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『ジョーカー』

2019年10月04日
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かつて3度スクリーンに登場したDCコミックの超有名ヴィランにしてバットマンの天敵であるジョーカー。
破壊だけを求め、人をダークサイドに招きこむことだけを生きがいに、ゴッサムシティを混乱の渦におとしいれる悪の頂点は、一体どのようにして生まれたのか。
っていうか、なんでそんなひどいことをするのか。
どんな育ち方をしたらそうなったのか。
誰になんの恨みがあるのか。いや、ないのか。
なにもかもが謎に包まれたジョーカーだからこそ、その狂気は輝きを増し、説明されないことでその恐怖は際限を失った。
『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーに至っては、その場その場で思いついたような「うその生い立ち」をわざと披露し、「悪役にもそれ相応のやむにやまれぬ事情があるに違いない」という安い同情心を笑い飛ばしてさえみせた。
悪役は説明がつかないからこそ魅力的なのであり、不幸な生い立ちなんぞは鼻白むだけ。
それが昨今のトレンドだった。
だったのかもしれない。
よし、ならば見せてやろうじゃないか、思いつくままの不幸を。
皮肉屋たちが鼻白む隙を与えないほどの、息も出来ぬほどの圧倒的な不幸を。
我々の日常のすぐ隣にある、我々の中にもある、我々の未来で待ち構えている、とことんリアルな不幸を。

身につまされるがいい。 
ひょんなことすぎる凄惨な暴力に困惑するがいい。 
目の前に立つ「悪」の美しさに酔いしれ、罪悪感に苛まれるがいい。
これはあなたが欲したジョーカー。
あなたが絶対知りたくなかったジョーカーなのである。


あらすじ・・・
不幸な生い立ちの中年男性・アーサーがジョーカーになります。

(※ 以下ネタバレ)



貧困・虐待・疾患等々苦難のつるべうちで、不幸ゲージが満タンです!!


冒頭から泣いています。

主人公のアーサーは人を笑わせることこそが自らの幸せだと、ピエロの仕事をしながらコメディアンの勉強に勤しむ毎日。
でも、人を笑わせるどころか自分がうまく笑えない。
なぜなら、生活がぜんぜん楽しくないから。
仕事は少なく稼ぎは不十分。
家に帰れば身体と精神を病んだ母の世話。
隣人とのコミュニケーションは皆無。
同僚は他人の身体的特徴を嘲笑うクズ。
政治は腐敗。
街はゴミまみれ。
富裕層は肥え、貧困層は食つなぐことで必死。
子どもたちは他人を敬うことを教わらず、大人たちは他人への無関心を貫く。
そんな生活の中でどうやって笑えばいいのか。
仕事を控えメイクを施すアーサーは、懸命に口の端を指で引き上げ、笑いの練習をする。
無理やりあげられた口角を、涙で崩れたアイメイクの黒い滴がつたう。
冒頭のシーンです。

そしてその反面、アーサーには緊張すると起きる神経発作があり、笑わなくていい局面になるとその場にそぐわない大きな引きつり笑いが止まらなくなってしまう。
笑いたいときに笑えず、笑いたくない時に笑う。
アーサーの身体から酸素を奪い、息の根をとめるかのごとく激しく続く笑い声。
「笑い」はアーサーの誇りであり、アーサーの希望であり、アーサーの呪いなのである。

で、「そりゃ不幸だなぁ」と思うじゃないですか。
これはあくまで本作の設定でいうとベースの部分。
ここからアーサーを、一難去らずにまた一難ペースで不幸が襲いかかるのですよお立会い。

不幸その1・・・反社会的な子どもたちに仕事の妨害をされただけでなく、リンチまでされたのに、職場の上司はアーサーの言い分を信じず給料の減額を匂わせる。
不幸その2・・・バスの中でこちらを見ていた子どもを「いないいないいばあ」で笑わせていただけなのに、その母親から変質者扱いされる。
不幸その3・・・月一回受けていたソーシャルワーカーによるカウンセリングが、市の予算削減にともない廃止される。
不幸その4・・・同僚が「身と守るために」と強引にくれた拳銃をうっかり持ち歩いていたせいで、仕事を解雇される。
不幸その5・・・帰宅途中の地下鉄車内でサラリーマンに絡まれた女性を助けようかどうしようか悩んでいたら笑いの発作が起きてしまい、結果的に「なにわろとんねん」とサラリーマンからボコられる。
不幸その6・・・うっかり持ち歩いていた銃の引き金を引いたらサラリーマンにヒットしてしまう。
不幸その7・・・長年の夢を叶えようとナイトクラブに出演するも、発作は起きるわネタ帳のチョイスが悪いわで全編スベリ倒してしまう。
不幸その8・・・お母さんから「実はおまえの父親はゴッサムシティ一番の大富豪ウェイン氏なんだよ」と聞かされたので、お屋敷を訪ねていき、偶然会った弟のブルースくんを得意の芸で笑わせていたら、執事のアルフレッドから「お前の母ちゃんクルクルパー」とダイレクトな悪口を言われる。
不幸その9・・・埒があかないので直接お父さんに会いに行ったら「オレの子なわけねえだろゴミクズ!」と鼻をグーで殴られる。
不幸その10・・・お母さんが入院していたアーカム州立病院に裏取りに行ったら、お母さんの言い分が虚言だったことが判明する。
不幸その11・・・おまけに自分は養子で血の繋がりはなく、お母さんからは育児放棄、お母さんの彼氏からは虐待を受けて育ち、神経発作もそのせいであることを知ってしまう。
不幸その12・・・怒りや悲しみや絶望で我を失ってしまい、お母さんを殺してしまう。
不幸その13・・・恋人に泣きつこうと彼女のアパートに侵入したらメチャクチャ怯えられた挙句、つきあっていたのは自分の妄想で、彼女とのラブラブな日々は存在しない幻だったのだ、という現実に引き戻されてしまう。
不幸その14・・・ずっと憧れていたトークショー番組の司会が、こないだスベリ倒した自分の映像を番組で取り上げてくれたけど、内容的に「オモシロ映像紹介」ではなく「クソスベリ芸人晒しあげ」の方向だった。
不幸その15・・・その番組からゲストとして出演依頼を受けるが、もちろん「話題のおもしろコメディアン枠」ではなく「クソスベリ芸人晒しあげ枠」だった。
不幸その16・・・たまたま撃って、たまたま当たった相手が、たまたまエリートサラリーマンだっただけなのに、富裕層に立ち向かう反逆のシンボルみたいな扱いをされてしまう。
不幸その17・・・当てつけ自殺をしてやるつもりで出演した生放送番組で、憧れの司会者と話をしているうちにだんだん自分がどうあるべきかに気づいてしまう。
不幸その18・・・司会者を射殺してしまう。
不幸その19・・・逮捕されてしまう。


どうですか。何個かおかしいのもありますけど、これはしゃーないなぁと思わせる堂々たる不幸っぷりではないですか!

とにかく観ている間中つらかったです。
アーサーが誰かにちょっとした幸せを与えようとするたびに、どこからか入る妨害。
自分が置かれている環境は行き詰っているけれど、だからこそ誰かを笑わせたい、誰かを幸せにしたい、というささやかな行為は踏みにじられ、「普通であれ」という枠からちょっとずつはみ出してゆくアーサー。
いや、もともと「普通」ではなかったんですよね。 でも、それが受け入れられさえすればよかっただけで。
受け入れられなかったから窮屈だった。 なんとか枠に収まろうと身を縮めていた。
それはアーサーだけの苦難ではないじゃないですか。
大多数とは違った特性を持ったことで、二重三重もの生きづらさを強いられている人たち。
それが「そのままでいい」となれば、そりゃ解放感にも満たされますよ。
もちろん、その「解放」が暴力・犯罪行為であってはならないことは、言うまでもありません。
けれど、じゃあ、どうすればいいのか。
長らく不況と社会情勢の悪化で、他者に対する寛容さを失ってしまったこの世界で、特性を無理やり押さえつけるのではなく「自分らしく」生きるためには、どうしたらいいのか。

本作のすぐれたところは、「誰にでも覚えのある理不尽さ」で主人公を追い詰めながら、主人公が身を落とすのが「誰も肯定してはいけない理不尽な暴力」であるところであり、また、他ならぬ主人公自身がその不条理に翻弄されているところだったのではないかと思います。
さまざまな不幸が積み重なって積み重なって、ついに我慢の限界を迎えたアーサーが、「ジャジャーン!ジョーカーの誕生です!」と白塗りメイクで参上するわけではない。
膨れ上がってゆく不幸の中、それでもアーサーはなんとかしてこのクソみたいな現実を好転させられないか、ともがき続けるのです。
アーサーは望んで反乱のシンボルになったのではない。
でも、シンボルとして祀り上げられることが不快なわけでもない。
自分の言葉に呼応するかのごとく火が放たれた市街地。
護送車の窓からその火を眺めるアーサーはうっとりとした笑みを浮かべますが、その笑顔は果たして本心からのものなのでしょうか。
事故に遭い意識を失ったアーサーが目を覚ますと、周りを取り囲む「信者」たちは歓喜の声をあげ、アーサーも声援にこたえるように軽やかにステップを踏みますが、濛々とたちこめる煙のスクリーンに映った自分の影を見て表情をうしないます。
これは本当に自分なのか。 
これは本当に自分が望んだことなのか。

アーサーにとって最も不幸だったことは、護送途中の大事故で死ねなかったことだったのかもしれない。
自分を「英雄」と崇める人々の中で、生を取り戻してしまったことだったのかもしれない。
そんな風な考えが頭をよぎり、とてつもなくやるせない気持ちになりました。
そんなかなしい人生があっていいものか。
生き続けるも地獄、自ら命を絶つも地獄だなんて。
だってその地獄は、ここで生きているみんなにほんのちょっと他人を思いやる気持ちがあれば、簡単に抜け出せるかもしれないのに。
自分が痛いから他人が痛くても知らない、じゃない。
自分も弱まっているんだから他人が弱まっていても構っていられない、じゃない。
余裕がない時だからこそ、誰かに手を差し伸べる勇気を持ちたいじゃないですか。
それはいつか、自分に差し伸べられるかもしれない手じゃないですか。


アーサーがジョーカーになることを選んだ(かのようにみえた)ラストですが、まだまだジョーカーの内面は理屈が通らないことだらけであり、なによりジョーカー自身が理屈を受け入れるつもりもなさそうなので、是非次回「ジョーカー立志篇」でますます混沌と化したホアキン・ジョーカーの踊りっぷりを魅せていただきたいところです。
本当にすごい作品でした!



