『アナと雪の女王』
2014年03月20日

特別企画 『オラフママの子育て放談「子どもは褒めてのばしまショ!」』
・ というわけで、今回は自称愛の伝道師・オラママさんに、アレンデール王家の子育て法をご覧いただいたわけですが。 まずはざっくばらんなご感想をお願いできますでしょうか。

・ 王家の第一王位継承者として生まれたエルサさんは、そのずばぬけて個性的な特徴ゆえに数奇な運命を歩むこととなりましたが。

・ しかし、両親である国王と女王の考えはそうではなかったようですが。

・ 結局エルサさんは力をどう扱えばいいか判らないまま成長していたように見えました。

・ オラママさんでしたら、アレンデール国王にどのようなアドバイスを贈られますか?

・ 褒めることで、もっと強大な力になってしまったらどうすればいいのでしょうか。

・ アナさんについてはいかがでしょうか。

・ 少し惚れやすいですよね。

・ 最後に何か一言お願いします。

・ 記憶を消す行為は、頭にかかった魔法を解くために必要だったのでは・・。

(※ 個人的な感想です)(※ 文中の子育て観はオラママの見解です)(※ 子育て観には諸説あります)(※ 自論の押し売り等の意思はありません)
(以下ネタバレしています)
・ ご多分に漏れず、テレビスポットで大量に流されている「レリゴー!レリゴー!」という歌声にまんまとはまってしまったちびっこと共に鑑賞してきました。
・ アンデルセンの童話「雪の女王」をもとに作られたお話だと聞いていたのですが、わたしの記憶にあるそれとは大きく異なった(もちろんいい意味で)、壮大で純粋な愛情の物語となっていて、とても感動しました。 王子様との運命的な出会いや人生を変える一大接吻イベントといった古典的なプリンセスフラグを、全力で粉砕してゆくというアグレッシブな内容だったところも良かったと思います。
・ 一方、ストーリーこそ別物ではあるものの、昔からわたしが漠然と抱いていた「雪の女王っていい人なの?悪い人なの?」という疑問への答えになりそうな人物描写もあったりなんかして、鑑賞後は、雪の女王のみならず、さまざまな御伽噺の中で忌み嫌われてきた「悪役」たちが、その特徴ゆえ選択するしかなかった「孤独」という生き方に思いを馳せながら、ぼんやりと佇むこととなったのでした。
・ 「冬をあやつる」能力に恵まれたものの、そのすばらしさや力の加減を充分に理解する前に「危険なもの」というイメージだけを植えつけられてしまったエルサと、そんな姉の苦しい胸のうちを知らされずただ距離を置かれてしまったアナ。 13年と言う長い青春時代を幽閉状態のまま送ったのちに、諸事情から城内外のみなさんにお披露目されてしまったため、案の定、世間を知らないアナが出会って楽曲一本で即婚約したり、ペース配分を考えられないエルサが冷気を大放出して国中を凍らせたりしてどんどこしょという展開となるわけですが、ホント、先に書いたように、ご両親のやりようがもうちょっと他になかったのかなぁ、と思えてならなかったですね。
・ 愛する妹に魔法をかけてしまった時、誰よりも一番傷付いたのはエルサ自身だったろうに、だれも「きみはわるくないんだよ」と言ってあげられなかったのかなぁ・・。 なんかもう無性に心が締め付けられるようでした。
・ 「コントロールしなさい」とお題目のように唱えるだけでは、何も変わらないもの当たり前で。 だって要するに「否定」されているだけじゃないですか。 不毛な13年を経たエルサが、自分の力は「よくない」もの。周りのみんなに気付かれてはいけないもの。絶対に出してはいけないもの。 と、負のイメージにより一層縛られるようになったのも無理はありませんよね。
