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『GODGILLA-ゴジラ-』

2007年06月28日
GODZILLA-ゴジラ- (1998年アメリカ)
監督・ローランド・エメリッヒ
主演・マシュー・ブロデリック 、ジャン・レノ

あらすじ・・・
核実験による突然変異により生まれた、巨大イグアナ・ゴジラがNYに上陸。
魚で釣ろうとする特殊部隊を尻目に、マジソン・スクエア・ガーデンで産卵に勤しむ。
果たして人類は、ゴジラの繁殖を止める事が出来るのであろうか?!


今回は簡潔に、マンガでレビュー。↓↓
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※クリックして頂くと大きく見られます。

↑↑レビューの解説
えー、今を遡る事10数年前。
アガサがまだ20代初頭の頃、よく友人に、観た映画の感想をマンガにして渡していました。
このたびその友人が、アガサがブログにイラストを載せ始めた事を知り、わざわざその頃のマンガを届けに来てくれました。

この頃は、将来自分が映画関係の職に就く事を信じてやまなかったなぁ・・・、
と言う甘酸っぱい想い出が、走馬灯の様に蘇ってきます。
と言う事で、きっちり取っておいてくれた友人に感謝するとともに、せっかくなので今回こうしてブログに載せてみました。

画像がかなり大きくなってしまったので、携帯からご覧になるのは難しいかもしれませんね。

アガサの甘酸っぱさをあなたにもおすそ分け・・・。
そんなんいらんわ! と言う方は、ホントすみません。

あと、映画に関しては、別段書き加える事はありません。
これと全く同じ内容で、ゴジラ部分だけを日本製と入れ替えたら、きっとずっと面白かったんだろうなぁ・・・と言う気持ちは、昔も今も変わりません。(勿論ベビーゴジラ部分はミニラで。)

まだジャン・レノが、ハリウッドに於いて大きな可能性を秘めていた頃の、とある大味な怪獣映画でした。と言う事で・・・。

ご清聴ありがとうございました。
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歯闘・激闘・2007!

2007年06月26日
ごきげんいかがですか? アガサでございます。

前々から虫歯と化していた親知らず。
だまし騙しここまで来たのですが、ついに騙しきれなくなってしまいましたので、思い切って抜歯する事にしました。

とはいえ、“親知らずを抜く”と言う神をも恐れぬ暴挙に関しては、
「化膿した血が心臓に達して地獄を見た」
だの
「地鳴りのような痛みで、一昼夜眠れなかった」
だのと、恐ろしい都市伝説ばかりが耳に入っていましたので、いざ診察台に座ってからも心臓のドキドキが止まりません。
そんな患者のナーヴァスでセンシティヴなハートをサティスファクションさせんがばかりに、診察台の前に置かれたテレビで延々流される『スーパーマジシャン・セロ スペシャル』。

うん・・・。

・ ・ ・ な ん で セ ロ ? ?


セロのマジックを、ガチの超能力だと信じきっていた(以前は)アガサの心を読んだ上での計らいか?
粋な計らいか?
粋なのか?

果たしてそうなのか?(違うな、きっと)

そしてスーパー歯科医の思惑通り、麻酔も忘れてテレビに釘づけのアガサ。
「こいつぁやっぱり、ホンモノかもしんねぇな・・・」
と、セロが華麗にペットボトルの蓋をボトル・インさせるのを見ながら思っている間に、ついに本格的な抜歯活動が始まってしまいました。

アガサの親知らずは縦ではなく真横に生えていた為、手前の歯との接着面を削り、それから歯茎を切開してやっとこで抜く、との事。
ガリガリと言う、歯を削る景気のいい音が聞こえてきます。
合間に聞こえる、スーパー歯科医の「こなくそ!」と言う罵声・・・。

アガサの親知らずは、よっぽどの難敵のようです。

得体の知れない工具で、グリグリと歯を削り出しているらしいのですが、その圧を一身に受けるアガサの顎は踏み止まろうと頑張ってはみるものの、今にもガクっと外れてしまいそうです。

そして回りの骨を削り終わり、ついに抜歯の最終兵器・やっとこの登場!
ここから先は、スーパー歯科医の力技とアガサの顎の耐久力との持久戦です。
「えんやこら」 「おいさ」 「えにゃこら」 「ほいさ」
苦悩に歪む、スーパー歯科医の表情。

