおうちになる材料だっていうのに、「何かの木」は無いわー! せつないわー!!

結局中間どころの適度な棺に決めました。
もちろん檜です。


その他にも、仏衣や、祭壇にオプションで装備出来る御花、お料理、骨壷などなど、本当に細かく全て決めていくので、心底疲れ果ててしまいました。


■ お葬儀のトレンドは「おくりびと」で決まり。

その打ち合わせの最中、もっとも聞いた単語は「おくりびと」だったのでした。
とにかくもう、あっちもこっちも「おくりびと」。
仏衣も骨壷も「おくりびと」。
カタログにも何気におどる、「おくりびとで使用!」の文字。

わしゃまだ観てないっちゅうねん!(なんとなく食指が動かない)

ちなみにお葬儀の間、ピアノで生演奏してくれていたのも「おくりびと」の曲でした。
すごいなぁ! 
葬儀業界は、もっくんに足を向けて眠れナイト!

ちなみに、去年までは「千の風になって」がヘビロテだったとみた! わかってんだぞコンニャロー!(ま、いんですけどね)






とかなんとか書いている間に、今年も終わってしまいました。

最後の記事がこんなんで、なんというか申し訳ないです。

このようなブログを見に来てくださったみなさま、本当にありがとうございました。

最後の最後に哀しい事もありましたが、沢山の方々とお知り合いになれて、とても充実した一年だったと思います。

また来年も、でたらめなあらすじや無駄に長い感想などを書き綴って行くと思いますが、何卒お付き合い頂けると大変うれしいです。

それではみなさん、よいお年を!!



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おかあさんへ

2009年12月30日
10年間と少し、一緒に暮らしたおかあさんが亡くなりました。


人間と言うのは勝手なものです。
一呼吸一呼吸を苦しそうに重ねるおかあさんの姿を見ているのがあまりにつらくて、なんとか早く楽になって欲しくて、
「もういいよ、おかあさん。 もう頑張らなくていいんだよ」
と、何度も声を掛け続けたくせに、その数時間後、呼吸が徐々に小さく、か細くなってゆき、ついに顎の動きが止まった時には、強すぎるくらい力を込めておかあさんの肩を揺り動かし、
「もうちょっと、もうちょっとだけ息しよう! もうちょっとだけでいいから頑張って!」
と、大きな声をあげてしまっていました。
おかあさんは、もう充分すぎるほど頑張っていたのに。
本当に勝手なものです。


私とおかあさんは、決して“いい関係”とは言い切れなかったと思います。
それこそ、「お味噌汁がぬるい」「食事がまずい」といった、橋田壽賀子っぽいやりとりは固より、「あなたみたいな態度の悪い嫁はいない」という厳しい言葉を頂戴した事も何度もありました。
(実際、私は態度が悪かったのです)
私の方も、負けじと「おかあさんは言い方がきつい」と言い返し、最後はお互いが泣くような諍いも、本当に数え切れない程ありました。
裏表のない関係と言えばそうかもしれないのですが、もしタイムマシンがあったなら、過去に戻って自分にビンタを食らわせたくなるような生意気な嫁でした。

だから、私には本当は、おかあさんの死を悼む資格などないのかもしれません。
おかあさんは、私をうらんでいたのかもしれません。


この文章にしても、本当は、読んで下さっている方から同情をかう事で、自分の中の罪悪感をうやむやにしてしまいたい、という姑息な気持ちで書き綴っているだけの様な気もします。
本当に私はダメな嫁でした。
最低な嫁でした。

でも、最後の最後になって、心から思い知らされたのです。
おかあさんの事が大好きだったのだと。
今更気付いても遅いのに。
おかあさんは、私にとっても、大事な大事な家族だったのです。
そんな当たり前な事に、なんで今気付いてしまうんだ。 本当にバカだ。


おかあさんは、とても穏やかな顔で旅立ちました。
私は、涙というのは泣いても泣いても、いくらでも出てくるものなんだという事を知りました。
もう、おかあさんの体は存在しないけど、これからもこの家で一緒に暮らして行きたいと思っています。
どうしようもないバカ嫁なので、お願いだから化けて出てきて欲しいです。
また、「態度が悪い」と叱って欲しいです。
そして時々、ご飯を褒めてもらえると嬉しいです。

