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『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』

2016年08月12日
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あらすじ・・・
職業婦人を目指すアリスが偏見にまみれた現実の壁に直面し、精神世界をさまよいながら心を整えます。


・ 前作『アリス・イン・ワンダーランド』があまりに口に合わなさすぎて「これホントにティム・バートン監督が撮ったの・・・?オレ騙されてない・・?」と思うほどだったので、最初は見送るつもりだったのですが、予告で流れるアラン・リックマンさんの声を聞いているといてもたってもいられなくなったので、とにかく観ることにしました。 で、観ました。 まぁ、その、なんというか、「せやな・・」という感じの作品でした。

・ どのあたりが「せやな・・」だったのかに触れる前に、なぜわたしが前作をまったく気にいれなかったのかを記しておこうと思います。 「だいすきなティム・バートン監督」による深読みファンタジーの最高峰「不思議の国のアリス」という圧倒的におもしろそうな『アリス・イン・ワンダーランド』を、なぜ気にいらなかったのか。 それは「赤の女王」の描写があまりにがっかりだったからです。

・ 原作小説に登場するハートの女王の残虐さと公爵夫人の面持ちをミックスして作られたようなオリジナルキャラクター・赤の女王。 演じるのは当時バートン監督のパートナーだったヘレナ・ボナム=カーターさん。 監督のこだわりがつまった(とわたしは思っていた)赤の女王は、それはとても孤独な人でした。

・ とても大きな頭にハート型の赤い髪。 ピエロのような白い顔と幅広に塗られた青いアイシャドー。 奇抜さを絵にかいたような女王は、恐怖でアンダーランドを支配していましたが、その根底にあったのは信頼できる人間がいないことの孤独と、国民から支持されていないことからくる承認欲求と、果てしない愛情への飢えでした。

・ この時点では、「ああ、バートン監督が描くとハートの女王(赤の女王)はこうなるんだなぁ、なるほどなぁ」と腑に落ちまくっていました。 多くの人に愛されない、支持されない、拒絶しかされない、グロテクスな外見を持つ人物というのは、いかにもバートン監督らしいキャラクターだと思ったからです。 「すげえわかるわ・・たしかに凶暴だし横暴だしワンマンだけど、赤の女王はただそれだけの人物じゃないんだよな・・・」と、彼女の行く末がとても気になりました。 なんだったら、アリス以上に気になったのです。 え?マッドハッター? ああ、いたいたそんな人。

・ ところが物語のクライマックス、彼女がかわいがっていた(唯一ありのままを受け入れてくれていたゆえに彼女も心から愛していた「怪物」ジャバウォッキー)をアリスが倒すと、みなに愛され、慕われ、うっとりするほど美しい彼女の妹・白の女王が王冠を手に入れ、彼女はあっけなく王座から転落してしまいます。 プライドを打ち砕かれてもなお、勝気な表情を保とうとする赤の女王。 白の女王によって王国からの追放を宣言された彼女は、そばにいた忠臣・ハートのジャックに「あなただけは離れないわよね?わたしを愛してくれるわよね?」とすがろうとします。 しかし、打算だけで女王に仕えていたジャックは、一緒に追放されるぐらいなら、と女王にナイフを向け、殺害が失敗に終わると「いっそ殺してくれ!」と人目もはばからず喚き散らすのです。 唖然とする赤の女王。 「彼はわたしを殺そうとした・・? 殺そうとした? 殺そうとした!?」 赤の女王の最後のセリフはこれだけ。 なんの余韻もなく、めでたしめでたしとばかりにジョニーデップのかっこいいダンスがはじまって、白の女王がアリスにうんたらかんたら・・・で終了。 マジか。 赤の女王これで終わりって、マジか。 これホントにティム・バートンさんが作ったの?

・ 「赤の女王も白の女王も、なんだったらアンダーランド内の生き物すべてはアリスの深層心理を表しているにすぎない」 ええ、そうでしょう。 「これはアリスの成長物語であって、赤の女王の一代記ではない」 もちろんそうですよね。 それはわかっているんです。 わかっているんですけど、中途半端に赤の女王が抱える「生きづらさ」が描き込まれていただけに、この「悪い女は誰からも愛されないし理解もされないし追い出されて当然」みたいな終り方に呆然としてしまったのですよね。 バートン監督ならもっと赤の女王に寄り添った物語が出来ると思っていた。 勝手な期待ですし、アリスという物語にそれは必要ないのかもしれませんが。 