・ で、戴冠式当日に派手な氷結パフォーマンスを繰り広げてしまった挙句、「もうあかん」とばかりにお城を飛び出したエルサが「ありのままのわたしでいいんだよね」と滔滔と歌い上げるのが、オスカー歌曲賞に輝いた『レット・イット・ゴー』だったのですが、過去を捨てて前向きに生きようという自己肯定ソングかと思いきや、いや、たしかにそうなのですが、歌い終わったエルサは再び扉をかたく閉ざしてしまいまして。 ああ、やっぱりまだ、エルサは孤独なままなんだ。 お城の中よりは自由だけれど、心は縛られたままなんだな、と思って、またもや涙がジワジワっとこみ上げました。
・ だってね、ホントにね、アナがエルサを探して雪深い山奥まで訪ねて来た時もね、お姉ちゃん全然幸せそうじゃなかったんですもん! めっちゃ暗い顔してましたもん! ぜんぜん「レット・イット・ゴー」出来てませんもん!
・ きっとこの時点での「レット・イット・ゴー」は、本心からきた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせていたんでしょうね。 もう誰にも迷惑をかけない。大事な妹も傷つけない。もう泣かない。過去には戻らない。 一生ひとりで過ごしますよ、と。
・ 「一生孤独」宣言て・・・。 そんな悲しい決断がありますか? そんなつらい選択を、愛する人にさせられますか?
・ もちろん、させられないですよ。 だからこそ、アナはお姉ちゃんを呼び戻すため命の危険を顧みず駆けつけたんですよ。 ええ子やで! アナはほんまにええ子やで!!
・ 感情がコントロール出来なくなってしまったエルサは、再びアナに魔法をかけてしまいます。 今度は頭ではなく、生命の源である心臓に。 その魔法を解くことができるのは、「真実の愛」だけ。 そして、「真実の愛」の正体は、アナが自分の命ではなくエルサの命を救おうとした時に明らかとなる・・。
・ この映画をご覧になったみなさんとは解釈が異なるのかもしれませんが、わたしは、アナの魔法を解いた「真実の愛」とは、アナ自身の愛だと思ったのですよね。 何を犠牲にしようとも、ただひたすら、大切なお姉ちゃんを救いたいんだという愛情が、凍った心臓を溶かしたのではないか。
・ で、そんな妹の愛で、エルサの心にはじめて平穏が訪れたのではないかと。
・ 一度ならずニ度までも、妹を傷つけてしまった。 とげとげしい氷の刃で怯えさせてしまった。 モンスターのようなおぞましい姿を見せてしまった。 そんな、嫌われて当然な自分、見捨てられてもしょうがない自分を、アナは命懸けで救ってくれた。 どんな力を持っていても、どれだけ周りと違っていても、全てを受け入れ愛してくれる人が、ここにいた。 ああ、わたしはわたしのままでいいんだ。 ありのままでもいいんだ。
・ エルサはこの時初めて、そんな風に思うことが出来たのではないでしょうか。 そして、その瞬間、本当の意味でエルサの魂は自由になったのですよね、きっと。
・ もうね、泣くしかないですよね。
・ 周りが個性を認めることで、自分自身を愛することもできるようになる。 色んな自分とつきあっていける自信が芽生える。 ね! だから褒めてのばそうってね! あれだけ口をすっぱくしt(略
・ アナの頭に魔法をかけてしまうまでのエルサは、自分の能力を嫌っていなかったと思います。 むしろ、自信を持っていた。喜んでくれる妹を見て、誇りのようなものも感じていたのではないか、と。 やっと最初の頃の純粋な思いを取り戻せたエルサを観て、本当によかったなぁと思いました。 いやぁ、まったくもっていい映画でした。
・ あと、雪だるまのオラフがかわいすぎて悶絶しましたね。 絶妙にかわいくないビジュアルなのに、観ているうちにどんどん愛おしさが増してくるというディズニー・マジック・・! 夏に憧れるオラフに、山男クリストフが「誰か(暑いと溶けちゃうよって)教えてあげないと・・」と同情の眼差しを向けるシーンがたまりませんでした。 オラフのやろうバカかわいいなまったくもう!
・ 色々男連中は出てきましたが、結局アナを一番心から愛していたのはオラフだったと思うので、ひょっとしたら心臓の氷はオラフの熱いベーゼでも溶けたのかもしれませんよ! ためしてガッテン!!


