隣の家の陽子。 「絶叫」読感
2014年10月28日

あらすじ・・・
単身者用マンションの一室で発見された、「ひとりの女性」の残骸。
猫に食われ、肉の破片と汚物と骨だけを残しながらひっそりと朽ち果てた女は、どのように生まれ、どのように死んでいったのか・・・。
というわけで、みんな待ってた葉真中顕さんの新作長編「絶叫」を読みましたよ!
読み始める前からネット上に散見されていた絶賛の声に、なんとなく気構えてしまいながら開いたページが、まぁ飛んでゆく飛んでゆく!
522ページ目に綴られた最後の言葉が目に入った時、時計の針は表紙をめくった時から3時間が経過しており、わたしは、「鈴木陽子」というひとりの女性が経てきた「不幸を大鍋でぐつぐつ湯がいてとった煮汁」のような壮絶な味の半生を飲み乾したことへの、なんともいえない達成感と、それに見合わないほどあっけなく過ぎていた現実世界での時間への、「え?あんなに濃い経験したのにまだこんな時間?」という不可思議さに脱力してしまっていました。
つまり何が言いたいかと言うと、一度読み始めると時間が経つのを忘れるほどのめり込んじゃうよ!ということです!
1973年10月21日に生まれた陽子が歩んできた半生、それは、1973年1月に生まれたわたしが見てきたのとほとんど同じ40年間でした。
当たり前のように家を守る「弱い」母親、7人の敵と戦う「強い」父親、今よりもずっとおおらかだったテレビ放送、今よりもずっとでたらめだった環境意識。
そんな中に生まれたわたしたちは、今では信じられない程窮屈で、驚くほど奔放な文化を享受しながら育ってきました。
特別あたまが良くなくても、なんとかなった時代。
取り立てて才能がなくても、どこかに拾われていた時代。
ぶくぶくと膨れた泡が目の前ではじけ、未曽有の大災害を経験し、狂信者たちが起こした非道な犯罪を目の当たりにし、「なにかがおかしい」「どこかがおかしい」と感じながらも、なんとなく生きてきた40年間。
生きてこられた40年間。
陽子の物語に登場する世俗・風俗のなにもかもをわたしは知っていて、そのすべてに直結した記憶を持っていて、しかし、陽子の目に映った風景とわたしのそれは、あまりにも異なっていました。
あの事件、あの騒動、あの渦中に、自分はどんな恋をし、何に夢中になっていたかという感傷が呼び起されると同時に、目の前のページの中で真っ暗な社会の深部へと沈み込んでゆく陽子の姿にえもいわれぬ申し訳なさを感じてしまった。
申し訳なさと、すこしのもどかしさを。
そう、正直に言いますが、わたしは陽子に苛立っていたのです。
確かに陽子の生い立ちは不幸でした。 けれど、いくつかのターニングポイントもあったはず。
どうして陽子はあえてこの道に進んでしまったのか?
なぜ陽子はもっと別の側面を見ようとしなかったのか?
わたしは、川面を滑ってゆくひとひらの花弁のように、あっちの友人こっちの知り合い、果ては初対面の人物にすら流れ流されてゆく陽子に対し、「なにやっとんじゃい・・・!」というもどかしさを感じていました。
不幸のつるべうちとも言える陽子の半生。
しかしそれは、決して珍しいものではなく、意外とありがちで、実はありふれた不幸なのではないかと思うのですよね。(後半に出てくる「不幸」はちょっと度を超えた不幸でしたけども)
「幸せ」のラインをどこに引くかで、当然ながら「不幸」のラインも決まってしまう。
温かい家族に包まれ、惜しみない抱擁と愛情を注がれれば幸せなのか。
充分な愛情はなくても、ふた親とも揃っていれば幸せなのか。
片親でも、住む家があって温かい布団で眠ることができれば幸せなのか。
借家の三畳一間でも、とにかく三食食べられるだけで幸せなのか。
なにはともかく、命があるだけで幸せなのか。
たとえ取り巻く環境や条件が似通っていても、誰かは「幸せ」だったと感じ、別の誰かは「不幸」と受け取るもの、それが人生。
陽子が選んだのは、後者でした。
もっと言えば、陽子の両親が選んだのが、まさに後者だった。
もともと与えられなかった陽子とは違い、手元に既に「幸せ」があったにも関わらず、そこには見向きもせず貪欲に「ないものねだり」を重ねてきた陽子の両親は、きっとどんな幸運に恵まれても満足しなかったのではないでしょうか。
陽子の一番の不幸は、そんな大人たちのもとで育ったことなのかもしれませんし、だからこそ、彼女は後者を選ぶしかなかったのかもしれない・・・。
わたしの中の苛立ちは、いつしか「自分の考え方だけを物差しにしていた」自分自身への苛立ちへと変わっていました。
そして、ある恐ろしい事実に気づき、ハッと背筋に冷たいものを感じたのです。
世の中にいるたくさんの「陽子」を追い込もうとする、「自分とは違う」ことを「甘え」とか「軟弱」とか「ズルさ」という言葉で責めたてる人たちと同じ場所に、自分が足を踏み入れそうになっていたという事実に。
陽子はわたしじゃない。 近いようで遠い、隣の家の知らない子です。
その家で起こっていることを知ろうとするのか、彼らにも非がない訳じゃないから、と見て見ぬふりをするのか。
わたしたちの選択は、いずれ巡り巡って自らの人生を左右するかもしれない。
なぜなら関係無くなどないから。
すべてはつながっているのだから。
本作には陽子以外にも「不幸」な環境で流れ流されて生きてきた「かわいそう」な人たちが登場し、仲間内で食ったり食われたりしてゆくのですが、その様子は無情を通り越して滑稽と思えるほど。
そして後半、彼らの中で誰よりも「食われる」立場にいたはずの陽子が、桁違いの「無情」に直面したことで悟りの境地に達する場面は、爽快さと不気味さで心が粟立つこと請け合いです。
専門家ではないのでわかりませんけど、シリアルキラーとかサイコパスの心理って、もしかしてこういう感じなのかなぁ・・とゾワワっとなりました。
よ・・陽子さん・・・ 悟るならもっと別の方向でお願いしたかった・・・! 無理か・・無理なのか・・
不幸、ふこう、フコー、とFUKOゲージが満タンになりそうな半生に対し、陽子が選んだ幕引きの方法。
「弱さ」を「強さ」に変えたように見える彼女の凛とした眼差しは、晴れ晴れとしたようにもみえ、また、とてつもなく憐れにもみえました。
秋の夜長におすすめの、珠玉の一冊です。
ぜひ!
