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『スリー・ビルボード』

2018年03月04日
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■ 「母」 ミルドレッド・ヘイズ

朝起きて、朝食を食べ身支度を整え家を出て街に向かう。
そのたびに、娘はレイプの末殺され遺体に火をつけられた、という現実を突きつけられる。
なぜなら、娘が発見されたのは、家から1キロも離れていない目と鼻の先ともいえる場所だったから。
毎朝、毎朝、道路を走るたびに、娘の不在とそのむごい最期を思い出す。
そして、仕事を終え、家に帰るとき、再びそれは繰り返される。
娘があげたであろう悲鳴と、助けを求める声と、肉の焼ける臭いが耳と鼻から離れない。
実際に聞いてはいないのに。
実際に嗅いではいないのに。
実際に聞いていれば、助けることができたのに。
実際に嗅ぐ前に、クズどもを撃ち殺すこともできただろうに。
いや、それ以前に、娘をひとりで出かけさせたりはしなかった。
反抗的な娘との激しい言い争いの際、売り言葉に買い言葉でつい発してしまった「レイプでもなんでもされればいい」という一言。
絶対に取り消せない悪魔との契約のようにそれは実行され、犯した間違いから救ってくれるはずの神はひたすら沈黙する。

どう過ごせばいいのだろう。
そんな悪夢のような毎日を、どう生きてゆけばいいのだろう。

ミルドレッド・ヘイズが悪夢から抜け出るただひとつの道は、犯人が捕まることだった。
娘を殺したのは自分ではない、と自分自身を赦すことのできる唯一の道。
到底受け入れられない現実を受け入れ、前に進むことのできる唯一の道。
怒りや哀しみや後悔や喪失感や、ありとあらゆる不条理な感情をぶつけられる相手が明らかとならない限り、ミルドレッドの地獄は終わらなかった。
だからミルドレッドは待ち続けた。
玄関のドアがノックされ、出てみるとそこには信頼できる警察署長がおり、「犯人を逮捕しました」と告げてくれる日が訪れることを願っていた。
一か月、二か月、三か月。
捜査が進展しないまま月日は残酷なほどさりげなく過ぎ、黒く焦げた遺体のあった野原には青々とした草が生い茂る。
かろやかに季節が移りゆく中、人々の記憶の中から陰惨な事件の影は消える。
七か月後、残っていたのは「かわいそうなミルドレッド」だけだった。
「あの」、「例の事件の」、「気の毒なミルドレッド・ヘイズ」。

どう過ごせばいいのだろう。
そんな悪夢のような毎日を、どう生きてゆけばいいのだろう。

ミルドレッド・ヘイズは、もういちど街の連中を事件の渦中に引き戻すことを選んだ。
自分だけが取り残されているのなら、やつらもここに引きずり込めばいい。
嗅ぎたくない臭いを嗅がせ、忘れ去りたい暗闇を見せつける。
「あんたたちは思い出したくないだろうけど、娘はレイプされ、殺され、焼かれ、そしてどうしたことか犯人はまだ捕まっていないんだよ。 それ、どう思う? あんたたちが住む街で起きたことなんだけど、どう思う? もしかしたらあんたたちの隣人かもしれないけど、それでも平気なわけ?」

人は見たくないものは見たくないし、知りたくない事実は知りたくない。
「かわいそうな人」には同情するけれど、自分の「道義」に反する人には敵意を抱く。
いまやミルドレッド・ヘイズの周りは敵だらけだ。
けれど、それがどうしたというのだ。
敵だらけだったのは、今に始まったことではないじゃないか。
それに、彼女の一番の敵は、自分自身ではないか。


■ 「父」 ビル・ウィロビー

朝起きて、朝食を食べ身支度を整え家を出て街に向かう。
そのたびに、自分の余命はあとわずかなのだ、という現実を突きつけられる。
あと何回、愛する妻と愛し合えるだろう。
あと何回、かわいらしい娘たちの額におやすみのキスをできるだろう。
病院で採血をし、結果を待つすこしの時間がたまらなく無意味でこの上なく苦痛な数十時間にも感じられる。
どうせ結果は同じだということを、自分も医者も看護師も街の人たちもみんなわかっている。
もしかしたら神様がもたらす奇跡の兆しがどこかに現れやしないかと、目を凝らして前を見つめるけれど、24時間はビル・ウィロビーの命を少しばかり削り取り、いつもと変わらぬスピードで過ぎてゆく。
ベッドに入るのがこわい。
明日も同じように瞼を開け、朝の光を眩しく思えるかわからないから。
まだ死なないかもしれないけれど、もう生きられないかもしれない。
堂々として威厳に満ち、誇りをもった「父親」として生きられないかもしれない。
もはや「眠り」はビル・ウィロビーにとって安らぎではなく、ロシアンルーレットのようなものだ。
カチリ、今日は目覚めた。 
カチリ、明日はどうだろう。

どう過ごせばいいのだろう。
そんな悪夢のような毎日を、どう生きてゆけばいいのだろう。

ビル・ウィロビーが悪夢をやり過ごすただひとつの道は、平穏に暮らすことだった。
やさしい妻に癒され、子どもたちと出来る限り食卓を共にし、街の平和に貢献する。
みなに尊敬され、信頼される警察署長として、最後のひとときまで誇りをもって過ごす。
トラブルばかり起こす出来の悪い部下もいるし、やる気のない部下もいる。
けれど、街の人々はみなビル・ウィロビーに好意的で、事件や事故も田舎町に相応な程度のものばかり。
自分が身を置いているここは悪夢の中ではない、幸せな夢の途中なのだ、と思い込むことで、このまま何事もなく静かに暮らし、静かに人生を終えたい。
見たくない現実からは目を逸らしたっていいじゃないか。
だって自分はもうすぐ死ぬんだから。

しかし、本当はビル・ウィロビーもわかっていた。
逸らそうと気づかないふりをしようと、生きている限り現実からは逃げられないことを。
大切な娘を無残に殺された母が、自分たちからの実のある報告を待ち続けていることを。
生い立ちと成長過程に問題を抱えた部下が、このままではきっとこの先も成長することなく人々から憎まれ続けるであろうことを。
警察署のリーダーとして、父親代わりの上司として、ビル・ウィロビーは彼らに対し責任があった。
ああ、できることならゆるしてほしかった。
だって自分はもうすぐ死ぬんだから。

被害者の母親が、警察署長を個人攻撃するかのような看板を事件現場近くに立てたとき、ビル・ウィロビーが抱いたのは、怒りでも恐れでもなく罪悪感と悔しさだったのではないかと思う。
そして、卑怯なやりかただということは承知の上で、捜査の滞りの裏には自分の病気があった、という個人的事情を話した。
自分でもそれとこれとは別だとわかっているけれど、街のみんながそうであるように、彼女も同情的な眼差しを向けてくれるかもしれないと期待する部分があった。
すがるように見つめるビル・ウィロビーに被害者の母がかけたのは、「そんなの知ってる」というひとことだった。
彼女は、知っているからこそ、宣戦布告をしたのだ。
逃げ切らせない、という覚悟。
たしかにあなたは死ぬのかもしれない、ベッドの上で、家族に囲まれて。
でも、うちの娘はもうとうに亡くなっているんだよ、よっぽどのまぬけか道に迷った者しか入ってこないような田舎道で、助けもなく、たったひとりで、凌辱され、焼かれて、という怒り。
それらを突きつけられたビル・ウィロビーは、残された時間の中もういちど事件に向き合い、なんとか成果をあげようとするが、手がかりも解決の糸口もないということもまた、変えようのない現実。

捜査に行き詰った事件と、治療の施しようのない病。
逃げられようのない現実、直視しないようにしてきた現実と向き合ったビル・ウィロビーは、はじめて自分と被害者の母との間にある共通点に気づいたのではないかと思う。

「かわいそうな母」と「かわいそうな父」に街の人々が向ける憐れみの眼差し。
最初のうちは、そのやさしさをありがたいと思うこともあっただろう。
みんな自分の味方なんだ、と心強く思うこともあっただろう。
けれど、その言葉や視線は徐々に煩わしいものへと変化してゆく。
なぜなら、同情は犯人を見つけてくれないし、病巣を小さくしてもくれない。
「だいじょうぶよ」 「お気の毒にね」 「応援してるよ」 「がんばってね」
必死に闘う彼らの上に、文字通り、毒にも薬にもならない言葉の数々が虚しく降り積もる。
自分が感じている孤独と被害者の母のそれが同じものなのだと悟ったビル・ウィロビーは、彼女の共犯者になった。

ビル・ウィロビーが家族に残したつもりで、実際置いて行ったものは、深い悲しみと自責の念と一生消えない心の傷だけだった。
いつ終わるとも知れない闘病生活で苦労をかけたくないなんていうのはただの言い訳で、苦しみたくないし無様なさまを見せたくないというのが本音だったのだろうから、いっそそう書き残してくれた方が家族は受け入れやすいように思うけれど、ビル・ウィロビーは最後まで「威厳のある父」でいたかったのだろうから仕方ない。
被害者遺族の「罪」を後押しすることで、彼女はより一層苦境に立たされるし、街の人々の感情を訂正しないまま逝ってしまったせいで、いがみ合いは続く。
ある部分ではどんでもなく迷惑なことをし、ある部分ではひとりの人間の人生を転換させる重大なことをし、街に大きすぎる影響を与えたまま、ビル・ウィロビーは自ら人生を終えた。
それがどうしたというのだ。
オレはすきにする。
君らもすきにしてくれ。


■ 「息子」 ジェイソン・ディクソン

朝起きて、朝食を食べ身支度を整え家を出て街に向かう。
そのたびに、母を頼もしく思い、母を疎ましく思い、母をいとおしく思う。
不幸な事故で父を亡くし、女手一つで育てられたジェイソン・ディクソンの価値観は、おもに母によって定められている。
母が否定するものは、自分も否定すればいい。
母が予想したことはたいがい当たっているし、母のアドバイスには得るところがたくさんある。
だからといって、母に支配されているわけではない。
母は自分がいないと生きてゆけないのだから、自分の方が立場は上なのだ。
言いなりになんかなっていない。
自分が母を守っているのだ。
男なんだから当然じゃないか。

ジェイソン・ディクソンと母の関係はかなりいびつで、街の人々もみなそれを知っている。
おまけに、ジェイソン・ディクソンがもっとも知られたくない個人的な情報も筒抜けだ。
「ほらみてごらん、バカのジェイソン・ディクソンだよ。 あの強烈なおかあさんに首根っこおさえられてるんだよ、気の毒にね。 それにほら、男なのに男がすきなんだってよ、かわいそうにね」
ジェイソン・ディクソンに向けられる眼差しにもまた、同情と憐れみが混じっている。
そしてそれらは彼を救ってはくれない。

ジェイソン・ディクソンは鈍くて、ある意味純粋で、彼なりの正義を持っていたのだろうと思う。
気に食わないやつは殴っていいという正義であり、尊敬する人を守るためなら他人を傷つけても構わないという正義。
母に教わった価値観で暴力を振るい、父のように慕っている署長がそんな彼の独善を戒めてくれるのが常だったので、その片方が欠けたとき、ジェイソン・ディクソンの正義が暴走するのは、至極当然なことだったのかもしれない。
周囲からの同情と憐れみに、恐怖までもが加わってしまった今、ジェイソン・ディクソンは職を失い酒浸りになって周りから敬遠され、木がうっそうと生い茂る高台の小さな家で、母親とふたり生きてゆくしかないのか。
自業自得と言い切るにはあまりに救いがないジェイソン・ディクソンの人生。
それを変えたのは、「父」からの手紙だった。

そんな一通の手紙で、人生は変わるものなのだろうか。
たった一通の手紙で、価値観が動かされることなどあるのだろうか。
ふつうは、そう簡単なことではないと思う。
けれど、きっとジェイソン・ディクソンの中には、「父」だけが気づいていた善き部分があったのではないか。
警察署に火がつけられ身体が炎に包まれる中、ジェイソン・ディクソンはいちど灰になった。
ジェイソンの表面を覆っていた「独善」や「虚勢」の殻が燃やされたことで、黒く焦げた土壌から再び芽が生えるように、彼の奥深くにあった善き部分が表に出てきたのではないか。
憑き物が落ちたかのように、ジェイソン・ディクソンは善き部分、「弱いところ」「素直なところ」「悪をゆるせないところ」「人を愛するところ」を隠さないようになる。
罪悪感から泣き、感謝から泣き、母を想い泣き、目の前の悪に怒り、自分の無力を嘆き、他人の痛みに苦しむ。
ジェイソン・ディクソンは再生した。
そして、「父」の期待と「母」の想いに応えるため、起死回生の勝負に出る。
これが実れば自分は救われる。
これが実れば自分は赦される、と信じて。


■ 三枚の看板

娘の弔い合戦とばかりに街を敵に回すミルドレッドは、他人の痛みをかえりみないモンスターかあちゃんのように振る舞っているけれど、そのかたく結んだ唇を見れば、本当は常にギリギリのところを歩んでいることがわかります。
夫に対しても娘に対しても「自分の信念」を貫いてきたゆえに、その両方を失ってしまい、それでもまだ、彼女が信じるやり方でけじめをつけるしかないミルドレッド。
看板は彼女にとって怒りの表明であるとともに、娘の墓標でもあったのではないでしょうか。
赤い花の寄せ植えを看板に手向け、そこに現れた鹿に話しかけるミルドレッドの穏やかな表情。
あの看板は娘が殺された証で、生きた証で、誰にも忘れさせないという決意の証だった。
燃えあがる看板はミルドレッドの目に、まるで娘がもういちど燃やされているように映ったのかもしれない。
いや、わたしの目には、そう映りました。
もうやめて! あの子の火を消して! どうしてこんなひどいことを!
(消火を)もうあきらめなよ」と声をかける息子・ロビーに懇願するように「ロビー!」と叫ぶミルドレッド。
なんど娘をうしなえばいいのか。
なんど娘を救えない無力さに打ちのめされなければならないのか。
悲痛すぎる声に、涙がとまりませんでした。

ずっと誠実に生きてきた正しい人・ビルは、「明日朝起きたらパパがいる」と信じていた娘の気持ちや、夫の苦しみを分かち合い寄り添い続けてくれた妻の想いを裏切り、ミルドレッドが責められることを承知の上で逃げ切った。