『レ・ミゼラブル』
2013年07月16日

あらすじ・・・
ジャン・ヴァルジャン、成り上がりすぎ!

【続発する突然死! 散りゆく若き命! 殺伐とした世の中で、いろいろと「すぎる」やつらが無情な人生を謳いあげすぎます・・・!】
・ ジャン・ヴァルジャン、刑期長すぎ!
・ 女性が多い職場、往々にして可愛い子に手厳しすぎ!
・ ジャン・ヴァルジャン、無一文からたった8年で市長兼事業家とか大物になりすぎ!
・ 19世紀のフランス、治安悪すぎ!
・ ファンティーヌ、体調が急変しすぎ!
・ ジャヴェール警部、記憶力良すぎ!
・ コゼットの里親、手クセに問題ありすぎ!
・ ジャン・ヴァルジャン、いくらかの現金だけを持って着の身着のままで幼子を連れ逃亡したのちたった9年しか経ってないのに何不自由なく暮らせすぎ!
・ ジャヴェール警部、高所好きすぎ!
・ マリウス、典型的な金持ちのボンボンすぎ!
・ コゼットとマリウス、衝動的に恋に落ちすぎ!
・ エポニーヌ、幼い頃からクズい親に窃盗や詐欺の片棒を担がされて育ってきたのに、ええ子すぎ!
・ マリウス、エポニーヌを都合のいい女として扱いすぎ!
・ エポニーヌ、一生懸命マリウスに尽くしすぎ!
・ エポニーヌ、「ホントは恋愛対象として見てもらえていないってわかっているけれど、目を閉じれば、想像の世界ではいつでも彼がそばに寄り添ってくれているから大丈夫なんだ・・・」って現実逃避することで「辛い片思い」も「幸せ」に変えてゆくとか、ネガティブなんだかポジティブなんだかどっちなんだかな思考回路が不憫すぎ!
・ わたし、エポニーヌに共感しすぎ!
・ ジャン・ヴァルジャン、指名手配中なのに隠れる気なさすぎ!
・ マリウス、全般的に浮かれすぎ!
・ マリウス、仲間の冷ややかな目に晒されてるのに平常心すぎ!
・ マリウス、「革命とコゼットちゃん、どっちも捨てがたいんだけどとりあえずコゼットちゃん姿を消しちゃったから革命しとくかぁ!」 みたいなサックリとしたニュアンスで革命に参加しすぎ!
・ ていうかマリウス、あのままコゼットとくっついていたら毎日朝から晩までデートで革命どころじゃなくなってたんだろうなーというチャラい雰囲気醸し出しすぎ!
・ ジャヴェール警部、潜入捜査したる!って息巻いてた割には先の見通し甘すぎ!
・ ガブローシュ少年、堂々と敵の前に出てきすぎ!撃たれすぎ!何しに出てきたのかわからなすぎ!
・ ジャン・ヴァルジャン、「遠くに行きます・・探さないでください」って言ってたのに、いつまでも近場で待機しすぎ!
・ ジャヴェール警部、心折れすぎ!
・ 革命を起こそうとした学生たち、「自由、さもなくば死を!」って極端すぎ!
・ マリウス、担がれすぎ!
・ ジャン・ヴァルジャン、担ぎすぎ!
・ マリウスのおじいちゃん、暴動に加わりあまつさえ人を殺めてしまった孫の罪を見て見ぬふりしすぎ!
・ コゼットとマリウス、結婚急ぎすぎ!
・ ジャン・ヴァルジャン、一気に老けすぎ!
・ ファンティーヌ、天国からの参戦なのに坊主すぎ!
・ なんだかんだで沢山無駄死にしちゃいつつも、オレたち(はきっちり爪痕を残していったから、たぶん意志を継いでくれる人たちも現れると思うし、そんな彼ら)の戦いはこれからだ! って感じにええ話に持っていってるけどよく考えたらやっぱ悲惨な話だったよなぁ・・・ と思わせすぎ!
【全体的にはしょりすぎ!】
舞台を観ていて、「ああ、このお芝居をもっと間近で観てみたいなぁ・・」と思ったことはありませんか?
わたしはあります。
その息遣い、その感情の高まりを、目と鼻の先で観てみたい。
役者さんの体温を、全身に浴びてみたい。
毛穴から汗がにじみ出る瞬間を、この目に焼き付けたい。
トム・フーパー監督による『レ・ミゼラブル』は、そんな願いを見事に叶えてくれました。
ミュージカル映画で初となる、歌の同時録音という撮影方法により、「ミュージカルナンバー」はより生々しい「言葉」として胸を響かせ、めまいがするほどのクローズアップから一気に「神の視点」まで上昇するカメラからは、映画ならではのダイナミックさを感じることができましたよ。
ただ、2時間半強でひとりの男性の人生をとっぷりと描ききるには、どう考えても時間が足りていない、ということも否めなく、全体的に端折りに端折った結果、若者たちが命をかけた革命についても、ジャヴェール警部の人生観の変化についても、マリウスとコゼットの運命的な恋愛についても、いまひとつ説得力に欠けた語り口になっていたように感じてしまいまして。
とりあえずですね、みんなタイミングよく亡くなりすぎ。
「宴もたけなわではございますが、お時間の都合もありますので・・そろそろこのへんで・・・」みたいな感じでコロっと逝きすぎ。 空気読みすぎ。
死亡者を含むオールキャストによる大合唱で締めくくられるという、なんとなく「急遽打ち切りになったジャンプ漫画の最終回」みたいな終わり方になってしまった六月暴動。
実際、当時パリで起こっていた「王政を倒すための民衆蜂起」は、その後十数年をかけて実を結ぶことになったようですので、若者たちの死は決して無駄ではなかったのかもしれませんが。(血濡れた歩道を掃除する女たちの嘆きからも、彼ら(学生たち)の死が、なんらかの影響を残していったことは伝わってきましたし)
しかしできれば、回想(空想)上の一致団結シーンではなく現実のシーンとして、パリっ子たちをどう変えたのか、本当に無駄死にではなかったのか、といったあたりをもう少し具体的に描いてほしかったなぁ、と思ってしまいましたねぇ。じゃなきゃ悲しすぎるですよ・・・(特にガブローシュ少年の短すぎる半生が)
とまぁ、諸手を挙げて大絶賛するには物足りない部分もありましたが、とにかくジャン・ヴァルジャンを演じたヒュー・ジャックマンさんとファンティーヌ役のアンちゃんが身震いするほど素晴らしかったので、わたしは充分満足させていただきましたよ。
あと、大スターふたりを凌ぐほどの存在感を見せつけた、サマンサ・バークスさん!
舞台版でもエポニーヌ役を演じていたというサマンサさんによる「オン・マイ・オウン」は、今も耳に焼きついて離れません!
それにしても、こんな身近にエポニーヌのようなええ子がいてくれているのに、初対面のコゼットにうつつを抜かし、その上エポニーヌに「あの子んち調べてきてよ」と使いっぱしりのようなことをさせるマリウスは、鈍感とかではなく確信犯とみたね!
だってさぁ、常に自分の周りをうろちょろして、目をハートにして世話を焼いてくれる女の子がいたら、「ああ、オレに気があるな」ってわかるじゃんか!いや、わかんないとは言わせないよ!
あいつはそれらのことを全部把握してて、その上でエポニーヌをパシリにしてるんだよ!しどいひとだよ!
・・でもってね・・エポニーヌもそれは承知の上で、それでもなお、パシリでもいいから、恋愛感情無しでも微笑んでさえくれればいい・・っていうね・・・ ・・なんじゃい・・・なんじゃいこの涙は・・・!
【今日のまとめ・わたし、エポニーヌに共感しすぎ!】