今はとにかく、どこか暖かくて気持ちのいい場所で、ずっと病魔と闘ってきた体を休めて、好きなものを沢山食べて、たくさん笑ってくれていますように。

おかあさん、ありがとうございました。




そして、お願いです。
今これを読んで下さった方は、できれば今すぐ親孝行して下さい。
どんな小さな事でもいいのです。
月並みな言葉ですが、親孝行をしたい時には、出来ない事が多いから。
声を掛けるだけでもいいのです。
一緒にテレビを見て、あははと笑うだけでもいいのです。
同じ時を共有するだけでも、それはお互いにとってかけがえのない思い出になるから。



バカな私のようには、どうかならないで下さい。



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『母なる証明』

2009年12月26日
はは
★★★★
バカ親にだけは、なっちゃいけないんだ。

あらすじ・・・
“母”は走る、かけがえの無い息子の為に。
“母”は探る、無実の息子の為に。
“母”は覗く、純真な息子の為に。
“母”は嘆く、薄弱な息子の為に。
“母”は振り上げる、愛する息子の為に。
“母”は踊る、自分の為に、自分と息子の未来の為に。



映画が終わって劇場を後にしようとした時、昔からの知り合いに出会った。
「どうでした?」と聞かれた私は咄嗟に、「ひどかったです」と答えた。
その人はとても戸惑った顔をしていたと同時に、ガッカリしていたようでもあった。
確かに「ひどかった」という感想は、“無い”かもしれない。
でも、私はそう答えずにはいられなかった。

ここに描かれた“母”の姿が、あまりに異様で、あまりに自己中で、あまりにバカだったから。

なになに?ポン(ポン・ジュノ監督)の頭の中で、“母”ってのはこんなイメージなの?
ポンはアレなの? 極度のマザコンか、もしくはその真逆なの?

現役バリバリの“母”として一言言わせて頂くけれど、“母”ってこんなひどくないからね! 
もうちょっと常識とか理性とかあるから、マジで!! ほんとにもう!ポンのバカ!! バカポン!!



しかし、劇場から数百メートル離れた駐車場へ向かって歩き始めた私は、鑑賞直後に胸に渦巻いていた不快な気持ちの正体に、すぐに気付いてしまいました。
それは、「認めたくない真実を突きつけられた時のバツの悪さ」だったのです。


私は子供を産むまで、“子供”がキライでした。
スーパーや行楽地でワーギャー走り回る“子供”が、ふいにこちらの目の奥をジっと射抜く様に見てくる“子供”が、すごくキライでした。
実を言うと今でも得意ではありません。 
さすがに「キライ」から「苦手」レベルに緩和はされたものの、やっぱり“子供”を前にすると、笑顔がじんわりと固まってしまいます。

が、 自分の子供に対しては全く別で、もう、かわいいとか愛しいとか、そういうレベルじゃないのですよね。
世界に対して均等に抱いている微量な愛(世界平和を求める気持ちとか、戸締り用心火の用心・人類みな兄弟!みたいな気持ち)を全人口分集めたとしても、我が子に対する想いには到底届かないのです。
我が子が助かるのであれば、自分の命なんて1ミクロンも惜しくない。
もしも世界が滅びそうになっても、例外的に我が子が生き延びれるのであれば構わない。
我が子が困っている事があるのなら、全力でフォローしてあげたい。

そうなのです。
私自身がとても自己中心的で常識はずれな“母”だから、同じ臭いを放つ、この作品の“母”の存在を認めたくなかった。
理解したくなかったのです。

ごめんね、ポン。 確かにこんな感じかもしんないや。 
常識とか無いよねー。 そりゃ我が子が絡んじゃったらさぁ、常識も倫理もへったくれも、無い無い、んなもん!
いやぁ、ポン鋭いわーマジで! ほんとにもう!ポンはマジ!! マジポン!!(←語感だけで突っ走った例)


で、我が子の事は死ぬほど心配だし大事なのはわかったけれど、じゃあ他の子供はどうするんだ?と言うと、それはもうその子のお母さんなりお父さんにお任せするしかないのですよね。
「うちの子はどんな手を使ってでも助けたい。 よその子の事はその子の親が考えてあげればいい」
とことん身勝手だけど、とことん正直な論理。
きっと、本作の“母”もそう思ったのでしょう。
息子が解放されるのと引き換えに捕まった、新たな容疑者に接見し、「あなた、お母さんはいるの?」とすがる様に聞いた“母”。
お母さんさえいれば、この哀れな容疑者もきっとなんとかなる筈。
圧倒的お母さんパワーで、なんとか助かる道を探して貰える筈。