粗野で愚かで差別主義的なディクソンには、自分の母を想い、娘を失った母を想うやさしい部分があった。

息子に悪影響しか与えてなさそうな毒母は、暴行を受けボロボロになった息子を前におろおろと狼狽え、「手当をさせておくれ」とただ泣きじゃくる。

人は見たくないものは見たくないし、知りたくない事実は知りたくないものです。
同時に、「こう見られたい」自分と「こんな風にだと思われたくない」自分があるのが人でもある。
ある場面では寛容で、真逆の場面では不寛容。 他人に攻撃的だけど、自分が打たれると弱い。
かっこいところや勇ましいところは見られたいけど、情けないところや臆病なところは見られたくなかったり、いい人間だと思われたいけど、本当はエゴのかたまりであることは知られたくなかったり。

世の中には人の数だけ看板があるのでしょう。
どちらかの面だけで人を判断できないし、するべきではない。
裏も表もひっくるめてのわたしであり、あなたなのだから。


■ 車の中

放火事件の加害者であるミルドレッドと被害者であるディクソンが同乗する車の中。
罪を告白するミルドレッドにディクソンは赦しを与えますが、そんなディクソンもまた、別の事件では加害者で、ミルドレッドは被害者であったりもする。
誰かを傷つけ、誰かに傷つけられたふたりが、互いを赦し合い、同じ目的に向かって進んでゆく。
まだ気持ちは同じではないし、またどこかで反発し合うかもしれないけれど、その先の行動について「時間はたっぷりあるから、おいおい考えよう」と話し合う。
憎み合っていたとは思えないほど、おだやかな表情をみせるミルドレッドと、焦る様子はなく遠くを見つめるディクソン。

この社会で生きているわたしたちもまた、ひとつの車に乗り合わせたようなものなのかもしれませんね。
時に共感し合い、時に批判的になり、傷つけたり、傷つけられたりを繰り返すわたしたち。
でも、降りる訳にはいかないんですよね。
どんなに気に食わない人がいようと、どこかの惑星に移住でもしない限り、この時代、この世界で一緒に生きてゆくしかない。
だったら、見えていない、見せられていない看板の裏があることを意識し、思いやったり歩み寄ったりする方がいいじゃないですか。
ふたりの姿は、わたしたちが持つ可能性そのものなのではないかと思いました。
そして、そんなラストを用意してくれたこの作品を、心からすばらしいと思いました。

フランシス・マクドーマンドさんの前を見据える眼差し、サム・ロックウェルさんの瞳からこぼれる涙、ストローをたてられたオレンジジュースをわたしは忘れない。 
墓標にたむけられた赤い花を。
眠っている母の髪をやさしくなぜる指を。
怒りをあらわにする勇気を。
誰かを赦す勇気を。



― 追記 ―

・ 母と姉のやりとりを見ていた息子は、母の後悔や罪悪感を誰より理解していたから、どれだけ母が暴走しても(反発はすれど)見放さなかったのですよね。 きっと学校では相当ひどい扱いを受けていただろうに。

・ 父が家に乱入してテーブルをひっくり返した瞬間の、包丁を手にして背中を取る一連の動きもあまりにスムーズで、母と父が一緒に暮らしていた頃、こういったやりとりは幾度となく繰り返されていたんだろうし、そのたびに息子は母を守ってきたのかなぁと思いました。 息子、えらいね。 やさしいね。 家族を一度にうしなったのは、息子も同じなのにね。

・ やさしいといえば、看板屋さんのレッドですよね。 そんなに正義に燃えるタイプではないけれど、ミルドレッドの素性を知った瞬間きちんと仕事をして、おまわりさんの脅しにも屈さないし、バーで煽ってくるディクソンも上手にかわすし、あんな酷い暴行を受けたにも関わらず、相手が加害者と知っても親切をやめないし、包帯だらけのディクソンからよろよろと離れ、ぶるぶると震える姿からのオレンジジュースには打ちのめされました。 しんどかったよね・・・トラウマがよみがえって、ホントは呼吸するのもしんどかったんだよね・・・ レッドつよい・・・ レッドはエビングの良心やで・・・

・ レストランで看板放火の真犯人が明らかとなった時、シャンパンを手にとったミルドレッドは元夫をぶち殴りに行くのだろうと思ったんですよね。 そりゃそうだ、あいつはそうされて当然だ、って。 でも、自分が見下していた元夫の若い恋人の口から「怒りは怒りを来す」という言葉がでたことを知り、たとえそれがただの偶然だったとしても、ミルドレッドにとっては天啓みたいに感じられたのではないか、と。 期待していない場所からふいにあらわれた神様からのしるし。 自分は彼を赦さなければならないし、彼は彼女の人生に責任を持つべきなのだ、娘にできなかった分まで。 

・ もちろん、その直前、彼女が同じく心の中で見下していたジェームズからかけられた一言も、なくてはならない言葉だったと思いますけどね。

・ 自分が目星をつけていた男が犯人ではなかったとミルドレッドに報告するディクソン。 迷うようにすがるようにショットガンを抱きかかえていたのは、もしもミルドレッドが自分を赦してくれなければ命を断とうと思っていたからなのではないか。 署長の期待にも応えられず、遺族の願いも叶えられないクソ野郎の自分には、生きている価値はない、と思っていたのではないか。 もしかしたら、母親も道連れにしようとしていたのではないか。 このシーンは、ディクソンが電話を切るまで本当にどきどきしました。 

・ 燃やされた看板を消火させられなかったミルドレッドは、炎の中から事件のファイルを命がけで救い出したディクソンをとっくに赦していたのかもしれませんね。 自分の代わりに娘を助け出した。 灰にさせなかった。 だから、結局進展しなかった捜査について、ミルドレッドはディクソンを責めず、静かに耳を傾けたのかもしれないなぁと思いました。

・ 娘の事件とは無関係だったけれど、似たような犯罪をおかしている可能性は濃厚であった男に対し、私的制裁を匂わせるディクソン。 ミルドレッドはしばしの沈黙の後、同意を示しました。 受話器を頬にあて涙を流すディクソンと、もういちど鹿が現れてくれないかと願うように野原を見回すミルドレッドの姿が、いまだに頭から離れません。 どうか、彼らに救いを。 彼らが目的地まで突き進んでしまうのか、どこかで引き返すのかはまだわからないけれど、そこでかわされる会話から希望がうまれることを願っています。
  



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すきもの主婦が選ぶ映画オールタイムベストテン 2017

2017年12月14日
大人気ブログ・男の魂に火をつけろ! 様による年末恒例企画、「映画ベストテン」。
2007年の「オールタイムベストテン」から今まで、多くの映画ファンやワッシュさんのブログのファンが思い思いのベストテンを投票し、毎年さまざまなジャンル別ベストテンが選ばれて来ましたが、今年は10年という節目を迎えられたということで、再びオールタイム・オールジャンルのベストテンをあげてみようじゃないか、という運びとなったそうです。

と、いうことで、ここ数年タイミングが合わず気づいたら投票締め切り後だった、ということの多かったわたしも、今年はなんとか参加させて頂ければ・・と思った次第ですよ! どういうことだよ! そういうことだよ!


改めまして、以下がマイ・オールタイム・ベストテンです。
過去にジャンル別ベストで選んだことのある作品も混じっており、正直、毎回同じ作品ばっか選んでねえかオレ・・?という気持ちもなくはないのですが、ここは細かいことは一切気にせず、「いかに自分がその作品から影響を受けたか」「定期的に摂取せず(観直さず)にはいられないほどすきである」を基準に、これぞわたしのオールタイムベスト!という10作品を挙げてみました。 ご査収のほど、お願い申し上げます。



  1. インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説(1984年日本公開)
  2. グーニーズ(1985年日本公開)
  3. ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還(2004年日本公開)
  4. スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還(1983年日本公開)
  5. ゾンビ(1979年日本公開)
  6. ウェスト・サイド物語(1961年日本公開)
  7. バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985年日本公開)
  8. グレムリン(1984年日本公開)
  9. 恋人たちの予感(1989年日本公開)
  10. パラノーマン ブライス・ホローの謎(2013年日本公開)







『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(1984年、アメリカ、スティーヴン・スピルバーグ監督)
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アクション、アドベンチャー、ユーモア、ロマンス、オカルト、適度なグロ、キー・ホイ・クァン、と映画に必要なものがすべて詰められた完璧な作品。
中だるみのシーンは一切なしの、ノンストップ娯楽作。
インディとショーティの関係には親子・師弟・バディとしての愛情も込められており、高飛車ウィリーとのロマンスにいまひとつノレなかった人もそっちで大満足できることうけあいです。
御大スピルバーグの天才的な画作りも、巨匠ジョン・ウィリアムズの音楽も最高オブ最高。
インディ・シリーズはレイダースも最後の聖戦も大傑作ですが、人生で一番影響をうけたといっていい本作がオールタイム・ベストワンです。


『グーニーズ』(1985年、アメリカ、リチャード・ドナー監督)
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魔宮の伝説が完璧な作品なら、こちらもわたしにとっては完璧な一本。
小学6年生だった年の暮れ。 たくさんの人でごった返す劇場内。
友だちとはぐれないように、母にもらったお金を落とさないように、と気をつけながら席に着くと、徐々に暗くなってゆくスクリーン。
画面に浮かび上がるドクロ。カメラがドクロの目に吸い込まれてゆくと、スピルバーグとドナーの名前。
いまでもあの瞬間の心臓のドキドキは忘れられません。
子どもが憧れた「冒険」のすべてがそこにあり、しかしそれは単純な「遊び」ではなく、大人でもどうにもできないような「生活に関するのっぴきならない事情」を大人に代わって子どもたちが回避するための「戦い」でもあるという。この優れたドラマ性。
「はみだしもの」たちが見せる一発逆転劇に、彼らと同年代だったあの頃も、親かそれ以上の年齢になった今でも、同じように胸が熱くなります。
心の中では『魔宮の伝説』と同率ナンバーワンですし、もしも年代性別問わず誰かに一本自分の一番すきな映画を紹介するとするならば、わたしは『グーニーズ』を選びますね!


『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2004年、ニュージーランド・アメリカ、ピーター・ジャクソン監督)
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『旅の仲間』も『二つの塔』も最高ですが、どれか一本選ぶならわたしはやっぱり『王の帰還』。
王である以前に、小さい人たちの勇気と決意と覚悟に人生観を変えられた馳夫さんとして、勝ち目のない闘いにのぞむアラゴルン。
おのおのの能力を認め合い、種族間に存在し続けてきた遺恨を二人でぶちこわしたレゴラスとギムリ。
ホビット庄での平和な日々とはあまりにかけ離れた、血なまぐさい戦闘に放り込まれ、人間たちの愚かさや弱さに翻弄されながらも、友だちの使命を支えるため奮闘するメリーとピピン。
死にかけたおかげでツヤツヤストレートヘアを手に入れたガンダルフ。
報われない愛を指輪にそそぐゴラムとスメアゴル。
その他のみんなもホント最高。エオウィンもファラミアもエオメルもセオデン王もみんな最高。何度観ても、後半ほぼ泣きます。
フォー・フロド!


『スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』(1983年、アメリカ、リチャード・マーカンド監督)
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ルークのかっこよさなら『新たなる希望』、ハンソロのかっこよさなら『帝国の逆襲』、毛玉ちゃんのかわゆさなら『ジェダイの帰還』ということで、シリーズ3本の中で一番繰り返し観た『エピソード6』を選んでみました。 
後悔はありません。
毛玉ちゃんを差し引いても、レイアがジャバ・ザ・ハットにエロい恰好をさせられたり、砂漠で派手な闘いがあったり、ヨーダが成仏したり、森の中でのスピーダー・バイクを使ったチェイスがあったり、ハンソロがこんがり焼かれそうになったり、ルークとベイダー卿が親子でタッグを組んだりと、かなり盛り沢山かつ見どころの連続みたいな作品だったと思いますね。
ちなみに、特別篇はわたしの中でなかったことになっていますので、評価はあくまでオリジナル版の『ジェダイの復讐』に向けたものです。


『ゾンビ』(1979年、イタリア・アメリカ、ジョージ・A・ロメロ監督)
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死ぬまでに一度は行ってみたいモンロービル・モール。


『ウェスト・サイド物語』(1961年、アメリカ、ロバート・ワイズ監督・ジェローム・ロビンズ監督)
ウエスト・サイド物語
ミュージカル映画もだいすきなので、どうしても一本いれずにはいられない。
でも、一本には絞れない。さあどうしよう、とだいぶ考えたのですが、迷ったときは、一番繰り返し観た作品を選べ、ということで『ウェスト・サイド物語』です。
天才バーンスタインの音楽も最高、ジェローム・ロビンズの振り付けも最高、俳優たちの迫力あるダンスも最高、社会風刺の込められた悲劇的なストーリーも最高。
本作のトニーとリフは、数十年後に『ツインピークス』の住人としてカムバックしました。色んな意味で感慨深いです。


『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年、アメリカ、ロバート・ゼメキス監督)
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マーティとドクとデロリアン。
今さらこの傑作について何を言えばいいというのか。
「映画」の喜びがそこにある。


『グレムリン』(1984年、アメリカ、ジョー・ダンテ監督)
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世にクリスマス映画は数あれど、わたしの中で不動の一位はこれ!『グレムリン』!
モグワイの凶暴なまでのかわいらしさと、グレムリンたちの邪悪な立ち振る舞いが幾重にも層になった、娯楽のミルフィーユのような傑作ファンタジー。
最終的にはグレムリンもかわいいなぁと思えてきます。 一緒に映画館でハイホー歌いたい!
ただし、小動物たちの心癒される光景に油断していると、フィービー・ケイツの地獄のクリスマス話に横っ面を張らますので、くれぐれもお気をつけください。
キー・ホイ・クァン(ショーティ)を模した少年が出てきたり、スピルバーグがカメオ出演していたり、悪魔のいけにえリスペクトなチェーンソーが出てきたり、隅々まで楽しさが詰まっています。
わたしが本格的に映画をすきになったきっかけの作品です。


『恋人たちの予感』(1989年、アメリカ、ロブ・ライナー監督)
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男女間の友情は成立するのか?をテーマに、美男美女でもない、お金持ちでもない、特別に不器用なわけでもない、ごくごく「ふつう」の男女の10数年間を描いたロマンティック・コメディ。
もうね、わたしはこの作品がだいすきなんですよね。
たぶん恋愛映画の中で一番すきだと思います。
どこを切り取っても絵になってしまうニューヨークの景色、ステキな音楽、メグ・ライアン史上最もキュートなメグ・ライアン、通じそうで通じないふたりの気持ち、最高にモジモジします。
心の栄養補給にぴったりです。
男女間の友情、って日本のドラマや漫画でも一時期流行った気がしますが、ずっと一緒にいるカップルの間にあるのって、恋愛感情だけではなくなると思うのですよね。
すきという気持ちと同じぐらい、助け合いたいとか笑い合いたいという気持ちもあって、それはとても友情に近いもので。
パートナーのことを「一番身近にいる親友」と呼べるのって、幸せなことなのだなぁと、この歳になるとしみじみ思うのでありますよ。


『パラノーマン ブライス・ホローの謎』(2013年、アメリカ、サム・フェル監督・クリス・バトラー監督)
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ストップモーションアニメーションの金字塔。
もしも、まだ観たことがないという方がおられましたら、どうかわたしにあなたの92分間を預からせてください。
きっとどこのお店にも置いてあるはずです。
ソフトを手にとり、デッキに入れ、お気に入りの飲み物を用意し、画面に映し出される物語に耳と目と心を傾けてみてください。
手書きでもCGでもなく、一コマ一コマ気の遠くなるような作業の積み重ねによって作られた繊細な物語は、きっとあなたの感情を揺り動かしてくれるはずだと、わたしは信じています。

以前書いた感想・・『パラノーマン』





年代を見て頂ければわかるように、ほとんど1980年代になってしまいました。
まぁ、しょうがないですよね。 
一番多感な時期に観た作品ほど、一番影響を受けるものですし、なによりも深いところに刻まれるものですよ。
それにしても、毎回思いますが、すきな映画を10本に絞ることも難しさよ・・。
過去に選んだことのある作品を極力除いてもこれですよ!
できることなら、最近観た作品の中でピカイチだった『新感染』やキャプテン・アメリカ3部作、欧州ホラーや韓国のえげつないやつとかも入れたかったです。 

また十年後ぐらいに考えたとき、80年代の作品を外さずにはいられないほどのめりこめる作品に出会えているといいなぁと思います。
それではワッシュさん、集計の方大変かとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします!