『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
2008年01月26日

・ ・ ・
エラだぁ・・・?

まさかの「エラ」発言にトッドが切れた!
(このイラストはフィクションです)
あらすじ・・・
俺の名前はスウィーニー・トッド。
復讐の為に、地獄の底から帰還した男・・・。
・・・あの、地獄って監獄ね、監獄。 ・・牢獄?監獄?ま、いっか。
愛する妻と娘を奪う為、無実の罪で俺を終身刑にした悪徳判事・ターピン。
ヤツをこの手で始末する為なら、どんな悪魔の諸行でも俺はやり遂げる事が出来るだろう・・・!
無力で哀れなベンジャミンは死んだ!
俺は今や、復讐の悪魔・スウィーニー・トッドさまなのである!
と言う訳で私は今、15年前に住んでいた借家に来ています。
親切な家主・ラベット夫人はなんと、私の仕事道具を保管してくれていたようですよ!
待たせたな!我が友!我が剃刀よ!
お前がヤツの喉元を切り裂き、我が身にかの血を降り注いでくれる日が待ち遠しいぞ!
とは言え、どうやったら判事の髭を剃る様なファンタスティックなシュチュエーションになるんでしょうか。
監獄暮らしが長かったせいで、名案がギガント浮かばなス。
すると、見かねたラベット夫人が、素晴らしい計画を考えてくれました。
街一番の床屋と、民衆の面前で髭剃り対決をして、見事打ち負かせばいいのですね。
そうすれば一気に知名度が上がって、判事も髭を剃りに来るだろう・・と。
なんと造作も無い事よ!
15年の歳月をものともしない我が腕を、しかと見るがよい!
いや、負けたその腕を恥じる事など無い。 街一番の床屋よ。
なぜなら俺さまこそは悪魔に魅入られし髭剃りテクの持ちぬ
え?ベンジャミンて・・・ なんで私の名前を知って・・
なんと街一番の床屋は、15年前私の元で見習いをしていた少年の成れの果てだったらしいですよ!
やだやだ!狭い街なんだからぁもう!
この俺を脅迫してきた床屋に対して、掛ける情けなどあろうものか。
俺は激昂に身を任せ、床屋を打ちのめしたのだった・・・何度も・・・何度も・・・。
あぁ、ラヴェットさん! いや違うんですよ。コレはその何と言うか出来心というか正当防衛と言うか・・。
歌にするならば
♪おれ~の~カミソリが~復讐を求めて~♪どいつもこいつも~み~な殺しぃぃ~♪
イヤすんません。ホントすんません。
今すぐ死体、片付けますんで。ホント。
しかしその時、運命の天使・・いや、悪魔が俺に奇蹟を与えたもうた!
なんと髭剃り対決の評判を聞きつけた判事が、早くも俺の店にやって来たのである!
目の前のイスに横たわる、我が宿敵。
なんと無防備で、なんと愚かしく、なんと醜い面構え!
今はこの、復讐が成就する瞬間に酔いしれるとしよう。
彼の口ずさむ歌声に、しばし声を重ねるとしよう・・・。
って歌ってたら、邪魔が入ってもうた――!!
歌――っ! バカバカ馬鹿――っ!!
すんでのところで判事を逃してしまい、失意のどん底な俺。
しかし、ラヴェット夫人の励ましもあり、ある意味色んな方面で吹っ切れた俺は、切れ味鋭い我が友と共に世の中の諸悪を根絶する方向へ。
つまり、歌にするならば
♪おれ~の~カミソリが~鮮血を求めて~♪どいつもこいつも~み~な殺しぃぃ~♪
イヤすんません。ホントすんません。
その前にまず、床屋の死体ですよね。
ラヴェット夫人は、死体の後始末の方法に名案があると言う。
夫人の経営するミートパイ屋では、慢性的に肉不足が続いていた。
ならば不要なこの肉を、そのパイに利用して何が悪い?
いいとも! 確かに名案だ!
これぞまさに、コロンブスの卵的発想ではあるまいか!!・・意味は知らんが。
こうして私は、来る日も来る日も剃刀を振るい続けたのです。
ある時は純粋に髭を剃る為に。
またある時は喉元を掻き切る為に。
ただただひたすら、憎い判事が再び店を訪れるその日まで・・・。
♪今日も~ランキン~グで~健闘中~♪

