『ハロウィン KILLS』
2021年10月30日

あらすじ・・・
生まれ故郷のイリノイ州ハドンフィールドにブラリと立ち寄ったマイケル・マイヤーズ(御年61歳)さんが出会うものみな傷つけます。
『ハロウィン』だいすきっこのみなさんこんばんは!
待ってましたよね? もちろん待ち望んでいましたよね!
そう、仮装して都会に繰り出し道端で酒を浴びるほど飲む方のハロウィンではなく、でっかい包丁を持った大男が行き当たりばったりで縁故者に襲い掛かる方のハロウィンをね!
と、いうわけで、2019年に日本で公開(製作は2018年)された『ハロウィン』の続編となる『ハロウィンKILLS』が、コロナ禍による海外作品の延期ラッシュを無事乗り越えめでたくの公開されましたので、早速意気揚々と劇場に乗り込んできたんですけども、まあこれがめちゃよかったのなんのって!!
出てくる人間たちはみんなアホの集まりで、「ここまで律儀にアホを貫けるものか」というくらい裏目裏目の行動を繰り返しますし、一方のマイケルおじさんは存外にお利口。
いやね、別にけなしてるんじゃないんですよ。 だって逆だったらみんな助かっちゃいますからね。
もちろんこれでいいんですよ。 ホラー映画としてはこれが正しいんです。
行くなと思う方向に進み、覗くなというドアを開け、立つなという窓に背を向け、刺しとけというトドメは見送る。
これぞホラー。 これぞスラッシャー。
ありがとう人間、今回もアホでいてくれてありがとう。
しかしわたしが本作をとてもすきになった理由はそこではなく、いや、想像以上にアホだったトコロもよかったのですがアホというよりは恐怖を覚えるほどに愚かでもあり、というかまあそこはのちほど述べるとして、今回とてもグっときたのは、なんといっても40年ぶりのリユニオン。
オリジナルメンバーの再結成だったのでした。
※ 以下ネタバレを含みますので、よろしければ鑑賞後にどうぞ
2018年版の直後であり、1978年版(オリジナル)の40年後でもあるという本作。
ハロウィンシリーズの看板女優であるローリー(ジェイミー・リー・カーティスさん)はもちろんのこと、なんとオリジナルに登場し幸いにも生き残っていた懐かしの面々も大集合!
まずはハロウィンシリーズの準レギュラーともいえるトミー少年。

オリジナルのトミー少年です。 ローリーがベビーシッターとして預かっていたトミーくんはマイケルの襲撃をうけますが、ローリーの機転でからくも生還したのでした。

『ハロウィン4』での成長したトミーくん。 トラウマもなくすこやかな高校生になっているようです。 中の人は少年期とは別の俳優さん。

『ハロウィン6』でのひきこもりトミーさん。 すこやかだったのは別の世界線でのトミーくんだったようで、こちらのトミーさんは幼少期の経験からオカルトに傾倒。 中の人はみんなだいすきアリのおいちゃん(ポール・ラッドさん)

そして40年後のトミーおじさん。 なんと申し上げたらいいか、すげえごつごつしてる。 ドラクエに出てくる爆発する岩みたい。
設定としてはオリジナル少年のその後であり、トラウマと闘い続けた半生だったようです。
毎年10月31日には生き残ったメンツで酒場に集まり献杯するのが習わし。
そんなトミーおじさんの招集に応えて毎年追悼飲み会にやってきていたのが、元看護士のマリオンさん。

オリジナルで、ルーミス医師とともにマイケル移送ミッションに挑んでいた勇敢なマリオンさん。
マイケルの急襲に遭いますが、車を奪われただけで助かった幸運の持ち主です。

『ハロウィン2』のマリオンさん。
ルーミス医師の相棒となっていた模様。
またもやマイケルの魔手から逃れた奇跡の看護師。

『ハロウィンH20』(7作目)で三度目の登場と相成ったマリオンさん。
晩年のルーミス医師を支えていたという意外なエピソードののち、数十年の時を超えついにマイケルに刺殺されるというありがたいんだかありがたくないんだかな最期を遂げました。

そして40年後のマリオンさん。 言わずもがななマルチバース設定なのでどっこい生きてるし、マイケルに対して闘志もみなぎりまくっています。 がんばれマリオンさん! まぁほらアレだ、万が一ダメでもまたリブートされるかもし(略
追悼飲み会にはあのリンジーちゃんも参加。

オリジナルのリンジーちゃんです。 みなさん覚えていますよね?
ローリーの友人・アニーさんがベビーシッターをしていたのですが、彼氏と乳繰り合うためローリーに丸投げし、それゆえに命拾いしたラッキーな少女です。
映画の趣味が非常にいい。

時は流れて『ハロウィン4』のリンジーさん。 正直もう記憶が薄いのですが、亡くなってはいない模様。 中の人も変わっています。

40年後にオリジナルキャストで復帰したリンジーさん。 トミーさんと同年代のはずですが、かなりお若いですね!
トミーと仲がいいのはわかるんですが、マリオンさんとはどうやって知り合ったテイなんだろう・・・ 被害者の会とかあるのかな・・
飲み会のメンバーではありませんでしたが、本作にはハドンフィールドの守護神・ブラケット保安官も再登場。

オリジナルのブラケット保安官は、リンジーちゃんのベビーシッターをするはずだったアニーさんの父親でした。
なんだかんだでルーミス医師に振り回されてかわいそうな姿が印象深いブラケットさん、おいしい役どころだったからかロブ・ゾンビ版『ハロウィン』でも存分に存在感を発揮。
そちらの版では、みんなだいすきブラッド・ドゥーリフさんがイケオジ保安官として活躍していましたね。
えっ? すきでしょ? すきですよね? オレ、だいすき!

