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『ジョーカー』

2019年10月04日
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かつて3度スクリーンに登場したDCコミックの超有名ヴィランにしてバットマンの天敵であるジョーカー。
破壊だけを求め、人をダークサイドに招きこむことだけを生きがいに、ゴッサムシティを混乱の渦におとしいれる悪の頂点は、一体どのようにして生まれたのか。
っていうか、なんでそんなひどいことをするのか。
どんな育ち方をしたらそうなったのか。
誰になんの恨みがあるのか。いや、ないのか。
なにもかもが謎に包まれたジョーカーだからこそ、その狂気は輝きを増し、説明されないことでその恐怖は際限を失った。
『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーに至っては、その場その場で思いついたような「うその生い立ち」をわざと披露し、「悪役にもそれ相応のやむにやまれぬ事情があるに違いない」という安い同情心を笑い飛ばしてさえみせた。
悪役は説明がつかないからこそ魅力的なのであり、不幸な生い立ちなんぞは鼻白むだけ。
それが昨今のトレンドだった。
だったのかもしれない。
よし、ならば見せてやろうじゃないか、思いつくままの不幸を。
皮肉屋たちが鼻白む隙を与えないほどの、息も出来ぬほどの圧倒的な不幸を。
我々の日常のすぐ隣にある、我々の中にもある、我々の未来で待ち構えている、とことんリアルな不幸を。

身につまされるがいい。 
ひょんなことすぎる凄惨な暴力に困惑するがいい。 
目の前に立つ「悪」の美しさに酔いしれ、罪悪感に苛まれるがいい。
これはあなたが欲したジョーカー。
あなたが絶対知りたくなかったジョーカーなのである。


あらすじ・・・
不幸な生い立ちの中年男性・アーサーがジョーカーになります。

(※ 以下ネタバレ)



貧困・虐待・疾患等々苦難のつるべうちで、不幸ゲージが満タンです!!


冒頭から泣いています。

主人公のアーサーは人を笑わせることこそが自らの幸せだと、ピエロの仕事をしながらコメディアンの勉強に勤しむ毎日。
でも、人を笑わせるどころか自分がうまく笑えない。
なぜなら、生活がぜんぜん楽しくないから。
仕事は少なく稼ぎは不十分。
家に帰れば身体と精神を病んだ母の世話。
隣人とのコミュニケーションは皆無。
同僚は他人の身体的特徴を嘲笑うクズ。
政治は腐敗。
街はゴミまみれ。
富裕層は肥え、貧困層は食つなぐことで必死。
子どもたちは他人を敬うことを教わらず、大人たちは他人への無関心を貫く。
そんな生活の中でどうやって笑えばいいのか。
仕事を控えメイクを施すアーサーは、懸命に口の端を指で引き上げ、笑いの練習をする。
無理やりあげられた口角を、涙で崩れたアイメイクの黒い滴がつたう。
冒頭のシーンです。

そしてその反面、アーサーには緊張すると起きる神経発作があり、笑わなくていい局面になるとその場にそぐわない大きな引きつり笑いが止まらなくなってしまう。
笑いたいときに笑えず、笑いたくない時に笑う。
アーサーの身体から酸素を奪い、息の根をとめるかのごとく激しく続く笑い声。
「笑い」はアーサーの誇りであり、アーサーの希望であり、アーサーの呪いなのである。

で、「そりゃ不幸だなぁ」と思うじゃないですか。
これはあくまで本作の設定でいうとベースの部分。
ここからアーサーを、一難去らずにまた一難ペースで不幸が襲いかかるのですよお立会い。

