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『追憶』

2006年09月28日
泣かせて下さい・・・!

どうか泣かせて下さい、小一時間・・・!

学生時代は、連続失恋記録の自己レコードを更新し続けてきた私・・。
パッと見、田中真紀子と五十歩百歩のバーバラ・ストライサンドが、全盛期のブラピ並みのビジュアルで世界中の女性の憧れの的だったロバート・レッドフォードを射止めて、大恋愛の果てに引き裂かれてゆくこの物語を観て、どうして泣かずにいられましょうか!

こっち側の女性では、誰にも成し得なかったであろう快挙を成し遂げ、尚且つ夢と希望と共感を与えてくれたバーバラ・ストライサンドに、盛大な拍手を!!

そして、私に小一時間休憩を!(ゼェゼェ

大昔にこの作品を初めて観た時は、バーバラの奮闘とレッドフォードの美しさ、それに切なすぎる別離に、とめどない涙が流れたものでした。
秋の夜長に、恋愛映画シリーズ。
10数年ぶりに観直す、 『追憶』 です。

1940年代、ニューヨーク。
放送局で働くケイティは、同僚と立ち寄ったバーで、偶然の再会をします。
その相手とは海軍大尉のハベル。
久しぶりの再会に、ケイティの心はお互いが学生だった、大学時代に遡ります・・・。

バリバリキャリアウーマンのケイティが、ハベルの姿を見た瞬間に表情がパッと和らぐ事で、ケイティの想いは全て伝わってきます。
(器用な事に)座ったまま寝ているハベルの前髪を、愛しそうに撫ぜるケイティ。
寝ている筈のハベルの瞼がピクピクしているのですが、気付かなかった事にしておきましょう。

時は遡り、1937年、大学のキャンパス。
野暮ったい容姿のケイティは、反戦活動に情熱を捧げる、志し高い学生活動家。
それに対し、ハベルは容姿端麗でスポーツ万能な学園のヒーローでした。
正反対な二人でしたが、自分の信念を貫くケイティにハベルは尊敬の念を抱いており、ケイティもまた、見た目だけの軟派男とは一味違うハベルの優しさに、密かに心惹かれていました。
少しずつ言葉を交わすようになる二人でしたが、所詮貧乏でユダヤ人で共産党員のケイティと、裕福な家庭で白人で学園の人気者のハベルではつりあう筈も無く、大学卒業と同時に繋がりは切れてしまったのでした・・。

とにかく、ケイティの目が口ほどにモノを言う事といったら!
饒舌すぎるほど、ハベルへの想いを語るケイティの視線。
わかる! わかるよ!
あなたの気持ちは痛いほどよく判る!

必要以上に感情移入してしまう、ケイティの学生時代のエピソードの数々。
かっこよすぎるハベルに、冷たい眼差しを向けざるを得ないケイティ。
だって、モロに熱い眼差しを向けても、相手にされないに決まっているから・・。
だからワザと、「あたしはあんたなんかアウト・オブ・眼中なのさ!」と言わざるを得ないのです!
これぞ、非モテ系のみがマスター出来る、究極の自己防護策!
しかし、博愛主義者のハベルは、そんな頑ななケイティにすら親しげに話しかけ、他のキャピキャピ女学生には見せないような表情を見せたりするのです。
・・なんと言う罪作り!
二人の心が、微妙に惹かれつつある中、一度目の別れが容赦なく二人に訪れます。