40年後のブラケットさんは、もちろんドゥーリフさんではなくオリジナルキャストが復帰。
さすがに保安官職は引退し(ちなみに『ハロウィン4』には後任保安官が登場し、ブラケットさんの引退に触れていました)(まあ別の世界線なんですけどね)、現在は病院の警備を担当している模様。
お元気そうでなによりです!
トミーさんを除き、オリジナルそのままの俳優さんで再結成したハドンフィールドの住民たち。
この他にも、前作から引き続き登場するホーキンス保安官には、ローリーと親しい仲だったとされる新事実が発覚したり、オリジナルではほんのちょっとの出演だったものの、時代の空気を見事に再現した秀逸な回想シーンによって「こういうシーンあったかも・・」と違和感ゼロな記憶を刷り込んできたロニーさんが登場したりと、なじみの顔じゃないのになぜかなつかしさの漂う画面に興奮しきり。
熱い。 なんやこれめちゃ熱いやんけ。
だいたいね、昔馴染みが再結成という流れの盤石さなんつうもんはね、世界共通事項なわけでしてね、「殺人鬼の被害に遭い苦しい人生を送ってきた人々」だの「陰惨な事件の記憶が何十年も暗い影を落とし続ける街」だのはホラーによく登場しますが、彼らが手に手を取り合い仇敵に立ち向かう展開は、ありそうでなかったのではないか。
「いやまて、エルム街はわりとカジュアルに焼き討ちしとったんとちゃうか」とか「イットがあるやんけ」とかいう意見はさておき、なかったじゃないですか。
ご長寿ホラーシリーズはいくつもありますが、わたしはこういうのをもっとやってほしいですね。
過去の生存者が全員集合して、一致団結するようなやつ。
絶対おもしろいに決まっとるやん。
で、この再結成以上にすばらしいと思ったのは、このあとの展開でして。
圧倒的ともいえる演説スキルを発揮し周囲を扇動するトミーに対し、最初はやんわりとした同意程度だった住民たちは、マイケルの傍若無人っぷりに怒りを募らせ、警察はあてにならないから自分たちの手でマイケルを捕まえよう、と意識を高めてゆく。
そして、ローリーが搬送された病院に、偶然マイケルと同じ精神病院からの脱走者が迷い込んだことと、トミーが脱走者をマイケルであると勘違いしたことで住民の感情は一気にヒートアップ。
老いも若きも医者も患者も暴徒と化し、逃げる脱走者を鬼の形相で追い詰める。
この狂乱のまあおそろしいこと。
冷静さを促す保安官たちの声も、人違いに気づいたローリーたちの声も、罵声で埋め尽くされた住民たちの耳には全く届かないんですよね。
こういう集団心理の怖さって、全く作りごとではなく、ひどいものでいうと実際数年前に、フェイクニュースを鵜吞みにした人々が無実の人間を焼き殺すに至った事件がありましたし、ちょっとした正義心にネットの情報という燃料をくべられた結果、真偽のほども確かめずだれかれ構わず攻撃するような行為ならそこいらじゅうにあふれています。
こわいんですよ。 本当にこわい。
本当におそろしいモンスターは人間だ~! なんて陳腐なこと言いたかないですけど、自分は正しいと思い込んだ人の暴走は、その「正しさ」ゆえに非常に厄介であり、簡単に止められるものではない。
追い込まれてゆく脱走者の姿と、暴動をとめようとするローリーたちと、なすすべなく迎えてしまう悲劇的な死は、私たち人間が誰でも持つたとえようのない愚かさが招いた結末であり、決して絵空事ではないのですよね。
こういう心理的な厭さを、能天気なボディカウント描写に混ぜ込んでくるの、とてもいいと思います。
これはもう、怖さの表現の満漢全席や・・・!(そこまで品数おおくないか)
聞くところによると、前作と本作はあとに控えている(予定の)『ハロウィンEnds』をもって三部作として製作されているのだそうですが、できれば早めにお頼み申し上げたいですね。
「ローリーの物語は最後ですよー、なんつってもどうせまた10年くらいしたらリブートすんでしょ?」というわたしの中のナメた部分を完膚なきまでに叩きのめすクライマックス、お待ちしております。
それにしても、今回「マイケルは暴力では死なない」、とシンエヴァの碇ゲンドウみたいなことを言われていましたが、一体どうやって引導を渡すつもりなのでしょうね。
愛か。 殺人鬼とも愛と対話で解決する時代なのか。
マイケルが動機をつらつらと語るながーいモノローグでエンディング・・・ それはイヤかも!!
- 余談 -
・ しかし今回ふるってましたね! のっけの消防士11人殺しに始まり、立ち寄る家々すべて皆殺し。 感じの悪い人もそうでない人も平等に殺されてゆくのですけども、使う道具も特にこだわりなさそうだし、なんだったら工程省かれて壁に貼り付けられてるのだけが映ったりするし、あれだよ?殺すの飽きたんだったら無理に数こなさなくてもいいんだよ? っていうかやるんなら真面目にやってよマイケル。 みんなそれぞれに人生があるんだよ
・ 一番びっくりしたのは、三世代そろい踏みしていたローリーの家族が欠けてしまったトコロですね。 ローリーは最後まで温存しないといけないだろうけど、娘が犠牲になるか・・・ そうか・・・ ずいぶん思い切ったなあ・・・
・ 前作の「ガッチャ」には興奮したものの、今回の「ガッチャ」は若干ドヤり気味だったのが癪に触っていたのですが、まさか娘のカレンが退場とはね・・・ っていうか、やっぱり不用心だよねー!! トドメも刺さないしねー! 首のうしろ刺したぐらいで満足するとは生ぬるい! 最低でも首ぐらい切り落としとかないと!
・ ホラー映画はアホであれと書いたものの、全般的に信じられないようなアホが目立つ今作。 警察でも太刀打ちできないのになぜかボコれると思っていきりたつ一般市民とか、超銃社会のアメリカなのになぜか木製バットとか素手とかでマイケルを取り囲むトミーと仲間たちとか、装甲車でもなんでもない普通車に乗り込みマイケル探しに出かける生存者グループとか、全く相手に照準を合わせる気のない発砲とか、おまえらそろいもそろってダーウィン賞でも狙ってんのか! きらいじゃない!そういうのきらいじゃないけども!!
・ 絶対死ぬわけないのに、トミーたちにどつかれて一旦やられた風にしてあげるマイケル、つきあいの良さが社交派陽キャのそれ
・ せっかく出てきた懐かしの面々を惜しげもなく血祭りにあげる監督メンタル、わたしは評価したい。 っていうか、心の中の城オジが「惜しげのない者ばかりよう選んだわい」ってささやいてる。 ロニーなんか最たるものじゃんよ
・ 人間たちがアホな一方、炎が迫りくる中冷静に周囲をチェックし、シャッターのついた銃保管庫に隠れていたマイケルおじさんの判断力よ。 消防士が来たせいで助かったって感じになってるけど、これ気づかれなくても鎮火するまであそこで待ってたんじゃねえの。 かしこいねぇ、マイケルおじさんは。 年の功だねえ
・ ハロウィンシリーズの3以降はなかったことにされてる世界線ですが、『ハロウィン4』のビジランテのくだりとか『ハロウィン3』のマスク三種とか、オマージュのような何かがちらほらみられましたので、次回最終作にきて突然オカルトに全振りされたらどうしよう・・・という
関連感想
『ハロウィン』シリーズ全10作品まとめ
(物語の統合性は低いので、過去作を観ていなくても本作はたのしめますが、オリジナルだけでも観ておくとおもしろさがケタ違いになります)


『ブラックシープ BLACK SHEEP』 (日本未公開)
2019年11月27日
(※ この感想は2008年02月28日に載せたものに加筆・修正を加えたものです)

さて、アカデミー賞も無事終わり、ずっとお預け状態だった『BLACK SHEEP』を念願叶って鑑賞させて頂いた訳なのですが・・・
・・・そっかこれ英語かぁ・・
そりゃそうだよなぁ・・・(遠い目)
うっかりすっかり忘れていましたよね、原語鑑賞必至だと言う事を。
なにせ輸入版(日本未上陸作品)ですので、言葉は英語。
字幕も英語かスペイン語しか付いていなくてですね。
なんとか、英語字幕と辞書を片手に鑑賞しましたが、実際のところは正直わかりません。まことにめんぼくない。
と。いうことで、大規模な誤読がない事を祈りつつ、オレ流あらすじを・・・
※以下ネタバレしてます
ぼくヘンリー。
ぼくの父ちゃんはニュージーランド一の羊飼いで、ぼくも大きくなったら父ちゃんみたいなカッコイイ牧場経営者になるんだい!
と、思っていたんだけど、そんなぼくの夢をこころよく思わないお兄ちゃん・アンガスが、ある日ぼくにとんでもない嫌がらせを仕掛けてきたんだ。
なんと、ぼくが超可愛がっていた子羊のダドリーを捌いて吊るし上げ、その皮を自ら被ってぼくを追い回したんだ。
「いじわる」の度合いが、「いじわる」という言葉が本来持つ性質を凌駕してきてない?!ひらたくいうと、えげつなくない?!
怯えてうずくまるぼくと、調子に乗るアンガス。
その時、家政婦のマックさんがぼくらを探してやってくる声が聞こえた!
ナイスタイミングおばちゃん! ぼく、このままじゃあトラウマ確定になっちゃうy・・
おばちゃん 「お前たちよくお聞き。今、お父さんが事故に遭って亡くなってしまったそうだよ」
ワッツハプンおばちゃん!「お父さんが事故」とはなんたるサプライズっていうかゴメンゴメン、えっと、なんつうかその、おばちゃんその前に何かつっこむトコないかな? 目が節穴になっちゃったかな?かな?
まだフレッシュな血のしたたりおちる羊の生皮を被り陽気におどけるアンガスを華麗にスルーしたうえで、とびっきりの訃報のみを届けてくれたマックさん。
・・・ありがとう・・ あなたのお陰で、今では立派な羊恐怖症のぼくです。
で、以降15年間牧場はおろか兄とも距離を置いていたぼくだったのですが、いろいろ片づけなければならない事情から久方ぶりの帰郷を決意。
静養という側面もあるけれど、主にはあれ以来牧場を引き継ぎ最新鋭の養羊に取り組んでいるアンガスに、牧場に関してぼくが持つ全ての権利を譲渡する為です。
すっかり老け込んだアンガスは、どうやら最近怪しげなバイオ羊の開発に全精力を捧げているご様子。
しかし、羊を見るだけで眩暈がするぼくには何のかかわりも無い事だ。
そう思っていた・・・。
あの美しい女性がぼくの前に現れるまでは・・・。
そして、羊たちが草食主義を撤回するのを目の当たりにするまでは・・・。