・・・ところで、作中陽子が読んでいた「生まれ変わりをテーマにした」少女漫画が気になって仕方なかったのですが、瞬時に浮かんだのは「ときめきトゥナイト」だったものの、世代的には「ぼくの地球を守って」かもしれないし、のんきに読んでる感じだったので前者の方が可能性高い気もしたりして、そこんとこどうなんでしょうね! ・・・っていう同世代ならではの楽しみ方も出来ますので、40代前後の方もぜひ!
(※ 以下ネタバレを含む感想)


「ロスト・ケア」 いま、この世界で生きるわたしたちへ。 (読感)
2013年02月16日

あらすじ・・・
〈彼〉は満足そうな笑みを浮かべ、証言台(そこ)に立っていた。
43人もの人間の命を奪った事に、後悔はなかった。
これから自分にくだされるであろう判決に、恐怖はなかった。
いや、全くないと言えば嘘になるかもしれない。 しかし、それらもすべて、〈彼〉は覚悟の上のだったのだ。
〈彼〉は静かに思いを馳せた。
自分の放った「矢」が、自分が消えたあとの世界にどんな穴を穿つかを・・・。
第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『ロスト・ケア』を読み終えた瞬間、わたしは大きく息を吐き出しました。
胸の中にたまった「気持ち」を、すべて吐き出してしまいたかった。
しかし、肩を上下させ、なんど吐き出そうと努めても、その「気持ち」はわたしから離れて行こうとはしませんでした。
そして気づくと、吐き出しきれなかった「気持ち」は涙となって、わたしの中から溢れ始めていました。
殺人者に対する憤りでもなく、偽善者に対する困惑でもなく、家族愛に対する単純な感動でもなく、未来に対する絶望でもない、説明のつかない複雑な「気持ち」。
それは、70代の親を持ち10代の子どもを持つ、40代のわたしの中に深く広がる不安だったのか。
それとも脳裏に、あの日病院のベッドの上で痩せ細ってしまった身体を横たえていた、家族の姿がよみがえったからなのでしょうか。
『ロスト・ケア』が主に取り上げているのは「少子高齢化」、そして「介護問題」です。
どちらも、今すぐそこにある不安だけれど、今すぐ向き合おうという気にはなれない問題。
待ったなしのはずなのに、もうちょっと、もうちょっとと先延ばしにしてしまっている問題。
『ロスト・ケア』の登場人物たちは、その問題に直面し、あるものは救われ、あるものは困窮し、あるものは絶望の果てにひとつの決意を固める。
そして物語のうねりは、もっと大きなテーマへと流れをかえてゆきます。
「わたしたちは、この世界で、どう生きてゆくのか」と。
「介護は家のもの(主に嫁)がして当たり前」だった時代から、わずかながらも時は流れ、「第三者のサポートを受けれるだけ受け、なるべく負担を減らすようにしましょう」へと変わってきていることは確かです。
少なくとも、そう叫ばれるようにはなってきている。
しかし、いざ「第三者」のサポートを受けようとしても、そこには介護保険制度やさまざまな壁が立ちふさがり、実際に介護を必要としている人が受けられるサポートは、決して充分ではありません。(※一部のお金持ちを除いて)
では、すべての介護する人、される人たちが穏やかに暮らせるだけのお金を、社会保障にまわせばいいのか。その財源はどこから確保してくるのか。
結局、お金のない弱者は「愛」で自分を慰めつつ、綺麗事だけでは済ませられない現実を受け入れるしかなく、その最も哀しい結末が「介護殺人」として日々ニュース記事となり、わたしたちの目に飛び込んできます。
もちろん、そんな結末だけがすべてではありません。
でも、悲劇は確実に存在している。
介護に疲れはて、明日の生活に絶望し、「もうおわらせてくれ」と懇願され、苦しみ抜いた結果家族を手にかけてしまった人は、果たして殺人者なのか。
その背中を押させた「モノ」こそが、日々大量にニュース記事を生み出させている「モノ」こそが、殺人者なのではないのか。
なんとかしなければならないことはわかっている。
けれど、どうすればいいのかわからない。
「何が正しいのか」を示す事が極めて困難な問題に誠実に向き合い、ひとつの結論へと辿り着くラスト。
それは決して、希望に満ち溢れた未来ではないかもしれないけれど、そこで生きていこうとする人たちの強い意志がある。
本を閉じ、大きく息を吐き出したわたしに、登場人物からの眼差しが向けられている気がしました。
『ロスト・ケア』が放った「矢」は、わたしの心にもたしかな穴を穿ちました。
そしてきっと、これから読むであろうあなたの心にも。
作者の葉真中顕さんは、本作が本格長編小説処女作だそうですが、日本の社会保障制度が抱える問題はわかりやすく説明され、読んでいるだけで心が痛くなるような介護の現状も、「泣き」を煽るような語り口ではなく、極めて冷静に描写されておりますので、重々しい内容ながらもあっという間に読んでしまいました。
さすがは、超人気ブログ「俺の邪悪なメモ」の筆者・罪山罰太郎さんとして、様々な社会問題や将棋、スポーツの話題などを極上のコラムに仕上げてきたお方、別名「TENGAの伝道師」さんですね! TENGAってアレですよ、卵型とか色々とシャレオツな形状をしたアレ。 おっと!これ以上は勘弁な!
また、作中で描かれる「殺人」に対して私たちが抱きうる、「共鳴」「反感」「批判」「同情」「罪悪感」などは、全て登場人物たちによって代弁されてゆき、作者がいかに自問自答し、苦悩の末にこの物語を完成させたことか・・・と、そこに込められた想いに圧倒されました。
葉真中さんの筆から今後紡ぎ出されるであろう新たな物語も、非常に待ち遠しく、とても楽しみです!
言うまでもない事ですが、ミステリーとしても非常に巧みで、序章からさりげなく忍ばせられていた仕掛けにまんまと踊らされ、後半、ある重要な一行を読んだ瞬間には思わず「えーっ?!!」という感嘆の声をもらしてしまった程。
2度、3度と読み返したくなる事請け合いですよ。
小説好きな方も、そうでない方も、邪悪メモの愛読者だった方も、今日たまたま初めてこのブログをご覧下さっている方も、ぜひ!
関連サイト 葉真中顕さんのブログ
(はまなか✩あき さんと読みます。)(漢字だけ見たらどこで切るのか一瞬迷いませんか・・・そうでもないですか・・・わたしは迷いました)(顕微鏡の顕と書いてアキ!)(よし、おぼえた!)


