『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』
2023年07月05日

「インディ・ジョーンズは長編映画と同じ長さの予告編のようなものだ。
映画全体がアトラクションの予告編のようなもの。
だから途中でその流れを止めてはいけないんだ」
スティーヴン・スピルバーグ
映画全体がアトラクションの予告編のようなもの。
だから途中でその流れを止めてはいけないんだ」
スティーヴン・スピルバーグ

上映時間 154分
・・・ずいぶんと長い予告編だな!!
あらすじ・・・
老境インディ・ジョーンズが馴染みがあるようでない人たちと最後の冒険にでかけます。
人生でいちばんすきな映画は何かと聞かれたら、迷わず答える『魔宮の伝説』。
どうもこんにちは、アガサです。
80年代に成長期まっさかりだった世代の多くがそうであるように、わたしの人生もまた、インディ・ジョーンズとともに歩んできた数十年でした。
違うとは言わせない。
ごめんわかった、みなさんは違うかもしれない。
違うかもしれないけれど、きっと一度や二度はインディの姿やかたち、例のテーマ曲に触れたことがあるはず。
一部の熱狂的ファンがそうであるように、何かに憑りつかれたがごとく繰り返し観てはいなくても、有名なシーンのひとつやふたつを目にしたことがあるはず。
その時思い描いたインディは、どんなふうだったろうか。
もしもインディにその後があったとしたら、どんなふうだと想像しただろうか。
立て続けに作られた『レイダース』『魔宮の伝説』『最後の聖戦』から19年後に作られた『クリスタル・スカル』からさらに時は流れて15年。
80歳になったハリソン・フォードが、70歳のインディとなってスクリーンに戻ってきました。
クリスタル・スカルの一件で、いっぺんに家族を手に入れた冒険家インディアナ・ジョーンズが過ごした12年間(劇中)は、それはそれは苛酷なものでした。
時代がそうさせた部分もあっただろうし、家庭というものと縁遠い人生を歩んできた結果という部分もあっただろうけれど、ひとりぼっちで、退職も間近に迫り、生き甲斐もなくただうつろに日々を過ごすだけのインディ。
ひかりのない瞳のインディが、背中をまるめてとぼとぼと歩く街並みは、対照的に生気にみち、まだ見ぬ未来への期待や希望であふれかえっているようです。
それはまるで、若かりし頃のインディがそうであったように。
わたしが観たかったのはこれなのか。
もちろんもう若くないのもわかっているし、いろいろあったのもわかる、時代が激変しているものわかるけれど、「最後」と謳われたインディの導入部がこんな感じでいいのか。
「映画全体がアトラクションの予告編」ってこんなアトラクション乗りたくねえぞ割とマジで。
そんな不安が胸をよぎるなか、インディにひとりの女性が近づきます。
彼女の名前はヘレナ・ショウ。
そう、インディが名付け親をつとめた旧友バジル・ショウのひとり娘です。
ヘレナはインディに語り掛けます。
「むかし父と一緒に手に入れた秘宝のことを覚えている? アンティキティラのダイヤルのことを・・・」
よみがえる当時の思い出。
ナチスとの格闘の末手に入れた謎の精密機器。
世界の運命を揺るがしかねない危険な機械だと主張していたバジルと、それを否定したインディ。
たしかにあれは・・・ しかしあれは・・・ もしかしたらあれは・・・
よどんでいたインディの瞳に、ふたたび光がよみがえる・・・!
(※ 以下ネタバレしています)
結論からいうと、すべては「なにが観たかったのか」と「なにを見せたかったのか」に尽きると思うのですよね。
だから、そこがかみ合った人には最高&センキューインディになるだろうし、かみ合わなかった人には寂しい家路が待ち受けることになる。
どちらが正しいということも間違いということもないので、傷つけあうのはやめようよベイビー。
ただ、わたしはね、わたしが望んだのはこういうインディじゃなかった。
歳をとるのも当たり前だし、家庭がうまくいかないのも当たり前(に起こりうること)、体力が気力についていかないのだって日常茶飯事だし、欲というものが枯れてゆく中ものごとにたいする情熱もおとなしくなってゆくのなんてわかってますって。
こちとらインディには及ばないものの、中年どまんなかで毎日「老い」を実感しながら生きているんですから。
でもね、だからってインディがこんなしょぼくれてるだなんて思わなかった、いや、思いたくなかった。
わたしが夢中になったインディは、頭がさえていて、大胆不敵で、チャーミングで、時々不遜で、でも憎めない考古学者だったんですよね。
別に、年をとってもそのままでよくないですか?
年を取ったら、陰気でしょぼくれてて人生に希望がなくて若い子にハッパをかけられないと踏み出せないんですか?
「いや、インディはほら、息子さんを亡くしてるから・・・」って言いますけど、そもそも息子さんを退場させる必要ありました?
マリオンに不義理をはたらいたため、58歳になるまで息子の存在を知らなかったインディ。
ソ連のわるい人たちとクリスタル・スカルの争奪戦を繰り広げながら、息子との絆をいちから築き上げたのが前作だったのに、その後親子関係がうまくいかず、息子はインディへの反発心からベトナムへいき戦死しました。ってどんなテンションで書いたのそのプロット。
あんな経緯で家族をもったインディが、いくら家庭人でなかったからといって息子とそういう関係性しか築けなかったとは思えないし、インディ自体が父親・ヘンリーとあんな経験をしてるわけじゃないですか。
一朝一夕で「父親」になれるほど簡単ではないだろうけれど、無下にはせんやろ。
マリオンだって、あんなアナーキーなキャラクターだったのに、息子をみすみす戦地へ行かせるだろうか。
この設定に必然性はあったのか。
決定稿に至るまでに一度も「シャイア・ラブーフはNG」という邪念がよぎることなく、ピュアな気持ちのみで書き上げたと、胸を張って言い切れるのか。
「スタート時点でインディが不幸でなければならない」という前提ありきで詰め込んだようにしか見えなかったし、わたしにしてみればホント、その「そもそも時点」がおかしいやろ、という話なんですよね。
昨年世界中でばけもんヒットとなった『トップガン マーヴェリック』、おもしろかったですよね。
あれはトムが「老いたから今後は教官になって後進の指導にあたります」というだけの映画じゃなかったからおもしろかったんだとわたしは思うのですよ。
年をとろうが若いもんに笑われようがトムはトム。
いつだって現場はトムが仕切るし、教えるのも飛ぶのもぶっちぎりでトム、なぜならトムは老いてもトムだから。
それでいいじゃないですか。
わたしは、老いてもひょうひょうとしたインディが観たかったし、生涯いち考古学者で好奇心おうせいなままのインディが観たかったし、体力がおいつかなくて若者に笑われても、知識や機転でぎゃふんといわせるインディが観たかった。
『最後の聖戦』のヘンリーがそうであったように、インディにもそういう老後がまっていてほしかった。
「長編映画と同じ長さの予告編」
今までのインディなら納得の言葉でしたが、今回のインディをそう評することができるだろうか。
オーパーツ上等、オカルト熱烈歓迎、トンチキ民族描写どんとこい、そんなことはいい、そんなことは全く問題じゃないしむしろインディ・ジョーンズにとっては見せ場のひとつ。
つぎからつぎへと繰り広げられるアクションに、世界をまたにかけた謎解き合戦、にくたらしい敵などを小気味いいテンポで乗り越えてゆくインディ。
そして最後は秘宝よりも大切なものに気づき、選択し、大団円を迎える。
それがインディ・ジョーンズのたのしさであり、魅力だったのではないでしょうか。
ヘンリーの時とは時代背景が異なるのもわかっていますけど、製作者がそういうインディを描こうと思えばいくらでもできたはず。
「そうしなかった」からこうなった。
悪くはない。
すべてを失った老境インディの再出発で幕を閉じる本作は、悪いわけじゃない。
これが最後なんだなぁ、という実感も計り知れない。