(羊人間とバイオ羊の禁断の愛・・・。 ま!いとこみたいなもんですかね!しらんけど!)
もこもこした白い塊が、草原を横切り丘を越え、柵を蹴倒し大集合。
その口には赤い液体・・・。
そう、それは血。 人間様の健康と繁栄をささえるヘモグロビン・・・。
日本未公開ながら、各方面で話題の牧羊スプラッター 『BLACK SHEEP』(通称黒羊)。
見所は、羊が人間をもっちゃりもっちゃり食する姿。
5万頭の羊が丘を越え、雪崩の様に押し寄せてくる姿。
そして、80年代の息吹を感じるハンドメイド羊人間の造形。
どうですか。 これ以上なにを望みますか。 おい、望むんじゃない!望んだところで誰もしあわせにはならないぞ!
この作品は、過去のホラー(スプラッター)にオマージュを捧げたシーンも多く、
動物愛護団体の暴走により、感染が一気に広がる(28日後・・・)序盤のシーンを皮切りに、
逃げ込んだ家の周りを羊にグルリと囲まれて身動きが取れなかったり(ナイト・オブ・ザ・リビングデッド)、
凶悪羊の群れの中を横断する為に、ムートンクッションを被って羊のフリをしたり(ショーン・オブ・ザ・デッド)、
草刈機ならぬプロペラで羊人間を粉砕(ブレインデッド)などなど愉快なシーンのてんこ盛り。
他にも、凶悪羊に噛まれた人間は羊人間へと変貌を遂げるのですが、その変身シーンが『ハウリング』みたいだったり、身内が感染すると言うお約束シーンもあったり、と、要所要所に作り手のホラー愛とサービス精神をヒシヒシと感じます。
ゴア描写が程よく配分されているのも高評価。
モッフモフの羊たんが、人間のお腹を食いちぎり腸を引っ張り出す様にお目にかかれる日が来るだなんて、一体誰が想像し得ただろうか。いや、しえない!(※普通はしません)
明らかにパペット形態(中に手が入っている)の羊頭が、あちこちで残酷に喉笛を引き裂く様。
壮大な大自然をバックに、人の残骸をパクつくモノホンのエキストラ(羊)。
羊って、いままで草食だと思っていたんですけど、違ったんですかね。
撮影時に一体何を喰わされていたのか、わしの中ではまあまあ懸案事項です!
冒頭のトラウマ発生シーンがきちんと活かされたラストのくだりもよかったですね。
ホラーとかなんとかは関係なく、映画としてとても真面目に作られている印象を受けました。
シリアスな作品を撮ってもイケるんじゃないでしょうかねぇ、この監督さん。
で、本作の魅力は粒揃いなキャラクターたちにもあり、
羊恐怖症でパニックに陥るヘンリーに、何かとスピリチュアルなカウンセリングを施してくれる、動物愛護団体の美人活動家・エクスペリエンスさん(じゃっかんミラ・ソルヴィーノ似)や、
同じく活動家のメンバーで、羊に噛まれ感染してしまう小汚いヒッピー・グラントさん(どことなくヴァンサン・カッセル似)、
田舎風臓物料理が大好きで、特技はエクストリームなハンドルさばきの暴走家政婦マックさん、
自称天才科学者のメガネっ子・ラッシュさんなど、クスっと笑えるオモシロ人間が勢ぞろい。
中でも一番魅力的なのが、主人公の兄・アンガスさん(みんなだいすきブルキャン似)。
優秀な弟にコンプレックスを感じていたアンガスは、弟を泣かせるためだけに羊の生皮をはいだりして、てっきり羊嫌いなのかと思っていたら、どうやら彼は彼で羊に並々ならぬ愛情を抱いていたご様子。
農場の近代化のため新種羊の研究に尽力した結果、バイオ羊の開発に行き着き、その遺伝子操作に自分のDNAを使用してしまうという筋金の入りよう。 っていうか自己愛がすごい。 オレが羊で羊がオレで。ぜんぶひっくるめて羊だいすき!
いや、実はこの点、わたしの英語力の限界点でもありまして、この「バイオ羊開発秘話」シーンに至る直前、アンガスが下半身丸出しで、とある羊といい雰囲気を醸し出しているシーンがありまして。(!)
で、現場に踏み込んだ弟から
「兄ちゃんなんやとんねん!」
と至極ごもっともなツッコミを食らった兄ちゃんが、満を持してバイオ羊誕生の裏側を告白する運びとなるのですが、
「この子(バイオ羊)は俺たちの家族も同然でなんちゃら」とか「スパム(精子)がどうとか」言っており、純粋に遺伝子操作にDNAを使っただけなのか、それともボディ&ソウル的な意味合いで契りを結んじゃったのか、ちょっとわたしの英語力では判別不能だったのです。 メンゴメンゴ。
まぁ、もしかすると両方なのかもなぁという気もしないでもないですが。
なにはともあれ、愛する羊ちゃんとラブラブツーショットを飾るアンガスの、こざっぱりとした表情といったら・・・
アレは完全に大人の階段を登った漢(おとこ)の顔でしたよね・・・。
よかった・・・ 兄ちゃん・・・おしあわせに・・・
ちなみにお兄ちゃん、その後羊に噛まれてしまい羊人間へと変身してしまうのですが、バイオ羊の羊水が治療薬だった事が判り、なんだかんだで人間へと戻されます。
ところが、羊への愛に完全に開眼してしまったお兄ちゃんですので、もう人間の姿に収まる気持ちはさらさらない!
再び羊側に戻るべく凶悪羊の元に駆けつけ、羊の中心でバイオ羊への愛を叫ぶと言う漢っぷり。
いやぁ、泣けるお話ですね!
でまた、愛に酔うお兄ちゃんの横で、肝心の恋人(バイオ羊)がえらい冷ややかな目をしていたのが、こういうシュチュエーション時におけるリアルな女性の反応という感じで非常に凍える思いでしたねぇ。
「はあ?一回寝ただけで彼氏ヅラとかありえなくね?」的なアレね!
いやぁ、泣けるお話ですね!!!