いやぁ、とても面白かったですね!
ジャックスパロウ・ファンと見うけられるのレディーの皆さんが、予想以上の流血ショーに対し、微妙な顔つきで劇場を後にする姿を見るのが!
ジョニデだし~
チョコレート工場のコンビだし~
まぁ言ってもミュージカルだし~
そう思ったか?
ちょっぴりブラックなミュージカルだと思ったか?
思い知るがいい!我らがR指定の底力!!
ヒャーッヒャッヒャ(`∀´)ヒャッヒャッヒャ
と、非スプラッターな女性の皆さんを軽く敵に回した、被スプラッターのアガサですこんにちは。
ちなみに一緒に観に行った非スプラッターの友人は、観終って
『ナイトメア・ビフォア・ザ・クリスマス』 みたいな感じなんだろうと思ってたのに・・・
と言っておりました。
まぁ、ちょっとダークなイメージ+ミュージカルと言う事で 『ナイトメア・・』 を想定するというのは自然な成り行きだと思うのですが、あれも仮に実写で作ってたらかなりエグイ作品になってるでしょうからねぇ・・・。
なにせ、主役の骸骨が蛆の湧いたクリーチャーに囲まれて歌い踊る映画ですから。
ともかく、カリブ後初の主演作に、こんな血みどろ復讐劇を選んだジョニー・デップもさすがですし、相変わらずスタジオに全く阿ろうとしないティム・バートンの姿勢にも拍手喝さいです。
(※以下ネタバレアリ)
妻を卑劣な手で奪われ、人生を踏みにじられたトッド(ベンジャミン)。
九死に一生を得てロンドンに生還したトッドは、残りの人生を復讐のみに捧げる事を誓います。
剃刀を片手に「俺のと~も~だ~ち~」と歌う姿が、実にキ印っぽくてイイ!
妻と娘を奪われたトッドの、常軌を逸した復讐劇。
そして、その復讐劇よりもさらに前面に押し出されていた、報われない恋。
トッドは妻・ルーシーへ。
ラヴェット夫人はトッドへ。
小間使いの少年はラヴェット夫人へ。
それぞれの思いが強すぎたが為に、物語はより残酷に、より悲劇的に進んで行く・・・。
妻・ルーシーはトッドに。
ラヴェット夫人もまたトッドに。
小間使いの少年はそんなトッドを。
強すぎた思いが生んだ多くの死は、一見救いが無いようにも見えますが、実はトッドにとってはハッピーエンドだったのではないか、と思います。
理性を捨て、人を人として扱う事を止めた時点で、トッドの末路は「無残な死」でしかなかったし、そんな怪物の様なトッドが、最も愛する者を殺めてしまった事もまた防ぎようの無かった事。
全ての復讐を遂げ、愛する妻に寄り添って迎えた自らの死は、彼にとって申し分ない最期だったのではないでしょうか。
もしも仮に、ラヴェット夫人と共に生き延びていたとしても・・・。
トッドの人生に何が残っていると言うのでしょうか。
共犯者ラヴェット夫人との愛情の無い日々?
死刑台に登るのを待つだけの日々?
それこそが、既に死んでいるのと変わりない日々なのでは?
この作品では、トッドが奪われた娘のその後も重要なポイントになっており、宿敵・ターピンに“養女”という建前で捕らえられていた娘に、トッドの知り合いの青年が一目で恋に落ちたことから
ターピン 「てめぇこんにゃろぅ!よくも俺の養女を!」
青年 「なんだとこのロリコンオヤジ!」
という、激しい恋の鞘当も展開するのですが、正直その恋はおまけ程度でしか無い様に感じました。
その証拠に、トッドが妻を掻き抱いて事切れるシーンがこの作品のラストシーンであり、ターピンの魔の手から逃げ出した娘と青年のその後までは描かれていません。
あくまでこの物語は、トッドの愛と復讐の物語なのですね、きっと。
ま、君たち若いんだし、・・・後はなんとでも頑張っとくれ!
と言うティム・バートンの強いメッセージが込められ・・・ (違うか)
若かりし頃、エマ・トンプソンとケネス・ブラナーの仲を裂いた事で有名だったヘレナ・ボナム=カーター。
『猿の惑星』 での捨て身の猿メイクの頃は、今度はリサ・マリーとバートンを引き裂くか!このどろぼう猫!
と、憤っていたアガサでしたが、何だかすっかりバートン色に染められ(元々の資質かも?)魔女顔が定着しちゃいましたね。
今や、ヘレナ以上にバートン作品にしっくり収まる女優は居ないのではないでしょうか。(←褒め言葉)
ジョニー・デップと共に、これからもバートン作品でそのエラを存分に輝かせて頂きたいものです。
狂気と悲恋と笑いと、何より素晴らしいアラン・リックマンの美声に彩られた、至福の1時間59分でした。