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『沈黙-サイレンス-』

2017年02月08日
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小学校の近くに、教会があった。

そのことに気づいたのは四年生の頃だっただろうか、とにかく、あるときクラスメイトから「日曜学校って知ってる?」と聞かれてはじめて、自分の学区内に教会があることに気づき、また「日曜なのに学校とはこれいかに」と大きな衝撃を受けたのを覚えている。
興味をひかれたのはわたしだけではなかったのだろう、初めて訪れた日曜日の教会は、両親を説き伏せて参加許可を取り付けたわたしや姉と同じように、手に献金用の小銭を握りしめた子どもたちであふれていた。
どの子がどこまで真剣に「キリスト教」に関心があったのかはわからない。
きっと多くはあくまで「興味本位」。 または「話のネタ」だったのだろう。
わたしももちろんそうだった。 
「教会」に足を踏み入れるまでは。

ほんのりと薄暗い礼拝堂に整然と並べられたベンチ。
染み渡るように鳴り響くオルガンの音色。
わかるようでわからないけれどたぶんありがたいことを言っているであろうことだけは疑いようのない牧師さまのお話。
その魅惑の低音ボイス。
まだ「おごそか」という言葉を知らなかったわたしは、自然と心が落ち着くような、なにかに守られているようなその感覚だけで、あっという間に「教会」をすきになっていた。
ただ、割と早い段階で気づいたのだが、その「すき」はあくまで「教会」の雰囲気と装飾と西洋文化に心地よさを感じていただけのことで、本来の目的である「日曜学校」部分に関しては、不真面目の限りを尽くしていたわたしは、母親から献金用にもらった小銭をちょろまかして駄菓子屋に行ったり、創世記をわかりやすく説く牧師さまに、「その話に恐竜が出てこないのはおかしいじゃないか」、といかにもかわいげのない子どもらしい横やりを入れたりしながら、教会通いを謳歌していた。
教会はすきだし、クリスマスのお芝居も歌をうたうのもボランティア活動もたのしい。
でも、キリスト教のおしえはいまいちわからない。
クラスメイトが次々と日曜学校から離脱してゆくなか、それでもなんとなく通っていたわたしを、ある日教会は拒絶した。

いや、ちがう。 拒絶されたのではない。
教会のおしえのひとつを、わたしが拒絶したのだ。
きっかけは、「あなたの家にある仏壇を拝んではいけません」という牧師さまの一言。
わたしが仏壇に手を合わせるのは、仏教を信じていたからではなく、祖父に語り掛けるためだったので、そのおしえはとても納得の行くものではなかった。
「拝んでいるのは仏さまじゃない、ご先祖さまですよ」と反論したが、帰ってきた答えは同じ。 
「ご先祖さまでもダメです。」
包容力のかたまりのような場所だと思っていた教会が、とても偏屈で、とてもわからずやな存在に思え、わたしのなかの「教会熱」は一気に冷めた。

今思えば、「仏さま」とは成仏したご先祖さまのことで、それを祀るのが仏壇なのだからキリスト教から見たら完全にアウトな存在だろう。
「神さまといったらみなさまご存じのあの神さまだけで、他に神はないですよ」と教えているのに、「仏さま」に手を合わすとは何事か、と言われたらぐうの音も出ない。
だから、正しい対応は「違うやい、仏さまじゃなくおじいちゃんだい」ではなく「ならばここまで」なのだ。
あなたの宗教は正しい。 
わたしの信条も正しい。 

異なっていても、相手を矯正しようとすることはない。 ただそれぞれが信じる道を進めばいい。

だってこの世で起こるたいがいの不幸は、それを無理に変えようとしたときに起こるではないか。



マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』は、江戸初期の長崎において実際に行われていたキリスト教徒に対する弾圧を描くことで、生きるとは何か、強さとは何か、信仰とは何かを問いかける物語だ。
最初にことわっておくけれど、わたしはキリスト教に詳しくない。
キリスト教を信じてもいない。
もっと言えば、そもそもなんの宗教も信じていない。

そんなわたしが、もっぱら、今までに観てきた映画からのみ導き出した「キリスト教」は、「都合よく信徒の危機を救ってくれたり奇跡を起こしてくれたりする」便利屋ではなく、「生前しっかりリスペクトしておけば、どれだけ罪を犯していても死んだあと天国に行く手助けをしてくれる」優しいパイセン的なイメージだ。
救ってくれるのはあくまで死後の話。
神さまもイエスさまもマリアさまも、生きている信徒が襲われようと、貧乏で飢えようと、病気にかかろうと、紛争地域に生まれようと、ウィルス感染メールをうっかり開こうと、決して助けてくれない。
ただ、そういった無作為に襲い掛かる不幸に遭遇したとき、濁りなき心で神さまの存在を疑うことなく、真摯に祈りをささげれば、あなたの魂は救われますよ、と。
祈り方もかなりフリースタイルで、教会で祈ってもいいし、ロザリオに祈ってもいい、布団の中でひとりひっそり祈ってもいい。 とにかく、負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くことが一番大事なのだ、と。
だからなのだろうか、作中キリシタンたちが現世ではなくパライソ(天国)に希望を見出そうとするのは。

わたしの認識の中ではさらに、キリスト教は「痛みを恐れない」という体育会系な一面を持つ。
なぜなら、キリスト教カースト(キリスト教でカーストというのもおかしな言い方だが)のてっぺんであるイエスさまご本人が、弾圧・密告・拷問という苦行のフルコースの末、残酷なさらしあげの最高峰である磔の刑を受けているから。
その教えを守り、神の子と崇めたてる信徒たちが少々の痛みに耐えられなくてどうするのか、と。
自分たちが受ける拷問なんて、イエスさまが受けた鞭打ちに比べればなんぼのもんじゃい、と。
だからなのだろうか、作中キリシタンたちがどんな残忍な仕打ちにも耐えようとしていたのは。

そして、わたしが知っているキリスト教では、信仰を守るための死は最高の名誉・殉教として称えられる。
キリスト教のみを唯一の宗教と言い切るための死、文化が違う場所での宣教が招いた軋轢による死、不当な弾圧への異議としての死、それらを誇り高く迎えたものは神さまに祝福され、聖人として敬われることすらあるという。
だからなのだろうか、作中キリシタンたちは信仰のために死ぬことを受け入れていた、と語られていたのは。

もう一度ことわっておくけれど、わたしはキリスト教に詳しくない。
あの日以降教会を訪れた回数も、片手で足りる程しかない。(それも、にわかクリスチャンとして結婚式をあげようというミーハーな思惑があってのことだ)
しかし、教会のおしえのひとつは拒絶したけれど、キリスト教を信じる人を否定する気持ちは全くない。

踏み絵を踏むことを拒否し命を捧げたものと、踏み絵に足をのせ生き延びたもの。
仏教や神道に救いを見いだせずキリスト教に改宗したものと、極楽浄土や八百万の神を信じ続けたもの。
信仰の危機に陥ったとされる恩師に真意をただすため周囲の反対を押し切って遠い島国に行ったものと、激しい宗教弾圧に恐れをなして行かなかったもの。
誰が正しいのではなく、誰が間違っているのでもない。
この物語に出てくるのは、ただ自分が信じたものを守るために、懸命に生きた人々だけなのだ。

ある登場人物が「この国(日本)は植えられた種の根を腐らせる沼だ」と語るシーンがあったが、わたしはそうは思わない。
沼に順応し、沼から養分を吸収し、生き抜くために根の形を変えた種は、最初に植えられたものと同じようには咲かないかもしれない。
しかし、枯れていった仲間たちの命を引き継いだその根は忍耐強く沼にしがみつき、あかあかと太陽に祝福されたそのつぼみは、いつか美しい花を咲かせるのではないだろうか。
踏み絵を踏むことで仲間に蔑まれ、司教からも見放され、いつまたお上から疑いの目を向けられるかわからない、という四面楚歌な状況の中、それでもひたすらに自分たちが信じる「キリスト教」を守り、そのおしえを後世へと残そうとした「隠れキリシタン」と呼ばれる人たちこそ、その花なのではないか、とわたしは思う。

宗教を信じないわたしは、簡単に「命と踏み絵、どっちが大切かっていったら命に決まってるじゃん」と言ってしまう。
「踏み絵?オッケー、踏む踏む!」と。 「命あっての信仰じゃないの」と。
しかし、そもそも「信仰」とはなんなのだろうか。

もしかしたら、「信仰」とは「神さま」を信じるのではなく、「神さまを信じる自分」を信じることなのかもしれない。
「自分は正しいのか?」と疑問を抱いた瞬間、自分の魂は神さまの指の隙間からすべり落ちてしまう。
だから一心不乱に信じる。
「自分は絶対に脱落しない」と信じる。
「自分が神さまを裏切らない」ことを信じる。
「自分は甘言に惑わされることなく、圧力に屈することなく、神さまの存在を疑わずにい続けることができる」、と信じる。

踏み絵を踏むということは、そんな自分への裏切りであり、自分がそれまで捧げてきたものを無意味にしてしまう行為。
だからモキチたちは踏まないことを決めた。
たとえ命を失おうと、「神さまを信じてきた自分」を見捨てなかった。
自分たちが歩んできた道は間違っていないと証明するために。

キチジローもまた、「自分が神さまを裏切らない」ことを信じていたのではないか。
たとえ嘘をつこうと、言われるがまま銅板に足を擦りつけようと、卑怯者となじられようと、自分の心は変わらずにいられると信じていたのではないか。
だからキチジローは踏み絵を踏んだ。 生きて「一生神さまへ祈り続ける」ために踏んだ。

信仰を守るために死を選んだものと、信仰を守るために生き続けたもの。
彼らの信念は、形は違えどどちらも強い。
一貫しているのは「自分の選択を信じた」ということ。

そんなモキチたちとキチジローの間にいたロドリゴ。
ロドリゴは、うわさに聞いていた「弾圧」のすさまじさを直接目にし、「聖書に印刷された教え」や「ストイックな修行」や師から授かった「ありがたい説教」が、そこでは何の役にも立たないことを実感させられる。
敬虔な信徒たちが「信仰」のために死んでゆくのに、自分はそれを止められない。
そもそも止めてはいけないものだと教えられているし、自分も同じ立場になれば死を選ぶからだ。
しかし、繰り広げられる虐殺はあまりにむごい。
つらすぎる現実を正当化してもらいたくて、ロドリゴは「神さま」に語り掛けるけれど、その問いに返事はない。
神さまはいちいち返事をしないタイプだからなのか。
神さまも一緒に苦しんでいるから返事をするひまがないのか。
いや、ロドリゴ自身が答えを出せないからだと、わたしは思う。

「こんな酷い拷問も、神さまのなんらかの思召しがあってのことに違いない」
「無駄に苦しんで死んでいっているようにしか見えないけれど、神さまなら納得のいく答えを出してくれるに違いない」
「自分が信じる神さまなら、弱き者を助けてくれるに違いない」
ロドリゴの中をグルグル同じ問いが駆け巡る。 でも、天啓はひらめいてくれない。 ひたすらつらい思いや理不尽な思いをするばかり。
「本当に自分は神さまを信じていていいのか?」
信仰の揺らぎは、自分自身への疑い。
空を仰いでも答えは出ない。
なぜなら、「神さま」は、自分の中にいるから。

日本という沼に飲み込まれたロドリゴは、そこで信仰の芽を途絶えさせないよう必死に暮らすキリシタンたちの姿を見、師であったフェレイラの改宗を受け、ついに自分なりの答えを導き出したのではないか。
ポルトガルにいる仲間たちとも、隠れキリシタンとも違う、ロドリゴなりの信仰。
「自分なりの形で神さまとつながり続ける」、というやりかた。
たとえ表に出さなくてもいい。 心の中は誰にも見えないのだから。
もしかしたら、ロドリゴは家族にさえ本心を明かしていなかったのかもしれない。
しかし、ロドリゴの妻は、そんな彼の信仰心に気づいていた。
仏教徒として埋葬されようとしていたロドリゴの手のひらに、誰にも気づかれないようそっとロザリオを忍ばせた妻。

裏切りものと呼ばれていたキチジローを救ったのは、パードレとしての「資格」を失ったはずのロドリゴ。
そんな彼を救済したのは、キリスト教とは無縁な日本人の妻。
誰が、どこで、どんな風に、が重要なのではない。
わたしは、その行為によって救われる人がいる、ということが大切なのだ、と思った。
それがどんな名前の宗教であろうとかまわない。
そもそも、誕生した時とまったく同じ形で信じ続けられている宗教など、この世にあるのだろうか。
受け取る人によってさまざまに解釈が変わって当然だし、それを信じることでその人が救われているのなら、それでいいじゃないか。

モキチたちを、キチジローを、ロドリゴを、世界のたくさんの人たちを見守る「神さま」。
形にこだわるのではなく、もっと大きな愛で苦しみ迷っているものたちを救ってほしい。
本当の「寛容さ」で包んであげてほしい。
いまこそ、それが必要なのではないか、と思う。