(羊パンセンによる「なんか勘違いされてウザいんスけど」的な面持ち)(に見えなくもない)
そんなこんなで、ゴアから恋愛指南まで多彩な展開で観る人を釘付けにしてしてしまう、癒し系スプラッター 『ブラックシープ』 。
こんなオモシロ作品が公開されない日本は、まだまだホラー面で言うと発展途上国なんだなぁ・・と実感させられてしまいました。
一日も早く、日本でも公開(もしくはDVD化)されるとイイですね!
― 追記 ―
日本公開決まったそうです!
未体験ゾーンの映画たち 2020
<公式サイト>
詳しいスケジュールはまだ更新されていませんが、来年がたのしみですね!!
♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ → 
さて、アカデミー賞も無事終わり、ずっとお預け状態だった『BLACK SHEEP』を念願叶って鑑賞させて頂いた訳なのですが・・・
・・・そっかこれ英語かぁ・・
そりゃそうだよなぁ・・・(遠い目)
うっかりすっかり忘れていましたよね、原語鑑賞必至だと言う事を。
なにせ輸入版(日本未上陸作品)ですので、言葉は英語。
字幕も英語かスペイン語しか付いていなくてですね。
なんとか、英語字幕と辞書を片手に鑑賞しましたが、実際のところは正直わかりません。まことにめんぼくない。
と。いうことで、大規模な誤読がない事を祈りつつ、オレ流あらすじを・・・
※以下ネタバレしてます
ぼくヘンリー。
ぼくの父ちゃんはニュージーランド一の羊飼いで、ぼくも大きくなったら父ちゃんみたいなカッコイイ牧場経営者になるんだい!
と、思っていたんだけど、そんなぼくの夢をこころよく思わないお兄ちゃん・アンガスが、ある日ぼくにとんでもない嫌がらせを仕掛けてきたんだ。
なんと、ぼくが超可愛がっていた子羊のダドリーを捌いて吊るし上げ、その皮を自ら被ってぼくを追い回したんだ。
「いじわる」の度合いが、「いじわる」という言葉が本来持つ性質を凌駕してきてない?!ひらたくいうと、えげつなくない?!
怯えてうずくまるぼくと、調子に乗るアンガス。
その時、家政婦のマックさんがぼくらを探してやってくる声が聞こえた!
ナイスタイミングおばちゃん! ぼく、このままじゃあトラウマ確定になっちゃうy・・
おばちゃん 「お前たちよくお聞き。今、お父さんが事故に遭って亡くなってしまったそうだよ」
ワッツハプンおばちゃん!「お父さんが事故」とはなんたるサプライズっていうかゴメンゴメン、えっと、なんつうかその、おばちゃんその前に何かつっこむトコないかな? 目が節穴になっちゃったかな?かな?
まだフレッシュな血のしたたりおちる羊の生皮を被り陽気におどけるアンガスを華麗にスルーしたうえで、とびっきりの訃報のみを届けてくれたマックさん。
・・・ありがとう・・ あなたのお陰で、今では立派な羊恐怖症のぼくです。
で、以降15年間牧場はおろか兄とも距離を置いていたぼくだったのですが、いろいろ片づけなければならない事情から久方ぶりの帰郷を決意。
静養という側面もあるけれど、主にはあれ以来牧場を引き継ぎ最新鋭の養羊に取り組んでいるアンガスに、牧場に関してぼくが持つ全ての権利を譲渡する為です。
すっかり老け込んだアンガスは、どうやら最近怪しげなバイオ羊の開発に全精力を捧げているご様子。
しかし、羊を見るだけで眩暈がするぼくには何のかかわりも無い事だ。
そう思っていた・・・。
あの美しい女性がぼくの前に現れるまでは・・・。
そして、羊たちが草食主義を撤回するのを目の当たりにするまでは・・・。

(羊人間とバイオ羊の禁断の愛・・・。 ま!いとこみたいなもんですかね!しらんけど!)
もこもこした白い塊が、草原を横切り丘を越え、柵を蹴倒し大集合。
その口には赤い液体・・・。
そう、それは血。 人間様の健康と繁栄をささえるヘモグロビン・・・。
日本未公開ながら、各方面で話題の牧羊スプラッター 『BLACK SHEEP』(通称黒羊)。
見所は、羊が人間をもっちゃりもっちゃり食する姿。
5万頭の羊が丘を越え、雪崩の様に押し寄せてくる姿。
そして、80年代の息吹を感じるハンドメイド羊人間の造形。
どうですか。 これ以上なにを望みますか。 おい、望むんじゃない!望んだところで誰もしあわせにはならないぞ!
この作品は、過去のホラー(スプラッター)にオマージュを捧げたシーンも多く、
動物愛護団体の暴走により、感染が一気に広がる(28日後・・・)序盤のシーンを皮切りに、
逃げ込んだ家の周りを羊にグルリと囲まれて身動きが取れなかったり(ナイト・オブ・ザ・リビングデッド)、
凶悪羊の群れの中を横断する為に、ムートンクッションを被って羊のフリをしたり(ショーン・オブ・ザ・デッド)、
草刈機ならぬプロペラで羊人間を粉砕(ブレインデッド)などなど愉快なシーンのてんこ盛り。
他にも、凶悪羊に噛まれた人間は羊人間へと変貌を遂げるのですが、その変身シーンが『ハウリング』みたいだったり、身内が感染すると言うお約束シーンもあったり、と、要所要所に作り手のホラー愛とサービス精神をヒシヒシと感じます。
ゴア描写が程よく配分されているのも高評価。
モッフモフの羊たんが、人間のお腹を食いちぎり腸を引っ張り出す様にお目にかかれる日が来るだなんて、一体誰が想像し得ただろうか。いや、しえない!(※普通はしません)
明らかにパペット形態(中に手が入っている)の羊頭が、あちこちで残酷に喉笛を引き裂く様。
壮大な大自然をバックに、人の残骸をパクつくモノホンのエキストラ(羊)。
羊って、いままで草食だと思っていたんですけど、違ったんですかね。
撮影時に一体何を喰わされていたのか、わしの中ではまあまあ懸案事項です!
冒頭のトラウマ発生シーンがきちんと活かされたラストのくだりもよかったですね。
ホラーとかなんとかは関係なく、映画としてとても真面目に作られている印象を受けました。
シリアスな作品を撮ってもイケるんじゃないでしょうかねぇ、この監督さん。
で、本作の魅力は粒揃いなキャラクターたちにもあり、
羊恐怖症でパニックに陥るヘンリーに、何かとスピリチュアルなカウンセリングを施してくれる、動物愛護団体の美人活動家・エクスペリエンスさん(じゃっかんミラ・ソルヴィーノ似)や、
同じく活動家のメンバーで、羊に噛まれ感染してしまう小汚いヒッピー・グラントさん(どことなくヴァンサン・カッセル似)、
田舎風臓物料理が大好きで、特技はエクストリームなハンドルさばきの暴走家政婦マックさん、
自称天才科学者のメガネっ子・ラッシュさんなど、クスっと笑えるオモシロ人間が勢ぞろい。
中でも一番魅力的なのが、主人公の兄・アンガスさん(みんなだいすきブルキャン似)。
優秀な弟にコンプレックスを感じていたアンガスは、弟を泣かせるためだけに羊の生皮をはいだりして、てっきり羊嫌いなのかと思っていたら、どうやら彼は彼で羊に並々ならぬ愛情を抱いていたご様子。
農場の近代化のため新種羊の研究に尽力した結果、バイオ羊の開発に行き着き、その遺伝子操作に自分のDNAを使用してしまうという筋金の入りよう。 っていうか自己愛がすごい。 オレが羊で羊がオレで。ぜんぶひっくるめて羊だいすき!
いや、実はこの点、わたしの英語力の限界点でもありまして、この「バイオ羊開発秘話」シーンに至る直前、アンガスが下半身丸出しで、とある羊といい雰囲気を醸し出しているシーンがありまして。(!)
で、現場に踏み込んだ弟から
「兄ちゃんなんやとんねん!」
と至極ごもっともなツッコミを食らった兄ちゃんが、満を持してバイオ羊誕生の裏側を告白する運びとなるのですが、
「この子(バイオ羊)は俺たちの家族も同然でなんちゃら」とか「スパム(精子)がどうとか」言っており、純粋に遺伝子操作にDNAを使っただけなのか、それともボディ&ソウル的な意味合いで契りを結んじゃったのか、ちょっとわたしの英語力では判別不能だったのです。 メンゴメンゴ。
まぁ、もしかすると両方なのかもなぁという気もしないでもないですが。
なにはともあれ、愛する羊ちゃんとラブラブツーショットを飾るアンガスの、こざっぱりとした表情といったら・・・
アレは完全に大人の階段を登った漢(おとこ)の顔でしたよね・・・。
よかった・・・ 兄ちゃん・・・おしあわせに・・・
ちなみにお兄ちゃん、その後羊に噛まれてしまい羊人間へと変身してしまうのですが、バイオ羊の羊水が治療薬だった事が判り、なんだかんだで人間へと戻されます。
ところが、羊への愛に完全に開眼してしまったお兄ちゃんですので、もう人間の姿に収まる気持ちはさらさらない!
再び羊側に戻るべく凶悪羊の元に駆けつけ、羊の中心でバイオ羊への愛を叫ぶと言う漢っぷり。
いやぁ、泣けるお話ですね!
でまた、愛に酔うお兄ちゃんの横で、肝心の恋人(バイオ羊)がえらい冷ややかな目をしていたのが、こういうシュチュエーション時におけるリアルな女性の反応という感じで非常に凍える思いでしたねぇ。
「はあ?一回寝ただけで彼氏ヅラとかありえなくね?」的なアレね!
いやぁ、泣けるお話ですね!!!