しかし、この容疑者には守ってくれる両親は居なかった。
それを知った瞬間の“母”が上げる悲鳴の様な泣き声の、なんと憐れで、なんと悲惨な事か。
でも、“母”は歩みを止める事など出来ないのです。
例えよその子供が犠牲になろうと、彼女にとって大事なのは“我が子の無事”だけなのだから。

自分自身に向けられた“子を守る母としての矛盾”という呵責から眼を背け、「全て忘れてしまえ」とばかりに秘伝のツボに針を刺し、一心不乱に踊り耽る“母”と、その姿をグラグラと気がふれたような視線で捉えるカメラ。
残酷で、恐ろしくて、哀しくて、どう考えても「幸せ」にも「希望」にも満ちていないラストは、
はい、そこのお母さん。あなたならどうする?
と問いかけているかの様で。

そして私は、「ひどい映画だった」と目線を逸らしながら言うしかなかったのでした。


“母”というのは、特殊な生き物だと思います。
数ヶ月の間とは言え、ひとつの体にふたつの命(またはそれ以上)を宿していた、不思議な生き物。
そのせいで、生まれてきた我が子には、異常な執着を見せる事がある。
それはそれでいいと思う。
その執着が子供を、人生に降りかかる様々な困難から守ってくれる筈だから。
みんなもっと親バカであればいい。
周りから笑われる位の親バカならば、少なくとも、同居人に遠慮して虐待を黙認したり、子供の健全な生活より自分の欲望を優先させるようなアホにはならない筈だから。


ただ、やはり、バカな親にはなってはいけないと思うのですよ。
学習発表会で自分の子がいいポジションを得られなかったら、周りの迷惑関係なしにキレまくる、とか、
自分の子に楽をさせる為なら、社会のルールなんてクソくらえ!とか、
自分の子可愛さで、他人の不幸は知ったこっちゃ無い! みたいな、バカな親にだけはなってはいけないのです。 
親バカは子供への愛だけど、バカ親は結局自分への愛でしかない。

本作の“母”を観ていて感じたバツの悪さは、「私も同じ立場になったら、死に物狂いで我が子を守ろうとするだろう」という共感からきていたのですが、この“母”が選んだ結末だけは共感出来ません。
ここまでやってしまうと、バカな親になってしまう。
本当に子供の長い人生を考えるなら、踊ってないでしっかりと足を踏ん張り、現実を見なければ・・・。
むずかしい、つらいですけどね。


“母”をという生き物を、恐ろしいまでの情念を込めて描いたポン監督の手腕には、ただただ脱帽です。
いつかポンに会った時、
「“母”は確かに特殊だけど、ここまでひどくはないよ!」 
と胸を張って言える様な、そんな“母”でありたいと、切に願った私なのでした。

ま、会わない(会えない)けどな!!

 

■ おまけの一言

・ ノゾキ、ヨクナイ!
・ 韓国のおかんはファッショナブル!(細身のジャケットにロングスカート)
・ 母と息子って、父と娘よりも生々しいのは何故なんだろうね!
・ おかんが薬草を切るシーンが、実は本編中一番怖かったのは内緒だ! 


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2009年の映画をふりかえってみました。

2009年12月21日
チーッス! アガサっす!! 

いつも楽しく拝見させて頂いている空中キャンプさんの企画、「2009年の映画をふりかえる」に参加させて頂こうと思うっす!
最近なんだかふりかえってばかりな気もするっす!
でも、ふりかえらないと前に進めない時も、大人という脆い生き物にはあるんじゃないかと思うっす!
自分が何を言ってるのかよくわからないっす!

本題に入るっす!!


① 名前(id、もしくはテキトーな名前)/性別
② 2009年に劇場公開された映画でよかったものを3つ教えてください
③ ②で選んだ映画のなかで、印象に残っている場面をひとつ教えてください
④ 今年いちばんよかったなと思う役者さんは誰ですか
⑤ ひとことコメント



① アガサと申します。 (限りなくグレーゾーンに近い雌)

② 『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』 『マーターズ』 『イングロリアス・バスターズ

③ 「ご紹介しよう! キミたちもよくご存知の、ユダヤの熊さんだー!」 
  カコーン・・カコーン(まだ出てこない)
  カコーン・・カコーン・・・(まだまだ出てこない) 
  カコーン・・・カコーン・・(まだまだまだ出てこない) 
カコーン・・カコーン・・カコーン・・ ババーン!! ←というイーライ兄貴の登場シーン。

