fc2ブログ
ブログパーツ

そろそろ、このたたかいをやめるわけにはいかないか?

2020年09月03日
ちっちゃな頃からクソブスで、





15で(恋愛)対象外と呼ばれたよ。
いや、15じゃなかった。 初めてそれを言われたのは、わたしが小学4年生の頃だった。
まだ小4で女性性らしいふくらみもへったくれもなかった頃、とはいえガリガリだったわけでもなくいわゆる標準体型だったわたしに、クラスの男子がいきなりこう声をかけてきた。
「おまえ、からだはいいんだけど、顔がなぁー!」

幼く、ばかだったわたしは、その直前の「からだはいい」に気を取られ、そうか、からだはイケてるのか、などと思いながら「え~?なんだよそれ~」とニヤついた返ししかできなかった。
徐々にダメージを実感しだしたのは家に帰ってからだ。
「顔がなぁ」・・・?
顔がどうしたというのか。 
え?顔に問題でもあんのか? 
ていうか、あれ?もしかしてわたし、ブスってこと?
点と点がつながるとはこういうことを言うのだろうか、自分がブスであるという可能性を認識した瞬間、それまでのそう長くない人生において周囲の男子から向けられてきた視線、向けられなかった視線に合点がいってしまった。
他のかわいい女子にはかけられた言葉、与えられたやさしさ、意味不明な恥じらい。
それらをうけた覚えが、わたしにはない!
翌年、小学五年生のバレンタインデー。 チョコレートを渡した男子から露骨にイヤそうな顔をされた事案が、わたしの中で決定打となる。
わたしはクソブスだった。 
母親からかわいいといわれ、女友達からはひょうきんな子だと評され、男子からは気の合う仲間と認められていたので、それらと容姿とを関連づける機会がなかったけれど、客観的にみてみたら顔のパーツひとつひとつとってもたしかにわたしはクソブスだった。 
なるほど、告白されたこともねえはずだわ、こりゃ。

自分の容姿はイケてないと自覚して以降、わたしはなぞの行動力の赴くまま、あらゆる男子に告白しまくった。
たまたまクラスが同じになった男子、話したことすらない男子、グループ活動で一緒になっただけの先輩、とにかく「いいな」と思ったら即告白して、そして当然のごとくふられた。 
まるでふられるのを待っていたかのように。 
ふられるであろうことを確認したかったかのように。
一度ふられるごとに、「そうだろうなぁ、だってクソブスだもん」と自分自身を腑に落としていたわたし。
あれはいったいなんの儀式だったのだろう。 
自分をいじめたかったのでもない、ワンチャン告白成功して自信をつけたかったのでもない、ひたすら告白してふられて、の繰り返しを経て、わたしは自分の容姿に見切りをつけた。
容姿はどうしようもない、ならばキャラクターで勝負しよう!

高校以降のわたしは、とにかくおもしろがられることだけを目標とし、対異性関係の最重要事項は「おまえっておもしろいな」と言われるか否かの一点となっていた。
社会人になってからの合コンも、場を盛り上げることに傾注し、友人たちが恋を実らせるのを見守る「ええやつ」に徹していた。
わたしが見初められることなど一度もなかったけれど、はなから勝負の土俵にたっていないのだから傷もつかない。
わたしはクソブスであり、おもろい女友達。 それでいいじゃない。 
なにを求めるでもない人生、それもいいじゃない。
きっとわたしは、逃げたかったのだと思う。
クソブスとしての自分を受け入れてしまうことで、逃げてしまいたかった。
だって、ブスなりにかわいいファッションを、とかオシャレなメイクを、なんて少しでも欲を出すと、自分の意思など関係なく否が応でも引きずり出されてしまうから。
「きれい・かわいい」などの絶対的な評価でのみ勝敗を決される、ルッキズムというたたかいの場に。

そう、思えばあの小4の日、男子から一方的にジャッジされてしまった時からわたしはルッキズムという呪いから逃れようともがき続けてきた。
むちゃな告白三昧の日々も、もしかしたら呪いへの抵抗だったのかもしれない。
ジャッジされる前にふられてしまえ。 
他の子たちと比べられる前に「女子」というくくりから降りてしまえ。
わたしはクソブス、わたしは賑やかし担当、おまえらの判定など受けるまでもない存在。
しかし、かなしいかな、どれだけ勝負から降りたつもりでも、ルッキズムはその手を放してくれない。
入社した会社では頼んでもいないのに若さや容姿でジャッジされ、勝手に待遇を変えられる。
これまた頼んでもないのに、取引先の未婚男性とくっつけられそうになる。(ちなみにその相手は、さんざん我が社内で「あの人キモいよね」と評されていた人)(それもどうかと思うけども)
社内の女性陣が同僚や先輩や取引先のイケてる面々とくっつくなか、わたしはおもしろに全振りしたことも仇となり、吉本新喜劇の芸人にたとえられ、笑われることが増えていった。
「おまえ、○○に似とんなー」
かわいい女性の場合、その○○にはアイドルや女優の名前が入るが、わたしの場合は芸人か漫画のキャラクターのみ。
誰がたとえてくれと頼んだ。 
頼んでねえよ。 
いや、勝手にたとえるなよ。 
貶してるんじゃないよ、じゃねえよ。 
積極的に「ブス」をネタにしている芸人にたとえられて嬉しいわけねえだろ。
「かわいい」から降りたはずなのに、周りは「かわいいかかわいくないか」という見方をやめてくれない。

わたしだけではない。 女性だけでもない。
世の中は「イケてるか、イケてないか」で出来ている。
かわいいはつくれる? 
自分が努力して叩きだした百点を、誰かの主観と偏見だけで難癖つけられて減点されるんすけど。
ただしイケメンに限る?
肉がつけばデブ、やせればガリと揶揄され、結局顔がすべてなのだと思い知らされるんすよね、そうなんすよね。
そんなことないよ?中身がすべてだよ? とあなたは言うかもしれない。
それは真実であり、また、真実のすべてではない。
正確には、最初に「容姿」があり、その先に中身があるのだ。 
クソブスは入り口で除外されるのが常であり、容姿に重きをおかない人や好みのタイプがどんぴしゃだった人と巡り合えた場合にのみ門は開かれ、晴れて性格のよさがアピールできるのである。

わたしの話に戻すと、幸運にもいろんなタイプの人と巡り合うことが出来、なにがしかの奇跡も起こってモテる系の人と結婚出来た。自分で言うのもなんだけど、マジでモテる系の人だった。
あと少しの辛抱だ、と思った。 
降りたはずの勝負に無理やり引っ張り込まれるのも未婚の間まで。
既婚者も、少々は「子どもがいるように見えない」だの「美魔女」だのとジャッジされるけれど、未婚の頃ほどではない。
かわいいかかわいくないかだけで態度を変えられ、あからさまに避けられり、端の方の席に追いやられたり、ひそひそと「あの子だけはない」とか言われることはなくなる。だってつきあう対象ではないからね。
あとはとにかく一刻もはやくババアになろう。
40にもなればもうババアの完全体だ。 
ルッキズムの及ばない世界が、そこにはあるに違いない。
ババアこそクソブスの理想郷。 
誰のジャッジに心乱されることもない、心穏やかに生きられる場所。
そう思っていた。 思っていたのに。

時は流れて令和2年。 パートタイムの接客業を初めてはや数年。
白髪も増え、どこに出してもはずかしくない立派なババアになったわたし。 ちなみに白髪は黒く染めている。 接客業なんでね。
同僚は学生ぐらいの年ごろから同世代まで幅広い。
知らない男性からの容姿ジャッジから降りることが出来たと勘違いしていたのはこの仕事を始めるまでで、毎日いろいろな人に接すれば接するほど、理想郷などどこにもなかったのだと思い知らされる。
あのね、ビビるぐらい態度ちがうから。 お客さんもスタッフ同士も。

彼らの基準は「若さ」と「容姿」という二大要素にほぼ全振りされている。
まず、自分より年下か。 
次に、自分の思うレベルの容姿か。次に、自分がゆるせるレベルの容姿か。
自分より年上、もしくは同世代の場合は、判定材料がほぼ容姿になります。
同じババア(アラフィフ)なのに、きれいなババアはちやほやされて、クソブスのババアはシカトされる。 どうだいこのありさま。 ここが地獄の一丁目か。 え?まだ一丁目なの?
まあね、スタッフ間はもうどうでもいいですよ。 仕事しに行ってるだけだし。
だが客、おまえは別だ。
特に年配の客のたちの悪さには閉口するしかない。