時は戻って、40年代のニューヨーク。
偶然の再会から、すっかりハベルの事で頭が一杯のケイティ。
そんな彼女に、最初は特別な感情を抱いていなかったハベルでしたが、ある日ケイティが差し出した1冊の本に、心が動かされます。
それは、過去にハベルが出した小説でした。
決してベストセラーではなかったその小説を手に、ハベルの才能を力説するケイティに、ハベルは親しい感情を抱くようになり、いつしか二人は付き合うようになります。
ハベルの文才を信じ、執筆を促すケイティ。
そんなケイティの献身的な愛に、すっかり身を任せるハベル。
しかし、ケイティの信条である政治思想が二人の愛の妨げになる事も多く、次第に二人の溝は深まって行っていました。
自分を曲げないケイティに耐え切れなくなったハベルは、彼女に別れを切り出します。
しかし結局、ケイティの押しの一手に根負けし、ケイティもまた、自分の政治的信念よりもハベルへの愛を優先させる事を誓い、二人はめでたくゴールイン。

問題です。
自分のベッドで、ずーーーっと片思いしてきた憧れの人が、酔いつぶれて裸で寝入ってしまいました。
さあ! あなたならどうする?!
1.とりあえず記念写真
2.紳士らしく、傍のソファーで寝顔の鑑賞
3. チャンスとばかりに既成事実を作る

長年、非モテ人生を歩んできたケイティが取った行動とは、なんと3番!
奥手のように様に見えたのに・・・。
やる時ゃやるんですね!
勝負師の眼差しを垣間見たようなきがします。
しかし、そんな猛烈アタックが功を奏して、めでたくハベルを射止めたケイティでしたが、所詮は政治思想の強い非モテ系女子。
空気なんぞは読める筈も無く、ハベルのセレブな集まりで、ノンポリな友人達を猛烈批判。
“口は禍の元”の見本の様なケイティに、ハベルがお手上げになるのも、仕方のない事です。
別れを切り出すハバルに、取り乱したケイティは、
「あたしが貧乏だからでしょ!」
「あたしがブサイクだからなんでしょ!」

と、的外れな逆ギレをします。
そうじゃない・・  そうじゃないんだよ・・ケイティ・・。
しかし、非モテが振られる時は、これ以外に理由を見つけられないものなんです・・。
そんな全国の非モテ系に、愛の手を!!
一度はハベルを諦めかけたケイティでしたが、学生運動で培った不屈の行動力でハベルを説き伏せ、何とか2人は復縁します。
この辺の行動力が、ただの非モテとケイティの決定的な違いなんでしょうね。
あやかりたい、あやかりたい・・。


ハリウッドに渡り、脚本家として再出発するハベルをサポートするケイティ。
子供も授かり、幸せ一杯に見えた二人でしたが、ハリウッドは赤狩りの恐怖に侵されつつありました。
持ち前の政治思想が、抑えきれなくなったケイティは、デモ活動を再開します。
しかし、ハリウッドの一員であるハベルにとって、妻の政治的活動は命取りであり、全てを失う危険を孕んでいました。
すっかりハリウッドに染まっていたハベルは、その地位を捨てるつもりは無く、ケイティもまた、長らく潜めていた自分の信念を再び眠らせる事は出来ませんでした。
どうしても相容れない、二人の考え方の違い・・。
ケイティはハベルに最後のお願いをします。
それは、間もなく産まれて来る赤ちゃんの出産のその日まで、傍にいて欲しい・・と言う事。
そして、二人はその日を迎えます。


アホー!!

おまえら二人とも、

ドアホー!!

こんなにお互いを理解しているのに、こんなにお互い愛し合っているのに、それでも続ける事の出来ない愛があるなんて・・・。
切な過ぎるじゃないですか・・。
愛よりも大事な信念って、何なのさ?!
私なら曲げるよ、信念。
さあさあ信念の大安売りだい!
今なら30年保障つきだよお立会い!

って、そんな女じゃなかったケイティだからこそ、ハベルは強く惹かれたんでしょうね。
「私はただ、ずっと愛し合いたかっただけなのに・・」
と言う、ケイティのセリフ・・。
二人はもう二度と、同じ道を歩む事が出来ないのでしょうか・・?