隣の家の元少女は食人族の生き残りでした。 「ザ・ウーマン」 読感
2012年10月05日

弁護士の父クリス、料理上手な母ベル、思春期の弟ブライアン、天使のように無邪気な妹ダーリーンに囲まれ暮らす高校生ペグの毎日は、申し分ないはずだった。
万事順調、のはずだった。
その「女」と出会うまでは。
ウンバボー!(←合言葉)
はい、ということで、全世界のすきもの諸君が首を長くして待ち望んでいた、鬼畜帝王ジャック・ケッチャムの人喰い小説『ザ・ウーマン』がついに発売になりましたよ。
自身の処女作である「食人大家族物語シリーズ」の最新作、しかもマブダチであるラッキー・マッキー監督との共著ということで、ペンを握るケッチャムさんの腕にも自然と力が入っていたのではないかと思うのですが、力が入っていたのはファンである我々とて同じこと。
タイトルとなっている「ザ・ウーマン」。
過去の作品で、強さ、荒々しさ、母性本能、そしてカリスマ性を存分に魅せつけてくれたウーマンの新たな物語とはどのようなものなのか?
否が応でも高まる期待。
あれ・・? でも彼女って、前作『襲撃者の夜』でお亡くなりになってたような・・・?
1作目『オフシーズン』のクライマックスで死んだと見せかけ、どっこい生き残ったウーマンが、また今回も同じ方法で再登板するなんて、まさかそんな反則スレスレの手を使うわけありませんよね・・・
・・まさかそんな・・・
・・そんな・・
・・・・そうなのか・・!

なあんてね!そうです、いいんですよ、細かいことなんて!
いや、べつに細かく説明出来ない訳ではないですけどね? なんだったら説明してあげましょうか? あのね、細かく言うと「生命力がハンパなかった」んですよ。 はい、終了!
致命傷を負ったと思わせ、実はナイフの傷と銃弾1発しか受けていなかったウーマンさんは、持ち前のガッツで狼の巣を奪い取り、二度目のおひとりさま生活を始めます。
山の小川で水を浴び、捕った魚で滋養を蓄え、体の傷を癒す日々。
しかし、そんな生活は危険な「文明人」の手によって脆くも崩れ去ってしまう。
そしてまたもや始まる「ヒト」対「ヒト」の壮絶な闘い。
『オフシーズン』の段階にして既に「危険なのは野蛮な食人族なのか?文明人と食人族の間の壁は、そんなに高いものなのか?」という疑問をがっつり提起していたケッチャムさんの目線は、『襲撃者の夜』でさらに食人族寄りになり、今回の『ザ・ウーマン』に至っては「むしろウーマンさんこそ自由の象徴なんすよ!」くらいな勢いにまで変化しております。
そして、信じられない事に、眉をひそめながら読んでいたはずの読者まで、いつしかそのテンションに同調してしまっているのです。
物語の終盤、追い詰められた登場人物のひとりがウーマンさんに対してある行動を取った時、あなたはきっと、心の中でガッツポーズを決めてしまうはず。
「さあ姐さん!存分にやったって下さいよ!」と。
その先に待ち受けているのが、吐き気を催すほどの凄惨な人喰いカーニバルだという事が判っているにも関わらず、です。
赤く染まっているのは、ウーマンの手なのか。
それとも、小説を持つあなたの手なのか。
ケッチャムさんがニヤリとほくそえむ姿が目に浮かぶようです。
されども、そんなケッチャムさん、ただいたずらに読者に後味の悪さや罪悪感を植えつけるだけではなく、「惨たらしく死んでくれる事を祈らずにはいられない」ほどの悪役を毎回きちんと用意してくれるという、気配り帝王でもありまして。
本作で女どもを肉体的・精神的な檻に閉じ込め、欲を貪る極悪人クリスのクズっぷりときたら、過去のケッチャム作品のイイトコどりと言ってもいいのではないかという程、ホントにもう、なんというか、100回死刑にしても足りないような畜生野郎なのですよね。
性根がそっくりな息子のブライアンも、おとうさんに負けず劣らずのゲスいガキで、読者が同情の欠片も抱くことが出来ない程、彼らの手による鬼畜な行為をたっぷり書き込んでくれたケッチャムさんにマジで感謝!
しょうがない! 動物以下のけだものだもん! これはもうしょうがないよ!
(と、思わされてしまうのも、まんまとケッチャムさんの計算通りな訳ですけどね)
冒頭、バーベキューパーティに興じるクリス一家の描写の、その行間から漂う、彼らの冷え冷えとした関係や死んだ魚のような眼差し。
常識ではありえないような父クリスの決断に、堂々と反旗を翻すことの出来ない腑抜けた一家に隠された秘密の数々が明らかになるとき、冒頭に感じた違和感や異様な緊張感に合点がいくと同時に、あまりのおぞましさに目眩がしました。
なんとおそろしい小説。
これぞケッチャムさんの本領発揮。
「一般的な本」が好きな私の母や父には世界がひっくりかえってもお薦めできませんが、待ちにまったファンのキワモノ欲は十二分に満たしてくれる事でしょう。
超胸くそ悪くて超不謹慎な、自由と尊厳の物語。
すきものの皆さんは、今すぐ書店へ直行だ!
― おまけ ―
・ 「なんぼなんでもそりゃないだろ」と思えるラストですが、尋常ではないレベルのゲスい男連中が存在する事によって「まあ・・ね・・・どうせどちらも生き地獄なら、自由に生きる方がいいよね・・・」となんとなく納得してしまう不思議。
・ だからって人肉は食べたくないんだけどさ!
・ 先生が超不憫
・ 同時収録されている短編「カウ」は、『襲撃者の夜』に出てくるカウではなく、二代目カウの物語だったのですね。 ほどよく従順になるタイプの男だって、よく見抜いたなぁ。さすがウーマンさん!スカウトの天才やで!
・ この調子でいくと、いくらでも食人大家族物語シリーズ作れそうですね。 がんばれケッチャムさん!いっそのことライフワークにしちゃえ!
― おまけ2・忘れちゃっている方向け「過去2作品の簡単なせつめい」 ―
『オフシーズン』
人喰い一家の家族構成(総勢17名?)・・・
・男1(世帯主/赤いハンターシャツ着用)
・男2(弟/180センチを越すスキンヘッドの大男)
・男3(末弟/小柄でガリガリに痩せている)
・女1(年上で太っている)
・女2(若い。赤シャツのお気に入り)
・女3(臨月)
・子ども1(約11歳/妊娠中)
・他、子ども約10人
あらすじ・・・
繁忙期を終え、静けさを取り戻した観光地・デッドリヴァー。 数週間の休暇を過ごす為、NYからやって来た編集者カーラは、妹カップルや元彼カップルを招待し、快適な別荘生活を堪能しようとしていた。 しかし、その別荘が実は、「人喰い大家族」にとっても別荘として使われていたもんだからさあ大変。 ちょうどいい滋養食として目をつけられたカーラたちの明日はどっちだ!