ただ、子どものころに夢中になった冒険活劇の主人公の、老いた先にあるのがこれなのだとしたら。
わたしはすこし、人生ってそんなもんなのかなぁとさみしくなったのでした。
まあ、あれだ、いままで本当にお疲れさまでした。
どうか今後はマリオンやサラーとのんびり暮らしてほしい。
まだオーパーツは山ほど世界にあるんだし、聖杯のお水飲んでるからあと数百年は長生きできそうだし、ぼちぼち探してみたらいんじゃないでしょうか。
たのしい冒険をありがとう、映画をすきにさせてくれてありがとう、さようなら、インディ!
- 余談 -
・ キー・ホイ・クァンで追加撮影をしなかったディズニーのえらい人、オレはおまえをぜったいにゆるさない(根拠はないがディズニーと断定)
・ 運命のダイヤルっつったって、なんの運命も変えてないんですよね。 強いていえばインディの投げやり人生が前向き人生に変わったけど、それってインディの選択じゃないし。 ヘレナがぶん殴って連れ戻してくれたから変わったんだし。 強いていえばヘレナをそうさせたのはインディとの冒険があったからかもしれないけど、現金第一主義だったヘレナの変化が「インディのかなしい12年間を知った」ぐらいしか描写がされなかったの、非常に弱い
・ もっといえば、今回初めて出てきた友人の初めて出てきた娘で、しかも20年以上会ってなかった(つまり大した思い入れがない)という関係性を考えると、ぶん殴る役として足りなさすぎる。 マリオンぐらいにぶん殴ってもらわないと納得いかない
・ ショーティを想起させる少年テディも非常に弱かったですね。 スリ・孤児・勇敢・有能とどこまでもショーティっぽい設定にしてあるわりには、圧倒的に憎めなさがない。 見た目じゃないですよ、キャラクターとしてのかわいげが足りなさすぎるんです。 ヘレナへの執着心だけが原動力なのがいけなかったのか。 インディにも、もう少し心を開いてほしかった。 ユニットで動くキャラなんだから
・ 「アンティキティラが半分欠けた状態」→わかる
「もう半分はアルキメデスのお墓にある」→まあわかる
「合体させたら完成」→そりゃわかる
「ではなくて最後にアルキメデスのお墓にあったキーホルダーみたいなやつを外して真ん中に組み込んだら完成します」→初見殺しすぎんか
・ 結局アルキメデスは、ローマ軍によるシラクサ包囲戦への援軍を未来から呼び寄せる為、アンティキティラのダイヤルを開発したということになるんでしょうが、ヤケクソになったナチスの兄ちゃんが飛行機から撃ち殺したローマ兵なんてたかが知れてるし、たぶんインディたちがきてなくても勝ててたし、っていうかそもそもインディたちが来た時点ではダイヤルは未完成だったので、完成品をもってきてくれたからインディたちがくる未来に繋がることになるし、でも今回インディはダイヤルを持って帰っちゃったからあの世界線のアルキメデスはダイヤル作れなかったのかな、いや待てよ、ダイヤルはバラバラだっただけですでに完成していたのかも、でもそうなったらますます卵が先かにわとりが先かという問題にもうこの話はやめよう
・ 最後だからと過去のネタがこれでもかと詰め込まれていて、途中からは「これなんのオマージュでしょうか」大会の様相を呈するレベル
・ ムチ振り回しからの銃つきつけ、骨とう品ぶち壊し、ナチの制服でなりすまし、差し込む光からの謎解き、虫パニック、パラシュートあるよ、蛇イジリ、カリの血、吊り橋壊し、馬チェイス、「博物館に収めるべき」ネタなどなど、どこかでみたことある描写や展開が目白押し。 これはうれしい
・ 半面、そんなインディあるあるが続くたのしさが、常に一定の「陰気さ」をまとっているのも事実で。 インディのよさである「ユーモア」が本当に少ないんですよね。 これを「陰気」ととるか「大人の落ち着き」ととるかは観る人次第で、老境インディだからこその「落ち着き」といわれればそうなんですけど、わたしはダメでした。 もっとたのしいやつくれよ!インディなんだから!
・ 結局わたしがいちばん言いたいのは、スピルバーグに監督してほしかった、ということに尽きるのかもしれません。 80歳のハリソン・フォードものった、90歳のジョン・ウィリアムズものった、マリオンやサラーものった、なのにスピルバーグがおりたというのはね、マジでなんとかならんかったのか。 最後なのになぜ・・・
・ ジェームズ・マンゴールド監督もすばらしい監督なのはわかるんですけど、インディの色じゃないと思うんですよ。 随所で盛り上がりが欠けているように感じられるのは、きっとキメ画が足りないからなんです。 ズーンと寄ってバチーンとキマる画がほしいんですよぼくは。 伝われこの気持ち・・・!
・ インディ恒例であるパラマウントロゴからのオープニングがなかったのも、ほんとにいただけないですね。 その代わりなのかなんなのか、ルーカスフィルムのロゴの四角形がそのまま錠前のシルエットに繋がるんですけど、そういうことじゃねえから。 誰だよ責任者。 どうせディズニーのえらい人だろ(根拠はないがディズニーと断定)
・ いいところも書いておきますと、なにはともあれマッツですね。 全シーンのマッツがいい。 中でも、アンティキティラのダイヤルで過去に戻ってヒトラーを殺す計画を明かすところから、まんまと失敗するところまでの流れが最高すぎる
・ 物理学者のはずなのに、仕組みがまるでわかっていない機械を100パー信頼する、アホの子マッツ。 「ここの針をここに合わせたらチーンって時空の裂け目が導き出されます」って言われてまるごと飲み込む物理学者、今すぐ白衣を脱いだ方がいい(学者は常に白衣を着ているという昭和的イメージ)
・ 過去に戻る気満々でナチスのコスプレ一式を新品でそろえるマッツ。 着こんだ衣装で史上最大のドヤ顔を決め込むマッツ。 「それ計算間違ってねえか?」とインディに正論のつっこみを入れられて動揺するマッツ。 案の定間違っていて古代に迷い込み、文字通り頭を抱えてべそをかくマッツ。
・ ぜんぶかわいい
・ まあね、とはいえインディ名物・グロすぎる死を迎えなかったのは、マッツかわゆさでもゆるされないぐらい罪深いですけどね。 なんやねん中途半端に焦がしやがって。 もっとシチリアがとけるくらい燃やしてみせろよ
・ 今回、「新登場」の「懐かしキャラ」がぞくぞく登場して、思い入れもないまま死んでゆくのがマジで虚無だったんですけど、最もひどい死に方だったのはアントニオ・バンデラスということでよろしいか。 その後、ダイナマイトを使って脱出したヘレナがアホみたいにはしゃいでいたら、「おれの友人は殺されたんだぞ」とインディにガチ切れされるシーンに救われました。 ほんとおまえ、そういうとこだぞヘレナ
・ 大学に侵入してきたナチスの残党が、さっきまでインディに退職パーティを催してくれていた同僚たちを容赦なく射殺するくだりも、今までのインディだったらなかったと思うんですよね。 殺していいモブキャラとそうでないキャラの分け隔てが、今回は悪い意味でない。 繰り返しになりますが、わたしが観たかったインディは、こういうのじゃなかったです
・ 「運命のダイヤル」というタイムマシンになりうるパーツを使って、インディ最後の大冒険をするというのなら、シリーズ全編巻き込んだインディ・マルチバースをやってくれても、わたしは全然うれしかったですよ。 せっかくだからヤング・インディも出しちゃえばよかったのに。 今回、過去のハリソン・フォード素材を使った若返りインディを、冒頭数十分使って延々繰り広げる胆力があったんだから、開き直って色んな懐かしのキャラクターも出してほしかったなあ。 カーテンコールというか、ファン大感謝祭みたいなものじゃないですか。 大人になんてならなくていいんだよ! 老人の落ち着きなんていらないんだよ!
・ なんだかんだいいましたが、ラストシーンでマリオンとともに「痛くない場所」へのキスシーンを再現された瞬間、とめどなく涙があふれました。 すきだったんだよ、インディが。 すきなんだよ今でも。 これからもそれは変わらないから。
・ 42年間、たくさんの夢をありがとうございました! インディ、アイラブユー!