オーケイ、先生。
こうなったらアンタのやっとことアタイの顎のどちらがホントの最終兵器なのか、全精力を掛けてハッキリさせようじゃないの。
ただ、断っておくけど、アタイの顎は一筋縄じゃぁ

ハイ、やっとこ最強。

いやぁ、思っていたよりも痛くなかったですねぇ。
麻酔が切れてからは地獄でしたが。
これからはやっとこが出てくる映画を観たら、その度にセロのスカした顔を思い出しそうです。

と言う訳で、しばらくは痛みに耐えつつの更新となりますので、今まで以上にスローペースな更新になりそうですが、どうぞ気長に見守ってやって下さいませ。
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『パラダイム』

2007年06月24日
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「もしも僕がレンタル屋の店員だったら」

もしも僕がレンタル屋の店員だったなら、『パラダイム』をどこに置こう。
オカルトだろう、と君は言うだろう。
SFだろう、とあなたは言うだろう。
でも、僕は思うのです。
そもそも“パラダイム”って何なのさ?
( → ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」の事。・・・三省堂辞書サイトより)


調べてみたら余計ややこしい事にーー!!

と言う訳で、今回は詩的に始めてみましたが、やはり若干無理があったようですので(若干なのか?)、ここからは通常モードでお送りしますね。

ちなみに、我が家の近所のレンタル屋では、ホラー棚に置かれていました。『パラダイム』。
何のひねりもありませんですわい。

あらすじ・・・
宇宙の片隅から、はるばる届いた “超新星の爆発による光線” が、長きに渡る悪魔の封印を解いてしまうかもヨ!!

その予兆に気付いた神父は、近所の大学の先生に協力を要請。
先生は自分ひとりでやるのもなんなので、生徒に協力を要請。
かくして、“先生と生徒と神父”と言う凄まじい「寄せ集め」感を放つ専門家集団が、悪魔が封印されているらしい容器を見張る為、古びた教会に篭る事に。

裏事情(悪魔うんぬんかんぬん)は一切知らされていなかった生徒たちでしたが、容器について色々調べるうちに、ただならぬ雰囲気を察知して行きます。
そしてどこからともなく集まり、教会を包囲し始める浮浪者の群れ。
その間も、緑色した悪魔液が満たされた容器は不思議な周波を発し、ついにはたまたま近くで見ていた生徒の一人に、容器から飛んできた悪魔液が吹き付けられてしまいました。

悪魔液を口に吹き付けられた“生徒その1”さんは、そのまま悪魔チックなモノに憑依され、今度は次々と仲間の生徒たちに、口から悪魔液を発射して行きます。
悪魔液のマウストゥマウスで、悪魔の手先となった“生徒その2”と“生徒その3”は、腕にアンチクライスト的な痣を持つ“生徒その4”を拘束し、悪魔液を容器からダイレクトに“生徒その4”の口に注入。
お腹がタップンタップンになった“生徒その4”は、悪魔液を消化して、見事悪魔の化身へと変身するのでした。

そんな“チーム・悪魔”の精力的な活躍を尻目に、先生&生徒&神父で構成された“チーム・民間人”はなす術もなく、ひたすら、悪魔液を噴射されないよう別室に隠れるばかり。
しかし、悪魔の化身となった“生徒その4”を目の前に、ついに“チーム・民間人”は捨て身の反撃に転じ、鏡を使って悪魔の本体を呼び出そうとしていた“生徒その4”を鏡の中に突き飛ばし、見事悪魔の本体復活を阻止するのでした。


さあ、どうですか?!
内容、判りましたか?!
判りませんか?!

正直、私も書いてみてよく判らなくなって来ましたよ!


まぁ要するに、
“悪魔”は緑色の液体で出来ている
と言う事ですね。 きっと。

で、この液が事あるごとに「ウォシュレット並の威力」でブシューッと飛んできて、生徒たちの口に直撃。
飲み込んでしまった生徒は、とりあえず“手下”になります。
しかし、一人だけ何を基準に選ばれたのかは判りませんが、悪魔液を「消防車の放水並の威力」でザバザバと注入された生徒さんは、液の量が多かったからなのか、“手下”よりランクアップの“化身”デビューです。

