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『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』

2023年07月05日
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「インディ・ジョーンズは長編映画と同じ長さの予告編のようなものだ。 
映画全体がアトラクションの予告編のようなもの。 
だから途中でその流れを止めてはいけないんだ」  
スティーヴン・スピルバーグ

上映時間

上映時間 154分

・・・ずいぶんと長い予告編だな!!

あらすじ・・・
老境インディ・ジョーンズが馴染みがあるようでない人たちと最後の冒険にでかけます。


人生でいちばんすきな映画は何かと聞かれたら、迷わず答える『魔宮の伝説』。
どうもこんにちは、アガサです。
80年代に成長期まっさかりだった世代の多くがそうであるように、わたしの人生もまた、インディ・ジョーンズとともに歩んできた数十年でした。 
違うとは言わせない。 
ごめんわかった、みなさんは違うかもしれない。 
違うかもしれないけれど、きっと一度や二度はインディの姿やかたち、例のテーマ曲に触れたことがあるはず。 
一部の熱狂的ファンがそうであるように、何かに憑りつかれたがごとく繰り返し観てはいなくても、有名なシーンのひとつやふたつを目にしたことがあるはず。
その時思い描いたインディは、どんなふうだったろうか。
もしもインディにその後があったとしたら、どんなふうだと想像しただろうか。

立て続けに作られた『レイダース』『魔宮の伝説』『最後の聖戦』から19年後に作られた『クリスタル・スカル』からさらに時は流れて15年。
80歳になったハリソン・フォードが、70歳のインディとなってスクリーンに戻ってきました。
クリスタル・スカルの一件で、いっぺんに家族を手に入れた冒険家インディアナ・ジョーンズが過ごした12年間(劇中)は、それはそれは苛酷なものでした。
時代がそうさせた部分もあっただろうし、家庭というものと縁遠い人生を歩んできた結果という部分もあっただろうけれど、ひとりぼっちで、退職も間近に迫り、生き甲斐もなくただうつろに日々を過ごすだけのインディ。
ひかりのない瞳のインディが、背中をまるめてとぼとぼと歩く街並みは、対照的に生気にみち、まだ見ぬ未来への期待や希望であふれかえっているようです。
それはまるで、若かりし頃のインディがそうであったように。
わたしが観たかったのはこれなのか。 
もちろんもう若くないのもわかっているし、いろいろあったのもわかる、時代が激変しているものわかるけれど、「最後」と謳われたインディの導入部がこんな感じでいいのか。
「映画全体がアトラクションの予告編」ってこんなアトラクション乗りたくねえぞ割とマジで。
そんな不安が胸をよぎるなか、インディにひとりの女性が近づきます。
彼女の名前はヘレナ・ショウ。
そう、インディが名付け親をつとめた旧友バジル・ショウのひとり娘です。
ヘレナはインディに語り掛けます。
「むかし父と一緒に手に入れた秘宝のことを覚えている? アンティキティラのダイヤルのことを・・・」
よみがえる当時の思い出。 
ナチスとの格闘の末手に入れた謎の精密機器。
世界の運命を揺るがしかねない危険な機械だと主張していたバジルと、それを否定したインディ。
たしかにあれは・・・ しかしあれは・・・ もしかしたらあれは・・・
よどんでいたインディの瞳に、ふたたび光がよみがえる・・・!


(※ 以下ネタバレしています)