『カタクリ家の幸福』
2007年05月24日

大傑作と出逢ってしまいました

いつも、アガサの脱線レビューにお付き合い頂き、どうもありがとうございます。
そして、コメントまでも残して下さる皆様、ホントありがとうございます。
さらに、アガサにとっておきの映画をお奨めくださった方々、スーパーありがとうございます。(“超”と言いたい)
で、皆様のそんなお奨め作品を、行きつけのレンタル屋で探して見てはいるのですが、これがなかなか見つからないんですね。
サントラ魂 様がお奨め下さった、『デッドリー・フレンド』『片腕サイボーグ』『SFバイオノイド』『アクエリアス』。
フレコ 様がお奨め下さった『ヘルハウス』『血の祝祭日』。
ストレイト 様がお奨め下さった『アメリカン・ゴシック』
ゆうかパパ 様がお奨め下さった『アンデッド』『マニトゥ』。
あと、kurosuiさん のレビューを読んで、レンタルを決意した『MAY-メイ-』。
・・・もうねぇ、全滅なんですよ。
向かいのホームも路地裏の窓も、こんなトコにいるはずもないのに探しましたよ。
でも、見つからないんですよ。。・゚・(*ノД`*)・゚・。
(ちなみに、以前に 水鳥の巣 様がお奨め下さった『ドラキュラ二世』は、youtubeにてただ今1/3程度鑑賞中です)
今でも、レンタル屋に行くたびに「ひょっとして見落としていたかも」と、再度チェックしているのですが、やはりどれも無いんですね。
・・・なんだか、国家レベルの嫌がらせの様な気がしてきました。
100%他力本願発言で申し訳ないのですが、上記の作品に関する有力情報(あそこのネットレンタルにはあったよ・・等)をお持ちの方、是非コメント欄でヒソヒソっと教えて下さいませ。
その他、「このホラーを観逃しちゃぁいないかぃ?」「このホラーは最強ですぜ」と言ったお奨め情報をお持ちの方も、よろしかったら是非お寄せ下さいませ。(もちろん非ホラーでも