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アーサーが指で口の端をあげ、無理やりに笑みを作りシーンで、『散り行く花』のリリアン・ギッシュを思い出していました。 生きるために笑顔を作る、笑顔を知らない少女。 「ハッピーだったことなんて一度もなかった」と吐露するアーサーもまた、それだけが自分を救うものだと信じて笑顔を作り続けていたのだろうか。 ラスト、唇に血を塗り付けて作る笑顔は、「喜劇」であった人生を受け入れてのものだったのだろうか。 笑いはまだ、彼にとって呪いのままなのかもしれない。

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テレビ出演のためにおめかしして家を出るアーサー。 前回よりももっと簡単に人の命を奪った直後とは思えない爽快さとかっこよさに、ばつの悪い高揚感を抱いてしまいました。 いや、だってかっこよかったんだもん。 問答無用にかっこよかったですよ、これは。 「安全」だった上の世界(自宅)から一歩ずつ下界におりてくるアーサーはあまりに活き活きとしていて、「堕天使とはこういうことか・・・」ってなりました。 

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『アベンジャーズ/エンドゲーム』

2019年05月15日
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はやいもので、『エンドゲーム』の公開から2週間あまりが過ぎました。
厳重に敷かれた箝口令も、すでに監督によって解かれ、出演俳優のインスタグラムには撮影現場の裏側が。
世界最速上映(※現時点)が決まった『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の予告では、ネタバレの申し子ともいえるトム・ホランドによってエンドゲーム未見者への注意喚起が行われるありさま。
そう、ここはエンドゲームがはじまり、すでに終わった世界。
あーんなこともこーんなこともみんなご存じの世界。
ご存じ。
ほんとうにそうなのでしょうか。

監督も言っていました。
解禁といってもダダ漏れしていいわけではないよ、あくまで観た人同士でシェアしてほしいんだよ、未見の人への配慮は忘れんなよ、と。
もちろんそうですよね。
「公開から2週も経ってるのにまだ観てない人はファンじゃない」、などと心無いことをいっている一部の人たちもいるようですが、家庭の事情、仕事の都合、さまざまな要因で映画館に足を運べない人は少なくありません。
11年間アベンジャーズを追い続けてきた人、最近アベンジャーズを知った人、一本も観た事ないけど最後と聞いたから観に来た人、その誰もが、『エンドゲーム』の182分間上で起きることのすべてを、まっさらな状態で受け止める権利がある。
早かろうと遅かろうと、その権利が侵されることがあってはならないのです。
わからなかったところや納得できなかったところ、興奮で血がたぎったところや筆舌しがたい感情で胸がはりさけそうになったところ、それらを観た人たちと分かち合いたいなら、ツイッターのような開かれた空間ではなく、限定された場所を選べばいいだけの話。

限定された場所。

そう・・  ブログですよ・・・!!


( ※ と、いうわけで以下ネタバレします。 
未鑑賞の方はぜったいに見ないでくださいね。 本当に見ないでくださいね。 
「ネタバレサイト見てから本編を観る派なんだよね」という方も、現在劇場に行ける状態にないので当分鑑賞できないという方も、ブログは消えませんので、どうぞいつの日にかご鑑賞ののちにお進みください。おたのもうします)


( ※ また、わたしはMCU作品こそすべて追い続けていますが原作のマーベルコミックは一切読んでいません。 この感想はもしかしたら、原作を愛する方や原作の知識が深い方にとって不快な内容かもしれませんので、危険を感じた方はここでお別れしましょう。 その方がお互いにとってしあわせです。 あくまで映画のみの感想であることを重ねてお伝えした上で以下続きます)




キャップ

や っ ぱ り キ ャ ッ プ が ナ ン バ ー ワ ン ! ! !


すべてが終わってしまった・・・!!!

なんだろう、この虚無感は。  というのが素直な感想でした。
とんでもなく幸せなシーンと、とんでもなく哀しいシーンと、とんでもなく完璧な幕引きを全身に浴びたわたしは、明かりのついた劇場の中、しばらく椅子から立ち上がることができず、ただ呆然と白いスクリーンを眺めていました。
終わってしまった。 
社長もキャップもいってしまった。 
もう二度と、真っ赤なスーツに身を包み空を駆ける社長を観ることはできない。
もう二度と、真っ青なマスクを被り星を掲げて疾走するキャップを観ることはできない。
今までの功績に見合った幕引きだったのか? イエス。
惚れ惚れするようなスピーチはあったのか? イエス。
うっとりするようなアクションはあったのか? イエス。
社長派だのキャップ派だのという不毛なファン心理を沈黙させるような内容だったのか? おそらくイエス。
満足だったのか? イエス。 
しかし、ノーでもある。  いや、断固としてノーだ。 

本作公開後、ネットには鑑賞されたみなさんの様々な声があふれかえりました。
すばらしい最後だった。
ありがとうヒーローたち、ありがとうMCU。
わたしもなんとかして、自分が観たものを受け入れようと努力しました。
終わったなぁ。
終わっちゃったんだなぁ。
ちょっとまてホントに終わったのか。
っていうか、終わらなくてもよかったのでは???


そう、「ありがとうエンドゲーム」で盛り上がっている中、往生際の悪さに定評のあるわたしですのであえてフォントを大きくしてまで言いますけども、そもそもアベンジャーズ終わる必要なかったんじゃね?

世代交代なんて言葉で納得できるわけないじゃないですか。
あの世界にもう社長はいない・・。 考えただけで心が虚ろになります。
引退した社長が、若いもんに平和を託して幸せに暮らしている世界。 
画面に映らなくていい、ただそれを念頭におきつつ次のフェーズに入るだけでいいのに、想像することすら許されないなんてあまりに残酷じゃないですか。
自分の事業が招いていた悲劇を知り、過去を恥じ、特別でも何でもない生身のからだを鉄のスーツに押し込んで悪を倒し、傷つき、恨まれ、不安を解消するためスーツを強化し、闘って倒れてまた闘って・・・。
絶望の中家族の力で立ち直り、いつかくる「その日」のためにひとり研究を続けた社長。
その先に待ち受けているのが自己犠牲ですか。
社長の11年間は、世界のために命を捧げるためのものだったんですか。
父親代わりのベンおじさんを喪ったピーター・パーカーは、父親のように自分を導いてくれていたトニーをまた喪ってしまった。
まだ幼いモーガンちゃんは、これから先父親からの愛のメッセージをあのホログラムで見るしかない。
トニーが父ハワードのメッセージを8ミリフィルムで見たように。
どうして悲劇は繰り返されなければならなかったのでしょうか。
どうして生きたまま引退するのではいけなかったのでしょうか。


命と引き換えに愛するものを守ることのどこが悪いのか? 
ちがうちがう、もちろん悪くなんてないのです。 わたしだって、娘たちを守るためなら全く命惜しくないですし。
ただ、ただね・・・。

ホントにねぇ、かえすがえすも「キャプテン・マーベルが指パッチンしてあげりゃあよかったんじゃん」と思わずにはいられない。 
あの子めっちゃ丈夫なんだし。 
もうちょっと早めに招集かけといて、もういっこナノグローブ作っといて、事前に渡しといてほしかった。
あと、ペッパー・ポッツ諦めるの早すぎ問題。
そこ「わたしたちのことはだいじょうぶだから・・・ 安らかにお眠りください・・・」じゃねえだろ。 
過去シリーズあれだけ社長にキレまくってたのに、最後だからって唐突な物わかりの良さ発揮すな。 
「寝るなー! 寝たら負けだぞー!娘のこと考えろー!!医者を呼べー!!」って叫んどこうぜ。 ストレンジ先生に輪っかクルクルしてもらって速攻でワカンダ運ぼうぜ。 あそこの医療システムならたいがいのケガ治せるやろ。

そして、今回完全に退場してしまったもう一人のヒーロー。
おまたせしました、アメリカのケツことキャップです。

今回のキャップは、前作(インフィニティ・ウォー)での物足りなさを補うかのように存分な見せ場を設けられていました。
人口が半分に減った世界において、人々を勇気づけようと前向きにふるまうキャップ。
物事の明るい面に目を向けようとするキャップ。(例:クジラが戻ってきてたよ)
しかし敢えていうまでもないけれど、心の底ではずっと消えてしまった人々のことを想い、諦めきれなかったんですよ。 
だからアリのおいちゃんが生き残った理由を聞いた瞬間から、誰が何と言おうとタイム泥棒計画を成功させることを決意した。
キャップらしいよなぁ。 「むずかしいことはわからないけどラングが出来たんだから出来るっしょ!」というシンプルメンタル。 すき。 キャップのそういうとこ、すき。
社長の天才的ひらめきとたゆまぬ努力により完成したタイムマシン(※便宜上の呼称)でアベンジャーズ1作目の時代に行けば、ウィンターソルジャーの伝説のエレベーターシーンを再現したり、ヒドラキャップネタを放り込んだり、過去の自分と対決するというおいしい展開で画面じゅうをアメリカのケツで埋め尽くす、と、これまたサービスに次ぐサービス。
もうこれ、過去に戻るキャップのおはなしだけで一本撮れんじゃね? 事実上のアベンジャーズ3だったシビル・ウォーではなく、キャプテン・アメリカ単独作3作目としていけんじゃね? なんだったら2時間の上映時間中1時間ぐらいキャップのケツだけ映してくれててもいいんじゃね?