『悪女/AKUJO』
2018年07月08日

あらすじ・・・
暗殺者に特訓された少女が、なんやかんやあって国家情報院に拾われ、特訓されます。
映画を観るとき、みなさんそれぞれグッとくるポイント・がっかりするポイント・熱狂するポイント・許せないポイントなどがあると思います。
わたしの場合、だいたいの映画をたのしく鑑賞するものの、ひとつだけ許せないポイントがあります。
それは「子ども」です。
物語に子どもが絡む、それはごく自然のことです。
すべての子どもが愛され、慈しまれ、救われるわけではない、それもまた哀しいかな、現実に起こっていることです。
物語として必要なことなら仕方ない。
目をそらしたくなるようなことからも逃げないのは、大切なことだと思います。
ただ、無駄に子どもがひどい目にあうのだけは許せない。
なんの必然性もない、そこまでやる必要もない、ショッキングな展開をのぞむためだけに、エモーショナルな感情を掻き立てさせるためだけに子どもがひどい目にあう映画が、わたしはどうしても許せないのです。
結論から言うと、『悪女/AKUJO』を観た今、後悔しかありません。
正直言って、ふざけんな、という気持ちです。
主人公スクヒは、10代の頃目の前で父親を叔父とその手下らしき者に惨殺されました。
殺されこそしなかったものの叔父の手におち、身体を売らされそうになっていたスクヒ。
そこに突然なぞの男性が現れ、スクヒを掃きだめから救ってくれます。
男の正体はマフィアでした。
スクヒの身の上を知った男は、彼女の復讐に協力してくれることを約束してくれ、彼の手によってスクヒは一流の暗殺者へと成長しました。
時が流れ、男と一緒に仇である叔父を追い詰めたスクヒは、目的が果たされた安堵と長年の月日が育んだ愛情から、男との結婚をのぞむようになります。
男もそれを受け入れ、めでたく永遠の誓いをたてる二人。
しかし幸せは一瞬で消え去ります。
スクヒの父親を殺した真犯人を独自に追っていた男が、彼女をのこし敵の手にかかってしまったのです。
全てを失ったスクヒは、男の仇を討つため、敵の本拠地に単身乗り込むのでした・・・
という「スクヒとおじさん恋愛慕情編」と、その後国家の暗殺者プログラムに減刑とひきかえにスカウトされたスクヒが特訓したり獄中出産したりシャバに出たり別の男性と恋に落ちて再婚したりする「スクヒとイケメン第二の人生謳歌編」が時間軸をあっちこっちさせられながら展開する本作。
ほぼ一人称視点のアクションシーン、かと思うとふいに三人称視点に切り替わり、またまた一人称に戻ったりとアクロバティックな動きを見せるカメラワーク。
かなりの長回し(風)なので、終盤はなにがなにやらな気分になったり若干カメラ酔いする部分もありましたが、これは本当におもしろかったです。
「こんな画が撮りたい」「こんなことをさせたい」という明確なビジョンがあってのアクションシーンは見ごたえがあるなぁと思いました。
それを実現させる技術やスタッフもすばらしい。
あっ・・・すごいニキータ・・・ と思っていたら急に日本刀を振り回す日本人ヤクザらしき集団が出てきたり、腰に日本刀さしたままバイクに乗ったり、手斧を振り回したりと、既視感あふれる謎ミッションも悪くない。
ストーリーが非現実的ではちゃめちゃなのは全く問題ないのですよ。
主人公に子どもさえいなければ。
実は男の子どもを身ごもっていたスクヒ。
それがわかったのは、国家情報院にスカウトされた時のことでした。
このまま犯罪者として死ぬか、おなかの子どものため国家の犬になり、10年の任期を務めあげたのち真人間になるか。
彼女は母親として生きることを選ぶ。
愛した男は死んだ、けれどその男の一部は自分の中に残っていた。
これからは子どものために生きよう、血塗れた仕事を引き換えにしてでも、子どもを守ろう、と。
そうだったらよかったんですけどね。
スクヒは男を選んじゃうんですよね。
スクヒが男に抱いた感情は、純粋な愛ではなくただのストックホルム症候群で、恐ろしい状況から救ってくれたヒーローみたいに思い込んでいるけれど、犯罪者から別の犯罪者に引き取られただけの、かわいそうな被害者のままだったんですよね。
それはわかる。 スクヒは被害者。 わかっているけれど、じゃあ娘のウネはどうなるんだよって思うわけですよ。
生まれた時から狭い部屋の中で生活して、同世代の子どもと全く触れあわず、いるのはスーツ姿のおじさんとおばさんばっかりで、自然の中で遊ぶこともなく、ある日やっと外の世界に出ることができたウネ。
だいすきなおかあさんと、隣に住むやさしいおにいさんと一緒で、毎日しあわせだったウネ。
時々おかあさんは泣いているけど、おにいさんがパパになってくれたから、これからはおかあさんもよしよししてもらえるね、よかったね、と母の身を案じるやさしいウネ。
どうしてそんなウネが殺されなければならないんですか。
スクヒが新しい人生を生きる目的のはずだったウネが、どうして母に真っ先に守られるのではなく、二の次三の次にされてあっけなく殺されなければならなかったんですか。
理由はひとつしかない。
ウネと新しいパパが死ななければ、ストーリーが盛り上がらないから。
だったら、ウネの誕生はいらないとわたしは思います。
ストーリーを盛り上げたいのなら、新しい恋人だけでいいじゃないですか。
愛する男を失って、新しい男に出会って、信頼関係を築いたと思ったら前の男が現れて、新しい男の不義を疑い始めて、疑心暗鬼になればいいじゃないですか。
子どものために暗殺者として国に仕える、というのなら、もっと子どもを優先して考えるんじゃないですか。
愛した男が生きていて、自分のもとに現れたということは、自分の身元がすでに相手にばれているということじゃないですか。
そしたらまず連絡すべきは組織でしょう。
なにを差し置いても子どもの保護。
真相を探るのはその次じゃないですか。
なにぼけーっとしてんだよ。 ふざけんなよ。 被害者だっていうのはわかっていますけど、ふざけんなよ。 守れよ子どもを。
そもそも、死んだはずの男が生きてピンピンしていた時点でおかしいと思えよ。
めっちゃパリっとしたスーツ着て、自分に「兄貴が殺されたんですよー!」って教えてくれた手下も一緒にいるって、それすなわち自分が嵌められたってことじゃんよ。 気づけよ。 脳みそのかわりにみかんゼリーでも詰まってんのかよ。
子どもを出しておきながらおざなりで、ただ主人公が奮起するためだけに殺される。
わたしは全くノレませんでした。
たとえば子どもが殺されるまでの生活で、子どもをものすごく大事にしていて、子どもだけが生きる意味みたいな描写があれば違ったと思います。
しかし、新しい彼との恋愛を描くために、そこが省かれた。
子どもだけでも助かっていれば、めちゃくちゃおもしろいアクション映画だったなぁ! で終わっていましたけれども、こんな風に「消費される小道具」みたいな扱い、ないですよ。 なにが復讐じゃいってもんですよ。
ウネちゃんが亡くなったあと始まるクライマックス、ものすごくしらけた気持ちで過ごしました。
っていうか、泣きすぎてね、怒りがすごすぎて涙が全くとまらなくてですね、主人公が車で敵陣に乗り込んだ時も「なんでそんな派手に乗り込むのコッソリとか考えなかったのばかじゃないの」って、主人公が昔愛した男と対峙した時も「この期に及んでなに躊躇してんのばかじゃないの」って、銃捨ててナイフ二刀流し始めた時も「なんでさっさと脳天にぶちこまないのばかじゃないの」って、ホントもう自分でもどうかというぐらいいちいち「ばかじゃないの」って思っていましたよね。
主人公が車のボンネットにのっかった時なんか、なんだったら「こいつ轢かれねえかなー」とか思っていましたからね。
ぜんぜん! 轢かれてくれて! いい! 遠心力でポイーンって!
同意は求めませんし、あくまでわたしが子どもという存在にナーバスなだけです。
そして、そんなわたしにとって本作は「観た記憶を消し去りたい」ぐらい不愉快な映画でした。
たのむから、もっとちゃんとストーリーを練っておくれ・・・ ノリたかったや・・ わしかて「ええぞー!」って両手をあげたかったんや・・・ ウネちゃんのあいらしい表情を思い出しただけで、今もなんぼでも涙が出てくるんや・・・ 無理です・・・ もうむり・・・