④ とにもかくにもランダ大佐(を演じていたクリストフ・ヴァルツさん)です。

⑤ 他にも、この先10年以上語り継がれるであろう傑作は沢山あったのですが、本能のままに3本挙げてみたら、クリーチャー愛に満ちた大人の宝石箱のような『ゴールデン・アーミー』と、観終わって口の中で言葉が固まって出てこなかった『マーターズ』と、最高にシビレる鬼畜野郎がエグい殺し合いをする『イングロ』になってしまいました。
ちびっこが大きくなってきて、最近やっと劇場での鑑賞が月1~2本ペースまで戻ってきましたので、来年は是非3~4本ペースくらいに上げて行きたいものですね。
というわけで、よろしく! 世帯主さま!!(※託児)



では以下、残りの2009年ベストテン(順不同)


『グラン・トリノ』
『ウォッチメン』
『母なる証明』
『サスペリア・テルザ 最後の魔女』
『トランスフォーマー/リベンジ』
『スペル』
『縞模様のパジャマの少年』


『グラン・トリノ』といい『スペル』といい、じいさんばあさんのインパクトが強烈な作品が多かったような・・・。
あ、そういえば、『トランスフォーマー』も元ディセプティコン(敵方)のじいさんマシンが最高にかっこよかったんだった!
2009年はシルバー映画の当たり年だったのですね!

まだ感想を書いていませんが、『母なる証明』もメガトン級の凹み映画でした。
私もたぶん・・・踊るしか・・ないんだろうな・・・きっと。

まだ公開中だと思いますので、未見の方は是非!

と言う訳で、以上「2009年の映画をふりかえる」でした。


追記(12月26日)

『母なる証明』の感想書きましたので、よろしかったらおひとつ。→ 『母なる証明』




そしてオレはもう、ふりかえらない!(キリッ) (←なんの宣言なんだよ

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『The 4th Kind フォース・カインド』

2009年12月19日
4th_convert_.jpg
★★★
第2種接近遭遇までは男のロマンだが、それ以上はマジ勘弁。


(※ 今回はネタバレ無しです)

あらすじ・・・
アラスカの小さな町・ノームで何十年にも渡って頻発している、住民たちの不審な死や失踪。そして数え切れない程の不眠症患者。
その裏には一体、どんな秘密が隠されているのか?
ノイローゼ寸前の住民たちが口にする「フクロウ」の正体とは?



年の瀬も押し迫ってきた12月某日。
とある興味深い映画が公開されると聞いたアガサは、劇場に走った。
そのタイトルは 『The 4th Kind フォース・カインド』 。
つまり、「第4種接近遭遇」の事である。

ここで、ご存じない方に説明申し上げると、「第4種接近遭遇」とはUFOやその搭乗者によって誘拐されたり何かを埋め込まれたりする事であり、その恐怖を描いた代表作としては『コミュニオン/遭遇』 などが挙げられる。
ベッドに忍び寄ったちっこい宇宙人たちによって、祭りスタイルでワッショイワッショイと担ぎ出されるクリストファー・ウォーケン様の姿は、未だにアガサの脳裏に深く刻まれており、よって、アガサが持つアブダクション(誘拐)のイメージといえばそれはいつでも、「ワッショイワッショイ」なのである。
snow-white-seven-dwarfs_convert_.jpg (イメージ:ベッド際に忍び寄るちっこい人たち)

閑話休題。


カップルで埋め尽くされた映画館で、間近に迫ったクリスマスに殺気を抱きつつ鑑賞スタート。
冒頭いきなり、女優ミラ・ジョヴォヴィッチとして登場するのはミラ・ジョヴォヴィッチその人。
「みなさんこんにちは、ミラ・ジョヴォヴィッチです。 今日ご紹介するのはとってもリアルでとっても信じられない物語。 でも、なんとコレ全部実話です。 劇中使っているフィルムは半分がた本物です。 マジです。」
と、観客に語り始めるミラ・ジョヴォヴィッチ。
なるほど、最初にもっともらしいお断りを入れて、その後思い切り与太話に舵を切る『バタリアン』方式という事か。

物語は、自室のベッドで一緒に寝ていた夫を何者かによって刺殺されたアビゲイル・タイラー博士が、心の傷を引きずったまま、夫の遺志を継ぐためアラスカのノームに向かうトコロから始まる。
ミラ・ジョヴォヴィッチのお知らせ通り、本物らしき盗撮記録映像をプロの再現フィルムの合間に頻繁に挟み込み、時には画面を2分割して「本物」と「再現」を同時に映し出すと言う、新聞の日曜版に載っている間違い探しのような変則技まで使う事により、得体の知れない緊張感を与えることに成功している。