こっからが今回の本題。


自由にできる金とありあまる時間をもっている年配の客は、すべての女性店員は自分を接待するために存在しているとでも思っているかのように振る舞う。
キレイかキレイでないかのジャッジも平気で口にするし、年齢も当然のように確認してくるし、こちらの嫉妬を引き出そうとてもいうように別の店員の名前を挙げてお気に入りだなどと宣言する。 しらねえよ。 っていうか嫉妬なんかするわけねえだろ。 頭わいてんのか。
あのな、まず勝手に点数つけんな。
今日のお化粧はあってるとかあってないとか、おまえの尺度でものを言うな。
20代には猫なで声、30代にはクソバイス、40代には愛人設定みたいな態度、今すぐやめろ。
店員がみな、おまえに最低限の節度を保っているのは、おまえが客だからだよ。
おさわりこそしないから客として接しているだけで、一線越えたらその時点でしばくからな。泣くまでしばくからな。
百年に近いレベルでの数十年を生きてきて、おまえが育んできた基準は、容姿がいいかそうでないかだけなのか。
どんだけ貧相な基準よ。 さみしくないのか、その人生。
ああ、さみしいからお店に来て店員に接待させてんのか。
だったらせめてそれ相応のお金をつかって専門店へ行け。

世の中のルッキズムは、もしかしたら金と時間をもっている年配男性がその価値観を変えない限りなくならないのかもしれない。
若い世代はまだ希望がある。 
若い子たちは、容姿だけで人を判断するなんて愚かなことだよ、という言葉を聞こうとしてくれる。
少なからず、変わろうとしている。 すばらしいことである。
しかし、若い子たちの変革を許さない年配男性は、常に自分より年下で自分が認める美しさを持ち合わせているもののみを是とし、そうでないものには価値がないと決めつける。
おもてに出る表現物は権力を持つ年配男性によって制限され、それを「イケてる」ものと刷り込まれた人たちによって、またぞろ世の中にはルッキズムという呪いがあふれかえる。


そろそろやめるわけにはいかないか、このたたかいを。
勝手な基準、勝手なジャッジ。
それにそぐうためのたたかい、それらに抗うためのたたかい。
どちらも不毛だと思わないか。


わたしはクソブス。 そしてババア。 
この低い鼻も、大きくない目も、主張する頬骨も、ひらたい胸も、でかすぎるケツも、「うつくしくない」と思われるすべてがわたしであり、わたしはそんな「クソブス」な自分を気に入っている。
たとえおまえらのジャッジがどうであろうと、だ。

どうか、もっと自由に気に入らせてほしい。
もっと自由に気に入ってほしい。
どこかの誰かに決められた基準にふりまわされることなく、大きいも小さいも、太いも細いも、薄いも濃いも、老いも若いも、それぞれの価値観で気に入ってほしい。
理想郷はまだ存在しないかもしれないけれど、その手で作ることはできるんだぜ。 きっと。





     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

「初めての育児は大変」なんかじゃ全くなかった人に対して抱いてしまう感情について考えてみた。

2017年11月27日



Twitterを見ていたら、この記事に対して「これを読んで腹が立ったのは私だけ?赤ちゃんのために色々調べたり準備したってうまく行かないことも多いのに…こんな風に腹がたつのは間違ってる?」とつぶやかれている方がいたのですよ。
で、もういてもたってもいられなくてですね。 
ブログの編集画面を開いたわけですよ。

間 違 っ て い な い で す よ ! !

と、ひとこと書きたくて。


でまぁ、書いたので終わりにすればいいのですが、なぜそう書きたくなったのかを以下に記してみます。
育児話に興味がない方は、ここでお別れしましょう。
興味はないけど時間を持て余しているという方、もう少しおつきあいください。


とにかく、なにがどうなっているのかと思い、もととなっている記事を読みました。
ざっくりまとめるとこんな感じです。
① 出産前、先輩ママから「大変だ」「なにも出来なくなる」と散々言われていた
② いざ産んだらめっちゃ楽だった
③ 家事も外食も超余裕
④ 生活を赤ちゃんのリズムに合わせればいいだけ
⑤ 子どもが可愛すぎて毎日一緒にいたいから、友だちと遊びたいとか思わない
⑥ 情強なので授乳トラブルとも無縁
⑦ 在宅ワークなので出産前後変わらぬ働きっぷりを実現

まあね、「そりゃよかったね!」って話ですよね! 
全身全霊で祝福したいです!
これ、イヤミでもなんでもないんですよ! ホント、世の中から育児に苦労するおかあさんがいなくなれば、それ以上しあわせなことなんてないですからね!

ではどうして、これを読んだ方の中に「おいおいおい・・・」と負の感情がこみ上げてきてしまう方がいらっしゃるのか。
理由は簡単です。 文章がいちいちケンカ腰だからです。
さきほどのまとめに、それぞれのアンサーを書き足すと
① 出産前、先輩ママから「大変だ」「なにも出来なくなる」と散々言われていた 
→ 「あの謎の脅しはなんだったのだろう」と、もらったアドバイスを脅し扱い

② いざ産んだらめっちゃ楽だった 
→ 「大変大変って言うママさんは自分のペースを貫こうとしすぎだなだけ」と相手の生活を見てもいないのに勝手に断定

③ 家事も外食も超余裕 
→ たまたま泣かないタイプの赤ちゃんだったから実現しているパラダイスを、さも当たり前のように表現

④ 生活を赤ちゃんのリズムに合わせればいいだけ 
→ 主張としては②の繰り返しになるけれど、パワーワード「要領が悪すぎるのでは」が登場

⑤ 子どもが可愛すぎて毎日一緒にいたいから、友だちと遊びたいとか思わない 
→ 遊びたいと思うか思わないかは子育てという現実から逃避したいかしたくないかということとも関連があるので、どっちだろうと責められるいわれなどないのに「こんなに可愛い時期なのに、そもそも友達と遊びたいか? と思う」と余計な呪詛を追加

⑥ 情強なので授乳トラブルとも無縁 
→ 「正しいやり方をしたり、必要な準備や手配をすれば、全然そんなことにはならない」と、暗に「情弱なおまえらがダメなだけ」宣告

⑦ 在宅ワークなので出産前後変わらぬ働きっぷりを実現 
→ 授乳の時間を情報のインプットにあてたり、生産性を高めることは可能、とあくまで手のかかっていない状態だから出来ることを、まるで誰でも出来ることであるかのように突きつける

これですね「おわー!こりゃでっけえ釣り針だなぁ!」と野沢雅子さんボイスで叫ぶことも可能だと思うのですよ。
でもわたしは、炎上目当ての煽り記事ではなく、この方は本当に純粋な気持ちで「なんでみんなこうしないの?」と無邪気な疑問を抱いているのではないかという気がするのです。
たまたま出先で泣かない赤ちゃんだった。 
たまたま夜泣きにも苦労しない赤ちゃんだった。 
たまたまおかあさんのおっぱい具合と赤ちゃんの飲むペースがマッチした。
この方の出産・育児にたくさんの「たまたま」が重なって起こった奇跡。 
その幸運をそうでなかった人に「当たり前」として突きつけるのは、時に、単純な言葉で罵倒するより傷つけることがあるのだと、この筆者さんは気づいていないのではないでしょうか。

「成長する瞬間をもれなく目の当たりにしたい。一つも見逃したくない」? 
もちろんそうですよ! 
赤ちゃんがかわいくないわけがないじゃないですか。 
ずっと見ていたいですよ。 
でもね、耳鳴りがするほどの鳴き声をずっと聞いていると、「あ、やべえ、これ心が壊れるぞ」って瞬間があるんですよ。
ゆるウンの猛攻と肌着の洗濯乾燥とのせめぎ合いに疲れ切る瞬間があるんですよ。
そうそう布団が乾く時期じゃねえぞ?って瞬間があるんですよ。

「自分のペースを貫こうとするのだろう、夜に寝て朝に起きることにこだわるんだろう……」?
そんなのとっくに諦めてますよ!
諦めた上での寝不足って、現実あるんですよ。

「赤ちゃんが眠っている時に自分も一緒に眠れば、最大で20時間近くは眠れる」?
実際に出来ることと、数字上可能なことをごっちゃにして話すとロクなことにならないって、じっちゃん言ってた!