人喰い一家の死に様・・・
・男1(赤シャツ)→銃殺
・男2(大男)→片手首を銃で吹き飛ばされる→銃殺
・男3(ガリガリ)→性器損傷→腹部をほとんど吹き飛ばされ死亡
・女1(太っちょ)→散弾を浴びせられほとんどまっぷたつに
・女2(若い)→腹部を撃たれ死亡
・女3(臨月)→頭のてっぺんを撃たれ死亡
・子ども1 →胸を撃ち抜かれ死亡
・子ども2 →頭を吹き飛ばされ死亡
・子ども3 →火かき棒で頭を割れ死亡
・子ども4 →壁に投げつけられ頭がメロンのように割れる
・子ども5(一番大柄な少年)→マグナムで撃たれ死亡
・子ども6 →銃で殴られて首が付け根から折れる
・子ども7 →流木で殴られ首の後ろから鎖骨が飛び出す
・子ども8 →ポンプガンを左目に押し当てられ、顎を残して頭部が吹き飛ぶ
・子ども9 →腕を折られ口にショットガンを入れられ射殺
・子ども10(約11歳/妊娠中)→ショットガンの台座で背骨を叩き折られる
文明人の生存者・・・
カーラの妹・マージ
おおまかな流れ・・・
人喰い一家が民家に侵入 → 何人かさらわれる → 住処である洞窟に監禁 → 仲間のひとりが助けに行く → 洞窟内で大乱闘 → 警察到着 → 皆殺し → → →
_人人人人人人人人_
>どっこい生きてた!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
感想・・・
人喰い一家は成人男性3人を含めた大所帯。 和気藹々と暮らしています。人を食べる事に特別な意味などなさそうで、要するに魚や動物を捕って食べるのと同じ。ただ、味が格別なので、出来ればもっとニンゲン食べたいなー♪ みたいなノリです。 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』なオチが適度な後味の悪さを残し、誰得とも言える「ニンゲン調理法」も 微に入り細を穿つ説明がなされており「オエー」度満点。
『襲撃者の夜』
人喰い一家の家族構成(総勢11名)・・・
・ウーマン(世帯主/26歳/前作時15歳/右の乳房のすぐ下から腰のすぐ上まで、ショットガンで撃たれた時の幅広の瘢痕がある/左目の上から耳の三センチほどうしろまでやはりショットガンで撃たれた時の傷跡)
・ファースト・ストールン(男性/22歳/オフシーズン事件の1ヵ月後、11歳の時に海岸でウーマンさんにスカウトされる)
・セカンド・ストールン(女性/17歳/5歳の時ウーマンさんにスカウトされる)
・ガール(少女/10歳/ウーマンとファースト・ストールンの子ども/誰かの死体から剥がした乳房のミイラを胸に巻きつけている/オシャレさん)
・ボーイ(少年/6歳/ウーマンとファースト・ストールンの子ども/産まれてすぐの頃左目をスズメバチに刺され、現在右目しか機能していない)
・ラビット(少年/7歳/ウーマンとカウの子ども)
・アースイーター(少女/ファースト・ストールンとセカンド・ストールンの子ども/お腹がすくと土まで食べる)
・赤ん坊(女の子/セカンド・ストールンとカウの子ども)
・ふたご
・カウ(成人男性/本名フレデリック/種付け専用男子)
あらすじ・・・
メイン州デッドリヴァー。人里離れた古民家で、夫でゲームデザイナーのデイヴィッドと生後三ヶ月になるメリッサと共に幸せな日々を送るエイミー。 今週は、DV夫との離婚問題で疲弊している親友のクレアと彼女の8歳の息子ルークを迎え、心地よい休暇を楽しんでもらう予定だった。 しかし、そこにクレアの夫スティーヴンを含めた十数人の招かれざる客がやってきたもんだからさあ大変。 情け容赦の無さには定評のある人たちに目をつけられたエイミーたちの明日はどっちだ!
人喰い一家の死に様・・・
・ウーマン →カウに背中を刺された上、警官隊から一斉砲火を浴び「自分の体が十数箇所で破裂」するのを感じながら海へ落ちる
・ファースト・ストールン →目を撃ち抜かれ死亡
・セカンド・ストールン →胸を撃ち抜かれて死亡
・ガール →銃殺
・ボーイ →銃殺
・ラビット →ツリーハウスから転落死
・アースイーター →首筋を撃たれ死亡
・女の赤ん坊 →ウーマンと一緒に崖から転落
・ふたごの少女 →銃殺
・ふたごの少年 →燠火(おきび)に顔を押し付けられ焼死
・カウ →ウーマンに首を絞められた末、一斉砲火を浴びつつ崖から転落
文明人の生存者・・・
エミリー、クレア、ルーク、メリッサ、もと警察官のピーターズ
おおまかな流れ・・・
人喰い一家が民家に侵入 → 何人かさらわれる → 住処である洞窟に監禁 → 人喰い一家に負けないくらいゲスい男参戦 → 仲間のひとりが助けに行く → 洞窟内で大乱闘 → 警察到着 → 皆殺し → → →
_人人人人人人人人_
>どっこい生きてた!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
感想・・・
前作のラストから11年後という設定。 唯一の生き残りであるウーマンさんが、誘拐したり産んだりしながら作り上げたニューファミリーを引き連れ民家を襲います。 前作では「蛋白源のひとつ」くらいにしか思われていなかった「人肉」は、スピリチュアル方面に開眼したウーマンさんによって「特別な食べ物」と化しました。 中でも、赤ちゃんのお肉は「霊的なパワーが超強い」という事で一族をより強くする為の必須アイテムになっている模様。 ウーマンさん一家、ややこしい事情を抱えたクレア一家、そこにがっつり巻き込まれたエイミー一家の三者三様な絆が物語に深みを与えており、子どもが殺されまくるという鬼畜描写の末に訪れるまさかの大団円に、これまたまさかの大満足という、「オレはヒトとしてどうなのか・・」と自問自答せずにはいられなくなる大傑作。


「今回のご提案はこちら!」 Bootleg Basic ・ 読感
2012年05月24日

遡ること数週間前のゴールデンウィーク、東京で開催された「文学フリーマーケット」において一年ぶりにお目見えした映画評同人誌・Bootlegの最新号『Bootleg Basic』。
「今回買いに行けないんですよねー(チラッチラッ) まいったなーホントはちょう行きたいんですけどねー(チラッチラッ)どうしよっかなー(チラッチラッ)でもなーとは言っても誰かにお願いするだなんて図々しいにも程があるしなー(チラッチラッ)とてもじゃないけど自分からはお願い出来ないもんなー(チラッチラッ)」と一日あたり20通づつDMを送っていたトコロ、「わかりましたから!送りますから!絶対送りますからもう堪忍してつかあさい!」と何故か泣きながら郵送を確約して下さったなまにくさんのお蔭で無事手にする事が出来ました!