ただ、それを必要としていない人に無理強いするのだけは、かんべんな。


― おまけ ―

・ 役者さんがみなさんすごかったです。
・ 映像も神さま目線の乱れうちですごかったです。
・ わたしはホントに無宗教なので、ロドリゴが聞いた神さまの声も、ロドリゴが「神さまを裏切ろうとしている自分を赦すために自ら思い描いた声」だと思ったのですが、まぁ、いろいろなんでしょうね。
・ キリスト教の不寛容さというか押しつけがましさみたいなものは、日曜学校での一件や過去に観た映画のあれこれで感じ続けていたのですが、本作でも冒頭フェレイラの棄教を知って「んな訳あるか」「もしそうだとしたらすぐ行って目を覚まさせてやらねば」「俺たちならそれができる!」みたいな、その自信はどこからくるんだ的な熱意にうわあってなりました。
・ 告解さえすれば何度だって罪を赦してもらえるゾ! というキチジローの考えを都合がいいととらえることもできるけど、わたしが認識していた「キリスト教」もそんな感じだったんですよねぇ。 たとえば旧約聖書と新約聖書で違ったりするんですかね。
・ 偶像崇拝を禁じながらも、踏み絵や教会の宗教画や十字架などを大事にするのは、神の姿をかたどった偶像ではなく、あくまで信仰のシンボルだからオッケー。 っていうか、そもそも「神さま」の姿はすごすぎて形にできないし、という理解ですが、合ってますか。
・ あと、本作に限らず不条理な事柄について神に問う系の映画って、「神さまは我々人間とはレベルの違いすぎる存在だし、我々が考えるような浅いことを神さまが考えるはずないし、神さまがどんな考え方かなんて推し量れるはずもない」で終わっちゃうことが多い気がするんですけど、みんなほんとにそれで納得してるんですか。 自分との闘いだなぁ。
・ わたしは、神さまはいないと思っていますけど、いたらいいな、とも思っています。 どこかで見守ってくれているとうれしいな、と。
・ どこかで見守られているかもしれないと思ったら、恥じないように生きたいってなるじゃないですか。 それを神さまと呼ぶか、仏さまと呼ぶかは自由だし、あるいは、私が生まれる前に亡くなったおじいちゃんであり、わたしや子どもたちに命をつないできてくれたご先祖さまたちを想像してもいいのかもしれませんし。
・ とにかく、自分の生きる力を信じたいし、自分の選択を信じたいし、自分の後悔のないように生きたいものですよね。
・ 信じる「神さま」の種類で揉めるのだけは、ホントむなしいから気づいた人からやめて行ってほしいです。 でもなぁ、どの経典にもたいがい「自分とこだけがオンリーワン」って書いてあるもんなぁ。 「神さま」は器がでかいのか小さいのかどっちかにしておくれ!
・ そう考えると、わたしがいちばんしっくりくるというか、好感が抱けるのは「八百万の神」ってことになりますねぇ。 ひとつに絞るから揉めるんだから、全部「神さま」ってことにしよう、そうしよう!
・ みんななかよくしようぜ!




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すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (29~1位の巻)

2016年07月14日

どうもどうも、アガサです。
今年の3月から足掛け4ヶ月で続けてきた2015年の映画ベスト企画もついにお別れの時がやってまいりました!
重ねて言いますが、去年のベストです! 今年じゃないですよ! 
「そんなの興味ないよ!」という方はまた別の機会にお会いしましょう! 
「まぁ見てやってもいっか」という方、あなたのことがすきです!
オッケー!ヒーウィーゴー!


(※ 以下、突然ネタバレが始まる可能性がありますのでご了承ください)


すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (110~90位の巻)
すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (89~70位の巻)
すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (69~50位の巻)
すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (49~30位の巻)


29位 『地獄でなぜ悪い』
あらすじ・・・
愛妻家の極道が愛娘を主役に映画を撮ることを決意し、通りすがりの素人男性と骨の髄まで映画漬けの青年がその監督に大抜擢されます。

今まで観た園子温監督作品の中で一番すきです!
「運命の恋」という甘っちょろい幻想と、「人生の一本」という奇跡の産物に対するめちゃくちゃな横恋慕。
愛も映画も狂気の沙汰だよ、と言わんばかりにはちゃめちゃで鬱陶しくてすごくグッとくるストーリー。
これにどうしようもなく共感してしまうのは、わたしのなかにもそんな鬱陶しさがあるからなのでしょうね。

人生は映画だ。人はみな、それぞれの作品の主人公を演じるキャストで、瞬間を脳裏というフィルムに焼き付けるカメラマンで、記憶という都合のいい形に繋ぎ合わせるエディターで、カットをかける監督なのだ・・!


28位 『ダラス・バイヤーズクラブ』
あらすじ・・・
HIV陽性と診断された男性が新薬を手に入れるため奔走します。

岡山が世界に誇るヤミ医者バイオ企業・林原生物化学研究所が登場!岡山県民は要チェックやで!

映画はあの、ものすごくよかったです。 


27位 『サベージ・キラー』
あらすじ・・・
カントリーロードをドライブしていた若い女性が乱暴なかっぺに暴行・強姦・殺害されたものの、ネイティブアメリカンの超自然パワーによって甦り、きっちりお返しします。

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(綱引きの要領でオーエス!オーエス!)

レイプリベンジものだと思ったらゾンビリベンジだった!

視聴者の「このぐらいかな」という甘い予想をことごとく裏切る超絶的なおもしろさ! 
かっぺが出てきて女の子をひどい目に遭わせるぐらいまでの既視感と、彼女が一度逃げ出してから再度捕まり、無残に切り裂かれたあとの展開の、息のつかせなさと無駄のなさとスピード感と言ったらもうね・・・。

ネイティブアメリカンパワーで現世へと連れ戻され、最初はふらふらとおぼつかない足取りだった女の子。
一目憎きかっぺを目にした瞬間鬼の形相となり、復讐の女神へと変ぼうするこのギャップがすごい!
自分が殺したはずの女の子を見て驚くかっぺ。 彼女はビックリした拍子にかっぺが落としたビール瓶を片手でキャッチし、そのままカウンターへ叩きつけ瓶をかち割ると、かっぺの腹を一文字に掻っ捌き腕を突っ込んで腸を引きずりだす!
この一連の動きの流れるようなムダのなさ・・・! 美しい! かっこいい! もう一回言っとこ、美しい!

本作は他にも、このシーンで拝めるような華麗な駆逐アラカルトが次々お目見えして、ホラー好きなら心の底から「ええもん魅せてもろた・・・」と満足すること間違いなし!
そして、ゴアなだけではなく、ドラマ部分も非常に真面目に作られているので、ラストなんかはほろほろと涙が溢れてしまいましたよね。 
ありがちな「かっぺ怖い話」から、迫害を受けていたネイティブアメリカンの悲劇、そして普通のテンションで観ていたら「ちょっとどうか」と思うような大酋長パワー全開シーンまでギュギュっと詰め込み、それでも空中分解することなくきれいにまとめあげられているのがすばらしいと思いました。


26位 『LEGO ムービー』
あらすじ・・・
平凡な主人公・エメットが、特別な能力を手に入れそうで手に入れないままで、でも特別でないことは決して悪い事ではないし、むしろ特別でない「その他大勢」が世界を変えられるんだ、ということに気づきます。

レゴで遊んだことがある人も無い人も、レゴに思い入れがある人も無い人も、いちどでも子ども時代を過ごしたことがある人ならきっとグっとくるスーパー活動写真。
余談ですが、予備知識なしで鑑賞したため、てっきり本作は実際にレゴを使って作られたストップモーションアニメなのだと思って(それぐらい精巧だった)おり、いっしょに観ていたちびっこから「ちがうよおかあさん、これは全編CGなんだよ」と普通に指摘された際も、「そんなはずはない!だってレゴだったじゃん!」と大人げないし説得力もない反論をかましてしまったことはいい思い出です。 ごめんねちびっこ。


25位 『トランストリップ』
あらすじ・・・
カルフォルニアから南米へいとこを訪ねてやってきた女性が、めちゃくちゃ気の乗らない旅をします。

なんらかのトラブルを抱えているらしき少女・アリシア。
両親から「休養」をとるように促され、チリにいるいとこと合流し旅行に出かけるも、その旅は気分転換どころか彼女にとって人生最悪のトリップになることに・・・。

なんの予備知識もなく、ただWOWOWでやっていたものを何気なく観たのですが、これ超わたし好みでしたね! 
主人公の女の子が見知らぬ土地で神経をガリガリやられ続けるのをひたすら見守るだけの映画なのですが、その描写がとにかくものすごく巧みに心をざわつけせるのです。
初めての海外旅行ということで、すでにがっつりナーバスになっているところからアリシアの受難はスタート。
出迎えてくれたいとこの知り合いは、英語しかわからないアリシアをいちいちバカにしてくるような感じの悪い人ばかり。
自分だけを除いた「仲間」たち同士でチラッと交わされる意味深な目くばせ。
部屋の外や離れた場所からヒソヒソと洩れてくる理解不能(外国語)な言葉。
自分に対する「疎ましさ」を全面に押し出してくるホームステイ先の女性。
もうね、観ているだけでこちらのメンタルまで削られていくのなんのって。
 
リラックスとは程遠い、というか正反対の場所に居るせいでメンタルガリガリなのに、ついには頼みの綱のいとこまでもが自分を置いて急遽サンティアゴに戻ることになってしまい、もはや周りは敵だらけ。 一瞬たりとも緊張を解くことのできない、生き地獄のような状況に置かれてしまうアリシア。
派手な事件は起こりません。 劇的な展開も起こりません。 ただただ、アリシアが周囲に気を遣い、神経をすり減らし、徐々に心を破壊されてゆき、ついには身体も壊されてしまうだけの物語。 それが本当におそろしいのです。 
じっとりと肌にまとわりつくような「厭」な空気に息が詰まる100分弱。
大傑作!と言えるほどの作品ではないと思うのですが、アリシアが経験する居心地の悪さの、そのあまりの既視感に、いつまでも心がざわめいてしまったのでした。 いや、ホントすごい作品でした。 わたしはすごくグっときましたよ。
気の毒すぎる主人公を演じるジュノ・テンプルさんの演技もさることながら、感じの悪い旅仲間を演じるマイケル・セラさんがイヤすぎて感服!


24位 『黄金のアデーレ 名画の帰還』
あらすじ・・・
アメリカ在住のユダヤ人女性が、第二次大戦時のゴタゴタで取り上げられたままになっていた実家の家宝の返還を求めます。

実話がもとになっている本作。 
まさかあの有名なクリムトの絵画にこんな物語が秘められていたとは露知らず、最初は「まさに事実は小説より奇なりだなぁ」とのんきに思っていたのですが、これはあくまで奪われた、有耶無耶にされた美術品の一部にすぎず、実際いまだ所有者に返還されていない作品たちはおそろしいほど沢山あるのだということに気づいた瞬間、この美術品ひとつひとつに込められた人々の想いの重さに打ちのめされましたし、当時行われた非人間的なふるまいに胸が悪くなりました。
戦争によって運命を翻弄された女性が絵画を取り戻した時、彼女が手にしたのは奪われた「人生」だけではなく、人としての「尊厳」でもあったのですよね。 そしてそれは、生活を投げ打ってまで彼女を支援した若手弁護士やオーストリア人ジャーナリストも同じ。
舞台美術は美しく、役者の演技は誠実で、脱出劇や法廷ものとしてのサスペンスフルな展開もあり、とても見ごたえのある作品だったと思います。


23位 『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!最終章』
あらすじ・・・
ひとりぼっちになってしまった田代カメラマンが、謎の男・江野の力を借りて工藤Dと市川ちゃんを異世界から連れ戻します。

『オカルト』の宇野さんに『ノロイ』のムラさん、FILE01~04までの失踪者などが勢ぞろいし、白石監督作のオールスター総力戦といった様相の本作。 傑作です。 なんだろう、もうホントさいこう。 コワすぎを観てきてよかった、と心から思えるステキな総括作品でした。
USTREAMっぽい生配信を使って一気に繰り広げられる、よみがえりのための4つの難題の、そのえげつなさとバカバカしさの超バランス。
パンツどろぼうから指詰め・果ては殺人までも有無を言わさずやらされる田代くんの受難プレイ。
白石監督の専売特許といっても差し支えないと思う流れるようなテレポーテーション技も冴えわたり、盛り沢山にも程があるサービスっぷりにものすごくワクワクしました。
正直、霊体ミミズはさておき鬼神兵が出てきた辺りから、「ちょっとここまでいっちゃうとなぁ・・・」と色々広げすぎなトコロについてゆけない部分もあったのですが、今回のオチのつけ方は大満足です。 これで一旦、全てリセットされたということで、また最初から新たなコワすぎ伝説が作られてゆくのだと思うと楽しみすぎてたまりませんね。

「またどっかで会おうや、白石くん!」


22位 『プリデスティネーション』
あらすじ・・・
時空警察官のイーサン・ホークさんが爆弾魔を追いかけます。

オレがお前でお前がオレで! 
一人の人間が過去の自分と結ばれ未来の自分を生むという、自分で自分の尻尾を食べるヘビ・ウロボロスのような摩訶不思議な悲恋物語。
とにかく、どこが起点なのかさっぱりわからないし、パラドクスとかどうなってんの?!と頭の中がこんがらがってしまうこと必至なのですが、でもまぁ、細かい事言ったところで実際この世にタイムトラベルをしたことある人なんていないし、ってことは本当のトコなんて確認しようがないんだし、ま、いっか! と一旦考えた挙句思考を放棄したくなるほどおもしろかったです。
全く先が読めそうで読めないストーリーも、めちゃくちゃ渋いイーサン・ホークさんも、若い頃のジョディ・フォスターさんと現在のデイン・デハーンさんを足してうまい具合に分散させたような凛とした美しさのサラ・スヌークさんもとてもすばらしく、胸を締め付けられました。


21位 『クリミナル・アフェア 魔警』
あらすじ・・・
正義感の強い警官・デイブが、正義感に取り憑かれて正義感に振り回されて正気をゴリゴリ削られてゆきます。

幼い頃のトラウマと、警察官としての責任感と、持って生まれた正義感とでかんじがらめになり、ひたすら自滅への道をひたはしる物語。 やっている本人はホント大変そうですし神経とか正気とかがゴッソリ根こそぎやられていて気の毒な限りなのですが、観ているこちらとしてはもうおもしろくてたまりません。(映画として) 
ありがとう、いいもの魅せてくれてありがとう。 
なんつうか、なまじ「正しい」心根を持っていると、罪悪感も人一倍どころか人数十倍になってしまうものなのですね・・。 ぼかぁ大雑把な性格でよかったなぁ。
ガソリンスタンドの大爆破シーンが、「そこだけ別のジャンルの映画かよ!」と思うぐらい凄まじくて、もう本作に対しては好印象しかありません。ごちそうさまでした。


20位 『わたしに会うまでの1600キロ』
あらすじ・・・
家族や肉親や大切なものを沢山失ったり手放したりしてしまった女性が人生を見つめ直すため1600キロを踏破します。

色々あってやけくそになった女性が自分探しの旅に出ますが、そんじょそこらの旅行と思ったら大間違い。
食べたり祈ったり恋したりするも、それらは全て険しい荒野の中。
火をくべるのも、水を確保するのも一苦労。 すれ違う他人は敵かはたまた味方か、毎日がサバイバル。
過酷すぎる山越えに挑戦しながら、彼女はひたすら自分と対話し、自分の心を探ります。
なぜなら、答えは自分の中にしかないから。
自分探しとは、自分の最深部と向き合うこと。 嘘やごまかしのない、恥ずかしくて情けなくて間違いだらけの自分自身を受け入れること。 「こうあるべし」みたいな「形」をどんどん取り払い、シンプルなスタイルになってゆく主人公が、そのやつれた姿とは裏腹にとても美しく、とてもまぶしかったです。
あと、彼女の精神的支えとなっていたおかあさんがまたとてもすばらしくてですね。
どんなに困難な状況においても、常にハッピーな方向に視線を向けていた母。 
美しいものの中に身を置く、ということの意味を主人公に教えてくれた母。
そんなおかあさんが、決して美化されるではなく、完璧超人としてでもなく、そこらへんに普通にいそうな「誰かのおかあさん」として描かれていて、だからこそ余計に、主人公にとってどれだけ大きな存在だったかが痛いほど伝わってきました。

あと、おかあさん目線で観ていると、「自分に生きる力を与えてくれるものと、自分をこてんぱんに傷つけるものが同じ」というおかあさんあるあるを非常にグサグサと感じてですね、めっちゃわかるわぁ・・・ってなりましたよね。幸せと苦しみがワンプレートでやってくるんやで・・・

それにしても、 リース・ウィザースプーンさんとローラ・ダーンさんはホントいい役者さんだなぁ。


19位 『007 スペクター』
あらすじ・・・
ジェームズ・ボンドさんが宿敵・スペクターとの最終決戦に挑みます。

マザコンの次はファザコンだー!!!