キャップ祭りはさらに続きます。
ついに宇宙ゴリラことサノス軍との最終決戦へとなだれ込んだビッグ3(キャップ・社長・ソー)
それぞれが出来うる限りの攻撃を与えるものの、ガントレットを持たないことがなんのハンデにもなっていないゴリラは依然強く、ボロぞうきんのように投げ捨てられる社長、渾身の斧を奪い取られ窮地のソーと、敗色は濃厚状態。
そんな中、サノスに向かって飛んでくるムジョルニア。
弧を描くトンカチの先にいるのは、キャプテン・アメリカ。

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(4年前は1ミリでした・・・)

はい――!!トンカチを自在に操るキャップいただきました!!ありがとうございます――――!!!!
「絶対出来ると思ってた」
(ソー・オーディンソン談)―――!!
わしらもみんな同意見―――――!!!!
トンカチどころか雷まで落としちゃうキャップ――――――!!!
これもうキャップが雷神ってことでよいのでは????よいでしょう!!!!!神さまでよいでしょう!!!!


シールドを叩き折られ、ボロボロに打ちのめされ、ふつうならもう立ち上がることなんてできないぐらい傷ついたキャップ。
でもね、絶対起きれない状態でも起き上がるのがキャップ――――!!!!
震える手でシールドのベルトを締め直すキャップ――――!!!!!! 
みなさんとくとご覧あれ―――!至高ってこういうことじゃい―――!!!

その後の「左から失礼」から「アベンジャーズ・アッセンブル」まで、この一連のくだりだけ5億回ぐらい続けて観たかったですね。
なんという尊さ。 なんという気高さ。
キャップをすきでよかった。 やっぱりキャップがナンバーワン。
サンキュー、ルッソ・・・。 そうつぶやきながら天に召されそうになったわたしです。
わたしなんですけども。

やっぱりね、社長の最後と同じく、キャップに関してもその退場がどうしても納得できないでいるのですよね。

あくまでわたしの独断ですが、キャプテン・アメリカの物語は、スティーブ・ロジャースとバッキー・バーンズとペギー・カーターの物語でもあった、と思っています。
世界を救うために諦めたペギーとの未来。
世界を敵に回してまで守ったバッキーとの友情。
ペギーとの約束は守れなかったけれど、時代を超えて再会を果たし、その葬儀で棺を運び、ペギーが残した姪のシャロンと心を通わせたキャップ。
敵味方に分かれて闘うことを求められても、決してバッキーちゃんを見捨てず、ヒドラの洗脳が解けたことによってようやく共に歩めるトコロだったキャップ。
今回キャップがとった行動は、あまりに今までの行動と「あわない」んです。 わたしには「あわない」ように思えるんです。

誤解してほしくないんですけども、キャップにはしあわせになってほしいのですよ。
そりゃもう、わざわざ言いたくもないぐらい強く思っています。 
そしてバッキーちゃんもキャップに対してそう思っているだろうし、キャップもまた、バッキーちゃんのしあわせを誰よりも考えているはず。
だから、過去に行ったキャップが戻ってこなかった時、バッキーちゃんは「あいつやりやがったな・・」という笑顔を浮かべていました。
それはそれは、とても美しい笑顔でした。 
だって、祝福と安堵だから。 
バッキーちゃんが抱いた感情は、「よかった」という想いだから。
そのあと、湖畔に佇むキャップに真っ先に気づいたのもバッキーちゃん。
駆け寄りたい気持ちを抑えてサムに道を譲ったのもバッキーちゃん。
これが彼の友情なんですよ。 スティーブがもやしっこだった頃から、全く変わっていない。
キャップだってそうだったはず。
親友をひとり置いてなんていかない。 最後まで一緒だ、と。
それなのに、キャップは戻ってこなかった。
いや、戻ってきたけれどバッキーちゃんのずっと先を走ってきてしまった。

キャップが過去のペギーと添い遂げたのか、それとも全く関係ない誰かと添い遂げたのかはわかりません。
冷凍保存で失った70年を取り戻してくれていればそれでいい。
闘いや愛する人と別の時間を生きるつらさなどとは関係ない、ただただ平凡な日常を送っていてほしい。
けれど、仮にキャップはそれができてよかったとして、バッキーちゃんはどうなるのか。
なんつうか、あのキャップが自分だけその平穏な日々を享受して、バッキーちゃんを現代に残したままだったというのが、わたしにはどうしても受け入れがたかったのです。

高齢になって現れたキャップと、若いままのバッキーちゃん。
無論、友情も信頼関係もまったく変わらないことは間違いない。
でも、普通に年をとってしまったキャップは、きっとバッキーちゃんよりもずっと早くあの世界からいなくなってしまうじゃないですか。
そうしたら、バッキーちゃんはまたひとりになってしまうじゃないですか。
サムがいるからいいって話じゃないんですよ。
他の友だち出来るかもよ? とか、陛下やシュリちゃんと仲良くやれそうじゃん? って、そういうことじゃないんですよ。

わたしは、キャップがもしも、バッキーちゃんを連れて過去に行ってくれていたなら・・・ と思わずにはいられないのです。 
一緒に過去に行き、一緒に残り、送ることのできなかった「普通」の人生を送ってくれたなら。
だって、キャップがそれを願わない訳ないじゃないですか。
親友が奪われていた人生を、取り戻してあげたくない訳ないじゃないですか。

トニーとキャップの選択を否定するつもりなど毛頭ありません。
ただ、彼らにその選択をさせたMCUのえらいひとを全力で否定したいだけ。

社長を死なせ、キャップに親友を残させたその結末に、「フェーズ1~3を完膚なきまでに終わらせる」、という以外の理由があるのなら教えてほしい。
社長もキャップもそのまま存在する世界だと、スッキリと次のフェーズに移りにくい(どうしても「また出してほしい」という声がでるだろうから)という理由以外になにかあるのなら、教えてほしい。
それだけなんです。

っていうか、マジで前作ぐらいから「なにがなんでも絶対に畳んでやるぞ」感が急に出てきて、特にキャップのペギー関係がそうなんですけども、ここでペギーとの純愛を貫く方針なら、シビル・ウォーでのシャロンとのアレはいらんかったやろ。
ファースト・アベンジャーから始まったキャプテン・アメリカ・シリーズをキレイに畳むには、ペギーとの約束を果たすのが不可欠というのなら、最初からシャロンとのくだりなんて入れなくていいんですよ。
ゴリラの指パッチンで消えたであろうことも含め、シャロンのことを一ミリも心配してないキャップおかしいやろ。
わしらのキャップはそういう男ちゃうぞ。
あと、「I can do this all day」の使い所が無念極まりない~!!!
キャップ対キャップは最アンド高だけど、正直あそこで「I can do this all day」使ってほしゅうなかった!
あのセリフをギャグで使うとはなんともったいことを・・・ それこそ1作目からずっと大事にしてきたセリフやないか・・・ 使うんならシールドのベルト締めなおして立ち上がる、あそこやろ・・・ いや・・わかる・・・ 温存してきた「アッセンブル」をぶち込むなら今! っていうのはわかる・・・ ・・わかるけども・・・ ・・・よっしゃ・・ならばトンカチ持ったところで「I can do this all day」・・ それでどうですか・・・ そうしましょうよ・・・ たのむ・・ そうしてくんろ・・・・まだ間に合うから・・・DVD作るときでいいから・・・・


かように、「終わらせる」ということに重きをおいた作品だった『エンドゲーム』。
文句ばかりいっているように見えるかもしれませんが、過去11年間の総決算であり、観てきた人へのご褒美でもあり、また過去製作に関わってきた人たちへの敬意の結晶でもあった、素晴らしい作品だと思っています。
これだけ大勢のキャラクターを渋滞させることなく描き分け、きちんと見せ場も与えてくれる演出手腕。
緩急ついたストーリー展開で3時間という長丁場を長いと思わせない脚本力。
すごい11年だった。 追い続けて悔いのない11年だった。
偽らざる気持ちです。
観終わった直後のショックからしばらくが経ち、徐々に「エンドゲーム」を受け入れつつあるわたし。
納得いっていない部分は、あります。(さんざん書いたのでおわかりでしょうが)
しかし、先が見えなくても勇気を出して一歩踏み出さなくては。
キャップが言ったように。
未来は、わたしたちが作るのだから。

きっと、わたしたちの想いが作ってゆくのだから。


そう。
われわれにはまだ、マルチバースという可能性があるではないか。






どっこい生きてた社長パターンと過去に戻ってバッキーちゃんと諸国漫遊記をたのしむキャップの新作、心よりお待ち申し上げております!!!