なまにくさん、本当にありがとうございました! 少なくとも、次の文フリまでDMは送りませんから安心してくださいネ!
(※経緯に一部脚色あり)
と、いうことで、隅から隅まで舐め回すように拝読させて頂きました『Bootleg Basic』の感想などをば・・。
■ 特集 シネフィルをめぐるキーワードを語る/映画について私が知っている二、三の事柄
(古澤健さん、真魚八重子さん、侍功夫さん)
映画ファンの間を定期的に賑わせる単語は? と聞かれると、あなたは何を想像するでしょうか。
そうです、「シネフィル」ですね。
寄せては返す塩っぱい水のように、折に触れては炎上と鎮火を繰り返すデンジャラスなキーワード「シネフィル」。
「オレってシネフィルだからさぁ」「あーキミって確かに“シネフィル”っぽいよねー」「なんだとコノヤロー!!」 と、使い方によってはいく千いく万の人命が死と死の暗夜に落ちゆく可能性をも孕む言葉が本来意味していたのはどんなモノなのかを、現在もっとも勢いのある映画監督・古澤さんとライターの真魚さんが解説。
どちて坊やとしておふたりをまとめる侍さんの合いの手が冴え渡る名コラムとなっております。
「シネフィル=ゴダールやトリュフォーの映画ばっか観ている人」、というのがアガサのざっくりとした「シネフィル像」だったのですが、その当のご本人たち(ゴダールやトリュフォー)が当時観ていたのはB級映画が多かったとの事にはビックリしましたし、「日本におけるシネフィル=映画評論家・蓮實重彦さんに傾倒した人」というもうひとつの「シネフィル像」も、その当のご本人(蓮實重彦さん)はどんな映画も幅広く鑑賞して面白ければきちんと評価する方なのだという事で、これまた新鮮な驚きでした。
後半に展開される「ゴダール映画のどこがおもしろいの?」論議も、映画の新たな楽しみ方が散りばめられており、「権威」とか「固定概念」にガッチガチになってしまった現代の映画ファンは必読の内容となっているのではないでしょうか。(もちろん自由気ままに映画を楽しむ方にもおすすめの内容ですよ!)
■ ~インディ・ジョーンズから『宇宙戦争』まで~/スピルバーグ作品で見る20世紀以降の戦争のすべて
(速水健朗さん)
スピルバーグと言えば? と聞かれると、あなたは何を想像するでしょうか。
そうです、「残酷描写」ですね。
『E.T.』一本で「心優しい宇宙大好きおじちゃん」像を作り上げたスピルバーグですが、それ以外の作品で手を変え品を変えた残酷描写アラカルトを披露してきた事から、今ではすっかり「一見さりげない風グロの帝王」像としての印象の方が強いはず。 違うとは言わせない。いや、言ってもいいけど。
そんなスピルバーグのフィルモグラフィを、ライターの速水さんがじっくり紐解き、予想以上に多かった“戦争映画”ジャンルが意味するものを解説。
「なんでナチスの映画が多いのか?」「だってナチスはマニアックな乗り物の宝庫だったから!」という一文から伝わる、圧倒的な説得力ときたらね! 映画を観ていれば一同納得ですよね!
スピルバーグが戦争映画にこだわるのは、自らの祖先が味わった恐怖や戦争が持つ理不尽さを世に伝えたいから。
戦争を憎むからこそ、そのおぞましさをうっへっへ~みたいなテンションで徹底的に描き込むのだ。
つまり、「憎さ余って可愛さ百倍!」という事なのかなぁ・・と読後うすぼんやりと思ったのですが、今度スピルバーグに会う予定の人は是非聞いてみてください。
あと、タイトルどおり、「20世紀以降の戦争」のすべてもわかりやすくまとめられていますので、読み応えバッチリでしたよ。
■ 『ドン・キホーテ』の娘たち/フィクションのせいでいろいろとおかしくなってしまうヒロイン
(宮本彩子さん)
今回ブートレグに初参加の宮本さんによるコラムは、「『ドン・キホーテ』の娘たち」。
夜中に車高の低い車がわんさか集まり駐車場内をバターになるまで走り回るドンキでも、キティちゃんの健康サンダルにアディダスジャージの娘さんたちがコスメを買いに来るドンキでもなく、本来の意味でのドンキです。 ホーテの方のドンキです。
「元祖・虚構の現実の区別がつかなくなってアレな状態になった人」が色々な目に遭うおはなしとして有名な、17世紀に書かれた小説『ドン・キホーテ』。
その小説の影響を色濃く受けたとおぼしき文学(もしくは映画)のヒロインたちが、宮本さんの軽快な語り口で紹介されてゆきます。
小説に感化された『ボヴァリー夫人』、テレビドラマに魅入られた『ベティ・ザイズモア』、演じることから離れられなくなった『ラスト、コーション』など、ただ単にアレな人なのではなく、「フィクション」がきっかけでアレな人になってしまった感のあるヒロインの姿は、決して痛々しいだけではなく、時に観る者を魅了してしまう事もある。
それは彼女たちが「私たちにはできない事をやってのけるッ」からなのかもしれませんし、私たちの中には常に「フィクションへの憧れ」がくすぶっているからなのかもしれませんね。 みたいな事を思いながら、たのしく読ませて頂きました!