ダニエル・クレイグさんがボンドを襲名してから今まで起きてきたことの裏に隠されていた、あーんなことやこーんなことがすべて明らかとなるシリーズ第4作にして最終作。(※ダニクレ版)
あらゆる悪事を陰で操っていた、世界的犯罪組織「スペクター」。 その首領・ブロフェルドは、実はボンドの義兄弟だった・・・!
ということで、あーんなことやこーんなことにボンドが巻き込まれていたのは、ブロフェルドことフランツ兄さんの私怨が原因だったのでした。 
もうこのね、壮絶な後出しジャンケン感ね! 「もうぜんぶブロフェルドのせいってことにしちゃえばいいじゃない!」みたいな投げやり感! 一周まわって潔い! 世界的犯罪組織なのに、やってることは私怨っていうのが、スケールでかいようだけどじっさいは御猪口サイズでいい!
とにかく、ダニクレが女をコマしてあっちこっち旅行しながらウダウダやっている一方で、そんなダニクレをじっとりと見つめ続けてきたフランツ兄さんを思うだけで心のおひつ全開です。 
両親を亡くしたダニクレをひきとった、フランツさんの父。 
実子であるフランツさんと同等の愛情を注ぐべく、分け隔てなく接してきた父でしたが、フランツさんは心のどこかで「おとうと」ばかりが贔屓されていると感じるようになっていた。 
徐々に、フランツさんにとってダクニレはかわいい弟分であると同時に、憎たらしいライバルになったのでしょうね。
そしてやってきた運命の日。
不幸な雪崩の事故に巻き込まれた一家。 まだ息のある父を発見したフランツさんは、その時自らの手で父にとどめをさしたのだ、とダニクレに告白しました。
しかし、わたしはフランツさんは、お父さんを殺したのではないように思えてならないのですよね。
フランツさんが散々口にしていた、「愛する人の顔もわからず死んでゆく」ことへのこだわり。
もしかしたら雪山の事故の日までは、フランツさんのダニクレに対する感情は愛情の方が勝っていたのではないか。
嫉妬も対抗心もあるけれど、自分も義兄弟として、父がダニクレにそうしているのと同じように守ってやりたい、そう思っていたのではないか。 だって自分は父の子だから。 尊敬し、愛する父の子だから。
そんな中起きた事故。
なんとか見つけた父が、フランツさんを認識すらせず、ダニクレだけを気にかけたとしたら・・・。 
父親として残した言葉が、フランツさんではなくダニクレだけに向けてのものだったら・・・。
フランツさんの心に張りつめていた糸がプツンと切れ、父の救出も「おとうと」の庇護も放棄し、このくそったれな世界を地獄へ変えることを決意したとしても、わたしは不思議ではないと思ったのでした。
「愛する息子(自分)の顔もわからず死んでいった父」への復讐として、ダニクレを同じような状態で死なせたい。
あのこだわりは、そこからきているのではないか、と、そこまでわたしは想像しましたよね。 
このフランツさんの異常にゆがんだ愛情。 たまんないですよね。 白飯、まぁ進みますよね。

ラストシーン、無様に這いつくばる自分に対し、「殺す価値もないし、そこまでの関心ももうない」とばかりにマブいチャンネーと二人去ってゆくダニクレを見つめる、フランツ兄さんのなんともいえない表情に震えました。
ええい、白飯おかわりだ・・・ 特盛で・・・!!


18位 『シンデレラ』
あらすじ・・・
シンデレラが王室主催・チキチキお妃探し出来レースに参加します。


以前書いた感想


17位 『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』
あらすじ・・・
タイムトラベルの能力を代々受け継ぐ男の子が、自分の人生を納得できるものにするべく時間を駆け巡ります。

愛すべきキャラクター、愛すべき俳優、そして愛すべきストーリー。
非の打ち所がないほどやさしい作品でした。
悪人がまったく出てこないのも、「非現実的」というよりは「気づいていない現実を気づかせようとしている」ように思えて好印象。
多くの人の人生の中にある、「やり直したい出来事」。
実際それをやり直してみた主人公が、過ぎてゆく日常を「何度でもチャレンジ出来るから」と軽視するのではなく、逆に、日々のたわいもない積み重ねがいかにかけがえないものなのかということについて、真剣に考えるようになるのですから、ホント誠実な映画ですなぁ・・。


16位 『ジュラシック・ワールド』
あらすじ・・・
恐竜のテーマパークで肉食恐竜を取り扱ったらどうなるかということを、関係者たちがイヤと言うほど思い知ります。


以前書いた感想


15位 『ウエスト・オブ・メンフィス 自由への闘い』
あらすじ・・・
3人の幼い少年が無残に殺された事件をきっかけに、善意や悪意によってたくさんの人々の人生が奪われてゆきます。


以前書いた感想


14位 『コードネーム U.N.C.L.E.』
あらすじ・・・
KGBとCIAのすご腕スパイが協力して核の拡散を阻止します。

ごちそうさまでした!


13位 『ジョン・ウィック』
あらすじ・・・
引退していた最強の殺し屋が、ペットを殺されて現役復帰します。

愛した女性が末期の病を抱えていたのか、付き合い始めた後発症したのか、とにかく、世界で一番大事な彼女と一秒でも長く過ごすため、血なまぐさい稼業から足を洗ったキアヌ・リーブスさん。
その後彼女は亡くなり、生きてゆく意味を失いかけたキアヌさんでしたが、彼女が亡くなる直前密かに発送を手配しておいてくれていた小型犬が届き、その犬っころ=彼女の忘れ形見をお世話することを新たな生き甲斐にしよう、と少しばかり前向きになりかけていました。
ところが、つまらないチンピラに目をつけられたことから自宅を襲撃され、生き甲斐その1の犬っころと生き甲斐その2の愛車を奪われてしまったからさあ大変。
そうでなくても彼女がいない時点で生きる意味などなかったキアヌさんなものですから、襲撃相手がロシアンマフィアの愛息だと知ったところで、あとは野となれ山となれですよ。 
かくして、ロシアンマフィアのドンである父ちゃんの威光をかさにやりたい放題だったバカ息子は、「自分自身の命」を惜しまない人間に目をつけられることがどれだけ怖ろしいかを、思う存分知ることとなるのでした。

登場人物に色々言っておきたいことはあるのですが、なにはさておきマフィアの父ちゃん! そこまでヤバい人物がいるんなら、関係者各位に「要注意人物」のリストぐらい渡しとこうよね! 人物紹介とかさぁ、乗ってる車の車種とかさぁ、だいたいの住所とかさぁ、常識じゃないですか! ことをしでかしてから「アカン・・そいつガチでダメなヤツ・・!」って、息子さんも寝耳にウォーターですよ!
あと、キアヌの彼女さんもね、「わたしだと思ってかわいがってね」っていうのはわからんでもないというか、というか、正直言うと「うわ・・死んだ後も束縛しちゃう系・・・?」って想っちゃいましたけど、まぁね、置き土産はいいでしょうよ。 キアヌさんもそれでやる気になってましたし。 
ただ、贈るのが小型犬ってどういうことよ・・ いかにも弱そうじゃないですか・・・ もうちょっとたくましそうな犬っころを贈るという選択肢はなかったのですか・・・ たとえばほら・・ 土佐犬とか・・・



(ピットブル・・・ そういうのもあるのか!)

鉛筆だけで3人殺したと言われる伝説の殺し屋だけれど、決して怪物みたいに強い訳ではなく、油断すれば打たれるし格闘すれば息が上がるし、常に自分のダメージを最小限にする為の(無駄を省いた)殺し方を選択するところがとっても人間臭くて、キアヌさんのイメージに合った良いキャラクターが生まれたもんだなぁ・・とホクホク顔になりました。
親バカすぎるマフィアの父ちゃんもすごく愛くるしかったですし、脇を固めるレグイザモ兄さんとデフォーさんのなんと鬼シブでかっこいいことよ・・! こんなええもん観られて、ぼかぁしあわせだなぁ・・!


12位 『イコライザー』
あらすじ・・・
引退していた最強のCIAが、知り合いを病院送りにされて現役復帰します。

13位にあげた『ジョン・ウィック』を含め、世の中には「平凡な人物に見えて実はスゴ腕暗殺者」みたいなお話は数多ありますが、やはりそれはわたしたち「平凡な人物に見えてじっさい平凡」な人間の中に、日頃から抱えきれない程の鬱憤が蓄積されているからなのではないかと思うわけで。
やり返したいけどやったらもっと手酷いお返しがくる、とか、言い返しても相手は反省なんてするはずないし言うだけ無駄、とか、言動に移せないモロモロの感情のはけ口を、わたしたちはなにかに求めずにはいられないのですよね。 たとえそれが法を無視した自分勝手な正義だったとしても。

と、いうことで、そんな世の中の一部の「平和的でない」人々の心の声に応えて、また新たな「それ系」映画が作られました。 
今回は、「スゴ腕だけど使う道具は平凡」と、わたしたち一般人に対し謎な寄り添い方をしてくれていますので、めちゃくちゃ強い部分とめちゃくちゃホームセンターな部分が相まって、ちょうどいい超人度となっております。
演じるデンゼル・ワシントンさんがまた、知性みなぎる役者さんなので、「すげえ計算出来てる感」を醸し出しているんですよね。 
行き当たりばったりとかありえないから。 全部想定内だから。 デンゼルさんに任せとけば、大概のことはなんとかなるから。 就職の夢も、叶うから。
サクサク進むストーリー、すくすく育つクロエたん、 デンゼルさんが大いなるパワーに伴った大いなる責任を全うすべく、新たな道を歩み出すエンディングなどなど、安定があるにも程がある完璧な作りで、次回作への期待がストップ高です。


11位 『アントマン』
あらすじ・・・
かわいい娘にイイトコみせたいお父さんが一念発起してスーパーヒーローになります。

『シビル・ウォー』のアントマンもさいこうでしたね!


以前書いた感想


10位 『プリズナーズ』
あらすじ・・・
娘をさらわれたお父さんが相当強引な犯人探しに没頭します。

事件は感謝祭の日に起きた。
家族ぐるみで仲良くしているドーバー家とバーチ家は、いつものようにディナーを一緒に楽しみ、いつものように両家の娘たちは家の前の道路に遊びに出掛け、そしてそのまま姿を消したのだ。
警察の調べで、失踪直前道路に停まっていた不審なRV車が発見されるが、娘たちは見つからず、ドライバーの青年はというと知的発達に遅れがあり、まともに証言できない。
疑わしいものの証拠不十分で釈放された青年に詰め寄る父。
興奮する父に青年は小さな声で囁きかける。 
周りの警察には聞こえないぐらいの小さな声で。 
「あの子たち、僕がいる間泣かなかったよ」

小学生と中学生の娘がいるわたしにとって、この映画はまさに「人ごとではない」作品で、物語が始まると同時に完全に画面にひきこまれてしまっていました。
忽然といなくなった幼い娘。 まだ生きているかもしれない娘をどうやって探せばいいのか。 法に縛られ大胆な捜査が出来ない警察に任せておくだけでなんとかなるものなのか。
もうね、この(想像しているだけの)時点でもう無理ですもんね。 「怪しい奴は片っ端からしょっぴいて、あらゆる無慈悲な手段を駆使してゲロさせてやる」って意気込んじゃってますもんね。 娘が見つかるまで絶対あきらめないし、手も緩めない。 
たとえ誰にも許されなくても、自分が地獄に堕ちることがあっても、娘だけは助けてみせる、って、そう思わずにはいられませんもんね。

で、本作の燃えるお父さんことヒュー・ジャックマンさんもまさにそんなタイプで、こんかぎり怪しいささやきをかました青年(ポール・ダノさん)を独断でさらい、廃墟に連れ込み監禁&拷問。
一緒に娘をさらわれた被害家族(テレンス・ハワードさん)もドン引きするほどの、ハードな取り調べを続けることに。
聞いても聞いても有効なことはなにも答えてくれないダノさん。
拷問趣味があるわけじゃない、暴力を礼賛しているわけでもない、ただ娘の居場所を教えてほしいだけ。 
それだけのために、キリストを磔にしたローマ兵さながらの残酷さでダノさんをしばき倒し、その同じ口で神に許しを乞う敬虔なクリスチャンのお父さん。
そう、本作は事件の真相を探るミステリーではなく、いや、もちろんそれもありますが、本質はズバリ「信仰心について」の作品なのですよね。