「赤ちゃんは理由もなく泣いたりしない。理由はある。それがわかれば、そこに対しての対策が打てるから、外食もできるし、人前で泣かれてどうしようもなくなることもない」?
どれだけ対策を講じても、どれだけ必要な準備をしても、どれだけ赤ちゃんのことを第一に考えがんばっても、なにも通じないことってあるんですよ!
言葉の通じない生き物ですから、むしろ対策なんてないと思った方がいいとわたしは思います。 事実、どんな赤ちゃんにでも使える対策なんてないですし。
その子その子に合わせて臨機応変にやるしかないし、社会もそのように理解してくれれば、「出先でギャン泣きされておかあさんが周囲に平謝り」みたいな光景もなくなるんじゃないですかね。
少なくともわたしは、この記事を読んで「対策、できるんじゃないの?」なんていう人がいたら、それがどれだけ間違っているか全力で説明します。 「もういいです」って言われるまで説明します。

「わたしは楽でした!」だけの記事なら、読んだ方も「よかったね!」で済んでいた。 
そこには幸せな世界が広がるはずだった。
けれど、「幸運」を「当然」として紹介し、あまつさえ「要領が悪いだけ」と実際試行錯誤してがんばっているおかあさん方を切り捨てるような言葉をつかってしまっていたこの記事。
腹が立ちますよね。 
わかっているし、やっているし、それでもダメだし、だけど子どもかわいいからしんどくてもなんとか乗り越えてるっていうおかあさん方には、思う存分腹を立てていただきたいです。

すごい他人事みたいな書き方していますが、わたしも10年ぐらい前だったら「おいおいおい・・・・?!!」って前のめりになっていたと思います。
なんだったら泣いてました。 きっとそうです。

これはあくまでわたしの想像ですが、この筆者さんは、妊娠中のたのしさや不安が入り混じった時期に、お知り合いのおかあさん方から苦労話をたくさん聞かされたのですよね。
赤ちゃんが出来てうれしいのに、入ってくるのは「大変だよー乳も詰まるよー自分の時間なんてないよー」というネガティブな情報ばかり。
筆者さんは、経験談の数々を「出産」という一大イベントにかけられた呪いのように感じた。
この記事は、それに対する呪詛返しなのではないでしょうか。
ただし、ネガティブな経験談ではなく、ポジティブな成功談という形での呪詛返し。
モロに喰らわないよう目を背けるか、「よかったね!」と白目をむいて泡を吹くか、「うっせえな!」と毒を吐き、この方のことを忘れましょう。 
それでいいんですよ。 
あくまで一例、それだけの話なんです。


出産・育児の話をするとき、わたしはどうしてもネガティブな内容を大きめのボリュームで話してしまいます。
それは、不幸自慢がしたいのでも、苦労自慢がしたいのでもないのですよね。
きっと、ただ、「よくがんばったね」と言って欲しいのではないかと思うのです。

「陣痛に何日間耐えた」「全然寝ない子だった」「乳が詰まって地獄を見た」「座ったら起きるシステム内臓型だった」「飲んだら吐いた」「なにやっても泣いた」「なんでも拾って食べた」「目を離した瞬間死ぬかもしれないので、コンビニ程度ですら家を空けられなかった」
何時間でも話していられるネガティブトーク。
ポジティブトークを振られても、ボキャブラリーがびっくりするほど貧困になり、「うちのこかわいい!」ぐらいしか発せなくなるというのもあるかもしれませんが、とにかくネガティブトークははかどるんです。
なぜなら、わたしたちは、ただ、褒められたい。
「すごいね、がんばったね」「いつもありがとう」と褒められたい。
おかあさんあるあるで盛り上がりたい。
「そりゃ大変だったね」「わかるー!うちもー!」と傷をなめ合いたい。
そのひとことが次の一日への糧となるんです。



子育てに完璧なやり方なんてないと思います。
要領だって、たしかに経験を積んでコツをつかむということはあるけれど、つかんだ頃には子どもは次のフェーズへと進んでいるものなんです。 
彼らは確実に進化し、要領はじきに通用しなくなります。
それがたのしくもあり、大変でもあり、しあわせでもあるんですよ。 
それが子育ての醍醐味だと、わたしは思っています。

同時に、不幸なことにどこまでいってもしんどさばかりで、醍醐味を感じられないおかあさんもいることを知っています。
だから、どうか、現在進行形でおかあさんをやっているみなさんには、自由に腹を立てて、自由にネガティブトークで盛り上がって、自由に親バカして、時には現実逃避して、ラッキーな体験談や理想的なやり方に振り回されないでいただきたいのです。
そして、もしも誰かが「こんなに大変だった」とつぶやいたなら、「おれたちよくやってるよね・・・!」と肩をたたきあいましょうよ。
みんなえらいじゃん! どこにも正解なんてない中、よくやってるじゃん! 

「わたしにはできるのに、なんでみんなは出来ないの?」という前に、もっと今、お互いがやっていることを褒め合いたいものですね!
わたしも数え切れないぐらい大変な日々はあったけど、うちのこ世界一かわいいですし、子育てさいこうです!
それもこれもみな、しあわせな日々です!!


(※ 文章中の「おかあさん」を、子育て中のすべてのみなさんに当てはめていただけるとさいわいです。 ちいさい存在を守ろうとがんばっている人は、みんなえらいのです!)






     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

PTAは燃えているか。

2015年05月25日
昨晩、Twitterを眺めていたらこんなツイートを見かけまして。




「PTA大会での挨拶やPTA新聞からは分からない空気感」
「隣で悶絶」

という言葉がいい感じに「さぞかしヒドいこと言ってんだろうなぁ」感を醸し出していたため、早速元記事を拝見させて頂いたのですが、これがまぁ結構な具合にアレなインタビューとなっておりまして、よくぞここまで本音を引き出したなぁと感心すると共に、やはりPTAは死ぬしかないのか・・・と改めて思ったりしちゃったりなんかして。

ということで今回は、ヒドいものの、ある意味想像の範疇を出ていない「こんなもんでしょ」的な内容だったインタビューに、日本PTA全国協議会会長とは異なる「PTA観」を持ついちPTA会員として、いちいち突っ込んでみたいと思います。




(※ 以下、引用はすべて朝日新聞デジタルさんの【PTAに関する読者の疑問、組織トップの回答は?】からのものになります)


――アンケートにはPTAに対するたくさんの不満が寄せられました。

 「やらされている」という意識が強くなっていると感じます。PTAは、地域の人と一緒に子どもたちを育てる「地域活動」。ゴミ出しや掃除当番などで、みんなが地域のお世話になっている。その分、地域に貢献しようという気持ちがあるかないかが問題です。



「地域と一緒に子どもを育てる」ってよく言われるんですけどね、もちろん登下校時の声掛けや見守り、学校でのボランティア活動など地域のみなさまにお世話になっている部分も多々あるのですが、一方で、ちょっと公園で遊んでいたら「ゲートボールやるからどっか行け」だの、朝の挨拶したら無視されるだの、ゲームをやらせていたら「最近の子どもはゲームばっかり」って嫌味を言われるだの、感謝の気持ちが吹き飛んでしまうような部分もあるわけで。
そういう醜い現実はないことにされ、頭ごなしに「感謝しろ」「貢献しろ」と言われても、そりゃ素直にそうは思えませんて。


――「やらされている」と感じる要因には、共働きの増加など家庭環境や時代の変化があるのでは。

 「共働きだから忙しい」「他にやるべきことがある」という理屈はよく分かりません。私だって仕事をしながら週4日ほどPTAに関わり、妻も働いています。おそらく一番忙しいと思いますが、「地域のため」「子どものため」と思うからやっている。自分の経済活動や自分の子どもだけのためのことばかりしたがるのは残念です。



で、でたー!! 「オレがやっている(出来ている)んだからお前もやれ」論ー!! そしてさりげなく放り込まれた「オレが一番忙しい」宣言ー! ミサワかー! これはミサワ的なアレなのかー!

「自分のことで精一杯なのだろう」とは考えず、「自分のことしか考えていない」と紋切ってしまうのもいかにもアレな感じでウワアア・・ってなりますね!