時は流れて、50年代のニューヨーク。
街を颯爽と歩いてゆくケイティの視線が、通りの向こうに釘付けになります。
その先にいたのは、ハベル。
ハベルもまたケイティに気付き、偶然の再会を果たす2人。
心の底にあった想いが溢れかえりそうになるケイティでしたが、完全に別々の種類の道を歩んでゆく2人の人生は、もう2度と交わる事はないのです。
忘れられない想いを胸に、二人はまた自分の人生に戻ってゆくのでした・・。

ラスト、2人の再会のシーンを飾るのは、バーバーラ・ストライサンドの名曲 『The Way We Were』 です。
この曲を聴きながら、観客は2人の今までの人生に思いを馳せ、偶然の再会に奇跡を願います。
もしかして、もしかしてもう一度、同じ人生を選択してくれないだろうか・・と。
「やっぱりあなた(きみ)無しの人生なんて、考えられない。」
どちらかがそう言ってくれる事を祈りながら、でもその言葉が口に出される筈はない事も判ってしまう。
再会のシーンで2人が見せる表情は、セリフ以上に全てを表していて、バーバラとレッドフォードの見事な演技力に圧倒されます。

ともすれば、判官びいきな意味もあり、バーバラよりの見方になってしまいそうな本作。
頑張れバーバラ!
負けんなバーバラ!
なんとかしてやれよレッドフォード!

そんな風になってしまいがちなストーリーを、どちら側にも共感できるような作品にさせているのこそ、2人の繊細な演技力以外の何ものでもありません。
心を打つ音楽、素敵な台詞の数々、そして確かな演技力に支えられて、 『追憶』 は今でも多くの人に愛される名作となったのですね。

愛ってこんなに苦しいものなんですね・・。
・・痛い・・・
・・胸が痛いよ母さーん!!


非モテのみならず、全ての恋する大人たちに観て頂きたい素敵な作品でした。

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『ことの終わり』

2006年09月26日
20060926001926.jpg  1999年作品 


その確かな演技力によって、ハリウッドの“中堅女優部門”の中で不動の地位を築いていたジュリアン・ムーア
しかし、2004年に出演した世紀の問題作 『フォーガットン』 の影響で、彼女の方向性に疑問を感じた映画ファンが25ポイント増加。(当社統計により)
変わって、同じく演技派としてメキメキ頭角を現してきたローラ・リニーが、“中堅女優部門”の頂点をも視野に入れ始めて来た今日この頃。
ジュリアン・ムーアの今一度の巻き返しを期待しつつ、今回のレビューを終わりたいと思います。

終われるか!ってぇの!!

秋の夜長に、心ときめく恋愛映画シリーズ。
今回も奮発して、長文レビューで参ります。

あらすじ
第二次大戦下のイギリス。
政府高官の妻・サラ(ジュリアン・ムーア)と不倫関係にあった、作家のベンドリックス(レイフ・ファインズ)。
激しい恋に身を焦がしていた二人でしたが、ある日突然サラはベンドリックスに別れを告げます。
別れが納得出来ないベンドリはサラへの愛を恨みに変えて、ネチネチと暮して来ました。
別れから2年が過ぎ、戦争も終わった頃、偶然再会する2人。
動揺を隠せないサラに対し、「ここで会ったが100年目」と言う様相のベンドリでしたが、そんなベンドリにサラの夫・ヘンリー(スティーヴン・レイ)は、サラの不貞疑惑を口にします。
「オレを捨てといて新しい男かよ
嫉妬でさらに粘着質さに磨きがかかったベンドリは、興信所にサラの浮気調査を依頼。
って、あなた旦那でもないのに・・・。
「オレは彼女の元愛人だ」って、よそ様に日中堂々と言い切る事じゃないですよね・・。

調査の為なら盗みも辞さない、仕事熱心な探偵さんの働きで、次々と明らかになるサラの秘密。
しかし、その秘密が全て明らかになった時、2人の上にさらなる悲劇が待ち受けていたのであった・・・!