わたしは特にこれといって信じる宗教がないのですが、だからこそ余計に「信仰心」というものにとても興味がありまして。
特にキリスト教のですね、あの「圧倒的な都合のよさ」はね、圧巻なのですよね。いや、嫌味でもなんでもなく。
なにをどうすれば、あそこまで「神」を信じることができるのか。
「悪魔の所業としか思えない不幸が起きるんだから、当然神さまもいる」という逆転の発想力。 ホントすごい。 ネガティブなんだかポジティブなんだかさっぱりわからない。
本作の犯人は、自分の子どもが亡くなったことで信仰心を亡くした元信者。
で、犯人は思いました。 どんな立派な信者だって、自分と同じような目に遭えば神さまを裏切るに違いない。 神の力よりも、悪魔の誘惑の方が強いに決まっている、と。
神への挑戦のためだけに、幼い子どもをさらってはその親を不幸のどん底に叩き落してきた犯人。
なんという歪みっぷり。 信仰心がこじれると、人間はここまで壊れてしまうものなのか。
一方、選ばれてしまった現役信者ヒュー・ジャックマンさんはというと、娘がいなくなり時間だけが非情に流れてゆく中、これまたどんどん壊れて行ってしまいます。
しかし、ジャックマンさんは犯人の目論見通りになったわけではありませんでした。
彼は信仰心を失うどころか、悪魔的な拷問行為を働きながらも常に神さまに許しを請うていた。
そう、どんなに怒りと哀しみに打ちのめされようと、彼は神さまの存在を決して疑わなかったのです。
そして、勝利の女神はそんな真面目な信者であるジャックマンさんに微笑みかける・・・ それは、神が悪魔を退けた証明でもあるのだ・・・。 
どうですか。 めちゃくちゃ怖いでしょう。 ザックリとした所感だけで罪人と判断し、顔の原型がわからなくなるほどボッコボコにしても、毎日きちんと懺悔していれば許されるんですよ。 ええのんか、それで。
本作には他にも、神への挑戦と言い訳しながら大量殺人を犯していた人が罪の告解に来て、それを聞いて激オコになった神父さんにぶっ殺されるという「ええのんか、それで」的な神(の代理人)による所業が登場して、本当に興味深かったですね。
試される信仰心! ピューとなるホイッスル! うろちょろするギレンホール! そして訪れる謎の安堵感!
やや長めの上映時間ですが、信仰心が暴走しすぎなジャックマンさんの行動の先が読めないため、画面には常にヒリヒリとした緊張感が張りつめ、体感時間は超短かったです。
主役のジャックマンさんとギレンホールさんに、超クセのある役どころだったポール・ダノさん、どこにでもいそうな「誠実でズルい大人」を見事に演じたテレンス・ハワードさんなどなど、役者陣も超一流揃いで、実に見ごたえのある作品でした。

信仰心は人を救う。
しかし、その(救われた)時、人は「自由」になれているのか。 
もしかしたら彼らはみな永遠に、「信仰心」という檻に閉じ込められた囚人なのかもしれませんね。


9位 『ドラッグ・ウォー 毒戦』
あらすじ・・・
中国公安警察のジャン警部が麻薬組織の撲滅にチャレンジします。

めっっっっっっちゃくちゃおもしろかったです!
「違法ドラッグを扱うやつはもれなく死刑!」という竹を割ったようなルールを持つ中国で、それでもあきらめず麻薬をちょっとどうかと思う程の量精製する職人さんと、それを売りさばく仲介業者さんと、ふざけんな貴様ら殺すぞと息巻くお巡りさんが三つ巴の闘いを繰り広げる本作。 
ヤクの量も銃弾の量も死体の数も半端じゃない! 「すさまじい」なんて言葉が陳腐に思えるような銃撃戦に、脳内物質の放出がとまりません!
麻薬組織を潰すためなら手段も自分の生死も問わない、超叩き上げの刑事さんがべらぼうにかっこよくて、演技を生業にしているすべての同業者(俳優さん)はこんなの観ちゃったら嫉妬で気がへんになるか、すがすがしく白旗上げるしかないんじゃないかと思いました。 なんだろうなぁ。 ポルノグラフィティのボーカルの人と春風亭の金髪の人を足して二で割ったような地味なおじさんなのになぁ。 ずっと観ていたい! 男の色気がたまらんです!


8位 『グランド・ブダペスト・ホテル』
あらすじ・・・
東欧の山麓にある老舗ホテルにやってきた作家が、そのホテルにまつわる死や、愛や、はかりごとや、戦争や、様々な話を一冊の本にまとめます。

時間は残酷で、そして優しい。
支配人が死に、花嫁が死に、ロビーボーイが死に、建物が死に、ホテルが廃墟になり、その歴史を記した作家が死んでも、彼らの物語は死なない。 
どれだけの時を経ようとも、いや、時間をまとうことでさらに色彩を増し、円熟し、人の心に甘美な喜びを与えるのだ。
スリリングで、奇想天外で、ロマンティックで、ちょっと哀しいこの作品もまた、これから先もずっと長く愛されてゆくのだろうと思う。
美術も音楽も役者も何もかも完璧! あと、ケーキうまそう! ティルダさまも出るよ!


7位 『チャッピー』
あらすじ・・・
「保護者」の、すこし不器用だけどまっすぐな愛情を受けて育った機械の子どもが、愛を返します。


以前書いた感想


6位 『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』
あらすじ・・・
超能力者に意識をいじられた社長が無茶をして、チームが尻ぬぐいをさせられます。

お話はさておき、キャップがソーのトンカチ動かすシーンさいこうでしたね!


以前書いた感想


5位 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
あらすじ・・・
落ち目になった役者が再起をかけて舞台に挑みます。


以前書いた感想


4位 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』
あらすじ・・・
トムがわるいやつをやっつけます!

トムが三途の川を渡って戻ってきます!(※9年ぶり2回目)


以前書いた感想


3位 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』
あらすじ・・・
ダース・ベイダーの孫ことカイロ・レンが駄々をこねます。

なんかね、観た時は本作の例のくだりもなんとか好意的に解釈していたんですけどね、日に日に「マジで取り返しのつかないことやっちゃったんじゃね・・?」という思いが強くなっていて、今では次回のエピソード8が心配でたまりません! なんやったら、どっこい生きてたパターン、使ってもええんやで! 下でヨーダがお姫様抱っこで受け止めてたってことにしても、ええんやで!


以前書いた感想


2位 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
あらすじ・・・
自由を求めて囚われの場所から逃げ出した人々が、「自由」は場所ではなく自分の中にこそあるものなのだ、と悟り、障害物を排除しながら再び元いた場所を目指します。

逃げ出した場所が辿り着くべき場所、というこのラスト。 ちょっと凄すぎて足が震えました。
誇張でもなんでもなく、スクリーン場内に灯が戻ってからも、しばらく立てなかった。
通路の階段でも足がもつれそうになり、「わたしはなんという映画を観てしまったのだろうか」と思いました。
フュリオサの奪われた片腕と、イモータン・ジョーに突き付けた「わたしを覚えている?」という言葉に込められた記憶や痛みや想いについて、いつまでもいつまでも考えずにはいられなかった。
人権や尊厳や差別といった、生きてゆく上で避けては通れないけど娯楽の際には出来れば避けたいと思われがちな部分を受け止めきれなくても、映像とスクリーンの中で生をまっとうしている彼らの姿を観ているだけで、魂に響く何かがあるのではないかと思います。 
脳裏に浮かんだのは「おもしろかったー!」だけでも、からだの深い所になにか刻み込まれているはず。
それだけのパワーを持った作品だったと思います。

あと、「なんでこんなビジュアルなのかって? なんかカッコイイからだよ!」と即答されそうな映像美もさいこう!


1位 『キングスマン』
あらすじ・・・
ありがとう眼鏡! ありがとうスーツ! ありがとう英国紳士!

どっこい生きてたパターンくるかもやで!



ありがとうマシュー・ヴォーン監督!


以前書いた感想





以上です編集長!

こんなアホなベスト記事に最後までおつきあいくださり、本当にありがとうございました!
みなさまの(昨年の)ベストとかぶっている部分はありましたか?
また今年も、・・がっつり半年以上経過してしまっていますが、今年もたくさんのすばらしい映画に出会えるといいですね!

ではでは、明日もよい映画日和を!




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すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (49~30位の巻)

2016年06月29日

なんとか・・・! 2016年の半分が終わる前に・・・! 終らせたい・・・! その一心でがんばっております・・・!!!


前回書いたシロモノ・・・
すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (110~90位の巻)
すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (89~70位の巻)
すきもの主婦が選ぶ2015年ベスト110 (69~50位の巻)




49位 『REDリターンズ』
あらすじ・・・
引退したロートルCIAたちが核爆発を阻止します。

元すご腕CIAのおじいちゃんやおばあちゃんたちが、「若いもんにはまけへんで~」とばかりに巨悪に立ち向かう人気作の第2弾。
最後は間違いなく勝つんだろうなぁという絶対的な安心感があるので、大人からお年寄りまで存分に楽しめる娯楽作となっております。
今まで気にはなっていたものの未見だったわたしにDVDを貸してくれたのも、他ならぬ実家の母でしたし。(←買う程気に入ったのか、という驚き)
スパイアクションというのは、とかく「どれだけ相手の裏がかけるか」大会になってしまっているきらいがありますが、本作もバッチリ例外ではなく、「・・と、思わせて~?」のつるべうち。 それはもう、ハラハラドキドキ感を阻害してしまうレベルとも言えます。 まぁ、そこが言い換えれば「安心感」でもあるのですが。

今回ラスボスとして登場するサー・アンソニー・ホプキンスさんの博士が、「気がふれていると見せかけてどっこいおつむは正常です・・という設定だけど企んでいる内容がロンドン核爆破なので結局ぜんぜん正常じゃない」トコとかが、なんかもうヒドかったです。
かわいいからってなんでも許されると思ったら大間違いだゾ!
Anthony-Hopkins-Red-2.jpg
(ぎゃんかわ!!)

博士とマルコヴィッチさんのかわいいおじいちゃん対決も見ものです。


48位 『RED/レッド』
あらすじ・・・
引退したロートルCIAたちが副大統領の陰謀を阻止します。

やはり2作めよりもこちらの方がシンプルにおもしろかったですね!
悪だくみをするのはおじいちゃん(リチャード・ドレイファスさん)、やっつけるのもおじいちゃん(マルコヴィッチさんやモーガン・フリーマンさんやブルース・ウィリスさん)、加勢に入るのがおばあちゃん(デイム・ヘレン・ミレン)、そして振り回されるカルアバさん(カール・アーバン)というバランスの良さ! 
「経験豊富なベテランから知識の浅い若者が学んで成長する」というおとぎ話のようなライトな説教臭さを、ユーモアたっぷりな単純明快ストーリーでコーティング。 さらにアーネスト・ボーグナインさんのような伝説の名優までサラリと登場させて、大人からお年寄りまで多くの映画ファンの心をくすぐるのですから、そりゃもううちの実家の母もDVD買いますよね。(←2作セットで買ったそうです)

作ろうと思えばなんぼでも作れると思いますので、今後も魅力的なシニア俳優の皆さんをジャンジャン加入させて、最終的には「REDはつらいよ 第48作クレムリン慕情」ぐらいまで行き着けばいいのではないでしょうか。 すみません、適当なこと言ってすみません。



47位 『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』
あらすじ・・・
地球の未来を憂いた若者たちがダムを壊します。

意識が高すぎて成層圏まで行っちゃった! みたいな若者たちの青春サスペンスでしたが、これがめっぽうおもしろかった!
「マザーアースの悲鳴が聞こえる・・・! なんとか地球を助けなきゃ!」 って思いついたのが「ダムの破壊」という脈絡のなさ。
そもそも、彼らには明確かつ具体的な目的があったとも、崇高な志があったとも思えないのですよね。 
しかし、ただエコな生活を送っているだけでは物足りなくなった結果、なんとなく身近にあったダムに目を向けた。
ダムを壊したらどうなるか、普通に考えれば「わーい水が大地に戻ってゆくー」だけじゃないことなんて明らかじゃないですか。 
そんなことも考えが及ばないような先走りエコ野郎たちが、テロを企んだらどうなるか。 
まぁ、綻びますよね。 
予想外の出来事に対処できず、ボロボロボロボロ綻んでゆく計画と仲間のつながり。

「肥料がすんなり買えない」「準備しておいてくれるって言ってたのに出来てない」「人がいないと思ったら結構いた」「時間が押して、かからないと思っていた検問に引っかかった」「人的被害はないと思っていたのに民間人に犠牲を出してしまった」「会わない約束だったのに会いにいってしまった」「信頼していたはずができなくなった」etc...
縦の糸のあなたと横の糸のわたしがほつれ、開いた隙間から大事なものがどんどんこぼれ出てしまう。
なんのための活動だったのか。 
誰のための活動だったのか。 
わからなかったものがさらにわからなくなり、最後は疑心暗鬼の矛先を互いに向け合い自滅するしかなかった若者たち。
ものすごくやるせなかったです。
ジェシー・アイゼンバーグさんとダコタ・ファニングさん、ちょっと年長のピーター・サースガードさんの間にピンと張り詰めた緊張感が心地よく、邦題で連想させるようなド派手な展開はないものの、とてもおもしろく鑑賞しました。 というか、ホントこの邦題どうかと思うなぁ。



46位 『96時間/リベンジ』
あらすじ・・・
要人のボディガードのため海外に出かけたお父さんが、せっかくだからと元嫁と娘を誘ってみたら、そこに以前殺した悪人のお父さんがやってきて大変なことになります。

頭がおかしいお父さんが家族のために頭がおかしいぐらい人を殺す人気シリーズ第2弾! なんと今回は頭がおかしいお父さんがもう一人増えますよ!やったねリーアム!頭がおかしいオヤジ連盟結成だ!

1作目では、海外旅行中に人身売買組織にさらわれた娘を助けたリーアム父ちゃんですが、今回はその組織のリーダーの父ちゃんがリーアムに仕返しを企てるというお話なのですよね。 いわゆる復讐の連鎖ってやつですが、スタート地点が「人身売買」とか「若い女性旅行者をヤク漬けに」とかなので、あまりの頭のおかしさに眩暈必至です。 
おかしいやろ。 人間のクズが因果応報で報いを受けただけなのに、逆恨むっておかしいやろ。 
まぁ、そんなおかしいお父さんだからこそ、子どももクズに育つのかもしれませんけども。

「お前の息子がさんざんさらって売ってきた一般女性は、その親の気持ちはどうなんだよ?」とリーアムに問われた組織の父ちゃんが「理由など知るか」って吐き捨てるシーンこそが、この世の不条理な暴力のすべてを表しているようで、ゾッとしました。 
そうなんですよね。 
彼らにとって相手の人生なんてどうでもいいんですよ。 自分たちがやりたいように生きるだけで。
正義の側にいるようにみえるリーアム父ちゃんも、実は「オレの家族さえ守れれば何人死んでもどれだけ被害が出てもしょうがない」というかなりアレな思想の持主なので、ダブル狂気がぶつかり合うクライマックスは自分の中の良識が試される気がしました。
えっと、とはいってもわたし自身「うちの娘になんかしたやつは、全員生まれてきたことを後悔させてやる」ぐらいなアレな思想の持主なので、圧倒的にリーアム父ちゃんに超共感だったのですが。

「今からお父さんとお母さんはさらわれる」と電話越しに娘に伝える、1作目の名場面を踏襲したシーンや、ものすごく理解の早い娘さんの活躍シーン、「それかここで死ね」という胸のすく名セリフなど、今回も見せ場のてんこ盛りでとてもおもしろかったです。
あーあ・・・1作目と2作目は、ホントおもしろかった(のに)なぁ・・・!