アベンジャーズはまだまだ終わらへんで!!!




- 追記 -

・ サノスに生き物の半分を消されたアベンジャーズたちは、量子世界から戻ってきたアントマンからヒントを得て、天才科学者トニーのひらめきでタイムヘイスト(泥棒)装置を開発します。

・ すぐさまサノスが悪さする時代へ戻り、ガントレットを奪うとか、サノスが強くなる前に叩いとくとか、(タイムストーンのような無理なやつは除いて)壊せそうな石だけ壊しとくとかではないトコロが妙にリアルでいいですよね。 タイムマシーンじゃない、あくまで現在から未来の過去に行くだけなんだ。

・ 3つのチームに分かれ、今までの映画で描いてきた主な出来事に介入しに行く。 「壮大すぎる伏線回収」というか、「これ以上ないファンサービス」というか、とにかく今までのことは全て拾っていくぞ、という強い意志が感じられて頼もしい限りですね。

・ それぞれの時代でそれぞれの縁故者に出会ったヒーローたちは、リアルタイムでは叶わなかった会話に勇気づけられ、決意を新たにするのですが、このくだりの丁寧なことといったらですね・・・

・ 若い頃素直に接する事ができず、残した悔いがトラウマとなっていた社長は、父に感謝を告げ抱擁する。

・ 愛する人との約束を果たせないまま氷漬けになり、再会できた時には年の差が深刻な感じになってしまっていたキャップは、中年にさしかかりいまだ美しいままのペギーをガラス越しに見つめる。

・ 最愛の母をダークエルフとのごたごたの最中あっさり亡くしてしまったソーは、ここぞとばかりにたっぷり甘える。

・ ハルクは・・・・ えーっと・・・ハルクは・・・ いちおう暴れとく?

・ っていうか、アベンジャーズのニューヨーク決戦時、実はサンクタム・サンクトラムの屋上でエンシェント・ワンことティルダさまが人知れず扇子さばきをみせていた設定さいこうオブさいこう!!! ティルダさまの腕まくりは世界遺産レベルや!!

・ ストレンジが自分の代わりに至高の魔術師になるとこまではシュミレーションしてたんだろうけど、死んじゃってるからその先は観れていなかったティルダさま~~~!! 絶対渡さないと言っていたタイムストーンを、そのストレンジが渡したと聞くなりすんなり方針変更する発想の柔らかさよ~~~!!! なんだかんだで結局みんなティルダさまの手のひらでコロコロやで~~~!!!

・ 今回、わたしが勝手に予想していたことがありまして、『ホーム・カミング』から『インフィニティ・ウォー』にかけて結婚ネタがひっぱられていましたし、「結婚式に招待する」というセリフもあったことから、てっきり今回のエンディングはトニーとペッパーの結婚式で、そこにアベンジャーズのみんながアッセンブルするのではないかと思っていたのですよね。 アッセンブルしたのは事実だけど、まさか葬式だったとはな・・・ そんなサプライズいらんねん・・・

・ ガモーラも最後いなくなりましたけど、トニーの指パッチンで塵になった描写はなかったので、あれは自分から姿を消したということでよいのでしょうか。 ガーギャラ3で見つかるといいね!

・ 前作、サノス相手に(たぶん初めてであろう)恐怖を味わったハルクは変身できなくなっていましたが、今回その状態からバナーとハルクの合体状態(プロフェッサー・ハルク)になったくだりがものすごく雑で、「ハルクを病気のように考えてきたんだけどいいとこどりするように発想を変えたらこうなった」みたいな説明しかなかったんですけど、みんなコレ納得してるのかな?  変身できない状態(恐怖)を克服することで強くなるんだと思うんですけど、ポジティブになるだけであれだけ悩み続けてきたハルク化をコントロールっていいのかそんなんで。

・ ソーのメタボ版ホットトイズお待ちしております。

・ ここまで全然触れませんでしたが、ナターシャの死に関してもマジで受け入れがたかったですよね。 

・ 魂と引き換えでないと石を手にできないことはおそらく観客(ほぼ)全員がわかっている中、それでもわざわざクリントとナターシャを向かわせる鬼畜展開。 普通にいけばどちらかが死ぬしかない。 だからこそ、敢えて死なない展開を持ってくるのかと思うじゃないですか。 そこで死んだら「そのまんまかい!」ってなるじゃないですか。 死なないことで、「さすがヒーロー!娘を落としたゴリラとはひと味もふた味も違いますね!」って言いたいじゃないですか。 なのに死ぬのかよ。

・ 絶対の信頼関係にあるふたりを行かせたということは、お互いがお互いを守って自分が犠牲になろうとするはず。 そこでふと、頭をよぎるのは、「同時に落ちたらどうなるの?」ということ。 誰が決めたか知らないが、愛する者の魂と引き換えのソウルストーン。 どちらもが相手を思いやった結果、ふたりが同時に落ちたとしたら・・・。 石を作った者も想定していないであろう事態が観たかったです。 

・ 家族を消されてしまったクリントに家族を戻してあげたいナターシャが、家族同然の仲間(なんだったら自分の一部と言ってもいい)を死なせたくないクリントに一歩勝る。 国や政府にとって都合のいい諜報員として、「正義」のため汚い仕事を背負い続けてきたナターシャ。 愛し合える相手と思ったバナーでさえも、世界を救うために突き放した。 それが彼女の生き方だと、どこまでいっても自分は「怪物」なのだと覚悟してきた。 しかし最後は、「正義」のためではなく純粋に目の前にある一番守りたいものを守って、彼女は落ちた。 

・ 穏やかな表情で「いかせて」とつぶやいたナターシャは、きっと彼女の人生をあのような形で終えることに満足していたのだろう、と思います。 サノスと同じ方法で石を手に入れたんじゃない。 真逆の方法で手に入れたんだ。 これはナターシャにとっての「勝利」なんだ。 そうだろ? そうだと言ってくれ。

・ というわけで、わたしはナターシャの選択を否定するつもりなど毛頭ありません。 ただ、彼女にその選択をさせたMCUのえらいひとを全力で(以下略)

・ キャプテン・マーベルがピーターからグローブを預かり、その彼女を女性軍団が一斉援護にくるシーン。 あざといというか、ポリコレへの目くばせという印象がないと言えばうそになりますが、やっぱりアガりましたね。 かっこいいもん。 純粋にかっこいい。

・ 冒頭、宇宙を彷徨う社長とネビュラの船の前にキャプテン・マーベルが現れた時のあの安心感な! ゴリラのグーパンチを額で受けてノーダメージ! つよい!絶対につよい!! そりゃ出番が少ないのも仕方ない!!(勝っちゃうから)

・ おじいちゃんキャップが持ってきたシールドはどこで入手したの? とか別の世界線で過ごしたあと、どうやってもとの現代に戻ってきたの? とかいろいろ放置された点がありますので、ルッソ監督ならびにMCUのえらいひとは早急にそれらの回答を示す必要がありますね。 あるに決まってんだろ。 大いなる力には、大いなる責任がともなうんだよ!こらルッソ!聞いてんのかよ!

・ 完成版には使われなかった撮影済みの映像が900時間ぐらいあるそうなので、まずはその編集からやっていこうや、な?ルッソ?

・ 俳優さんたちがその気になった暁には、いつでもアベンジャーズを再開してください。 誰も怒らないから。 どっこいパターン大歓迎だから。 あ、あと、次のフェーズも応援します。 もちろんですとも!


関連感想
■ アベンジャーズ
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(前作)
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(前々作)
『アベンジャーズ』(最初のやつ)

■ キャップ
『キャンプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(キャップ登場の巻)
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(バッキーちゃん再会の巻)
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(アベンジャーズ分裂の巻)

■ 社長
『アイアンマン』(アイアンマン誕生の巻)
『アイアンマン2』(ブラックウィドウ、秘書になるの巻)
『アイアンマン3』(ケロヨン、つよくなるの巻)

■ 神さま
『マイティ・ソー』(オーディン、冬眠するの巻)
『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(オーディン、やけくそになるの巻)
『マイティ・ソー バトルロイヤル』 (オーディン、隠し子発覚の巻)


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『キャプテン・マーベル』

2019年03月16日
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※ 公開早々ではありますが、以下『アベンジャーズ』を含めネタバレしておりますので、何も知りたくないという方はそのまま引き返されることをおすすめします。 また、原作・映画に登場する正しい名称や正確な設定にこだわりのある方も、そのまま右上のバツ印をクリックしてページを閉じてください。 独自の解釈に基づく感想ですので、あなたの気分を害する可能性があります。




あらすじ・・・
強い女の人がめちゃくちゃ強い女の人になります。




は ぁ ~~~  『 キ ャ プ テ ン ・ マ ー ベ ル 』 さ い こ う で す わ ~~~!!!!