が、しかしその時アガサは、想像を絶する光景を目の当たりにする事になる。

本物のアビゲイル・タイラー博士が、どうみてもグレイ顔なのである!
180px-GreyAlien_Roswell.jpg (イメージ:ロズウェル博物館に陳列されるグレイ)


ありえない。
これは本当に実際の記録映像なのか。
だとしたらタイラー博士はヤラセなしのグレイ顔という事ではないか。
開け!ビューティーコロシアム!!
(←失礼発言)

グレイというか、一時巷で大評判となっていた「宇宙人解剖フィルム」で大雑把に捌かれていた宇宙人、まさにアレにそっくりな博士。
お陰でアガサは完全に集中力を失ってしまった。
気になって仕方ないのである。
いつモノホンの宇宙人に変身してしまうのか、タイラー博士の実録テープが登場する度に、気になって気になって仕方ないのである。

結局、この「本物」テープの真偽の程は定かではないのだが、人間でありながら限りなくハイパー・グローバブルな面持ちの博士の姿は一見の価値ありだ。
ハイパー・グローバブルの意味はよくわからないが、とにかく「種族を超えたウケ顔」って事でいいじゃない。それでいいじゃない。


さて、物語はその後も、不眠症の患者に催眠治療を施したり、その患者が錯乱して一家心中したり、「いらん事すんなや!」とおまわりさんに怒られたり、懲りずに催眠治療をしてみたり、空中浮遊があったりと、なかなかショキングな展開をみせてくれるのだが、ここでの見せ場はなんといってもミラ・ジョヴォヴィッチ。
常に小鹿のような目で震えるミラ・ジョヴォヴィッチ。
「奇跡の人」クライマックスの奇跡のシーンで、「ウォ・・ウォーワー・・!」と慟哭する北島マヤのようなミラ・ジョヴォヴィッチ。
マヤ (イメージ:まだ白目率が低かった頃のマヤ)

やはりミラジョヴォは怯えてなんぼなのだ。
思い起こせばミラジョヴォは、いつだってスクリーンの中で怯えていた。
神様の看板を背負わされてガクガクしたり、裸同然の格好でハゲたおっさんの前に飛び出してブルブルしたり、記憶がないままゾンビの中に放り込まれてワナワナしたりと、“ミラジョヴォの顔イコール目を剥いてガクブル”と言えなくも無いワンパタ定番の演技。
だが、それがいいのだ。
色素の薄いグリーンの瞳を潤ませ、「なにがどうなってるのやら、わしゃさっぱり!」と薄幸そうな表情を張り付かせるミラジョヴォは、例えようも無く美しく、まさに“映画女優”と呼ぶに相応しい魅力に満ちみちているではなかろうか。
これからも是非、色んな状況に叩き込まれては、半開きの口で怯えまくって貰いたいものである。


閑話休題その2。


タイトルに「第4種」と銘打ってある為、そっち(アブダクション)ばかりに話が割かれるのかと思いきや、UFOネタは勿論、自らも心理学者であるタイラー博士の心の闇だとか、その原因となる夫の殺害事件の真相、謎の古代語までもが飛び出すので、飽きずに観る事が出来ると思う。
おまけに、古代語→シュメール文明の流れで紹介されるのは、紀元前3000年頃に作られた石版に刻まれたロケットらしき物体。

“場違いな工芸品”キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

もうね、UFOネタだけでもかなりウズウズしていたのだけれど、このオーパーツが出た瞬間もらった!と思ったね。
この勝負もらった! と。
例えて言うなら、お見合いパーティの席に「フォースカインド」がきたら即効プロポーズするくらいの、それくらいのモロタイプ。 
オーパーツ最高! このハート泥棒!!(←オーパーツだけで白飯3杯いけるクチ)


・・まぁ、実はそのシーンだけで、その後のストーリーでは全く言及されなかったオーパーツだったので、若干落胆の色が隠せなかったのだが、こういう怪しげなシロモノが好きな方にはたまらない目配せだったし、とにかく全編あの手この手でオカルト(怪奇現象)心をくすぐってくれる本作は、年末の各種イベントを前に、多少ささくれだっっていた気持ちを十二分に癒してくれ、やはり接近遭遇するなら第2種までだな!と気持ちを新たにして劇場を後にしたアガサなのだった。
(※第2種接近遭遇・・・UFOを見たり、その際身の回りのものに影響が現われるのを目の当たりにする事)


未確認飛行物体や不可思議現象に目が無いあなたも、是非劇場でこのビックリ映像を堪能してみては如何だろうか。


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