■ ゴアの飽食
(ナマニクさん)
なんでホラーを観るの? と聞かれる事があります。
そしていつも、それに答えられずにいます。
ナマニクさん渾身のコラム「ゴアの飽食」は、「より残酷に!よりえげつなく!」で突き進んできたホラー映画がたどり着いた新たなジャンル「倫理観の切株」についての考察です。
首が飛んだり、内蔵がどろろーんとこぼれ落ちたりする映画は飽きた。 じゃあ、ただ首が飛ぶんじゃなくて複雑な装置を仕掛けた上で飛ばそう。 でもそれももう飽きてきた。 じゃあ被害者をバカっぽい若者じゃなくてもっと弱い者にしよう。たとえば、妊婦とか、幼児とか。
そんな風に「もっと、もっと」を重ねた結果、ホラー映画界では「タブー無き世界」が展開されるようになりました。
滑稽さもない、カタルシスもない、リアルで不快で非道徳的な世界。
でも、もともとホラーって、そういうものなんじゃないのだろうか。
本文中で取り上げられている『セルビアン・フィルム』について、「わたし、この内容だけは絶対にありえへんわ・・・」とぼやいたアガサに、世帯主さま(※ホラー映画を心から憎んでいる)がこう言った事がありました。
「オレからしたらお前が観てる映画なんて全部一緒だよ」と。
被害に遭うのが湖のそばのキャンプ場で乳繰り合うカップルだろうと、いたいけな子どもだろうと、はたからみれば同じ「人殺し」映画なのですよね。
もちろん、自分の中に「尺度」はあって当然だと思います。 観るも観ないもあなた次第。
しかし、「倫理感をズタズタに切り裂く」映画を作らせたのは、それを求めた私たち自身であるという事からは逃げられない。
その罪深さを自覚しているからこそ、私は「なんでホラーを観るの?」という問いに答えられないのかもしれません。
・・・てな具合にうんうん考えさせられる素晴らしいコラムでした。
一緒に掲載されている、古き良きゴア映画の始祖「ハーシェル・ゴードン・ルイス作品9番勝負」と合わせて読むと一層たのしいですよ。
■ 生まれ変わりに花束を
(深町秋生さん)
えげつないほどかっこいい女刑事が大活躍する犯罪小説『アウトバーン 組織犯罪対策課 八神瑛子』が17万部の大ヒット、続く第二弾『アウトクラッシュ 組織犯罪対策課八神瑛子2』もえげつないほど売れている、今もっとも熱い作家・深町秋生先生の映画コラムが読めるのはBootlegだけ!
ということで、深町先生が愛をこめて綴られているのは「偉大すぎる映画のリメイク版もけっこういけるよ!」というご提案。
『ピラニア3D』や『ドラゴン・タトゥーの女』など、良質なリメイク作品が世を賑わす中、深町先生が特に気に入っているという『新・仁義の墓場』と『新・仁義なき戦い』の2作品が紹介されているのですが、これが血や埃や煙草の匂いが漂ってきそうなステキレビューでして、思わず今すぐレンタル屋さんに走りたくなる事まちがいなし!近所にレンタル屋さんがないおともだちは迷わずディスカスに登録だ!
欲をいえば、文中ちょぴり触れられていた『ドラゴン・タトゥーの女』のレビューも拝見してみたかったのですが、そこはもうしょうがないのでスッパリ諦めて、で、まぁ代わりと言ってはなんですが深町先生の文章にもっと溺れたいあなたは5月15日に発売された最新作『ダウン・バイ・ロー』を購入してみてはいかがでしょうか。 全国の書店にて絶賛発売中ですよ。

(おねだんは衝撃の760円ポッキリ!税込で!)
■ 人喰い映画祭【定食版】/アリからヘビまで、腹ぺこアニマル大集合!
(とみさわ昭仁さん)
古今東西300本の「人喰い映画」を網羅した超ためになる映画ガイド本『人喰い映画祭』の著者・とみさわ昭仁さんが、Bootleg用に書き下ろした「美味しいトコどり」の「定食版」。
「人喰い映画」の誕生から現在に至るまでを、代表的な作品を挙げつつざっくり紹介してくださっていて、まさに「Basic(基本)」という今回のテーマにぴったりなコラムなのではないでしょうか。
既に『人喰い映画祭』を読んだ事がある方も、「人喰い映画」に初めて触れる方も、大満足の内容だと思います。
とにかくね、「実在する生物が人を喰う」映画は「人が人を喰う」映画と違って鑑賞時の「後ろめたさ」がなくなるのがいいですよね! と、常日頃から肩身の狭い思いをしているアガサは思うわけですよ。
食べることは生きること!
人喰い映画さいこう!!
■ 1999年の近未来 ~機動警察パトレイバー~
(破壊屋さん)
アガサには「観たいと思っているんだけどなかなか手が出ないアニメ」が2つあり、そのひとつは『エヴァンゲリオン』、そしてもうひとつがこの『機動警察パトレイバー』なのでありまして。
数多くの映画人にも影響を与えたであろう『劇場版 パトレイバー』をこよなく愛する破壊屋さんが、詳しく解説してくださっているこのコラムを、鑑賞前に読むか読まないかで実はまだ揺れ動いていたりします。
いや、正直言うと我慢できずに薄目を開けて読んじゃったんですけどね。
こちらは本編をきちんと鑑賞してから、もう一度じっくり読ませて頂こうと思います! おたのしみはそれからだ!
■ シャマラン絶対主義!
(真魚八重子さん)
未だに「どんでん返ししか能がない人」みたいに言われる事の多い不遇の鬼才・シャマラン監督を真魚さんが全力でフォロー!
アガサは真魚さんの文章表現がとても好きなのですが、今回のコラムも真魚さんからシャマランへの溢れんばかりの想いががっつりと込められた、とても愛すべき一本となっておりました。
「寂しい柔らかさ」という一文にオレは心が震えたよ!
いや、ホントにどうしてこんな美しい言葉が生まれてくるのでしょうね・・・ 真魚さん超すげえよ・・・。
あと、「シャマランが好きだから」という大前提もあるもかもしれませんが、このコラムからは「映画を素直にたのしむこと」という事が強く伝わってきます。
それは、今回のテーマである「基本」そのものなのではないかと思うのですよね。
決め付けや先入観を捨て、自由に映画をたのしもう。
いつまでもオチの事ばかり気にして、シャマランの世界を斜めに構えて観るのはもったいない。
そうですよね! 真魚せんせい!
■ あの手この手で
(古澤健さん)
映画を観て「あのシーンのあのカットはこういう意図があるんだ」「いやそうじゃなくてこうに違いない」と活発に意見を交わすのもまた、映画のたのしみ方なのではないかと思うのですが、では、本職の方は映画をどんな風に観るのだろうか。
・・・と、アガサはつねづね思っていたのですが、そんな疑問に対するひとつの回答となっていたのが今回の古澤監督によるコラム。
『拳銃魔』『何がジェーンに起こったか?』といった映画の1シーンを具体例に挙げ、それがどのように撮影されたか、また、どのように編集されているのか、そして、それがどれだけ奇跡的なことなのかを、丁寧に説明してくださっている為、読んでいるだけで猛烈に勉強になりました。
作り手にとって、「自分が作る映画」の中に無駄なシーンなどないのではないかと思います。
何気ない、「ただ車が通りすぎる」ようなシーンであっても、いつ、どんなタイミングでどんな色の車がどんなスピードで走り、どんな風に通行人と交わるのかが計算されているのではないかと。
だから、映画のすべてのシーンは見過ごせない。 作り手の思いをしっかり受け止める為には、見過ごすわけにはいかない、と。
まぁ、それはちょっと肩の力が入りすぎかもしれませんが、とにかくこのコラムを読んだアガサは「映画作りってやっぱりすげえ!」と感動すら覚えてしまいました。
ちなみにですが、そんな古澤監督が橋本愛ちゃんを主演に迎え作り上げた新作『Another アナザー』は8月4日に全国一斉ロードショー、武井咲ちゃん主演の『今日、恋をはじめます』は12月公開予定ですよ!あくまでちなみにですけどね!