・ で、それを受けての今回の『時間の旅』ですよ。 

・ 前作のラストで船出を飾っていたアリスが、見事雇われ船長として活躍するところから始まり、しかし前作でこっぴどく袖にした現・雇主のヘイミッシュから解雇を告げられ、「女は事務職でもやってればいいんだよ!」と時代錯誤だけど今の日本ではまだまだそんなに珍しくないセクハラ&パワハラ発言を食らって現実逃避し、再びアンダーランドに赴き、家族に会いたくてちょっとどうかなってしまっているマッドハッターと、復讐に燃える赤の女王の過去を旅するという内容だった今回の続編。 アリスは前作同様、「キツすぎる」現実を乗り越えるため、再び自らの深層心理へ潜り込み、父を容赦なく奪っていった「時間」への憤懣やるかたない想いにケリをつけます。 ようするに、再び成長します。 幼さが残る前作とは違い、大人として、社会人としての成長です。

・ このアリスの「時は戻せないけれど過ぎていった時から学ぶことはできる」的な成長物語はもう、「そうですよねー」ぐらいなもので「よかったねー」「やったねー」てな感想しか出てこなくてですね。 いや、なんでそんなに嫌味な書き方しちゃってるの?と思われるかもしれませんが、ホントにわたしの引き出しにはそれぐらいの気持ちしか残らなかったのですよね。 「時間」を受け入れ、「時間」を尊ぶようになった。そっかそっか、よかったよかった、という。 いい話じゃないですか。 そこはいいですよ。 そこはもう、いい。

・ よくなかったのはアリス以外の部分でして。 いや、正直いうと、アリス自体にも不満はありましたよ。 一言でいうと、「人の話聞かなすぎ」。 父を奪った「時間」を快く思っていなかったとはいえ、白の女王とかうさぎとか、「仲間」の言うことは鵜呑みにして、「仲間以外」の言うことはまったく聞かない。 アリスの頭にあるのは、「時間」の動力源であるクロノスフィアをちょっとばかし拝借して大事な「仲間」を助けたい。というただそれだけ。 どんなに「クロノスフィアを勝手に使うのは危険だ」と言われても「いいじゃん、すぐ済むから」と、世界の崩壊をよそ目に我が道を突き進む。 

・ この「聞く耳持たなさ具合」も、成長前のアリスそのものだといえばまさにそうなので、いちいちイラつくのではなく、そこからどう変化していくかを観ていけばいいだけの話なんでしょうし、なんだったらこのイラつきは脚本家の思うつぼなのだとは思います。 もちろん、アリスはその後自分の身勝手さのせいでアンダーランドが危機に瀕していることに気づき、大いに反省しますし。 でも、じゃあ、前作のアリスはなんだったんだって思うじゃないですか。 あの時一度成長してたと思ったけど、そこで身につけたものは「オレの仲間だけは守る!(ドン!)」みたいな偏狭さだけだったのか?って。 総合的な判断力や統率力が必要とされる船長として、長い航海を続けてきた経験はなんだったの? 運だけだったの? 冷静な判断力じゃなく、勢いだけで乗り切ってたの?

・ 運だけだったのかなんだったのかはさておき、本題に戻りますと、「自分の仲間」と「そうじゃない敵」しかなかったアリスの価値観はマッドハッターと赤の女王の過去をめぐる旅によって徐々に崩され、「人は見えている部分だけで判断してはいけない」とか「どんなヤなやつにも、ヤなやつにならざるをえなかっただけの苦しみがあったのかも」とか、そういう広い視野を持つようになります。 「時間」に対しても、「ただ無常に過ぎ去ってゆくだけ」ではなく「無常ではあるけれど非情ではない」ことに気づいたというか、「過ぎ去ったものを嘆くより、今あるもののかけがえのなさを愛すべき」ということに気づかされたというか、まぁとにかく大人になる訳ですね。 だからいいです。 アリスの部分はいいです。 はい、じゃあここから本題に入りますよ!(まだ本題じゃなかったのか) 

・ 今日の本題はこちら! 「マッドハッターがぜんぜんマッドじゃない」!