『ジェイソン・ボーン』
2016年10月27日

【過去シリーズの総おさらい】
13分ぐらいでわかる「ジェイソン・ボーン」のおはなし。(ボーン・シリーズまとめ)
今回のあらすじ・・・
記憶を取り戻したはずの元敏腕CIA工作員ジェイソン・ボーンさんが、元カノと再会したり古巣のCIAから命を狙われたりしながら欠けていた記憶をさらに取り戻します。
【一言でいうと】

「ボーンを消せ!」(9年ぶり4回目)
【今回のわるだくみ】
アイアンハンド計画・・・世界中の個人情報を全部まとめてCIAが監視しちゃう、プライバシーという概念を根底から覆すおっかない計画。

(※ 画像はアイアンサイド)
【股にかけた都市】
ギリシャとアルバニアの国境 ・・・俗世から姿を消したボーンが拳闘士として日銭を稼いでいた場所。
アイスランド・レイキャビク ・・・元連絡員のニッキーがCIAにハッキングをかました場所。
ギリシャ・アテネ ・・・ボーンが拳闘士として日銭を稼いでいる主な場所。
ドイツ・ベルリン ・・・ニッキーの仲間が潜伏している場所。
イギリス・ロンドン ・・・トレッドストーン計画でボーンの監視役を務めていたCIAのスミスが住んでいる場所
アメリカ・ラスベガス ・・・今回の悪役をボーンがフルボッコにする場所
【主な登場人物】
ジェイソン・ボーンさん ・・・暗殺に失敗した際失ってしまった記憶を取り戻したり、なんで暗殺なんかしてたのかという記憶を取り戻したり、じゃあそもそもなんで暗殺者になったのかという記憶を取り戻した結果、自分から望んでそうなったということを知り、めちゃくちゃ落ち込んでいる元CIA工作員。 隠遁状態だけど、食っているため時々アンダーグランドで賭け拳闘みたいなことをしている。
ニッキー・パーソンズさん ・・・トレッド・ストーン計画において現地連絡員を担当していた元CIA職員。 ボーンの元カノ(※たぶん)
デューイCIA長官 ・・・CIAのめちゃくちゃえらい人。 わるだくみがバレて更迭されたクレイマー長官の後任。 中の人は逃亡者を追うプロことトミー・リー・ジョーンズさん。
ヘザー・リーさん ・・・CIAのやる気満々サイバー捜査員。 やる気!元気!ヘザリー!
ラッセル合衆国国家情報長官 ・・・アメリカのめちゃくちゃえらい人。 デューイCIA長官とつるんでマッスル。 ヘザーのやる気を買っていマッスル。 マッスルマッスル!ラッセルラッセル!
ディソルトさん ・・・ニッキーさんが組んでいたスーパーハッカー。 最近なんだかCIAの機密ファイルを世にばらまきたい気分。
マルコム・スミスさん ・・・トレッド・ストーン計画に関わっていた元CIA。 絶賛天下り中。
カルーアさん ・・・IT長者。 利用者15億人を抱える巨大インターネッツサービス「ディープドリーム」のCEO。 デューイに頼まれ、アイアンハンド計画に必要なビッグデータを提供していた。
作戦員 ・・・デューイ長官の子飼いの暗殺者。 トレッド・ストーン計画が立案された頃からずっと、デューイ一筋で汚れ仕事を引き受けてきた健気な男。 中の人はイタリアの宝石ことモリカ・ベルッチさまの元配偶者ヴァンサン・カッセルさん。
【このアクションがすごい!】
・ ギリシャ市内でのバイクチェイス
・ 鉄パイプ VS 折れた椅子の足
・ ラスベガス市内でのカーチェイス
【後手に回ろう!】
・ ニッキーによってメインコンピュータにハッキングされちゃうCIA
・ 逆探知してニッキーの潜伏先の電源をシャットダウンさせるも、既にファイルをコピーされちゃってるCIA
・ ニッキーを追った結果、ギリシャにボーンがいることを棚ぼた式に知り、捜査員を大量に送り込むもいつものごとくサクっと逃げられちゃうCIA
・ ボーンがニッキーから受け取ったファイルを開いたお陰で、追跡ソフトが作動しボーンの現在地を突き止めたものの、既にファイルはあらかた見られちゃってて削除が間に合わないCIA
・ ボーンがスミスに話を聞くためロンドンに飛んだことを知り、スミスごとボーンを消そうとするも、一歩及ばず逃げられちゃって、尚且つヘッドセットを奪われていたため秘密の会話が筒抜け状態だったCIA
・ 職員に寝返られた末、ボーンに合衆国入国されちゃってるCIA
・ 捜査員総出で厳重警備していたラスベガスのイベント会場に、いつものごとくサクっと潜入されちゃってるCIA
・ デューイ長官もラッセル長官もボーンも利用してのし上がろうと目論むも、全部ボーンに盗聴されててまんまと逃げられちゃうCIA(のヘザー・リーさん)
【補足】
・ いいよーいいよー! いつものボーンが帰ってきたよー!!
・ 目新しさが無いという評判もちらほら聞こえたボーン最新作『ジェイソン・ボーン』ですが、正直過去のシリーズも毎回同じパターンの繰り返しだったので、「いまさら目新しさ?Why なぜに?」と矢沢みたいに両手をあげたい気分ですね。
・ 記憶が小出しになって陰気になるボーン、後手に回るCIA、ボーンを消す案しか浮かばないえらい人、ボーンと話をしたがる中間管理職、そしてボーンのライバルとなる暗殺者。 いつものメンバー馴染みの場所。 「よっ!オヤジやってる?」とおでんの匂いが染み込んだのれんをくぐったような安心感。 それが今回のジェイソン・ボーンなのです。
・ 過去にも容赦なくボーンが関係した女性をぶっころしていた本シリーズですが、その辺りもきっちり踏襲しようと思ったのか、トレッド・ストーン計画に深くかかわり、ボーンの逃走を手助けしていたニッキー・パーソンズさんを物語序盤であっさり退場させるという鬼畜行為をお見舞いしてくれました。 しかもね、「ボーンと相乗りしている最中射撃される『ボーン・スプレマシー』」と、「バイクに二人乗りして全力で逃げる『ボーン・レガシー』」の合わせ技みたいな最期というね。 既視感のギフトセットみたいな死に方だなおい。
・ と、いうことで、安心して観ていられるという意味では文句なしな新ボーンだったわけですが、安心の裏側にはもちろんそれなりの物足りなさもあったわけで。
・ 個人情報を筒抜け状態にしちゃうという「アイアンハンド」計画が、過去のシリーズでやっていた情報収集方法と大差ないように思えたのも、そのひとつですよね。 だって『アルティメイタム』の時すでに、携帯の会話に「ブラック・ブライアー」って出てきただけでその人の個人情報まるはだかにしちゃってましたからね。 盗聴盗撮ハッキングなんでもありじゃん。 あらたに「アイアンハンド」と銘打ってやるほどのメリット、あったの?ジョーンズさん。 予算引っ張ってきたかっただけなんじゃないの?
・ 喪失と再生を感じさせた前3部作を経てのボーンとしては、「ゲゲッ9年間引きずってただけなの?!」と思ってしまうようなやさぐれ生活もモヤっとしましたね。 誰も訪ねてこられないような遥か彼方の未開の土地で、ジャガイモでも耕して生きていたのかと思いきや、普通に都市で暴力を生業にしているだなんて、マリーちゃん見たら泣いちゃうよ?
・ 修羅の道は自分が選んだものだった。 人を殺したのも自分の意思だった。 それらの罪を受け入れた上で、愛した女性を悼みながらどうやって生きていくのか。 ボーンならもっと真摯な生き方ができたのではないか。
・ 結果、ボーンは身体に染みついた「攻撃力」を活かして日々暮らしていたわけなのですが、わたしにはどうしてもそれが、ボーンのトラウマや罪悪感が重すぎるが故の思考停止などではなく、今回新たに明かされた「どうしてボーンは自らトレッド・ストーン計画に志願したのか」の理由づけのためだけに設定されたようにしか思えなかったのですよ。
・ 「実はトレッド・ストーン計画の発案者はボーンの父親だった」ことや、「その父親を目の前で喪わせることで弔い合戦的な気持ちにさせた」という新事実を目立たせるための迷い。 「自分は本当に国家のための殺しがしたかったんじゃない。父親を殺したテロリストを撲滅するため、計画に志願したんだ」と知ることで、ボーンの苦しみは和らぐはず。 しかも、その父親殺害にもCIAのえらい人が噛んでいた。 ボーンは完全にはめられたのだ。 ボーンは悪くない。 悪いのはトミー・リー・ジョーンズ。 あとCIAのえらい人。
・ 『アルティメイタム』の最後でボーンが過去の自分を受け入れていたら、この後付けはいりませんからね。 再びボーンを表舞台に出すためだけに用意されたあれこれ。 そりゃ蛇足感も漂いますわなぁ。
・ そんな物足りなさ(というか消化不良感)を全力でフォローし、「新シリーズも悪くねえな」と思わせるのに一役買っていたヘザーリーさんに拍手ですね! 色々モヤモヤしたけれど、最終的には「アリシア・ヴィキャンデルちゃんかわいい!よっ!上昇志向の鬼!」って全部受け入れていたわたしがいましたからね! 鼻っ柱が強くて年寄りに遠慮がなくて判断スピードが速くて正しい事をやるためならどんな手も使う新世代のCIA・ヴィキャンデルちゃん。 ボーンも今はまだ警戒しているけれど、次回作ぐらいで気持ちが傾いちゃうんじゃないの。 ええどええど!史上最年少のCIA長官!
・ 映画の撮影とは思えない程の臨場感に満ちていたギリシャのデモシーン。 文字通り手に汗握りしめ、奥歯も噛みしめすぎてエンドクレジット頃には頭がジンジンしびれていたラスベガスの壮絶なカーチェイス。 ヴァンサン・カッセルさんとの下水道ファイトも小汚くてよかったですね。 いやぁ、ええもん観させて頂きました!
・ 続編を匂わせて終幕しましたが、わたしとしてはあれば観に行くし、なくても何も問題ないぐらいな気持ちでいっぱいです。 さすがにこれ以上「実はまだ隠された記憶が・・・」は使えなさそうなので、今後は古巣に戻るか戻らないかぐらいしか選択肢がなさそうですし、もうやめとく方がいい気もしますが、まぁそこはそれ。 なんだったらアジアの海に消えていった俊敏おじさんと合流するという手もありますし、これからも時事ネタを盛り込んでどんどんCIAを敵に回していけばいいのではないでしょうか。 がんばれボーンさん!(と俊敏おじさん)
【ラストシーン】
(Extreme Ways ジェイソン・ボーン・バージョン)
次あたり「Moby with マキシ・プリースト」になっていたとしても、まったく動じないねぼかぁ!