――共働きだったり忙しかったりしても、言い訳にはならないということですか。

 そうです。例えば、私の子どもが通う小学校は、不審者が入ってこないように、保護者全員が持ち回りで、1日2時間、3交代の門番をしています。一人親家庭は仕事を優先していいことになっていますが、そうではないのに「仕事があるからやりたくない」「なんでやらないといけないのか」という保護者がいました。みんなでずっと続けているからこそ、不審者が一人も入っていないということを分かっていないのです。会社の制服や作業服のままでもいいから、全員に参加するように頼んでいます。



こういう場面で「なんでやらないといけないのか」とゴネ始める保護者、いますよね。 迷惑ですよね。 
それはわかります。 わたしもそういう事言われた経験ありましたし。
そしてそういう時、「子どものためなんだからやろうよ」と強要したくなる気持ちが込み上げるのもわかります。
けれど、みんな生活も価値観も違う人間なんだから、意見なんて食い違って当然なんですよね。
どうして来るか来ないかわからない不審者のために毎日門番をしなければいけないのか、とか、
たとえば「みんなでお金を出し合って警備員を雇ったり監視カメラをつけたりする」という方法ではいけないのか、とか、
一人親は仕事を優先しても許されるというならば、共働きで家事と育児面で配偶者からの協力が全く得られていない人に対する免除もあって然るべきなんじゃなかろうか、などなど、疑問を抱く方もいらっしゃるでしょう。
そこで「いいえ!全員参加です!(キリッ)」と言い張るのではなく、全員とは言わずとも少しでも多くの保護者に納得していただけるよう話し合うようにしないと、ますますみんなの心は離れていっちゃうンだよ・・・! もっと優しく・・・抱きしめて・・・!(抱きしめなくていい)


――「PTAは必要か、不要か」というアンケートでは、不要という意見が多くなりました。率直にどう思いますか。

 絶対に必要。



だーかーらー! 絶対とか言うから煙たがられるんじゃんか! 
言葉の根拠はわからんが、とにかくすごい自信だ・・・!


――なんのためにですか

 子どもたちのため。親が自分の子どもだけに関わっていては、いい子には育ちません。帰属意識や規範意識、地域を思う気持ちなど、PTAは人間形成にもってこいの場。そうした意識は、安定した日本の労働力を確保することにもつながります。それを「いらない」なんて、よく言えるなあ。きっと地域とのかかわりが薄いか、何らかのトラブルがあった人たちなのでしょうね。



なんかもう「安定した日本の労働力」とかどこがどうPTAと関係しているのかよくわからなくなっているのですが、とりあえずPTAをやっていれば真人間になれます!ってことでいいのでしょうか。 あのさ、北風と太陽って知ってるかな? 押し付けられた価値観をそのまま受け入れる人って、そうそういないよ。 
っていうか、ここでのナンバーワンは「何らかのトラブルがあった人たちなのでしょうね」発言ですね!
PTAをいらないなんて言っちゃうヤツは、もはや平坦な人生を歩んですらいない断定・・・! 日P会長・・ 保護者の生い立ちが見えてしまう男・・・! 


――会費の使い方に対する疑問の声も多かったです。学校の予算の一部のように扱われているという指摘もありました。

 それはおかしい。変えなければいけませんね。会費はPTA活動のために使うべきです。確かに、学校の予算が足りないことはある。だけど、私は学校の本を買うお金を、地域の企業に寄付してもらいました。普段しっかり活動しているからこそ頼めたのです。地域としっかりした関係を築いているかどうかにかかっています。



わたしはPTAの会費や収益を学校のことに使うのは賛成なのですよね。
地域の企業から寄付して頂いたお金って、結局PTAの収益と同じことなんじゃないかと思いますし。(バザーの時なんか普通に協賛金として頂いていましたし)
どこからが学校の予算でどこまでがPTA活動なのかという線引きに、明確な答えを出すのは正直難しい。
なぜなら、突き詰めれば全て「子どもたちのため」ってことになっちゃうじゃないですか。
市からお金がおりない細々とした部分をPTAで負担するのって、別におかしいことではないと思います。
当然ですが、その使い方を保護者のみなさんに説明して、同意頂くことが大前提ですけどね。


――では、会費の使い方を指導しているのですか。

 それぞれのPTAが決めたことに入っていくことはできません。実際、PTA活動以外に使われるケースは、そんなに多くないと思いますよ。PTAのことをよく思っていない人がそう指摘しているのではないでしょうか。



またそうやって「文句を言う人=アンチPTA」と決めつける~。 日Pくんのそういうトコ、よくないと思う・・・。
とはいえ、実際クレームばっかつけてくるような保護者もいるっちゃあいるので、そういう時は伝家の宝刀「その件はPTA総会で承認されていますが・・?」をお見舞いしてやろう! 


――役員の決め方への不満も根強いです。

 確かに、強制的にやらせるようなよくないやり方も見受けられます。変えることはエネルギーを使うから、同じやり方が続いているのでしょう。それは少しかわいそう。



本 日 の お ま ゆ う ス レ は こ ち ら で す か 。


――役員決めの方法を見直したり、活動をスリム化したりと、各地の会員がPTAの改善に動き出しています。アドバイスはありませんか。

 よく話し合うことが大切。「仲良しクラブ」のように一部の人たちだけで変えようとしても難しい。「この活動は必要だ」という人の意見を聞かずに、「私たちは必要ないと思う」と言っても仕方ありません。それぞれのPTAにそれぞれの事情があるので、日Pとして「こうしなさい」とは言えないけれど、がんばってほしい。



日Pくんには、同じぐらい「この活動は必要ないと思う」という意見にも耳を傾けてほしい・・・


――会員の間に「PTAは入退会自由」という認識が広がってきています。周知する考えはありますか。

 確かに任意加入が原則で、会員と非会員を差別するものではありません。ですが、あえて周知する必要はないと思っています。すべての保護者と教師が、良い教育環境をつくるために集まっている会で、みんなが一緒にやらなければよくならない。「入会」「退会」という考えはそぐわないのです。体を出せない人は、お金を払うことで「参加している」ということになると思います。



「あえて周知する必要はない」のは、もしも周知してしまったらみんな泥船から逃げ出してしまうと思っているからなんだろ・・? 正直にゲロして楽になっちまえよ・・・?

繰り返される「みんな一緒じゃなきゃダメ」「いいことなんだからつべこべ言わずやれよ」「がんばれば出来るだろ」の一点張りにめまいが止まらないのですが、そもそもこの「お金で片づけようという根性が賎しい」という風潮って、いつまでのさばり続けるのでしょうかね。
「忙しくてもつらくてもがんばって体を張る」ことこそ美しいみたいな、「バランスの整った手作り料理」こそが愛情の証みたいな、「子どものため」という脅迫じみた文言のもと保護者に押し付けられる価値観のせいで、肝心の保護者がダウンしてしまっているという現実となぜ向き合わないのか。
お金で仕事がひとつ減るのなら(そして幸運なことに払えるお金があるのなら)、インスタントで時間と労力が短縮できるのなら(そして最近のインスタントはたいがい美味い)、それでいいんじゃないですかね。 
子育てを「苦行」に至らしめるような要素なんて、どんどんへつっちゃえばいいとわたしは思いますよ。


――お金を出すだけで許されるのなら、こんなに不満は出ないのではないでしょうか。

 お金の前に、まずは地域との関係をしっかり構築することが大前提です。



PTA連合とかPTA協議会とか教育委員会とかって、ホント「地域協働」が好きなんですよねー。
こっち(保護者側)ばっか歩み寄っても、肝心の地域が歩み寄ってくれなきゃどうにもならないんだけどなぁ。 


――役員を断って陰口を言われたり無視されたり、「大人のいじめ」のようなことも起きています。

 「ちょっとぐらいのこと」としか思わないんですよね。人が集まるところでは、いじめのようなことは起こるものです。そんな時に相談相手や解決方法を探ることも、周囲との関わり方を身につけることになるのではないでしょうか。それも経験。それなのに何かあると「辞める」とか、「あの人が嫌いだから行かない」とか、自分の子どもがやったら注意するようなことを、大人がやってはいけない。



「ちょっとぐらいのこと」と思えないぐらい悩んでいる人が多いからこそ、これだけ問題になっているんじゃないかと思うんですけど、まぁ、もう日Pくんには何を言っても同じかもしれん。 だって日Pくんには「相談相手」もいて「解決方法を探ること」もできる、所詮「それぐらいのこと」でしかないのだから。
とりあえず、もしも自分の子どもが「いじめられたからもう学校行きたくない」と泣いていたら、「それぐらい」で済まさず、まずは「逃げてもいいんだよ」というところから教えてあげたいですけどね、わたしは。