45位 『エベレスト 3D』
あらすじ・・・
プロクライマーや素人登山家が入り混じってエベレストに挑戦し、大混乱します。

近年、エベレストが、登山家が夢にチャレンジする場だけではなく、富裕層の「ちょっとした」アドベンチャーの場になっているのは有名な話だと思います。 
その結果、神聖な山にはゴミが散乱し、ただでさえ危険なルートは大渋滞でさらに極悪ルートに。

エベレストが大渋滞。そのうち初心者は登れなくなる? エベレストが大渋滞。そのうち初心者は登れなくなる?



(今にもおちそう・・)

で、それは最近だけの話なのかと思っていたら大間違いだよ、1990年代には既に同じような状況が始まっていたんだよ、ということを容赦ない描写でビシビシ突き付けてくれるのが本作でありまして。
実力ある登山家だけが挑戦を許された聖地だったはずの場所が、札束で頬を叩く系の富裕者層とそれに応える専門家によって、シノギの場に変わってしまう。 
未知なる冒険への門戸が広く開かれるのはいいことなのかもしれない。 
ただ、相手は世界で最も危険な山。 
平均温度は氷点下27度、常に時速320キロの強風にさらされ、酸素も地上の3分の1。 
プロであっても長居不可能ですし、たとえ遭難しても酸素が薄すぎてヘリすら飛んで来られないデスゾーンなわけですよ。 
そんな場所にガイト&シェルパ頼りの素人が観光気分でフラフラやってきたらどうなることか・・・。 
わかりますよね。 いや、わからないのか。

1996年に実際に起きた遭難事故を元にした『エベレスト3D』は、そこいらへんのモヤモヤを見事に再現しています。
高すぎる参加費用をせっせと貯めて、長年の夢にチャレンジするアマチュア登山家や、金に物言わす西洋人、プライドをかけて彼らを山頂へ連れてゆこうとするガイドたちが、大自然を前に無残に散ってゆくさまは、非情すぎて悲しみすらわかないほど。 
けっこうな豪華キャストが、呆然としてしまうほどあっけなく亡くなりますからねぇ。 
感傷に浸る暇もないですよ。 そしてそれが、エベレストというものなのです。

お金さえ積めばエベレストには行ける。 
なんだったら、登頂だって出来る。 
しかし、その「冒険」の裏には、常に命を支える誰かの行動がある。 
自分ひとりのエゴが、何人もの命を奪うことになるかもしれないということを、忘れてはいけない。 
そんな当たり前のことが、もしかしたらエベレスト(に限らず七大陸最高峰のような場所)を訪れる人たちの中には、未だに浸透していないのかもしれないなぁ・・と、先に貼った記事を読みながら思いました。
死んでもおかしくない場所に行くのは自分の自由ですが、その生き死にに他人を巻き込む可能性がある時は、自重しなければいけないですよね。 
「自分はやりたいから」「自分は死に物狂いでがんばれば出来るから」って、下手したら美談になりかねませんが、実際超危険な考え方ですからね。

アメリカ様による、現地の人たちの危険をものともしない横柄なヘリ召喚シーンに、「さすがワールドポリスアメリカさまやで・・・」と凍えました。


44位 『ミケランジェロ・プロジェクト』
あらすじ・・・
枢軸国と連合国との闘いがまだまだ続いていた1943年のヨーロッパで、ナチスが強奪していった膨大な数の美術品を取り戻すべく非戦闘員のおじさんたちが立ち上がります。

アーティスト志望だったヒトラーが、占領した国から美術品や調度品を巻き上げていたのは有名な話ですが、それを密かに奪い返していた人たちがいたことを、この作品で知りました。 
いやぁ、映画は勉強になるなぁ。
しかも、その作戦を実行していたのは終戦前だったというではありませんか。 
よくそんな恐ろしいこと出来たなぁ。 まさに命がけのミッションですよ。 おじさんというか、ほぼおじいちゃんなのに。 
その勇気、その信念に、目頭が熱くなりました。
仲間を失いながらも、不屈の姿勢で多くの美術品を救い出したおじいちゃんたち。 
そこに「守る価値」はあったのか? 
もちろんあった。
なぜなら彼らが守ろうとしていたのは、ただの美術品ではなかったのだから。
それらが見守ってきた、人々の穏やかな生活。 
それらに込められた、人々の平和への願い。 
それらの存在が物語る、文化の発展。 
おじいちゃんたちは、美術品を、人間の尊厳を守るために、ナチスに立ち向かったのですよね。
かっこいいなぁ。 しびれるなぁ。

派手さはありませんが、行く先々でドイツ軍と鉢合わせしたりそれをかわしたりといった、静かな緊張感に満ちたシーンがあり、戦時下における命のあっけなさや残酷さもしっかりと伝わってきて、とても良質な作品だなぁと思いました。
サントラ(音楽)もよかったです。

余談ですが、本作でフラれたケイト・ブランシェットさまが悪落ちしてナチスの将校になり、インディをしばき倒すんだな、と思うと、スピルバーグ先生のアレも微笑ましい気持ちで観られるのではないかと思いますので、今後クリスタル・スカルのアレを鑑賞する時は、直前に『ミケランジェロ・プロジェクト』を観るといいのではないでしょうか。 
  
 
43位 『ピッチ・パーフェクト2』
あらすじ・・・
伝統ある大学生アカペラグループ「バーデン・ベラーズ」が、一度落ちるところまで落ちてから再びトップを目指します。

1作目は国内大会、というわけで、もちろん2作目はスケールアップして世界大会なわけですよね。
「ダメ」人間の寄せ集めが思わぬ実力を発揮し、一致団結してトップを取りに行く、という鉄板ネタに聴きごたえのある歌声を重ねることで、ヒット間違いなしな内容にはなっているのですが、すごいのは、ここに下品すぎるユーモアを散りばめてもマイナスになっていないという点ですよね。 むしろウケてる。 圧倒的にウケてる。 アメリカ、度量が大きい。


42位 『ピッチ・パーフェクト』
あらすじ・・・
伝統ある大学生アカペラグループ「バーデン・ベラーズ」が、一度落ちるとこまで落ちてから再びトップを目指します。

で、1作目のこちらは全米優勝への軌跡なわけですね。
お下劣ギャグに差別ネタ、全方向につばを吐くサウスパーク方式の毒っ気たっぷりなミュージカルコメディ。
鳥肌必至な歌唱シーンも、落ちこぼれ集団のサクセスストーリーもほんとにたのしくて、鑑賞中めちゃくちゃ幸せな気分になりました。
このシリーズでアダム・ディヴァインさんに出会えたのも大きな収穫でしたよ。


41位 『探検隊の栄光』
あらすじ・・・
藤原竜也さんがジャングル(というか田舎の山中)を冒険します。

当たり役はあったものの、その後ヒットに恵まれず落ちぶれる一方だった俳優・藤原竜也・・・じゃなかった杉崎が、バラエティ番組のホストに抜擢され、意気揚々と海外ロケに挑んではみたものの、そこで彼を待ち受けていたのは超ユルーいヤラセドキュメンタリーの撮影現場だった! というお話。
小学生の頃、「川口浩探検隊」を一度でも見たことがある方はまあまあ楽しめると思いますが、くだんの番組が大好きだった方の場合は超興奮してだいすきになってしまうのではないでしょうか。 ちなみにわたしは圧倒的に後者です。
明らかに作り物だったり仕込みだったりしていた、ジャングルのアレコレ。 
子ども心にもわかっていましたよ、それがうそっぱちだって。 ホントに起きていたら事件として新聞に載るだろうって。
でも、わたしを含め、多くの人たちがその茶番を純粋に楽しんでいたのが、昭和50年代のあの頃だった。

本作は、当時の雰囲気をさらにバカバカしく誇張し、トンデモナイ探検を堂々と展開させます。
小汚い沼の中で、上半身裸になりぬいぐるみのワニと格闘する藤原隊長。 
天井につけた滑車を使い、むき出しのワイヤーをそのままに三つ首のヤーガを出現させる神経の図太いスタッフ。 
バカなことを全力でやりきる彼らの姿は、気づくとうっすらとした感動すら生み出してしまっている。
真剣なことだけが大事なんじゃないし、真面目なことだけが美しいんじゃない。 
ふざけたことや常識から外れたようなこともまた、観ている人の人生にちょっとした楽しさを与えることが出来るんですよね。 
それって、とても大切なことなんじゃないでしょうか。 
バカなことかどうかを決めるのは他人じゃない、自分自身なんだ。
自分が誇りをもってやれば、それはバカなことなんかじゃないんだ。
やる気を失っていたADや、暴力を交渉の道具に使おうとしていた現地の住民や、俳優として行き詰っていた藤原隊長、はては適当な態度で番組作りにあたっていた撮影クルーたちまでが、自らが放出する謎の熱気にまかれ意識を変化させてゆく。
そして訪れる最高の奇跡。 メガハッピーエンドと言えるクライマックスに、わたしの満足度は最高潮!
ホントにおもしろかったです!
藤原さんは言うまでもなく、ユースケさんや小澤征悦さん、ななめ45°の岡安章介さんなど、役者さんが本来もっているイメージを上手に生かしたキャスティングも見事にはまっていましたよ。
続編も観たいなぁ!



40位 『バクマン。』
あらすじ・・・
絵が得意な高校生と物語を考えるのが得意な高校生がコンビを組んでジャンプでデビューします。

今をときめく役者さんがわんさか登場して、ジャンプの人気漫画が原作で、サブカルロックの雄・サカナクションが音楽を担当して、あのヒット作『モテキ』の監督さんで、と世の若者がだいすきそうな要素がギュギュっと詰め込まれていました。 の、わりにはお客さん少なかったなぁ。 
キラキラとしたサクセスストーリーかと思いきや、青春の甘さや、勤労の辛さ、週刊連載の地獄さもしっかりと描かれており、とても真面目な作品だなぁと思いました。
原稿用紙に鉛筆とペンで絵を描く、というアナログな作業を最新の技術と融合させた原稿作成シーンもワクワクしましたよね。 
少年ジャンプだけではなく、すべての漫画家さん(作り手)に対する尊敬や愛情が全面から伝わってきて、ホント気持ちのいい作品でしたよ。



39位 『ファンタスティック・フォー』(2015年版)
あらすじ・・・
天才少年リードくんが親友ベンちゃんと一緒にすごい機械を発明します。

ファンタスティックな仲間を紹介するぜ! (※画像はイメージです)

リード_convert_20151022001458
小学生の段階で次元転送装置の原型を作っちゃう天才少年、リード・リチャードくん。 のちに体がのびるようになります。

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リードくんのマブダチ、ベン・グリムくん。 のちに体がかたくなります。

スー
リードに研究環境を与えてくれた財団のご令嬢、スー・ストームさん。 のちに体が透明になります。

ジョニー_convert_20151022001411
リードに研究環境を与えてくれた財団のご子息、ジョニー・ストームさん。 のちに体が燃えます。

ドゥーム_convert_20151022001514
寂しがりやでヒガミ屋さんの天才青年、ヴィクター・フォン・ドゥームくん。 のちに機械(っぽい)の体を手に入れます。

映画の冒頭、20世紀フォックスマークのFだけがうっすら残るオープニングに高まる期待。 いいんじゃないの・・なんかおもしろそうなんじゃないの・・・ そんな想いがいい意味で裏切られる一大青春エンターテイメントでした! ぼかぁすきですよ! 時間が経てば経つほどに愛おしく思えてくる!

『クロニクル』を世に送り出した若手のホープ、ジョシュ・トランク監督がメガフォンを執るということで、世の映画ファンは大いにワクワクしたものでしたが、いざ蓋を開けてみれば、ジョシュ監督の恨み節と、それをよく思わない勢力か何かからの監督に対するネガティブキャンペーンで前評判は散々。 
実際鑑賞してみると、「地球を救うヒーロー」のお話としては致命的とも言える、圧倒的セット感とそこから漂うこじんまりとした雰囲気や、はしょりすぎて訳がわからなくなっているストーリー、同じくはしょりすぎて共感しずらくなっているキャラクター陣など、マイナス要素のオンパレードでした。 
よくもここまで嫌われるなぁ・・・と感心するレベルの酷評の嵐・・・!

たしかにね、たしかに後半のはしょりかたはすごかったですよ。いや、「前半もだろ」という声は敢えてスルーして、後半のはしょりかた。
岩石化したベンちゃんをどうすることも出来ず、見捨てるような形で(というか実際見捨てて)リードくんがトンズラするトコまではしょうがないとしても、そのあと1年間音沙汰なしとかありえんだろ、と。
せめてリードくんの隠れ家を探し当てたベンちゃんが、彼が実は心配のあまり自分(ベンちゃん)の近況をチェックし続けていたこととか、なんとか岩石化を直そうと様々な研究に打ち込んできたこととかを知るシーンがあれば、この「そして1年後」のショックは少しは薄れたと思うのですよ。 
まぁ、もしかしたら撮影したもののカットされたもかもしれませんけどね。

「信頼していた親友に裏切られた」という思いを抱えたまま、とりあえず目の前にめんどくさいヤツが現れたからと一緒に闘うことを強いられ、ワーワー言うてるうちになんとなくうやむやにされちゃうベンちゃん超かわいそう。
あと、それを言うならそもそも友達から真夜中に「ちょっとこいよー」って呼び出されて、一般人なのに得体のしれないマシンに乗せられて、挙句転送に失敗して岩石化しちゃうベンちゃん鬼かわいそう。
過去シリーズの時にもきちんと描かれていましたし、『F4』以外でもハルクだったりハンク・マッコイだったりが同じ悩みを抱えていましたが、「ヒーローとしての自分を受け入れようぜ!」とポジティブに受け止めるには、あまりにもあんまりなビジュアル。 
ほんといたたまれない。 ベンちゃんのお肌に毎晩ニベアを塗り込んであげたい。

頭はいいのに、もっと頭がいい少年がそばにいたせいで全くちやほやされず、気になっている女の子にも拒絶され(ていると思い込んで)、どこにも自分の居場所を見つけることのできなかったヴィクターさんも相当かわいそうですし。
異次元の惑星に一人残されても生きる希望を捨てず、一年間助けが来る保障もない中コツコツ荒れ地を整地していたヴィクターさんの姿を想像するとキュンってなりますね。
マット・デイモンとやってることはほぼ同じなのに、なんでヴィクターさんはこんなに嫌われるのでしょうか。 ジャガイモを育てなかったのが敗因なのか。
妬み嫉み僻みのの権化となったヴィクターさんは、異次元惑星こそに自分の居場所を見出したのではないか。
ここでなら誰からも冷たくされない。 
ちやほやもされないけど、自分はこの星でいちばんえらいのだからそれでいいではないか。

よかれと思ったメンバーによって、一旦地球に連れ戻されたヴィクターさんが、
「家(星)に帰らせろ」
「ここがおまえの家だろ」
「地球はヤなんだよ」
「何言ってんの地球にいた方がいいって」
「だからヤなんだってば」と押し問答した末の激オコ&ブチ切れ騒動とか、超胸アツですよ。
行く手を阻む人々の頭をポンポンと弾けさせながら、廊下をノッシノッシと闊歩するヴィクターさん。 めちゃくちゃかっこよかったよ!