結論からいうと、すべては「なにが観たかったのか」と「なにを見せたかったのか」に尽きると思うのですよね。
だから、そこがかみ合った人には最高&センキューインディになるだろうし、かみ合わなかった人には寂しい家路が待ち受けることになる。
どちらが正しいということも間違いということもないので、傷つけあうのはやめようよベイビー。
ただ、わたしはね、わたしが望んだのはこういうインディじゃなかった。
歳をとるのも当たり前だし、家庭がうまくいかないのも当たり前(に起こりうること)、体力が気力についていかないのだって日常茶飯事だし、欲というものが枯れてゆく中ものごとにたいする情熱もおとなしくなってゆくのなんてわかってますって。
こちとらインディには及ばないものの、中年どまんなかで毎日「老い」を実感しながら生きているんですから。
でもね、だからってインディがこんなしょぼくれてるだなんて思わなかった、いや、思いたくなかった。
わたしが夢中になったインディは、頭がさえていて、大胆不敵で、チャーミングで、時々不遜で、でも憎めない考古学者だったんですよね。
別に、年をとってもそのままでよくないですか?
年を取ったら、陰気でしょぼくれてて人生に希望がなくて若い子にハッパをかけられないと踏み出せないんですか?
「いや、インディはほら、息子さんを亡くしてるから・・・」って言いますけど、そもそも息子さんを退場させる必要ありました?
マリオンに不義理をはたらいたため、58歳になるまで息子の存在を知らなかったインディ。
ソ連のわるい人たちとクリスタル・スカルの争奪戦を繰り広げながら、息子との絆をいちから築き上げたのが前作だったのに、その後親子関係がうまくいかず、息子はインディへの反発心からベトナムへいき戦死しました。ってどんなテンションで書いたのそのプロット。
あんな経緯で家族をもったインディが、いくら家庭人でなかったからといって息子とそういう関係性しか築けなかったとは思えないし、インディ自体が父親・ヘンリーとあんな経験をしてるわけじゃないですか。
一朝一夕で「父親」になれるほど簡単ではないだろうけれど、無下にはせんやろ。
マリオンだって、あんなアナーキーなキャラクターだったのに、息子をみすみす戦地へ行かせるだろうか。
この設定に必然性はあったのか。
決定稿に至るまでに一度も「シャイア・ラブーフはNG」という邪念がよぎることなく、ピュアな気持ちのみで書き上げたと、胸を張って言い切れるのか。
「スタート時点でインディが不幸でなければならない」という前提ありきで詰め込んだようにしか見えなかったし、わたしにしてみればホント、その「そもそも時点」がおかしいやろ、という話なんですよね。

昨年世界中でばけもんヒットとなった『トップガン マーヴェリック』、おもしろかったですよね。
あれはトムが「老いたから今後は教官になって後進の指導にあたります」というだけの映画じゃなかったからおもしろかったんだとわたしは思うのですよ。
年をとろうが若いもんに笑われようがトムはトム。
いつだって現場はトムが仕切るし、教えるのも飛ぶのもぶっちぎりでトム、なぜならトムは老いてもトムだから。
それでいいじゃないですか。

わたしは、老いてもひょうひょうとしたインディが観たかったし、生涯いち考古学者で好奇心おうせいなままのインディが観たかったし、体力がおいつかなくて若者に笑われても、知識や機転でぎゃふんといわせるインディが観たかった。
『最後の聖戦』のヘンリーがそうであったように、インディにもそういう老後がまっていてほしかった。
「長編映画と同じ長さの予告編」
今までのインディなら納得の言葉でしたが、今回のインディをそう評することができるだろうか。
オーパーツ上等、オカルト熱烈歓迎、トンチキ民族描写どんとこい、そんなことはいい、そんなことは全く問題じゃないしむしろインディ・ジョーンズにとっては見せ場のひとつ。
つぎからつぎへと繰り広げられるアクションに、世界をまたにかけた謎解き合戦、にくたらしい敵などを小気味いいテンポで乗り越えてゆくインディ。
そして最後は秘宝よりも大切なものに気づき、選択し、大団円を迎える。
それがインディ・ジョーンズのたのしさであり、魅力だったのではないでしょうか。
ヘンリーの時とは時代背景が異なるのもわかっていますけど、製作者がそういうインディを描こうと思えばいくらでもできたはず。
「そうしなかった」からこうなった。
悪くはない。 
すべてを失った老境インディの再出発で幕を閉じる本作は、悪いわけじゃない。
これが最後なんだなぁ、という実感も計り知れない。
ただ、子どものころに夢中になった冒険活劇の主人公の、老いた先にあるのがこれなのだとしたら。
わたしはすこし、人生ってそんなもんなのかなぁとさみしくなったのでした。

まあ、あれだ、いままで本当にお疲れさまでした。
どうか今後はマリオンやサラーとのんびり暮らしてほしい。
まだオーパーツは山ほど世界にあるんだし、聖杯のお水飲んでるからあと数百年は長生きできそうだし、ぼちぼち探してみたらいんじゃないでしょうか。
たのしい冒険をありがとう、映画をすきにさせてくれてありがとう、さようなら、インディ!