(羊パンセンによる「なんか勘違いされてウザいんスけど」的な面持ち)(に見えなくもない)
そんなこんなで、ゴアから恋愛指南まで多彩な展開で観る人を釘付けにしてしてしまう、癒し系スプラッター 『ブラックシープ』 。
こんなオモシロ作品が公開されない日本は、まだまだホラー面で言うと発展途上国なんだなぁ・・と実感させられてしまいました。
一日も早く、日本でも公開(もしくはDVD化)されるとイイですね!
― 追記 ―
日本公開決まったそうです!
未体験ゾーンの映画たち 2020
<公式サイト>
詳しいスケジュールはまだ更新されていませんが、来年がたのしみですね!!


『クワイエット・プレイス』
2018年10月01日

あらすじ・・・
それはある日突然地球に現れて、音を立てるものたちを消していった。
(※ 以下ネタバレしています)
・ もういっそのこと滝の裏に住んじゃえばいいのに。
・ と言っちゃったら身も蓋もないというか、滝じゃなくても防音スタジオでもぜんぜんイケそうというか。 あ、すみません言い遅れました。 音を出したらどこからともなくすごい勢いでクリーチャーが走ってきて手についた鎌みたいなので一刀両断されちゃうという斬新な世紀末ホラー『クワイエット・プレイス』を観てきましたよ。 音を出したらアウトなので、郊外の農家で静かにほそぼそ暮らす一家のおはなしですよ。
・ 物語はそのクリーチャーが勝手に騒音対策を始めてから89日後のとある昼下がりを舞台に幕を開けます。 おそらくほとんどの人類が駆除されてしまったであろう中、荒廃した街の雑貨店には体調を崩したらしき男の子に薬を与える母、もうふたりの子ども、そして父親の姿がありました。
・ ふたりの子どものうちのひとりは聴覚障害をもっているらしく、幼い弟や父親とのコミュニケーションは手話です。 もしかしたらそれまで「ハンディキャップ」と呼ばれていた部分が、「ギフト」としてノーサイレンス・ノーライフな世紀末を生き残れた理由のひとつになっていたのかもしれません。 このくだりはもう百点満点。
・ まだたったの4歳で、電子おもちゃの五感が忘れられない弟。 思わず商品棚にあったロケットに手を伸ばす。 このロケットでおねえちゃんを宇宙に助け出すんだ。 空想と現実の垣根が大人以上に低い幼児の危うさに、クリーチャーが出てきていないにもかかわらず手汗がとまりません。
・ おもちゃを取り上げ「音は出しちゃダメだよ、わかってるでしょ?」と子どもを諭し、雑貨店を後にする両親。 その後に続く子どもたちでしたが、あまりにしょんぼりする弟を見かねたおねえちゃんは、電池を抜いたうえでロケットのおもちゃを手渡します。 喜ぶおとうと。 ナイショだよ?とほほえむおねえちゃん。 しかしおねえちゃんは知らなかったのです。 しんがりを務めたおとうとが、このあとこっそり電池も手にしていたことを・・・
・ で、電池をインしておもちゃを鳴らしたおとうとは、クリーチャーの餌食になってしまうのでした。
・ いやぁ、ホントもうここまでは大傑作ですよ!! この時点で両親に対するつっこみは山盛りですけども、家族の関係性や彼らがおかれている状況が最低限の描写で最大限に説明されていて、めちゃくちゃ怖かったですし、緊張しすぎて心臓いたかったですし、椅子の上で岩みたいにかたまっていましたからね。 超よかった! ここまでは!!
・ 場面は変わり、物語はクリーチャーの襲来から472日後に再び幕を開けます。 末弟を襲った悲劇から一年あまり。 農家とその周辺を徹底的に改造した一家は、物音を立てないよう慎重に、しかし穏やかに日々を過ごしていました。 彼らが以前と違っているのは、家族を失ったことで各々が自分自身を責めていること。 家族間のコミュニケーションが不足気味なこと。 そして、母のお腹に新しい命が宿っていること。
・ この状況で! 子作りを! 残された二人の子どもも、いうてもまだまだ幼いというなかで!! 両親はガッツの塊か!!!
・ このあと一家はおねえちゃんとおとうさんが微妙な距離感になったり、おとうととおとうさんが男同士のひみつの打ち明け話をしたり、おねえちゃんがやさぐれたり、おかあさんが釘を踏んだり産気づいたりと、いろいろなことに見舞われるのですが、とにかくわたしはもうこの「臨月おかあさん」というキーワードが強烈すぎてしばらくストーリーが頭に入ってこなくてですね。
・ いや、入ってくるんですけど、いちいち脳内のひな壇に並んだリトルアガサが「子作りするかあ?この状況で?!」とガヤを放り込んでくるもんで、緊迫感に浸れないんですよ。 予告でおかあさんが臨月なことは知っていたのですが、まさか侵攻後の子作りとはね・・・ 思いませんでしたよね・・・
・ なんでだろ? なんで仕込もうと思ったんだろ? 子どもを失った哀しみを癒しあううちにとか? っていうか音出しちゃダメなんですよね? 無音か? 無音で仕込んだのか? 声出しちゃダメなシチュエーションで子作り行為って、なかなかその場の勢いぐらいじゃあイカない行為だと思うんですけど。 あと、鼻息とかすごくなかったのかな? 声の代わりにすげえ鼻息してたんじゃないかな? クリーチャーさんの判定基準がマジでミステリー!!! わたしだったら「なにやってるの?!」って割って入りますけどね! 「ちょっとそこのおふたりさん! 聞こえないと思ってんでしょうけどね! 尋常じゃない鼻息してるからね!」って。
・ ここまで噛みつくトコロでもないのかもしれませんし、ただ単に「話を盛り上げるためだけ」なのかもしれませんが、子ども作る前に今いる子どもをもっと大事にしろよと思えて仕方なかったのですよ、わたしは。 おねえちゃんなんて、自分を責めて、おとうさんの愛情に疑いを持ってしまって、そんな自分をもっと嫌いになって、家庭内に居場所をなくしてしまってるわけじゃないですか。 順番違わないか? 誰のことが一番大事なんだよ。
・ 物音を立てずに妊娠期間を乗り越えて、陣痛と出産の苦しみに耐える、そこまでは母の役目。 作ったからには根性で乗り切る、そう決意したのでしょう。 しかし、生まれた瞬間赤ちゃんは自由に泣き、自由にぐずぐずいう権利を得るのです。得ないといけないのです。 親の都合で泣かせないとか、オレはぜったいゆるさない。
・ 作中、出産後に備えて酸素マスクを用意したり地下室を防音仕様に変えたりという工夫が紹介されていましたが、瞬間でクリーチャーに侵入されていましたし、新聞ペタペタ貼り付けるぐらいで防音できるもんですかね? だったら市街の映画館とか音楽ホールとか、そういうトコに住む方がよくないか? ドア締めちゃえば建物から外に音漏れないですよ? やっぱりクリーチャーはんの判断基準むずかしおすわ~!!
・ 子どもを亡くした親は子どもを作るべきではないとか、そういうことが言いたいのではないのですよ。 ただ、幼い子どもを守り切れなかった、しかも無残に殺されるところをきょうだいたちに見せてしまった。 今はそのフォローにこそ時間と愛情を費やすべきだったんじゃないか、という違和感は最後まで消えることはありませんでした。 優先順位に対する考え方が、この作品の両親だったり脚本家、監督たちとは違ったということでしょう。 出産、新生児の誕生は希望のメタファー。 そうですね。 でも、今目の前にいる子どもたちがなによりの希望なんじゃないかな。
・ で、ネタにマジレスみたいな勢いでさんざん書いてきたのですが、要はこれ、この作品ってすべてが「子を持つ親の恐怖」のメタファーなんですよね。
・ 親になったその時から、四六時中年中無休で脳裏を横切る厭な想像。 「もしもたまたま子どもから目を離した瞬間事故にあったら」 「もしも出産時にトラブルがあったら」 「もしも生まれた赤ちゃんになにかあったら」 「もしも外に出かけた子どもがいなくなったら」 「もしも子どもと自分だけが在宅中に不審者が入ってきたら」 「もしも幼い子どもをのこして逝かなければならなくなったら」
・ 子どもを守れなかったらどうしよう、という恐怖。 こんな世の中で、この先子どもはどう生きてゆくのだろう、という不安。 疾風のようにかけてきては、都合よく居座ったり退散したりするクリーチャーは、毎日のように親の心をかき乱す漠然とした恐怖そのものなのかもしれません。
・ ということで、「そっかそっかメタファーですか!了解しました!」と気持ちを切り替えれば、趣きのある良作ホラーと思えなくもないですが、集中しようとするたび細かい部分が引っかかって、「なにがメタファーじゃ釘の始末ぐらいしとけやコラ!」みたいに気持ちがオラオラになってしまったので、いっそのことラストの「補聴器のハウリングとショットガンでクソども全員ぶっころす」母娘共闘のノリをもっと早い段階から初めてくれた方が、細かいことを忘れてたのしめたのになあ・・という気がします。
・ ショットガンの弾があの家にどれぐらいあるのかとか、結局あの地域にクリーチャー何匹いるのかとか、そういうのはいいんですよ。 「マーズ・アタック!」みたいにトラックのスピーカーからハウリング響かせて母娘で市内を徘徊してほしいんです。 真面目にやるんなら細かいとこまでちゃんとやる、設定ガバガバならガバガバ上等で思い切ったことをする、それがわたしのホラーに対する願いです。
・ 物音を立てない生活ゆえに、お皿やフォークの代わりに葉っぱのお皿で手づかみで食べてるシーンなんか、すごく丁寧でよかったのになぁ。 せめて妊娠がクリーチャー侵攻以前からだったら全く違っていたと思うので、返す返すも残念です。
・ 音響の使い方は秀逸でしたし、役者は大人も子どももみんな優れていましたし、映像も美しくて、気に入る人はとても気に入るのではないでしょうか。 ともかく、映画館でホラーが観られることはしあわせなことです。それだけは確かです。
・ ちなみに、本作の脚本を担当したスコット・ベック/ブライアン・ウッズ両氏ですが、前作『ナイトライト 死霊灯』も「POVってずっとカメラを回しっぱなしなトコがよく批判されるじゃん?だったら視点をカメラじゃなくて懐中電灯にしちゃえばよくない?絶対進行方向照らすじゃん!」というひらめきだけでポイント・オブ・懐中電灯ズ・ビューを実現させたアイデアマン(※すべてわたしの推測)でして、今回のも「ホラーって絶対叫ぶじゃん?だったら音出すの禁止って設定にしちゃえばよくない?叫びたいのに叫べないってさいこうじゃん!」というアイデア一発勝負だったのではないかという推測がとめられません。 いつか細かいとこまで詰められるといいですね! 自由な発想でこれからもがんばってください!!