『キングスマン』
2015年09月15日

あらすじ・・・
どこの国にも属さないどんな政治にも操られない超すご腕スパイ集団が、頭のおかしいIT長者をやっつけます。
■ 天国へようこそ
世の中のすべての人々がスーツとメガネの着用を義務付けられる時代がやってくればいいのに、と願い続けて20有余年。
白いワイシャツに色とりどりのネクタイ、首元からなだらかに伸びるショルダーライン、カフから適度にのぞくシャツの袖口。
留められたボタンから伸びた皺が、中の人のボディラインをいやらしくない程度に、しかし雄弁に物語る。
スーツ・・ ああ、スーツ・・・!
フロントダーツによって作り出されるウエストと腕との間に出来た細長い三角形こそを、わたしは心からの崇拝を込めて紳士の絶対空域と呼びたい・・・!
マジで全世界のユニフォームが全部スーツになればいいのに! もちろん男性だけじゃなく女性も含めてですよ! 暑くたって動きにくくたっていいじゃない! みんなスーツを着ればいいじゃない! ベストも着込んでスリーピースにしちゃえばいいじゃない! 時にはジャケットを脱いで白シャツの袖をまくってもいいじゃない! ついでにメガネがあれば言うことないじゃない! いいじゃない! いいじゃないか! えっ?! 今すぐそうすればいいじゃないか! わしゃなにか間違っているかね?!! (※息も絶え絶え)
そんな(現実世界では叶うことのなかった)わたしの夢が、ついに叶えられました。
スクリーンの中で。
しかも、血みどろのアクションを伴って。
最高じゃないですか・・・ 最高じゃないですか・・・!!

(のっけからこんな感じなので、そりゃもう劇場は吐血騒ぎです)
わたしの夢を叶えてくれたのは、『キック・アス』や『X-MEN: ファースト・ジェネレーション 』で「暴走する懲罰感情」と「若者たちの成長」を掛け算し、極上のエンターテインメントに仕上げてくれたマシュー・ヴォーン監督。
そして、理想のスーツ像を魅せてくれたのは、たとえようもないほど麗しい顔立ちと、それに相反する絶妙なおっさんくささ、そしてその上にふりかけられた上品エキスで世の女性たちを英国紳士沼に叩き落した、ミスター・ダーシーことコリン・ファースさんであります。
コリン・ファースさんが本作で演じているのは、世界を股にかけた紳士スパイ。
潤沢な資金と優れた才能を「世界平和」のためのみに役立てる超エリート集団「キングスマン」のナンバー1スパイ、ハリー・ハート氏が、17年前にとある中東の地で部下を死なせてしまったところから物語はスタート。
ハリー氏は部下の遺族(妻と息子)の元を訪ね、裏に「キングスマン」の直通電話が刻まれたメダルを手渡し、何かあったら連絡するように伝えます。
時は流れて現在。
自分を守るため命を捧げてくれた部下の恩に報いるべく、全身全霊で世界中の大事件を阻止してきたハリー氏は、「キングスマン」の人員補充にあたり、部下の息子であるエグジーをスカウトすることに。
それは部下への恩返しでもあり、父親を亡くしたあと貧乏生活を余儀なくされてきたエグジーを救い上げたいという厚情でもあり、エグジーの生まれ持っての正義感や高い身体能力へのMOTTAINAI精神の表れでもあったのかもしれません。
そして、一方のエグジーもまた、紳士な立ち振る舞いと特殊諜報員の鑑のような超絶アクションを同時に魅せつけるハリー氏に、父親に対するそれに似た感情を抱くように。
このね、エグジーの人となりを表すエピソードがまたね、ものすごくクドくなくスマートなんですよね。
アホを相手に拳をふるわない。 ただ、仕返しはキッチリお見舞いする。 動物の命を大切にする。 お上(警察)はもれなくコケにする。 家族をとことん守る。
彼は、才能にあふれているけれど、それをどう使えばいいのか、果たして使えるものなのかどうかすらわかっていない。 いや、確かめる勇気がないと言う方が正しいのかもしれません。
そんなエグジーの葛藤は決して珍しいものではなく(才能に恵まれているという点では特別なのかもしれませんが)、多くの若者や若者以上老人未満の人たちにもメチャクチャ思い当たるものなのではないかと思うのですよ。
だって、自分の人生の方向性を自分自身で見定めるのは、とても勇気が必要なことだから。
一歩踏み出せば、次の瞬間転ぶかもしれない。
自分の才能が、世の中で通用するかどうかわからない。
確かめるのがこわい。 だから、経済状態や身体状態、家庭環境などなど色々な理由を心の中に挙げて、「確かめられない」ことにする。
「確かめない」んじゃない、「確かめられない」んだ、と。
もちろん、それもまた真実なのですよ。
だって、現実問題おぜぜがなければ高度な教育を受けることは困難だし、ならばと奨学金を借りれば、そのあと長い間返済に苦しむことになりますし。
運動面や芸術面を伸ばすための習い事に通おうと思ったら思ったで、高額な授業料を用意しなければならない。
「人生の可能性は、貧富の関係なく誰の前にも無限に広がっている」だなんて、とてもじゃないけれど言い切れないという現状。
納得しているわけではないけれど、納得して生きてゆくしかないじゃないですか。 夢だけじゃ食べていけないじゃないですか。 好きなことだけじゃ、生きていけないじゃないですか。
本作に登場するエグジーだって、ハリー・ハート氏にスカウトされなければ低所得者層から抜け出せなかったはずです。
もっと言えば、そもそも「キングスマン」という組織だって、豊富な資金があったからこそ、これまで何人ものエージェントを育ててゆくことができたはず。
完全オーダーメイドの高級スーツだって、でっかいお屋敷だって、こじゃれた秘密道具だって、先から毒ナイフが飛び出すオックスフォードシューズだって、お金がなければ買えないんですよ! もしも「キングスマン」が貧乏な組織だったら、みんな自前のジャージとかでママチャリ移動で武器も濡れタオルとかまるめた新聞紙なんですよ!
くそう・・・世の中ゼニや・・・ しょせんゼニが全てを左右するんや・・・!
・・と、ひねくれてもいいのですが、本作はこれでいいのだと思います。
現実がままならないからこそ、映画の中で若者がマイ・フェア・レディされる姿に癒されたい。
どんどん才能を開花させ、有能なエージェントへと成長する過程に胸躍らせたいのですよ。
教官がスーツ姿の英国紳士だったら言うことない。
そう、だからわしはもう、言うことはない。

(カフスを弄る英国紳士)

(しばきたおす用の傘を持つ英国紳士)

(お酒もたしなむ英国紳士)
天 国 か よ ! !
あとね、本作の英国紳士はコリン・ファースさんだけではないんですよね。
おじいちゃんと呼ぶにはある一定の時期から歳を取っている感がなさすぎる、英国紳士沼の重鎮マイケル・ケインさんや、なんとあのマークさんも登場!