と、無駄にフォントをいじりたくなるようなメンタル高揚映画でしたよ、キャプテン・マーベルは!
と、無駄な倒置法のひとつも使いたくなるんですってば。 
わかってくださいよ。 えっ?わからない?
それはですね、おおよそ10年かけて描かれてきたマーベル・シネマティック・ユニバースの大きな区切り、その終焉と新たなるスタートの架け橋となるべく作られたこのキャプテン・マーベルが、ホントにアベンジャーズの集大成というか、いいとこ取りというか、ありそでなかったというか、すげえうまいことまとめたな!としかいいようのないおもしろさだったからなのですよ!
では以下、どんな風にいいとこ取ってるかの説明です。

【手からビーム出る】
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手からビーム出すといえばそう、みんなだいすきアイアンマンですよね。 
近年アベンジャーズの「歩くお財布」扱いされて気の毒みが増していますが、通帳残高だけではなくIQも桁ちがい、顔もめっぽうイケてる問答無用・不動のセンターです。
認めますよ。 長年「キャップがナンバーワン」説を推してきましたけども、一般的な人気はけっきょく社長なんでしょ。 いいですよいいですよ社長で。 なんなのあの興行成績の違い。 やはりビームなのか。 ヒーローといえばビームなのか。
アクションシーンでことごとく映える華やかなレーザービーム。
キャプテン・マーベルも出しますよ、ビーム。 
しかもパワーは無限なので、バッテリーが切れることもありません。 
出そうと思えばなんぼでも出ます。
敵をどつくのもビーム、ドアの開錠もビーム、空を飛ぶのもビーム、ミサイルを迎撃するのもビーム。
不調をきたした宇宙船のエンジンに火をつけることなんかも出来るというから驚きじゃないですか。
いいなぁ、ビーム。 その日の気分で出したいな。 
そう全国のちびっこたちに思わせたであろう、キャプテン・マーベルのスーパーパワー。 もう勝ったも同然じゃないですか。


【目が光る】
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目が光るといえばそう、みんなだいすき兄上ことソー・オーディンソンですよね。
最新単独作で髪を切られ、ワイルドイケメン度に磨きがかかったオーディンソン。 
実の姉とのなんだかんだでムジョルニアを失った時にはどうなることかと思いましたが、鈍器に頼らない生き方に目覚めてからは雷パワーが格段にアップ。
やはりね、神さまなんですよ。 神さまは本気になったら目が光るんです。 
えっ? 神さまじゃなくて宇宙人じゃないか? いいんですよ、宇宙人でも神さまでも。 どっちみち誰もリアルで会ったことないんだから。
大事なのは、アスガルドの王子として地球を含む9つの世界を守ってきたということ。
そしてキャプテン・マーベルもまた、人間とクリー人というふたつの血を併せ持つ稀有な存在として、目の前の困っている生命を守ろうとするということ。
身体に神の雷のようなエネルギーをまとわせ、宇宙の守護者であろうとするキャプテン・マーベル。 もう勝ったも同然じゃないですか。


【星がついてる】
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胸に星といえばそう、みんな超だいすきキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースさんですよね。
もやしっ子から筋骨隆々のスーパーソルジャーへと大変身したスティーブは、その激動過ぎる運命の中においても一切ぶれることなく自分の信じる正義を貫きました。
組織に拒絶され、組織に裏切られ、組織に利用されてきたからこそ、自分の直感を大切にしたキャップ。
守るべきなのは目の前にいる弱い人。 
守るべきなのは自分を信じてくれた友達。
キャプテン・マーベルもまた、組織に利用され、裏切られた兵士でしたが、何度踏みつけられようと不屈の精神で立ち上がり正義を貫きます。
彼らの胸にかがやく星は、彼らの信念のしるし。
拳を握り、ファイティングポーズをとるキャプテン・マーベルの口から「I can do this all day」という言葉が出ても、わたしはなんら不思議に感じないでしょう。 こりゃもう勝ったも同然じゃないですか。


【マスクめっちゃ似合う】
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よっ!! マスクが似合ってるね!


【生体のグリーンみが強い】
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キャプテン・マーベルは中身がグリーンで、ハルクは外身がグリーンですよね。
だからどうだと言われましても、そうだとしか返せませんのでご了承ください。
自分でふっておいてなんですが、もうこの話題はいいじゃないですか。
そっとしておいてあげましょうよ。 
誰だよ生体がグリーンとか言い出したの。 オレだよ。


【エンジョイしてる】
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大いなる力には大いなる責任が伴うといえばそう、親愛なる隣人ことスパイダーマンですよね。
責任面はまだ成長途中なのでさておき、スパイダーマンがもっとも他のヒーローと異なっている点は、その力のふるい方なのではないかと思うわけです。
もうね、とにかくたのしそう。 
スーパーパワーを発揮して飛び回っているときのピーター・パーカー、エンジョイしすぎ。 
二言目には「フ~!!」って言ってるから。 英語でいうところの「WHOOOO!!」って発してるから。
観ているこちらもつい、初孫を見守るがごとくほおが緩みますもん。
キャプテン・マーベルもね、言っちゃうんですよね、「フ~!!!」って。敵の宇宙船とか壊しながら。
彼らの素直さ、正直わたしは好感が持てます。 
空を飛びたくても飛べない、でかいやつをぶっ倒したくてもできない、そんな普通のわたしたちが大いなる力をもったとき、どうして浮かれずにいられましょうか。いや、浮かれるやろ! めっちゃテンションあがるやろ!
その力がなにかを傷つけることもある以上、浮かれてなんていられない。 だから、ヒーローは「責任」という重力で地上につなぎとめられる。 
それはそうなんですけども、最近時々あまりの重さに「ヒーローになってもええことないで・・・」と哀しみの方が勝ってしまうことがあるんですよね。
軽快にミサイルを打ち砕き、縦横無尽に空を翔るキャプテン・マーベルの姿は、久しぶりに「おらもヒーローになりてえだ・・」と純粋な憧れを抱かせてくれました。 こういうヒーロー映画を待っていた。 わたしはこういうヒーロー映画が観たかったのです。 はい勝った。これもう勝ったでしょう。勝った勝った。


いかがでしたか。
他にも、「ブラックウィドウや俊敏おじさんとキャプテン・マーベル、人間っていう点で一緒だな」とか書こうかと思いましたが、いくらなんでもな感じが否めないのでやめておきます。
あと、さっきからお前はなにに勝ったと言っているんだ、と思われた方。 
サノスですよ。 サノスに決まってんじゃん。

有名メンバーの特色をきっちり押さえてMCU総決算的な気分を盛り立て、なおかついろんなメッセージを強めに織り込むことで作品としての質も上げ、基本的にほがらかな性格の登場人物多数で数シーンごとに笑えるポイントがある。
娯楽映画としては言うことなしな上に、キャプテン・マーベルの圧倒的なパワーをみせつけ昨年心に負った『インフィニティ・ウォー』の傷をも癒してくれた『キャプテン・マーベル』。
これで安心して『エンドゲーム』に挑める・・・ オリジナルメンバー総ざらえみたいなトコがいかにも「跡継ぎますよ」的な感じで若干寂しい気がしないでもないけれど、とにかく準備は整いました!

ありがとうケヴィン・ファイギさん。 ありがとうすばらしいキャスト・スタッフのみなさん。
さあ、みんなで宇宙ゴリラをどつきにいこうぜ!


(やっぱりキャップがナンバーワン!!)(個人的見解)



- 追記 -

・ 「いろんなメッセージ」の補足をしてみます。 ひとつはいうまでもなく「自由に生きること」ですよね。 キャプテン・マーベルことキャロル・ダンバースは、幼いころから周囲の男性から彼女の可能性や意志を踏みつけられ続けてきました。 

・ 「お前にそれは無理だ」「女なんかにできない」「男のやることにでしゃばるな」 

・ 単純な否定から善意による制止まで、形はさまざまですが、要は「わきまえろ」ということなんですよ。 本当にできるかどうかなんて関係ない。 ただ女だから、ただ支配下に置きたいから、言葉巧みに心を折る。

・ 女性の上司に恵まれたおかげでアメリカ空軍のパイロットとして腕を振るっていたキャロルですが、その上司を守るため命の危機に瀕し、助けてくれた別の惑星の住人(クリー人)から再び「おまえは未熟だ」と頭を押さえつけられます。

・ これね、キャロル・ダンバースが女性なので「まーたフェミニスト映画か」と冷ややかになる人もいると思うんですけどね、たしかに本作のキャストは女性メインだし、男性の役割は「人のいいヘルパー」か「親切づらした悪人」ぐらいしか与えられていないんですけどね、実際に込められているメッセージは女性だからとかマイノリティだからとか関係ないんですよ。 本作は、自由を奪われたすべての人に贈られた映画だと思うのです。

・ 好奇心を否定され、可能性を潰され、偏った価値観を植えつけられたすべての人へ。 「あなたには無理だ」 「どうせやったって成功しない」 「女なんだから諦めろ」 「男なんだから逃げるな」 「あなたのためを思って」 「あなたに傷ついてほしくなくて」 