ただし、“化身”とは言っても別段変わった悪魔パワーを手に入れる訳ではなく、その役目は鏡の中の世界に封印されている“悪魔の本体”を、鏡のコチラ側に引っ張り出す事のみだったりします。
それどころか、他の“手下”クラスたちはナチュラルメイクで若干ゾンビっぽい歩き方になっているだけの変化だったのに対して、“化身”と言うだけで製作スタッフ総動員の本気メイクを施され、誰が演じているのかも判らない程のエグみを帯びた変わり様。

土台になっていた女優さんには、「お気の毒」としか言い様が無いですね。

古今東西、ハイウッドでは多くの“悪魔モノ”が作られてきました。
基本・キリスト教の国家ですので、基本・仏教(&神道)の日本では「あまりピンと来ない」の一言で片付けられる事が多いのですが、実は一番「ピンと来ない」のは、その肝心の“悪魔的なモノ”が、ちっとも怖そうでない、と言う点なのではないでしょうか。

アガサが最近観た中でも、 『リーピング』 という世紀末イナゴ少女伝説が、
「もうじき悪魔の生まれ変わりが現れますぜ」
と言う、まさに“悪魔モノ”の基本形だったのですが、明らかになった悪魔の使途たちが何をしていたのかと言うと、ちっさい村で細々と黒魔術パーティをしていた程度で、国家を揺るがすには程遠いスケールのお話でした。
“悪魔モノ”の古典ともいえる『オーメン』にしてみても、結局の所悪魔の子が就任できたのは一企業の社長レベル。
商売ガタキを抹殺したり、気に入らない奴を殺したりと、悪魔の子と言うよりはただのあくどい経営者でした。

前々から思っていたのですが、そもそも悪魔がこの世を支配したがっていたとして、その最終目的は何なのでしょう。

悪魔がこの世を支配したところで、
「ヌハハハ! 地上のお金は全部俺様のモノだー!」
とか
「ヌハハハ! 地上のマブイ女たちは皆俺様のモノだー!」
とか
「ヌハハハ! 地上の高級食材は全部俺様のモノだー!!」
とか、スケールちっちぇ感が否めない内容にしかならない様な気がしてならないのですが。

そしてきっと、この手の映画を作る人も同じどん詰まりに行き着くのでしょう。
因って、映画の中の悪魔はたいがい何処かの小さい町に現れ、町民をパニックに落とし込もうとして、神の僕の返り討ちに遭う、と。
残念ですが、悪魔くんにはそれくらいの道しか残されていないんですよね。
で、別パターンとしては、悪魔そのものを復活させようとする信者たちが、復活の段取りを踏んでみるが、結局神の僕の返り討ちに遭う、と。

たまーに神の僕を出し抜いて、まんまと逃げおおせるパターンもありますが、きっとその後見事復活出来た悪魔くんも、とんとん拍子に行ってもせいぜい会社の社長程度でしょうし。

・・・悪魔・・恐るるに足らず・・!(仏教徒ならではの暴言)

で、本編に話を戻しますと、こってり手間を掛けて、やっとこさ復活のめどが立った悪魔くんですが、未来から来たタイムパトロールの活躍によって、復活の先延ばしを余儀なくされてしまいます。

そうそう、未来から・・・

・・・未来から?

ここまで来てエスエフ転向か!!
Σ(゚Д゚;)


やるなぁ、カーペンター。
伊達に、主役が大学生の設定なのにどこかの中間管理職にしか見えないだけの事はあるなぁ。(そこはあんまり関係ない)
脇役が、見事に見分けが付かない無個性派俳優ぞろいだったのも、SFの伏線だったのか。(そこも多分違う)
物語のキーパーソンである大学教授が、物理学者のはずなのに「科学なんてあてにならん」と支離滅裂な講義を行っていたのも、SFの伏線だったのか。(そこはそうかもしれない)

しかし、散々オカルト方向で「憑依」だの「怪奇現象」だのとやってきた揚句にタイムワープを差し出された日にゃあ、さすがのアガサもひっくり返りましたねぇ。
そう来たか! と膝を叩きたくなりました。
で、その唐突とも言えるSF要素が実に違和感無く物語と合致して、一気に純愛ストーリーになだれ込むと言う怒涛の展開。

キライじゃない・・・
キライじゃないよ・・・! ちょっとビックリしたけどネ!!