- 余談 -

・ キー・ホイ・クァンで追加撮影をしなかったディズニーのえらい人、オレはおまえをぜったいにゆるさない(根拠はないがディズニーと断定)

・ 運命のダイヤルっつったって、なんの運命も変えてないんですよね。 強いていえばインディの投げやり人生が前向き人生に変わったけど、それってインディの選択じゃないし。 ヘレナがぶん殴って連れ戻してくれたから変わったんだし。 強いていえばヘレナをそうさせたのはインディとの冒険があったからかもしれないけど、現金第一主義だったヘレナの変化が「インディのかなしい12年間を知った」ぐらいしか描写がされなかったの、非常に弱い

・ もっといえば、今回初めて出てきた友人の初めて出てきた娘で、しかも20年以上会ってなかった(つまり大した思い入れがない)という関係性を考えると、ぶん殴る役として足りなさすぎる。 マリオンぐらいにぶん殴ってもらわないと納得いかない

・ ショーティを想起させる少年テディも非常に弱かったですね。 スリ・孤児・勇敢・有能とどこまでもショーティっぽい設定にしてあるわりには、圧倒的に憎めなさがない。 見た目じゃないですよ、キャラクターとしてのかわいげが足りなさすぎるんです。 ヘレナへの執着心だけが原動力なのがいけなかったのか。 インディにも、もう少し心を開いてほしかった。 ユニットで動くキャラなんだから

・ 「アンティキティラが半分欠けた状態」→わかる
  「もう半分はアルキメデスのお墓にある」→まあわかる 
  「合体させたら完成」→そりゃわかる 
  「ではなくて最後にアルキメデスのお墓にあったキーホルダーみたいなやつを外して真ん中に組み込んだら完成します」→初見殺しすぎんか

・ 結局アルキメデスは、ローマ軍によるシラクサ包囲戦への援軍を未来から呼び寄せる為、アンティキティラのダイヤルを開発したということになるんでしょうが、ヤケクソになったナチスの兄ちゃんが飛行機から撃ち殺したローマ兵なんてたかが知れてるし、たぶんインディたちがきてなくても勝ててたし、っていうかそもそもインディたちが来た時点ではダイヤルは未完成だったので、完成品をもってきてくれたからインディたちがくる未来に繋がることになるし、でも今回インディはダイヤルを持って帰っちゃったからあの世界線のアルキメデスはダイヤル作れなかったのかな、いや待てよ、ダイヤルはバラバラだっただけですでに完成していたのかも、でもそうなったらますます卵が先かにわとりが先かという問題にもうこの話はやめよう

・ 最後だからと過去のネタがこれでもかと詰め込まれていて、途中からは「これなんのオマージュでしょうか」大会の様相を呈するレベル

・ ムチ振り回しからの銃つきつけ、骨とう品ぶち壊し、ナチの制服でなりすまし、差し込む光からの謎解き、虫パニック、パラシュートあるよ、蛇イジリ、カリの血、吊り橋壊し、馬チェイス、「博物館に収めるべき」ネタなどなど、どこかでみたことある描写や展開が目白押し。 これはうれしい

・ 半面、そんなインディあるあるが続くたのしさが、常に一定の「陰気さ」をまとっているのも事実で。 インディのよさである「ユーモア」が本当に少ないんですよね。 これを「陰気」ととるか「大人の落ち着き」ととるかは観る人次第で、老境インディだからこその「落ち着き」といわれればそうなんですけど、わたしはダメでした。 もっとたのしいやつくれよ!インディなんだから!