判りやすくキーワードで言い表すと、
 禁じられた恋
 大胆ベッドシーン
 天啓
 誤解が解けて再び愛し合ったと思ったら
 不治の病

と言う展開です。

そもそも、サラはどうして別れを決意したか?
それは、ある日の情事の後に2人を襲った空爆。
アパートに落ちた爆撃で、死んだ(かに見えた)ベンドリに直面したサラは奇跡を起そうと、「彼を生き返らせて下さい!もし生き返らせてくれたら、彼とは2度と会わないと誓います!」と、神様に祈ったのです。
苦しいときの神頼みとは、まさによく言ったもので、私もよくそう言うありえない交換条件を苦し紛れに思い浮かべる事はありますが、それは勿論奇跡は起こりっこないとあきらめ半分だから。
しかし、サラの場合は、なんとホントに生き返った(蘇生した)ので、ホントに別れを実行するしかなかったのです。
そりゃそうです。
約束を反故にしたら、何があるか判りませんよ。
なにせ相手はG・O・Dですから。

別れてからも、ずっとベンドリを想い続けて来たサラ。
再会した時は当然チャンス!と思いましたが、なにせ自分は神様に、奇跡と引き換えに別離を誓った身。
易々とヨリを戻す訳にはいかんのじゃい!

一見すると、なんじゃそりゃと言うような理由ですが、そんな理由にすら説得力を持たせるような繊細な演技で、「会いたいけど会えない」そんな苦しい心のうちを表現してくれたジュリアン・ムーア。
神の奇跡、神の存在、「全ての物事には全て理由がある」というキリスト教的教えと不倫愛とが、微妙なバランスで織り成される内容は、事前に予想していた“メロドラマ路線”とは少し違っていましたが、私は面白かったです。

ただ一つ、どうしても納得が行かなかったのは、最大の重要ポイント、
何故サラはベンドリにそこまで惚れ込んだのか?

美しく、機転も利いて、非の打ちどころの無いような女性のサラに、ベンドリがゾッコンになるのは至極当然の成り行き。
ですが、そのベンドリの方はと言うと、見た目こそパッと見イケメンですが、よくよく見るとなんだかちょっとゲイっぽい。
そして、なにより突き抜けて嫉妬深い。

“一人の女性を一途に愛し続ける”と言えば聞こえはいいですが、要は独占欲が度を越えている超粘着質男
『こたえてちょーだい!』に投稿すれば、間違いなくオンエアされるでしょうね。

では、そんな粘着っぷりの一部を、ちょっとだけご紹介。
《情事の後で、サラの身支度を整えさせてあげながら》
20060926000942.jpg←ベンドリ(以下ベ)「君のストッキングに嫉妬するよ」
 
20060926000059.jpg←サラ(以下サ)「なぜ?」

ベ「君の足にキスを浴びせられるからさ」
サ「まぁ
ベ「君のガーターベルトにも嫉妬するよ」
サ「どうして?」
ベ「一日中君に触れていられるからさ」
サ「・・じゃあ私の靴にも嫉妬する?」
ベ「そうさ」
サ「なぜ?」
ベ「君を連れ去るからさ・・」

うまい!

いや、誰がうまい事言えと言うたんじゃい!

(注:写真は本作からの抜粋ではありません。)


こんな事言われて、ドン引きになる代わりに目がハートになってしまうサラは、きっと今で言う所のだめんずと言うやつなんでしょうね。
川合俊一ではなくて、倉田真由美に今すぐお便りを!