・ 厳しい言葉や優しい態度であなたの首元に張り付けられたパッチを引きちぎろう。 それで失敗したっていいんだよ。 間違っていたら引き返せばいいんだよ。 なんどでもやり直して、なんどでも立ち上がる権利があなたにはあるのだから。

・ 「感情的になるな」というセリフが繰り返されていたのも印象的でしたね。 ほんと、実生活でイヤになるほど目にしますからね。 「女性=感情的」っていうアレね。

・ 別にその説がこじつけだとは思いません。 女性の中にも男性の中にも、感情的になりやすい人とそうでない人がいて、その比率が持ってうまれた特性や育った環境によって異なってくるというだけの話だと思います。 わたしが引っかかるのは、「感情的=悪」みたいな部分です。

・ そりゃお互い感情的になっちゃって、会話が成立しなくなったらちょっと困ったなぁって思いますよ。 けれど、感情的になることって、別に悪いことじゃないじゃないですか。

・ 心が通っているから感情的になるんですよ。 自分のために怒り、他人のために悲しみ、過去を想って悼み、未来を想って憂う。 負の感情だけじゃないですよ。 喜びだって愉しみだってみんな自分を生かすためのエネルギーなんです。 そのエネルギーが世界を動かしてきたんじゃないかって、わたしは思いますけどね。

・ 「ほらまた感情的になってる~」と冷笑するジュード・ロウを、有無を言わさずぶんなぐる(ビームで)シーンに胸がすいたのも、感情的だって言われるんですかね。 まあ、いいたいやつには言わせとけばいいいですけどね!

・ 本作を観た人に、もれなくこれから近所のねこを見るたびに「あなたフラーケンっていうのね~ フラ~ケン~」ってメイちゃんのごとくデレデレになる呪いがかけられました。 おめでとうございます。 

・ 齢46歳、90年代を謳歌してきたわたしにとって、本作の舞台設定はドンピシャすぎて興奮のあまり泡吹きそうになりましたよね。

・ ホール、ガービッジ、エラスティカ、ノー・ダウト、TLC等々の音楽が胸に沁みるですよね・・・ なんだこの中年ホイホイは・・・ 街中にPJ ハーヴェイのポスター貼ってあったで・・・アラニスとかフィオナ・アップルも入れてほしかった・・・

・ グランジファッションですかー!! おう、知っとるで!おばちゃんもやってたやってた!!!

・ 読み込みに時間がかかるパソコンとかネット切断とかマジで抱腹絶倒なんですけど、うちのちびっこたちにはなんのこっちゃわからんかも。

・ ビデオレンタル店で『トゥルーライズ』の看板を壊しちゃうシーンがあるんですけど、妻に嘘をついていたシュワちゃんの顔が吹っ飛ばされるの、その後の展開を象徴しているようでおもしろいですね。

・ ライトスタッフ・・・!

・ クライマックス、ジュード・ロウと向かい合うマーベルねえさんの図は西部劇みたいでかっこいいし、ごちゃごちゃ喋ってるジュード・ロウを一発で済ましちゃうのはレイダースみたいでおもしろかったですね!

・ しかしジュード・ロウ、年々ケン・ワタナベ寄りになっているというか、ケン・ワタナベがジュード・ロウに寄せてきているというべきか、とにかく劇中なんどか「あれ・・・? 謙さん出てたっけ・・?」って思いながら観てましたよね。 こんど兄弟役やってほしい。

・ 醜い者が悪いもので、美しい者が善いもの、という先入観や偏見を逆手に取ったストーリーが本当にすばらしかったのですが、これ2回目を観て答え合わせしたくなりますし、わかった上だと「なるほどなっとく」なリアクションの数々が観られますのでおすすめですよ。 さりげない親切だったり思いやりだったり豊かな感受性だったりに感心します。 「美しい記憶だ」というセリフの印象が全く違ってみえるもんな~

・ 最後に、万が一本編鑑賞前にこれを読まれている方がいらっしゃる場合に備えていちおう書いておきます。

・ 普段映画を観ているみなさんですからまずそんなことは無いと思いますが、本作ご鑑賞の際は絶対本編開始に遅れないよう映画館に行ってください。 トイレも売店も余裕をもって、映画泥棒までには必ず着席してください。 見逃してはいけないものが、そこにあります。 






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『アクアマン』

2019年02月28日
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あらすじ・・・
陸マンが海マンになります。


公開前から「動くラッセン」や「素早く動くラッセン」などの単語を見かけていたので、あまり期待せずに(※ラッセンがきらいな為)観に行ったらどちゃくそさいこう娯楽映画だった『アクアマン』の話をしますね。
とにかくもう、脱帽です。
オープニングシーンからクライマックスまで、オレはいくつ帽子をぬげば許されるんだろうかというぐらいおもしろさがつるべうちでした。
もうぬぐもの残ってない。
頭皮ぐらいしかない。
では以下、ぬいだ帽子についての説明です。


ひとつめの帽子  「ジェームズ・ワン先生」

『ソウ』を観た時、それはもうおもしろくてアイデアも撮り方も今まで観たことないやつで、世の中には才能のある若者がいるものだねぇ・・とそうそうにシャッポをぬいだわたしでしたが、まさかその15年後にDCコミック映画の救世主となりうる傑作を撮ることになろうとは想像だにしませんでした。
『ダークナイト』以降ケチをつけられることの多かったDCコミック映画。
わたしはどれもたのしく観てきましたが、まぁたしかに、陰気だったりクライマックスへの盛り上がりが毎回ぼんやりしていたりと言えなくもなかった。あと陰気だった。
マーベル・シネマティック・ユニバースの隆盛も、なにかにつけ比較されるという意味ではバッドタイミングでした。
満を持して登場した『ジャスティス・リーグ』だって、おもしろかったんですよ。
なのにめっちゃ不評だった。スーパーマンが強すぎるって怒ってる人までいた。 なんだその「ハンバーグがめっちゃひき肉やんけ!って怒ってる」みたいないちゃもんのつけ方は。ハンバーグはミンチだし、スーパーマンは強いんだよ!
今回、ジェームズ・ワン監督は、そんな『ジャスティス・リーグ』さえもアクアマンのためだけに観なおしたい気持ちにさせるほど、魅力的なソロデビュー作をつくってしまいました。
ワイルドでキュートで繊細でつよかった『ジャスティス・リーグ』のアクアマンが全要素それぞれ10倍増しでカムバック。
流れるようなストーリー展開。
まったく無駄のないキャラクター描写。
画面全体をつかってものすごい種類の色とものすごい量の生き物を動かしているのに、その中心にいる主要人物のアクションに自然と目線が吸い寄せられる。
この見易さ、ちょっと革命的だと思いますよ。 
情報量の多い画面においてどんなアクションをやっているか一目でわかるって、当たり前なことのはずなんですけど、最近わかりづらい作品が多いですからね。
さりげなくすごいことをやってのけるジェームズ・ワン先生・・・ そう・・ もうこうなったら先生と呼ばずにはいられない・・・!


ふたつめの帽子 「ザっくんとモモアちゃん」

親しみと敬愛をこめてザっくんって呼んでますけど、これすなわちザック・スナイダー監督のことですよ。
世界でもっとも信頼できる監督ベスト10にランクインしている名監督ザっくん。(※当ブログ調べ)
原作のアクアマンとは似ても似つかないジェイソン・モモア氏をこの役に大抜擢したのは、誰あろうこのザっくんだったというではないですか。
マジかよザック! 大辞林の「先見の明」の項に「例:ザック・スナイダー」って入れようぜ!!
一発で終わるか何発か続くかわからない映画の世界。
たとえ続ける予定ではじめても、ヒットしなければいとも簡単に頓挫するのがおなじみの容赦ない世界であえてモモアちゃんを選んだザっくん。
そしてその選択が間違いでなかったことを堂々と証明して見せたモモアちゃん。
ほんとにね、いかつい顔で無防備に笑うのとか、完全お手上げですよ。
どないせえっちゅうねんっていうぐらい愛くるしいですからね。
でまた、その肉体から問答無用で視覚に浴びせかけられる「なんだかんだでオレつよいよ」圧とその説得力たるや。
どんな苦境に立たされてもユーモアを散りばめ、生まれた環境を慈しみ、思いやりの心を忘れない。
モモアちゃんがアクアマンでよかった。 (原作を読んでいない分際でこんなこと言ったら怒る人いるかもしれませんけども)
ザっくんがモモアちゃんを選び、その個性を最大限に役柄へ反映させ「今までになかったヒーロー・アクアマン」を作りあげたことに脱帽です。


みっつめの帽子 「コンピュータグラフィックス」

映画の技術進歩はとどまることを知らず、亡くなった俳優さんを復活させることも可能なら現役俳優さんの加齢を取り除くことも可能になりました。
『シビル・ウォー』でロバート・ダウニー・Jrが青年に若返ったことも記憶に新しいですが、本作ではアクアマンのおとうさんやおかあさんやお師匠さんが、みんなそろってツルツル顔に大変身。
なかでもおかあさん役のニコール・キッドマンさんの美しさは特筆すべきでしょう。
おとうさんである灯台守と出会ったころのうら若きニコールをとくとご覧あれ!
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(映画の魔法すごい)