――陰口や無視も気にするな、と。

 断る理由があったら、別に気にする必要はないじゃないですか。



いかにも「強い」人の言葉だなぁ。 
これ、ホントにつらい思いをしている人の前でも言えるのかなぁ。
言えるんだろうなぁ。


――会員の悩みや不満に対して何かできることはないですか。

 何か手をさしのべてあげたいけれど、数が多すぎて一つひとつは対応できません。不満を減らそうとするのではなく、「一緒にやっていこう」という前向きな意識になるよう努力したい。その第一歩は、日P全国大会などで情報を発信し、意義を理解してもらうことです。



これはホントにそうだと思います。
全国のPTAをまとめる日本PTA全国協議会に個々の悩みに対応することなんてできるはずがない。
「PTAはたのしい」、と、保護者の印象が変わるような前向きな発信を続けてゆくぐらいしかないでしょう。
だからこそ、いつの間にか子どものプリントに混じって配布されていて結局日の目を見ないまま廃品回収行きになる広報紙ではなく、この新聞記事のように、広く人の目に留まるような形での発言にはもっと心をくばってほしい。
PTAに加入している人や、脱退した人や、将来加入するかもしれない人や、その他様々な人の心に何を伝えたいのかを、しっかり考えた上で発言してほしいのですよ。
このインタビューを読んで、「よし、PTAで一緒にやっていこう」と前向きな意識になれますか?
わしゃならないね!



――その全国大会など、上部団体からの動員が大変という声もあります。

 全国大会は、活動エリアが地域に限られていた人たちが殻を破るチャンス。全国に情報発信するために、各地に参加をお願いすることはありますが、参加する意義も明確にあるのです。



だーかーらー! 「参加する意義」が伝わっていないんだってば! だからみんな行きたがらないんだってば!  もうやだこの人!


――日Pの存在意義とは。

 国の教育政策に、保護者として意見できるという役割は大きい。



それは日Pでなくても出来るんじゃなかろうか。 (市P、県P単位でもやってるし)
っていうか、国の教育政策に「PTA活動は安定した日本の労働力の確保につながる」ってわけのわかんない意見をくれてやるつもりなの・・・ もぅマヂ勘弁・・・


――「日Pは必要ない」という人もいます。

 それは日Pを知らないからでしょう。しっかり保護者の意見を集約して、日本の子どもの教育環境の底上げをしていきたい。



今回のインタビューだけでも、全く保護者の意見を集約出来ていない感じが凄まじく漂ってくるのですが、それはどうすれば・・・


でもまぁアレだ、なんか良くも悪くも日Pの名前が知らしめられた感触は、朝日新聞の記者さんのツイートからもビシビシと伝わってきますので、会長の願いは叶えられたのかもしれんな! 会長!なにはともあれおめでとうございます!


そもそも「日本PTA全国協議会」の会長というポジションが、誰の手によってどのように選出されているのか、さっぱりわからないという問題もありますし、「この手の組織は上に行くほど存在価値がわからなくなってゆく」という現象は、今までPTAに割と深く関わってみて嫌という程実感しておりましたので、今回の日P会長インタビューは最初にも書いた通り「やっぱりこんなもんか」というぐらいの印象でしかなかったですねぇ。
逆に、もっときちんとした認識をもった人が上にいたならば、末端にいる単Pももっと気楽にPTAに関わっていけるようになるかもと思うぐらいで。

改めて言うまでもありませんが、保護者たちの意見が「日P」の意見ではありませんし、日Pは単Pとは全く別の生き物だと思って頂く方が、我々現役PTAとしてもありがたいです。
日P会長・・というか日本PTA全国協議会は、「PTA活動しないなんて人としてどうかしている」ぐらいな決め打ちで物事を語っているようですが、出来れば今回どうして多くの人の反感をかってしまったのかということを今一度考え、保護者たちが「前向きな意識」でPTA活動に参加したくなるような、ゆるいPTAを目指して頂きたいものですね。
トップがゆるけりゃ、みんなもキリキリせずに済むようになるかもヨ!





     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

PTA・オブ・ザ・デッド

2015年03月27日
先日こんな記事を見かけたのですが、内容があまりに「PTAあるある」に満ちていたため、突発的に「わいもわいも病」(※自分もなにか一言いわずにはいられなくなる謎のやまい)を発症してしまったアガサです。こんにちは。






あるある!(※ ホステス部分に強く反応)

ということで、今日はわたしが見てきた「PTA」について、ちょこっと記してみたいと思いますよ。
なお、これはあくまで「わたしが知る範囲」でのことですので、すべての「PTA」を代表する意見ではありませんし、すべての「PTA」を説明する文章でもないことをご了承ください。


【誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいPTAのすべてについて教えましょう】

聞かれていなくても書きますよ!
まず最初に確認させていただきますが、世間のみなさんが「PTA」に対して抱く印象をザックリとまとめてみますと、

・ ザマス眼鏡をかけて教育委員会に押しかけるクレーマー集団

・ 次年度の役員決めのタムリミットが近づくたび、いたいけな保護者にヤクザ消費者金融の取り立て屋さん並みの追い込みをかける恐ろしい集団

・ 教職員はおろか、校長をも黙らせる圧倒的パワーを持つ超法規的集団



といったトコロなのではないでしょうか。 
おおむねこんなトコロなのではないでしょうか。
しかし、これはほとんどだいたいおおむね間違いなのですよ!


実際の「PTA」(さらにいうと実際はPTA役員)とは、

・ 人前に出ることを強いられるため、なけなしのお金をはたいて最低限の小奇麗ファッションを揃えているだけの一般的な保護者であり、ことあるごとに「慣例」を押し付けてくる教育委員会に太刀打ちすることなどできないか弱い集団

・ 次年度の役員決めのタイムリミットが近づくたび、「できません」の文字が並んだ「ボランティアを募るアンケート用紙」の束を前に途方に暮れ、同じ人にばかり役割を強いらないよう役員経験のない人に電話で打診すればことごとく断られ、ママ友ネットワークをフルに活用し知り合いに泣きつくも諸々の事情でやんわり拒否られた末ママ友の信頼度そのものにもヒビが入る羽目になり、万策尽きた結果もう一年自分が連投せざるを得なくなる人続出のかわいそうな集団

・ 教職員には「役員なんだから当たり前」とばかりに下働きを与えられ、学校行事を取り仕切る校長からの「依頼」と個々の保護者からの「苦情」の板挟みというたのしくない役割を無償で務めさせられる超しんどい集団



といったトコロなのです!
おおよそこんなトコロです! ここだけはご理解いただきたい!
ホントにね、あたしゃね、インターネッツでなんかっつったら「PTA」すなわち頭の固いヒステリックババアの集まりだみたいに言われるのが忍びないのですよ!
もちろん、頭の固い人もいますよ。 しかし、それは「PTA」に限ったことではないですし、そもそも「PTA」として出されている「ありがたい意見」は本当に保護者たちが出した声をまとめて作られているのか?という疑問もありますし。
お役所が作った「提言」の代表名が「小中高PTA連合会長」になっているだけで、では会長本人ならその提言にツッコミがいられれるのかというと、「例年通りですので」ってけんもほろろなリアクションなんてこともザラですし。
あと、「PTA」と「モンペ」は全く似て非なるものですからね。
モンペがPTAなのではないのです。  PTAという団体の中にモンペも交じっているということなのです。


【誰がためにPTAはある】

近年、その違法性も指摘されるようになってきた「PTA」。
何が違法なのかというと、「任意加入」の団体であるはずなのに、実質は「強制加入」であるという点でして、入学と同時に大した説明もなく自動加入したことになっており、会費も学級集金などと一緒にしれシレっと回収されているというのはいかがなものか、と不信感を抱く保護者が増えてきたということなのですよね。
いちおうPTA総会で配る資料には一通りの説明がなされているはずなのですが、総会に出席しない(出席できない)という方には伝わりませんし、伝わったところで簡単に退会できるものでもありませんので、いずれにせよ「なんかヘンなシステム」であることには変わりないですし。

ここで浮かぶのが、そもそも、「PTA」はなんのために存在しているのか?という疑問です。 


なんのためなんだろ・・・


・・えっと・・・ ・・こ・・子どものため・・?(正式名称はParent Teacher Association)