・ まぁね、前作の時点で原作の「不思議の国のアリス」と「アリス・イン・ワンダーランド」は名前だけ借りた別物ぐらいに思っておく方がいいってことは理解していましたよ。 いちいち比べんなよ!粋じゃねえな!ぐらいなね、そういう気持ちで観なきゃダメだって。

・ しかし、ならば「マッドハッター」と名乗ってくれるな、と。 だってぜんぜんマッドじゃないんだもん。 マッドハッターどころか、まとも。 超まともなハッター。 人間味も義理も人情もあるんでやんの。 ただちょっと個性的なだけ。

・ このね、「ちょっと個性的」な子がね、わたしのすごく身近にいるだけに、マッドハッターの描写がいちいち引っかかってしまってホントもうダメでした。 「空気を読まない」「調子に乗りやすい」「感情をコントロールしづらい」「得意分野には抜群の集中力と能力を発揮する」「(本人的にはつじつまもあっているんだけど周りにしてみれば)話の脈絡に一貫性がない」etc... はいこれもうぜんぜんマッドじゃないから。 めっちゃ普通にいるから。 これをマッドなんて言われた日にゃあたまったもんじゃないから。 

・ 通称が「マッドハッター」なだけで、彼には「タラント・ハイトップ」という本当の名前があります。 だから、「マッドハッターはマッドじゃない!」なんていきり立つのは馬鹿げた反応なのかもしれません。 実際きっとそうなのでしょう。 でも、では「マッド」という名前にこだわらず、「個性的なタラント青年」として観てみれば釈然とするのか、というとこれもちょっと引っかかる点がありまして。

・ 個性が強すぎるがゆえに父親と揉め、家族を捨て、そのままひとりぼっちになってしまったタラントさん。 息子に本音を打ち明けない父親と、間をうまく取り持たない母親と、反射的な言動が抑えられない青年が迎えた哀しい選択は、思わぬ結末を迎えます。 まさしく大団円です。 息子は素直に家族を歓迎し、両親は息子に愛を伝える。 でも、結局タラントさんが抱えていた「生きづらさ」ってどうなったの? 和解したことでそれらが「治った」とでも?

・ これはタラントさん自身の問題だけはないのですよ。 なぜなら、なんだったら(わたしの中では)もっと重大な問題に直結しているから。 では聞いて頂きましょう、もっと重大な問題であり、今回の本題その2・「赤の女王が不憫すぎる」!

・ タラントさんが個性的な青年なら、赤の女王ことイラスベスさんもまた、様々な生きづらさを抱える「個性的」な少女でした。 彼女が生まれ持った中で最も困難な性質、それは「強すぎる劣等感」だったのではないでしょうか。

・ 長女として、王位継承者としての責任。 国王の期待に添えているかというプレッシャー。 贔屓目なしで見ても美しすぎる妹。 自分は誰かに必要とされているのか、という不安。 太陽のようにまばゆい妹のそばにいて、たとえ両親からあからさまに比べられていなかったとしても、イラスベスさんの中には常に、彼女の「自信」を曇らせる「劣等感」という黒い雲がむくむくとたちこめていたのではないか。 

・ 彼女に必要だったのは、「あなたのありのままを愛している」という言葉であり、受け入れてくれる人だった。 しかし、実際与えられたのは彼女の容姿に対する嘲笑と、劣等感を隠すため強くなってしまった語気が生んだ「扱いにくい子」というレッテル。

・ 前作での描写だけでも充分しんどかったのに、その根底にあったのがこんな過去だったなんて、もうマジで地獄ですよ。 やはり赤の女王は「ただそれだけ」じゃなかったんだ。 標準サイズよりも大きめの頭で生まれたがために国民から笑われ、両親からは「ちょっとめんどくさい子」と思われ、不幸な事故により負った怪我でさらに頭が大きく腫れ、人生を恨んだ少女。 それが赤の女王だったんだ。 もうやだ。 つらすぎてやだ。 なんでこんなにひどい目ばっか遭うの。 イラスベスさんは歪んだ少女なんかじゃない、歪められた少女なんじゃないか。

・ で、歪めた大きな要因として登場したのが、タラントさんだったというね。 「空気を読まない」「調子に乗りやすい」「感情をコントロールしづらい」タラントさんが、「空気を読んで」イラスベスさんの容姿に触れないようにしていた国民たちを尻目に、先頭をきって大爆笑したのだった、という。 人の容姿を笑いものにしてはいけない、ということがわからなかったタラントさん。 当たり前のことがわからなかったタラントさん。 それはそのまま、彼の人生を生きづらいものにしていたのではないでしょうか。 わからなかったのだから仕方がない。 でも、仕方ないからそのままでいいわけではないのです。