そうそう・・・あのマーク・・ ・・・っておまえマークじゃないな! むしろルークだろ!

こちらですよ! こちらのマーク・ストロングさん!
もうね、さんざんスーツスーツ言ってきましたけどね、ぼかぁシャツ&ネクタイにミリタリーセーターというこの組み合わせがね!昔っから大好物なんですよね!
Vネックからのぞくネクタイと肩の当て布という、フォーマルとカジュアルのコントラスト・・・ たまらんですよ!おまけにメガネでやんの!メガネかけてるんでやんの! すき! けっこんしてくれ!!
わたしは今度生まれ変わったら傘かセーターになりたい。
書類をとめるバインダーでもいいですよ。
現実のモヤモヤを晴らすようなスクスク成長談と、目にも眩しいスーツとメガネ天国、そして充分すぎる毒っ気が超最高な『キングスマン』。
わたしはこの作品を猛烈に愛します!
ありがとう、マシュー・ヴォーン監督!
ありがとう、英国紳士連盟!
(※ 以下超重大なネタバレがありますので、必ず本編鑑賞後にご覧くださいませ)
■ 天国から地獄へ
それは突然やってきました。
エージェントとしての最終テストをパスできなかったエグジーを前に、失望を隠せないハリー氏。
教え子であり息子のような存在のエグジーに、キングスマンとして欠かせない要素である「覚悟」を、どうすれば伝えることができるのか・・・。
ハリー氏はとある任務を終えた後、エグジーに与えるつもりでいました。
そして、任務が終わった時、たしかにエグジーは「覚悟」を得ていました。
無残に殺されたハリー氏の亡骸を前に。
無残に! 殺された!

(このほのぼのとした雰囲気からは考えられないような凄惨なアクションシーンがあります)
殺されるのはしょうがないんですよ。 師匠と言うのは弟子を成長させるためにすべてを捧げるものですし。 時には命だって。 オビ=ワンだってそうでしたし。
ただ、本作のハリー・ハート氏の死に様はね、ホントにない。
わたしの中では完全に、ない。
予告編でも使われていた、コリン・ファースさんの超絶アクションシーン。
まさかそれがこんなかなしいアクションだったなんて、わたしは想像もしませんでした。
ハリー・ハート氏の最後の任務となった、アメリカの田舎町にある教会への潜入調査。
そこでは、頭のおかしいIT長者によるなんらかの実験が行われようとしていました。 その「なんらか」を突き止めるのがハリー氏の役割だった・・・だったのに。
「なんらか」とは、IT長者が全世界に無料で配布したSIMカードから発せられる信号。
人の正気を奪い、おそろしく凶暴にさせてしまう信号。
人口増加による環境破壊を憂いていたIT長者は、その信号で人間同士を殺し合わせ、地球上の人口を一気に減らす計画を立てていたのです。
ハリー氏自身はSIMカードを持っていなかったものの、閉ざされた教会内で一斉に発せられた信号に抗うことなどできようはずもありません。
荒れ狂う人々を相手に、ひたすら殺戮を続けるハリー氏。
時に獣のように。 時に華麗に。
血まみれになりながらも確実に死体の山を築いてゆくハリー氏の目は鈍く翳り、そこに理性のきらめきはありませんでした。
教会内にいた人々は、差別主義の狂信者だった。 ならば殺されてもしょうがない? しょうがないかもしれません。(映画の中でなら)
けれど、わたしはハリー氏にあくまで彼の意志で闘ってほしかったのですよね。
悪党に操られるのではなく、彼自身の意志で、ゲスな差別主義者たちをやっつけてほしかったのですよ。
全ての人々を殺し終わった時、ハリー氏が浮かべた表情の、なんと虚ろで、なんとつらそうだったことか・・・。
あんなすごい見せ場を、あんなかなしい見せ場にするなんて・・・ 憎い・・・ わしゃマシュー・ヴォーン監督が心底憎いぞ・・・!
冒頭のパブでのアクションシーンみたいな爽快なしばき方なら、心からの拍手喝采だったのですけどね・・。
弟子の成長のために退場させるつったって、もうちょっとかっこいい方法があったんじゃねえの?! え?! そうじゃねえの?!マシューさんよぉ?!
というわけで、天国から一転地獄のような気分を味わってしまったわたしなのでした。
ショックすぎて映画館出ようかと思いましたからね。出ませんでしたけどね。
その後エグジーがハリー氏が仕立てておいてくれたスーツを着て、立派にエージェントデビューを果たしていました(※女までコマす急成長っぷり)が、やっぱりね、なんつうか、渋みが圧倒的に足りないですよね。 もっとくれよ・・・50代英国紳士のエキスをくれよ・・・!
あと、基本キングスマンは単独行動が過ぎると思うよ!
雪山でのランスロット登場シーンといい、ハリー氏の教会シーンといい、あれ別のキングスマンによる援護があれば避けられた犠牲なんじゃないの!
もしかしたら17年前に複数で任務にあたっていた時失敗したから、余計な犠牲を出さないように単独になったのかもしれないけど、チームワークを謳っていながら危険な任務は個別って、おかしいと思うなぁ! っていうか鑑賞後数日経ったにもかかわらずハリー氏退場のショックを未だ受け入れ切れていないわたしがいます! 仮に続編が作られたとして、どっこい生きてたパターンも全然オッケーですよ!わたしはね!
■ おまけ
・ だいすきだけど心底憎たらしい映画でした。 マークさんの存在があったおかげで、最後まで踏み堪えることができたぞい・・・ありがとうマークさん・・・ ありがとう50代英国紳士・・・
・ とはいえ、コリン・ファースさん退場後の展開もすごくすきだったんですけどね。 花火シーンの趣味の悪さ最高!
・ 悪党の方針がまたもや「地球の人口を減らす」だったヨ!
・ 頭のおかしいIT長者さんは一部の富裕層だけが生き残って、残りの一般人のほとんどが死滅した世界を目指していたみたいなんですけど、その世界、誰が消費を生み出すんスかね? 手を汚さない金持ちが大勢いたって社会は回らないんじゃないんスかね?
・ そんな発想のヘンテコリンなIT長者を演じていたのは使えないアイパッチ長官ことサミュエル兄貴。 人殺しだいすきなクセに血を見るのはだいきらい、という、得体のしれない無邪気さを存分にふりまいていました。 なんかアレだ、今回もたのしそうでなによりですな。
・ サミュエル兄貴の使える部下ガゼルを演じていたソフィア・ブテラさんも超かっこよかったですよ。 身体能力スゲー!と思ったら、世界的なダンサーの方なんだそうです。 クルクル回ってたもんなぁ。
・ メガネもキングスマンの一部なのに、どうしてランスロットは裸眼だったの! それは駄目なんじゃないの! ちゃんとしましょうよちゃんと!
・ いい味出していたルーク・スカイウォーカー氏ことマーク・ハミルさんの存在からもわかるように、すごいスターウォーズしてました! ハリー氏はマスター、エグジーはパダワン、マイケル・ケインさんは・・・えっと・・・パルパティーン・・?
・ エグジーとマーリンが突入する雪山の基地にワラワラわいて出る傭兵なんかも、パッと見ストーム・トルーパーみたいでしたもんね。 着ている服は惑星ホスにいた時の反乱同盟軍みたいな恰好でしたけどね。 じゃあマーリンはハンソロ的なアレってことにしちゃおっか!ね、いいよね!
・ しかし、クライマックスの大量虐殺シーンはホントにすごかったですね。 スティーヴン・キングの『セル』が映画化されているようですが、一足先にあの冒頭の地獄絵図を具現化してしまった感あるで! そういえば、『セル』の方にもサミュエル兄貴出るんだよな・・・兄貴・・働き者だなぁ・・・
・ ハリー氏の退場にはまだ納得できていないものの(←しつこいタイプ)、エグジー率いる「よりぬきキングスマン」による圧倒的窮地からの形勢逆転劇はかなり痛快でおもしろかったですよ。 聞いたところによると、既にマシュー監督が続編の脚本に着手されているそうですが、なんだかんだ言いながらそちらもそちらで待ち遠しくなっているわたしがいます。 もちろん、どっこい生きてたパターンも挫けずお待ち致しておりますよ!監督! (←相当しつこいタイプ)