ちなみにこのニコールさん、連れ戻しに来たアトランティス王国の近衛兵たちをクルクルまわる系の攻撃技でばったばったとなぎ倒すという、いまだかつて観たことのないハードアクションをみせてくれます。
すげえ時代になったなぁおい!
しかしここまでツヤッツヤにしちゃうと、逆に気を遣いすぎというか、のちのちリアル年齢で出づらくなるんじゃ・・・

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(リアル年齢でもコレモンだった)

ニコール師匠すみませんでした。
あと、デフォーおじさんはエグいぐらい修正されていましたので、やっぱ映画の魔法すごい。


よっつめの帽子 「コンピュータグラフィックス その2」

海の中を舞台にした映画は過去にもありましたが、潜らずに海を描き、なおかつここまで海っぽく仕上げた映画は過去になかったのではないでしょうか。
水中特有の浮遊感を出すため特殊なハーネスをつけて撮影されたそうですが、髪の漂い方から水の壁を経たようなゆらめきなど、全カットにわたりほんとうに事細かい効果が施されていてすごいなぁ・・と感心しました。
あとはやっぱりなんといってもクライマックス。
甲殻類や魚人族や攻撃型サメや戦闘用タツノオトシゴや流線形の乗り物や海の生き物たちが画面狭しと暴れまわり、『ロード・オブ・ザ・リング』ばりの大乱闘を繰り広げるのですが、ただただ圧巻のひとことでした。
ザリガニとイカを悪魔合体したような「カラゼン」という巨大怪獣もバルログみたいでかわいかった・・・
また、本作はアクアマンといえども海の中だけでお話を済ませるのではなく、サハラ砂漠やシチリアのひしめきあった街並みをも舞台にするので、ここいらへんの「実際の映像」と映画の魔法のミックスなんかも相当大変だったのではないかと思うわけですよね。
どこからがどこまでか、というのがホントにわからないぐらい自然で、「これトムだったらマジで全部やってるな・・・」と思いながら観ていたのですが、さて、どうだったのでしょうか。


いつつめの帽子 「声だけの出演」

さきほど『ロード・オブ・ザ・リング』を挙げましたが、実はほんとうに中つ国からアクアマンに参戦されていた方が。
後だしジャンケンみたいでアレなんですけど、観ているときに「ドワーフみたいだな」と思っていた甲殻類の王が、実はギムリことジョン・リス=デイヴィスさんだったことを、パンフレットを読んで知りました。
なかなかどうして少しの出番ですよ?! なんつう贅沢なキャスティングなんや・・・!
で、同じくパンフレットで初めてわかったもうひとりの豪華キャスト。
なんと巨大怪獣カラゼンの声は、ミュージカル映画の生ける伝説デイム・ジュリー・アンドリュースさまだったそうです。
巨大怪獣がメリーポピンズやぞ・・・?! 監督はいったいなにを考えてキャスティングしたんや・・・ っていうかジュリー・アンドリュースさまはなんでオッケーしたんや・・・ でもそういうトコもすき・・・・!!


むっつめの帽子 「メラ」

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(海の映画です)

もうねー! モモアちゃんを観に来てメラさまにノックアウトされるとは思いませんでしたよねー!!
『ジャスティス・リーグ』にもほんのちょっと登場していたメラさまですが、刺身に乗ったタンポポ程度の描写だった前作を全力でなかったことにするかのごとし大車輪の活躍にスタンディングオベーションの嵐ですよ!
とにかくつよい! なんだったら王の継承者であるモモアちゃんよりもつよい!!
腕力一本勝負のモモアちゃんとは違い、水を操る能力をもっていますからね!
えっ?! 水を操る描写がスカーレット・ウィッチっぽかった?! 
あっちは赤でこっちは青でしょうが!よくごらんなさいよ!!
海水だろうが淡水だろうが、味がついている水だろうがなんでもこい! もちろんアルコールもイケるくちですよ、なんてったって水ですからね!
政治的な駆け引きから咄嗟の機転まできくこの知力!
そして、アトランティスの現王であるオームの性格をきっちり把握して、独断でモモアちゃんを連れ戻しにいくこの行動力!
常にモモアちゃんと対等(もしくは少し上)で世界を救う旅に出るメラさまもまた、今までにありそうでなかったヒロインなのではないでしょうか。
ぜったいワンダー・ウーマンさまと気が合うと思うなぁ! 
もちろん『ジャスティス・リーグ2』出るんですよね? ブルースのことだからちゃっかり目つけてますよね?


さいごの帽子 「人情友情愛情」

アクアマンの両親となる灯台守の人間とアトランティス王国の王女が出会う冒頭のシーン。
とても簡潔で決して長くはないシーンですが、ここでふたりの愛情深さや結びつきの強さがしっかりと描かれていることが、この後のすべてのシーンに活きています。
モモアちゃんが父を敬う気持ち、母を慕う気持ち。
メラさまが海底人の平穏な暮らしを願う気持ち。
バルコが王女に捧げる忠誠心、モモアちゃんに抱く父性愛。
オームが捨てられない母への思慕。
お互いの背後を守りあうモモアちゃんとメラさまの姿のなんと尊いことよ・・・
色彩の洪水のようなアクションシーンだけではない、人が人を想う気持ちが滾々と湧き出ているからこその静かな感動に、わたしの頬は濡れました。

と、いうことでこの『アクアマン』の成功でおおいに弾みをつけて、今後のDCユニバースも大いに盛り上がってくれることを願っております。
さしあたっては来年ワンダー・ウーマンさまが帰ってきますし。
わしはまだ、『ジャスティス・リーグ2』を諦めてないぞい・・・!


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『ミスター・ガラス』

2019年01月29日
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※ のっけからネタバレしています



あらすじ・・・
正義のヒーローと悪の帝王とその両方を、神さま気取りの自警組織が公平に始末します。


『ミスター・ガラス』はやさしくない。
過去のシャマラン作品、中でも『アンブレイカブル』『スプリット』を観ていない人にはやさしくない。
観客が『ミスター・ガラス』で最初に目にするのは、引き締まった体に落ち着いた色調のスカートをまとった禿頭の男性と、拘束された四人のチアガール。
男性はチアガールに近づき、優しく語り掛ける。
「ピーナッツバターサンドはいかが?」
もう既にわけがわからない。

『スプリット』を観ている人には、この人物が女装した男性ではなく「パトリシア」という女性だということがわかる。
そして、『スプリット』のラストで廃動物園から逃げおおせた24人のマカヴォイが、新たな犠牲者を作り出そうとしているのだと察する。
続いて画面に現れるのは、通行人にいきなり暴行を加え、それを動画配信サイトに流して炎上を期待するクズと、彼らの家に侵入し制裁を加えるブルース・ウィリスだ。
どうしてブルース・ウィリスはこんな自警活動をしているのか。
しかも彼を手伝っているのは息子とおぼしき青年ではないか。
『アンブレイカブル』を観ている人には、この青年が父親の不死身を信じて拳銃を握っていた、あのいたいけな少年の成長した姿だということがわかる。
そして、『アンブレイカブル』のラストで自らの宿命を悟ったブルースが、息子をサイドキックにヒーロー活動を続けていたのだと察する。
しかし、観ていない人にはわからない。 
わからなりに、きっとこれは悪いマカヴォイをブルースがやっつけるヒーロー物なのだろう、と察し始めると、その刹那、ブルースとマカヴォイは警察に逮捕され、精神病院に強制収容される始末。
そして、満を持して車いすの上のサミュエル・L・ジャクソンが登場するのだ。

ここまでは本当にやさしくない。
「おまえら誰なんだよ」、という思いが「みなさんご存じでしょう」に弄ばれる数十分。
前2作を観ている(ことはもちろんのこと、中でもシャマラン作品をすきでい続けている)人は、精神病院に三人が揃い踏みという状況だけで大興奮だけれども、初見なら、「へぇー、ブルース・ウィリスが出てるのかー なんかのアクションかな?」ぐらいのテンションで来たのなら、戸惑う人も多いのではないだろうか。

しかし、ここからは一気に、いや、これはわたしの「そうであってほしい」という希望というか願望なのかもしれないが、ここから物語は一気にわかりやすくなってゆく。

壁を手づかみで登れるほどの強靭な体力をもつマカヴォイ、老いていながら彼と互角に戦えるほどの力をもつブルース、そんなブルースと過去に因縁があったらしきサミュエル兄貴。
彼らを「治療」するためやってきた女医は、ひとりひとりと面談を重ね、粘り強く彼らのバックボーンを解き明かしてゆく。

チアガールを監禁していたジェームズ・マカヴォイ(ケビン)は、幼いころ受けた虐待のせいで解離性同一性障害を発症した不幸な青年。
24ある人格の中でも過激な思想を持つ人たちが女の子をさらい、聖なる捧げものとして殺害していた。
悲惨な事件だけれど、これはあくまで現実の病気が引き起こした事件で、超常現象ではない。

凶悪なYoutuberやマカヴォイのような犯罪者を尾行し、勝手に制裁を加えていたブルース・ウィリス(デヴィッド)は、幼いころクラスメイトからのいじめで溺死しかけた過去を持つ。
それが原因で水が苦手になり、一方で強烈なトラウマを克服するため体を鍛え、悪を処罰するようになった。
助けられた人たちもいるけれど、これはあくまで法を無視したひとりよがりな正義であり、現実を超越したスーパーヒーローなどではない。