『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』
2017年11月09日

人間社会とは不思議なもので、どこのどんな集団にも、華やかなグループと地味なグループが出来るものです。
学生時代から人づきあいが下手で、心に壁を作りがちで、でも想像力だけは両手に余るほど持ち合わせていたわたしは、制服をおしゃれに着崩し、友達と「放課後どこのカフェに行き、どこの洋服屋さんを物色し、どの男子と遊ぶか」をきゃあきゃあと相談し合う、華々しいクラスメイトたちの輪に入ることは決してありませんでした。 もとい、入れることは決してありませんでした。
彼らのグループは成績のいい悪いにかかわらずとても目立つので、先生からの覚えもめでたく、卒業式では年長者とまるで長年の友人のようにくっつきあって写真を撮る彼らの姿がそこかしこにありました。
目立たなかったわたしは、先生に覚えてもらっている自信が確実にない。
だから卒業後学校には行かなかった。
「先生お久しぶりです~」って声を掛けて、相手の顔に巨大なはてなマークが浮かぶトコなんて見たくもない。もしもわたしが生きている間になにかしらやらかし、「元担任」などにインタビュアーが向かうようなことがあったとして、「彼女はとても大人しくて」なんていう教師がいたらそいつは偽物だ。気をつけろ。印象に残っているわけがないし、覚えられるようなヘタはうっていないはずなんですよ。だいたい、何十年も前に担当した生徒のこと逐一覚えている教師なんてホントにいるのか。なんだったら苗字も変わっているし。よっぽど抜きん出たなにかがあったならまだしも、当時から大人しかった生徒のことを「クラスでも大人しくて」とかマジ記憶王レベルだろ。知りもしないのに知った顔しないでいただきたい。すみません感情的な方向に話が逸れました。
ともかく、目立つグループにも入れず、勉強ができるグループにも入れず、めちゃくちゃ部活が優秀なグループにも入れなかったわたしだったのですが、不思議なことに、気づくと数人の友達と行動を共にしていたのですよね。
まるで下敷きの下に置かれた磁石に砂鉄が引き寄せられるように、見えない力でひとりまたひとりと集まってくる「似た者同士」たち。
華々しさはなく、おしゃれではなく、異性と「進んだ」つきあいをするではなく、潤沢なお小遣いを持っているわけでもない、ひっそりとしたわたしたちは、しかしとても充実した毎日を過ごしていました。
先生に気に入られていなくても、デートに誘われたり告白されたりしなくても、「祭」の名がつくイベントで活躍出来なくても、キラキラと輝き、瑞々しい喜びに満ちた日々を送っていたのです。
お金も恋人も夜遊び経験もないわたしたちは負け犬だったのでしょうか。
「はみだしクラブ」だったのでしょうか。
本作で描かれる「はみだしクラブ(ルーザーズ・クラブ)」の夏休み。
もちろん、いじめっこによる暴力や毒親による支配などつらい部分も多々ありますが、彼らはそれはそれは満ち足りた、とても幸せなひとときもたくさん経験しました。
不思議な力によって結びついた仲間たちは、同じ痛み、同じ恐怖、同じ不安を知っているからこそ、何よりも仲間を信じ、守ろうとした。
おっかないピエロ(ペニーワイズ)が体をカクカクさせながら迫ってきたり、精神が破たんした上級生がナイフを突きつけて来ても、どこか「なんかええもん見させてもろたな」感が残るのは、かのクラブの面々が過ごした夏休みが、恐怖を上回るほど魅力的に見えたからだと思うのですよね。
互いに気づかい合える友だち。 支え合える友だち。 どんなにつらいことがあっても、その気持ちごと受け止めてくれる友だち。
彼らと過ごせたから、何気ない山歩きも、水遊びも、高級でないふつうのアイスクリームも最高の思い出になった。
彼らがいたから、自らのトラウマに向き合い、恐怖のピエロにも打ち勝つことができた。
はみだしているどころか、むしろあの夏、あのデリーで、一番メインストリームにいたのはルーザーズ・クラブであり、一番勝利したのもルーザーズ・クラブだったと言えるのではないでしょうか。
自転車を颯爽と走らせる彼らの姿は眩く、わたしは自分の「冴えない」学生生活もまた、きっとあんな風に生き生きとしていたに違いない、とどこか誇らしい気持ちでいっぱいになりました。
そしてもし可能であったなら、危険を伴っていてもいいから、仲間とあんな風に恐ろしい冒険に出かけてみたかった、と非現実的な夢を抱かずにはいられませんし、そんな夢を、何歳になっても小説という世界の中で叶えてくれるスティーヴン・キングを愛さずにはいられないのでした。
もちろん、鮮やかな情景と愛おしい子役たちと隅々にまで詰め込まれた古き良き1980年代プロップにより、理想的なデリーを作り上げてくれたアンディ・ムスキエティ監督にも感謝の気持ちでいっぱいです。
ルーザーズ・クラブは、わたしの中にいる。
日々湧き出てくる「ピエロ」を倒すべく、わたしは今日も拳をグイグイと柱に押し付け、幽霊が見えるとしつこく言い張るだろう。
※ 以下原作・旧テレビドラマ版・本映画版ネタバレしています
― 追 記 ―
・ つってもねー! 実のところ、物足りなさもいっぱいなんですよねー!正直ねー! 思春期のキラキラはよかった!子役もみんなかわいらしかったですしもう充分です!ありがとうございます! でもそれ以外がマジ物足りない!
・ 「現代」の大人パートと「過去」の子どもパートをうまいこと織り交ぜて徐々にITとの決戦へとなだれ込んでゆく原作と、文章ならではの回想シーンへのスムーズな切り替えを巧みなカットで再現してみせたテレビ版、そのどちらもが非常によくできていたので、今回の映画版はどのように映像化しているのかとても気になっていました。 そしてわりと早い段階で「今回は少年期だけで、続編の製作が決定済み」という情報を目にしまして、「あー、そういうこと?」ってなりましたよね。 なるほど、それはウケそうですやん。 っていうか、実質エエとこ取りですやん。
・ 『スタンド・バイ・ミー』とか『グーニーズ』とかにがっつりホラー成分足したものがおもしろくないわけがない。 実際、本編はとても素晴らしい出来でした。 映像はうっとりするほど美しいし、邪悪なげっ歯類みたいになったペニーワイズもいちいちおもしろいし、時代が原作&テレビ版の1950年代から80年代に変わったことも、わたしなんかはモロ同世代なのでハートキャッチモロキュアですよ。もう、おまえらどこ中?えっ?デリー中?みたいなノリですよ。
・ 子ども達の心の奥底にある「恐怖」の対象も、原作&テレビ版の「各種モンスター」から「保護者」へと設定を変えられており、ルーザーズ・クラブ全員が片親もしくは養父もしくは毒保護者からの精神的支配に苦しんでいるという状態はとても現実的で、ある意味小説よりつらみが深かったです。 自分を守ってくれるはずの保護者が一番身近で一番たちが悪いという。 それって、狼男やミイラ男が襲ってくるよりも恐ろしいことじゃないですか。
・ 幼い弟・ジョージイをペニーワイズに食い殺されたビルは、事件以来自分の存在に無関心になってしまった両親の姿から、「おまえが一緒について行かなかったせいだ」という無言のプレッシャーを感じ取っています。 もちろん、直接言われてはいないのでしょうが、責めない代わりにかばってもくれないのですから、結果は同じことですよね。 ビルの罪悪感を読み取ったペニーワイズは、ジョージイの姿を借りてビルを追い詰めます。 「おまえは悪くない」と言ってくれる両親がいない中、ビルはどうやってジョージイの死を乗り越えればいいのでしょうか。
・ 過保護すぎる母親から行動の逐一を管理されているエディは、女手一つで自分を育ててくれている母になにひとつ逆らえません。 重ねて、代理ミュンヒハウゼン症候群のように、「我が子は病気」だと信じなければ生きてゆけない状態に陥ってしまっている母から、ひたすらに病弱なんだと言い聞かせられ、世の中にどれだけ害悪なものが存在するかをみっちりと吹き込まれ続けたエディ。 狡猾なペニーワイズは「あらゆる感染症を患っていて長いこと風呂にも入っていなさそう」なホームレスの姿で現れます。 「おまえは本当は健康体だ」と呪縛を解いてくれる母がいない中、エディはどうやって「偽物の病気」である自分と折り合いをつければいいのでしょうか。
・ ラビの父からユダヤ教の信者としてきちんと生きることを期待されているスタンリーは、厳格な父も難しいヘブライ語も苦手で、尚且つ強迫神経症でもあります。 秩序的でないものを受け入れられないスタンリーの背後から、歪んだ絵画の姿を借りて忍び寄るペニーワイズ。 スタンリーはみんなと同じように、自転車をスタンドを立てずにガシャーンと放り出すことができるのでしょうか。