不幸その1・・・反社会的な子どもたちに仕事の妨害をされただけでなく、リンチまでされたのに、職場の上司はアーサーの言い分を信じず給料の減額を匂わせる。
不幸その2・・・バスの中でこちらを見ていた子どもを「いないいないいばあ」で笑わせていただけなのに、その母親から変質者扱いされる。
不幸その3・・・月一回受けていたソーシャルワーカーによるカウンセリングが、市の予算削減にともない廃止される。
不幸その4・・・同僚が「身と守るために」と強引にくれた拳銃をうっかり持ち歩いていたせいで、仕事を解雇される。
不幸その5・・・帰宅途中の地下鉄車内でサラリーマンに絡まれた女性を助けようかどうしようか悩んでいたら笑いの発作が起きてしまい、結果的に「なにわろとんねん」とサラリーマンからボコられる。
不幸その6・・・うっかり持ち歩いていた銃の引き金を引いたらサラリーマンにヒットしてしまう。
不幸その7・・・長年の夢を叶えようとナイトクラブに出演するも、発作は起きるわネタ帳のチョイスが悪いわで全編スベリ倒してしまう。
不幸その8・・・お母さんから「実はおまえの父親はゴッサムシティ一番の大富豪ウェイン氏なんだよ」と聞かされたので、お屋敷を訪ねていき、偶然会った弟のブルースくんを得意の芸で笑わせていたら、執事のアルフレッドから「お前の母ちゃんクルクルパー」とダイレクトな悪口を言われる。
不幸その9・・・埒があかないので直接お父さんに会いに行ったら「オレの子なわけねえだろゴミクズ!」と鼻をグーで殴られる。
不幸その10・・・お母さんが入院していたアーカム州立病院に裏取りに行ったら、お母さんの言い分が虚言だったことが判明する。
不幸その11・・・おまけに自分は養子で血の繋がりはなく、お母さんからは育児放棄、お母さんの彼氏からは虐待を受けて育ち、神経発作もそのせいであることを知ってしまう。
不幸その12・・・怒りや悲しみや絶望で我を失ってしまい、お母さんを殺してしまう。
不幸その13・・・恋人に泣きつこうと彼女のアパートに侵入したらメチャクチャ怯えられた挙句、つきあっていたのは自分の妄想で、彼女とのラブラブな日々は存在しない幻だったのだ、という現実に引き戻されてしまう。
不幸その14・・・ずっと憧れていたトークショー番組の司会が、こないだスベリ倒した自分の映像を番組で取り上げてくれたけど、内容的に「オモシロ映像紹介」ではなく「クソスベリ芸人晒しあげ」の方向だった。
不幸その15・・・その番組からゲストとして出演依頼を受けるが、もちろん「話題のおもしろコメディアン枠」ではなく「クソスベリ芸人晒しあげ枠」だった。
不幸その16・・・たまたま撃って、たまたま当たった相手が、たまたまエリートサラリーマンだっただけなのに、富裕層に立ち向かう反逆のシンボルみたいな扱いをされてしまう。
不幸その17・・・当てつけ自殺をしてやるつもりで出演した生放送番組で、憧れの司会者と話をしているうちにだんだん自分がどうあるべきかに気づいてしまう。
不幸その18・・・司会者を射殺してしまう。
不幸その19・・・逮捕されてしまう。


どうですか。何個かおかしいのもありますけど、これはしゃーないなぁと思わせる堂々たる不幸っぷりではないですか!

とにかく観ている間中つらかったです。
アーサーが誰かにちょっとした幸せを与えようとするたびに、どこからか入る妨害。
自分が置かれている環境は行き詰っているけれど、だからこそ誰かを笑わせたい、誰かを幸せにしたい、というささやかな行為は踏みにじられ、「普通であれ」という枠からちょっとずつはみ出してゆくアーサー。
いや、もともと「普通」ではなかったんですよね。 でも、それが受け入れられさえすればよかっただけで。
受け入れられなかったから窮屈だった。 なんとか枠に収まろうと身を縮めていた。
それはアーサーだけの苦難ではないじゃないですか。
大多数とは違った特性を持ったことで、二重三重もの生きづらさを強いられている人たち。
それが「そのままでいい」となれば、そりゃ解放感にも満たされますよ。
もちろん、その「解放」が暴力・犯罪行為であってはならないことは、言うまでもありません。
けれど、じゃあ、どうすればいいのか。
長らく不況と社会情勢の悪化で、他者に対する寛容さを失ってしまったこの世界で、特性を無理やり押さえつけるのではなく「自分らしく」生きるためには、どうしたらいいのか。