・ 「空気が読めない」子たちは、たしかに読めないがゆえに言わなくていいことを言ったり、するべきではないことをしたりして、顰蹙を買ったり周囲の人たちを傷つけたりします。 けれど彼や彼女たちは、決して人の心が理解できないわけではない。 「それを言われると傷つく人がいるよ」と教えてあげれば理解できるし、なんだったら、教える前に気づく事だって少なからずある。 わかっているのに無意識に言ってしまい、言った後で「そうだ、これは言わない方がいいことだったんだ」と気づき、自分自身が深く落ち込むことのどれだけ多いことか。

・ タラントさんは衆人環視の中でイラスベスの容姿を大笑いした。 誰か彼に「あたなは間違ったことをしてイラスベスさんを傷つけた」と教えてあげたのでしょうか。 戴冠式を台無しにしたことを責めることはあっても、ひとりの少女の心に一生消えない傷を刻んでしまったのだということをきちんと説明してあげた人はいなかったように思えました。 それが、わたしにはどうしても受け入れがたかったのですよね。

・ アリスの行動をきっかけに、アンダーランドは一度崩壊し、再び美しい時を刻み始めました。 イラスベスさんは白の女王の謝罪と愛を受け入れ、過去を許した。 タラントさんも家族と再会した。 めでたしめでたし。 いや、めでたくないだろ。 タラントさんもイラスベスさんにあの時のことを謝らなきゃダメだろ。 「マッドハッターだから」で片づけちゃダメだろ。 だって、タラントさんはきっと理解できるから。 人の気持ちがちゃんとわかる人だから。

・  結局今回も、「タラントさんがそのずば抜けた個性ゆえに理解されず、孤独を選び、でも仲間に恵まれ、家族とも和解した」という根本的なものをスルーしたままのキレイな話と、「赤の女王は自らの身勝手なふるまいゆえに王国を危機に陥れ、でもアリスが頑張り、白の女王との姉妹愛を取り戻した」という救いになってるんだかなってないだかなキレイな話しか描かれなかった。 そこが本当にガッカリでした。 イラスベスさんを純粋に慕っていたらしき「タイム」との関係も、なんだかとってつけたようなものでしかなかったしなぁ。 

・ とにかく、わたしは赤の女王にとっての救いが欲しかったのですよね。 道化師のようなメイクで覆うしかなかった彼女の怒りや哀しみや失望に手が差し伸べられ、好奇の目にさらされ続けることで刻み込まれた精神的な痛みが癒され、今のような攻撃的な感情表現では新たな痛みが生まれるだけだよ、と教えてあげて欲しかった。 描かれることのない本作以降のアンダーランドで、彼女が少しでも楽に生きられ、「タイム」からの愛情によって彼女の劣等感が解消されるといいな、と想像するばかりです。

・ と、いうわけで、アリスの成長という本来のお話しからはかなり脱線した観方しかできなかったため、わたしにとっては「成長したね。おかあさんも壁を破ったね。会社、うまくいくといいね」という当たり障りのない印象しか残りませんでしたが、映像美だけでいうとそれはそれは煌びやかで美しかったですし、なんといってもアラン・リックマンさんの声をスクリーンで聞くことが出来ましたし、豪華なゲスト出演もたのしかったので、観てよかったと思います。 

・ 最後にもうひとつだけノレなかった点を。 時計の振り子がいくつも重なってアリスの行く手を阻むシーン、あんな困難そうなミッションなのにひとつめの振り子に飛び乗ったらあとは省略って、そりゃないんじゃないの? ああいうトコこそ見せ場なんじゃないの? 凝った仕掛けを出し過ぎて全部消化しきれていない感、もうちょっとなんとかならなかったのか。 

・ あと、アンダーランドに行っている間と現実世界で意識を失っている間のアリスの状態(設定)もいまひとつわかりづらかったです。 あっちの世界の1分はこっちの世界の何分なのか。 あっちの世界で喋っていることを、こっちの世界でうわごとみたいにしゃべっていたみたいだけど、病院から逃れて二度目にあっちの世界に行っていた間のアリスはこっちの世界のどこでどうしてたんだろ。 ああ気になる。 ザルすぎるヘイミッシュ家のセキュリティ以上に気になる。 っていうかヘイミッシュ家はお金持ちなんだからもうちょっと防犯がんばれよ。 セコム、してみますか。

・ ひとつだけと言いながらふたつみっつ書いてしまったこと、大変申し訳なく思っています。 正直すまんかった。 






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