『ターミネーター:新起動/ジェニシス』
2015年07月27日
あらすじ・・・
審判の日を回避するため、サラ・コナーとカイル・リースと機械のおじちゃんががんばります。
【「ターミネーター」新作のポスター、ネタバレしているように見えるけれどキャスト一新されているからネタバレしていることがわからない説】

実は全員馴染みのキャラクターです。
【結局のトコ、歴史を変えなくてもジョンは人類を率いて機械に勝ってたんじゃないか説】
■1周目
1985年、ロサンゼルスでサラ・コナーがジョン・コナーを出産
→ 1997年8月29日、サイバーダイン社が開発したコンピューター・スカイネットの暴走によって世界中に核ミサイルが発射され、人類の大半が滅びる。
→ ジョン・コナーは生き残った人々に呼びかけ、機械への叛乱を開始。
→ その途中出会った少年・カイルをなぜかいたく気に入ったジョン、母・サラの写真をカイルにプレゼントし、母がどれだけマブいスケかを力説。
→ 2029年、ついに機械軍壊滅まであと一歩というトコロまで漕ぎつけるジョン・コナー。起死回生を図った機械軍はタイムマシンを使って1984年に暗殺マシンT-800を送り込み、ジョンを妊娠する前のサラを亡き者にしようと目論む。
→ その企みを防ぐため、すっかりサラにゾッコンラブになっていたカイルを同じく1984年に送り込むジョン。
→ 1984年に戻ったカイルが、サラに彼女の息子・ジョンが未来の世界には欠かせない人物であることを語ったり、うっかり愛を告白したり、なし崩しで一夜を共にしたりしたのち、T-800と相打ちを図り爆弾を使うも志半ばで死亡。怒ったサラはT-800を工場のプレス機でスルメ状に伸ばし勝利を手にする。
→ その後、工場に残っていたT-800の残骸を手にしたサイバーダイン社はスカイネットを開発。
→ 199?年、ジョンを出産後、海外の傭兵組織で腕を磨いていたサラが、帰国後過激思想の持ち主として速攻で逮捕。
→ 1994年、精神病院に強制入院させられた母と離れ離れのジョンは、里親に反抗し母譲りのハッカー技術であぶく銭を稼ぐ日々。
→1997年、スカイネットが核ミサイル発射。
→ 2029年、ジョンが人類を率いてスカイネットに肉薄。
→ 先の失敗を反省したスカイネットが今度はまどろっこしいことをせずダイレクトにジョンを亡き者にせんと、1994年に新型マシンT-1000を送り込む。
→ 先読み名人ジョンもまた、齢10歳の自分を守るべくプログラミングし直したT-800を1994年に転送。
■2周目
1994年、ジョンの前に警察官の格好をしたT-1000が現れるも、バラの花束を抱えたT-800に助けられる。
→ 父親を知らないジョンがいかついT-800に父性を感じつつ、サラと合流。
→ サラの提案で、諸悪の根源サイバーダイン社を潰す作戦に出る。
→ サイバーダイン社の開発担当者・ダイソンは、突然現れたサラとT-800に怯えつつも、自らの命を引き換えにスカイネットの開発を阻止。
→ サラと協力して工場の溶鉱炉にT-1000を沈めたのち、未来に高性能CPUを残さないため、自らの体も溶かしにかかるT-800。
→ どっこい残ってたT-800の片腕。
→ アメリカ空軍がスカイネットを開発。
→ 1997年、核ミサイルが発射されなかったことを見届けたサラが白血病で死亡。
→ 2003年、死刑囚・マーカスがサイバーダイン社のセリーナ・コーガン博士によってターミネーター化されたのち、冷凍睡眠に入る。
→ 2004年、スカイネットが核ミサイルを発射。
→ 2032年、ジョンが人類を率いてスカイネットに肉薄。
→ 先の失敗を反省したスカイネットが今度はジョンとそのパートナーを亡き者にせんと2004年に新型マシンT-Xを送り込む。
→ 先読み名人ジョンもまた、自分と未来の妻を守るべくプログラミングし直したT-850を2004年に転送。
■3周目
2004年、世界が滅びなかったので救世主にもなれず、ただのスーパーニートと化していたジョンの前に、モデル体型のマブい暗殺マシンT-Xが現れる。
→ 抜群のタイミングで駆け付けたT-850がトラックでT-Xをドーン!
→ T-850から、「審判の日」が1997年に起きなかったのは、数回のタイムトラベルによってただ単に先に延ばされただけで、実は今日がその延ばされた当日、と聞かされたジョン、落ち込むどころか「やっぱりなーオレが救世主やんないとなー」となんとなくドヤ顔になる。
→ 偶然居合わせたジョンの幼馴染・ケイトもまた、将来ジョンのパートナーになるという理由でT-Xに狙われていたことが判明。 ちなみにそんなケイトの父親でアメリカ空軍の偉い人・ブリュースターは何を隠そうスカイネットの開発責任者。
→ だったらお父さんを説得しようと基地に向かうも、T-Xによってブリュースター氏は殺害され、T-850はT-Xをボコり、ジョンとケイトを地下シェルターに保護し終えたところでスカイネットによる核ミサイルの一斉発射開始。
→ 2018年、荒廃した地球上では機械軍と人類との最終決戦が繰り広げられていた。
→ マーカスが冷凍睡眠から目覚める。
→ 抵抗軍の若き指導者・ジョン、機械軍が人間を生け捕ってサイボーグの開発に力を入れていることを知り、いよいよ昔懐かしいT-800の誕生が近いと悟る。
→ 荒地をうろうろしていたマーカスが、スカイネットの最重要ターゲットに認定されているカイル少年と出会い行動を共にするも、スカイネットに少年を奪われてしまう。
→ ジョン、自分たちが捕まえたマーカスが半分人間・半分機械の不思議な生き物であることを知り、スカイネットの手先に違いないと疑いまくる。
→ でも結構強いし使える男だったので、慣れ合いの街角。
→ のちに自分の父となるカイル少年を探していたジョン、マーカスからカイルの事を聞き、敵陣へ殴り込む。
→ スカイネットの工場で絶賛製造中のT-800と死闘をくりひろげるジョン、心臓に大怪我を負う。
→ マーカスから心臓を提供されたジョンが、無事保護したカイル少年を猫かわいがりし、母・サラの写真を与え、どれだけマブいかを説き、やがて訪れる2029年に備える。
→ 2029年、抵抗軍に押され気味の機械軍がタイムマシンを使い1984年のサラ・コナーを亡き者にせんとT-800を送り込む。
→ 先読み名人ジョンもまた、みっちり教育済みのカイルを1984年に送り込もうとする。
→ 転送が始まった瞬間、カイルを見送るジョンがターミネーターに襲われる。
■4周目
2029年、カイルが転送されるなかスカイネットから謎改造を施されたジョン、全身の細胞をナノマシン化され、なんとなく意識もナノになる。
→ 1984年に転送されたカイルがサラとどんな行動をとるかを知るジョン、一足先に2014年に戻りスカイネットに就職する。
→ 独自の知識に基づいたマシン開発でダイソンの息子に気に入られたジョン、巨額の予算を勝ち取りタイムマシンの製作に取り掛かる。
■5周目
1973年、湖畔のロッジで両親を戯れていた御年9歳のサラ・コナーの前に、何者かが送り込んだT-1000が現れ、両親を殺害する。
→ ギリギリのタイミングで駆け付けた、これまた何者かに送り込まれたT-800に助けられたサラ、T-800を「おじちゃん」と呼び疑似親子の関係となる。
→ T-800から、あと10年ほどしたら未来の旦那様が転送されてくること、彼との子どもが核ミサイル発射後の人類を救うことや、その為に必要な戦闘知識などを骨の髄までたたき込まれる。
→ 1984年、サラ・コナー19歳。 予定通り2029年から転送されてきたカイルと出会う。
→ 正直、めちゃ強いおじちゃんがいるのでカイルの手助けはいらないけれど、とにかく未来の旦那様候補なので優しくする。
→ サラとおじちゃん、10年間アメリカに居座っていたT-1000を溶かしたのち、2029年から送り込まれたT-800から回収したチップを使い、独自に製作しておいたタイムマシンで1997年の審判の日に向かおうとする。
→ 2029年からきたカイルが、転送中に見た不思議な「もうひとつの現実」の話をする。
→ その現実の中では1997年に審判の日は起きず、代わりに2017年に起動される「ジェネシス」というプログラムこそが諸悪の根源であることが、幼いカイル自身によってカイルに語られていた。
→ 1997年に行きたがるサラを強引に説得したカイル、二人なかよく真っ裸で転送される。
→ ひとりのこったおじちゃん、20年間サラとの思い出に浸りながらスカイネットの現場作業員として定年まで勤めあげる。
→ 2029年に転送されてきたカイル、一足先に現世に馴染んでいたジョンと再会する。 サラは初めて自分の息子と対面するも、自分より年上だわ微妙なご面相だわなんとなく腹黒そうだわで感慨に浸れない。
→ スカイネットの手先と化していたジョンを、サラとカイルとおじちゃんでぶっ倒す。
→ スカイネット本社も粉々に爆破し、ついに「審判の日」に怯える事のない自由な日々を手に入れたと思いきや、どっこい残ってたスカイネット。
ほんでアレでしょ、結局またスカイネットが核ミサイル発射して、今度はおじちゃんとサラとカイルとふたりの間に新たに生まれたジョンとで機械軍と戦うんでしょ、んで2029年に敗戦濃厚となった機械軍がもう一回過去にターミネーターを送り込んでうんたらかんたらって流れなんでしょうけど、よく考えたら1周目の誰もタイムトラベルしていない時点で既に人類勝ちかけてんじゃね? 未来は変えられそうで変えられないんじゃね?なんかこれってすげえ残酷な話じゃね?
【人気役者が張り切ってひとり何役もやる時だいたいスベってる説】