まぁ余談は置いておいて、このちょっとひねりの効いた作品を手懸けたのは、これまたひとくせある変化球ラブストーリー『クライング・ゲーム』のニール・ジョーダン。
映像の美しさにも、是非酔いしれて下さい。

ジュリアン・ムーアには、この際『フォーガットン』の事は忘れてもらって、真っ直ぐ前だけを向いて歩いていってもらいたいものですね。
やれば出来る子なんですから。(←何様?)
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『ニュースの天才』

2006年09月24日
20060923231550.jpg 2003年製作


今や、世界で一番リッチなニートに成りつつある、トム・クルーズ
そんな彼が、まだソファーの上で飛び跳ねる前に製作した、小粒でキリリと辛い作品 『ニュースの天才』 を観ました。

この作品は実際の事件に基づいて作られており、その元の事件は確かに記憶にあります。

あらすじ
アメリカ大統領専用機に、唯一置かれている雑誌としても名高いニュー・リパブリック誌
高い信憑性を誇るその雑誌で、事もあろうに記事を誇張・捏造し続けた、人気記者のスティーブン・グラス。
彼の嘘がばれ、業界を追放されるまでを落ち着いた語り口で綴る、社会派ドラマ。


今や、崇拝しているサイエントロジーを宣伝していると言うよりはむしろ、営業妨害している方が大きいようなトム・クルーズ
そんな彼も、チョット前は有能な映画人にチャンスを与えるべく、小作品の製作に熱心だった時があったんです。
つまり、結構マトモだった訳です。
で、ありまして、この 『ニュースの天才』 もすこぶるマトモないい映画だったのでした。

作品は、グラス記者が名を成し、暴走していく過程を、過去や現在入り混じって描かれます。
グラス記者と言う人は、多くの有名記事を書き、人気記者になったそうなのですが、この作品ではその成り上がりの過程はあまり描かれません。
メインは“ハッカー天国”と言う、彼の失墜のきっかけとなった記事が書かれ、その記事のハッタリ具合に目をつけたライバル雑誌が、一気に記事の穴を暴いていくくだりなのです。
ですから、グラス記者がどれくらいヒットを生み出していた時点でのスキャンダル発覚なのかが、ちょっと判りづらかったのは事実です。
出だしのペーペーなんだから、大目に見てあげれば・・・? と思っていたら、実は充分中堅どころの花形記者だったと言う事を理解するまでに、本編の2/3を費やしてしまいました。(それは嘘)

グラス記者と言う人は、周りへの気遣いを欠かさず、人当たりのいい、職場でも人気者の若者だったようです。
作品でもその点をかなり強調して描かれており、
そんな彼が何故・・・?
きちんと挨拶する、いい子だったんですよ・・・?
的な、犯罪者にありがちな2面性を臭わせています。

しかし、彼がやった事は明らかに確信犯(しかも悪質)であり、記事に出てくる人物を弟に演じさせたり、「架空の会社だ」と指摘されたら徹夜で偽の企業HPを作ったり、往生際の悪さと言ったら日本の政治家も真っ青です。

そう言えば、この作品のグラス記者の悪あがきを観ていたら、あの議員を猛烈に思い出しましたね。
覚えていますか?
060228nagata.jpg9月1日、民主党に帰って参りました


おそらく、当時日本で一番いさぎ悪かった永田(元)議員。
胡散臭さ120%の黒塗りメールを片手に、「これは間違いなくホンモンだ!」とつばを飛ばし、さらに追い詰められると「俺は嵌められたのかもしれない・・」と被害者ヅラし、責任を問われると「オレが悪いのか?!」と逆ギレしつつ、民主党にしがみついていた彼を見ていて、
小学生かよ?!
と思っていたものですが、この作品のグラス記者もまさにそれ。

ちょっと調べれば簡単にばれる嘘を、とことん真実だと言い張り、嘘を繕う為に更に嘘を重ね、その嘘がまた子供でも見抜けるような稚拙な嘘で、更に追及されると「・・僕は嵌められたのかもしれない・・」。
物語は、この嵌められたのか?自作自演なのか?に、グラス記者の上司が気付く所がクライマックスになるのですが、観ているこちらはどっからどう見ても自作自演なのが判りきっている為、当然見所は違う所になります。