純粋にホラーを求めて鑑賞されたら、この展開は納得行かないかもしれませんが、よっしゃ!“ジョン・カーペンター作品”を観るぞ!と言う意気込みのもと鑑賞すれば、何ら問題ない結末かと思われます。
むしろ、「やっぱなぁ・・。一筋縄で行く筈ないと思ったよ。」と大いに納得できる、和洋折衷な結末なのではないでしょうか。

もしもアガサがレンタル屋の店員だったなら。
まずは「ホラー」と「SF」の間に、「ジョン・カーペンター」というジャンルを設置する事から始めたいと思います。
それでいいじゃない・・・。
・・いいじゃない・・・それで・・・。
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『東京ゾンビ』

2007年06月23日
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それにしても、“ハゲヅラ”という物体のあの「カポっ」な感じは、いかんともし難いのでしょうかねぇ。


あらすじ・・・
少しだけ未来の東京。
人々が勝手に廃棄していたゴミや死体が積み重なって出来た山、通称・黒富士。
長年積もりに積もってきた負のエネルギーや、ヤバイ化学物質による土壌汚染により、黒富士に埋められてきた死体たちはある日一斉にゾンビと化してしまいます。

消火器工場に勤める柔術バカ・ミツオとフジオは、そんなゾンビの群れをかわしつつ、柔術の本場・ロシアを目指しますが、食料確保の為火事場ドロボウを働いていたコンビニで、若いギャルを救っていたが為にミツオがゾンビに噛まれてしまいます。
このままではゾンビ化が免れないと腹を括ったミツオは、ギャルをフジオに託し、投身自殺を図るのでした。

時は流れて5年後。
東京はゾンビによって壊滅的状態に陥り、生き残った裕福な人々は高い壁でゾンビから隔離された都市を作り、貧しい人々を奴隷としながら怠惰な生活を送っていました。
彼らの唯一の楽しみは、奴隷とゾンビを戦わせる“ゾンビファイト”。
フジオもまた、ミツオの遺言に従いギャルと所帯を持ち、柔術に磨きをかけつつ、“ゾンビファイト”で生計を立てていました。
ミツオとの蜜月の頃は、箸にも棒にもかからないヘタレ格闘家だったフジオも、今やゾンビ相手に連戦連勝を飾る、いっぱしの格闘家。
しかし、柔術の素晴らしさを示す為の命懸けの闘いを観客や妻に理解して貰える事は無く、成り行きで出来ちゃっていた娘は大きく成長しても言葉を発せず、揚句、元レスラーのゾンビに柔術で敗れてしまい、フジオの焦燥感は頂点に。

せめてミツオがここに居てくれたら・・・。
せめてミツオに胸のうちを聞いて貰えたら・・・。

そんな切なる想いを抱えたフジオの前に立ちはだかった一人のゾンビ。
なんとそれは、5年前に死んだ筈のミツオでした。
ゾンビとなって死に損なっていたミツオと、“ゾンビファイト”でガチンコ勝負をする事になったフジオ。
果たしてフジオはミツオを倒し、自らを取り囲んでいる人生と言う名の“壁”を越える事が出来るのでしょうか・・・?


うーん・・・。
微妙・・・。


あの哀川翔が、うすらハゲに!!
あの浅野忠信が、べー師匠級のアフロに!!
これで観客のドギモを3~4割は抜いただろう」、という影の声が聞こえてきそうな程、その二点のみに話題が集中していた 『東京ゾンビ』 。

火葬国家日本においてはかなり貴重なゾンビモノでありながら、今までアガサが触手を伸ばす事をためらっていたのは何故だったのでしょう。
上手く説明出来ないのですが、なんでしょうか、この作品のジャケット写真から漂ってくる、「どうどう?すごいでしょ?邦画界のトップ俳優がこんなヅラって!笑える?笑えるでしょ?ありえないでしょ?もっとスゴイって言って!!ねえ!ねえ!!」と言う無言の圧力が気にいらなかった、とでも言いましょうか。

で、そんな漠然とした先入観で見逃し続けてきた 『東京ゾンビ』 を、レンタルセールの恩恵にあずかって借りてきた訳なのですが、これがやはり(アガサの)予想通り、ビミョウな作品だったのでした。

ヘタレな柔術見習い生のフジオと、その師匠であり、職場の先輩であり、親友であり、兄弟のようでもあり、恋人のようでもあるミツオ。
その2人が心から愛する“柔術”を極め、ゾンビを交えつつ、友情も極める。
バカな男たちの熱い魂を描いた本作は、確かに面白いところもあります。

愛すべきマヌケのフジオに、容赦ない鉄拳制裁と言う名のツッコミを入れるミツオ。
実はガンに侵されていて、余命幾ばくもないミツオ。
その事実を真面目にフジオに打ち明けるのは照れくさいので、長渕強風な歌にアレンジして伝える、キュートなミツオ。
でも実は胃痛を自分で癌と思い込んでいただけのミツオ。

面白い・・・ハズ!