PTA役員のお仕事に、どんなものがあるのかといいますと、

・ PTA新聞の発行
・ 研修会の準備
・ 講演会の準備&進行
・ 運動会のサポート
・ 校外スポーツ競技会のサポート
・ 交通安全関連
・ 校外補導(お祭り時)
・ バザーの準備&運営
・ 地域との癒着協働事業

が主なトコロなのではないかと思います。(本当に“主な”ですので、実際は細々としたものがわんさかありますが) 
その多くが子どもにかかわるイベントですし、だからこそ、「よっしゃ子どものためにいっちょがんばるか」という気力も振り絞れようというもの。
しかし、いざこれらの仕事をヒーヒー言いながらなんとかやり終えた年度末、うちのちびっこがわたしに告げた言葉はこれです。

「おかあさん、もうぜったいPTAしないでよね!!」

なぜちびっこはこんな非情な一言を浴びせたのか。
理由は簡単です。
わたしがPTA役員を引き受けたせいで、ちびっこはわたし(保護者)とのふれあいタイムをなんども妨害されたから。

きっちり晩ご飯時(午後7時)を狙って行われる数々の会議のせいで度々留守に。(※9時だと遅すぎるし5時だとお仕事が終わっていない方がいるので必然的にこれぐらいの時間になります)
せっかくの運動会では裏方でのお茶くみや接待、競技の準備などに追われるため、のんびりと子どもの競技に集中できない。
夏祭りやバザーもまた然り。
興味のないスポーツ競技会に連れ出され、選手が足りないと言われれば名前を入れられ、親子の貴重な休日をつぶされる。
高学年ぐらいになれば、子ども自身が親とくっついていることを望まなくなりますので、また事情は変わってくるでしょうが、うちの場合ちびっこがまだ低学年(幼児)の時でしたので、ホントに毎回毎回ジットリと恨みのこもった眼差しを向けられましたよね。 何度「またPTA?!」と言われたことか。 
結果、「もうPTAしないでよね!!」発言ですよ。 まぁそりゃそうなりますよね。

ちびっこがお世話になっている学校のお手伝いになるから。
イベントに直に関わるのでちびっことのふれあいにもプラスになるかも。

そんな気持ちが悲しいほどに実らなかった役員活動。
わたしの中にはいちおうの達成感が残りましたが、ちびっこの中には確実に「PTA」に対するネガティブイメージが植え付けられてしまいました。
これでいいのか「PTA」。
ホントのトコどれだけ子どもたちのためになっているんだ「PTA」。


【PTA・オブ・ザ・デッド】

各ご家庭から徴収されたPTA会費がどう使われるのかの内訳にも目を向けてみますと、もっとも大きい支出として「児童会・運動会・入学式・卒業式」などの事業費、その他「PTA新聞発行費」「コピー・インク・用紙代」「校外活動費」「学級活動費」「市や地域への上納金」などなどがあると思います。
児童会や各種式典での経費はともかく、毎回人集めに奔走しなければならない鑑賞会を、人集めも大変でしんどいことこの上ないスポーツ競技会を、人集めに苦労する講演会を、人が集まらないので結局役員が行くしかない研修会を続ける必要はあるのでしょうか。
編集する役員の負担が大きい上、ほとんどの人が読まないPTA新聞を出す意味はあるのでしょうか。
単Pが各学校でPTA新聞を発行し、単Pから市PTA協議会への上納金(負担金)を使って市P連が市P新聞を発行し、市P連から県P連への負担金で県P新聞を発行し、県P連から全P連への負担金で全P新聞っておまえら新聞好きすぎるだろ。(※広報誌とも言います)

バザーを心待ちにしている近隣住民の方もいるでしょう。
役員が腕によりをかけた屋台で、食べ歩きをしたり格安のおもちゃをゲットすることを楽しみにしている子どもたちもいるでしょう。
続けることを期待されている事業もある。
そして、あまり望まれていない事業も確実にあるのです。

それさえやめれば、会費だって今の半分で済むかもしれないし、役員の負担も減るでしょう。
しかし、事業を減らすことは容易ではない。
役員も会員も子どもたちも関心がない事業が、「例年どおり」という呪縛のもと連綿と引き継がれてゆくさまは、憤りというより虚しさを誘います。


わたしは過去、PTA会長を1年、顧問を1年、本部役員を計3年、クラス委員を計2年、その他もろもろの経験をさせて頂いたのですが、その間、
「このままじゃいかん」「どうせやるならたのしいPTAを」
をいうポジティブ思考のもと、なんとか「例年どおり」を打ち破るべくいくつかの提案を出してきました。

たとえば「運動会の日の手作り弁当廃止案」。
各自用意してきたお弁当を(可能な家庭は)家族一緒に食べる、というルールは、家族が来られない子どもにとっても、朝早くから大量のお弁当を用意しなければならない保護者にとっても、負担が少なくありません。
実際、わたしが役員をしていた年で、前日の夜中まで雨が降ったため、急きょ当日の朝役員総出で校庭にたまった雨水をくみ取る作業を行うことになり、結果4時起きで家族6人分のお弁当を仕込み、6時からスポンジ片手に校庭に這いつくばり、7時からテントの設営をし、8時から来賓の受付をするというアホほどハードなこき使われ方をした年がありましたからね。 もちろん、運動会終了後も設備の撤収と後片付けも込みですよ。 アホか。 アホなのか。

まぁ、そんな極端な例はさておき、
「給食にしてしまえば子どもは子どもで一緒に食べられるし、親も外に出るなり校庭でとるなり自由にできるのではないか」
と提案したところ、一斉に「手作りのお弁当のあたたかさ」を説かれましたよね。他の役員と校長先生に。 
「じゃあせめて手作りしてこなくてもいいよう、当日お弁当屋さんに売りに来てもらえばいいのではないか」
と言ってみましたが、
「その弁当屋さんとの交渉は誰がするのか」「事前注文なのか、だとしたら誰がお金や注文書をとりまとめるのか」「当日PTAからも弁当受付担当者を出すべきなのではないか」
などなど自動的に仕事が湧いてきて、結局「そっちのほうが大変なんじゃね?」という結論に達してしまったのですよね。 うん、わかるけどさぁ。

その後、
「とにかく役員と校長だけで決めるのではなく、一度ぐらいは全保護者宛てにアンケートを出して意見を聞いてみようよ」
と再提案するも、
「そうだね、でも今年はもうスケジュールいっぱいだからまた来年ね」
ということになり、そのまま話は立ち消えに。

他にも、「誰がこんなもん観たいんだ」と突っ込みたくなるような文部省推薦映画上映会の却下やら、地域のベテラン保護者のみなさんに新米保護者がネチネチやられる地域交流会の規模縮小や、アホの一つ覚えのような「あいさつ運動」の変更や、闇雲に時間を浪費するだけの総会での資料読み上げ廃止や、転勤しないため学校のヌシのような存在になっている購買部門責任者のガサ入れなど、役員の権限を使って変えられる点はないか、いくどが試みましたがどれも実現できませんでした。
それは、「とりあえず例年どおりでいいじゃないですか」の壁が厚かったためでもあり、さきほどのお弁当の件のように、変えようとすると別の手間が発生することが多いためでもあります。 
一概には言えないのですが、とにかく変えることは容易ではない。 1年の任期期間だけではなおさらのこと。

これから先は、今まで以上に児童の数も減ってゆくと思われます。
PTA役員というボランティア活動に、時間と気力を割り振る余裕のあるような保護者も、ますます少なくなるでしょう。

いつか「PTA」は死ぬだろう。

いや、すでに死んでいるのかもしれない。 

「例年どおり」であろうとすればするほど、「PTA」が破綻という名の死を迎える日は近づくのではないかとわたしは思います。


【新しきPTA】

「PTA」の予算はすべての子どもにかかわる事業に割り振られますので、もしも自由な任意加入が可能になった場合、会費を払っている会員の中に非会員への不満が芽生えることは絶対に避けられないでしょう。 
「なんでわたしたちが払ったお金であの人たちが・・」と。 
まぁ、だからこそ任意加入に踏み切れない学校も多いのでしょうし。

しかし、今のまま「いつの間にか会員にさせられていて、いつの間にか会費を徴収されている」状態を続けていても、保護者の「PTA」に対する関心の低さはきっと改善されません。
一斉退会や収入の減少を恐れず、まずは、「自分の意志で入退会を選択してもらう」ことが、新しい「PTA」の第一歩なのではないでしょうか。
仮にそれで、過半数を超えるほど会員が減って、もはや「PTA」の存続は不可能!みたいなことになったとしても、もうしょうがないじゃないですか。 そういうことなんですよ、きっと。
「PTA」がなくなったら一番困るのは、子どもたちではなく教職員の方々なんじゃないかと思いますので、あとは市町村のえらい人や教育委員会になんとかがんばってもらいましょうよ。 ね、そうするっきゃないですよ。

やはり、「PTA」を待っているのは穏やかな死なのだ!