その見所が、グラス記者の上司であり、ニュー・リパブリック社の編集者であるチャック。
前任者が余りにスタッフに慕われていた為、かなり肩身の狭い思いをしながら苦労していたチャックが、苦労に止めを刺すような“記事の捏造”を知り、いさぎは悪いが同僚には人気のあるグラス記者に振り回されながらも、最後には毅然とした態度で彼の暴走に終止符を打つ姿は、観ていて感動を覚えます。

グラス記者が、どうしてここまで暴走してしまったのか?
動機は一体何だったのか?
その点はハッキリされないので、想像するしかありません。
単なる目立ちたがり立った訳では無いように思いますが、それにしても精神構造はかなり子供じみているんじゃないでしょうか。
今は本も書いているそうです。
想像力の旺盛さを、充分に活かせる職に就ければ、J・K・ローリングを越える事も可能なんじゃないかと思うのですが・・・。

グラス記者を演じているのは、ダースなベイダーでお馴染みのヘイデン・クリステンセン。
抑揚がちと足りなかった気はしますが、記事の穴を突かれてもなお虚勢を張ったり、記事のネタを会議で発表して、それがウケた時の無邪気な笑顔などは、「ほんとにこういう人(子供っぽい人)だったんだろうな・・・」と納得させてくれるリアルさを感じました。
チャック役のピーター・サースガードや、元上司役のハンク・アザリアがとても素晴らしい演技を見せてくれて、そのお陰で作品が一気に締まったような気がします。

今や、100人規模で人命救助しないと、壊滅的なダメージを受けている好感度を持ち直す事は出来ないと思われるトム・クルーズ
今作もそうですが、彼の製作した作品は意外といいモノが多かったりします。
思い切って、製作側に回ると言うのも手かもしれませんね。
作品を見る眼はありそうですし・・・。
いい加減、ケイティの事はそっとしといてやれ! トム!
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『着信アリ 2』

2006年09月21日
『着信アリ 2』 の正しい見方。
1、何かおいしいおやつをつまみながら
2、寝そべってお尻でも掻きながら
3、失笑の渦に巻き込まれながら

4、・・・決して・・一人では・・・観ないで下さい・・・

やり場のない怒りに包まれるから・・・!


『着信アリ 2』を観るにあたって、ミムラについて考えてみた。
“月9の主演女優オーディション”と言う、ありがたいのかありがたくないのかよく判らないオーディションで、華々しくデビュー。
その後も立て続けにドラマに出演。
映画でも『着信アリ』『この胸いっぱいの愛を』で主演。
・・・きっと、デビュー後のドラマ連続起用は、オーディションで派手にデビューさせたフジテレビの、面目を保つ為だったんだろう。
最初の一発だけじゃ、フジの威信丸つぶれだしね。
で、顔と名前も大分浸透したころ、J・ホラーのヒット作の続編で、またまた主役に抜擢!
と言う事なのでしょうが・・・

・・・どうも似てるんですよね・・
・・アレに・・・
20060921013750.jpg ←アレ 20060921013837.jpg ←ミムラ



・・・まぁ、そんな事は置いておいて、とにかくそんな微妙なお年頃のミムラを主役に据えた 『着信アリ 2』 。
『呪怨』の伽椰子が、単純明快殺人鬼のジェイソン型だとしたら、粘着質ストーカーのフレディ型と言える『着信アリ』の美々子。
死の予告電話を何度も掛けて来て脅したり、物陰からこっそり見つめたり、呪いと呼ぶにはしつこさが度を越えていた感のある美々子でしたが、彼女の予想も出来ない真実が、今回明らかに・・・!