柔術の才能はないけど、ミツオへの愛だけは有り余るほど抱えているフジオ。
ホントはカッコいいアメリカに行きたいけど、大好きなミツオがあんまり言うから地味なロシアでもいいかなぁ・・と、いい旅夢気分のフジオ。
眠れない時はミツオのアドバイス通り、目にセロテープ貼ってみる、おりこうさんなフジオ。
ミツオに誓った柔術道を極める為に、女房子供をおざなりにするフジオ。
でもって、逆に女房に返り討ちにされるフジオ。

面白い・・・よね!!

世紀末的状況に於いても、カルピス奪還のみに全精力を傾け、カルピスのためだけにブルジョアたちに反旗を翻すアウトローたち。

・・面白・・い・・・んだけどねぇ・・。

全編を通し、まったりとしたギャグが画面を彩るのを観ながら、心の中で「んなアホな」と軽くツッコミつつ鑑賞するのが、この作品の正しい観方なのだと思いますし、そういう気持ちになった場面もあります。
しかし、何故かノリきれない。
柔術バカなしょうもない男たちを笑い飛ばすには、どうにもアガサの心に引っ掛かるポイントが多すぎるのです。

例えば愛すべきマヌケのフジオ。
冒頭でいきなり上司を撲殺してしまったり、その死体を破棄しに訪れた黒富士では見知らぬ一般人を轢き逃げしたりと、やる事がえげつない割には全く悪びれる様子もない。

例えばフジオの伴侶となるギャル。
折角ゾンビの群れから助けてくれたミツオに悪態を浴びせ、ミツオを失って失意のどん底のフジオの傷口に罵声というなの塩を塗りこみ、フジオと出来婚をしてからも二言目には「金稼いで来い。さもなくば死ね」。

・・・正直、感情移入できないんですよ。誰にも。

いい人が一人も出て来ない、奇跡のような作品。
別に「お人よしが現れて、周囲の人々の荒んだ心を癒す」、なんてフォレストガンパー的な作品だけが素晴らしい!なんていう気はさらさら無いのですが(むしろえげつない方が好き)、この作品の登場人物たちに対しては、どうにも好感を抱けなかったのです。
面白さを感じかけては、ハっと引き戻される。
またくだらなさに笑いかけては、ハっと引き戻される。
そんな繰り返しを続けているうちにエンディングを迎えてしまい、あれだけ愛情の通っていなかったフジオ家に突如訪れた大団円にうろたえていたら、今度はゾンビ化していたはずのミツオまで復活して・・・

・・・ゴメン、やっぱ笑えんわ・・・コレ。

きっとアガサとこの作品の相性が悪かっただけの事(色んな皆さんのレビューを読むと、とっても評価が高かったりする)ですので、ゾンビ好き、あるいは哀川翔好き、もしくはブラジリアン柔術好きの方はゴッツリ嵌る可能性が大だと思います。
アガサ自身も、また違う時に観れば大爆笑かもしれませんし・・・

・・・んー、やっぱ無いか。

とまぁ、散々書き綴ってきましたが、フジオに純愛を捧ぐ“ゾンビファイト”のレフリー役・古田新太のパートだけは、文句なしに面白かったので、それだけでもレンタル料以上のヨロコビは感じる事が出来ましたです。

めでたしめでたし。(←若干投げやり)
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『ゾディアック』

2007年06月20日
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↑ 真ん中のメガネは佐藤蛾次郎ではありませんのでそこんトコ4649!

いつもクリックありがとうございます!よろしかったら今日もちょいと一押しいかがですか・・・?