・・と勢いに任せて極論に走りそうになってしまいますが、実はわたくし、「PTA」にはぜひ生き残ってもらいたいと強く思っているのですよね。

ネガティブなイメージがつきまとい、現実的にも問題山積なPTA活動ですが、実際にPTA役員を経験した方には少なくない割合で「やってみたら意外とたのしかった」という方がいらっしゃるわけで。
それはブラックな仕事に慣れている人が多いということではなく、みんなが「初めての仕事にチャレンジ」するという共通点で結ばれているので、お互いを気遣い助け合おうという気持ちが自然と湧いてくるからなのではないでしょうか。
おかげでわたしのようなコミュ障でも傷をなめ合い仲良くやっていくことができたりなんかして、ホントありがたかったです。
そんなこんなでわかりあえる仲間ができ、今まで気づかなかった先生方の苦労もガッチリ知るようになり、学校や地域の仕組みへの理解も深まるなど、決してマイナスだけではないPTA活動。
バザーが成功し、その収益で子どもたちに直接かかわるもの(学級文庫の充実とか、遊具の補充とか)を購入できた時の充実感なんかは、まさにPTA役員ならではの喜びなのではないかと思いますし、かったるいと思われがちな講演会・研修会も、いざ出てみればおもしろい話を聞くことができたりして、決して無駄な時間ではなかったりするのですよ。こわがらないで!(以前出席した会で某大学の教授から聞いた、「母親は全員母性を持ってるなんて大ウソだからね!母性なんてないから!そんなもんただの幻想だから!」という講演なんかさいこうでしたヨ)

子どもたちの学校生活は、誰かだけの力で成り立っているのではないのですよね。
先生だけでも、保護者だけでも、地域社会だけでもなく、みんなが子どもたちの生活に関心を持って見守っていけるような活動、それが「PTA」なのだとわたしは思います。 だから消えてほしくないのです。

子どもたちが過ごす学校であり、子どもたちが参加するイベントだから、もしも自分にできることがあるなら手伝いたい。
そんな風に思っている保護者は多いはずです。
いや、ほとんどの保護者がそう思っているはず。
「できることをできる範囲で」が前提の「PTA」なら、自分たちの意見が届きやすい「PTA」なら、無理強いも格式ばった会合もない「PTA」なら、もっと気軽に参加できる「PTA」なら、任意という形になっても加入しようと思うのではないでしょうか。
なんだったら「PTA」という形にこだわらなくてもいいから、とにかく保護者が学校にかかわってゆくことをやめさせないでほしい。

そのために必要な事柄はあまりに多く、誰かの鶴の一声でなんとかなるものではないこともわかっています。
しかし、そろそろ新しい段階へと進む方がいいと思うのですよね。
入会させられる「PTA」ではなく、入りたくなるような「PTA」を目指して。






     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

みんなだいすき「スケバン刑事」の名シーンを勝手に選んでみたよ。

2015年03月12日

ご無沙汰してます。アガサです。

突然ですが、みなさん「スケバン刑事」だいすきですよね!
ええ、ええ、わたしもだいすきです!
中学生の時、初めて斉藤由貴さん演じる麻宮サキをテレビで拝んだその日から今に至るまで、和田慎二先生による原作コミックはわたしの心のバイブルとして、本棚の一番目立つ場所で輝き続けています。
「スケバン刑事」の魅力はなんといっても麻宮サキの圧倒的な強さ。 腕力の強さだけではなく、魂の強さなのですよね。
あの義侠心!その迫力!麻宮サキは極道のチャンピオンだ!

2015-03-12-10-29-38_deco.jpg
(※ もちろんあのヨーヨーも持っていた)


ということで今日は、こんな殺伐とした世の中だからこそ再び読み直したい「スケバン刑事」全22巻の中から、わたしが独断で選んだ名シーン10選をお届けしようと思います。
ネタバレしている部分もありますので、未読の方はくれぐれもお気を付けください。というかぜひ一度コミックを読んでみてください!
(※ なお、数字をふっていますが順位ではありません)

ほんじゃ行きますよ!


【1 海槌麗巳との出会い】
IMG_0001.jpg

死刑囚として収監されている母の恩赦を勝ち得るため、反社会的な「スケバン」でありながら、警察の手先である「学生刑事」としての活動を余儀なくされる麻宮サキ。
指令を受け、母校である鷹ノ羽高校へ戻ったサキを待ち構えていたのが、政界の重鎮・海槌剛三とその邪悪な娘たちでした。
窓越しに視線をぶつけ合う、海槌三姉妹の長女である麗巳とサキ。
それぞれに、政治家の父と裏の警視総監という権力を後ろ盾にしてながらも、それに頼らず生きていたふたりは、この出会いの瞬間から互いの実力を認め合い、のちに数々の悲劇を生み出すこととなります。 た ま ら ん 。



【2 沼先生のおしえ】
IMG_0005.jpg

「無法の街」編でサキが立ち向かったのは、とある新興都市にあるF高校でおきた女子高生の妊娠問題。
強姦された、と主張する女子高生が挙げた相手の名前が、別の街からの転入者だったことから、私刑を望む住民たちはよそ者への憎悪で正気を失い始めます。
よそ者である少年は、本当に胎児の父親なのか。 女子高生が頑なに隠そうとしている秘密とは。
少年と女子高生との接点である高校教師に接触したサキは、「F高生はみんな私の弟や妹だ」とうそぶく教師に冷やかな眼差しを向けます。
サキの脳裏にあったのは、昔担任の沼重三から聞いた言葉。
「たくさんの生徒を受け持っているが、ひとりひとりの心を把握することはできない。オレだって人間である以上、手からはみ出す生徒も出てくる。 だが、せめて数人の生徒なら、オレはいい教師になる自信があるんだ」
教師としては不適切かもしれないけれど、人として嘘偽りのない言葉だからこそ、サキは沼先生を信じ、F高の教師には不信感を抱いた。
大勢の大人に裏切られてきたサキの重い一言は、絶賛思春期まっさかりだったわたしの心を大きく揺さぶり、その後の学校生活に多大な影響を与えることに。



【3 健全な肉体には健全な精神が宿っているのか】
IMG_0009_convert_20150312104256.jpg

再び鷹ノ羽高校へ戻ったサキは、いつの間にか学校を牛耳っていた剣道部の態度に若干の違和感を覚えますが、彼らの「正しさ」を素直に認めたい部分もあり、その主張を一旦受け入れてしまいます。
しかしその後、彼らが己の「正しさ」を他人に強要し、弱さは甘えだとして断罪したことでサキの怒りは頂点に。
自分たちが「健全」であることに胡坐をかき、「正論」という名の「暴論」を振りかざす剣道部員に下される鉄槌はあまりに激しい。
あれはきっと、サキ自身の罪悪感の表れでもあるのでしょうね。救えなかった命に対する。
要するに八つ当たr・・(ゲフンゲフン)



【4 火喰鳥】
IMG_0003_convert_20150312104752.jpg

「スケバン刑事」に登場する脇役の中でも1,2を争う名キャラクターといえば、なんといっても火喰鳥こと火鳥美也子なわけですよ!異論は認めない!
自分が以前入っていた、第二高等少年院・通称「地獄城」に収容されているはずの麗巳が、こともあろうに海外で目撃されたと知ったサキは、麗巳の存在を確認するためわざと補導され古巣へ潜入することに。
その時、サキと共に地獄城へ送られたのが、脱走屋としてその名を知られた火鳥美也子なのですが、もうホントにね!出てきた瞬間から只者ではないという描かれ方なんですけどね!予想を上回るかっこよさなんですよね!これが!
「スケバン刑事」にはサキが敵味方の垣根を越えて魂を分かち合う友が数人登場し、それがいちいちグっとくるのですが、火喰鳥はサキにとってある意味、麗巳に次ぐ親友だったのではないかと思うのですよ。 いや、なりえたのではないかと。
社会からはじき出された者たちが地獄の中に見出した「友情」という一筋の光。
だがそれは所詮、血塗られた絆なのかもしれない。 その儚さとその美しさに涙がとまりません・・・!