と言う事で、そんな国家的陰謀の最中、アガサがいつもお世話になっている 蔵六さま のブログで教えて頂いた『カタクリ家の幸福』をめでたくも鑑賞出来ましたので、そのレビューをば・・・。
あらすじ・・・
「大きな道路が出来るから、繁盛する事間違いなし!」と言う将来の華々しい展望と共に、辺鄙な山奥でペンションを始めたカタクリ家。
家族を愛するバカ真面目な父、父を心から愛する朗らかな母、男気溢れる祖父、コブ付き出戻りの姉、前科者でニートの弟、ブサイクな孫の5人は、来る日も来る日も、来ない客の為にペンションを磨き上げる日々でした。
ある日、そんな閑古鳥だらけのペンションに初めての客が訪れます。
しかしその客は、陰気な事この上なしでいかにも訳ありの中年男。
それでも念願のお客様を向かえ、浮き足立つカタクリ家の面々でしたが、朝になっても客は起きる気配がありません。
そこで客室を覗いてみると、なんとそこには
「客室の鍵に付けてあるキーホルダーを持参したナイフで削って尖らせ、そのキーホルダーを自分の首にぶっ刺して」
自殺をした客の姿が・・・。
ナイフ持ってんなら、どうしてそれで刺さないんだよ!
という、弟の正しいツッコミも虚しく、一気に奈落の底に突き落とされるカタクリ家。
しかし、前向きな父はくじけませんでした。
「人生を懸けたペンションで、自殺者が出るなんて許せない・・・!
そうだ、捨てよう!
こっそり山に埋めちゃおう!!」
ナイスアイディアに沸いた父・母・祖父は、反対する弟を尻目に、中年男の死体を裏山に埋めてしまうのでした。
無事、危機を脱出した(?)一家でしたが、それ以来カタクリ家のペンションを訪れる客は、何故か次々と死体と化して行き、裏山の死体もどんどん増えて行ってしまいます。
一方、そんなカタクリ家の秘密とは裏腹に、ついにペンション脇の道路建設予定が現実のモノとなる事に。
工事が始まる前に死体、どかさなきゃ!
いや、その前に、
死体、どこに埋めたっけなぁ・・・。
ピンチに陥ってアップアップのカタクリ家。
しかしまだその先には想像を絶するような史上最大の危機が、彼らを待ち受けていたのです。
とにかくまず最初に謝りたい。
三池崇史監督に、こんかぎり謝りたいです。
ナメててごめんなさい。
もうしませんから許して下さい。(何を?)
『着信アリ』『ゼブラーマン』が余りにアレな出来(あくまでアガサの主観です)だったので、「世界に名だたる三池崇史たぁこんなもんかい」なんて舐めきっていました。
ホントの崇史を知らずに、勝手な事言ってゴメンね。
あたし、崇史の事誤解してたみたい・・・。
どこを切っても、ど変態。
変態の金太郎飴状態、それが三池崇史と言うものなんですね。
映画の初っ端から始まる、可愛げのないクレイアニメによる食物連鎖。
そのシーンだけで、“人生のなんたるか”という諸行無常を全て表現しきってしまいます。
その後は、頭のネジがゆるんだようなカタクリ家の一面による、能天気なミュージカルのオンパレード。
家族が揉めたらミュージカル。
客が死んだらミュージカル。
警察が来てもミュージカル。
事あるごとにミュージカル&ミュージカル&スペクタクル&ミュージカル。
昔聴いた様な、昭和心を刺激しまくるナンバーの数々と妙ちくりんなダンスシーンは、最初は失笑モノでしたが徐々にハマってしまい、最後には大爆笑。
そして観終わる頃には口ずさむように・・・

グロテスクな中年の魅力の沢田研ニ。
日本版キャスリーン・ターナーの名を確実なモノにした松坂慶子。
パンツ丸出しでの大車輪にまで挑戦した西田尚美。
切れのあるダンスでせっかくの男前が台無しの武田真治。
ブサイク過ぎる子役の宮崎瑶希ちゃん。
そして、共演者から一人浮いていながら、いつの間にか画面をピリっと引き締めて、尚且つ言動がいちいち面白い丹波哲郎。
どの方も立派な社会人でありながら、どうしてここまで自分を捨て切った演技が出来るのでしょうか。
「家族が泣くかもなぁ・・」とか、思わなかったのでしょうか(特にジュリー)。
自らのキャリアに終止符を打ちかねないリスキーな役柄を、必要以上の情熱を以って大熱演したカタクリ家の方々・・・。
・・あんたら、・・・ステキすぎるぜ・・!!
口から魂が抜け出てしまった、丹波哲郎のシーンを思い出すだけで、この先軽い試練なら越えられそうな気がします。
日本映画界は、惜しい人物を亡くしていたんですね・・。(今さらですが)
観ているうちに、なんだか自分の頭の中から何かが溶け出してゆくような、そんな危険なユルさに満ちている本作。
限りなくキワモノ寄りのキャスティングながら、出演者の本気度が実に心地よく、その上「人生って素晴らしい! 家族って素晴らしい!」と吹き込んでくれる、とても贅沢な作品でした。
やっと、三池崇史監督の本来の姿が観られて、そしてそれがこんなに素晴らしくって、アガサは幸せ者です。
これはもう、他の作品も観ないと・・・!
でも、この作品の元ネタである韓国映画『クワイエット・ファミリー』も実に気になりますねぇ。
あぁ・・



最後に、「ミュージカルコメディと呼ぶにはエゲツナさ過ぎる死に顔の皆さん」を観て、『妖怪大戦争』に於いて「子供ターゲット映画のクセに大人気なくエグイ面相の妖怪」を多数登場させていた点に大いに納得出来ました事を、わたくしごとながらご報告させて頂いて、今回のレビューはこれにて終了です。
ご清聴ありがとうございました。