そんな『2』のあらすじは、
保育士のミムラと、その恋人の吉沢悠は、ある日友人のA子の携帯に、謎の着信が来る所に遭遇します。
その着信音は、1年前に世間を騒がした“死の予告電話”と同じ・・・。
不在のA子に代わって電話に出た、A子の父親が謎の死を遂げた所から、再び死の連鎖が始まります。
死を免れたA子の携帯メモリーから、次に選ばれたB子もまた3日後に死亡。
そして次に選ばれたのは、なんとミムラ・・・。
怯えるミムラ達の前に現れたルポライターの瀬戸朝香は、何故かこの一連の事件に並々ならぬ執着心を見せていました。
前回の事件を担当していた石橋蓮司と共に、今回の事件の事の始まりを調べる瀬戸朝香は、事件の発端が台湾にある事を突き止めます。
別居中だった台湾在住の夫、ピーター・ホーに協力を頼み、台湾に飛ぶ瀬戸朝香とミムラと吉沢悠。
死の予告電話の起源とは・・・?
ミムラは死を逃れる事が出来るのか・・・?

※役名は省略しております


そんなに台湾、行きたかったのかい・・・?

前作でホンボシと目された呪いの根源・美々子もまた、実は“死の予告電話”の被害者だった!
と言う、衝撃の展開を見せる『2』。
私が思い描いていた、怨念の被害者友の会は、予想もしない形で決起されていたのですね。
で、そのハイパワー・美々子すらを犠牲にした、さらなるダークパワーの持ち主が台湾にいると。
・・・何で台湾?!

J・ホラーのアジア市場進出の為だけに脚本に練りこまれたような、突飛な事極まりない、突然の舞台変更。
そして、それに伴い投入された、台湾スターピーター・ホー。

・・・ごめん ・・・誰?

最近話題の韓流スターではなく、華流スターを持ってくる微妙さ加減は一体・・・。
それはアジアに受けるのか?
それならアジア市場で買い手殺到なのか?

裏事情はよく判りませんが、もっと判らないのが、そのピーターと瀬戸朝香のシーン。

久しぶりに再会した(らしい)二人。
瀬「しさいのだいいちはっけんしゃとしせ、けいさすにじじょうをきかれてさの」
ピ「ダィチョブカ?タカコ?」
瀬「あなはこそだいしょうふ?」
ピ「アァ・・サキンイショカカタカラナ・・」
瀬「(死の着信音のファイルを見つけて)・・あなはもしらへてちゃの?!」
ピ「・・コノケニハカクァラナィホガイイ!」

これなんてコント?

致命的とも言える滑舌の悪さの瀬戸朝香と、ダイアローグコーチがよっぽどのガラクタだったとしか思えない、超カタコトのピーター。
二人が一堂に会した時、本当のカオスが幕を開ける・・・!
しかし、破綻をきたしているのは何もこのミラクルカップルだけではなく、『2』のストーリーもまた、『1』と辻褄を合わせる気があるのか無いのか判らない様なハチャメチャっぷり。

前作のヒロイン・柴咲コウが、ラストで意味ありげな微笑を浮かべていたのですが、それについては
彼女は美々子に取り憑かれたんじゃない! 内なる悪に目覚めたんだ!!
という、意味のよく判らない説明がなされていました。
まぁ、どちらにせよ『2』の時点で死亡していたらしいので、大した関心はありませんが。

ルポライターの瀬戸朝香が執拗に事件を追う理由も、
幼少時にとある神社で妹と遊んでいたら、突然境内の公衆電話が鳴り、嫌がる妹に無理やり電話を取らせたが為に、妹は謎の死を遂げ、その責任が自分にあると永年苦しみ続けてきた為。
という、これまた意味ありげでなさげな説明。
もちろん、亡くなった妹は本件には一切関知しておりません。

大人の事情で、台湾を絡ませたかったが為だけに追加されたような、
呪いの起源である超能力少女・リーリィ
も、演じる子役に邪悪さの欠片も無い為に、全く恐怖を感じません。
どうせやるんなら、『キャリー』のシシー・スペイセクくらいガチで来い!ってなもんだ。
画面の隅に一瞬映る霊の演出も、登場人物の後ろに不自然な空白がある時に、必ずそこに霊が現れる為、途中からは空白が空いただけで「来るな・・」と予想がついてしまいます。