【番外編 速水真澄×神恭一郎】
IMG_0013.jpg
(※ スケバン刑事バージョン)
IMG_0014.jpg
(※ ガラスの仮面バージョン)

「花とゆめ」で同時に連載が始まった和田慎二先生と美内先生。
というわけで、公私ともに仲が良かった両先生による奇跡のクロスオーバーがこちら! 
だいすきなガラかめにスケバン刑事が・・・っていうのだけでも歓喜の雄叫びなのに、その設定が「真澄さまと神さんが大学時代からの親友だった」とかあなた方は神か・・・!
あえて重箱をつつこうとすれば、神さんが電話を掛けるシーンは夜で、真澄たんが電話を受けるシーンは日中になっているのですが、まぁ些末事ですよ!大した問題じゃない!
あと、神さんが業界人である真澄たんに尋ねていたのは「サザンプロダクツ」という弱小芸能プロに関することなんですけど、この後「サザンプロダクツ」所属のミンキーキャッツというアイドルを利用した首都崩壊計画が実行されたりするので、その時真澄たん(とかマヤとか)は何しとったんや・・とか、鷹宮コンツェルンと信楽グループはどっちが強いんや・・とか、「ふたりの王女」やっとる場合じゃねえな・・とかまぁ些末事ですよ!大した問題じゃないない!



【5 毒蛇の最期】
IMG_0004.jpg

あまりに多くの人々を犠牲し、サキのすべてを我が物にしようとした麗巳の心にあったものは、もしかしたら愛情だったのかもしれません。
対極にあった存在だけれど、誰よりも理解しあっていたサキと麗巳。
ふたりが進む先にあるのは「破滅」のみ。 どちらか片方の、もしくは双方の。
まさしく魂のぶつかり合いであるこの最後の闘いは、「スケバン刑事」の中だけではなく、漫画史に残る名シーンだと思います。
あと、斉藤由貴さんがサキを演じたテレビ版第一弾のラストでも、舞台は大幅にスケールダウンしてあるものの、この名セリフが割と忠実に再現されていて、麗巳を演じる高橋ひとみさんのなんともいえない妖艶さと共に、わたしの心に深く刻まれています。 あれはいいドラマだった。



【6 ムウ=ミサうぜえ】
IMG_0008_convert_20150312104003.jpg

初対面時の印象こそ最悪だったものの、常にサキを陰日向から支える神に、徐々に惹かれてゆくサキ。
そして神もまた、彼にとって一番尊いものをサキに注ぐようになる。
「信頼」という、唯一無二のものを。
しかしサキと神を待ち受けていたのは、逃れようのない修羅の道でした。
共闘することを是とせず、互いに依存することを許さず、それぞれの「正義」を貫こうとしたサキと神が交わした、最初で最後の愛の抱擁。
ほっといてやればいいのに傍で「これが奴らの愛か・・・」ってかっこつけているムウ=ミサは今すぐ巣へ帰れ!ハウス!
っていうかおまえが邪魔しなければサキと神さんの運命も変わっていたかも・・って考えたら考えるほどおのれムウ=ミサ!ハウス!



【7 学生刑事No.3 ツグミ】
IMG_0007.jpg

「スケバン刑事」の名脇役で忘れちゃいけないのがそう、ツグミこと小塚左智子ですよね。
火喰鳥の所で「1,2を争う」と書きましたが、その片方が他ならぬツグミなんです。 ええ、わたしの独断です。 独断なので異論は受け付けません。
不良組織・中央連合から、リーダーである多聞寺忍を救出してほしいとの依頼をうけ、第七高等少年院・通称「梁山泊」に潜入したサキ。
砂漠地獄だった1号棟でひと暴れし、変態所長が待ち受ける2号棟へと移送される際、火喰鳥と思い起こさせる寄り添い方でサキについてきたのがツグミでした。
その正体は、サキの存在に疑問を抱いている学生刑事No.3。
変装の名人であるツグミは、つらい過去を背負い、仲間である他の学生刑事にすら素顔を見せていないほど心を閉ざしていたのですが、梁山泊でサキと行動を共にするうち、その信念に強く惹かれてゆきます。
事件が解決した後、メイクをとった状態でサキのもとを訪ねたことこそ、ツグミが出した答えであり、他の学生刑事もツグミの考えを尊重し、晴れて学生刑事たちは一致団結を果たすのでした。(No.1だけは加わりませんでしたが)
実はこのシーンがものすごい伏線になっているので、今ではこのツグミの微笑みを見るたび、後半の展開の壮絶さが頭をよぎり、胸が張り裂けそうになってしまいます。 は~に~わ~め~~(グギギ)


【8 勝利】
IMG_0011.jpg

「敵を倒し、自らが救かってこその勝利だ」 というこのセリフが出てくるタイミングのすさまじさ!
なんも言えねえ! オラもうなんも言えねえ!
初めてコミックでこのくだりを読んだ時から、どんな小説を読んでも、どんな映画を観ても、常に頭の中で神さんの言葉が響いてしまうので、本当に「スケバン刑事」はすごいなぁと思いますね。
自らも救かってこその勝利!  肝に銘じたいものですな!



【9 サキとナツ】
IMG_0010.jpg

サキを拒絶したのは社会だけではありませんでした。
妹ばかりを可愛がり、なぜか自分には厳しい言葉しかかけてくれなかった母親。
今でいう毒親どまんなかである母・ナツでしたが、サキは母を恨むどころか思慕の情を募らせるばかり。
そんなある日、妹が「どこか」に預けられたことから、ただただ冷たかった母の態度に若干の変化が表れ始めます。
ナツが攻撃道具としてのヨーヨーの使い方をサキに伝授したのもこの頃です。
しかし、穏やかな日々は長くは続かず、典型的なクズ人間だった父にナツが引導を渡したことから、母娘の関係はふたたび手の施しようがないほど悪化してしまう。
自分を娘として愛してくれなかった母。 親として守ってくれなかった母。 人として導いてくれなかった母へのサキの感情は、彼女自身を傷つけないがため複雑にこじれ、盲目的に母を全肯定することでしか、自分の存在が成り立たないまでにゆがんでしまったのでした。
一方で、自分がこれまでに犯してきた過ちを認めてしまう訳にはいかない(認めると生きてゆけない)ナツもまた、サキを全否定することでなんとか生きながらえていました。
それぞれ、「愛したい」「憎みたい」ためにお互いを必要としてきたふたり。
麗巳とサキとの関係とはまた違った、深すぎる繋がり。 
終止符が打たれた瞬間、母の胸をよぎったのは、安堵感だったのかもしれませんね。



【10 麻宮サキは立ち上がる】
IMG_0012_convert_20150312104153.jpg

組織に頼られ、組織を背負いながらも、ずっと自分ひとりの責任において闘ってきたサキ。
何もかも失い、ボロボロに傷つき、底知れぬ絶望に打ちひしがれてもなお、彼女は立ち上がる。
これこそがサキだ・・・! という名シーンだと思います。 ホントもうだいすきです!スケバン刑事さいこう!!




以上、わたしが勝手に選んだ名シーン10選ですが、いかがでしたでしょうか。
三平がいないじゃないか、とか美幸はどうした、とかアグラいいよねアグラ、とかミミズ風呂がトラウマ、とか色々漏れている部分もありますが、というか、名シーンが多いからなかなか選びきれないですよね。
これらのシーンが本編ではどのように登場しているのか気になった方は、くどいようですがぜひ一度コミックをお手に取ってみてはいかがでしょうか。

では最後に、美内先生とのもうひとつのクロスオーバー作「スケバン刑事~ガラスの仮面編~」から、超グっとくるシーンをご紹介しておしまいにさせて頂きたいと思います。

IMG_0006_convert_20150312104444.jpg
(※ ジーナと5つの青いつぼの裏でこんなコトが・・・)

月影先生とナツさんという、若干似ているコンビの競演も見てみたかった・・・!


     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 | HOME | Next »

※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。