・ ベンもまた母親一人の家庭で育ちました。 母に心配をかけたくないがために、転校先でいじめられていることも、友だちがひとりも出来ないことも打ち明けられず、孤独な心を癒すかの如くデリーの歴史に没頭しているベン。 調べれば調べるほど異様さが明らかとなって行くデリーにおいて、27年ごとに大規模な事件・事故が起き、大勢が亡くなっているという事実に突き当たったベンの前に現れたのは、爆発事故で100人以上の死傷者を出した復活祭の犠牲者でした。 黒く焦げた死体の首から先に、ただ暗い闇だけを漂わせた死体。 追われるベン。 万事休す。 それはさておき、首なしゾンビよりもナイフで切りつけてくる上級生の方が今そこにある危機すぎるので、ベンはとりあえず警察に駆け込んだ方がいいと思う。
・ ピエロ恐怖症のリッチー。 ピエロが怖いので、もうお手上げです。
・ ビデオ版では、父親から虐待を受けているけれど、性的なものがあることまでは匂わされていなかったベヴァリーですが、今回はっきりと「オレのベイビーガール」といやらしい目つきを向けられていました。 こっそり買ってきた生理用品をにやにやと眺め、ベヴの髪をねっとりと撫でまわす父親のおぞましさよ・・・。 そしてその直後、ベヴァリーは「これのせいで」と吐き捨て忌々しそうに長い髪を切り落とします。 しかし、「長い髪=女性性」を切り父親の性的な関心を背けようとしても、「初潮」の訪れから逃れることはできない。 「女性」になりたくないベヴァリーを嘲笑うかのように、髪の毛と血のシャワーをバスルームに撒き散らすペニーワイズの、徹底したリサーチ力と嫌がらせに対する情熱の濃さには頭が下がりますね。 マネしませんけどね。
・ ルーザーズ・クラブを執拗に付け狙うのはペニーワイズだけではありません。 警官である父親から虐待をされ育ったヘンリーもまた、何かに復讐するかのように自分よりも弱いものを暴力でねじ伏せようとします。 世の中の理不尽を一身に受けているようなヘンリーに、ペニーワイズは鞭ではなくアメを与えるのでした。 凶器というアメを。 ヘンリーもまた、被害者なのですよね。 虐待からの、デリーに巣くう悪意からの。
・ これら、原作よりももっと現実的な恐怖に置き換えられた子ども達の苦境は、短い上映時間で彼らの状況を悟らせるに相応しいものであり、かなり大人っぽくなっていたベヴァリーも含めていいアレンジだったと思いました。 苦境はよかった。 ただ、そこから団結へと向かう経緯がホントに物足りなかったのですよ!わたしは!
・ 彼らがそれぞれトラウマやDVに直面していたことと、命がけでペニーワイズと闘うこと。 そのふたつを結びつけるのは、「自分たちの状況を変えたい」という強い気持ちだったのではないかと思うのですよね。 クローゼットの隙間から覗くペニーワイズの影に震える日々を、曲がり角の向こうで待ち構えるヘンリーたちに怯える日々を、歪んだ愛情を押し付けてくる保護者に苦しむ日々を変えなければ、自分は一生暗闇から抜け出せない。 助けを求める声を無視されるのも、無視するのももうご免だ。
・ ただ、そんな気持ちも彼らひとりひとりだったなら挫けていた。 彼らの前にいつでもビルがいたから、「弟の仇を討つ」という絶対的な正義に裏打ちされた、ビルのブレないリーダーシップに彼らは心酔し、命を預けたのですよ。 本作は、そこが圧倒的に足りなかった。
・ 時間が足りないというのはあると思うのですよ。 たった2時間で個々のトラウマも描き、出会いも描き、心開く様も描いて、団結も描くだなんて、なかなかどうして至難の業ですよ。 でも、過去数百年に渡ってデリーを餌場にしてきた邪悪なピエロに、実質丸腰状態の12歳が立ち向かうんですから、相当の覚悟が必要じゃないですか。 いつ殺されてもおかしくないし、出来ることなら見なかったことにしたい。 怖い、しぬほど怖い。 でも、行かなければならない。 今、自分たちがやらなければ、この悪夢は終わらないから。 彼らの決意とそれを引っ張るビルのカリスマ性。 ふたつが揃わなければ、ペニーワイズとの決戦に説得力がないではないですか。
・ 今回の映画で、ビルのリーダーシップはわたしにはあまり感じられませんでした。 たしかに恨みがある分、他のみんなよりはペニーワイズに対して好戦的でしたけども。 なんか、いっつもベヴと見つめ合ってるし。 明らかにベヴだけ特別扱いだし。 ベヴもビルだけには熱視線送ってるし。 なんやねんおまえら。 つきおうてるのか。
・ その辺の動機の薄さをカバーするためなのか、本作ではルーザーズ・クラブはいちど怖すぎて解散し、そののち、とあることをきっかけにペニーワイズの本拠地へとかちこみを果たします。 そのきっかけとは、クラブの紅一点ベヴァリー・マーシュの失踪。 あろうことか、ベヴァリーはペニーワイズにさらわれてしまうのです。
・ もうこの辺から、わたしの頭の中は「なんでやねん!」でいっぱいだったわけですよ。 ベヴがペニーワイズの死の光を見てしまい、プカプカ浮かぶってどういうことやねん。 で、「ベヴがさらわれた!」ってビルが仲間を呼びに行くのはいいとして、呼ばれるシーンカットされて気づいたら合流してるスタンとマイクどういうことやねん! その二人、かなり積極的に解散してた組だから、呼び戻すトコというか考えを変えて戻ってくるトコ重要じゃん! むざむざ死にに行くようなものだというのに!
・ ベヴァリーは「射撃の名手」というくだりもなかったですし、かっこよく出てきたわりにはありがちな「かよわいプリンセス」みたいな扱いされちゃうし、みんなに対してもあからさまに「ベン>その他のおこちゃま」って態度だし、ホント勘弁してほしいですよ。 ベヴはそういうんじゃないと思うわたしです! みんな対等なのがいいんです!
・ 挙句、光を見てプカプカ状態だったベヴの意識を戻す方法が、ベンからのキスっていうね。 いや、そりゃあね、そこに至るまでに、ベンくんのかわいさとけなげさにノックアウト状態でしたし、ベヴに送った詩の一節が効果的に使われていましたし、甘酸っぱくていいシーンだと思いましたよ。 でも、おもむろに唇にキスして覚醒って、いいのかそれ! 言っちゃあアレだけど、それでいいんならもう後編でオードラをシルバー号に乗せる必要、無くなりませんか?
・ なんでベヴをプカプカさせたのか、わたしにはホントに理解できませんね! もしかして、再団結のきっかけとして原作にあった「ベヴの上を通り過ぎていった男たち」のアレンジだったのかな?! んなわけないか!だったら全員とキスしないといけないしな!(←じゃっかんヤケクソ気味)
・ ペニーワイズとの対決に備えて、銀の玉を用意するくだりが、相手が狼男でなくなった時点で使えなくなったのもわかりますし、原作にあった秘密基地で燻し出されるシーンができないのもわかります。 っていうか、原作は映像化できないシーンの宝庫ですもんね。 ただもうちょっと、「覚悟を決めた子どもたちができうる限りの準備をする」描写ができなかったのかなぁ、と。 すげえ行き当たりばったりな突撃に思えたんですよねー。 脳内で常に原作補完されていたからついていけましたけど、原作もテレビ版も無しで本作だけ観た方、あの辺の子どもたちのテンション、だいじょうぶだったのでしょうか。 だいじょうぶだったのならいいです。 すみませんでした。
・ あと、わたしがいちばん「どういうことやねん!」と思ったのは、エディの吸入器攻撃がなかった点ですね! マジでアレは許せない! 銀の玉は百歩譲っても、エディの「これは酸だ!くらえ!」は譲れない。 言っちゃあアレだけど、それなくしちゃったら後編でエディが体を張るシーン使えなくなりませんか? ああかなしい。 偽薬と告げられた上での吸入器アタックなトコロに意味があると思うのになぁ・・・
・ それとも今の時代の映像作品で吸入器をああいう風に使うのはタブーなのでしょうか。 ヘンリーがベンのお腹を切るシーンはあったのに、マイクに対して黒人差別用語を使うシーンがなかったのも、なにがしかの意図があってのことでしょうし。 エディの骨を折るのもヘンリーではなくペニーワイズになっていましたよね。 腹を切るのはよくて、骨を折るのはダメなのかな・・・
・ まあね、すべての事情はわかりませんよね。 わたしは、もうちょっと時間があれば深く描けたものがあっただろうな、と思いましたし、二度と戻らない奇跡のような子ども時代に重きを置いた作品なのだとすれば、それは大成功だったと思います。
・ やりすぎなペニーワイズ七変化はとにかくたのしかったですし、銀の玉も吸入器もない中ステゴロで正体不明のピエロに挑む子どもたちはわんぱくが過ぎたし、結果ピエロをボッコボコの半殺しにしちゃうのもどうかしてるぐらいおもしろかったですし、各所に散りばめられたスティーヴン・キング作品オマージュや、テレビ版ペニーワイズへのオマージュ、原作通りに登場したポール・バニヤンなど、細々としたこだわりが感じられるいい作品でした。