こんにちは。
劇場で映画を鑑賞出来るなんて、月に一度くらいあれば御の字でさぁ!
・・・でお馴染み、アガサでございます。
ところがどっこい今月は世帯主さまのご厚意により、先日の『300』に引き続きデヴィッド・フィンチャー最新作 『ゾディアック』 までも、劇場鑑賞する事が出来ました。

世帯主さま、ありがとう!
あなたのサポート無しでは、『すきなものだけでいいです』は成り立ちません!!
ついでに父の日、おめでとう!!
(ついでなのか。しかもだいぶ過ぎてるし)

と言う事で、胸を躍らせながら劇場に向かったアガサ。
なにせ 『セブン』 『ファイト・クラブ』 の、デヴィッド・フィンチャー最新作。
しかも実際にあった未解決事件をベースに作られたとあっちゃぁ、期待するなと言う方が無理と言うモノ。
高揚のあまり早めにロビーに着いてしまったので、この夏の大ヒット確定作品 『ハリポタと愉快ななまかたち』 のポスターをしげしげと眺めながら、
しかしいつ見てもヴォルデモート卿の鼻は、なんかこう・・・アレだなぁ・・
などと心を痛めつつ、空き時間潰しに勤しんだアガサ。
お陰で楽しいひとときを過ごす事が出来ました。
ありがとう、メガネと赤毛とガリ勉とサルとブタとカッパさん。
でも、多分、本編を観る事はないだろうけどネ!(特にサルの方)

そんなこんなで『ゾディアック』あらすじ・・・
それは突然始まりました。
独立記念日の花火が鳴り響く中、マイクとダーリーンと言う訳ありカップルが、何者かの銃撃に遭い、ダーリーンは死亡、マイクも重症を負うという事件が発生。
その直後、新聞社に送りつけられた手紙には、犯人と思しき人物からの不敵な挑戦状が・・・。

オレはゾディアック。
人を殺すのって、とってもクール。
何よりイカスのは、殺したオレが死後天国に行ったら、殺された人間を奴隷に出来ちゃうってトコ。
ちなみにゾディアックはペンネーム。
本名を教えたら、おまいらに死後の奴隷作りを邪魔されちゃうから、絶対に教えないんだぜ。
(※アガサの超訳による)

人殺しの分際で、天国行きを高らかに宣言。
そして「死後の奴隷」って・・・。 なんすかそれ?
アホなのか賢いのかよく判らない、しかし高レベルの毒電波を痛いほど感じるこの手紙に、新聞社で風刺漫画を担当していたグレイスミスは異様に惹きつけられてしまいます。
しかし、所詮はイラスト担当者。
ゾディアック事件の取材に深く関わる事も無く、新聞やテレビの報道に噛り付くのが精一杯だったのでした。

そんなグレイスミスをウザイ奴呼ばわりしつつ、その情熱を評価していた敏腕記者のエイブリーもまた、ゾディアック事件に首までどっぷり浸かっていました。
しかし、思うように進展しない事件とハンパない量の仕事に追われ、徐々にアルコールの量が増えてゆくエイブリー。

そんなエイブリーと旧知の中の腕利き刑事・トースキーは、ゾディアックが犯したであろう3件目の事件を担当した事から、本格的にゾディアック事件を先頭切って捜査する事に。
しかしこれまた、使えそうな証拠も証言も無く、地元警察署との連携も上手くいかず、捜査は足踏み状態。

3人は一様に事件を追い、真犯人を突き止めようと試みるのですが、その熱意は裏目に出たり、自身を追い込んだり、家庭不和に繋がったりと、個々の人生を狂わしてゆく事になるのでした・・・。

そして、人生の転落を踏みしめながらも地道に調査を続けていたグレイスミスが辿り着いた真犯人とは・・・。


人はなぜこんなにも、“殺人事件”に惹かれるのでしょうか。

きっとそれは、その(殺人と言う)行為につきまとう、圧倒的な「なんで??」を解消したいからなのではないかと、アガサは思います。

「なんでこんな惨い事を?」
「なんでこんな無情な事を?」
「一体、どんな育ち方をしたの?」
その事件がより悪質で、残酷であればあるほど、私たちは事件の真相を、事件の動悸を、事件の背景を知りたいと思います。

しかし、きっとそんな経緯から作られたであろう『ハンニバル・ライジング』が、蓋を開けてみればただの“青春カニバリズム物語”だった為に観客をガッカリさせた事でも判るのですが、きっとどんなに奇抜な生い立ちや陰惨な背景を見せられたところで、観ている私たちが「なーるほど、そんな過去があったんなら仕方ないか」と、ガッテンボタンを連射したくなる様な事にはならないと思うのです。