・ 結局わたしがいちばん言いたいのは、スピルバーグに監督してほしかった、ということに尽きるのかもしれません。 80歳のハリソン・フォードものった、90歳のジョン・ウィリアムズものった、マリオンやサラーものった、なのにスピルバーグがおりたというのはね、マジでなんとかならんかったのか。 最後なのになぜ・・・

・ ジェームズ・マンゴールド監督もすばらしい監督なのはわかるんですけど、インディの色じゃないと思うんですよ。 随所で盛り上がりが欠けているように感じられるのは、きっとキメ画が足りないからなんです。 ズーンと寄ってバチーンとキマる画がほしいんですよぼくは。 伝われこの気持ち・・・!

・ インディ恒例であるパラマウントロゴからのオープニングがなかったのも、ほんとにいただけないですね。 その代わりなのかなんなのか、ルーカスフィルムのロゴの四角形がそのまま錠前のシルエットに繋がるんですけど、そういうことじゃねえから。 誰だよ責任者。 どうせディズニーのえらい人だろ(根拠はないがディズニーと断定)

・ いいところも書いておきますと、なにはともあれマッツですね。 全シーンのマッツがいい。 中でも、アンティキティラのダイヤルで過去に戻ってヒトラーを殺す計画を明かすところから、まんまと失敗するところまでの流れが最高すぎる

・ 物理学者のはずなのに、仕組みがまるでわかっていない機械を100パー信頼する、アホの子マッツ。 「ここの針をここに合わせたらチーンって時空の裂け目が導き出されます」って言われてまるごと飲み込む物理学者、今すぐ白衣を脱いだ方がいい(学者は常に白衣を着ているという昭和的イメージ)

・ 過去に戻る気満々でナチスのコスプレ一式を新品でそろえるマッツ。 着こんだ衣装で史上最大のドヤ顔を決め込むマッツ。 「それ計算間違ってねえか?」とインディに正論のつっこみを入れられて動揺するマッツ。 案の定間違っていて古代に迷い込み、文字通り頭を抱えてべそをかくマッツ。

・ ぜんぶかわいい

・ まあね、とはいえインディ名物・グロすぎる死を迎えなかったのは、マッツかわゆさでもゆるされないぐらい罪深いですけどね。 なんやねん中途半端に焦がしやがって。 もっとシチリアがとけるくらい燃やしてみせろよ

・ 今回、「新登場」の「懐かしキャラ」がぞくぞく登場して、思い入れもないまま死んでゆくのがマジで虚無だったんですけど、最もひどい死に方だったのはアントニオ・バンデラスということでよろしいか。 その後、ダイナマイトを使って脱出したヘレナがアホみたいにはしゃいでいたら、「おれの友人は殺されたんだぞ」とインディにガチ切れされるシーンに救われました。 ほんとおまえ、そういうとこだぞヘレナ

・ 大学に侵入してきたナチスの残党が、さっきまでインディに退職パーティを催してくれていた同僚たちを容赦なく射殺するくだりも、今までのインディだったらなかったと思うんですよね。 殺していいモブキャラとそうでないキャラの分け隔てが、今回は悪い意味でない。 繰り返しになりますが、わたしが観たかったインディは、こういうのじゃなかったです

・ 「運命のダイヤル」というタイムマシンになりうるパーツを使って、インディ最後の大冒険をするというのなら、シリーズ全編巻き込んだインディ・マルチバースをやってくれても、わたしは全然うれしかったですよ。 せっかくだからヤング・インディも出しちゃえばよかったのに。 今回、過去のハリソン・フォード素材を使った若返りインディを、冒頭数十分使って延々繰り広げる胆力があったんだから、開き直って色んな懐かしのキャラクターも出してほしかったなあ。 カーテンコールというか、ファン大感謝祭みたいなものじゃないですか。 大人になんてならなくていいんだよ! 老人の落ち着きなんていらないんだよ!

・ なんだかんだいいましたが、ラストシーンでマリオンとともに「痛くない場所」へのキスシーンを再現された瞬間、とめどなく涙があふれました。 すきだったんだよ、インディが。 すきなんだよ今でも。 これからもそれは変わらないから。

・ 42年間、たくさんの夢をありがとうございました! インディ、アイラブユー!


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