■ 『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』再考
(マトモ亭スロウストンさん)
映画秘宝にちょいちょい載っている印象の強い、伝説のカンフー映画『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』。
しかし、アガサが観てきたカンフー映画というともっぱらジャッキー・チェンに集中しており、この映画そのものは観た事が無く、さらに勝手な印象から「片腕なんとかって、シリーズものなんだよね・・?しかもいっぱい出てるんだよね・・?」と思い込んでいた為、手を出す事を躊躇っていたのでした。
けしからんですね。 この「自称映画ファン」は非常にけしからんですね。
というわけで、本編に対する知識ゼロの状態で読み始めた本コラムなのですが、過去4冊のBootlegでは見られなかったような、マトモ亭さんの真面目な一面があらわとなっている、とても読み応えのあるコラムとなっていたのでした。
いや、過去のマトモ亭さんが読み応えがなかったとか、そういうじゃなくて。読み応えは今までも十二分にあったのですけど、なんというか、今回は特命係長でいうと変身する前の実直な方の克典みたいなね、そういう様子の違いがあったのですよね。

(今までのマトモ亭さんの様子)(イメージ図)
『片腕カンフー…』をご存知の方はさらに映画をたのしめるでしょうし、そうでない方にとっても中国史の勉強になりますよ!そしてなにより、本編を観てみたくなること請け合いですよ!
■ 勝手に探そう! 再来俳優
(永岡ひとみさん)
毎回、個性的な執筆陣の合間で癒しの場を提供してくださっている、永岡さんによるイラストコラム。
今回は「第二の○○を探せ!」をテーマに、美少年俳優の代名詞だったブラピやリバー・フェニックス、使えるハゲことニコラス・ケイジ、クローネンバーグの女神ことヴィゴ・モーテンセン、脱ぎ専じゃないのに脱ぎまくってくれる美熟女ジュリアン・ムーアの後釜に座れる可能性がある役者さんが紹介されております。
ニコケイの邪悪さが格段にアップしている点が非常に気になりましたよ!いい意味で!
■ ギフトショップから忍び込め!『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』解体
(侍功夫さん)
昨年日本で公開され話題を集めたドキュメンタリー『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』について非常にきめ細やかな解析が為されている良質なコラムです。
アガサは「現代アート」というものには全く興味がなく、文中に登場するアーティストの名前も(村上隆を除いて)ほぼ知らなかったのですが、なるほど、かなりオカシなことになっているのですねぇ。
「価値のない物に後付けで意味をもたせる事で、さも高尚な作品であると思い込ませる。」
もともと「芸術」というものは、こちらの解釈次第でステキなものにもくだらないものにも何にでも成りうるモノだと思うのですが、その解釈すら自由にさせてもらえないほどの圧倒的な「価値観の押し付け」がまかり通っているのが現代アートなのだと。
で、そんな現状をギッタンギッタンにすべく、勘違いアート野郎(元古着屋さんのアーティスト・ミスターブレインウォシュ)を捧げ物の羊よろしく祭り上げ晒したのが『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』だったのだ、という。
もしもそれが本当にバンクシーの意図したものだったとしたら、世界的に晒し者にされたブレインウォッシュさんが可哀想すぎる気もしないでもないのですが、なんでもけっこう売れているアーティストさんになっているそうなので気にしないことにします。 儲かってるヤツは全員敵だ!
今回のテーマ「基本」からは、ちょっと離れているような『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ 解体』だったのですが、「価値観の押し付け」や「からっぽの作品から何を読み解くのか、または曲解してしまうのか」という点は「アート」と「映画」で共通しているのかもしれないなぁ・・・と、ふと思いました。
バンクシーのアートがまとめられたサイトをみた事があります。
後付けの説明も、権威による解説も、作家本人による注釈も何もありませんでしたが、目にするだけで胸がグっとつまってしまうような、とても力強い作品でした。
映画に対しても、まずは目に飛び込んでくる映像を、音を、全身で受け止めて味わいたい。
だって、「なんかわからないけど、とにかくグっとくるんだよ!」 でも充分たのしいじゃないですか。
「権威が褒めたからいい映画」ではないじゃないですか。 ねぇ!
ということで、無理やり最初の「シネフィル論」に繋げて今回の感想は終了ということ・・に・・・
■ ~緊急提案、サムライクンフーは今、何をすべきなのか?~ 山田洋次地獄旅
(マトモ亭スロウストンさん)
終わってなかった!
『Bootleg Basic』の最後を飾るのは、いつものマトモ亭さんによる「緊急提案」。
ブイブイ言わせている方の克典です。 安心の高密度です。
もうね、何を隠そうアガサは毎回『Bootleg』を買うとマトモ亭さんによる締めのコラムから読み始めるんですけどね、今回も最高でした!
文章を読んでこんなにお腹がよじれるほど笑ったのはいつぶりだろうか・・・と思うほど、抱腹絶倒の衝撃コラム!
もしも山田洋次監督が読んだら、『セブン』のラストのブラピみたいな顔になってしまうのではないでしょうか。
今度山田監督に会う予定の人は是非渡してみてください。
魅力的な執筆陣による、新しい映画の楽しみ方に関する提案がぎっしり詰まった、とてもおもしろい本でした!
次回、vol.5もたのしみにしたいと思います!
ちなみにですが、そんな『Bootleg Basic』は輸入DVD専門店ビデオマーケットさんにて5月26日(土)より発売開始予定!通販もあるそうですので地方のぼくらも安心ですよ!あくまでちなみにですけどね!


「アンダー・ザ・ドーム」 綿摘み野郎の声をきけ!