お前はホラーと言う物が、何もわかっちゃいない・・・!
監督の塚本連平とやらに会う事があったら、是非伝えておいて下さい。(←人任せ)

柴咲コウ(1) → ミムラ(2) → 菊川怜(TV版主演) と、判りやすい下降線を示してきた『着信アリ』。
この夏に公開された『完結編』を観るかどうかは、レンタルショップの割引きクーポン配布如何に架かっていると言っても、過言ではないでしょう・・・。
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『ベジャール、バレエ、リュミエール』

2006年09月19日
20060919212236.jpg 2002年 作品


秋でございます。

芸術の秋でございます。

窓の外からは鈴虫のささやきが聴こえ、スっと流れ込む風の心地よさと思わぬ冷たさに、暖かいコーヒーを入れたくなる、秋でございます。

こんな夜に、画面に映し出したくなるのは、やはり美しきものでしょう。

と言う訳で、私の大好きなモノの一つ、バレエでございます。

この作品は、現代バレエ界の天才振付師 モーリス・ベジャール が、新作バレエ『リュミエール』を完成させるまでの舞台裏に密着したドキュメンタリーです。
ベジャールの名前は知らなくても、彼が振り付けした作品を観た事ある人は少なくない筈。
かく言う私も、決してバレエ通な訳ではありませんが、彼の代表作『ボレロ』は観た事があります。
丸い台の上で踊る一人のダンサーと、その台の周りを取り囲む大勢のダンサーによる、妖艶かつ鬼気迫るような一糸乱れぬ群舞が、名曲ボレロに合わせて繰り広げられる、素晴らしいバレエ作品でした。

その、『ボレロ』を振付けたベジャールが次の作品を生み出す裏側が、惜しみなく映し出される『ベジャール、バレエ、リュミエール』。
リュミエールとは、フランス語で“光”。
この作品の中に登場する、ベジャール・バレエ団のダンサー達は、まさに舞台の上でキラキラと光輝いています。
しかし、その一方でまた、厳しいレッスンで極限まで追い込まれるダンサー達。
一流ダンサーの中での、さらにトップを極めるダンサー。
その場所をひたすらに目指すダンサー達。
何と険しく、何と容赦の無い、ストイックな世界なのでしょう。
そして、彼らを芸術品に仕立て上げるベジャールもまた、様々な問題に対処しながら、自分の作品を作り上げていきます。
一見テキトーに振付けているようなモダンバレエ。(ベジャールさん、ごめんなさい)
当たり前ですが、その一つ一つはベジャールの中で計算し尽くされた、完璧な動きなんですね。

ダンサー達の磨き上げられた肉体に、ベジャールの作り出した動きが宿った時、作品はこれ以上ないほどの美しさを放ち、私たちは息を潜めてそれに見入る事しか出来なくなるのです。

ダンサー達が、レッスンの合間に見せるふとした表情がとても新鮮で、「みんな普通の若者なんだなぁ・・・」と一気に親近感が沸きます。
日本人ダンサーの姿もポロポロ観られ、意味なく得意げになってしまったりもします。

自分の体の全て、細胞の一つ一つまでもコントロールしようとしているような、若きバレエダンサー達の姿に圧倒され、その上に君臨するベジャールもまた、苦悩の上に作品を作り出している様は興味深く、画面に惹き付けられたままの1時間30分でした。

クラシックバレエの、華やかな舞台美術と華麗な衣装に包まれた、優美な踊りも好きですが、体そのものの美しさを最大の衣装にした、ベジャールのモダンバレエもまた、素晴らしい芸術品ですね。

うっとりとした気持ちで過ごした、秋の一夜でした。
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