(エルム街の悪夢オマージュかな? というシーンもありました。 映画館の看板に『エルム街5』がかかっていましたし、時代設定として子どもたちの恐怖の象徴にフレディ・クルーガーがいても不思議はないですよね。)
・ 大人になったルーザーズ・クラブが再結集する後編では、きっとあのポール・バニヤン像があんなことやこんなことになってくれるのでしょうし、亀が数か所に登場していたということは、テレビ版では不可能だったチュードの儀式に挑戦するのかもしれません。 まったく想像つきませんが、為せば成るさ!がんばれムスキエティ監督!
・ あと、原作の大人パートにはデリーの大破壊シーンも含まれていますので、もしもポール・バニヤン&チュードの儀式&デリー大洪水&トムのベヴに対するDV描写&トイレから飛んでゆくおばあちゃんなどを映像化したあかつきには、さぞかしスケールの大きい残酷アクションファンタジーとなってくれることでしょう。 ここはR15+だなんて手ぬるいことを言わず、R18も辞さない覚悟で突き進んで頂きたいものですね! ブラック・スポットの大火災や運河フェスティバルやマフィアの大虐殺とかも、なんだったら思い切って尺を割いてくれてええんやで!
― 追 記 2 ―
・ ダムがないとか、どうかしてるぜ!!!