2011年05月23日

あらすじ・・・
平凡で幸せな生活を送っていた主婦のマイラ・エヴェンスが、裏庭でかぼちゃを収穫しようとしていた時、
優秀な医師助手のラスティ・エヴェレットが、14歳の少年のふくらはぎに刻み込まれた15cmの裂傷と対決していた時、
元陸軍兵士のデイル・バービーが、コックの職を辞し自発的に町を立ち去ろうとしていた時、
頭に(文字通りの)爆弾を抱える特別警察官のジュニア・レニーが、初めての殺人を犯そうとしていた時、
人気の無い林道で、一頭の牝鹿が柔らかな若芽をはんでいた時、
それは起きた。
人口2千人ほどの小さな町・チェスターズミルを突如包み込んだ、透明な障壁。
はるか上空から地中奥底まで続くその障壁は、わずかな空気とごく微量の水以外のものをチェスターズミルから遠ざけ、かわりに、有り余るほどの不安と絶望を注ぎ込む。
一切の謎が解き明かされないまま、底知れない狂気に支配されることとなった小さな町で、人々に生きる術は残されているのだろうか・・・?
おかあさん!キングがひさびさにやりおったよ!
正直、ここ数年のキング作品はいまひとつノレないものが多く、出だしこそ抜群の吸引力だったものの後半からもにょっとした雰囲気になり最後は「アレー?」となってしまった『セル』、引っ張りすぎて途中で回想に興味がわかなくなってしまった『リーシーの物語』、そして、おもしろったもののこれまた引っ張りすぎて「なげえよ!」と叫びたくなった『悪霊の島』の3連発で、「もしかしたらもうぼくはキングさんの世界には没入できなくなってしまったのかもしれない・・・」と楽しかったあの頃を思って枕をぬらしたりしていたのでしたが、今回の『アンダー・ザ・ドーム』はスピード感もエゲつなさも段違いですよ!
上・下巻それぞれ700ページ弱というお祭りサイズなのですが、読み進めるのがもうつらいのなんのって奥さん。
とにかく、本作に出てくる悪党がゲスい! ウルトラド級のゲスさ!
物事はすべて、悪いほうへ悪いほうへと転がってゆき、それだけでも頭を掻き毟りたくなるようなフラストレーションに襲われるトコロへ、さらに「これでもまだ最悪じゃない」という文字が飛び込んできた日には・・ね・・。心も折れそうになるっちゅうねん。いや、結局読まずにはいられないんだけどさぁ・・。
ひとつの町にぽとりと垂らされた狂気のしずくが、周りを大きく染めて行き、人々の善と悪の心を弄ぶ。
という物語は、キングの作品によくあるパターンなのですが、今回の「脱出不可能なドーム」という設定が今まで以上に焦燥感を煽り、読んでいて胃が痛くなる事もしばしばでした。
上巻を読み終えた時は、本気で脱落しようかと思いましたし。 まだまだ続くと思われるゲスの饗宴に、つきあいきれる自信がなかったのですよね。
その昔、『IT』を読んでいた頃毎晩悪夢を見るようになって、2週間ほど読むのを中断したコトがありました。
そこまでではないものの、ページを開けばその都度「最悪の事態」が更新される、という状況は心底しんどかったです。
しかし、だからこそ、巻末に待ち構えているであろう大団円(もしくはちょっとしたカタルシス)を味あわないと、自分が救われない気がして、本当にその一心だけでチェスターズミルと首っ引きになっていました。
このゲス野郎(町の有力者ビッグ・ジム)が、地べたを這いつくばってザラザラの砂利を口に頬張らざるを得ないコトになるまで、どうしても途中下車する訳には行かなかった。
ま、キングの小説は大団円がない事もしょっちゅうなんですけどね!スティーヴンこのやろう!
透明な障壁「ドーム」の発生により、外の世界から完全に孤立してしまったチェスターズミルを統治下に治めようと画策する中古車ディーラーのビッグ・ジムは、完全な邪悪などではなく、ムワっとなるほど人間臭い小悪党です。
敬虔なクリスチャンでありながら、堕落した生活に身を委ね、ちっぽけな虚栄心で大きな体を覆い、時には自分を神に重ねたりする程の身の程知らず。
うーん・・・どこかで見たことあるような気がするなぁ・・ ほら、「天災」を「天罰」だっつったり「震災被害」に対して「ざまあみろ」とか言っちゃう人がいませんでしたっけ!ほら、関東の方に!
この手のゲスい権力者は、小説の中のみならず、現実世界でもごくありふれた存在だと思います。
そして、そんな権力者を「諦め」という便利ワードで放置せざるを得ない人々の存在も。
もちろん、ゲスさを個性として寛大にも受け入れ、愚かさを愛嬌として笑い飛ばして支持を表明する人々の存在も。
非現実的な舞台設定を使いながらも、とことん現実的なキャラクターによって生々しい危機感を与えるキングの筆力に圧倒されます。
本作と現実がもうひとつリンクしている点。 「予想もしていなかった状況に直面した時、人はどれだけ簡単に判断力を失うか」という点もまた、私たちはこの数ヶ月の間にイヤというほど目にし、耳にしてきました。
少し待って状況を見極めれば何でもないような事。 愚の極みとしか思えないような差別。
「ふつうならありえない」ような事も、「ふつうでないなら当たり前になる」という可能性は、本を閉じてもなお、常に私たちに突きつけられ続ける恐ろしい現実のうちのひとつだと思います。
『ザ・スタンド』を彷彿とさせるような「善」チームと「悪」チームの対決。
そして、『ニードフル・シングス』も裸足で逃げ出すような大破壊。
クライマックスは、物語のスケールの大きさとは対照的な、小さな、そしてありふれた痛みが散りばめられ、「たったひとつの何気ない命が存在する」という事はどれほど奇跡的な事か・・・というキングのメッセージが力強く謳い上げられます。
人は脆い。
命は儚い。
だけど、心は強くなれる。
弱さを受け入れ、みっともなくても、這いつくばってでも、ひたすらに「生きよう」とする人々の姿に、思わず涙がこみ上げてしまいました。
真に恐ろしいのは、「出られない」ことではなく、「入って来れない」ことなのだ。
という目からウロコな語り口で、1200ページ強もの壮大な物語を一気に紡ぎ上げたキングの巧みさに舌を巻き、これからもずっとキングの小説を追い続けようと心に誓ったアガサだったのでした。
超おすすめですよ!
-おまけ-(※以下ネタバレ)
・ 志村うしろー!(特にラスティ)
・ 「一人で行ったらダメですよ」というフラグを忠実に回収するベテラン女性陣
・ 熟女ばんざい!
・ ジュニアもまた、完全な悪ではない、というトコロがおもしろかったし、悲しかったです。 グリーンマイルのコーフィさんが吸い取ってくれればよかったのになぁ。
・ ま・・・まさかの・・・っ! ・・焼き土下座オチ・・っ!!!
・ いつだって、「いじめ」に理由なんてない。だからこそ、唐突に始まり、唐突に終わる。必ず、終わりは来る。 ほんのちょっとの勇気と、ほんのちょっとの想像力で。