よく犯罪者の生い立ちとして「幼少期の虐待」とか「親の愛情の欠如」とかが聞こえて来ますが、そういった不幸な成長期を越えてきた人たちが全て殺人鬼になる訳では、もちろんありません。
最近の少年犯罪の傾向としては、「発達障害」と言う単語もよく聞かれますが、これもまたそういう子供たちがみんな危険な行動を起こしている訳でもありません。
結局、快楽殺人を犯すような人間は、決定的に私たちとは違う頭の作りをしているのではないでしょうか。
身も蓋も無い言い方をするならば、「き○がいなんだもん!」という事です。

ハンニバル・レクターが、気付いた時には人肉大好きっ子だったように(まぁあれはフィクションですが)、快楽殺人鬼も気付いた時には人を殺したくてウズウズしているのではないでしょうか。
動機は「殺したかったから」。
私達には納得できない理由が、きっと彼らにとっては真実なのです。

犯人と言うものが捕まれば、殺人事件の背景や、生い立ちや、動機を知る事は出来るでしょう。
でも、知る事は出来ても、絶対に理解は出来ないのです。
それが、殺人事件の一番恐ろしいトコロなのだと思います。

さて、この作品に話を戻しましょうか。(ここまで前置き。ギャフン!)

やはり実際の事件を元にしているだけに、さすがに最後まで真犯人が断定される事はありません。
「限りなくブラックに近いグレー」
と言う容疑者を、殆ど犯人扱いでクローズアップしていますが、それももちろんあくまで仮定。
仮定なので、一応他にも怪しさ満点の容疑者を数人登場させて、作品の緊張感を高めてくれていますが、製作者陣の視線はその「ダークグレーの容疑者」にズバっと定められています。
従って、「その他の容疑者」のくだりは若干中途半端な終わり方のようにも見えますので、もしかするとそれがモヤモヤしてヤダ!と言う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、そのモヤモヤこそが、事件を追っていたグレイスミス、エイブリー、トースキーたちが味わい、抜け出せなくなっていたモヤモヤであり、本編を観ながら「こいつが怪しい」「あいつが臭い」と堂々巡りをしていた観客の状況こそが、事件当時の主人公たちそのものだった、と言う見事な深淵作り。

あっぱれです。
おいらもう、フィンチャーに完敗です。


同じ様な連続殺人モノという事で、 『セブン』 な感じを予想して観に行かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品には『セブン』のようなスタイリッシュなカメラワークも、スタイリッシュなオープニングタイトルもスタイリッシュな美形俳優も登場しません。
疲れが蔓延していそうな濃い顔がうじゃうじゃと出てきては、「あーだこーだ」と右往左往するばかり。
しかし、スタイリッシュと言うよりは地味すぎる画面に映し出される男たちの迷走や苦悩は、いつしか観客を釘付けにし、その深い闇に引き釣り込んでしまう事でしょう。
そして映画を観終わった時、明らかなっていないこの事件の真相に思いを馳せる自分に気付いた時、そこはもう、ゾディアック事件と言う深淵の入り口なのかもしれません。

・・・言いすぎですか?
と言うか、アガサはすでにバッチリ(深淵に)片足突っ込んでいる感がありますが、何か?

『エターナル・サンシャイン』のメガネ男子役で、アガサのハートをキャッチしたマーク・ラファロが、同一人物とは思えない程おっさん臭くて、役者としての力量を存分に見せ付けてくれたり、
これまたアガサが高校時代首ったけだったロバート・ダウニー・Jrが、目力120%アップで「酒に溺れる元有能記者」を熱演していて、このパートだけノンフィクションなんじゃないかと思うほどの、まさにネイティヴな呑んだくれ状態だったり、 
主役のジェイク・ギレンホールが、今や鉄板とも言える「ネクラで真面目な青年」役を、ここでも説得力ばっちりに演じていたのですが、『ブロークバック・・』の時と同じ様な“ネルシャツ姿”“小鹿のような濡れた瞳”でしたので、いつロバート・ダウニー・Jrを口説き倒すのかとドキドキ出来る特典つきで、そちらの(どちらの?)方面の方々にも満足いただける仕上がりとなっていた本作。

ちなみにグロ映像は無いのですが、唯一カップルがナイフで襲われるシーンでは、こんかぎりリアルなメッタ刺しが映りますので、そういうのが苦手な方にはかなりキツイかもしれません。
そういうのがちゃんちゃら平気なアガサも、余りにリアルな痛みと恐怖を感じてしまった程ですので

フィンチャーの今までの作品とは一線を画すテイストで、やっとこの人のホンキを観れたような気がしました。
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