ナッティ・プロフェッサーのエディ・マーフィさん。

オースティン・パワーズのマイク・マイヤーズさん。

ジャックとジルのアダム・サンドラーさん。
ね、スベってるでしょ!
ぼかぁマイク・マイヤーズさんもアダム・サンドラーさんもだいすきですけどね、この複数役は全くのれませんでしたねぇ。
ドクター・イーヴルとオースティン・パワーズの二役はすごくよかったので、ただ単にキャラクターが無理なだけかもしれませんけども。
というわけで、本作でシュワちゃんが若いターミネーターやったり中年のターミネーターやったり初老のターミネーターやったりしている予告を観たときはかなり心配していたのですが、実際本編を観てみると全くシャシャッてる感がないというか、今のシュワちゃんだからこそ出来る役の幅なんだろうなぁ・・と納得なんかしちゃったりして、とりあえず本作に関してはスベってる説は撤回します!
っていうか、『博士の異常な愛情』みたいな例もあるし、スベッてるのはナッティ・プロフェッサーだけってことにします!
【あたらしいカイルの髪型かた焼きそば説】

1作目のカイル。

4作目のカイル少年。

かた焼きそば。
【ターミネーター、辞め時を見失ってる説】
5周分のタイムラインを書いていてわたし自身何が何やらさっぱりだったわけですが、作っている方はもっとドさっぱりなのではないかと思いますね。
そもそも、過去作すべての辻褄を合わせる気など毛頭ないのかもしれませんし。
3作目以降が蛇足だったのか、いや、シュワちゃんが役者をやめていた時に作った4作目こそが色んな意味でおみそだった(特にマーカスのあたり)のか。
人気作だから、やろうと思えばいくらでもやれる。 そんな安易な作品作りが招いた時間軸のゆがみが正される日は、果たしてやってくるのだろうか。
鑑賞中は、本作がその役割を担うのではないか、と思っていたのですが、いやいやどうして、過去の作品の色々な要素を上手にまとめあげ、なかなかいい方向に進んでいたと思ったのですが、結局ラストのアレで台無しですよ。
辞め時を見定めるのって難しいし、勇気がいることなのでしょうけども、今回あそこまでやっておいて幕を引かなかったのは大きな間違いのような気がしてなりませんねぇ。
うーん・・・やっぱり2作目の時点でやめとけb(ゲフンゲフン
【なんだかんだいってもシュワちゃんが出ていればなんとなくまぁいっかって気分になる説】
2作目の時点で・・とは言いつつも、じゃあ今回おもしろくなかったのかというとそんなことはなく、前述の通りよくまとめられていてとてもたのしく鑑賞したのですよ。
若造シュワちゃんを迎え撃つシュワちゃん、娘(サラ・コナー)の彼氏と張り合うシュワちゃん、若いもんに負けじと建造物をぶっ壊すシュワちゃん、アイルビーバックを言うときは若干イキってるシュワちゃん、ロボットのくせして娘を嫁に出す父のようなまなざしを向けるシュワちゃん。
高倉健さんばりの不器用さと実直さでサラをサポートするシュワちゃんを観ていると、なんだか自分の人生が重ねるような気がしてしまい。
そりゃそうです、だってターミネーターの1作目を観たのは中学生の頃ですよ。そして2作目に大興奮したのが高校生の頃。
あれよあれよとシュワちゃんは大スターとなり、シレっとスタローンのライバルポジションに上り詰め、なんなく追い越し、そのまま知事に当選して逃げ切り。
その間わたしは就職し、結婚し、子どもが生まれ、その子どもも今や中学生です。
悪いロボットと闘っていたサラ・コナーの目線から子を守る親のそれへと変わった私の目線は、ひたすらにサラを守るシュワちゃんに同調し、共感し、クライマックスなんかは目頭が熱くなったりなんかして。
正直、カイルなんかどうでもいいわーって思っちゃったりして。
シュワちゃんがターミネーターとして活躍してくれればそれでいい。
タイムパラドックスに理解が追い付かなかったり、矛盾に引っ掛かりそうになったりしつつ、エンドクレジットが流れるころには「あーおもしろかった」ぐらいなさっぱりとした感情しか残らないけど、それでいい。
なぜなら、ターミネーターといえばシュワちゃんだし、シュワちゃんといえばターミネーターなのだから。
タイムトラベルがどうとか審判の日がこうとかいうSF的な側面よりも、カイルとジョン、サラとシュワちゃんという二組の父子関係に焦点を絞っているところもよかったと思いましたよ。
差し伸べられた手を握り、信頼を愛情を捧げてきた子どもたち。
ひとりは親のエゴのため利用され、ひとりは命がけで守られる。
親に裏切られた悲しい子どもも、愛情深い父親の姿をそばで見ているうちに、いつかその傷を癒されるのだろうか。
そうだったらいいなぁ。
っていうか、ナノ化されるというひと手間があったとはいえ、結果的にジョンのメンタルがああなったのって、生まれた時から「あなたは将来救世主に」とか「あなたの部下となる男性が実はあなたの父親に」とか「邪魔者は消せ」とかさんざん吹き込まれるという複雑すぎる生育環境が災いしているんじゃないんスかね。どうなんスかね。
いっつもロクなキャラクター設定が与えられないジョン、かわいそう!
というわけで、色々書きましたが本作に関してはもうこれでいいです。
少なくとも、わたしは満足です。
まぁ続きはなくていいですけどね!(たぶん作られるんだろうなぁ!)