ヴィクターさんに限らず、このリブート版『F4』は誰かに認められたいという必死な想いや、誰にも受け入れられないという疎外感、コミュニティに属しているのにどこまでもつきまという孤独感が、少ない描写ながらも充分伝わってくるところがすごくよかったと思います。
特別な能力のあるなし関係なく、そういったつらさって常にそこいらじゅうに転がっているじゃないですか。 いつもは見て見ぬふり(気づかぬふり)をしていても、うっかり踏んでしまったらめちゃくちゃ落ち込むし、「自分は本当に必要な存在なのか・・?」と抉らなくていい穴をグリグリしてしまう。
いつでも傷つく用意のできている繊細な青年たちが、きっかけはともあれ、理解し合える仲間を見つけるまでの序章とも言える本作。
そう、これはまだ序章なのですよ。 グっとくるラストシーンの続きは、残念ながら作られることがないかもしれないけれど、わたしはこの序章を大いに気に入りましたし、なんだったら悪評高いリードくんとベンちゃんの7年間パートを、今の倍ぐらいの尺にして今の倍ぐらいの濃度にしてくれてもいいと思っていますよ。 下手したらとんでもねえ傑作になりうるんじゃないかとまで思っている。(※あくまで当社比)
出来ることならいつの日か、ジョシュ監督が思い描いていたままの完成版も観てみたいですね。

余談ですが、念願の異次元世界に転送されたシーンで、5年生の時に転送してしまったミニカーを見つけるシーンも入れて欲しかったなぁ。

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(すったもんだの結果、「まぁこれがオレたちのリアルだし、この姿を受け入れてがんばろうぜ~」みたいなことを言われて「おまえそれマジで言ってんの・・?」ってなってるベンちゃん。 ベンちゃんはもっとリードくんに怒っていいと思う。 やさしすぎるのよね・・・)


38位 『カンフー・ジャングル』
あらすじ・・・
カンフーで天下一を目指す男の前に、宇宙一強いドニーさんが立ちはだかります。

昔のカンフー映画って、やたらと道場破りをしたがる悪役、いましたよね。
「わしが一番つよいんじゃー」ってことを証明するためなら、人殺しだって厭わないような悪いカンフーの達人。
本作では、そんなダークサイドな達人が現代で同じように腕試しをしたらどうなるか、ということをサスペンスフルに描いています。
ちなみに、どうなるかというと、ドニーさんにボッコボコにされますので、よいこのみんなは真似しないようにね!

悪役とはいえ、昔のように長いひげをたくわえてカンラカンラと高笑いするようなヤツではなく、身体の障害のせいで就労が困難、愛する妻も不治の病を抱えていて先が見えない、というとてもかなしい人。 
しかし、いくらかなしい人だからといって、自分の欠けた何かを埋めるために人を殺していい訳はなく、同じくカンフーで人を殺した過去を持つドニーさんが、「お前の気持ち、わかるから」と彼を止めるべく奔走することになります。
いろいろなカンフーの技のスペシャリストを次々と倒してゆく犯人。 しかし、その闘いは決して圧勝ではなく、それぞれの相手からくらった技は、犯人の身体をじわじわと壊してゆく。 
妻の死で壊れた心、カンフーで壊れた肉体。 
犯人は、決して勝てない相手であるドニーさんに、とどめを刺してほしかったのだろうと思います。 でも、ドニーさんもドニーさんで、そんな彼の苦しみがわかるからなんとか彼を救ってやりたかった。 自分がそうしたように、過ちを償って、強さを別のことに使ってほしかったのではないか。

香港映画のレジェンドたちにこれでもかとオマージュを捧げられた、カンフーファンの、カンフーファンによる、カンフーファンの為の作品。
カンフーファン以外の人も、クライマックスのドニーさんとワン・バオチャンさん(犯人)が高速道路で繰り広げる死闘は、息をするのを忘れるほど興奮すること間違いなしだと思うので、騙されたと思って一度ご覧いただければと思います。


37位 『96時間』
あらすじ・・・
海外旅行先で人身売買組織に拉致されてしまった娘を、元CIAのお父さんが助けに行きます。

「そして殺すおじさん」、ここに爆誕・・・!
とにかくつよい、とにかく非情、とにかくあたまがおかしいお父さんが、「危ないからやめとけ」っつったのに聞く耳持たず出かけたパリでまんまとさらわれた娘を取り戻すため、法の壁とか常識とか友情とかをバンバンぶっ壊しながら犯罪組織を壊滅させるお話。
あたまがおかしいお父さんが、あたまがおかしいくせにあまりにかっこよく見えるため、観ているわたしたちも若干あたまがおかしくなっていき、最終的には「あたまがおかしいことなんて、娘を思う気持ちの前には些細な事よのう・・!」みたいな気分になるというファンタスティックな映画でした。 
わたしも、娘たちのためなら自分の命なんてこれっぽっちも惜しくないと思っていますし、なんだったら娘たちさえ助かるならなんでもいいと思っている部分も多々ありますので、本作のリーアム父ちゃんを観て「人命軽視」とかそんな偉そうなこと、全く言えないですし、わたしもここまで出来るような能力が欲しいなぁというか、むしろウェルカムです。 いいぞ、もっとやれ。 
情報を聞き出すためなら、友人の嫁の腕を撃つことにも何の躊躇もないリーアム父ちゃんの姿には、「親バカを極めるってこういうことなのか・・・」と畏敬の念すら覚えるほどでした。
普通はね、普通の親は自分の子どもたちがどんなに目に遭っても、ここまでは出来ないんですよ。 しないんじゃなく、やりたくても出来ないんです。 
だからこそ、映画の中でぐらい、ここまで振り切った「親バカ」があってもいいと思うなぁ。



36位 『名探偵ゴッド・アイ』
あらすじ・・・
盲目の名探偵と武闘派の女刑事がおいしいものを食べ歩きます。(色んな謎も解きます)

疾走した幼馴染の謎といくつかの殺人事件と一途な横恋慕をコミカルに描く超娯楽作!
とにかくメシがうまそう! バリバリムシャムシャ食うメシがどれもめちゃくちゃうまそう!
自由奔放でスリル満点でほんのりダークネスなラブコメディ。
魅力的な俳優さんが勢ぞろいだったのですが、中でも女刑事を演じていた女優さんがめっちゃキュートで、改めて映画を観る喜びを感じさせてくれた作品でもありました。


35位 『ザ・ベイ』
あらすじ・・・
小さな港町が寄生虫で大パニックになります。

「小さな町」+「大きなお祭り」+「専門家の警告を無視」=「地獄絵図」 というありがちなアレを、さらに最近食傷気味のPOVで撮る・・・と聞くとゲンナリするじゃないですか。 話半分な感じで臨みそうになるじゃないですか。
ところがすっげえおもしろいヤツだったんです! いやぁ、映画って無限の可能性を秘めているんだなぁ。
カメラと名の付くものならなんでもオッケーというPOV縛りのもと、素人さんのスマホ動画から救急隊の車載カメラなどありとあらゆる「素材」を繋ぎ合わせて緊張感を高めてゆく演出が見事。
都合よく映りすぎないのがいいんですよね。 街中をとらえる監視カメラに小さく映る人影の、その不鮮明さが非常にリアルで、作り物だとはわかっていても思わず「志村後ろ・・・!」と叫びたくなってしまうようなおそろしさを醸し出していました。
メガフォンを執っているのはなんと大御所バリー・レビンソン監督。 
まだまだ若いもんには負けへんで~という勢いと確かな技術を満喫できる良い映画でした。
ゴアもきっちり盛り込んでくれてありがとう監督!


34位 『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ2』
あらすじ・・・
クソ野郎どもにクソみたいな目に遭わされた女性が、ワールドワイドに仕返しをします。

余談ですが、最近このシリーズの3作目を観たら、本作のラストで感じた苦痛をそのまま具体的に描いたようなすごい作品で、めちゃくちゃ心をえぐられました。

以前書いた感想



33位 『ピクセル』
あらすじ・・・
大人になってからパッとしなかったゲーム少年が地球を救います。


以前書いた感想



32位 『カリフォルニア・ダウン』
あらすじ・・・
離婚してからパッとしなかったお父さんが嫁と娘を救います。


以前書いた感想



31位 『マーサ、あるいはマーシー・メイ』
あらすじ・・・
カルト集団から逃げ出した女性が、別の意味でカルト的な家に匿われ、ますます追い詰められてゆきます。

話さないと助けてもらえない。 でも、話したところで助けてはもらえない。 そんな絶望を描いた静かな秀作。

両親はいない、姉ともそりが合わない、自分の人生の中に愛を感じられる場所を見つけられなかった主人公マーサは、山奥で生活を共にしている、とあるコミュニティに心酔するも、徐々にその暴力性に疑問を感じるようになり、意を決して脱走します。
追手に怯えつつも、唯一の肉親である姉に救いを求めたマーサ。
しかし、もともと上手くいっていなかった姉に心を開けるはずもなく、また、「ハイソ」な生活に骨まで馴染んでいる姉の夫にも違和感をぬぐえず、結局苦しみは増す一方。
居た場所への恐怖と、今いる場所への恐怖が、ジワジワとマーサの心を侵食していく。 

なにものにも満たされず、カラカラに乾ききった末に救いを求めて辿り着いたのが山奥のコミュニティで、少なくとも最初のうちマーサはそこで「必要」とされていたのだから、そりゃもうスポンジが水を吸うように「愛」や「信頼」をむさぼりますよね。 たとえそれが偽りでもね。
あっという間にマーサの身体を浸していった「価値観」。
一度すみずみまでしみ込んでしまったそれを絞り切るのは、簡単ではないでしょう。
マーサが悲鳴をあげるほど心をねじり上げても、最後の一滴まで排出させることなんて不可能。
もっと大きな、もっと安らかな愛で満たしてあげなければ、そして少しづつ少しづつ、毒素が薄れて抜けてゆくのを待つしかないのではないか。 でも、じゃあそれをどこで、誰がマーサにしてあげられるのかというと、姉でないことだけは確かなわけで。

これは決して、「どこかのおそろしいカルト集団」だけの話ではないのですよね。
属する集団から「正しい」と信じ込まされた価値観は、やすやすと書き換えられるものではない。 
自分が悪いと思い込み、あるいは他人が悪いと信じ込み、痛ましい人生を送り続けるしかない人はたくさんいるはず。
マーサが弱いとか、姉夫婦がえらそうとか、カルトが怖いとか、そんな単純な話ではない、誰にでもありえる恐怖を描いている、とても優れた作品だったと思います。
ラストまで一瞬たりとも気が抜けない!




30位 『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』
あらすじ・・・
つらい現実から逃避しようとしたら、現実の方から逃避してくれました。

高校時代が人生の頂点だった男。 
酒に逃げ、酒に救いを求めようとし、酒ですべてを片付けようとしていたら、予想外に人類の危機な出来事が発覚してしまいます。
さあ、男はどうするのか。 飲むんですよね。 依然飲むんです。
なんというか、このブレなさというか、異様な自己評価の低さというか。
きっと彼は自分はとっくに終わった人間だと思っていて、何か出来るとも、何かの価値があるとも思っていないんですよね。
そこにあるのは、「どうせ終りなんだからやりたいことだけやってやる」という捨て鉢な気持ちだけで。

で、人類を危機に陥れようとしていた存在、ハッキリ言うと宇宙人なんですが、彼らは争うなんて時間も労力も無駄だからなるべく平和的に地球を侵略しようと思っている。
もしかしたら、支配に抗うよりも、支配下に置かれる方が生きていくのは楽なのかもしれない。
だって、誰かにコントロールされながら、人と揉めないように程度に関わり合い、きちんと生産し、着実に消費し、生活を積み重ねていくのって、同じことを自分で考えながらやるよりも楽じゃないですか。 心も身体も疲れなさそうだし。 

結局、男も支配されることを選んだ人々も、自分に大層なことなんて出来ないと思っているからこそ、酒に逃げたり支配されたりした訳ですが、そこから「そうじゃないんじゃないの」と。 大層かどうかなんて問題じゃなく、小さくたっていい、自分からアクションを起こすかどうかが重要なんだ、と問いかけてくるような終盤の畳みかけが、すごくグっときました。 また、それが全然説教臭くないのがいい!
「支配されている側が圧倒的に悪いのではなく、支配されていたって幸せに暮らす権利はあるし、暮らしていけばいいんだよね」、ということも同時に描いていたトコロもステキでしたよね。
酒にすがらず、過去に縛られなくなった男は、支配されている者とそうでない者を区別せず、やりたいことを自分の責任においてやる。 
彼の中で、とっくに世界は終わっていた。 
そしてこれからも彼は、一度終った世界の中で自由に生きる。 前抱いていた絶望とは正反対な、新たな希望をまとって。

しかし、ここまでだらしない人間なのに、なんだかんだいって決して見放さずどこまでもつきあってくれる友達が4人もいる彼は、実はすごく恵まれているんじゃないかと思いますよね。 
人徳のなせる業なのか・・・ また演じているのがサイモン・ペッグさんなものだから、余計に説得力があるんですよね。 他の3人はさておきく、ニックさんは絶対にペッグさんを見捨てないもん!そんなのわかってるもん!




残り29作品・・・!
次回いよいよ最終回です・・!!(たぶん近日更新します)(あくまで予定)





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