本作のすぐれたところは、「誰にでも覚えのある理不尽さ」で主人公を追い詰めながら、主人公が身を落とすのが「誰も肯定してはいけない理不尽な暴力」であるところであり、また、他ならぬ主人公自身がその不条理に翻弄されているところだったのではないかと思います。
さまざまな不幸が積み重なって積み重なって、ついに我慢の限界を迎えたアーサーが、「ジャジャーン!ジョーカーの誕生です!」と白塗りメイクで参上するわけではない。
膨れ上がってゆく不幸の中、それでもアーサーはなんとかしてこのクソみたいな現実を好転させられないか、ともがき続けるのです。
アーサーは望んで反乱のシンボルになったのではない。
でも、シンボルとして祀り上げられることが不快なわけでもない。
自分の言葉に呼応するかのごとく火が放たれた市街地。
護送車の窓からその火を眺めるアーサーはうっとりとした笑みを浮かべますが、その笑顔は果たして本心からのものなのでしょうか。
事故に遭い意識を失ったアーサーが目を覚ますと、周りを取り囲む「信者」たちは歓喜の声をあげ、アーサーも声援にこたえるように軽やかにステップを踏みますが、濛々とたちこめる煙のスクリーンに映った自分の影を見て表情をうしないます。
これは本当に自分なのか。 
これは本当に自分が望んだことなのか。

アーサーにとって最も不幸だったことは、護送途中の大事故で死ねなかったことだったのかもしれない。
自分を「英雄」と崇める人々の中で、生を取り戻してしまったことだったのかもしれない。
そんな風な考えが頭をよぎり、とてつもなくやるせない気持ちになりました。
そんなかなしい人生があっていいものか。
生き続けるも地獄、自ら命を絶つも地獄だなんて。
だってその地獄は、ここで生きているみんなにほんのちょっと他人を思いやる気持ちがあれば、簡単に抜け出せるかもしれないのに。
自分が痛いから他人が痛くても知らない、じゃない。
自分も弱まっているんだから他人が弱まっていても構っていられない、じゃない。
余裕がない時だからこそ、誰かに手を差し伸べる勇気を持ちたいじゃないですか。
それはいつか、自分に差し伸べられるかもしれない手じゃないですか。


アーサーがジョーカーになることを選んだ(かのようにみえた)ラストですが、まだまだジョーカーの内面は理屈が通らないことだらけであり、なによりジョーカー自身が理屈を受け入れるつもりもなさそうなので、是非次回「ジョーカー立志篇」でますます混沌と化したホアキン・ジョーカーの踊りっぷりを魅せていただきたいところです。
本当にすごい作品でした!



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アーサーが指で口の端をあげ、無理やりに笑みを作りシーンで、『散り行く花』のリリアン・ギッシュを思い出していました。 生きるために笑顔を作る、笑顔を知らない少女。 「ハッピーだったことなんて一度もなかった」と吐露するアーサーもまた、それだけが自分を救うものだと信じて笑顔を作り続けていたのだろうか。 ラスト、唇に血を塗り付けて作る笑顔は、「喜劇」であった人生を受け入れてのものだったのだろうか。 笑いはまだ、彼にとって呪いのままなのかもしれない。

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テレビ出演のためにおめかしして家を出るアーサー。 前回よりももっと簡単に人の命を奪った直後とは思えない爽快さとかっこよさに、ばつの悪い高揚感を抱いてしまいました。 いや、だってかっこよかったんだもん。 問答無用にかっこよかったですよ、これは。 「安全」だった上の世界(自宅)から一歩ずつ下界におりてくるアーサーはあまりに活き活きとしていて、「堕天使とはこういうことか・・・」ってなりました。 

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