過去にいくつものテロ行為で数百にも及ぶ犠牲者をだしてきた犯罪者サミュエル・L・ジャクソン(イライジャ)は、骨形成不全症という先天性の疾患を抱えうまれてきた。
すこしの衝撃だけで体中の骨が折れ、入退院を繰り返したサミュエル兄貴は、はたして喜びよりも痛みの方が多い己の人生に意味はあるのだろうか、と問うようになり、その答えを手に入れるため大量殺戮を企てるようになった。
すぐに壊れてしまう自分がいるのは、絶対に壊れない誰かが存在するためだ、と信じたくなる気持ちは、彼の生い立ちを考えるに同情を禁じ得ないけれど、これはあくまで長い闘病が導いた妄想であり、狂信であり、神話の証明などではない。

女医によって彼らの思想に原因が与えられ、特殊性は打ち消されてゆく。
『アンブレイカブル』『スプリット』を観ていない人にも伝わったであろう、このガッカリ感。
多重人格の力持ち・マカヴォイ、体力自慢の正義感・ブルース、病弱からきた自己肯定欲求の塊・サミュエル兄貴。
特別だと思ったのに、普通の人。
じぶんにもなにかできると思っていたのに、無力であると突きつけられるかなしみ。
堅い岩盤だと思っていた足元の地面が、シフォンケーキみたいにふわふわだったことの衝撃。
『アンブレイカブル』『スプリット』を観ている人には、さらなるガッカリ感が押し寄せた。
いやいや、彼らはちょっと才能ある程度の人間じゃないよ!ぜったい怪我しないんだよ!とあの時のジョセフ少年のように首を横にふりたくなる一方で、もしかしたら、と疑問がよぎる。
たしかに解離性同一性障害の原因は虐待かもしれないし、ブルースが溺れる以前になんらかの病気を患ったり怪我をしたりしたことがあるかどうかはわからないし、サミュエル兄貴は体が弱くて頭がいいけどそれを理由にテロをするのはあたまおかしい。つまりあたまおかしい。どうしよう、マジであたまおかしい。

いったんあげて落とされる。
前二作を観ていない人も、観ている人もきっと感じたはずの喪失感。
抱いていた期待をひょいと取り上げられた時の喪失感。
しかし、ここからが本当のシャマラン本領発揮タイムの始まりなのだ。
我々は、落とされたのちに、またあげられるのである。

先日、シャマラン先生のインタビューを読んだ。
『シックス・センス』で大ヒットをとばしたあと、先生はハリウッドの寵児となりめちゃくちゃチヤホヤされまくったらしい。
「よっ!天才!」
「今度はうちで撮ってくださいよ先生!」
「なに言ってんだ!先生はうちで撮ってくれるんだよ!ね、先生!」
しかし、先生の新作が思うようなヒットを生み出さなくなった途端、取り巻きは手のひらを返し先生を嘲笑するようになる。
「よっ!どんでん返しの一発屋!」
「あいつもう才能ないよね」
「映画撮りたい?金は出さんぞ!」
おまえらの舌は何枚だと言いたくなるけれど、それもまた現実だ。
自分がどれだけ自分の力を信じようとしても、周りから全力で否定されるこの世の地獄。
だからこそ、ケビンであり、デヴィッドであり、イライジャだったシャマラン先生は彼らをふたたび輝かせたのだろう。
彼らになにかを期待していた我々に、輝きを与えてくれたのだろう。

実は、女医はとあるハイソサエティな団体に属していた。
政府の高級官僚や警察組織にまでメンバーを潜ませるその団体は、手首に三つ葉のタトゥーを入れていることと、ブルースたちのような特殊な能力をもった人たちの存在を世の中に知られないよう秘密裏に処理してきたことぐらいしか明らかにならない。
「普通」から外れた力は、人々を不安にさせるからなかったことにしよう。
正義だけを、悪だけをなくしたら均衡がくずれるから、両方消してしまおう。
全ては世の中のため。 
しいては他とは違う能力のせいで生きづらさを抱えてきた彼ら自身のため。
女医たちは、あくまで「よかれと思って」自分たちが普通じゃないと判断した人たちの存在をなかったことにしてゆく。



わたしが『ミスター・ガラス』に心を打ちのめされたのは、まさにこの部分だった。



マカヴォイのように超人的な力を持たず、ブルースのように不死身の体を持たず、サミュエル兄貴のようにドチャクソが頭よくないにせよ、いわゆる「普通」という「枠」から外れた人たちはいる。
わたしの娘もそうだ。 
彼女は発達障害者で、幼いころから「普通」とは違っていた。
早い段階で診断を受け、療育を受けたり薬を飲んだりしながら、ゆっくりゆっくりと成長していったものの、治る病気ではないのであくまで障害とひざを突き合わせ、なんとか折り合いがつくようやっているというのが現実だ。
わたしは娘の障害を恥と思ったことは一度もない。
むしろ、彼女の爛漫さ、素直さ、不器用さが愛おしくてたまらない。
彼女の存在を、きっとほかの家庭の障害をもたない子どもたちにその保護者が抱くのと同じように、特別なものだと思っている。
しかし、もちろんかわいいだけで済んだら障害でもなんでもないのであって、娘の人生は、それはもう苦難の連続だった。
周囲との違いに苦しみ、コントロール不能な発作的衝動に振り回され、自己嫌悪に陥り、少しの理解を求めては得られずまた苦しむ。
そんな娘の現実をわかってほしくて周囲に「発達障害だもんでね」と話すと、今まで何度も「発達障害なんかじゃないよ!」と否定されてきた。

もちろん、否定してきた人の中に「よかれ」と思って言ってくれた人も多いことはわかっている。
病気なんかじゃないよ、ふつうだよ、子どもなんかそんなもんだよ。
やさしさのつもりでかけられた言葉が、わたしの心に重くのしかかる。
いや、障害だから。 さまたげられてるから。 娘の人生に実害出てるから。
「普通」の子が二、三回で出来ることを100回やっても出来ないことは、着実に娘の足かせになっている。
ただ、それもひっくるめての娘なのだ、と。 認めてほしかっただけなのだ。

特殊能力がいいものばかりとは限らない。
サミュエル兄貴が悪い方向にふれてしまっていたように、本人の人生のさまたげになるような特殊能力だってある。
しかし、娘は困難なことが多い一方で、わたしがびっくりするような想像力を発揮することもある。
ルールに縛られない空想・想像の世界で、彼女は天才なのだ。
彼女は、発達障害で、生きづらさを抱えていて、あふれんばかりのイマジネーションの源泉で、世界にひとりしかいない特別な人間なのだ。
それを「よかれ」と思って否定してくれなくてもいい。
「普通」の「枠」に無理やりはめ込もうとしてくれなくてもいいのだ。
だって、「枠」の中にいないことは悪いことじゃない。 
恥でもないし、うしろめたいことでもないじゃないか。

一度は女医によって「枠」にはめ込まれそうになったマカヴォイ、ブルースは、決して自分の能力を疑わなかったサミュエル兄貴によって再び力を取り戻す。
そうであった自分に戻る。
大事なのは、自分が他人と違うということを恐れないこと。
そして自分が持っている力(才能)を信じること。
シャマラン先生からのでっかい想いがスクリーンを満たし、わたしは静かに涙を流した。
マカヴォイもブルースもサミュエル兄貴も、自分がなすべきことをやり遂げた結果、団体に処理されてしまったが、彼らの存在はなかったことになるどころか「ある」ものとして、世界に二度と消えない痕跡を残すこととなる。

シャマラン先生は神話という形でヒーローの誕生を描いたと同時に、この世の中にきっといるであろう、「特別」な人たちを肯定してみせた。
「普通」と違うことはおかしいことじゃない。
たとえ周囲に否定されたとしても自らの才能を見捨てなくていい。
夢は捨てなくていい。 
そのままの自分でいればいい。

『ミスター・ガラス』はやさしくない。
しかしそれは入口だけだ。
シャマラン先生がこしらえた迷路の先に待ち受けている、あたたかくも力強いメッセージを、どうかまっすぐに受け止めてほしい。


わたしは思う。

『ミスター・ガラス』ほどやさしい映画はない、と。




- 追記 -

・ と、いうことでさいこうでしたよ! 泣いた泣いた! 19年かけてこんなさいこうな映画撮ってくれるんだからシャマラン先生マジ一生ついていくわ!

・ 正直、わたしが感じただけなので、別に発達障害の映画でもなんでもないですよ!

・ あと、劇場で観ていたほかのお客さんがどう思ったかは知らん! 

・ 伝われ・・ 噛めば噛むほど味が出るシャマラン・ワールドの愉しさ・・・・!

・ マカボイがすごいのは『スプリット』で証明済みでしたが、今回はさらに輪をかけてすごかった。 ギャラ24人分あげてくれ!!

・ 息子のジョセフを子役からそのまま演じていたスペンサー・トリート・クラークさんがまたいいんですよねー! ホラー映画の脇役ぐらいでしか観てなかったけど、本作で再ブレイクするんじゃないかな!してほしいな!!

・ 散々オオサカビルでの決戦を匂わせときながら、病院の庭だけで終わらせるシャマラン先生さすがっす!!

・ キリスト教でおなじみ三位一体を現す三つ葉の団体。 まさか続き作りませんよね? まぁ、作ってほしくないっていったらウソになりますけどね!




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