『ドリームガールズ』
2007年02月18日


一世を風靡したSPEEDの解散後、NYに渡って7年・・。
人知れぬ努力が実を結び、ヒトエが大きくなって戻ってこようとは、一体誰が予想したでしょうか!
おめでとう! 仁絵ちゃん!!
おめでとう!! HITOE´S 57 MOVE!!
・・・え?
・・違う人?
助演女優賞にノミネートされてたのって、元SPEEDの仁絵ちゃんじゃなかったんですか?
ぎゃぼ! (←流行に乗っかってみました)
私が仁絵ちゃんだと信じきって、祝杯を捧げていたその女性は、どうやらジェニファー・ハドソンと言う新人女優(歌手?)だったようです。
どうりでねぇ・・。
歌の上手さ具合が、仁絵ちゃんっぽく無いと思ったんですよねぇ・・。
でもって、ダンスの微妙なズレ具合は多香子ちゃんっぽかったし・・。
いやぁ、失敬失敬。
(折角観に行ったオスカー候補作のレビューが、こんなんで果たしていいのでしょうか・・)
あらすじ・・・
1962年、デトロイト。
“ドリーメッツ”と言うグループ名で、スターを目指して頑張っていたエフィー、ディーナ、ローレルは、泣かず飛ばずの日々に失望が隠せませんでした。
しかし、ある日カーティスという中古車ディーラーが、彼女達の才能に目をつけ、マネージメントをかって出た事で、運命は一転し始めます。
地元のスター、ジェームズ・アーリーのバックコーラスに抜擢された“ドリーメッツ”は、その歌唱力とパフォーマンスで、徐々に人気を博し、ついには念願のデビューを果たす事になります。
しかし、その条件としてカーティスが提示した内容は、
「グループ名を“ザ・ドリームス”に変更する」
と言う事と、
「リードボーカルをエフィーからディーナに変更する」
というものでした。
実力では勝っているものの、ビジュアルではディーナに勝ち目は無い・・。
そんな厳しい現実を受け入れる事が出来ないエフィーは、カーティスやディーナ、ローレルに当り散らす日々。
デビュー後の人気は上々だった“ザ・ドリームス”でしたが、エフィーの不満は募るばかり。
レコーディングや収録に穴を開けてしまうエフィーに、とうとうカーティスやディーナ達の我慢に限界が訪れ、“ザ・ドリームス”はエフィー脱退の日を迎えてしまうのでした。
新メンバー加入で、益々人気に拍車が掛かる“ザ・ドリームス”。
しかしその栄光の陰で、大プロデューサーに成り上がっていたカーティスのワンマンっぷりは激しさを増し、周りのディーナや、ジェームズ、ローレル達との間には明らかな亀裂が生まれ始めていたのでした。
“ザ・ドリームス”の夢列車は、どこに向かってゆくのでしょうか・・
最後の一行が、欽ちゃんみたいになってしまいましたが、その辺は読み飛ばして下さい。
この物語は、“ドリーメッツ”の3人とカーティス、ジェームズ・アーリーとその老マネージャー、エフィーの兄である作曲家・CCと“ザ・ドリームス”に新規加入したミシェル、と多くの人物が織り成す集団劇であり、誰か一人に肩入れする様な作りになっていません。
その為、
「ブサイクだった為にバックコーラスにまわされ、さらに恋人も寝取られる」
と、非モテの皆さんが涙無しでは見られない様な生き様のエフィーも、自己中で自信過剰なとってもヤな女に描かれていて、観ていてどんどん嫌いになって行くと言うこれぞムービーマジック!
しかし、そんな嫌悪感を一気に吹き飛ばしてしまうのが、エフィー(ジェニファー・ハドソン)の歌唱力。
女としての鬱陶しさが頂点に達した時に彼女が歌う、『and I’m telling you I’m not going』(別れてやるもんか)の凄まじいほどの迫力と言ったら・・・!
その歌声は、私の体の細胞一つ一つにしがみついている様でした。
そしてそれがグラグラと震え、魂の底から揺さぶられるような感情が流れ込み、気が付くと涙が止まらなかったのです。
“歌”の力って、すごい・・!
ビヨンセの歌唱力が素晴らしいのは、周知の事実でしょう。
その美しさもまた、誰もが認めるところでしょう。
しかし、その世界の歌姫ビヨンセが霞んでしまうような、ジェニファーの歌声。
まさにソウルの塊。
これが本当の歌姫と言うものなのです。
日本で“歌姫”だ“和製ディーバ”だなんて言われてその気になってる若造たち!
謝れ!エフィーさんに謝れ!!
こんな素晴らしいパフォーマンスを魅せたジェニファー・ハドソンは、助演女優賞ではなく主演女優賞なんじゃないでしょうか。
確かに、彼女のドラマの部分での演技力を、特別どうこうは思いませんでしたが、そのパフォーマンスは台詞よりも饒舌に、エフィーの感情を表現していたと思います。
彼女がどうして助演扱いなのか、まずはそこの辺りを、映画芸術科学アカデミーにとっぷりと聞いてみたいものですね。
素晴らしい作品を観れて、とても幸せな一日でした。

